田川紀久雄日記
おはようございます。
坂井のぶこです。
田川さんが心不全で入院したのでかわりにこれを書いています。
十月九日の午前三時に救急車で川崎市立病院の救命治療室に搬送され、そのまま入院しました。今は集中治療室にいて、絶対安静の日々を送っています。容態は比較的安定していて今日から固形食が取れるということでした。
『操車場』1123号は来月以降の発行となります。
よろしくお願いいたします。
おはようございます。
坂井のぶこです。
田川さんが心不全で入院したのでかわりにこれを書いています。
十月九日の午前三時に救急車で川崎市立病院の救命治療室に搬送され、そのまま入院しました。今は集中治療室にいて、絶対安静の日々を送っています。容態は比較的安定していて今日から固形食が取れるということでした。
『操車場』1123号は来月以降の発行となります。
よろしくお願いいたします。
今日は、川崎詩人会の朗読と横浜詩人会の朗読がある。どちらにも参加。横浜詩人会はゲスト出演である。これが最後であるという気持ちで一回一回に真剣に語ってゆきたい。そしてお客を大切にした語りをしたい。詩人は、お客のことを忘れて朗読をするから、聞き手が退屈するのだ。
朝日新聞の朝刊に、がんの患部狙い撃ちの記事が載っている。放射線治療の新機器「トモセラピー」。一台5億円。東京では江戸川病院にいしかない。国が支援して多くの病院に早く備えてもらいたいものだ。私の末期癌の治療にとっても、今の病院には放射線治療の機械が備わっていない。まだまだ癌対策では、不備が多い。いつまで続くのかわからない抗癌剤の治療は不安である。
詩の朗読で、詩人たちは自分達はプロではないのだから、そのままの声で朗読をすればよいという。そして自分の詩を朗読するのだから、一番理解しているのが自分だという。一番理解しているから良い朗読が出来るものではない。プロ云々するまえに、まず努力をすることだ。詩人の朗読から、努力した形跡を感じさせる詩人などほとんどいない。末期癌になって本当の朗読とは何かを深く考えるようになった。声を通して活字の内奥を抉りだしていく行為が朗読なのだ。うわっらの活字だけを追ってもなにもならない。そのな朗読を聴いていればただ退屈するだけだ。
歯の治療を行う。語りをやるにはどうしても治療しておかねばならない。治療が長期になる。
胃の調子が相変わらず悪い。中野絵手紙の会から電話。準備ができたとのこと。松尾ちゑ子さんにはいろいろお世話になる。こころより感謝。なかの芸能小劇場で公演ができることがなによりうれしい。私達が最初に宮澤賢治の世界を行ったところだ。それも劇場企画であった。人に感動を与えられる仕事をしたい。
柏崎の絵の個展のポスターが出来上がってくる。柴野さんにも感謝。みんな人明かりで私は生きている。詩や詩語りが世の中に役立つことを求めて生きていたい。
安部首相は「福祉の責任」をうたっているが、かれは参議院選挙の敗北の責任すらとれないでいる。弱いものは勝手に死ねといっているようだ。こんな首相に国を任せることなどできない。お坊ちゃん首相は弱い立場の人を理解する能力に欠けている。これは小泉純一郎と同じだ。
抗癌剤の副作用で胸が痛みだした。やはり薬は怖いものである。
今日一日入院。点滴のとき、注射針に入れ方が下手なので二三回刺される。抗癌剤の治療なのに点滴漏れがありそうな気がする。先週は腕はやや腫れてしまった。新米の看護婦が抗癌剤の点滴を行うのは怖い話だ。新米の看護婦さん早くプロになってください。
死を宣告されたとき、人は本当に行きたいと願うものだ。死刑囚と無期懲役と人間では、その日の生き方がまったく違うと聞く。人間として死刑囚は生きているが、無期懲役の人は、生きる目的を失ってただ生きているに過ぎないという。人間として本当の幸せは、ただ生きているだけでは味わえないものなのだろうか。
末期癌になって一日一日を大切にして生きている。そして世の中のすべてのものが愛おしく思えてならない。地球の温暖化によって海の温度もあがっている。漁民達の生活も脅かされている。もう物質的な豊かさだけをもとめる生活から、抜け出し自然と共に生きる生き方を取り入れていかないと、この地球に人間が住めなくなってしまう。高級マンションが売れる世の中はやはり異常な世界だ。
詩誌の参加は、原則的には自己負担である。身銭を切って参加するのが詩誌の基本姿勢である。中には身銭を切って無料参加の詩誌もあるが、発行者は、大変な思いで行っている。私の知り合いの詩人が、無料参加の詩誌を発行しているが、彼の内情は一千万ほど借金を背負っている。同人詩誌でも発行者が多くの金銭を負担している場合が多い。本当に読みたいと思える詩誌を作ることが発行者の責任である。操車場はそのような詩誌を目指してゆきたい。
末期癌を宣告されて入院したとき、世の中がこんなに美しいものかと初めて実感した。すべてが美しく感じる。不思議な感覚である。「生命への旅」の詩集第1章は生命の旅だち・第二章が生命の尊厳となる。第三章はまだ未定。詩を書き、詩語りを行い続けることが今の私の仕事なのだ。多くの人たちの「人明かりの」輪を作ってゆきたい。その発信場は、詩誌・操車場である。会員を募集中です。
一日入院が終わった。11時頃に帰宅する。新田次郎の「アラスカ物語」を読みきる。治療費37000円。つぎの支払いが心配だ。
私の癌は胃の細胞の中に深く食い込んでいるので手術もそう簡単には出来ないとこことだ。いつまでこの抗癌剤治療を続けていくのだろう。身体が薬づけになってしまうのではなかろうか。しかし、今のところこれしか治療方法がなくればいたし方がない。
九月に向けて詩語りの稽古をしなければならないのに、こう暑くては野外ではできない。はやkす涼しくならないだろうか。
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