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2008年10月10日 (金)

日記

今日は一日入院である。腕に注射針が射さらないのでちょっと精神的に嫌な思いをする。
癌を治療するには宇宙の心と一体になる方法を自分なりに見出すことである。それは各自の生き方がそれぞれの方法で見出すしかない。つまり手術を拒んだひとは、それなりの覚悟があるはずだ。手術した人より癌に対しては前向きに生きているはず。その前向きな姿勢が宇宙の心と結びついていくものである。人の心は脳によって支えられている。そということは肉体と心が一つになって、豊かな心を作り上げていくことだと思う。
 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色は宇宙の存在を示したものである。それは人の肉体と心の姿をも示したことにもなる。見えるもと、見えないものが一つになっている。福岡伸一著『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)が面白く読める。
癌は医者が治すものではなく、当事者が治す病でもある。癌で死ぬもの、癌で生き伸びるのも、その人の生命力である。私にとって宇宙と一体になれる方法は詩語りを通じてそれが叶えられる。深い呼吸方法が、それを可能にしてくれる。聲は宇宙の膜によって反射されて、地球に聲が戻ってくる。その聲を聴こえる人と、聴こえない人がいる。聲そのものは人の心や肉体を癒す働きがある。それを見出すことが、詩人の聲なのだ。そのことを理解できる詩人は世界でも数人しかいないであろう。聲を極めていくことが人明かりにも通じる。

2008年10月 4日 (土)

日記

午前中に病院から退院をしる。CT検査は以前とは少しも変わっていないという。CTでは穏当のところどうなっているのか解らないという。できるのなら手術をと医師は勧める。でもわたしが断固拒否をつうdける。合併症などでもっと悪い状態になら大変だ。自分の生命力まだ治る可能性もある。ここまで詩語りができてきたのだから。そして以前より聲の張りも出てきている。いつまで抗癌剤の治療をつうdけるのも医師として判断が難しいとのことである。それならもう一年このまま様子をみることにしたいと私の方から言い出す。
昨日の神奈川新聞の記事に『がん治療の生存率公表』が載っていた。全国がん(成人病)センター協議会での内容は、肺がんで51・5―9%、胃癌で81・6―55・8%とある。生存率は患者の重症度に大きく左右される以上、現在のデーター精度には限界がある。でも胃癌の死亡率は相変わらず高い数字だ。
病院で二篇の詩が書けた。そのおかげで昨夜はほとんど眠れなかった。その理由は。点滴の時注射針を腕の付け根に射されたので身動きが出来なかった。動くと点滴が止まってしまうのだ。そのため眠るしかなかった。左手にはもう血管が見えなくなっている。看護婦さんも注射を射すのが大変である。このようなことをもう一年も続けなければならないと思うととぞっとしてくる。数日まえに患者さんが亡くなったようだ。昨日私の部屋にも癌患者さんが入院していた。彼は放射能の治療をしているらしい。それに抗癌剤の治療も同時に行っている。彼の様子をみていると私より早く亡くなっていくように思える。無償に哀しいものだ。
操車場の原稿が全部そろう。明日にでも印刷に取り掛かれそうだ。

2008年9月23日 (火)

日記

今日は秋のお彼岸である。墓まいりをしたいと思っても、お墓が遠くにあるので、この身体ではいけない。せめておはぎでも買って仏壇に供えよう。母も父も妹も私もみんな癌になってしまった。
田中眞由美さんから、葉書で新座の語りの連絡が届いた。九月二十五日十一時半から行なう。新座で詩語りを行なうのは久振りである。宮澤賢治・中原中也などを語ってもらいたいとのことだ。そして、明日は自作詩の新作ばかりを東京ユマニテで行なう。
五浦に行ってみたい。坂上田村麿が創建した神社(花園神社)がある。坂井のぶこさんがぜひ行ってみたいというので、身体の調子をみて行く予定をしている。私は温泉と、美味しい魚を食べたいだけだ。お金のゆとりがあれば、旅をしたいものだが、生活がぎりぎりなので何処にもいけないでいる。語りでお金を稼ぎたいものだ。
自民党の総裁もきまった。消費税は、あげてもいたし方がないと思う。でも食料品には消費税をかけないでもらいたい。政治家は選挙の近くになるといいことばかり言うが、実際に政権をとると、国民の期待をすぐ裏切ってしまう。
アフリカなどは、医療施設がほとんど整っていない国が多い。国際的な貢献も求められている。国民は、自分のことばかりを考えてはならない。みんなの幸福があって、本当の幸福がつかめる。浜川崎の猫に缶詰めの餌を与えにいったら、身体で歓びを表現してくれた。それを観てこころから私自身も歓びを感じる。人の役にたつ語りを早く始めたいものだ。いのちそのものだけを語りつづけたい。

2008年9月 7日 (日)

日記

福田首相は、国民の為に何もしないで、自民党政権を維持するために止めただけのことだ。これほど国民を馬鹿にした政治家はいないだろう。自民党をここまで追い込んだの最大の原因は、小泉首相の強引な改革であった。それなのに、国民は今だなお小泉前首相の人気が高いのは不思議だ。国民も目を開いて政治に感心を持ってもらいたいものだ。
戦争の正当化で「人道的武力介入」もいつもきな臭い。どこか嘘がある。インド洋の石油給油問題も、おかしな話だ。もうアメリカの言いなりの政策とおさらばすべきだ。
政治を変えるには国民の下からの力が大切なのである。しかし、戦後から今だ
本当の国民の聲が立ち上がってきていない。
今日の朝日新聞九月五日の「声」の蘭に次のような記事が載っている。ポスピス医療を目指している山崎章郎さんからの投書である。
誤解に基づくモルヒネ発言「民主党の山崎賢次国対委員長が8月31日、政府・与党の総合経済対策について「選挙目当てのばらまきだ。がん患者にモルヒネを打つような話で一時的にはいい気持ちになるが、長期的に見ると体をむしばむ」と批判した一部のメディアで報じられた。とある。末期癌者の痛みはモルヒネが必要である。モルヒネは身体の悪影響を与えることなく、患者の痛みを抑えられるものである。山崎賢次の全くの癌に対しする無知には驚く。WHO方式は、癌性疼痛には世界的標準的な治療方法である。
民主党にこのような人がいるから、いまいち民主党が信じられないのだ。山崎さんは緩和ケアとポスピスは違うことも言っている。最後のいのちの問題を見つめるのがポスピスの仕事であると。

2008年9月 1日 (月)

日記

昨日は、気持ちよく語りができた。会場まで行くのに歩くのがしんどかった。でも「いのち」そのものの詩を語ることができて、これからの詩語りの方向が見えてきた。会場では多くの知人たちに会えた。私の身体や声を聴いて、元気でよかった。あなたらあと十年は生きていられるよ、といってくれたが、身体はしんどいのだ。外面的には癌の辛さは人には理解できない。でもいろいろといってもらえるのは有難いものだ。これは生きていられる証拠なのだ。
九月の二十五日に新座で詩語りの仕事が入った。このときは私が一人で行くことのなった。坂井さんは仕事で昼間は休めないからだ。歩くのに大丈夫なのだろうか、とちょっと不安でもあるが。
今日からは九月だ新しい気持で生きていきたい。操車場の印刷を始める。


  天童 大人 プロデュース 
 La Voix des poètes (詩人の聲)
-―「目の言葉」から「耳のコトバ」へー

 
            9月

第242回9月1日(月) ギャラリー絵夢 有働薫
第243回9月2日(火) ギャルリー東京ユマニテ 建畠晢
第244回9月3日(水) ギャルリー東京ユマニテ 山口真理子
第245回9月5日(金) Star Poets Gallery 四元康祐(ドイツ)
第246回9月6日(土) ギャラリー絵夢 浜江順子
第247回9月7日(日) ギャラリー絵夢紫圭子
第248回9月8日(月) ギャルリー東京ユマニテ 伊藤比呂 美(USA)
第249回9月9日(火) Star Poets Gallery  武藤ゆかり
第250回9月11日(木) Star Poets Gallery 薦田愛
第251回9月16日(火) Star Poets Gallery
 坂井のぶこ

第252回9月17日(水) ギャルリー東京ユマニテ 福田純子
第252回9月18日(木) ギャラリー華  岩切正一郎
第253回9月24日(水) ギャルリー東京ユマニテ
 田川紀久雄&坂井のぶこ

第254回9月30日(火) ギャルリー東京ユマニテ  天澤退二郎

2008年7月11日 (金)

日記

今日は一日入院日である。いつまで続くのか解らない抗癌剤の治療だ。精神的にきつい。
今日は世界人口デイーである。いま世界の人口は六十億を超えている。二〇五〇年にはやく100億近い人口になる。CO2の問題も、理想的には削減ができないだろう。そして食料の問題も危機的状況に追い込まれかねない。いまの豊かな生活をむさぼっていては日本は滅びてしまうだろう。福祉政策の問題を本当に真剣になって国民全体で考えてゆかねばならない。今年の税入も予想をはるかに下回る。そうすればますます福祉政策は縮小されていくだろう。
先日の出版記念ライブのDVDを制作している。一年過ぎてやっと元の声に戻ってきた。そして語りにゆとりも出てきた。これから語りも楽しくなってゆく。身体に気をつけてゆけばそれなりの詩語りができる。メモリーが一つ一つと増えてゆく。これからも『生命の旅』を語り続けてゆきたいものだ。

2008年5月13日 (火)

日記

成都で大地震が起こる。杜甫が一時期に住んだところだ。明日はどうなるのかわからない世の中だ。
昨日、「操車場」の版下で使っていたパソコンが故障。ヨドバシカメラに修理にだす。三週間もかかるそうだ。
東京も台風二号の影響で雨だ。とても寒い朝である。
詩集でカンパ代を頂いても、CTの検査代であっというまに消えてしまう。でもカンパがなかったら、私達の生活は破綻である。毎日が綱渡りの生活だ。お金が入る詩語りの仕事が欲しい。杜甫も貧しさの中で、優れた詩を残した。詩人にとって貧しさも一つの宝ものなのかもしれない。この貧しさの中で、美しい心を創りあげていかなければならない。雨の音を聞きながら一日を過ごすのも贅沢な生き方なのかもしれない。

2008年4月 9日 (水)

日記

昨日の春の嵐は凄かった。風車が折れてしまう。東京の桜もこれで終わった。
癌のことを調べれば調べるほど解らなくなってくる。いろんな意見があってどれを信じてよいのか迷ってしまう。ということは、癌は個人個人によって異なるということだ。自分は自分のだけの癌であって、他の人の癌とは違う。そう思って治療していく意外にはなさそうだ。癌を無理にして闘うと、かえって癌が反発して増殖をする。手術をみているとそのことが良くわかる。何でもかんでも切り取ってしまえばよいというものではないらしい。癌を騙しだましながら生きていくことも必要なのである。今なお現代医学では、癌に対してはお手上げ状態である。癌は風邪と同じではないかと思うときもある。無理して風邪は治すものではない。熱をだして自然に治ってゆくものだ。やたらに薬を飲んで抑える必要はないものである。自然治癒で治る病である。
癌と共にいきるということは、朝起きたら「今日一日楽しく生きましょう」と自分自身にいうことが大切なのである。楽しく生きれば癌の方も、無理して身体を破壊しようとは思わなくなるのではなかろうか。なにしろ相手は、悪性新生物なのだから、煽てながら治していく以外にはなさそうだ。医師にとっても患者を煽てながら、話しかけてゆくことが大切なのだ。それなのに医師たちは、患者の気持を理解しない。患者の身体に聴診器を当てようとしない。患者を励まして対話をすることが、癌患者には必要なのだ。江戸時代の医療のはなしにも、患者の気持を考えて治療すべきだと書かれている。患者の気持になれる医師はなかないないものだ。癌患者には、優しさと励ましが最大の治療ではなかろうか。
私は、癌と通じて優しさと励ましあい方を学びとっている。人を思いやる気持が生きる力にもなってゆく。
操車場12号に、詩人の声③で(野間明子)について書いてみた。女性詩人で声について書いてみたい詩人はなかなかいないものだ。
詩誌受贈『BLACKPAN・93号』

天童 大人 プロデュース
詩人の肉聲とコトバとを聴く! Poetry Voice Circuit 
―「目の言葉」から「耳のコトバ」へー 
4 月
第197回4月10日(木) ギャルリー東京ユマニテ   浜江 順子
第198回4月11日(金) ギャルリー東京ユマニテ   有働 薫
第199回4月15日(火) Star Poets Gallery      河野聡子
第200回4月16日(水) ギャルリー東京ユマニテ    薦田愛
第201回 以降、La Voix des poètes (詩人の聲) と名称を変更。

La Voix des poètes (詩人の聲) ―「目の言葉」から「耳のコトバ」へー

第201回4月17日(木)ギャルリー東京ユマニテ    福田純子
第202回4月18日(金)ギャルリー東京ユマニテ    白鳥信也
第203回4月22日(火)ギャルリー東京ユマニテ    小池昌代
第204回4月23日(水)ギャルリー東京ユマニテ    田中庸介

第205回4月24日(木)ギャルリー
東京ユマニテ
田川紀久雄 &坂井のぶこ
(田川紀久雄末期癌宣告一周年記念ライブ)


第206回4月25日(金)ギャルリー東京ユマニテ    中村恵美
第207回4月28日(月)ギャルリー東京ユマニテ    池澤夏樹

2008年3月22日 (土)

日記

午前中病院から帰宅する。
癌は、癌で死ぬもではない。死はあくまで寿命なのである。
癌は生活主観病であるならば、必ず治る病である。治ることを信じて生きるか、諦めてしまうかで、その人の寿命が決まる。癌はそういう意味では、幸せな病だと言うこともできる。そんな莫迦なという人がいることも確かである。癌によって今までの生き方を見直すチャンスが来たと思うば、それなりの価値のあるものだ。だから癌に罹ったら、まず有難うということだ。そのような気持が持てれば、癌は自然に身体から消えていくものである。
私は、末期癌である。病院に一週間に一度抗癌剤の治療に通っている。私は西洋井垣や東洋医学を否定はしない。自分に良いと思うものは受け入れていく。との途中で身体がおかしくなったら、その治療を中止すればよいのだ。
私はいつも、人が癌では死なないといっている。人の死は寿命なのである。癌にかかって最初のライブで、人は癌では死なない、人の死は寿命だと叫んでしまった。その時は、意識的に言ったのではない。それが、十ヵ月も生きていると、その実感が強く感じられるようになってきた。しかし、生きようと思えば、それなりの努力を続けなければならない。生きようとする努力を。このことが大切なのである。確かに心の底では不安は残っている。それはいたし方がないことだ。生きようと思えば、人はそれなりに生きられるものである。それは、癌は、自分の力で治すという気力をもつことである。そのためには西洋医学も東洋医学も利用できるものは利用すればよい。その時行わないようにすることは、医師の思うよに動かないことだ。西洋医学は、無理やりの治療しようとする。あくまでその場の結果のみに拘る。だから手術や放射能治療、抗癌剤の治療には気をつけるべきである。おかしいとおもったらすぐに中止することである。その勇気さえ持てれば心配はない。私は、利用できるものならなんでも利用したほうが良いと思っている。ただし、私は超貧乏人だから、お金のかからないことしかしていない。詩語りを行う人間だら声の発生練習をするぐらいだ。後は音楽を聴いて過ごしている程度である。いつの日にか、人を感動させられる語りをやってみたいと思っている。その夢に向かって生きているだけだ。だから、今は癌になって有難うといういう気持で生きている。その心を人に伝えてゆきたい。癌よありがとうさん。この心が癌を治療してくれるのである。

2008年3月19日 (水)

日記

チベットには豊富な資源が眠っている。それが欲しいために中国はチベットを弾圧しているだけである。多くの中国の多くの民族は漢民族に経済を握られ、生活の苦しみを舐めている。
日本でも夕張の市民は、辛い眼にあっている。国は何も手助けをしない。老人ばかりの町になっていく。国家とは、いったい市民にとって何なのか。夕張に国をあげて支援しても、国民はそれを非難することはない。何もしない福田政権、何もできない福田内閣。指導力のまったくない政権など、国民にとっては困り果てたものだ。認知症の人たちも、国からの支援がないままに放置されている。民主党も国民の視線でといいながら、権力闘争に明け暮れているだけだ。日本は、もう崩壊寸前の社会なので。個人個人が小さな闘いを諦めずに続けていくしかない。
癌も自己との闘いを諦めたら、癌細胞が増大するだけだ。癌は治る病である。そう思うことによって日々生きていけるものである。医師は治療するだけでなく、心のケアが大切」なのだ。心のケアのできない医師は、医師として失格ではなかろうか。ほんのちょっとの励ましても患者には、生きる力になるものだ。
遠藤周作も、医師に不満を漏らしていたという。癌は、ある意味で心の病気だとも言えると思う。心を癒していけば、癌は必ず消えていくものである。そう思って生きている。
詩誌受贈『すてむ・40号』『鮫・113号』『あ・ほうかい・8号』

2008年3月 5日 (水)

日記

操車場10号が今日出来上がる。10号まで来たことに自分なりの驚きを覚える。手作りなので、購入なされたい方は、年間購読をお願いいたします。
〒210-0852 川崎市鋼管通2-3-8 2F 漉林書房まで 
年間購読料 5000円
田川紀久雄が倒れた場合、その時点で終刊となる。

詩人の声は、才能など必要がない。必要なのは毎日努力を怠らないということだ。かえって不器用な人の程、才能が開花するものだ。上手く読むなどと思わないことだ。下手だからこそ、あれこれと考えて努力もする。そのに芸の面白さも生まれてくる。味を身に付けることがなにより大切なことである。人明かりになれることも、その日々の努力があってはじめて可能なのだ。仏陀だって、40歳まで厳しい修行をしてきた。その後は、人明かりになって旅を続けて仏教を広めていっただけのこと。先日の得丸公明氏の朗読だって、それなりの練習に励んだお陰で、聴くほうにもそれなりに聴けた。一時間三十分も声の力が落ちないで読めたことはたいしたものであった。今の詩人達は、声を出すことの意味がほとんど解っていない。私は20年以上も声の努力を続けているが、まだまだ未熟である。癌で途中で倒れても、行けるところまで詩語りに賭けて燃え尽きて死んでゆきたい。その決意が詩明かりを生む秘訣なのだ。今月26日にライブがあります。一人でも多くの方のご来場を望んでいます。

2008年2月22日 (金)

日記

今日一日入院日である。腕の紫色は五日目で消えた。また注射が上手くいかないと腕が紫になる。
今の中国はどうしたのだろう。自分勝手な行動は(サッカーや餃子問題)目にあまるものがある。かつての精神性の強い中国人は何処に行ってしまったのだろう。この心の問題は中国人だけのことではない。今の日本人も未来が見えないで心がさまよい続けている。経済優先の世界は、もう終わりにきていることに気がつかないのか。このまま行けば地球は滅びる。三百年先まで持ちこたえてもその先は、いったい人類はどうなるのだろうか。
昨日、『未完の旅』三部作の前に書いていた詩を整理していたら、膨大な数がある。お金がないので手作りの詩集を作ることにした。題名は『神様の嫉妬』である。まず三十部くらい作りたい。売れれば治療費にまわせる。定価1500円。発行は三月下旬の予定になる。
癌のためなのだろうか。声がもう一つ出ない。いくら稽古をしても、思うようにならないでいる。自分の味を出せるまでには、あと数年かかるのかもしれない。ローマは一日にしてならずというから、あせらずに稽古をしていくしかない。そして魂を豊かにさせることがいま必要なのである。愛は大切であるが、もっと豊かな愛(神々の愛)を掴み取ることだ。詩集『生命の歓び』は、そうした心を掴まなければ一行もかけないだろう。ここ一ヶ月詩など書いていない。病院の治療もどこかで諦めて、長い旅をしたいものだ。例えば四国へ巡礼旅に行ってみたい。出来ればインドまで行きたい。最後まで詩人として生き抜きたい。そして雄大叙情詩を書き残したいものだ。今の詩界に求めるものなど一つもない。大切なことはただ一つの自分になることである。そのためには自然を自分の見方にした生き方が必要なのだ。一つになれば、詩の語りにも豊かさが生まれるだろう。いま自然の中で声を作りあげている。新垣勉さんがいうオンリーワンの世界をもとめて行けば、何にも惑わされることはない。三月に自然思想家(得丸公明氏)の声を聴くことができる。いまから楽しみだ。

2008年1月24日 (木)

日記

このブログはだいたい朝の5時半ごろから打ち始める。
昨日は雪が降った。そのためか何もしないで一日過ごした。新聞配達の人は大変だなと思って新聞をひろげた。前日の詩語りのビデオを見てなあれこれと考えてしまった。声の中に映像を浮かべるような声になっていなかった。そのために後半部分が長く感じてしまう。詩には物語り性が少ないために、この映像感覚を作り出すのが難しい。
私の部屋は電気ストーブが一つしかないので、とても寒い。寒いと本を読むのさえ億劫になる。北の国の人たちは毎日どのような生活をしているのだろうか。灯油も値が高いので生活も大変だろう。国は貧しき人々に対する対策が遅い。法律があるからすばやく行動が出来ないのだろが、法律を越えた対策が必要な時もある。新潟にアザラシが現れたが、すぐに保護できない。農林水産省の許可がおりなければ何も出来ない。三日目にやっと水族館の人たちが保護した。役所の対応がやはり遅い。
Nさんからの手紙に、ご主人が「田川さんの生命力なら、癌で死ぬわけない、俺、言ったろう。あの人は長生きするよ」と書かれてある。そうでありたいと願う。操車場の作品が少しづつ集まり始めた。Sさんの詩に、食道癌で末期であった人が一月になくなった、と書かれていた。私と同じ頃に末期癌と告知された。彼は私の近くの尻手に住んでいた。末期癌であることは、やはり日々生きていることに不安を感じて生きざるをえない。癌であることを忘れて生きることだといわれても、そういう意識にはなかなかなれないものだ。多くの人たちが癌で亡くなってゆく。だからこそ、私は末期癌に負けないで一日も長く生きることに努めてゆきたい。末期癌を公表して生きることは、癌で亡くなっていった人たちに対して祈りの気持ちからでもある。そして、同じく悩んでいる人たちにも共に闘いながら生きる勇気になれればと願うからでもある。詩語りを通じて頑張って生きている姿を表現することに私がいま生きていることに意味があると思う。これからも皆様の暖かい応援が生きる力になってくれる。人はお互いに助け合いながらしか生きていけないものだ。

2008年1月11日 (金)

日記

昨日NHKテレビで『村歌舞伎を救え』のドラマを観た。歌舞伎役者の声でその場の雰囲気が変わってしまう。型と声の力は凄いものだ。日本人の声で、聞きほれるのは古典芸能の声である。義太夫・能・長唄・歌舞伎みんな腹から声を出している。つまり地声なのだ。詩の朗読も日本語を美しく聞かせるのは、この古典芸能の声を勉強しなければならない。詩人たちは素のままの声がいいといっているが、古典芸能をしらない詩人達が言っているだけだ。声を鍛えないで朗読を行うなんておこがましい。詩の語りには、やはり型と声が大切なのである。ただ詩を読めば朗読だなんていうのでは駄目である。詩の朗読も私にとっては芸能であると思っている。
川崎にも今年の春には東扇島に人口海浜ができる。出来たら見に行ってみたいものだ。人の心を豊かにするには自然の回復が必要である。人の心が簡単に切れてしまうのは、消費文化に汚染されているからである。テレビでもほとんどくだらない番組が多い。その中で心が慰められる番組を見ることが生きていてほっとする時間でもある。でも私はほとんどテレビを観ることがない。時間に縛られてしまうのが嫌いである。詩の朗読をするのも、いつも心の豊かさを求めていないと碌な朗読しかできなくなる。人間として精進してゆくことが一番の基本である。

2008年1月 6日 (日)

日記

宮澤賢治の『青森挽歌』の中にでてくるヘッケル博士は、生態学の名付け親である。へッケルは、小説家のロレンスにも影響を与えた。ヘッケル博士は、死後の世界も霊魂は存在しないと説いていた。そのことに反発して宮沢賢治は、愛する妹のとし子の死後の世界を追って旅をする詩を書いた。青森挽歌は宮沢賢治の最高の詩である。私と坂井のぶこでこの「青森挽歌+銀河鉄道の夜」を何度も語ってきた。この前の柏崎ライブでも語った。
(見たい方はDVDがあります。定価2200円で発売しています。)
詩の朗読は、芝居ではない。詩の内面を語ることである。そこがほんとうに難しいところである。役者の詩の朗読では、詩の朗読というより説明的な朗読になりがちである。聴き手には解りやすいのかもしれないが、本当の意味での詩の朗読とは違う。詩の朗読は、もっと厳しい世界でもある。今は生きている人生をまっとうすることが私の仕事だ。精一杯生きることが死後との世界と関わってくるのだと思う。
今日操車場8号の製本を行う。

2008年1月 3日 (木)

日記

河をみても河原に石がなくなった。多摩川でも上流に行かなければ、小石を拾うことができない。何故かというと、ダムで堰き止められて小石が下流に流れなくなった為である。ダムは生態系を破壊する。明治初頭にオランダから河川の港湾を再生すうために招かれた人の中にヨハニス・デ・レイケがいた。粗朶沈床で河原を改修すう技術を行った。コンクリートを使わなくても河原が安全に改修される。大企業が儲かるためにやたらにダムを作りすぎてしまった。ほとんど日本の河川にダムのない河がない。自然の恵みは計り知れない恩恵を与える。CO2の排出権取引が株と同じように取引が行われる。何か嘆かわしく感じられる。自然は金では買えないものなのに。
粗朶沈床で行った対岸には魚が住みつき、釣り人でにぎわうという。九頭竜河口は現在もその役割は果たされている。奥多摩の河でダムの為に水が濁っている。白丸ダムを見に行った時も河の水はねずみ色をしていた。山は杉林だらけ。多摩川の河原で石を拾うとしたら相当河を登らなくてはならない。正月の空は澄んで綺麗であった。星も美しく見られた。身近な自然を観察するのも大切なことである。自然を愛してゆけば、もっと人間の心も豊かになれる。

2007年11月23日 (金)

日記

DVDで小津安二郎監督の『お茶漬けの味』を観る。なんでもない世界を描いているが密度が濃い作品だ。懐かしい顔ぶれに堪能する。
昨日Eさんが大腸がんの初期で手術をしたとの連絡があった。肝臓にもあるそうだ。いろんなことを考えて、昨夜なかなか寝付かれなかった。癌はこれから二人に一人が罹る病気になっていく。昔より医療がよくなったといっても、決定的な治療方法がまだ見出せない病気なのだから、やはり癌の宣告を受けることは辛いものだ。私も精神的に抗癌剤治療ではまいっている。先が見えない治療はやはり生きていて不安である。

2007年11月 9日 (金)

日記

名古屋公演の案内状が届く。
日時 11月25日(日) 17時ー18時30分
場所 jonetsuYoga(じょうねつヨーガ) 名古屋市東区一社スタジオ
店員 40名
参加費 3500円
予約・お問い合わせ 052-784-8800 ボイスセラピー 時野慶子・須藤美智子まで

病気になったとき。悲しみの詩が多いが、私は歓びの詩を書いてゆきたい。いのちの尊さを見つめながら生きていたい。末期癌になってしまったのだから悲しみをうたうより、生きている喜びを詩でうたいたいものだ。そうしなければ生きてはいけない。楽しく末期がんと付き合っていきたいものだ。
名古屋公演では、村上昭夫・尼崎安四・中原中也・宮澤賢治・金子みすゞなどを語る予定である。

2007年9月13日 (木)

日記

昨日は、中野絵手紙の会主催のライブができた。会場は満員である。心の残るものである。入れ口に貼ってあった松尾ちゑ子さんが描いたものを頂く。それにライブ中に皆様が書いた絵手紙も頂く。これは操車場に紹介したいと思っている。詩人たちは詩集を買ってはくれないが、ライブを聞きにきてくれた人たちは買っていかれた。有難い。それに初めて私の病気のことを通じて、どう生きればよいのかを語れた。これから、もっと病気のことを話してゆきたい。次は柏崎の公演がある。絵も会場に届いたとの連絡も頂いた。気持ちがわくわくする。末期癌になって、本当に良かったと思う。この気持ちが私に生きる力を与えてくれる。これからバンバンライブをしてゆくるとよいのだが・・・。

2007年9月 4日 (火)

日記

昨夜は、胃が腫れて苦しくね眠れなかった。千葉まで行った疲れかもしれない。やはり無理な行動はできない。頑張り続ける生き方も、疲れるものだ。自然体で生きたいと思うがなかなか出来ないでいる。末期癌はいつ身体が不調になるのか解らない。いま元気でも数分先は解らないのが現状である。操車場の校正ゲラが一人戻ってこない。印刷が中断したきりだ。来週はイベントが入っているので、早く製本を終わらせたい。

2007年3月 6日 (火)

受贈詩誌 蒼氓と晩鐘

蒼氓と晩鐘 第10号

■詩
クスリ  中尾彰秀/靴下  中尾彰秀/片道2万Kmの老人ホーム  古河真弓/従順『すぎる弱者の末路』『青壁の夢』『眼・め』『舌・した』『指・ゆび』『口唇・厨房』『冬の夜/蚊帳』夜の/指』『耳・みみ』『新開地、多聞通の樹木たち』『拝啓 湯船の詩人殿』  岡本清周
■写真・エッセイ・その他


発行所 神戸市兵庫区東出町2‐6‐7清風荘11号室

岡本清周は、神戸で朗読に打ち込んでいる詩人の一人である。