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2017年11月25日 (土)

田川紀久雄日記

東海第二が延長申請。愚かなことだ。安倍政権下では原発が止まらない。選挙でも原発は問題にもならなかった。
景気が上向きと言われるが、庶民にはまったくの実感がない。
詩集受贈『秋元炯詩集・今昔夢想』『日本現代詩選2017』

2017年4月 3日 (月)

田川紀久雄日記

腰の痛みでよく眠ることができない。起きて椅子に腰かけているほうが楽である。身体の痛みを感じる病は辛いものがある。
「操車場」の発送が終わる。詩を書き続けることは、自分自身を見つめることに役立つ。今の自分を知るためには詩を書くことだ。
世界には、病院もない場所がある。あってもお金がなくてかかれない人たちもいる。トランプ氏の保険制度の撤廃は貧しい人たちにとって大変な問題だ。要はトランプ氏は金持ちの思想なんだ。資本主義の末路をアメリカは選択しているのだろう。日本はこれからどうなっていくのかが視えてこない。利己主義に陥らないように願うだけだ。
詩誌受贈『欅・4号』『グッフォー・67号』

2017年3月12日 (日)

田川紀久雄日記

昨日の詩語りの会はみんな良かった。言葉と聲がうまく調和をしていた。あとは個性を身に着けることだ。『新生』を三十分ほど語った。この次は『南無』を録音する予定だ。
福島の被災者にとって福島原発の存在が大きな重荷になっている。本当に廃炉が出来るのだろうか。政府と電力会社の責任は大きい。なぜ日本は廃炉の方向性が示されないのだろうか。食の安全性だけは確保してもらいたい。

2017年2月14日 (火)

田川紀久雄日記

詩を書くことで、今の自分自身が視えて来る。詩は、ある意味での自己診断書であるといえる。出来るのなら毎日詩を書いていたいのだが、なかなか毎日は書けないものだ。二〇代のころはそれでも毎日のように書いていた。一日に何篇もかけたような時もあった。あのころの原稿は何も残っていないが、多分たわいのないものを真剣になって書いていたのだろう。自分の苦しみから逃れる唯一の楽しみであった。もう楽しみのためには詩を書くことが出来なくなっている。それでも月に一五編ほどは書いている。
図書受贈『かち・11号』

2016年12月17日 (土)

田川紀久雄日記

今朝は本当に寒い。なかなか床から起き上がれない。
バッハのチェロ無伴奏曲をときどき聴くが、カザロスのあのチェロの音色でないと聴いた気がしないのは何故なのだろうか。詩語りでもやはり聲の音色が大切なのだろう。言葉の意味よりも、聲の響きに聴きほれることが求められているからだろう。
昨日『涕の中で』という詩を一篇書いた。最近は一気に詩を書くことが出来なくなった。ある時は一週間もかけて書くことが多くなってきた。それは多分詩の深さを求めているからかもしれない。詩は書き続けることで、詩の深さを求めていけるものである。書くことは確かにしんどいが書き終わったときは、ある意味の悦びを味わえる。
詩誌受贈『野の草など・39号』

2016年7月17日 (日)

田川紀久雄日記

あの世の美しい風景を夢に見た。ときどき変な夢を見る。
CDを出したことは失敗であっても、私にとっては意味のあるものであった。かつて失語症であった私が、詩を語ることが出来た、それもCDに残すなんて考えられないことである。それは詩を三十年にわたって語り続けてきたからだ。詩を語ることで失語症から抜け出すことが出来た。生まれてきて決定的な欠陥を背負わされた人間がその欠点を克服して生きる。そしてこの詩語りが、人のために役立つことを夢見ることができる。そして日々天空に向けて鎮魂歌を語り続けている。そのことだけでも素晴らしいことだ。
昨日詩を書きながら、そのことに気付いた。数日悶々としていたが、詩を書くことでこの不安がいくらかは解消された。生きるということは自己の苦しみと闘うことかもしれない。
詩を書くことを必要とする人は、詩を求めているのではなく詩という形を借りて魂の遍歴を描いているのかもしれない。だから周囲の詩には振り回されない。ひたすら自己の詩を描いていければよい。本当の苦しみを味わなければ、魂の詩などは書けない。人の評価など何も気にしないでいられる。魂の詩というものは永遠に不変なものであるからだ。

2008年10月10日 (金)

日記

今日は一日入院である。腕に注射針が射さらないのでちょっと精神的に嫌な思いをする。
癌を治療するには宇宙の心と一体になる方法を自分なりに見出すことである。それは各自の生き方がそれぞれの方法で見出すしかない。つまり手術を拒んだひとは、それなりの覚悟があるはずだ。手術した人より癌に対しては前向きに生きているはず。その前向きな姿勢が宇宙の心と結びついていくものである。人の心は脳によって支えられている。そということは肉体と心が一つになって、豊かな心を作り上げていくことだと思う。
 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色は宇宙の存在を示したものである。それは人の肉体と心の姿をも示したことにもなる。見えるもと、見えないものが一つになっている。福岡伸一著『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)が面白く読める。
癌は医者が治すものではなく、当事者が治す病でもある。癌で死ぬもの、癌で生き伸びるのも、その人の生命力である。私にとって宇宙と一体になれる方法は詩語りを通じてそれが叶えられる。深い呼吸方法が、それを可能にしてくれる。聲は宇宙の膜によって反射されて、地球に聲が戻ってくる。その聲を聴こえる人と、聴こえない人がいる。聲そのものは人の心や肉体を癒す働きがある。それを見出すことが、詩人の聲なのだ。そのことを理解できる詩人は世界でも数人しかいないであろう。聲を極めていくことが人明かりにも通じる。

2008年10月 4日 (土)

日記

午前中に病院から退院をしる。CT検査は以前とは少しも変わっていないという。CTでは穏当のところどうなっているのか解らないという。できるのなら手術をと医師は勧める。でもわたしが断固拒否をつうdける。合併症などでもっと悪い状態になら大変だ。自分の生命力まだ治る可能性もある。ここまで詩語りができてきたのだから。そして以前より聲の張りも出てきている。いつまで抗癌剤の治療をつうdけるのも医師として判断が難しいとのことである。それならもう一年このまま様子をみることにしたいと私の方から言い出す。
昨日の神奈川新聞の記事に『がん治療の生存率公表』が載っていた。全国がん(成人病)センター協議会での内容は、肺がんで51・5―9%、胃癌で81・6―55・8%とある。生存率は患者の重症度に大きく左右される以上、現在のデーター精度には限界がある。でも胃癌の死亡率は相変わらず高い数字だ。
病院で二篇の詩が書けた。そのおかげで昨夜はほとんど眠れなかった。その理由は。点滴の時注射針を腕の付け根に射されたので身動きが出来なかった。動くと点滴が止まってしまうのだ。そのため眠るしかなかった。左手にはもう血管が見えなくなっている。看護婦さんも注射を射すのが大変である。このようなことをもう一年も続けなければならないと思うととぞっとしてくる。数日まえに患者さんが亡くなったようだ。昨日私の部屋にも癌患者さんが入院していた。彼は放射能の治療をしているらしい。それに抗癌剤の治療も同時に行っている。彼の様子をみていると私より早く亡くなっていくように思える。無償に哀しいものだ。
操車場の原稿が全部そろう。明日にでも印刷に取り掛かれそうだ。

2008年9月23日 (火)

日記

今日は秋のお彼岸である。墓まいりをしたいと思っても、お墓が遠くにあるので、この身体ではいけない。せめておはぎでも買って仏壇に供えよう。母も父も妹も私もみんな癌になってしまった。
田中眞由美さんから、葉書で新座の語りの連絡が届いた。九月二十五日十一時半から行なう。新座で詩語りを行なうのは久振りである。宮澤賢治・中原中也などを語ってもらいたいとのことだ。そして、明日は自作詩の新作ばかりを東京ユマニテで行なう。
五浦に行ってみたい。坂上田村麿が創建した神社(花園神社)がある。坂井のぶこさんがぜひ行ってみたいというので、身体の調子をみて行く予定をしている。私は温泉と、美味しい魚を食べたいだけだ。お金のゆとりがあれば、旅をしたいものだが、生活がぎりぎりなので何処にもいけないでいる。語りでお金を稼ぎたいものだ。
自民党の総裁もきまった。消費税は、あげてもいたし方がないと思う。でも食料品には消費税をかけないでもらいたい。政治家は選挙の近くになるといいことばかり言うが、実際に政権をとると、国民の期待をすぐ裏切ってしまう。
アフリカなどは、医療施設がほとんど整っていない国が多い。国際的な貢献も求められている。国民は、自分のことばかりを考えてはならない。みんなの幸福があって、本当の幸福がつかめる。浜川崎の猫に缶詰めの餌を与えにいったら、身体で歓びを表現してくれた。それを観てこころから私自身も歓びを感じる。人の役にたつ語りを早く始めたいものだ。いのちそのものだけを語りつづけたい。

2008年9月 7日 (日)

日記

福田首相は、国民の為に何もしないで、自民党政権を維持するために止めただけのことだ。これほど国民を馬鹿にした政治家はいないだろう。自民党をここまで追い込んだの最大の原因は、小泉首相の強引な改革であった。それなのに、国民は今だなお小泉前首相の人気が高いのは不思議だ。国民も目を開いて政治に感心を持ってもらいたいものだ。
戦争の正当化で「人道的武力介入」もいつもきな臭い。どこか嘘がある。インド洋の石油給油問題も、おかしな話だ。もうアメリカの言いなりの政策とおさらばすべきだ。
政治を変えるには国民の下からの力が大切なのである。しかし、戦後から今だ
本当の国民の聲が立ち上がってきていない。
今日の朝日新聞九月五日の「声」の蘭に次のような記事が載っている。ポスピス医療を目指している山崎章郎さんからの投書である。
誤解に基づくモルヒネ発言「民主党の山崎賢次国対委員長が8月31日、政府・与党の総合経済対策について「選挙目当てのばらまきだ。がん患者にモルヒネを打つような話で一時的にはいい気持ちになるが、長期的に見ると体をむしばむ」と批判した一部のメディアで報じられた。とある。末期癌者の痛みはモルヒネが必要である。モルヒネは身体の悪影響を与えることなく、患者の痛みを抑えられるものである。山崎賢次の全くの癌に対しする無知には驚く。WHO方式は、癌性疼痛には世界的標準的な治療方法である。
民主党にこのような人がいるから、いまいち民主党が信じられないのだ。山崎さんは緩和ケアとポスピスは違うことも言っている。最後のいのちの問題を見つめるのがポスピスの仕事であると。

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