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2007年8月22日 (水)

日記

午前中に退院をする。部屋に戻ると蒸し風呂状態だ。クーラーを入れて、語りの稽古に公園まで行く。一回でも多く稽古することによって、少しづつ前に進んでいける。亀のように休まず進んでいければ詩語りの世界も見えてくるだろう。操車場の原稿のエッセーも書き終わった。そろそろ原稿が集まってくるだろう。原稿が着くのが楽しみだ。どんな作風があつまるのか・・・。
抗癌剤のせいだろうか、何べんも便がでてしょうがない。あいかわらず、食事が美味しく感じられない。
次の日曜日は語語りができる。有難い。『見果てぬ夢』を語る。何度も人前で語ってゆきたい作品である。

2007年8月20日 (月)

日記

闘病記に関する本が少ない。あったとしても知名人が大手から出版した本ぐらいして手に入らない。詩人が書いた闘病記も見たことがない。末期の病人がどう生きたらよいのか、その手がかりになる本が欲しいものだ。私の場合末期癌といっても、週に一回一日入院をするだけだから、普段は自分のしたいことだけをやって生きている。詩の仕事はお金にならないので治療代が稼げないのが残念である。しかし詩語りの出前は、いくらかお金になる。いま詩語りの仕事を増やしていかないとこれからの治療代にこと欠くことになる。だから入院をしない限り、詩語りの稽古の時間を多くしてゆきたい。同情だけでは仕事が舞い込んではこない。自己との闘いが私の闘病記である。
昨日帝京と佐賀北との試合をテレビで観戦していた。凄い試合であった。彼らはまさに自己とのギリギリの闘いをおこなっていたのだ。自分に闘いきった人だけが生き残れる。これは癌の患者にも言えることだと思う。

2007年8月19日 (日)

日記

末期癌になったらどう残りの人生を生きるかが真剣に問われる。その生き方で死の恐怖から逃れるものである。なぜ私は詩を書き、詩語りに執着するのだろう。それは自分自身でありたいからだ。自己に徹した生き方をしたい。ただそれだけである。あいまいな自己でこの世を終わりたくはないからだ。死を見つめた人間の強さはそこにある。やりたいことだけを行う。それでよいのではなかろうか。それが生命の尊厳につながるものだと思う。嫌なことは絶対しない。つねに納得のした生き方を求めて日々を生きるしかない。

2007年7月25日 (水)

日記

一日入院無事に終わる。胃カメラの検査を午前中に行う。癌細胞がやや小さくなっている。抗癌剤が効いているようだ。来週CTの検査がある。8月8日にその後の方針を医師と決める予定。抗癌剤でやはり髪の毛が薄くなってきている。なるがままに任せるしかない。病院に入院するとなぜか食事が全部食べられる。点滴のせいなのかもしれない。9月のイベント向けて体力をつけてゆきたい。

2007年7月22日 (日)

日記

昨日から胃の調子が悪い。また激しい下痢に襲われる。明日のライブまでには下痢がなおればよいのだが。今年は梅雨が長すぎる。日差しもほとんどない7月である。お米は大丈夫なのだろうか。洪水、地震と次々に起こる。農家の人たちは大変だ。中越沖地震でも農家の器具が壊れて、もう農家もやっていけない人たちがいる。国は、このような農家に支援すべきだ。しかし日本政府は小さな農家には支援をしない。ますます田畑が荒れていくばかりだ。銚子に旅をしたときも田畑が荒れてゆくのが目立った。森も削られ自然がどんどん壊れていく。小さな農家を守ることが森を守ることにもなる。
川崎の臨海地帯に森を作る運動をしたいものだ。公園の樹も切られてしまっている。トンボもバッタも見られない。小さな生き物がどんどん姿を消してゆく。今年はまだ蝉に鳴き声を聞いていない。環境の大切さをいいながら、役人たちは、どんどん自然を破壊していく。私も収入がないのに生活保護が受けられない。役人は出来る限り生活保護を認めないようにしている。このような環境では、私の下痢もなかなかなおらないだろう。

2007年7月 7日 (土)

日記

末期癌で恐ろしいのは、浸潤がいつ他の場所に移って癌細胞が転移するかということだ。手術が出来ない末期癌はつねに死の恐怖にさらされている。末期癌になっては手遅れだという意識が医師にしても、患者にしてもある。だからといって末期癌が駄目だというのではない。生きる希望とその精神力を高めることによって、その人の寿命をのばすことも可能だ。
7月23日には体力の限界に向けて詩語りを行いたい。天童大人の企画を裏切らない語りを行うだけだ。その力を助けてくれるのが観客である。一人でも多くのご来場をお願いしたい。

2007年5月28日 (月)

日記

銭湯に行くたびに、体重は減るのを見ると悲しくなる。食事が思うように取れないためなのだろうか。それとも抗癌剤に副作用なのだろうか。
多くの人たちから見舞金を頂いた。心よりお礼を申しあげます。これでいくらかの医療費に当てられます。助かります。
5月27日(日)に新潟の鈴木良一さんが、川崎にこられ、丸善の喫茶室で2時間ばかりお話をした。竹内多三郎のこと、それから詩語りのこなど。新潟で詩語りを行ってくれるとのこと。それまで元気であればの話だ。
詩誌・操車場の準備号の原稿があつまりつつある。最初に倉田良成さんが送ってきてくれた。6月にはだしたい。  田川紀久雄

2007年4月11日 (水)

日記

明日、田川紀久雄のライブがあります。
場所はストライブハウスギャラリーです。
季節の変わり目で、体の調子も悪い。明日は良い語りを行ないたい。
朗読するのと、詩を読むのとの違いが解らぬ詩人が多い。
巡回朗読会で、いろな詩人の朗読を聞くことで、聞く耳が鍛えられるのに、それほど詩人たちは聞きにきてはくれない。朗読をすることだけが、朗読ではない。聞くことに参加することも朗読の行為に一つの行ないでもある。