田川紀久雄日記
辺野古の埋め立て反対が75パーセント。沖縄の聲を一度も聴いたことがない政府。これが日本の総理。日銀もいい加減に株買いを止めるべきだ。安倍政権にべったりな日銀の黒田総裁。日本はまさに沈没状態である。
昨日は語りの聲が出なかった。聲が出ても出なくても毎日精進が大切なことである。
手作り詩集『訪問者』が、まったく反応がない。これはある意味でつらい。
辺野古の埋め立て反対が75パーセント。沖縄の聲を一度も聴いたことがない政府。これが日本の総理。日銀もいい加減に株買いを止めるべきだ。安倍政権にべったりな日銀の黒田総裁。日本はまさに沈没状態である。
昨日は語りの聲が出なかった。聲が出ても出なくても毎日精進が大切なことである。
手作り詩集『訪問者』が、まったく反応がない。これはある意味でつらい。
昨夜の夢は、奈落の底に落ちていく、そこから這い上がろうとしても抜け出せない。重苦しい夢であった。
「操車所」の原稿が高橋馨さん、上野芳久さん、野間明子さんが入った。十一日のライブに野間明子さんの参加も決まる。
詩誌受贈『京浜詩派・217号』
夢の中で「こう語るのだよ」とのお告げがあった。それは「祈りの魂だよ、そして序破急を忘れずに」と。お告げというと人は怪しく感じるであろうが、夢という世界は人間の深層心理を描き出している世界でもある。夢によっていろいろと助けられたこともあった。
アンケートを見ると、自民党の支持率がいくらか伸びている。そして民主党がいくらか減少している。参議院選挙で三分の二の議席を取ることを自民党は打ち出している。このままいくと安保法案が成立してしまう恐れがある。どうしたら良いのか解らない人たちがあまりにも多すぎる。いまの若者たちは戦前の歴史を解らない人が多い。戦争があったことも知らない。本当に嫌な世の中にならないことに努力をしていくしかない。
詩というものは、心にゆとりがないと書けないものだ。やはり日記とは異なる。テーマを掘り下げなければならないからだ。ただ書いているだけだと日記とそれほど変わらない。いまは本もほとんど読まず、パソコンの前に座って詩を書くことと闘っている。同じところを何度もグルグル回ることがあるが、そのことが大切なのである。衛星と同じように回り続けることによって、別な起動へにも移行してゆける。
詩誌受贈『あすら・42号』
詩語りの最終目標は一語一語に心をこめて語ることである。もう聲を撃つことはそれほど必要はない。
いま毎日『患者のための詩語りテキスト』を語り込んでいる。これは私が末期ガンを宣告されてから数ヶ月以内で書いた詩だ。どうして私が末期ガンを克服してきたかを描いた心の世界である。『見果てぬ夢・三部作』をガン患者に語ってみたい。きっと何かの役に立つのではないかと思う。末期ガンと宣告されてもいまなお生きている人たちがいる。その中の一人として語ってゆくことも必要なのである。この仕事はボランティア活動をとしてゆきたい。お呼びいただければどこにでも行きたい。そのためにも今は早く少しでも歩けるように努力をしている。詩語りは社会貢献が出来なければ何の意味もない。詩人たちに向かってもう語ることもないだろう。生きているいのちの素晴らしさをかたりたい。そしてレクイエムも語り続けていたい。ぜひひとりでも多くの人にCDを聴いていただきたいと思っている。定価は千五百円です。メールでも受け付けています。
詩誌受贈『榛名団・16号』
詩集受贈『佐相憲一詩集・森の波音』『近藤麻耶詩集・可視光線透過率』
いのちを追及している以上、詩というものは古くはならない。時代を超える永遠のテーマを詩の中心に置くことが大切なのである。現代詩でもつまらない詩が多すぎる。それは言葉遊びが多すぎるからだ。言葉は単なる記号でしかない。そこに言霊が存在してこないと言葉は詩に変化しない。言葉も生き物である。ものであることから抜け出すことが詩を書く上で求められる。自分の書いた詩を一度聲にだしてみることをすすめたい。
詩誌受贈『亜土・99号』『日本海詩人・44号』
昨夜横浜市立病院から妹のことで電話があった。今日はどうしても妹の所まで行かねばならない。足のふらつきもたいぶよくなったので一人で行けそうだ。
昨夜NHKテレビで原発事故避難者3年の放映があった。孤独と絶望の日々が続いている。原発再稼働は絶対許してはならない。
詩人である私は、この悲しみと絶望を希望に変えてゆく道を模索しながら詩を書き進めている。そして何とかして語れる場所を見出したい。
今は妹のことで身動きができないが、詩語りの精進を続けていればできる日が来ると信じている。
いまの計画停電は無計画停電だ。国民を愚弄しているとしか思われない。災害地には仕事がなく働きたくても働けない。国は一刻も早い支援策を打ち出してもらいたい。日が経つにしたがって苦しさがましてくる。
愛の光
言葉がお腹の足しにはならないが
心にいのちを吹き込むことには
少しは役立つかもしれない
私が末期ガンを宣告されたとき
愛する者たちからの言葉が生きる勇気を与えてくれた
だから愛する者のために生き抜こうとした
医師から治療を見はなされても
四年も生き延びている
なぜ生き延びたかは
愛する者たちのために生きようとしたからだ
そしていま人明りを求めて詩語りを行っている
いま苦しいかもしれないけれど
きっと生きていて良かったと思う日が来るだろう
あなたたちの哀しみや苦しみは
私の哀しみでもあり苦しみでもある
共にこの辛さを抱えて生きて行こう
生きていられるから
また愛する人に出会える
そして多くの人の温もりを感じられる
世界中から励ましの便りが届けられている
みんながあなたたちのことを心配している
生きていることはこんなにも素晴らしいことなのだよ
あなたがもし死にたいと思った瞬間
この愛のメッセージに心を傾けてもらいたい
私が末期ガンから得たことは
人明りの生き方の中で
本当の幸せを感じられたことだ
生きることはつねに愛の光であることを
忘れないでください
『詩と思想』1・2号に作品が載せてもらえることが一色真理さんから連絡がはいった。作品が紹介されたり、新聞に原稿が載せられることは、ガンにたいする免疫力を高めるはたらきがある。生きる歓びを感じることはいのちの歓びでもある。読者はどれだけいるかわからないが、小船が大海原に出ていくようなものだ。作品を発表するということは、見知らぬ読者と会う機会をつくることである。
ガンと闘って生きることは、多くの人の助けが必要である。だからといって人に甘えてはならない。その前に自分自身との闘い続ける日々がなくてはならない。その闘いの中から人に伝えたいものを生み出すことだ。それが作品として生まれてこなければ、誰にも相手にされなくなる。日々の語りの精進もそうである。精進をして生きているからライブを行なう気持が生まれる。ガンと闘って生きていることの素晴らしさを語りの中で伝えたいのだ。間寛平さんが地球を走り続けるように、私は語りを通して走る続けていたい。ガンに負けないで生きていられることを多くのガン患者にも伝えていきたい。死にたくはない。その気持がいのちの尊さを物語っている。私も人のためになれることがある。その道を最後まで貫き通して生きることが私にのこされた仕事である。多くの詩語りを行ないたい。その情熱でいまは生きている。
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