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2009年11月 9日 (月)

田川紀久雄日記

鳩山首相の判断力にちょっと疑問を感じる。民主党は小澤さんとの二重構造がどうしても腑に落ちない。でもいま改革を推し進めているものは応援していかねばならない。なにしろ自民党の政策はデタラメでありすぎたから。
亀岡新一さんの詩を語っているのだが、やはり難しい。でも語る意味のある詩だ。亀岡さんの詩は眼で読むより、耳で聴いたほうが面白い。畑と絵画に亀岡さんのすべてがある。人の詩を語るには無責任ではいられない。どこまで亀岡さんの精神を語りきれるかが問題だ。風狂の世界をどこまで表現できるのだろうか。彼の姿が眼に見えるように語らなければならない。
『未来への旅』の校正を終える。あとは印刷所に入れるだけだ。何としてでも百冊は売り上げなければならない。癌日記も出版したいが、これにはお金がないから無理である。手作りで小部数を作るしかないだろう。それからいのちについてのエッセイも書いてゆきたい。やりたいことがまだまだ一杯ある。それから人生を楽しむことも大切なことだ。貪欲にいろんな世界と関わってゆきたいものだ。そのためにも足腰を治してゆきたい。
本当の幸せはやはり人への愛を求めていくことだと思う。夢のない幸せは不幸になる。人の幸せを歓ぶ心が大切なのだ。そして慈悲の心が生きる勇気に繋がっていく。

2009年11月 8日 (日)

田川紀久雄日記

安藤美姫や松井秀喜は自分の身体の怪我をバネにして夢を叶えた。夢を持って生き抜くことはいかに大切かということだ。私も末期癌という病をバネにして詩語りに懸けていきている。そのことによってほとんど癌に怯えることもなく今まで生きてこられた。
バネをして生き抜くことは、誰もが出来るものではない。夢を本当に信じて生きていられるかどうかである。本当の幸せは自分が病に対して闘っていけることの内面的勇気を感じているときではなかろうか。それは平潟の海で日の出を見たときの太陽のエネルギーのようなものである。安藤美姫や松井秀喜から多くの人たちは生きる勇気を与えられたことだと思う。このエネルギーは人明かりでもある。
でも多くのチャンスが与えられることは、眼にみえない多くの人たちのおかげでもある。私の場合だって詩語りを企画してくださる方がいなければ、夢は何一つ叶えられない。スポーツ選手には多くのファンがいる。しかし詩の世界ではまずファンなんてなかなかいないものだ。でもそれを乗り越えて生きていかねばならない。ひたすら自分の夢に向かって生きている。そして聴きにきてくれた人たちのお陰でライブが行なえる。たとえライブの時お客が一人や二人であったとしても幸せを感じる。
一月八日に企画していただいた森下とし枝さんには感謝するばかりだ。まだ一度もお会いしたことがない。山本萠さんとのつながりである。
癌患者を応援する会を作りたいものだ。癌は本当に夢を持って生き抜いていける人は、癌が自然に退縮していくものなのだ。それには訳がある。自分の為に生きようとするのではなく、人明かりを目指している精神があるということだ。
今月の二九日に亀岡新一さんの出版記念会ある。亀岡さんの詩を語ることにいまは精進してゆきたい。

2009年11月 7日 (土)

田川紀久雄日記

幸せとはなんだろうか。個人個人によって違うものだろう。私にとってはやはろ詩語りの深さを求めて生きていくことだと思う。そしてそれが人明かりにつながっていければ嬉しい限りだ。しかし今の世の中をみているとあまりにも悲しい出来事が多すぎる。自然の風景の中に身を浸ることがやはり大切なことである。都会生活を送っていると、この自然というものがあまりにも遠い世界である。いつも何かに怯えて生きている。そして時間に追われ自分を振り返る時がない。
癌を宣告されても来年で三年になるが、何かに追われて生きてきたような気がする。いのちそのものをこれからは根本的なところから見つめなければならないと思う。一つ一つとのいのちの関わりがいのちを見つめていくことに繋がる。そこにはどうしても自然の自分の身体の中に受け入れていかなければならない。自然の厳しさ、そして恐ろしさを愛することが大切なのだろう。自然の美しさは、自然そのものの醜悪さの中にあるのかもしれない。自然は残酷なものだ。だからこそ美しさが際立って感じられるのだろう。この矛盾した世界が自然そのものである。つまり人間も自然の一部であれば、人間も矛盾の中でいのちと関わっていかなければならない。決して綺麗ごとだけではいきえてはいない。心の葛藤が大きければ大きいほど実りのある世界に近ずけるというものだ。人間にとってはその実りが苦さにしか感じないことのほうが多い。癌との闘いもまさに実りへの道でもあるが、生きているあいだは苦しさとにがさにしか感じないものだ。語りの世界も豊かになるにはこの道が必要なのだろう。
亀岡新一さんの画集が出来上がったと保坂氏より電話が入る。

2009年11月 6日 (金)

田川紀久雄日記

勿来の関はほんとうに素晴らしいところだ。桜の名所でもあるという。でも赤松が素晴らしい。茨城県を少し越した福島県にある。勿来の関をうたったうたの碑がたくさんある。そしれ海も見える場所にある。それから岡倉天心記念館も素晴らしい場所にある。
そして平潟港の近くの民宿にとまる。夜空は見事であった。人工衛星も見えた。まさに感動的であった。そして朝は、日の出前の朝焼けは美しいかぎりである。そして朝日の昇るのを見たときは考え無量であった。美しい自然はまさに心を癒してくれた。
夕方帰宅する。疲れたが生きていることの歓びを感じたことを思えば疲れたことなどはたいしたことではない。
明日は操車場の製本を仕上げて発送をしたい。

2009年11月 5日 (木)

田川紀久雄日記

レビストロローシ氏が100歳で死去した。一つの時代が終わったような気がする。「悲しき熱帯」は若いときに読んだ。
今日からプルサーマルが始動する。馬鹿げた行為だ。世界はプルサーマルから撤退をしているというのに、日本政府は何を考えているのか。CO2を減らすために必要なものなのかは疑問だ。コストが高い。それ以上に危険である。世界が滅びるかもしれない。国民がいくら反対してもこの政策を続ける政府には断固反対をしていくしかない。これこそ税金の無駄使いのなにものでもない。
トヨタがF1から完全に撤退したように、日本は原子力発電から全面撤退をすべきである。無駄なダムを作り続けてきたように、原発も同じように無意味な事業の一つである。日本は自然エネルギーの道を進むべきである。
今日は五浦に行く。出雲・伊豆・五浦(いずら)・有明(うみょう)の道をもとめての旅である。坂井のぶこさんの謎を解く旅にお伴をする。旅は癌の免疫力にも良い効果をあげてくれる。
操車場は七日に発送が出来そうだ。よくも三十号まで漕ぎ着けたものだ。癌は自然の力で治るものだ。人間の身体は本当に不思議な構造を持っている。癌に怯えない生き方ができれば、癌はそれほど恐ろしい病ではない。癌は多くの人生の意味を教えてくれる。そしてその意味にしたがって生きていくことができれば癌は退縮していくものだと信じるしかない。まさにそこに生きる歓びを得ることが出来るはずだ。

2009年11月 4日 (水)

田川紀久雄日記

日本のオペラも楽しく見せようとして工夫を凝らしている。歌舞伎でも常に時代と共に生きている。大切なことはお客に空きさせないことだ。それに対して詩の朗読はどうにもならない。詩は演劇ではない。詩はテキストと聲だけで勝負をしなければならない世界である。そのためにはやはり聲の力が物を言う。しかし、朗読の歴史は浅い。それに趣味程度の朗読の歴史しかない。そして詩人達は朗読を聴きたがらない。これでは詩の朗読が前進しないのはあたりまえだ。一月八日は「草の根の文化の会」の人たちが主催してくれる。詩人たちでない世界で詩を語らしてもらえることは本当にありがたい。本当に詩の朗読の素晴らしさが少しでも世の中に伝わっていけたら人明かりの世界が生まれてくる。
詩語りは、詩を通してしか世の中に伝わらない世界を求めていくだけだ。そこにはやはりひととしての生き方が問われてくる。そしてどのようにしていのちと関わって生きているのかを明確にしていかなければならない。聲はその証としてある。
東京の画廊で行なわれている『詩人の聲』に参加している詩人たちはどれだけ聲と向き合っている詩人がいるのだろうか。回数が多ければよいというものではない。あくまで真剣に聲とむきあっている詩人を発掘することだと思う。その上で回数が増えていけば詩人達の聲が変わってくるだろう。私はこの企画から外されているから何も言う必要もないのだがない。しかし私の知り合いの詩人がまだ関わっているから気になる。確かに一時間に亘って自作詩が朗読できる場所は世界でここでしか存在しない。そのありがたさを詩人一人ひとりが自覚していければ、きっとこの中から本物の詩人の聲の持ち主が生まれてくるかもしれない。詩集『未来への旅』の語りがここでできたことは深く感謝をしている。そしていま別な世界で詩語りが行なえることは本当にありがたい。企画されてくださる方に感謝をする。お客様のためにただ精進していくしかない。

2009年11月 3日 (火)

田川紀久雄日記

山本萠さんから原稿をいただいて一月八日のイベントのチラシを作成する。いほんとうの幸いを求めて」というタイトルだ。幸いとは、自分のために生きることではなく、人明かりを求めることが一番の幸いへの道ではなかろうか。主催は「草の根文化の会」である。場所は市川の八幡市民談話室のギャラリーである。
今朝は星が美しく見えた。昨夜は木枯しが吹き荒れていた。そのせいか空には雲も消えて星が空全体を覆っていた。星マニアの人たちが朝早く起きて見る気持がわかる。
国の勲章を貰いたがる気持が私には理解できない。ここには天皇を担ぎ出して行なわれる国家のあほらしさを感じるだけだ。詩人の中にも貰いたがる人がいるらしい。詩人は権力とはまったく無関係な世界でありたい。詩人にとって大切なことは一人でいることだ。そして孤独の中で物事を考えていく生き方ができればそれでよい。
いま日本の未来が不安に感じる。明確なビジョンが見えてこないからだ。国会の論争でも相手の手足を引っ張り合っているだけだ。今朝の朝日新聞では、政権交代ある政治を望むが66パーセントである。国民が政治家を作り上げていく時代になっていくことが必要である。信念をもった政治家が一人でも多く出ることを期待したいものだ。
でも本当の幸せは政治では解決しないことも事実なのである。詩人は詩を通じて人明かりを目指して生きることが大切なことである。

山本陽子第2巻在庫があります。
川崎市川崎区鋼管通3-7-8 2F 漉林書房

2009年11月 2日 (月)

田川紀久雄日記

芸を磨く人間にとって一日一日がいかに大切かということだ。一日そのものは同じ繰り返しのように見えても、一日そのものは前の一日の積み重ねた豊かなものになっている。停滞しているよう見えても一日そのものは尊い一日であったはずだ。このところ語りの稽古をしていてそのことを強く感じる。語りにカドがとれてきたようになった。カドがとれたということは聲に厚みが出てきたということなのかもしれない。
『未来への旅』の版下の作業を行なう。今年中には出来上がるようにしたい。嬉しい気持が湧き上がってくる。よくもここまでいのちがもったものだと思う。これからが本当の闘いが始まるのだ。この三部作を読み込んで語りきれるところまで精進をしていかなければならない。そして多くの場でライブが出来ることをひたすら願うしかない。
今月の操車場は少し送れそうだ。五日と六日に五浦に行く予定があるからだ。坂井のぶこさんが昨年から行きたいと思っていたからだ。「有明戦記」の続編を書くために行ってみたいという。思い切って行かないと本当に行けなくなってしまうからだ。そして多くの思い出を作ってゆきたい。鈍行でいくのも旅の楽しさかもしれない。

2009年11月 1日 (日)

田川紀久雄日記

来年の一月八日にライブがある。そこで山本萠さんと『いのちについての』対談が行なわれる。とても楽しみな時間になりそうだ。できれはこれからいろんな人との対談を行なってゆきたいものだ。その延長で詩語りを行なえれば聴き手にも楽しい時間になるだろう。
いのちについて語れる人と探してゆきたい。詩人達は、思っているよりいのちについて鈍感な人が多い。詩集を上梓したら、賞を目当てにしている。なさけない話だ。もう私の作品は詩ではないかもしれない。語りを通じていのちを語っているだけかもしれない。
いのちというものは決して抽象的なものではない。あくまで具体的なものなのだ。それをどう興味深く語っていけるようになってゆきたい。末期癌はとてもよい経験である。人はとても大変でしょうというが、私はそれなりに楽しい経験を積み重ねて生きている。不安との闘い以上のものを癌から得ている。それは生き抜くという心の履歴を作り上げている。それを可能にしているのは人明かりの人生を目指しているからだと思う。
癌の検診をうけていない人が40パーセントもいるという。早期発見にどれほどの効果があるのだろうか。それに疑問を投げかける医師もいる。私もいまあmで一度も癌の検診をしてこなかった。胃の激しい痛みを感じて病院にいったら、直ぐ入院だといわれた。それも末期癌でも対抗のレベルに達していると。それでも私は来年で三年にもなる。詩語りをおこないながら元気に生きていられる。医師も不思議がっている。まさにいのちの不思議さを経験している。私の癌との付き合い方や、生き方をこれから語っていくことも意味のあるものになると思っている。ライブの日程があることが生きる勇気を与えてくれているのだと思う。できれば多くの方が私達のライブを企画していただけることを切に願う。

2009年10月31日 (土)

田川紀久雄日記

国会を見ていると、抽象論でほとんど具体的な攻めがない。政治家達は勉強がたりない。本当に日本の未来を考えているとは思えない。いままでがいかに自民党の政策がデタラメであったことか。自民党がむかしの体制とすこすも変わっていない。まだ危機感が感じられない。議員の顔をみていると薄笑いをしている議員が多い。
私は末期癌でも自然に治るものだと思っている。それには治る人治らない人との違いは紙一枚の厚さしかない。紙一枚の厚さの生き方がいかに大変かということだ。つまり自分の生き方がその人の運命を決める。どのような気持でいきているのかを見れば、このひとは癌に負けないで生きられるか解る。これは言葉ではうまく言えないが、人の生き方をみれば解ることなのだ。紙一重でその人の運命が変わる。その闘いの記録が私の詩集『未来への旅』に描かれている。癌は出来ることなら手術をしないことが大切なのだ。そのひとの生き方では自然に退縮してゆくものである。
杉並区の朗読教室は参加者が多くて授業に受けられない人がいるという。昨日坂井さんのお母さんと話していてその話題になった。不思議な話を聞いている気になった。確かに友達と一緒になって行なうことは楽しみの一つに繋がる。そして身体的にも聲を出すことは良いことだ。それに対して詩人達の朗読は・・・と思ってしまう。

2009年10月30日 (金)

田川紀久雄日記

やっと『未来への旅』第三章を書き上げた。できれば今年中に印刷にまわしたい。自分でも完成できるとは思っていなかった。次の目標は、この詩集を多くの場所で語ってゆきたい。つねに前向きに生きてゆくことが免疫力を高める。
詩の読者は、人口にたいして何パーセントであるのか。多分ゼロに近いパーセントだろう。そして詩の朗読やそれを聴くひとの数はもっと少ない。詩の朗読を聴かせる技術を教えるひとがいない。朗読教室などでは、まず詩の朗読を教えることは不可能だろう。詩人達が教室に通ってまず「聲が小さい、もっと大きな聲で」といわれるそうだ。そしてテキストを暗記しなさいといわれると聞く。詩の朗読では、無理してまで暗記する必要がない。できることならちゃんとテキストを持って聲を出すことである。詩の朗読は演劇ではない。朗読の進歩させるにはやはり一回でも多く、人前にたって行なうことである。詩人達が朗読をする機会は年に一、二度であろう。それでは朗読をそのものの意味がない。自ら積極的に行なう姿勢がなくては駄目である。目標がもてれば稽古にも身が入ってゆく。
これからも癌に負けない生き方を詩を語ることで伝えてゆきたい。こうして末期癌を告知された人間が元気で生きて語りを続けていられる。そのことが癌に負けないで生きていられる証明にもなる。
坂井信夫さんの原稿が届く。
詩誌受贈『ERA・3号』

2009年10月29日 (木)

田川紀久雄日記

今朝は三時に起きた。あまり寝たきがしない。午前中に病院で検査がある。
景気がますます悪化している。食事代が大変なので賞味期限前の安いものを買って生活をするしかない。まともな生活をしていては半月で金がなくなってしまう。
私は人集めがなかんか出来ない。ましてこれだけ詩語りを行なっていると積極的に応援してくださる方がいなくなる。といって詩人は一般のお客様を見方につけることが苦手である。
私に出来ることはただただ精進を積んでいくことしかできない。生活が苦しい以上赤字を覚悟してのイベントはできない。これからのことをあれこれ考えるとなかなか眠れない。
人に感動を与えられる芸を目指して生きていくしかない。それができるか出来ないかは私の努力しだいである。そして本当に感動をあたえられる詩を書くことだ。そのためにもやはり精神的には孤独であることが必要である。あらゆる書物より孤独の生き方の中に学ぶものが多い。現実の生き方の中で自分が鍛えられている。困難な道を歩むことによってしか見えてこないものがある。そこに歓びを見出してゆくことも生きる知恵なのかもしれない。ものを書くことでそれを再確認しているのかもしれない。

2009年10月28日 (水)

田川紀久雄日記

二日聲を上げなかっただけで聲の調子が狂っている。ピアニストが一日練習を怠っただけで音が変わるという。芸を磨く人間にとっていかに一日が大切かということを物語っている。とくに不器用な人間にはなお更のことだ。昨日から『未来への旅』の最終章の稽古に入る。いまのところライブの予定がない。自分で企画してもお客は来てくれない。そのことを思うと無性に悲しくなる。
今の私はそれほど読書をしていない。昔の私だったら本を読まない日はなかった。本を読まないと一日が終わった気がしなかった。一日の日課は朝九時から十一時まで公園に行って聲をあげる。そして午後一時から時頃までまた公園で聲をあげる。帰宅して一時間ほど横たわる。それから音楽を聴いて過ごす。夕食が終わると直ぐに床に就く。朝は四時ごろ起きて星を見る。今朝は雲っていて星は見られなかった。
仔猫がまた鋼管通の交差点の草むらに戻ってきていた。とても可愛い。白黒のとても可愛い仔猫が一匹増えている。川崎の出て猫の餌を大量に買い込んでくる。猫がいま私の心を慰めてくれている。本を読むことより自然や仔猫を観察している。読書の力は確かに凄いものがあるが、それはあくまで他人の知識なのだ。そのとき感動してもすぐに忘れてしまう。それに対して自然の観察は間違いなく自分の感情を豊かにしてくれる。読書だけに頼る生き方には、人間として何かもの足りないものがあるような気がする。自然と向き合うことでより自分が自分らしくなってゆくことができる。聲をあげる公園は一応森林公園なので気もやすまる。鳥たちの鳴き声も楽しいものだ。いまはいろんな鳥が来て鳴いている。小さな公園でも私にとっては大切な場所である。

2009年10月27日 (火)

田川紀久雄日記

ビデオで『コーラス』という映画をみる。ボーイソプラノ聲がとても良かった。『太陽の帝国』の少年の聲を思い出させてくれた。音楽では心が惹かれる聲の持ち主が多いのに、詩の朗読の世界ではほとんど見当たらない。それはやはり聲の精進が足りないからだろう。朗読する詩人の姿勢に問題がある。プロになるという気持を持ってもらいたいものだ。
普通の詩人たちの朗読で十分間人に聴かせることが出来る詩人が何人いるというのだろう。いままで多くの詩人達の朗読を聴いてきて、朗読に人生を懸けようとしている詩人が何人いただろうか。人に聴いていただくということは、いかに困難なことなのか。詩の朗読には、聲がよければそれで良いというものでもない。そこにはやはり人間性と人生を深さが求められる。生半可な気持では詩を語ることはできない。
末期癌の中で、詩を語ることに大きな意味を見出している。聲を出すことによって癌が退縮するということだ。そしていのちの尊さと向き合うことによって聲の深さを見出してゆくことができる。二十四日のライブが終わってから二日間は何もできずに床に横たわっていた。台風二十号もきて雨が降っていたので練習もできなかった。身体を休めることが出来てよかった。詩語りで人に生きる勇気を与えることを目指してこれからも精進をしてゆきたい。

2009年10月26日 (月)

田川紀久雄日記

身体的に疲れているときに、サティの音楽を聴いていると心がなごむ。ビデオを見る。聲にもうすこし深みが欲しい。言葉の一つ一つにもっとイメージを膨らませてゆきたいものだ。
民主党が参議院の補欠選挙で二議席を勝ち取った。時の流れなのかもしれないが、このことはある意味では危険なことである。いまの日本人はなにかがおかしい。
このところ詩人の死が目立つ。顔を知っている方が三人もなくなった。やはり癌で亡くなっていることが多い。自分の仕事をやり終えないで亡くなることは辛いものだろう。野村監督が「私は最後まで野球と関わっていたい」という気持はよくわかる。では詩人が最後まで詩人として生きることはどのようなことなのか。詩人の殆どが日常生活の一割の時間も詩人として生きてはいないのだろう。詩を書くときだけが詩人ではない。全詩人であることはなかなか難しいことだ。むかしいちど会田綱雄さんに一度あったことがあるが、身体全体が詩人であることを感じた。いまは長谷川龍生さんが、詩人を身体から感じられる人だ。かつては詩人という存在を感じる詩人がもっと多かったように思う。そのような人の詩はやはり優れたものが多かった。いまの世の中で詩人として生きるのが至難の業である。スケールの大きな詩人が見当たらない。

2009年10月25日 (日)

田川紀久雄日記

昨日はとてもよいライブができた。三味線をいれなくても充分聴かせられるものができた。いままでの中で最高の宮澤賢治の世界を語ることができた。お客様も真剣になって聴いていただいた。山本萠さんのお客の力で思い出に残るライブを行なえた。それに対してわたしの知り合いのお客は誰一人も来てもらえなかった。でも会場がほぼ一杯になった。お客と山本萠さんたちとお酒を飲みながら夕食をとることができた。本当にわたしたちは幸せものである。
詩人でない人たちが私達の詩語りを応援してくれるのに、なぜ詩人達は応援してくれないのか。操車場や川崎詩人会からは誰も聞きにきてはくれない。ある人が言うように詩人達に問題があるのかもしれない。詩の朗読はつまらないと思い込んでいる。人のことは軽々しく非難するが、自分のことは棚に上げてものを言う習慣がある。かなしき人種なのかもしれない。論語の中に「自分のいったことは実行すべきだ」とある。
このたびの語りで電気代・水道代・ガス代が支払える。ほんとうに助かった。
これからも良い詩語りを行なうためにも、もっともっと精進を積み上げていかなくてはならない。お客さまへの恩返しは、語りが成長してゆくことだと思う。そして末期癌でもちゃんと生きていけることを証明することである。いのちを懸けた詩語りがちゃんと評価される世界を構築してゆくことである。詩語りを通じてしか私は世の中に貢献していくことしかできない。一人でも多くの人に聴いていただけることを願いながらこれからも生きていく。
昨日は本当に山本萠さんい感謝する。ありがとうございました。

2009年10月24日 (土)

田川紀久雄日記

今日山本萠書展会場で『宮澤賢治の世界』の詩語りが出来る。本当にありがたい。心を込めて語るしかない。いいつもこれが最後だという気持で舞台に臨んでいる。私と付き合っている詩人達はほとんど来てはくれない。なぜなら詩人たちは詩の朗読が嫌いだからだ。この前の川崎詩人会でも、朗読を聴くのは拷問だという詩人がいた。それはその朗読を聴いた詩人がつまらない朗読をしたからだ。だからといってすべての詩人がつまらないというわけでもない。私自身こちらから誘いかけることをしない。長いこと詩語りを行なっていると、質の良い語りを目指していくしかない。そして私を自然体で応援してくれる方が来てくれれば良いと思っている。私も他者の朗読会にはほとんど聴きにいかない。それは身体的に辛いこともある。
今の私は、自分の聲の道を求めているだけだ。聞き手がいてもいなくてもそれほど気にしない。自分の聲が本当の意味で人明かりになっていけば自然とお客も増えてくると思っている。そして詩人を相手に詩を語っているわけでもない。私の聲を聴くことで生きる力を合有できればそれでよい。そのような聲の道を歩んでいる。詩人達の朗読会で嫌うのは、聞き手がほとんど詩人達であるからだ。
私の詩語りの稽古はあくまで一つの道として存在していたい。朗読会があるから精進するのではない。あってもなくても一つの道を生きていくから毎日精進を続けているにか過ぎない。明日からまた自作詩の稽古と亀岡新一さんの詩を読み込んでいく。そして今年中に『未来への旅』を完成させることである。このような生き方が癌に負けない生命力が生まれてくるのだ。詩語りを行なうことはいのちを大切にしていく生き方でもある。そこから生まれる聲が私の人生そのものでありたい。

2009年10月23日 (金)

田川紀久雄日記

民主党の政権を得たのは、マニフェストで得たのではない。自民党があまりにもいい加減でありすぎたからだ。高速道路の無料化は国民の多くは反対している。そのほかにも国民には受け入れがたいものもある。95兆の予算はあまりにも大きすぎる。赤字国債を作らないことに期待したのに、逆に増えていきそうだ。国民の目線という言葉があまりにも言い過ぎる。詩人という生きものは、ひねくれものだから嫌なものは直ぐに嫌だといいたくなる。鳩山首相の指導力がすこしも見えてこない。
自民党も、このままだと立ち直れない。真の意味での二大政党になってもらわないと国民は困る。老兵は立ち去ることが必要である。国民にとって何が必要なのかを政索で示していくことがいまの自民党に求められている。民主党のあらを探しているようではなさけない。
元首相の小泉純一郎が声優をやったが酷い聲なのだ。なぜ国民にいまだ人気があるのか私には解らない。
癌の治療も進んでいるが、貧乏人には手の届かない世界だ。最新の治療を受けるには何百万もかかる。癌も手術をしないで済むような時代がくる。癌はある程度の治療をすれば、あとは自分の力で治せる。その方法を見出しながら生きている。それは他者に対する愛と自分自身の生き方を掴みとってゆくことの中に答えがあると思う。
川崎詩人会で300行の詩を書こうという試みを行なうことになった。その作新を書き始めている。昨日まで100行まで書いた。長編詩の面白さを味わいながら書き進んでゆきたい。

2009年10月22日 (木)

田川紀久雄日記

山口泉著『宮澤賢治伝説』という著書があるが、いくら宮澤賢治の社会性を批判しても何もうまれてはこない。イラク戦争で子供達の死を報道で知っても、現実には私達は何も出来ない。この虚しさな中から戦争を批判する個の闘いが生まれてくるしかない。出来ることは身近かな人を大切にしていかなければいけないと思う。まず身近なひとのいのちと係わりそれを応援していく以外には何もできない。それから私の場合、末期癌との闘いの中で、人明かりの道を歩いてゆきたいと思う。今できることは詩語りを通してしかできない。だからこの詩語りは自分との闘いでもある。自分が生きること、その中で私と同じ闘いをしているひとたちお互いに生きる勇気を分かち合うことである。
生きたいという気持は、そこには愛する人がいるからだ。まず愛する人の存在が生きる勇気を与えてくれる。その意識が強いほど免疫力が高くなっていく。そして二人称から三人称へとその愛が拡がってゆくものだ。まず自分の生を愛し、そして一番身近な人を愛し、それから同じ苦しんでいる人たちへ心を向けていくことによってより一層いのちの尊さと向き合うことが出来る。ここに多くの人の幸せが来なければ、私個人としての幸せもないのだと思うようになっていく。末期癌になって、今一番自分が生きていたいという願望がある。この生きたいという願望がいのちの尊さと向き合わせてくれている。精神的にも生きていること自体つらいものだ。それを乗り越えられるものは愛するひとがいるということが必要なのである。それは看護婦さんの優しい心づかいであってもよい。そして医師の優しい心配りが生きる勇気を与えてくれる。それから癌難民になったら、お互いに助け合う人が見出さればどんな辛くても生きていける。
病院でも死にたいという患者には、身寄りや愛する人がいない場合が多い。いのちと向き合いながら生きることは難しい。やはりどこかに宗教的なものが介入してこないと、いのちを簡単に諦めてしまうことになる。個の愛から抽象的な愛が求められる。いのちの質が深められることが生きる意味を問いかくてくれる。自然を見つめることも一つの救に繋がることもある。

2009年10月21日 (水)

田川紀久雄日記

午前中に胃カメラを行なう。
抗癌剤も手術もしない私は、時々CTや胃カメラで様子を見るだけだ。進行癌でないから普段の日常生活を続けていられる。
人間の身体は、科学的な治療をしなくても癌を退治する力が備わっている。それは生きようとする生命力がそうさせるのだろう。それは遺伝子細胞を生命力で切り替えればよいのだ。退縮させるようにできれば癌は治療できる。私は詩語りを通してこの試みを行なっている。ある意味では呼吸療法でもある。聲を出すことは血液にもよい。そしてただ聲をあげることも大切だが、詩の内容を心良く捉えようとするところに精神的な安定感が得られる。この調和する試みが癌を退縮させる効果があるのではないかと思っている。それは一万分の一の可能性かも知れないが、その一万の一に挑戦している。
いま足腰が痛むので散歩が出来ないのが不自由であるが、聲だけは毎日あげていられる。詩語りを行ないたいという夢が私に生命力を与えてくれている。
癌の治療を拒否して生きている人たちが増えている。そのような人たちの話を聴くとみんなユニークな人たちが多い。このような人たちの生き方をドキメントとすると面白いだろう。テレビで制作をすると癌患者に役立つと思う。タイトルをつければ『人間は裸で生きている』ということになる。私がつけている『末期癌ブログ日記』も役に立つにちがいない。癌であることを隠す人がいるが、別に隠す必要もない。風邪をひいた人と同じなのだと思えばよいのだ。癌は決して怖い病気ではない。そして人に恥じたり隠したりする病ではない。普通に生きていればよい病なのである。

2009年10月20日 (火)

田川紀久雄日記

癌患者にとって大切なことは生きようとする気持である。生きたいという強い気持ではなく生きようとする気持なのだ。生きようとする心の中には、日々の生活を大切にする気持が生まれてくる。そして何らかの目標を持って活きようとする。そこに免疫力が働いてくる。生きたいと強く思えば思うほどストレスがたまり免疫力も衰えてしまう。つまり自然体で生きることが必要なのである。
明日胃カメラの検査がある。この検査は何度行なっても嫌なものだ。
夜中の一時頃起きて夜空を見る。オリオン座流星群の流れ星をみた。本当に神秘の世界である。地球も宇宙の中の一つの星にか過ぎない。宇宙から見れば地球も美しく見えるが、その地球がいま環境破壊で大変なことになっている。異常気象で一年も雨が降らない地域がある。野生の動物達が殆ど亡くなっていく。と思えば島が海面の上昇で島が消えていく。25パーセントのCO2の削減目標では南極も十年足らずで夏の氷は溶けてしまう。経済がどうこうと言っている状況ではない。大国が真剣になってこの環境破壊と闘う姿勢が求められている。そのためにも日本が技術的にも環境問題を解決していかなければならない。日本の経済を豊にするにも、自然エネルギー問題の解決を求められている。
詩人たちの聲で求められているのは魂からうまれる聲である。詩人の朗読などつまらないものである。それは聲にいのちを感じられないからだ。詩語りで求められるのは、このいのちの聲なのである。そして詩にそのいのちを感じさせる世界があるかどうなのかということでもある。そのことをもっともっと考えていかねばならない。

2009年10月19日 (月)

田川紀久雄日記

石川遼が優勝しないと新聞の記事も小さく扱われる。いまの世の中は何かがおかしい。知名度とマニフェストだけが優先される。これは今のジャーナリストたちが学校教育で養った感覚なのだろう。自分の眼がないのだ。つねに周囲を気にしなければ生きられない世代の人間である。
漢方の生薬の販売が中止になったら、テレビでやたらに漢方入った薬品の販売が急増した。薬事法の改正に裏取引があるように感じられてならない。健康食や健康薬品なんえて殆どがインチキなのだ。これこれを食べると癌が治りますなどという広告は真っ赤な嘘なのである。私はいま自分が食べたいものを食べて生きている。食べることにストレスを感じさせるような生活にはしたくない。問題は適量に食べることである。癌患者にとって一番わるいのはストレスなのである。生きていく上にストレスになるような要素はなるべく排除した生き方をすべきだ。
昨日川崎市人の会で、詩人達の朗読はあまりにも耐え難いという話になった。確かに一理ある。本気になって朗読を行いたい詩人がいないということなのだろう。私の聲は割合聲が大きい。それは生きる力と生きる勇気をお客に伝えたいからである。末期癌でもこうして元気に生きていられることを示していきたいからだ。癌はその人の生き方によっては癌細胞が消滅することもありえる。いま私はその闘いの中で生きている。それを証明しているのが詩語りでの聲なのである。
受贈本 『宇田禮著・艾青という詩人』(新読書社)

2009年10月18日 (日)

田川紀久雄日記

癌は遺伝子の異常で発生する。しかしこの遺伝子の中に抑制遺伝子がある。遺伝子は三十億の文字で成り立っているが、その中で働いているのは三パーセントしかない。ほとんど抑揚遺伝子は働いていない。この抑揚遺伝子を自分の中で活性化させれば癌は消えていく。そういう意味では癌は決して怖い病ではない。抑揚遺伝子を生み出すには、生きる目標や、ストレスを避ける生き方をすることで生まれてくるものだといわれている。この抑揚遺伝子が生まれるメカニズムは解っていない。でも普段眠っている遺伝子の中に抑揚遺伝子があることは間違いないことである。何十万人に一人の割合いで癌が消えていくことがある。そのような人の生き方のデーターを集めれば何かヒントがあるに違いない。
私もこうして生きていられるのも、抑揚遺伝子が働いたからかもしれない。まず嫌なことは絶対しない。自分の生きる目標が明確にある。そしてその目標の中で人明かりの人生を目指して生きている。いつも心をリラックスにしておく。多くの好きな音楽を聴いてすごしている。無理をしないで生きる。できるだけ楽しい生き方をする。人生の中で今が一番楽しいと思って過ごしている。このことで抗癌剤の治療や手術を拒んでも生きていられる。
癌とともに共存していくには、我儘な生き方が大切である。この我儘な生き方といっても他者を思いやる心がなくてはならない。人に役立つ生き方を心のどこかに持っていることが必要なのである。そのことで生きていられることに輝きが生まれてくると思える。抑揚遺伝子を生み出すには決してそれほど難しい問題はないと思える。みんなでいまという時を生きようと願いが今を楽しく生かしてくれる。
私の場合詩語りで多くのひとに生きる勇気を与えたいと思う生き方がより抑揚遺伝子が強く生まれてくるのかもしれない。だからこの詩語りは私の人生そのものになっていければ癌に負けないで寿命がつきるまで生きられると思う。いまはそう思って今を生き抜いていられる。

2009年10月17日 (土)

田川紀久雄日記

税金の使い方で医療に使うのは、世界でも少ない。いのちの問題はいつも後回しになってきた。医師があまりにも多忙すぎる。ゆとりのない医療体制である。だから患者とのコミュニケーションがうまく出来ない。私も入院している間ほとんど医師からの説明がなかった。不安のままの入院である。病室に一度も現れないときもある。
いまの企業も使い捨てである。まるで機械の部品であるかのようだ。人間が人間として扱われない。これが資本主義の実態なのだ。マネーゲームに走り、貧富の差がますます広がるばかりだ。いのちを守る運動はこのような考え方とはまったく反対の世界である。いのちを守る基本は、一人一人のいのちを大切にするというこだ。
今の病院では末期癌に対策がほとんど出来ないでいる。抗癌剤治療と手術を拒んで生きている私は、一人で闘いなから生きている。幸い傷みがいまは全くないので生きていられる。この間は詩語りの世界に全身で生きていられる。逆にこのようなことが出来るので癌の方が私の身体から逃げようとしている。
癌患者たちの前で詩語りを行ないたい。そう思いながらどこからも話がはいってこない。でも真剣に生きようとしている姿勢を保っていればいつの日にか話は入ってくるだろうと思っている。私は医療的にはないも出来ないが、心の問題としては語りかけてゆける。このブログを読んでいる方の中にも癌患者がいると思う。そのような方々に人明かりとなってゆけるように勤めてゆきたい。医療から見放された癌難民の人たちのためにも自分の行き方を貫いて生きたいものだ。

2009年10月16日 (金)

田川紀久雄日記

泉谷栄さんの手紙に十月十五日に心臓の手術を行ないます。心臓の動脈が血の固まりで、流れを止めて破裂寸前があちこちにあってすぐ手術。やるしかない。と書かれてある。心配だ。泉谷さんはいのちはそんなに弱くない、と最近思っていますとも書いてある。
末期癌になっても、それほど心配しない生き方を私は実践している。それは、くよくよして生きないことである。そして自分の好きな道を徹して行なうことである。そして聲を思い切り出すことである。聲を出すにはただ聲をあげていても面白くはない。出来るなら詩を大聲で読み上げることだ。半月も持たないいのりが二年過ぎても元気に生きていられる。詩語りに打ち込んでいるうちに癌の進行は止まってしまった。これは奇跡に近いことである。聲を出すことは複式呼吸を行なう。そのことが身体の活性化につながり癌の進行を止めるきっかけになったと思える。詩語りの聲は普通の人の倍の大きさが出る。聲の力は免疫力を高める効果がある。それと自分の為だけに生きようとしない。つねに人明かりを求めて生きていくことが必要である。泉谷さんが言うようにいのちはそんなに弱いものではない。
四時半に空をみると金星が見え始める。下弦月が金星の横にある。美しい光景だ。負けないで生きていることは、金星のようにいのちが輝いている証拠だ。輝いて生きるいのちはつねに人明かりに通じている。
受贈詩集 『小海永二著作撰集・全八巻』
詩誌受贈 『焔・83号』『阿字・130号』

2009年10月15日 (木)

田川紀久雄日記

午後から妹に会いに行く予定。
高橋馨さんの原稿がメールで届く。
泉谷栄さんから食料が届く。いつもありがたい。
世界では、まだヒロシマ・ナガサキに原爆が投下されたことを知らない人がいる。日本の若者達の中にも原爆の投下の意味がわからない人も増えてきている。核はこの世に存在してはならないものである。そのまえに非戦の意識を高めていかなければならない。日露戦争の時、内村鑑三や平民社の人たちは非戦運動を続けていた。それはいのちがけの闘いでもあった。幸徳秋水は大逆事件で処刑されている。女性では菅野須賀子が翌日処刑された。二十九歳であった。
広島と長崎でオリンピックの開催に立候補するという話が持ち上がっている。核の根絶を訴えるには良いかもしれない。多くの国の人たちにヒロシマやナガサキにきてもらいたい。そして出来れば今の日本の原子力発電所をなくした電気作りにしてもらいたい。いま各国では原子力発電所の古くなった建物を解体しているが、放射能に満ちた原子力や建物を捨てる場所がないのである。日本でも原子力所の立替で、捨てる場所がない。これは恐ろしいことなのだ。核の根絶運動も大切だが、いまの現実の問題として原子力発電の問題は黙って見過ごしていてはならない。CO2を出さないクリアな電気なとどうたい文句でコマーシャルを続けている電力会社は日本国民を愚弄している。
私は小さないのちの大切さから聲を発してゆきたい。ひとり一人の命の大切さを訴える仕事が詩語りでありたい。それが末期癌の宣告を受けた私の仕事でありたい。

2009年10月14日 (水)

田川紀久雄日記

最近江戸時代の生活をしている。日が暮れると床にはいり、朝早く起きて星を見る。テレビを夜は見ない。野菜を中心にした生活である。そのせいか体重が太りだしている。散歩したくても足が思うように動かない。日によってはスムーズに歩ける時もある。
スパーに行っても人が少ない。やはり不景気が長引いている。銭湯に行っても人があまり入っていない。このような時代は、人の心が荒んでいくのではなかろうか。世の中の犯罪は理解しにくいも0のが多くなっている。政治にとっていま人への思いやりが求められている。予算の切りつめがどのように影響してくるのか一抹の不安もある。今は時代の変革の時である。
自分の聲をDVDで聴いてみたが、ひどいものだ。まだ内面の世界が語られていない。どうすればよいのだろうか。機械を通じて聴く聲には確かに違和感がある。でも自分の聲を確認するには録音されたものを聴くしかない。あとは師匠によって学び取っていく方法があるが、詩の朗読の世界では師匠がいない。一人ひとりが自分なりに工夫して聲を作るしかない。できれば芸能の世界のように師匠がいるとよいのだが。あとはお客の反応によって自分の聲を確認してゆくしかない。そしてひたすら精進していくしかないのだろう。詩人たちの朗読が少しも進歩しないのはそこに一つの道がないからだ。詩人の聲には、アナウンサーのようにのような聲の教育は不要である。あくまでオリジナリティーが求められている。朗読教室のような発声を望んではいない。ここに詩人の聲の難しさがある。
二十四日にライブがあります。そこで宮澤賢治の世界を語る。お客様との真剣勝負ができる。楽しみだ。定員が四十名である。早めに予約してください。料金2000円。場所は三鷹のギャラリー・オークです。時間は二時半からです。

2009年10月13日 (火)

田川紀久雄日記

前の水谷八重子さんが「わたしつまらない人間だわ」と言っていたことがある。イチローにしても野球人としては素晴らしい人間である。しかし、当の自分を見つめたい場合人にはいえないものが多くあるだろう。それ一筋に生きている人は、なになに馬鹿人間といわれたりすることがある。そのような人は、他者に多くの夢を与えている。
私も詩語り馬鹿になって生きている。だからといってそれで飯が食えるわけでもない。詩人が朗読や語りで飯を食うと思った人はいないだろう。でも一つのことをやり遂げよ言うと思ったら、中途半端な生き方ができない。日々自分との闘いしかない。それに打ち勝つことができなければ、見果てぬ夢を追いことは不可能である。まいにち同じことの繰り返しを行なう。ただそれだけのことを行なうことがいかに大変かということだ。
亀岡新一さんは私より一歳年上である。写真を見ると私より随分年上に見える。彼は農家になったわけではない。畑仕事で生活を立てようとはしていなかった。会社と退職して八百坪の畑を耕して生き抜いた。そのことは詩や絵で物語っている。ある意味で奇人といえるかもしれない。絵も決して上手く描こうとはしていない。描きたいから描いている。そして詩もやはり絵と同様に書きたいように詩を作りあげている。私はそのような亀岡さんの詩や絵に惹かれる。亀岡さんの詩を語るときは、亀岡さんになったつもりで語りたい。それはいまの私の生き方に似ているからだ。世の中から亀岡さんの詩の語りの仕事が入る当てはない。でも語っていると勇気が与えられる。そのことが嬉しい。まるで畑土を耕している気分になれる。
今日も頑張って語りに励んでいきていたい。

2009年10月12日 (月)

田川紀久雄日記

シューベルトのピアノ三重奏第二番で凄い演奏にであった。ピアノ・インマゼール ヴァイオリン・ベス チェロ・ビルスマの演奏である。ただ美しいだけではなく、内面の深さを抉りだしている。シューベルトほど演奏家にとって難しいものはないだろう。
詩の朗読でも、宮澤賢治の詩を競い合って朗読をすると面白いと思う。しかし、今のところプロの朗読家たちの朗読ほどつまらないものはない。音楽を演奏するように素晴らしい朗読を時には聴きたいものだ。詩人達でも自作詩を朗読しても他人の朗読まで手が廻らない。
このところ胃の調子が良くない。下痢が続いている。ちょっと心配だ。

2009年10月11日 (日)

田川紀久雄日記

鈴木しづ子の「指輪」「春雷」それと「伝説の女性俳人を追って」が河出から発売されていた。『漉林』で「指輪」を掲載した。鈴木しづ子「指輪」と「春雷」は手に入れた。そして私達はその彼女の俳句を語りに乗せてきた。漉林では未発表の句も載せた。
このたび出た鈴木しづ子の本の装丁は関心しない。そのうえ椎名林檎推薦と帯にある。これはとてもいただけない。簡素な装丁がよかった。例えば『山中富美子詩集抄』のような装丁であって欲しかった。この二人は死んだ時期が不明なのだ。
最近語ることの楽しみが増してきた。そして語ることの怖さもでてきた。それは詩の言葉の奥に占められたその人の人間そのものをどれだけ表現できるかという課題に直面しているからだ。モダニズム的な詩でも、そのモダニズムの中にその詩人の魂の叫びをどれだけ感じるかで語りの表現が変わってくる。私は魂を語れる語り手に成長してゆきたい。そのためには一語一語を丁寧に読み込む力が求められる。だからこそ語りそのものが面白くなってくる。詩は聲を出すことによってより感じられるものになってゆく。朗読する意味もそこにあるはず。一篇の詩を千回聲を出して読むことによって見えてくる世界がある。自分の身体に詩の一語一語を浸み込ませることが大切なのである。いま亀岡新一さんの詩の言葉を身体に浸み込ませる作業を行なっている。一年かけて語り続けることで亀岡さの言葉の魂と向き合える。いま精進してゆくことの歓びを感じている。
f分の1からカンパをいただく。それと井原修さんからお米が届く。

2009年10月10日 (土)

田川紀久雄日記

窪島誠一郎編・著に『無言館の青春』という本がある。確かに彼らの絵は反戦のために描いたものではない。絵を描きたい一心で描いたものだ。それを国家の権力で描く人生を放棄させそのうえ死に至らしめたものだ。この美術館は確かに反戦の意味がある。でも絵を反戦の意味づけで見て欲しくはない。絵は絵以外なにものでもない。私はまだ無言館の絵を一度も見たことがないので今は何もいえない。窪島さんは借金のために、多くの素晴らしい絵を売ってしまったと聴くが、私はそのことがとても残念である。
いま亀岡新一さんの詩を語り始めている。彼はまさに最期まで自分の意思で自由に生き抜いた人だ。畑を野菜を作っても人には売ることなく、ほとんど差し上げていたという。その青間に絵を描き続けた。そう意味では無言館の絵学生とは対照的なひとである。社会との交流をほどんど断ち切って生活をしていた。そう意味では風狂の人生であったかもしれない。加藤正義に近いが、加藤さんは焼き物を売ろうとしたが売れなかった陶芸家で。餓死寸前の生き方をした。彼も詩を愛していた。いま私は彼が作った湯飲みでときどきお茶を飲んだりしている。
私もただ詩語りに懸けて生き抜いている。亀岡さんや加藤さんの生き方に近い。いま亀岡新一さんの詩を語るのが楽しい。語りとしては語りづらい作品である。その語りづらさを越えた先には豊かな亀岡さんの精神が聲の中に蘇ってくる。いままで感じたことのない経験である。どうしても人の前で方って行きたいものがある。私に一つでも多くの仕事の出来る場所が欲しい。どうしたらもっと詩語りが行なえるのか。人明かりの旅をもっと増やしていきたい。

2009年10月 9日 (金)

田川紀久雄日記

中国国境でサリンが検出される。やはりオームと北朝鮮は関係があったように思える。まだサリン事件の真相は解明されていない。被害者の心を思うとやりきれない。
昨日の台風で家が揺れた。おんぼろの家なので地震や台風が発生すると不安にかられる。何か起きてもどうすることもできない。修繕する金もない。
操車場も送ることが出来た。
昨日の朝日新聞の夕刊の記事に『阿刀田さんの「朗読21」に深み』が載っている。鴨下演出4年目とある。「けいこ場では、テキスト一行一行を細かく解釈する。ちょっとした一行に潜む心の動きをとらえ、それを間や声の高低などで、正確に伝える。」これは演技の基本でもある。スタニスラフラスキーにも書かれてある。詩の朗読では一行一行の解釈は不可能でもある。詩の場合は、音楽家が音符を解釈するようにしていく以外ない。詩人jたちの朗読を聴いていると、何も感じられないものが殆どだ。詩の朗読を指導する人がいない。勝手に気分しだいで詩を読んでいるだけだ。それに聲そのものに力がない。「朗読21」の入場料は4000円である。本当に感動できれば決して高くはない。小説の朗読と詩の朗読はまったく別なものである。詩は魂に語りかけることが求められている。だから魂の叫びと呼べる世界なのだ。いまの詩人の中でこの魂の聲が出せるのはほんの数人だろう。テキストの読みの深さは当然求められている。

2009年10月 8日 (木)

田川紀久雄日記

激しい雨が夜中から降り続いている。台風が東海に上陸する。今のところ風がそれほと吹いていない。
テレビの報道番組で三十歳代の孤独死が取り上げられた。これにはやはりショックな話だ。自殺者も相変わらずに多い。いのちの尊さを云々しても追い込まれた人にはどうすることも出来ない。孤独死の殆どが経済上たで追い込まれていく。自殺者も同じだ。哲学的な意味で死においこまれるのではない。
私の身体も思うように動かない。生活の面でも日々不安を感じている。でも癌になってから死にたいと思うことがなくなった。どんな状況に追い込まれようと生きていたいという気持の方が強い。詩語りはそれほど人に生きる勇気を与えられないかも知れないが、人明かりを目指して生きていたい。石に齧りついていても生きていることはやはり素晴らしいことを私自身で証明してゆきたい。
浜川崎の仔猫たちを見ているととても勇気付けられる。みんな元気に生きている。ただそのことだけでも私は生きる歓びを感じる。今は亡き作家の三浦綾子さんお生き方もつねに前向きであった。次からつぎえと病魔に襲われる。それでも生きることの意味を持ち続けていた。その根底には神への愛があったからだ。人生の試練はそれなりに意味がある。神様は無駄に試練を与えているのではない。三浦さんはいつもそう思って生きていた。人の生き方から多くのものを学ぶことが出来る。だから私も自分自身の道を耐えて生きていかねばならない。詩語りで人生の応援歌を語ってゆきたい。

2009年10月 7日 (水)

田川紀久雄日記

最近「真・善・美」について語る人がいなくなった。その考え方が古くなったからなのだろうか。西田幾太郎のいう経験という言葉が受け取れなくなっているからなのだろうか。人間は確かに経験によってしか自分というものを知り確立してゆくものなのだろう。経験は自分を知るということにとって大切な要因である。生きていくことがすべて経験だとはいえない。森有正は体験と経験の違いを述べている。普通の日常生活は体験の範疇に入るが、なかなか経験にはなってゆかないものだ。
生きているときの充実感は経験の積み重ねによって生まれてくるものだと思う。よりいっそう深い経験を積み重ねてゆくことによって「真・善・美」を味わうことができる。詩語りの稽古もより深い経験の積み重ねの中から磨かれてゆくものであろう。
歳をとってゆくほどに生きていることの張りを失うのは、生きている現実感が失ってゆくからである。ひびただの体験の日常であれば、自然と生命の張り合いも失せてゆくだろう。自分とって強い張り合いのある生き方を見出さなければ、時間に流されてゆくばかりだ。
豊かな人生をおくるにはいかに純粋な経験を積み重ねているかによってその人の人生の価値が決まってゆく。しかしそういっても人間には孤独というものに付き纏われているものだ。この孤独との闘いの中で人は磨かれてゆくものなのだろう。だから孤独を友にしていく生き方も大切なことである。いま私は病を友にして生きているように。

2009年10月 6日 (火)

田川紀久雄日記

大型台風が8・9日頃に東京にくるらしい。操車場の発送も配達員が大変なので遅らせようかと思っている。
昨日語りの稽古をしていたら、突然に喉が痛み出した。聲をだすと喉がひりひりと痛むのである。このような時は無理をしない方がよい。
人の詩を見ていると、詩を書こうとする意識が強すぎる。作品を深めようとする努力を怠っているように思われる。詩的な言葉とはいったい何なのだろうか。それはやはろ魂に届く言葉だと思う。谷川俊太郎の新聞に載っている詩は、どこか胡散臭い。魂からの響きが感じられない。詩人は自分の眼でものを見なければならない。そして自分の眼で判断すべきである。風評に左右されては絶対にならない。それだけ詩人は自分自身に厳しくならなければいけない。詩人は裸の大将でよいのだ。亀岡新一詩集には本物の詩がいっぱい詰まっている。
詩の良し悪しは本物の聲を出して見ると解る。単なる朗読では詩の良し悪しなど解らない。やはりいのりがけの聲でなければ駄目なのだ。亀岡さんの詩を私の聲に乗せたとき、妹さんは涙を流した。それは亀岡さんの詩が本物だったからだ。詩を書く前に、素晴らしい人間存在がなくてはならない。人間魅力がなくては、味のある詩はかけない。人間としてつまらないから詩の技術に走るの。詩そのものも裸になってゆくことが大切なのである。

2009年10月 5日 (月)

田川紀久雄日記

操車場29号の印刷を始める。水曜日までには送れそうだ。よくもここまで来たものだという驚きがある。普段歩いていると直ぐに息が切れる。会話の時も少し苦しくなるときがある。しかし不思議に語りを行なう時には平気なのである。それは複式呼吸で思い切って聲を張り上げるからであろう。聲を張り上げることは癌の治療に役立っている。こうしてここまで生きてこられたのも、詩語りにいのちをかけて生きて来たからだと思う。
亀岡新一詩集から数編選んで語りの稽古に入っている。土に生きた詩人の詩を紹介したいからだ。私と関わりあった詩人は出きるだけ語りをしてゆきたいものだ。詩は本当に良いものだということを紹介してゆきたい。そのためにも定期的の行なえる場所が欲しいものだ。二十人ほど入れる場所があればよいのだが、なかなか見つからない。田川紀久雄自身の企画で詩語りを行ないたいものだ。場所を提供しますからご自由に使い下さいという方が現れないものだろうか。村上昭夫さんや尼崎安四さんの詩を心ゆくまで語ってみたい。

2009年10月 4日 (日)

田川紀久雄日記

今の政権で福祉政策の可能性を引き出してもらいたい。小泉政権下では福祉の切捨てを行なってきた。国債の赤字を弱い立場の人間を切り捨てることによって埋めようとしてきた。国民も小泉政権を支えてきた。国民にも責任はある。福祉の問題は限られた国家予算から賄われるのだから難しい問題でもある。そのためにも国民の聲の力が求められる。もっともっと難病の対策が求められている。
このところ詩語りが自分の中で変化してきていることに気づく。聲を出す仕方に変化があるのだろう。以前より深い場所から聲が出てきている。このような変化に気づくことは滅多にあることではない。ほとんどが気づかずに過ごしてしまう。これは聴き手の変化を見て気づくこともある。そう意味では芸はお客によって育てられてゆくものだ。お客を大切にするということは、自分自身に厳しくあれということである。これは芸の世界だけの問題ではなく、普段の生き方でもいえることだ。自分自身が厳しいことによって、相手への思いやりが生まれてくる。そのためにも無垢な心を養っていかなければならない。
癌との闘いも、癌に逆らって生き方は免疫力を低下させるだけだ。楽しく陽気にいきることが大切なのである。そのためにも嫌なことはしないことだ。そして人に迷惑をかけないことでもある。自然体で生きているのが良い。

2009年10月 3日 (土)

田川紀久雄日記

オリンピックはリオに決まった。日本人の心はそれほどオリンピックに関心がなかったように思える。私もそれほど興味がなかった。国家的な祭りごとはあまり好きになれない。万博も興味がなかった。岡本太郎の巨大な像も政治に利用されたくはなかった。
亀岡新一さんは、まったく個人との闘いの生き方であった。社会的にどうこうという意識はまったくない。純粋に個の中で生き個の中で亡くなっていった。
京都の方から山本陽子の第二巻の注文があった。山本陽子も個のひとであった。亀岡さんと陽子さんとに共通する部分がある。山本陽子も詩に劣らず凄い絵が存在している。詩人で夭折した田端あきらこなど問題ではない。魂の詩人がいかに少ないか。洲之内さんも山本陽子の絵を見たら仰天したことだろう。木下晋さんも驚いた詩人の絵なのだ。
鈴木良一さんのように歴史から消えかけていた詩人(市島三千雄)を語り継ぐ会の存在は意味がある。語りたい詩人がいるが版権などでできない。五十年の版権は詩人の世界では長い。詩など商売にならない世界だから二十年ほどでいいのではないかと思う。詩の場合出版はべつとして朗読の場合は版権などなくしてもらいたい。詩をもっと世の中に広めていく作業に足枷とあっている。画集の場合でもカタログは版権に関係なく出版ができる。詩が世の中に広めるためにもいまの版権制度は考えものだ。
政権が変わっても失業者が増加している。切りつめ政策でもっと失業者が増えるのではないかと心配だ。早く手を打った大胆な政索が望まれる。

2009年10月 2日 (金)

田川紀久雄日記

昨夜は十時ごろ帰宅する。白石さんから亀岡新一さんのことを聴けて参考にあった。それに多くの絵を見れたことが収穫であった。亀岡新一さんお詩をほんの少し語ってみた。妹さんがとても感激してくれた。詩語りの意味がそれなりに生きてきていることを確認できた。
色校のことで熊谷さんと二時半に西日暮里で会う予定。
鞆の浦の埋め立て認めずの判決がでた。画期的な裁判である。景観は「国民」の財産という考え方はいままではとても考えられなかった。政治の流れの変革で裁判にも影響したのかもしれない。なんにしても悦ばしいことだ。でも住民の車の渋滞は緩和する必要がある。
楽天が勝ったこともうれしい。成績でも第二位になった。これは驚くべきことだ。
二十四日のライブに向けて「青森挽歌」をひたすら語り続けている。だれにもまねのできない世界を構築してゆきたい。その後は仕事が入っていないが、もっと深くできるように精進をしていかなければならない。もし誰も聴く人がいなくなってもいのちの続く限り語りを深めていかねばならない。永遠のいのちに向けて語りを求めてゆく。無垢の境地に達してゆきたいものだ。詩人たちの前で行なうより普通の生活者の中で行なったときの方が評判がよい。詩人は自分の心に壁をつくって聴くからどうにもならない。語るときも聴く時も心を殻にしておくべきだ。語りを行なう気持を捨てて聲を発したとき語りになっていればよいのである。語りとはいのちの表現であるからだ。

2009年10月 1日 (木)

田川紀久雄日記

大地震が二箇所で発生した。サモアとスマトラ沖である。死者も多数でているという。M8・3とM7・6なんて想像ができない。巨大地震である。もし日本でこのような地震が発生したら地獄図になるだろう。世界の国々が助けあっていかなければならない。日本からも早く救援を行なってもらいたい。
洲之内徹に『気まぐれ美術館』があるが、世界文化社から『しゃれのめす』『おいてけぼり』がある。カタログや雑誌に載った記事で構成されてある。そしてふんだんにカラーの絵がある。『気まぐれ美術館』のすべてには洲之内さんからサインをしていただいたものがある。洲之内さんの家にも泊まったことがある。私の絵の勉強は、洲之内さんや梅野さんや木村東助さんである。多くの優れた絵を見たことが絵を見る力になっている。木村東助さんの色紙は私の机の前に飾ってある。
今日、坂井信夫さんと亀岡新一さんの妹さんの家に行く予定である。画集の色校のためでもある。そこで亀岡さんの絵を数点見られる。とても楽しみである。
ここ数日歩くのに不自由しているが、無理をしてでも出かけていかなければならない。

2009年9月30日 (水)

田川紀久雄日記

芸術家は生温い世の中に生きていると、反抗精神を失ってゆくばかりだ。芸術家にはどこか狂気がなければ時代を抜けた作品は生まれてこない。その中で美を見出すには、貧乏、病気などに耐えている人の中から次の時代に繋がるものが生まれてくる可能性が強い。
本来詩人が今の時代は先頭にたって行動をおこさなければならないのに、詩の世界からは何も生まれてくる気配がない。詩のことばに叫びが感じられない。『詩と思想』の最近号を読んでいてもこれはという作品で出会えない。
玉川信明セレクションを読んでいる。大正時代生きたひとたちの群像は興味が湧いてくる。決して遠い次代ではない。私が青年のころまで生きていた人たちがいる。大正時代に生まれた人も今でも生きている人がいる。それなのに、何故か遠くに感じられてしまう。
亀岡新一さんの生き方は、まさに大正時代の自由をもとめて生きてきた人たちに近いところがある。『新一路のんきぶし』はとても興味深い作品である。一人でも多くの詩人に読んでいただきたいものだ。漉林書房から『亀岡新一詩集』本体2000円で発売している。彼の作品は誰も真似のできないものだ。まさに彼固有の世界なのである。これは坂井信夫さんの力によってできた。それと坂井信夫さんは画家・島村洋二郎論『眼の光』が島村直子さんとの共著が土曜美術出版販売から発売されている。島村洋二郎はもっと多くの人たちに見てもらいたい画家の一人である。

2009年9月29日 (火)

田川紀久雄日記

八ツ場ダム中止に反対していることに非難する電話が殺到しているという。村の住民にことを思うとしばらくは黙って見守るべきではないか。国民があたたかい眼で住民たちを守るべきである。日本の政治が本当に変われるかどうか、すべてがよくなるわけでもないが古い政治から新しい政治の変革は必要である。
久しぶりに朝方雨らしい雨が降った。草木にとっては良かった。毎日同じことの繰り返しの中で人生は成長してゆくものだ。自分自身には気がつかなくても、他者から見れば解ることである。退屈に思えるときこそ小さな努力が人との差を広げてくれる。眼に見えない努力がそのひとの人格を作ってゆくものだ。そういうことが解っていてもなかなかできないのが凡人の証拠でもある。人に認められるにはひたすら努力を続ける忍耐力が求められる。私は癌になっていのちの尊さを身に染みて感じた。そのことをどうしても詩語りに活かさせたい。生かされているいのちを詩語りのために使いたい。本当に人が聴いてくれる語りができるのだろうか。不安がつきまとう。でも日々の努力を抜きにしては先が見えてこない。

2009年9月28日 (月)

田川紀久雄日記

浜川崎にランが一匹の仔猫をつれて現れる。あとの四匹はどうしたのだろうか。産業道路の脇にい真っ黒の仔猫はとても可愛い。語りの稽古の帰り道で会う。餌を貰うために私のくるのを待っているようだ。
昨日の大相撲の横綱対決は見ごたえがあった。お互いの気迫がお客の心を惹きつける。スポーツや芸はつねに真剣勝負の生き方が求められている。この真剣さがなくなったら、誰も見なくなるだろう。真剣勝負の場を多く与えられている生き方は幸せなものといえる。勝負は他者に勝つことより自分自身に勝てない人間だと、いつまで経っても成長していかない。つまり勝負師であることは、だれより孤独な存在者でもあるといえる。
このところ下痢ぎみである。身体の調子も悪い。いくらか気が滅入っている。この調子の悪い時の過ごし方が難しい。一番の効用はやはり音楽を聴くことかもしれない。読書もすすまない。
歳をとって何もやることのない人は辛い日々を過ごしているのだろう。生きていくためには何でもよいから趣味をもってそれを磨くことに時間を費やしていければ、人生もそれなりに価値をもって実りのあるものになってゆく。詩語りも実りのあるものにしてゆきたい。それを夢みて生きている。

2009年9月27日 (日)

田川紀久雄日記

人は「菜根譚」の最初のところに人の生き方が書かれてある。経済の動向に揺り動かされて生きている人はむなしくはないだろうか。私のように貧乏だと一日が健康であればそれで充分だと思って生きていられる。それ以上のことは考えないようにしている。
今月は詩を三編書けた。今年中に『未来への旅』は書き終われそうだ。詩もこのところ無理に書かねば作品が生まれなくなっている。かつては自然に書けたのに、それだけ歳をとったことを意味するのだろう。目標を一つ一つ実行していくしかない。普通の詩人からみれば毎年詩集を作っているのだから自分でも驚いている。いまは人に語りたい詩しか書いていない。病を通して感じていることを作品化しているだけだ。
浜川崎付近で野葡萄を取ってきた。それを酒につけて正月に飲めるようにする。何にもない風景だが、それなりに自然は生きている。森や川はないが荒涼した中にも一つの世界を作り出している。それを一つ一つ観察していると人生の楽しみが増えてくる。いまは我が家から見る夜空を見たり、語りの稽古に行く公園で虫や植物をみている。生活は貧しくても生きている歓びは金持ちに負けない。身近なものを愛していきることがいかに素晴らしいことかということだ。世の中のわずらわしさから離れて遠くで生きていたい。

2009年9月26日 (土)

田川紀久雄日記

民主党の改革に多くの人たちが期待している。まさに未知との遭遇である。この改革で国民を犠牲にした改革であってはならない。いまのところ、自民党の政治がいかにデタラメであったかが強く感じられる。ダム工事もなぜ早く中止できなかったのだろう。無駄使いが自民党政治であった。それがすべて悪いというのではないが。業者との利権だけで政治が動いていたような気がしてならない。
詩語りの未来を思うと不安を感じる。どうして仕事をしてゆけるのかがまったく見えていないからだ。いまの私はひたすら精進しているだけなのだ。基本的にはこの生き方しかできない。病を見つめ語りを深めている日々でしかない。そんな不安な気持の中で、大正時代の自由な生き方にひきつけられている。鎌田慧著『大杉栄自由への疾走』と榛葉英治著『板垣退助』を古本屋で買う。大正時代を知るためにはやはり明治の時代をしらなければならない。そのことによって今の時代が見えてくるのだろう。何かを問い続ける姿勢が生きる希望を与えてくれるはずだ。市島三千雄さんが過ごした青年時代も見えてくるのだろう。私は何もしらないことが多すぎる。知らないことに恥じることはないが、知りたいという気持がなければやはり知らないでいることは恥でもある。

2009年9月25日 (金)

田川紀久雄日記

美しいものに触れることは大切なことである。いかに生きている間にどれだけ美しいものとの出会いができるのだろうか。この美しいものとの出会いも自ら努力しなければならないものと、自然に美しいものに触れることのできるものがある。自然と人の心の美しさは相手まかせしかない。私は多くの人の心の美しさにもっと出合ってゆきたい。
いま血糖値が高いと医師にいわれる。それから来月に胃カメラを行なうとのことだ。血糖値の高いのは運動不足ではないかと思う。足腰が痛いために思うように歩けないのが原因の一つである。
武井まゆみさんから「生命の旅」の注文があった。ありがたい。
四時に起きてみる星はとても美しい。美しいものとの出会いをもとめて生きていたい。

2009年9月24日 (木)

田川紀久雄日記

早朝の空に金星が美しく輝いているのが見える。連休のあいだは曇り空で星がまったく見えなかった。星の観測は楽しいものだ。
午前中に病院で検査がある。そして夕方に熊谷さんと会う約束をしている。
身体がつらくても語りの稽古に励むことで何かが見えてくるものだろう。聲の深さを身につけるにはひたすら語り続けていくことだ。ときどき自分の聲を聴くと「ああ何という聲だろうかと」思うこともある。自分の聲である以上どうにもならないのだが。
先日野外コンサートで石川さゆりが「天城越え」を熱唱しているのをテレビで見た。ロック歌手の聲が石川さゆりの前では死んでいるように聴こえた。腹の底から聲を張り上げていた彼女の聲は素晴らしかった。そして都はるみの歌をつい先日テレビで聴いたが、聲の深みが増しているように感じられた。演歌もここまでくればまさに芸術作品だ。この二人は帝国劇場と明治座で舞台を踏めることが成長させているのだろう。明治座でおこなった石川さゆりは評判がよかった。やはり聲の力は人に勇気を与えてくれるものである。いま人の心をうつことのできる詩人が何人いるのだろうか。
人明かりを求めてゆくためにも、聲の力を高めてゆくことが必要条件である。苦しいときも辛い時もひたすら精進していく以外にはない。聲の力は人の心を癒してくれることを信じて前向きで生きていたいものだ。

2009年9月23日 (水)

田川紀久雄日記

世界平和という言葉は、とても曖昧なことばだ。具体的にいうのなら、誰もが食料と住む家がだれもが確保されることではなかろうか。この地球にはその日の食料に喘いでいる人たちが多くいる。戦争や内戦がひきおこした難民の問題は、人災以外のなにものでもない。
それから他の生き物達のための環境破壊の問題もある。日本のこれからのあり方はやはり平和外交が大切である。鳩山首相の外交を見守ってゆきたい。
南武線の浜川崎にときどきホームレスの人がいる。ほんとうに行き場がないのだろう。そのよこで共産党がビラをまいている。とても不思議な光景である。いつもの場所に猫が近寄れないでいる。浜川崎周辺の仔猫いたちは元気に育っている。
シューベルトのピアノソナタ15番をブレンデルのピアノで何度も聴いた。第二楽章は生きることに勇気付けられる。このソナタは第二楽章までしかない。さいごの所は強力の和音が響き渡る。内田光子さんの演奏も良いが、やはりブレンデルのピアノに心が惹かれる。前日には『冬の旅』を聴いた。秋の日には心ゆくまで音楽を聴いていたいものだ。

2009年9月22日 (火)

田川紀久雄日記

小杉妙子さんと増田幸太郎さんから手紙とハガキをいただいた。励ましの言葉はありがたいものだ。私はほとんど手紙を書かない方なので手紙をいただくたびに反省をしている。
亀岡新一詩集が三十冊届いた。お世話になったところには送りたいと思っている。亀岡さんのような人はいま見つけるのが大変だ。畑を借りて作物を作っても売らずに近所の人に分けてしまう。一切農薬など使わない。そして珍しい野菜を作っていたという。その畑で絵の個展を行なっていた。生前に一度は会っておきたかった。詩も独特の作品である。まさに詩人そのものである。いまこのような詩人を見つけようと思ってもなかなか見出せないだろう。社会批判もピリッとしていて辛い。亀岡さんは最期まで『索』を大切にしていた。瀬沼さんが『漉林』を大切にしていたように。詩誌の存在とは何かを考えさせられる。
いま宮澤賢治の作品を無心な気持で語りたいと思っている。詩を語るのではなく、詩そのものであるように語ってゆきたい。これは市島三千雄さんを語ったときも、そのような気持で語った。そこまで行くには何百回となく読み込んでいかねばならない。イチロー選手のように日々変わることのない精進だけがそこに到達していけるのだろう。いかに一日一日が大切であるかということだ。そのためには語る歓びをいつも心になくてはならない。
詩誌受贈 『えこし通信・16号}

2009年9月21日 (月)

田川紀久雄日記

アフガンニスタンの大統領がタリバンに対話を求めている。憎しみ合いはどこまでいっても平行線しかならない。辛抱強い対話が世界の平和に導く。日本のスフガン政索も平和への救援活動であってほしい。軍事的な協力だけはしてもらいたくはない。
テレビで民主党の政策に反対する人が多くいる。頭が切り替われないそのような人物をテレビに出すこと事態おかしいことだ。テレビ局は保守的な世界である。詩人達の世界も保守的な世界である。保守が悪いといっているのではなく、真の保守がいなくなっていることも事実だ。今の自民党の姿をみていると、あれは保守でもなければなんでもなくなっている。保守の中にも改革が必要なのに、それについていけない古い体制にしがみ付く人たちが多くいる。保守は保守のままであってはいけない。つねに時代を見つめる視線を失った時それはただの野次馬の叫びと代わりがない。
不安を感じるのはわかるが、変えるべきときには、変えていかなければならない。そうしなければ、また元の黙阿弥に戻ってしまう。民主党も国民の聲を聴きながら本当の変革をしてもらいたいものだ。大切なことは国民との信頼関係である。
末期癌である私にはいのちの尊さを求めて生きていくだけだ。そしてつねに非戦をもとめてゆきたい。平和へのための戦争などは嘘である。だからアフガンの問題も軍事的な協力だけはしてもらいたくない。アフガンでなくなった伊藤が関わった用水路が完成した。この用水路は中村さんが現地にのこって完成させた。これで十五万人の人たちが救われるのである。伊藤さん心はやはり生き続けている。そのことが大切なのである。
詩誌受贈 『グッフォー・52号』

2009年9月20日 (日)

田川紀久雄日記

目標を持って生きている老人達はやはり元気である。年をとって生きていくには、なんでもよいから好きなものを持つことが大切なのである。老人ホームで童謡を歌わされる人にはなりたくない。まるで子供扱いのような社会にはいきたくないものだ。もっともとお老人がいつまでも若々しく生きる社会を作ることが大切である。若々しくいきることが医療問題の解決にもつながる。私の家の側にディーサービスがあるが、車椅子にのって押されている老人を見るがまったく元気がない。介護に問題があるような気がしてならない。老人としてみるのではなく、あくまでも一人の人間として見る視線が感じられない。
最近朝早く起きて星をみるのが楽しみだ。今日もオリオン座を見た。起きる時間によっても星の位置が違ってみえる。まるで生き物をみているような感じがする。台風も東京に来なくてほっとしている。いまごろ強大台風が来ていたら大変であっただろう。
台風といえば、いまの政治の状況はある意味での台風が起きている。この状況が本当の意味で国民の幸せにつながると良いのだが、大きな膿を出し切らない以上難しくなってゆく。ダム建設の中止になった現場の人たちはどうなってゆくのだろう。きめ細かい対策が求められている。

このところ「青森挽歌」を語る夢rをみる。どうしたらもっと奥深く語れるのかを問うている夢である。誰にも真似のできない語りを行ないたい。そして一度宮澤賢治記念館でも行ないたいと思っているが、まったくいまだ相手にされていない。いまは私の語りを聴いてくださる方に一生懸命になって行なうだけだ。そして日々の精進を怠りなく行なっていくことが大切なのである。自分自身を見つめる心こそが夢の世界に近づくコツなのかもしれない。
障害者自立法案が廃止になる。これはとても良いことだ。

2009年9月19日 (土)

田川紀久雄日記

政治がどう変わろうが、貧乏人である私はどうにも変わりようがない。詩人というものはひたすら自分の生き方を徹するしかない。世の中に媚びることがない。
昨日古書店で西田幾太郎全集の第一巻・二巻・三巻を百円で買った。こんなに安くて良いのだろうか。それもまだ読んでいない綺麗な本だ。金がなくても心を贅沢にさせてくれる。最近は昔ほど本を読まなくなっているが、心のよりどころにしたい本は出来る限り読んでゆきたい。
絵画をこのところ見なくなっている。それはこちらの心を熱くさせてくれるものに出会わないからだ。現代美術はほとんど関心がない。頭で見る絵は疲れる。絵はやはり心で見るものだと思う。音楽にしろ、詩にしてもそうだと思う。心に感じてこないものを、理屈をつけて見るのは耐え難い。何でも最初の出会いですべてが決まってしまう。芸術とはそういうものだと思う。
詩の朗読も最初の出会いが大切である。だからこそひたすら精進をしていくしかない。絵と違って朗読は、努力していけば成長する世界である。才能よりも努力がこの世界には必要なのである。それゆえに私もまだ語りを続けていられるのだろう。これが芸の世界なのだ。芸は長い時間をかけて生み出してゆくものである。才能のない私は時間の中で成長してゆくしかない。牛のようにゆっくりと歩んでいくしかない。

2009年9月18日 (金)

田川紀久雄日記

酒井法子のテレビ報道は異常だ。いかにテレビ報道がくだらないかを物語っている。国民にとってもっと必要な報道があるのに・・・。
いままでの自民党の政治がいかにデタラメであったのか。国民を無視した政治であった。官僚任せの投げやり政治であった。これを本当に変革できるのか。民主党の政治を期待したい。自民党がこのままだと立ち直れない。もっと深い反省がなければ国民は自民党を応援しなくなる。そうすると二大政党が成り立たなくなる。良い意味で自民党が変わってもらいたいものだ。
昨日は足腰が非常に痛んだ。夜中足が曲がらなくなった。お灸をしてなんとか足を曲げることができた。
ある詩誌の代金がまだ入ってこない。連休の生活費に不安を感じる。お金が入ったら矢向(近所)の温泉にでも行ってみたいと思っている。
癌を通じて人の為に生きなければならないのに、こう足腰が悪くてはどうにもならない。
浜川崎にまた八ヶ月ぶりにリュが戻ってきた。お産を終え子育ても無事に終わったのだろう。新潟のワイン工場(カーブドッチ)にも猫が五十匹いた。イギリス風の庭はとても感じがよい。その中に猫がいっぱいいる風景は長閑で気持がよい。このようなところで泊まりたいものだ。それに温泉がある。動物は人の心を癒してくれる。そういえば鳩山首相の犬が老衰でなくなった。それも首相の任命をうけた直後にという。心にうたれる話だ。

2009年9月17日 (木)

田川紀久雄日記

鳩山内閣が誕生した。八ツ場ダムの中止を前原国土交通大臣が宣言した。どう住民達を守っていくのか。
文化は生活者から見ればまったくの無駄にみえるものだ。絵画などは無駄な収入があるから絵も売れたりする。無駄といっても、本当の無駄と、無駄でない無駄がある。心を支える文化は人が生きるために必要な世界である。
いまの経済状態では芸術家は生きにくい世の中であることには間違いがない。詩人達の朗読も生温い世界にとどまっていては、ますます世の中から見放されてゆく。命懸けで行なっている詩人だけがやっと生き残れるかもしれない。
本当に人明かりの語りを求めていくしかない。『青森挽歌』を稽古をしていると、いままで見えていなかった世界が少しづつ見えはじめてきた。生きているあいだにどこまで深く語ることができるのだろうか。
昨夜は良く眠れたのに、身体の疲れがなかなか取れない。
シフ(ピアノ)の平均律を第一巻と二巻を通して聴いた。ほんとうに心が癒される。

2009年9月16日 (水)

田川紀久雄日記

新内閣が発足する。大きな時代の変革につながってゆくのどろうか。日米の時代から抜け出ることができるのだろうか。そし国民の生活がどう変化するのだろうか。国民の一人としてじっくりと見つめてゆきたい。
内股の付け根が痛む。ちょっと歩くにも不自由だ。
次のライブにむけて青森挽歌を深い泉から汲み上げる作業に取り掛からなければならない。語りの面白さを表現してゆきたい。そしてもっともっと多くの人の前で詩語りを行なってゆきたい。
新潟ライブのDVDの製作を始める。市島三千雄さんの詩を多くの人に知ってもらいたいものだ。市島三千雄さんお詩は二十一編しかない。それも二十代前半までの作品しかない。明治四十年生まれだが、優れた詩は古くはならない。いつの日にか全編を語ってみたいものだ。このところ語りの面白さを掴み始めてきた。大切なことは語ることが好きなことである。好きな道はどんどん深めていける。きっと人々の心を掴み取ることのできる詩語りが生まれる。そう信じて日々精進をしていくしかない。

2009年9月15日 (火)

田川紀久雄日記

胃の調子が悪い。やはり疲れのせいかもしれない。
政治が本当に大きく変化するのだろうか。庶民の生活がいくらかでも改善されてゆくのだろうか。とても楽しみだ。良い方向に進んでくれることを祈るだけだ。
希望そのものはあまりないが、いま精一杯生きていられることが希望そのものだと思う。希望は未来にあるのではなく、いまいきているその場にあるのではなかろうか。その一つ一つの積み上げが希望の本質であると思う。人は何のために生きているのだろうか。その意味を求めて答えを出しているのもいまという時なのである。人明かりの旅でいつは「私は癌になって本当に生きている歓びや、いのちの尊さを知った」と述べている。
次の人明かりの旅は、三鷹の画廊で宮澤賢治の世界を語る旅である。これは山本萠さんのおかげで決まった。この旅にむかってまた語りの精進を行ってゆくだけだ。
小笠原眞さんよりカンパをいただいた。ありがたい。
今日は日暮里で坂井信夫さん熊谷さんと会う。画集の打ち合わせである。亀岡新一詩集の製本が上がったと保坂さんより連絡があった。生きていることの有り難さを身に沁みて感じる。

田川紀久雄日記

胃の調子が悪い。やはり疲れのせいかもしれない。
政治が本当に大きく変化するのだろうか。庶民の生活がいくらかでも改善されてゆくのだろうか。とても楽しみだ。良い方向に進んでくれることを祈るだけだ。
希望そのものはあまりないが、いま精一杯生きていられることが希望そのものだと思う。希望は未来にあるのではなく、いまいきているその場にあるのではなかろうか。その一つ一つの積み上げが希望の本質であると思う。人は何のために生きているのだおるか。その意味を求めて答えを出しているのもいまという時なのである。人明かりの旅でいつは「私は癌になって本当に生きている歓びや、いのちの尊さを知った」と述べている。
次の人明かりの旅は、三鷹の画廊で宮澤賢治の世界を語る旅である。これは山本萠さんのおかげで決まった。この旅にむかってまた語りの精進を行ってゆくだけだ。
小笠原眞さんよりカンパをいただいた。ありがたい。
今日は日暮里で坂井信夫さん熊谷さんと会う。画集の打ち合わせである。亀岡新一詩集の製本が上がったと保坂さんより連絡があった。生きていることの有り難さを身に沁みて感じる。

2009年9月14日 (月)

田川紀久雄日記

朝起きて直ぐに昨日のライブのビデオを観る。市島三千雄さんの語りにももっと工夫していかねばならないと感じる。坂井のぶこさんと聲の出し入りを上手くしていければそれなりに聴かせるものができるように思えた。それと私の講演はやはり上手くない。苦手だ。でも癌のことについては仕事がきたら話してゆきたい。失敗を繰り返しながら成長していくしかない。宮澤賢治の朗読は皆さんが歓んでくれたことはありがたい。涙を流しながら聴いてくれた人もいた。みなさんおあたたかい声援が身に染みてありたがった。市島三千雄さんの語る会の皆様にビデオを作製して渡したいと思っている。
二次会にも十数人も集まっていただき有り難かった。日曜日は午前中に坂井さんお姉さんに案内してもらいワイン工場見学をした。午後に鈴木良一さんと斉藤さんと駅前で待ち合わせて一時間ほど話せた。癌になってから二度も新潟に行けたことは不思議に思える。あれほど新潟に遠かった私がいまはまじかに感じられる。坂口安吾もこれから読んでみたくなった。これからも人明かりの語りを求めて旅ができることを祈りたい。

2009年9月13日 (日)

田川紀久雄日記

新潟から六時三十分に帰宅する。
昨日のライブには大勢の人たちが集まってくれた。本当に感謝をしたします。市島三千雄さんお詩語りも評判が良かった。こんなありがたいことはなかった。鈴木良一さんや会の人たちに熱く御礼を申します。それに新潟県現代詩人かに方にも感謝。そして会長の田中さんにも最後まで付き合っていただき有難うございました。そして坂井のぶこさんのお姉さんにも大変ご迷惑をおかけした。この旅のイベントにも協力していただいた。この度の思い出は深く胸に焼きつかれる。それだけ良いライブであった。

2009年9月12日 (土)

田川紀久雄日記

昨日はあまり眠れなかった。今日新潟で語りと講演ができることは本当にありがたい。一度も人前で講演を行なってことがないので不安感はある。これも良い経験につながる。いろんな人に助けられて生きている。そのことに感謝をしなければならない。私も困っている人たちに手を差し伸べていきたい。そしてもっともっと語りの豊かさを求めていかなければならない。努力を続けていけば必ず報われるものだ。それには耐えることの精神力が求められる。それさえ出来れば、生きてゆくにの何の不安もない。
高校生の就職が大変である。仕事がない。失業率がますます増えていくばかりだ。これは政治だけでは解決できない。しかし政治の指導力が大切である。自然を生かす仕事を増やしていくことがいま求められているのではなかろうか。日本の職種の中で職人が消えていく。職人が生きていける社会を生み出す世の中になってもらいたい。家を建てるにも組み立てのうさぎ小屋では職人は育たない。もういちど日本の文化を見直す必要がある。語り芸も日本の文化の一つであった。それがほとんど消えかけている。人に優しく語りかげる文化は、語り芸の原点でもある。人の心を思う気持が人の心の豊かさにつながってゆく。義太夫では情を語るとが一番大切なことであるように。
明日のブログ日記は夕方になります。

2009年9月11日 (金)

田川紀久雄日記

三ちゃんの仔猫が五匹元気に育っている。鋼管通交差点の産業道路寄りにゴミ捨て場がある。そこで餌をあさっていた。猫の餌をもっていって与える。とても可愛い仔猫たちである。生きていくことは大変だと感じる。たくましく生きている姿をみると私も勇気付けられる。浜川崎のランランにも五匹の仔猫がいる。鶴見線沿えに隠れて住んでいる。お父さん猫がこの仔猫の世話をしている。不思議な光景である。こちらも元気に育っている。猫を飼ってみたいが狭い部屋では無理だ。それに私がどれだけ生きられるか解らない。
いま星と仔猫を見ることが一つの生き甲斐になっている。心が疲れている時の癒しになる。急に夏が終わって秋になったせいか、心にぽっかりと穴が空いた気持だ。夏の疲れが一気に押し寄せてきたのかもしれない。
ここ数日、腿のつけ根のリンパ腺が痛む。ちょっと歩くにも不便である。まさか癌の転移ではないだろうと思う。癌を抱えていると、身体の痛みを感じると不安に煽られる。九月二十四日に血液検査がある。末期癌であることは、無意識にも心の負担が大きい。それが疲れにもでてくるのだろう。そして精神的不安にもかられてしまう。日々の語りの稽古にもやや疲れを覚える。イチローの生き方を見ているとやはり凄さを感じる。どんなときにも練習に打ち込む姿勢はなかなかできないものだ。そこが普通の人と違うところだ。私も人明かりの世界に向けて頑張って生きてゆかねばならない。
池山吉彬さんと井原修さんから原稿が届く。
詩誌受贈『雨期・53号』『たまたま・18号』

2009年9月10日 (木)

田川紀久雄日記

四時に起きて空を見た。オリオン座・アオイヌ座・うさぎ座・はと座が美しく輝いていた。川崎の空で初めて見た。これから三時頃に起きて夜空を観察するのも楽しいものになる。鬱的なときには、夜空の星々を見るのは心を落ち着かしてくれる。
語りを呼んでくれることに対して、私が出来ることはただただ日々の精進を舞台に乗せることしか出来ない。呼んでいただけることは本当にありがたい。私達の語りが聴きたいという中で行なえることが望ましい。人の心をなごませるものを作り上げていくことだ。
唖蝉坊の聲もやさしく美しかったという。あの顔の写真を見る限りそのようには思えないのだが、生き残ることには、ただ怒鳴っていたのでは飽きられてしまう。人の心をすくい上げていく聲を持たなければならない。詩語りを世の中に広めていくには、やはり多くの場所で語ることしかない。末期癌と関係なく、語りそのものの魅力を作り上げていくことだ。あとでこの人が末期癌であったのかと気づいてくれればそれでよい。末期癌を売り物にした興行は行ないたくはない。
市島三千雄さんの詩を語っていて気づいたことは、難解な詩でも言葉の一つ一つを丁寧に語っていければ、詩のもつリズムや言葉の豊かさを表現できる。そこに気をつけて語りの世界を構築するしかない。そう思って語ると不安であったものが消えてゆく。十二日には市島三千雄さんの詩を数編語ることに自信がもてる。

2009年9月 9日 (水)

田川紀久雄日記

毎月倒産が100件以上もある。失業者も増加の一途であるという。それと天候不順で野菜農家は大変な状況にある。減反も石破農林大臣も減反を勧めたが反対勢力で潰された。日本の食料自給率は40パーセントである。先日松之山に行ったが、田圃が減っている。農家が安心して農業ができる方法はないのだろうか。新しい政府がどこまでできるのか、不安であるがいくらか期待をしたいものだ。
嶺31号を印刷場に送る。信仰をもっている人たちの生き方には、生きる美しさを感じる。いまこの生きる美しさが失われている。鬱になる原因もこの美しい生き方ができないところにある。宗教でも御神体を100万で売りつけるひどいものもある。信仰は観念のもんだいではない。あくまで心の問題である。この心を脳の作用と受け止める考え方がどこか間違っているような気がする。心の問題はその人の生き方そのものである。無意識の領域も多いはずだ。脳の判断力だけで心をとらえるのは危険である。
高橋馨さんがブログでルソーの「エミール」について書かれている。とても興味深い。人生の生き方そのものを学んでいる時が一番幸福感を味わえる。この幸福感をどうしたら語りの聲に生かされるのか。心をもっともっと見つめる生き方の中からしか聲の豊かさが生まれてこないのかもしれない。

2009年9月 8日 (火)

田川紀久雄日記

イチローが2000本安打を達成した。大変な記録である。これを可能にしたのは、日々の練習しかない。テレビで彼は毎日同じことをくりかえしているのに・・・というコマーシャルある。この毎日がなかなか出来ないのが普通のひとの限界である。これをやりぬく精神力が天才をつくりあげる。初めから天才などいない。また毎日練習したからできるともいえない。目的を持たない練習など何の意味もない。つねに目標をもって努力することが一つの成果に結びついてゆくものである。
人明かりの聲を生み出すためにも、目標をもって毎日の繰り返しが要求されている。ライブを行なったから上手くなるものでもない。その前にどれだけ日々精進をしているかが、ライブの質を向上させていくものである。ひたすら聲を出し続けてゆく以外にはライブを成功させることはない。朗読をする詩人達がどれだけ日々聲の精進を積んでいることかわからないが、今のところ私の心をうつ聲を聴いたことがほとんどない。『詩人の聲』に参加している詩人達の噂が広がっていかないのは、個々の努力がたりないせいなのかもしれない。天童氏がひたすら聲を打ち込めといっているが、本当に真剣になって聲を打ち込んでいる詩人が何人いるのだろうか。まだまだ時間がかかるだろうが、日々聲を打ち込んでいる詩人はきっとその成果が現れてくる日があるだろう。そのような詩人が出現してきてもらいたいものだ。
民主党のマニフェストに書いたことの中でも、高速道路の無料化は変えても良いのではなかろうか。国民の聲を聴くことはマニフェストを変えたことにはならないと思う。国民の目線というからには、国民の聲につねに耳を傾けることも必要なのである。つねに謙虚である政治が求められているのではなかろうか。

2009年9月 7日 (月)

田川紀久雄日記

季節の変わり目なのか身体がちょっと辛い。そのせいか鬱的状態に落ち込んでいる。もうすこし緊張感をもって生きなければいけないとおもうのだが。
語りの稽古を行なうにはこれから良い季節を迎える。暑くもないし、寒くもない。市島三千雄さんの詩の語りはやはり難しい。それは詩に原因があるのだと思うが、行なう以上納得のいく語りを行ないたいものだ。
九月十日は自殺予防デーである。欝は自分の力だけではなかなか治らない。酷い鬱に落ち込んだら病院にいく以外にはない。自殺者は相変わらず減る傾向にならない。政治の力でどれだけ減らせるのか。民主党は早く、失業対策を講じなければならない。いままでの自民党があまりにもいい加減でありすぎた。景気を上向きにするのはどうしたらよいのか。生活の不安が一番鬱の原因になりやすい。
末期癌者の痛みのケアーがまだ今の日本では対策がたてられていない。末期癌は医師の手で治せないと、病院から追い出される。この一味のケアで、金儲けをする企業がでている。モルヒネの治療が簡単に受けられるようにできないものだろうか。緩和医療機関があまりにも少なすぎる。生活と医療の問題を早く解決してもらいたいものだ。これは政治の力でしかできない問題でもある。国民はどこまで民主党の政策を信頼していけばよいのか。今の日本は多くの問題が山積みにされている。
私に出来ることは人明かりの語りを目指して精進していく以外にはない。じぶんにしか出来ないことを目指して日々努力していくことが、今を生きるということに通じる。鬱に負けないように今を真剣になって生きよう。

2009年9月 6日 (日)

田川紀久雄日記

操車場の印刷と製本の仕事で疲れができたのか、昨日はほとんど寝てしまった。無理をすると身体の調子がおかしくなる。寝すぎたせいか心の中が空っぽになっていた。
ある宇宙科学者は、死とは、肉体から心が消えてゆくことだ、と言っている。私はそのような考え方を受け入れることは出来ない。肉体から心が消えてゆくが、心そのものが消えてゆくとは思えない。心の形を表面的に残すこともできる。それは例えば芸術的な表現の中に心の痕跡は残せる。でも本来の心とは無であって無でないものとしかいえない。神は存在するとか、しないとかの問いは虚しい問いである。仏教などでは、仏は自分自身の中にあるという。病に犯されているひとには、宗教観をしっかり持っているひとは、持たないひとより免疫力は違う。魂は生きているあいだだけのものという考え方はとても寂しいものだ。
自然の営みを観察していると、そこにはつねに神秘を感じてしまう。神秘という字も神と秘密の字の秘の組み合わせである。この神秘という感覚を大切にしてゆくことが必要なのではなかろうか。
詩の語りの世界も、この神秘を求めての旅なのかもしれない。眼に見えない深い世界を求めて生きることが生きる勇気を与えてくれる最大の要因であると思う。今週の土曜日にライブがある。心を励まして毎日生きていたい。

2009年9月 5日 (土)

田川紀久雄日記

操車場28号が出来た。発送も行なった。山本萠さんのおかげで年間購読者が増えた。本当にありがたい。読み応えのある詩誌をめざしていかなくてはならない。
いま南極の氷がとけるのが思っていたより進んでいる。もう経済優先の世界では未来の地球が危ない。川崎も数百年ほどで水浸しになることもありえる。高速道路の無料化はいかがなものかと思う。一日もはやく電気自動車の普及になれば話がちがうのだが。横浜市ではコンビニに電気のスタンドができた。まだ数は少ないが商業地には必要だ。未来の地球のことを思ってこれからの経済発展も質を変えていかざるを得ないだろう。
神戸の島田画廊の島田悦子さんが胃癌でなくなった。末期癌の宣告を受けたのが、わたしとほぼ同じ時期であった。島田誠さんが神戸文化支援基金を設立した。市民が支える芸術を目指している。この話は山本萠さんから送られてきた新聞で知った。
私の周囲でも癌で亡くなっていく人がいる。こうして今も生きていられることが不思議な気がする。癌患者達への支援を詩語りを通じて行ないたいと願っている。生も死も同じ地平にあることを伝えてゆきたい。キリスト教では亡くなったらおめでとうというという。それはキリストの側にいけるからだ。死は決して悲しいものではない。それも一つの尊い考え方である。死を身近に感じて生きていくことも素晴らしい人生だと思う。いのちの尊さを身体全体で受け止めて日々が送られる。これほど素晴らしいことはない。生の深さを詩で表現してゆきたい。詩人達にはそれほど相手にされないが、今の私に出来ることをして生きていたい。

2009年9月 4日 (金)

田川紀久雄日記

楽天を応援しているのだが、西武に二連敗をしてしまった。なんとしてでもパリーグの三位に入りたいものだ。
民主党の幹事長に小澤氏に決まる。やはり小澤氏の権力の重さを感じてしまう。どこまで政治の質が変えられるのか、見守っていくしか今はない。政治の体制は、国民が変えられるのだという意識をもって、それを実行したことが今度の選挙の大きな意味であった。でも国民の都合だけで政治が変わるのも、政治そのものを危険な状態に陥れることにもなる。ここが政治の難しさであろう。そのためにはもっと国民が賢くなっていく必要がある。でも大衆の原点は個人主義である。個人の幸福の上に政治をみてゆく。個人の幸福は、すべての人たちが幸せになることによって、本来の個人の幸せが持たされるものなのだ。いのちの大切を見つめていけば当然そこに行き着く。
操車場にあと二人の書き手が増えないと、経費の面で赤字である。毎月作品を書ける詩人はそう簡単に見つからない。
詩語りの仕事も、どうしたら増やすことができるのだろうか。生活費を稼ぐためにも努力しなければならないのだが、詩人である私は営業にたいしてはまったくの無能である。だれかマネージャーが欲しいものだ。そのためにももっと精進をしていかねばならない。本当に人の心をうつ語りを行なうことしかない。生活費が稼げるだけの仕事を取りたいものだ。

2009年9月 3日 (木)

田川紀久雄日記

民主党がまだ現実に動き出していないのに、報道ではあれこれと非難や不安を煽り立てている。これは国民が選んだ政党なのだから、あたたかく見守っていくことが必要である。ジャーナリズムが今の日本を悪くしている。テレビに出てくる解説者や評論家はロクな人ばかりだ。
やっと操車場の原稿が揃った。今日と明日で印刷と製本を仕上げたい。日曜まで送れるように頑張ってみよう。
癌の治療に、鐘の音や自然の音が脳に刺激を与えて良い効果が現れるという。癒す音色は確かに免疫力を高める力がある。人の聲も当然人の心を癒すものがある。癒す聲とはただ聲が大きければよいというものではない。温みのある心からうまれてくるあたたかい聲である。それは日本人が生み出してきた芸能の聲も免疫力を高める。丹田から発した聲である。詩人達が発している聲とはほど遠い聲である。いまの詩人達の多くの聲は人の心を苦しめる聲である。それは聲を鍛えていない、生の聲であるからだ。美味しい水でも六年十年と山の中に蓄えられ濾過しか水は美味しい。それと同じように聲も長い年月をかけて作りあげていくものである。一年や二年で聲が出来るものではない。生涯をかけて作りあげていくものである。それも日々の精進があってこそ、生きた聲が生まれる。人明かりの聲はそのような聲である。

2009年9月 2日 (水)

田川紀久雄日記

政権が交代したにも関わらず自民党は、駆け込みの天下りを行なっている。これでは自民党は立ち直れないだろう。国民を無視してきた政治がこの度の敗北の原因である。そのことぉ謙虚にうけとめなければならない。消費者省の立ち上げもおかしなことだ。自民党はまさにブレーキのかからない暴走列車以外なにものでもない。麻生政権ではどうにもならないことがわかっていたのに、これをい停める運転手がいなかった。
弦楽四重奏曲はベートーベンもよいが、ブラームスの曲も良い。狭い部屋で聴くには交響曲より室内楽がやはりいい。音楽は一日中聴いていてもあきない。できることなら良いステレオの装置がほしい。柔らかく温みのある音が欲しい。
熊谷さんと夕方に西日暮里で会う。亀岡新一画集の別冊のフロッピーを渡すことにしている。
市島三千雄詩集を読み込むことは大変である。十二日まで自分なりに納得のいく語りの世界を作り上げたい。踏み込んでいくほど難しくなってゆく。まるで迷路のような世界である。いろんな詩人の詩を語ることで、詩の心の深さを体験できる。詩人たちは自作詩だけ朗読をしていては、本当の朗読の醍醐味を知らずに終わってしまう。聲の深さを知るためにも多くの詩人の詩を聲に乗せてゆくことが求められる。聲というものは出せばそれでよいというものではない。聲の心を掴みとってゆく努力が大切なのである。人の褒められることより、自分の聲を少しでも深めることに精進をしてゆくことがいま求められているのではなかろうか。
音楽を聴くことも、聲を磨くに役立つ。いい演奏は深みと温みを持っている。朗読や語りも深みをもっともっと努力をしていかないと、人々から無視されていく運命になってしまう。

2009年9月 1日 (火)

田川紀久雄日記

今日から九月だ。台風もそれほどの被害もでずに通過していった。身体の疲れも抜けてまた頑張って聲の精進をしていかなければならない。
よい意味で二大政党が熟成していけば、国民が政治というものを身近に感じられるようになる。しかし、二大政党だけでは、本当の国民の聲を救い上げることができない。他の党もやはり必要なのである。世界の国は二大政党から三大政党に移行する国も現れている。そういう意味では、まだまだ日本は政治が未熟である。まずアメリカの傘の下から抜け出ることが必要である。軍事の問題が大きいが、やはり憲法九条を守っていく姿勢を忘れてはならない。風の流れで政局が大きく変化するのも考え物だ。でもこの度の自民党の敗北が、国民の審判をうけずに、盥回しの首相では当然国民の怒りをかうのは当然であった。
嶺31号の校正ゲラを坂井信夫さんに送る。仕事があることはありがたい。次の詩集を作るための資金をためなければならない。『未来への旅』三部作が完了できる。これは私の代表作になると思う。そしてこれを多くの人の前で語ってゆきたい。

2009年8月31日 (月)

田川紀久雄日記

昨日は疲れでほとんど横になったままである。台風が今日関東地方に来る。
民主党が圧勝した。これはいままでの自民党の政治に夢が託せなくなったからのことである。民主党そのものお応援したからではない。ここにいまの政治の大きな問題が隠されている。これからは国民一人ひとりが厳しい視線を政治に向けていくことが求められている。
それに対して詩人の世界は、相変わらず国民から無視されつづけている。現代詩手帖派も詩と思想派も、いまは国民のだれも一人も支持はしていない。出版社の商売としてしか存在していない。詩人は信念をもって一人で生きていく世界なのである。詩人の聲は詩人達のためにあるのではない。生きていく人たちの為にある。本当にいのちを語れる詩人でありたい。そのためにももっともっと精進をしていかなければならない。
市島三千雄の詩を語ることの喜びをいま感じている。どうしたらこの世界を表現できるか。ただひたすら聲をあげていくしか今のところはない。彼の詩は決してシュールの世界ではない。かれの内的世界から生まれてきた世界である。その内的世界を丁寧に辿りながら聲を生み出していければ、人に聴かせることのできる語りの世界が生まれるはずだ。この作業に取り組んでいる私はとても幸福を感じる。難しく大変な世界であるが、難しいほど自分の生命力が湧き上がってくる。市島三千雄の世界を納得のいく朗読ができる詩人がいるのだろうか。語りは朗読と違って、言葉をアナウンサーのように丁寧に読めばよいというものではない。あくまで内的世界の探求が求められる。つまりいかに味をだしていくかということだ。そのためには何千回と読み込むことからしか始まらない。語り込むことで言葉の一つ一つが身体を帯びてくる。
市島三千雄と竹内多三郎は同じ明治四十年生まれである。そして坂口安吾が明治三十九年である。詩人の二人は二十代で優れた詩は書き終わっている。そこには時代の重さが隠されてある。

2009年8月30日 (日)

田川紀久雄日記

朝目が覚めたらどっと疲れがでた。身体全体がつらい。
本当に生きていない人間が、頭で詩をかいて一体どうなるのだろうか。身体と詩と言ってみたところで、頭で考えた身体なんて何の意味ももたない。言葉のまえに身体があることを忘れている。
この一ヶ月、芸能人の麻薬問題で、選挙戦のニュースがすっ飛んでしまった。日本の民間の放送局は最低である。政治改革云々以前に、自分達の報道の改革が必要ではないのだろうか。たんなる野次馬報道では困るのだ。日本そのものが沈没寸前なのに、グルメ番組やクイズ番組でお茶の間をにぎわしている。人を馬鹿にしているのかといいたい。
失業者が増えているのに、何の対策も打てないでいる。民主党が天下をとってもこの問題は簡単には解決しない。一度は政権を変えてみたい気持は国民には大いにあるだろうが、政治家がどれだけ日本の未来を考えて行動をしているのか疑いたくなる。
詩人はひたすら茨のみちを一人であるいていくしかない。これが詩人の原点なのである。名もないことは素晴らしいことだ。孤独の中でこそ詩が耕されていく。詩という田畑は、手を抜いたら実が
ならない。毎日毎日黙々と耕し、大地と対話をしていかなければならない。人の顔色を伺ったってどうにもならない。人にけなされてどうも有難うというの気持が大切なのである。人に馬鹿にされて有難う、と言って生きているのがいいのだ。心を見つめて生きていくということは、無垢になって生きていくことでもある。こうして一瞬を生きていられることに感謝する。生きていられる生に感謝をする。人への愛もそこから生まれてくる。詩の生まれるふるさとがある。

2009年8月29日 (土)

田川紀久雄日記

浦谷住んでいたことのある保坂成夫に連れられて松之山浦田に行った。高速道路の湯沢で降りて山を越えて松之山に入っていった。大変なところだ。湯の島温泉で一泊する。たぶん竹内さんの家の近くであろうとおもわれる。でも誰も竹内さんのことを知っている方には誰にも会わなかった。農協のそばにあった竹内さんの家の土蔵は二年まえに取り壊されていた。そこに佐藤さんという方が以前住んでいたが、いまはその家には誰も住んでいない。小学校も農協から直ぐ近くにある。坂口安吾がいた記念館にも帰りに寄った。我がいえに九時に帰りついた。よく身体が持った。自分ながら感心した。保坂さんにいろんなところを案内してもらった。

2009年8月28日 (金)

田川紀久雄日記

ホームレスが名古屋に集まっていくという報道を見た。ちゃんと対応してくれる。人間として扱ってくれる。本来生活保護を役所で拒むことは違法なのである。そこの生活保護課が都合でホームレスの人たちを拒否しているだけの話なのである。この原因を招いたのは政治と企業の責任なのだ。どの党もこの問題を取り上げていない。何が国民の生活を守るのだ。ふざけたことを言うなと叫びたい。黒いハトとか白いハトとか行っている。ハトはハトでしあない。政治家が正義などという言葉を言い出したら危ない状態である。
ホームレスのおじさんたちが踊りをしている。アートを通じて人間とは一体何なのかを追求することは大切なことだ。
マンガ家の卵達が集まって本を売ってそれで生活をしている人もいる。詩人なんかよりエネルギーがある。生きていくことはそんに生易しいものではない。自分自身との闘いの中でこそ生きられていくものがうまれてくる。末期癌である私は明日のことより、いま生きていることの意味が必要なのである。一瞬一瞬の中に人生の生きる歓びを見つけている。そして困って生きている人たちの幸せを祈っている。祈るしかなくても、その祈りは必要なのである。祈ることによって自分も強くなってゆく。そのことが大切なのである。
今日午後から松之山まで出かけてゆく。明日の夕方に帰る予定である。

2009年8月27日 (木)

田川紀久雄日記

リストラの嵐がいまも猛烈に続いている。一度仕事を失うと、二度と正規社員になれる機会を失う。年金や保険料など払えなくなる人が増えていく。これからの福祉政策が難しくなる。お金をばら撒けばよいという問題ではない。真から安心して生きる社会を作るには経済の発展がなくては不可能である。私のような貧乏人が増えれば、何も買えない人間になってゆく。そうすれば経済はますます冷え込むだけだ。
山本萠さんから石橋幸コンサートのチケットが送られてきた。石塚俊明さんお前の奥さんではないかと思う。以前一度お会いしている。石塚さんとは梅崎さんとの関係で何度か飲みあっている。萠さんが石橋幸さんのお知り合いとは。
市島三千雄が竹内多三郎と同じ年に生まれているとは奇遇だ。(明治四十年)
市島三千雄さんの詩を聲に載せるにはやはり至難なことだ。聲を出せば朗読になるという次元の問題ではない。十二日までには、数編しか語れないだろう。一年かけてじっくりと取り組んでいかにと自分の語りにはできない。言葉の内面をどれだけ聲で表現できるかということである。宮澤賢治や中原中也は十年以上もかかってここまできた。他者の詩を聲に乗せることはやはり大変なことである。朗読なら言葉を丁寧に読めばよいのかもしれないが、語りとなると朗読とはまったく別な次元の問題である。整体協会での語りも、聴いて初めて語りの意味がわかったといってくれた。『詩人の聲』から外されたのも、他の詩人達と違うからだろう。それでよかったのだ。
末期癌になってこうして元気に生きているのも、語りの世界を精進しているからだと思う。病と闘っていくことを決意したよって見えてくるものが一杯ある。その一つは、人の心である。優しさを持っているひとと、自分勝手な人との差がはっきりと解る。これは大変面白いことだ。

2009年8月26日 (水)

田川紀久雄日記

いまホームレスの人たちの生きていける場が失われている。南池袋公園も取り壊しになるという。炊き出しの場も失われてゆく。住民とのトラブルが起きるからだ。世間は思っている以上に冷たい。どう政治がかわっても、底辺で生きている人たちのあり様は変わらない。語りでは、彼らの生き方をどうすることも出来ない。とても悲しい。仕事を探しても何処にも採用されない。街中を歩けば買い物の人で賑わっている。だれもホームレスの人たちのことを考えていない。このたびの衆議院選挙でもこのことを聲を出して言う人はいない。友愛という言葉から切り捨てられている人があまりにも多すぎる。
でも私は詩語りの道を進んでいくしかない。人明かりをもとめていてもどうすることが出来ないことが多すぎる。私の周囲にも癌にかかっている人たちが増えている。早期発見が癌治療には有効なのであるといわれている。私のように末期癌と宣告された人たちが生きて行くには、強い生命力しか癌の治療方法しかない。普通の人たちは、それほど生きる勇気を持つことができないでいる。何も出来ないが、こうして生きている姿を表現していくことしか私には出来ない。人はいろんな事を言うが余り気にしないことだ。詩語りの世界が深まっていくことがきっと人明かりの道に通じているはずだ。それを信じて今は生きてゆくことである。

2009年8月25日 (火)

田川紀久雄日記

市島三千雄詩集が送られてくる。まずパソコンに移すことから始める。打つことで一字一句が見えてくる。手書きが一番よいのだが、手が痺れているのでそれは出来ない九月十二日なので、納得のいく詩語りをおこなうには数編しかできそうもない。
八月二十八・二十九日に松之山浦田に行くことをきめる。どうしても竹内多三郎さんのふるさとを見ておきたい。
小杉妙子さんよりお手紙をいただく。また来年の四月頃に行ないたいとのことだ。本当にありがたい。そのためにも少しでも深いものを行なわなければならない。いままで以上の精進をしていかねばならない。
亀岡新一詩集の件で、FAの書体がどこにもない。熊谷さんと西日暮里まで私のノートパソコンを持っていってデーターを保存してもらいにいく。これが上手くいくのかが心配である。新しい方法で印刷を行なうには、やはりいろいろと面倒なことが出てくる。これをクリアできれば印刷も新しい可能性が生まれてくる。そうすれば私の『末期癌ブログ日記』の本も出来る可能性が生まれてくる。そのためにも出前の詩語りの仕事を増やしてゆきたい。
昨日の新潟の日大文理の野球は凄かった。あと一点で泣いたが、これでよい。だれもが想像しなかったことをやり遂げたのだ。つねに諦めない精神がどんなに人生を素晴らしいものにしてくれるかを教えてくれた。新潟の人は耐えることには何処の人よりもある。やはり雪国の人間の強さが。私も新潟生まれだ。詩語りも忍耐との勝負なのである。人明かりを目指して自らを磨いてゆくだけだ。

2009年8月24日 (月)

田川紀久雄日記

蒸し暑い夜が続いている。寝たのか寝ていないのかわからない夜である。身体がつらい。
泉谷栄さんから沢山の食品が送られてくる。とてもありがたいことである。いくらかでも食事代が減れば、銭湯に行ける。語りの稽古で汗をびっしょり掻いたときはやはり銭湯に行きたくなる。市島三千雄さんの詩がいくらか語れるようになってきた。赤い旗は海が荒れたときに漁師がたてるものである。そして白い旗は海にでられる合図である。蒲原の田園を描いた佐藤哲三の絵を思わせる。まだ市島三千雄詩集が送られてきていない。早く詩集を読みたい。
柴野毅実著『凝視と予感」(玄文社)が送られてくる。とても読みやすい美術評論集である。私の好きな画家が紹介されている。木下晋さんを柴野さんに紹介したのは私である。紹介して良かった。長谷川龍生さんも木下さんと一緒に八月に柏崎で講演をしている。このきっかけを作ってくれたのが鈴木良一さんである。そして今度、私が新潟市で語りを行なうことが出来る。人に関係は繋がってゆく。そのためにはやはり本物になることが大切である。鈴木良一さんと泉谷栄さんとも友達である。まずは人を信用することだ。ハッタリの人生では本当の友達づきあいは出来ない。私の周りにはたくさんの友達がいる。本物の語り芸人になることによって、もっと友達の輪が広がっていけそうだ。

2009年8月23日 (日)

田川紀久雄日記

国の予算が余っているのではないのに、自民も民主も派手な金のバラマキでは未来の日本が不安である。前の小泉内閣で、福祉の徹底的に予算を削ってしまったおかげで歪んだ社会が生み出された。福祉で働いている人たちの生きる希望すら取ってしまった。なんでも行過ぎた政策が世の中を駄目にする。
市島三千雄さんの詩を読んでみたが、なかなか難しい。自然の描写が凄い。ある意味では朗読を寄せ付けないものがある。詩の内側から攻めていかないと語りきることはできない。だからこそやりがいのある世界だ。十二日までどこまで語りきることができるか不安でもある。
こうして今なお生きていられるから市島三千雄の詩との出会いがある。癌に負けないでいきることの素晴らしさを感じる。詩の内面をいかに聲にだしていくかが詩語りのいのちなのである。ただ聲が大きければよいというものではない。大切なことはいかに聲にいのちをつぎ込んでいけるかということである。ただ聲が大きいだけでは聴く方が疲れてしまう。人の心を揺り動かす語りをしてゆきたい。いま生きられていることの大切さを感じながら、つねに精進していく以外にはない。生きていることは素晴らしいことだ。この素晴らしを感じられることが生きる歓びの秘訣である。

2009年8月22日 (土)

田川紀久雄日記

昨日の夕方川崎で熊谷さんと会う。活字のソフトを渡す。
昨夜は蒸し暑くあまり眠れなかった。
高橋馨さんの原稿がメールで入る。パソコンは本当に便利である。でも私はパソコンが苦手である。ホームページも出来ない。それにいろんな動作がわからない。パソコンでビデオをDVD化したくでも出来ない。つまり面倒くさいことが嫌いなのである。最低限のパソコンしか出来ない。それに解説書読んでもチンプンカンである。パソコン用語がまったく理解できない。
鈴木良一さんに電話をいれて市島三千雄詩集を送ってもらうように頼む。できれば九月十二日にいくらか詩語りを行ないたいと思っている。といっていい加減な語りだけはしたくない。何篇読めるか解らないが、納得のいくものを作り上げたい。言葉と身体が一致になれる語りを目指していかねばならない。頭で物事を考えていてはいつまで経っても本当の語りはできない。身体に浸み込ませることから語りが始まるのだ。そのためにはひたすら同じことを繰り返すしかない。一篇の詩でも何千回も聲に出して読むことで、その詩の一部が解り始めてくる。たったの一ミリ進むことがいかに大変なことなのか、だからこそ精進することが楽しくなるのだ。つねに迷いの連続である。迷いが語りを深めてくれる妙薬なのである。

2009年8月21日 (金)

田川紀久雄日記

昨日は納得のいく語りができた。皮が一枚剥がれた感じがした。初めて詩語りを聴く人たちで心配もしたが、皆さんが真剣になって聴いてくださった。本当にありがたい。岩波で山鹿さんの本のお販売を担当している人もいた。踊りをやっている人もいた。説教節の若松若太夫さんの聲を聴いた人もいる。皆さんがとても耳が肥えている人たちばかりだ。その中で詩語りが出来たことは最高の歓びであった。坂井のぶこの語りも良かった。浜川崎の自然を語った。これで私達は自然といのちについて語ってゆける見通しがたった。小杉さんに感謝するだけだ。
精進をしてきたことがいくらかでも報われた。『詩人の聲』から外れたことも気を楽ししてくれていた。肩に力をいれなくても自由に聲が出せたことはこれからの生き方に大きなプラスになる。
鈴木良一さんから市島三千雄生誕百年祭記念誌が贈られてくる。『ひどい海』とてもいい詩だ。驚く。新潟にもこのような詩人がいたとは。鈴木さんから『ひどい海』を語ってもらいたいとの依頼がある。ありがたい。鈴木さんとの縁から市島三千雄さんの詩が語れるなんて夢のような話だ。私達のレパートリーに加えられる。私も越後の生まれだ。まだまだ私のは残された仕事があるらしい。癌に負けてたまるものか。語りの夢が広がっていく。これからも生きる勇気を与えられる語りを目指して精進をしていくだけだ。

2009年8月20日 (木)

田川紀久雄日記

午前中に病院。夕方横浜の整体稽古場で詩語りライブ。
本当に聴いてくれるライブを目指して生きていたい。言葉を読むのではなく身体の奥から生まれてくる言葉を聲にして伝えてゆきたい。言葉で言うのは簡単だが、それを行なえるになるにはまだまだ精進を続けていかなければならない。それが出来れば自然と語りの仕事も入ってくると思う。才能のない私にはひたすら努力以外にはない。
一日でも語りの稽古をしないと気分が悪い。聲を出すことで心が洗われる。その日その日によって語りが違う。まったく同じに語ることができない。ちょっとした心の動きで語りが違ってくる。だからライブはいつも緊張をする。
このところ語りながら詩をもっと書かなければならないと感じている。本当に世の中に伝えたい世界を書きてゆきたい。そのことで語りの世界を広げてゆける。死の不安を取り除ける世界をかたらなければならない。無という言葉の概念ではなく、無そのものの実態を語らなければならない。詩の力はそれを持っている。
鈴木良一さんから新潟ライブの交通費が送られてくる。この暑さに負けずに精進をしてゆくしかない。本当に人明かりの旅ができることを願って生きていたい。

2009年8月19日 (水)

田川紀久雄日記

朝コンビナート基地か石油の匂いが部屋の中に入ってくる。窓が開けられない。川崎はどきどきこの匂いに襲われる。やはり今も川崎は公害の街である。産業道路も車の排気ガスで息苦しいさを感じる。車も早く電気自動車になってもらいたい。
玉川信明の「日本のアウトロー烈伝」は読みやすい。辻潤を読んでいて、臼井さんの『安曇野』がとても参考になる。明治・大正・昭和を生き抜いてきた人たちの話はとても興味深いものがある。。それにくらべると、平成の時代は人間の生きる味を薄くしてしまった。文学が読まれなくなったことも頷ける。人間に魅力を感じないのだから、文学が成立するはずがない。まして本物の詩人などどこにも存在していないのだから、社会からそっぽを向かれるのは当たり前である。詩人になる以前の人間に魅力がない。大学の先生とかつまらない人間が詩人づらをしている。詩人には社会的知名度などまったく必要としていない。ただただ人間として烈しく生き抜くことだけが求められている。いまはそのような人間などどこにも見当たらない。そういう私にしても詩人としての資格がないのかもしれないが、詩語りに全身全霊で生き抜いている。そしていまは末期癌を通していのちそのものと向きああいながら詩を生み出している。貧乏という点では詩人として資格があるかもしれない。
魂を込めて詩を語れる詩人がみあたらない。情けない話だ。自作詩ぐらい魂を込めて語ってもらいたいものだ。

2009年8月18日 (火)

田川紀久雄日記

内面的な聲を出すのはなかなか難しいものだ。最近聲を張り上げるというより、心の奥からでてくる聲に重点を置いている。八月一日に行なったネパール音楽と朗読のDVDを観たがいまひとつ何かが足りないような気がする。語れば語るほど下手になって行くようだ。この下手であることを素直に受け入れれば良いのだがなかなかそうにはなれない。上手く語ろうという気持が語りを駄目にしているのかもしれない。
手の痺れや腰の痛みで「八味地黄丸」を買ってみた。ちょっと高いが二十日のライブのためには少しでも体調を良くしておきたい。抗癌剤の副作用ならいくら薬を飲んでもしょうがないのかも知れないが、腰の痛みだけは緩和したい。
今日衆議議員選挙の公示であるが、いまひとつ気が乗らない。政治は変えていかなければならない。それがどのように変えていくのかが見えてこない。ローム時代の政治をみていくといまの日本の政治は、国も国民もあまりにもばらばらすぎる。中途半端の豊かさが、国民を貧弱にしている。本当の豊かさは物の豊かさではないはずだ。これほど心の貧しさを露呈している時代はないのではなかろうか。だからこそ私は内的な聲の力を追い求めてゆきたい。人の心を豊にできる語りの世界を求めて生きてゆきたい。朗読で人の心を苦痛にさせる朗読なんてとんでもない話だ。詩人の知名度なんて朗読の世界では関係がない。あくまで自己に向かって闘っている詩人こそが求められているはずだ。人々は心を豊にしてくれる朗読を期待している。そのためにはひたすら精進していくしかない。

2009年8月17日 (月)

田川紀久雄日記

田中眞由美さんと古賀博文さんに送った詩誌が返送されてきた。住所が変わったのだろうか。
川崎詩人会の例会が昨日あった。集まりはいまひとつであったが、内容のある例会であった。身体的にはちょっと疲れたが、楽しいひと時であった。
会員のなかにリストラにあったひとがいるが、いまいちど首になるとなかなか再就職の道がみつからないようだ。政権が変わってもそう簡単に今の不景気はどうにもならないだろう。貧乏人にとっては生きにくい時代だ。幸福実現党などといかがわしいものが出てきているが、まったくめちゃくちゃな政党だ。政党としての理念をもっているのが共産党とはおかしな話である。自民党も民主党も理念に関してはいまひとつなにかが不足している。
詩人達も今の時代を反映しているのか、朦朧現象である。何を書きたいのか明確な詩が少なくなってきている。時代に向き合うことなく、趣味的な作品が多い。そういう意味では詩人達はこの時代の悲しさを描ききることが出来ないでいる。
昨日も『詩人の聲』を聴きにいったが、苦痛であったという人がいた。ただ自己満足で朗読をされては聴く側にとっては迷惑である。結局付き合いであるから我慢している。このような関係では詩人の朗読は良くなっていかないだろう。詩人達の朗読を嫌いになってゆくのがわかる気がする。精進をしない詩人など朗読に参加すべきではない。私の語りもヘボであるから人の倍も努力をしている。そしてもっともっとお互いに勉強をしあうことだ。昨日の川崎詩人会では、朗読に対してそれなりの勉強会だできたと思う。

2009年8月16日 (日)

田川紀久雄日記

穂谷さんから桃が送られてくる。いただけるものはありがたいものだ。何とかして生活費を切りつめていかなければならないからだ。毎月六万円の赤字が続いている。詩語りの仕事が時々入る頃とによっていくらか助けられている。
玉地任子著『いのち、生きなおす』(集英社)を読んでいると、最期をどこで迎えるかを考えさせられる。医療は治すのが目的であるが、癌の場合、治療が無理な場合病院は最期までは見てくれない。死に逝く人間が安心してこの世を去れる場所ではない。この問題はまだまだ日本では深く考えられていない。普通死は病院でと思っている人が多すぎる。それだけ死に対して深く考えることをしていないのだ。死は観念の世界ではない。死は本来自然の姿の一つなのである。いま私は死を受け入れながら生きている。そのことによってより生が豊になっていける。無という言葉も、言葉として存在するのではなく生の一部として深く身体に浸透していける。末期癌であることによって、言葉の概念が剥ぎ取られていける。そのことは素晴らしいことでもある。詩を語る場合しても、書かれていない世界をどう語りに活かしていけるかを考えることができる。そのことによって語りに豊かさを増してくれる。詩人達の朗読に何も感動しないのは、ただ言葉だけにしがみついているだけだ。だから聲に深みがもてないのだと思う。癌になったことによって語りの世界が楽しくなってきている。物事が見え出してきている。それをどう語りの世界に活かせるかがこれからの稽古の意味を深めさせてくれる。
昨日の終戦記念日は坂井さんと二人でのんびりと家で過ごした。

2009年8月15日 (土)

田川紀久雄日記

高田真さんが年間購読者になってくださいました。そして中村不二夫さんからも購読料が送られてきた。操車場に掲載された長谷川忍さんの詩「かなしみ」を褒めてくれた。質の良い詩誌づくりをしていかなければならない。安易な詩誌の交換は意味がない。最近どこの詩誌を見ても魅力が失せてきている感じがする。これは個人個人の書き手に問題があるのだろう。魅力のある詩詩は、真剣に今の自分と向き合っている姿勢がみられる。ただ作品を書いて発表しているだけの詩誌は少しも面白みがない。
絵も盗みたくなるような絵が最近みられなくなった。そして詩も買ってでも読みたいものが少なくなってきている。それだけい、いまは生きていることが難しい時代なのかもしれない。古書で玉川信明著『放浪のダダイスト辻潤』を購入した。いまなかなか辻潤の本もてが入らなくなっている。
私は詩語り馬鹿になりたい。馬鹿になりきる人生も楽しいものだ。人が非難するのはその人が敗北者だからだ。でも真の敗北者はダダイストでなければならない。生き方に徹して生きている人間には勝者もなければ敗北者もない。本当に生きている詩人の聲を聴きたい。現代詩がつまらないのは、その現代詩を書いている人間がつまらないからだ。政治家にしてもくだらない政治家が多すぎる。議員は三分の一はいらない。税金の無駄使いである。甘い言葉を垂れ流す政治家はこの日本を破滅させるだけだ。本当の福祉国家を作り上げるには、死にもの狂いになって闘ってもらいたい。国民は国家の奴隷ではない。本当の政治とは何かを本気になって考えてもらいたい。

2009年8月14日 (金)

田川紀久雄日記

足立時代に子供が飼っていたシーズ犬のモモが四月になくなっていたことを知る。十六年も生きていたのだから、歳といえばそれまでだ。でもなんとなく淋しい感じがする。
小杉さんから野菜が届く。旦那さまが作ったものである。二十日のライブが楽しみだと書かれてある。内面から絞り出る心の語りを行ないたいものだ。音楽に鉦の音を使って行なってみたい。語りの稽古をしていて、見えてくるものがあるかと思うと、消えてゆくものもある。この繰り返しの中で深みのある語りを掴み取りたい。もっともっともがきながら生きていくしかない。今なお癌で亡くなってゆく多くの人たちがいる。死の淵に佇みながら生きている人たちのことを思い、その中で本当の幸せとは何かを求めてゆきたい。そして私の語りの聲がそれを何処まで表現できるのか、そのことをひたすら追いかけてゆきたい。これからのライブは自分なりに楽しみがある。『詩人の聲』の参加を止めることによって大きな心の収穫を得た。信頼関係を失ったところでは語りの世界を追い求めてゆくことは不可能である。有名思考など私にはまったく興味がない。ただその人が本物かどうかだけが大切なことである。詩人達の朗読の中でまだ本物とであっていない。

2009年8月13日 (木)

田川紀久雄日記

昨夜は眠れなかった。ケネス・グルバート(チェンバロ)の平均律を全部聴いてしまった。ピアノの平均律もよいが、チェンバロもなかなか捨てがたい。音楽療法は私には必要だ。心を癒すことがどれだけ癌の免疫力に効果があることかはかりしれない。
詩の語りも、本当に心を癒される世界を作り上げてゆきたい。そのためには語りそのものに妥協しないで生きることである。安易な癒しは、逆に人の心をゆがめるだけだ。初めから媚びた聲をだす詩人がいるが、あれには閉口をしてしまう。
癌も治療ができなくなると、病院から放り出される。いま癌難民がどれだけいるのだろうか。その人たちのケアがどのようになっているのだろうか。いのちというものは、生きているそのことだけが大切なのではなく、死の世界を受け入れながら生を見つめていくことが必要なのである。生は死の反対側にある世界と思い込んでいる以上、生を正確に捉えることはできないだろう。そのことを詩にして書いてゆきたい。そしてそれを語って行きたい。
いままで癌やいのちに対する書物を多く読んできた。どんな哲学書より役にたっている。そして今の自分が末期癌であることがどんなにいのちを見つめることに役立っていることか。そのことに自分自身も勇気付けられている。
亀岡新一詩集が校了になった。夕方熊谷さんと日暮里で会う約束をする。いままで人に借りていたお金が少し返せる。でも生活は相変わらず苦しい。今月の生活費も底をついている。詩語りの出前の仕事が欲しいものだ。

2009年8月12日 (水)

田川紀久雄日記

詩の朗読でたいせつなのは、味があるかないかである。味を生みだすには、読んで読んで死に物狂いで読んでいく中でしか味というものは生まれてこない。普通の詩人達の朗読は、ただテキストを読んでいるのかすぎない。聲が大きければよいというものでもない。詩人の世界では朗読のプロは存在しないかもしれないが、心の中ではプロになるのだという意識を持つことが大切である。
いま私は語りの味を出すことに懸命になって生きている。味というものは個人個人のものである。人まねでは味が生まれてこない。ひたすら自己の道を切り開いていくしかない。この努力の先に仕事が入ってくるのだろう。無我夢中で生きることは、癌の身体を忘れさせてくれる。語りに打ち込むことで、癌への免疫力が高まる。癌が私の語りを成長へと向かわさせてくれている。そういう意味では癌に感謝しなければならない。稽古をしていてもつねに不満である。思うような語りが出来ない。この繰り返しこそが今は必要なのだろう。癌との闘いの中で、やはり人明かりを求めて生きている。だから苦しみや辛いことにも耐えて生きていられる。心の底から語りきれる芸に到達したいものだ。道のりは遠い。遠いからその中で味が出てくる。生きていることを楽しみながら一歩一歩と前に進んでゆきたい

2009年8月11日 (火)

田川紀久雄日記

ニュースのブログから引用する。
「民主党のマニフェスト(政権公約)に盛り込まれた月額2万6千円の「子ども手当」について、税込み年収額が800万~1千万円の比較的高い所得層の手取り収入が大きく増えることが、大和総研の試算で10日わかった。所得制限のある現行の児童手当が廃止される一方、所得制限がなく一律支給される子ども手当が創設されることで、高所得者の手取り額を押し上げることになるからだ。」
なぜ、税金で高所得者にまで子供手当てを支給しなければならないのか、理解に苦しむ。これはただのバラマキ政策でしかない。私は生活程を申請しても相手にされない。玄関払いである。
豪雨で各地に大きな被害がでている。国の対策はどうなっているのだろう。台湾や中国でも大きな被害がでているという。
いま地震があった。五時七分に家が大きく揺れた。震度四である。すぐテレビいれる。ブログを打ちながらテレビを観ている。津波が発生した。先日も地震があったばかりだ。これからの異常気象でいろいろと問題がでてくる。これをどう扱っていくのか国の体制が問われてくる。無駄な公共工事を中止してでも、この問題に取り組んでいかねばならない。私の住んでいる家もオンボロデある。いつ大きな地震で壊れるかわからない。
まさに今の世の中は一寸先は闇夜の世界である。

2009年8月10日 (月)

田川紀久雄日記

足腰の痛みもそれほどなく吉祥寺に行けた。はじめてホームレスのおじさんたちの踊りを見た。笑いをいうしなった人が踊ることで人の心の豊かさを取り戻す。これは大変なことである。おどりは未熟であるが、この段階ではまだ質とか内容について論じるべきではない。かれらのひたむきな姿勢に心がうごくのである。そのことがいかに大切なことであるかということだ。アオキさんお踊りは、ジャズダンスの影響か、静の部分の表現がいまひとつ感じられない。内から爆発する生命力を期待したい。でも彼がこのホームレスのおじさんたちを指導するエネルギーには感心をする。これからが楽しみだ。みなさんも『新人Hソケリッサ!」』を見かけたら応援してあげてください。帰りに山本萠さん、高田さんらと喫茶店でおしゃべりをする。楽しいひと時であった。
ひとのことをあれこれというが、お前はどうなのかと、問われればとても恥ずかしいものだ。まだまだ一人歩きができていない。へたくそである。どうにもならないほどへたくそだ。だからこそ、ひとより数倍も精進をしなくてはならない。宇宙の中心にむかってゆく聲をつくりあげたい。その聲もあくまでも温もりの愛に満ちた聲質を掴みたい。癌だからという甘い気持など無用である。人の心を打つ芸はなかなか難しく到達しがたい世界である。でもそれに向かって生きることが私の使命なのだ。そのことで癌を克服できると信じて生きている。

2009年8月 9日 (日)

田川紀久雄日記

日本の農業問題は深刻だ。アメリカに手足を縛られている現状ではどうあるべきかが問われている。北海道の農家にとってはこの農業問題が選挙の焦点になるだろう。
夏とはいえ雨や曇りが多い。野菜は高騰している。庶民の台所が大変である。
お灸をしているせいか、いくらか足腰が軽くなっている感じがする。それと少しづつ身体を動かすことをしていると腰の痛みが治る可能性があるように思える。まず血行の流れを良くすることだ。そうすれば癌も消えていくことだろう。治療とは、身体の一部を切り取ることではなく、そのままの身体を改善することが本来の治療の意味である。身体を動かすことはとても気持が良い。自己流の体操でいまのところ十分である。蒲団のうえに座り、身体をくにゃくにゃ動かすだけだが、それでも気分が爽快になる。無理をしない、あくまで自然に身体を動かしているだけだ。
操車場二十七号を発送する。操車場に参加してくださる方々に感謝をします。月間の発行は大変であるが、生きている緊張を感じさせてくれている。
今日足腰の痛みがそれほどなかったら吉祥寺にダンスを見に行く予定だ。山本萠さんにも会える。たまには人に会うことも大切である。

2009年8月 8日 (土)

田川紀久雄日記

アジアでも豪雨に見舞われている。中国やフィリッピンでも、豪雨で死者がでている。原因は環境破壊だけではなさそうだ。自然は正直なのである。癌も恐ろしい病気であるが、癌と友達になって生きればそれなりに生きていける。それと同じように、自然と仲良く生きる知恵をもっと大切にしていかねばならない。昨日は福岡で38度の気温だったという。東京でも昼間は蒸し暑く、仕事をしていても大変な疲労を感じる。
坂井のぶこが、川崎市立病院に行く。顎関節症でレントゲンを撮る。語りのためにも早く治療をしなければならない。
操車場の原稿が全部揃う。今日印刷と製本を行なう。今月は発送がいくぶん遅れたが、無事に二十七号が出せるのは嬉しい。
国民保険や介護料を払ったら、預金の残高が一万五千円しか残っていない。生活の苦しさは相変わらずだ。貧乏に慣れてきた。でも詩誌が発行できるだけありがたい。
坂井信夫さんから上野芳久詩集『夜明け』が贈られてきた。最愛の妻を失ったかなしさと、妻への愛が抒情豊に描かれている。詩でしか書けない世界がじっくりと描かれている。『索通信⑦』を印刷に入れる。

2009年8月 7日 (金)

田川紀久雄日記

この日本が平和を守っていくにはどうしたらよいのだろうか。原爆を体験した日本は、平和を守る役割は他の国より重いはずだ。いまの政治では、このことがほとんど論じられないでいるがおかしなことだ。
人のいのちが軽んじられている世の中を見ていると胸が痛くなる。詩を書いていても、言葉の無力を感じている。そしてそれを語っても、本当に人の心にどこまで響くのか眼に見えてこない。ただただ芸が未熟だと思うしかない。未熟だからひたすら同じことを繰り返す努力を行なうしかない。あるい意味でジレンマを感じる。寝ていても途中で目が覚めるとまるで奈落の底に落ちていく感覚に襲われたりする。
私は語りがヘボであるから、人の何倍も努力をしないと、人に聴かせることができない。それにやはり抗癌剤の副作用で身体的にきついこともある。外での稽古もこの暑さにはまいる。でも次のライブのためにも頑張って生きていくしかない。私なりの平和を求めて生きていることに生きる歓びを見出してゆきたい。

2009年8月 6日 (木)

田川紀久雄日記

山本萠さんから十月の書展の案内状が届く。私達の語りも広告されている。ありがたい。それと一緒に詩誌『雲の戸』も。その中に「(美しい素裸の魂というものを見たよ)」という一行があった。現代社会でこの美しい素裸の魂などなかなか出会うことがない。すべての欲を捨てて生きていないとこの魂と向き合えない。一生懸命に生きることが仏の道だという人もいるが、この一生懸命そのものが無垢な心でないと仏の心ではなくなってしまう。
足腰の痛みがなかったら吉祥寺(八月九日)にアオキ裕キ氏の率いるホームレスのダンスを見にいきたいものだ。これは山本萠さんから、誘われているのだが、一度は見たいものだ。身体でいうなら先日の整体を見て驚いたのだから、このダンスもきっと素晴らしいものだと思う。身体はつねに宇宙の動きをするものだ。
このところ亀岡新一さんの詩集や画集の版下つくりで忙しかった。操車場の発行も遅れている。日曜までには作りあげたい。

2009年8月 5日 (水)

田川紀久雄日記

藤沢秀行は囲碁を芸の世界と見ていた。いまもそういう風に考える人は少ない。詩の朗読でもわたしのように芸能と考える人はいない。芸というものはある意味で無限地獄の世界でもある。なぜならこれで良いという世界などどこにも存在しない。死ぬまで勉強の世界である。そういう意味でも私の語りは、まだ赤ん坊のヨチヨチ歩きなのだ。やっと一人歩きができる程度である。だから人に自慢できるものではない。芸はあくまで自由奔放の世界でもある。自由を失ったら、芸のいのちが失ってしまう。いつも迷って生きている。悟ったと思ったら翌日はすっかり元の木阿弥に戻ってしまう。悟ったことなどまるであぶくのようなものなのだ。でもこの繰り返しがなくては芸は前進しないものだ。
詩人達はお客があつまれば成功だと思っている。そんななさけない世界ではどうにもならない。芸は一喜一憂する世界であってはならない。ちゃんと宇宙の中心に座っていなければならない。客がいようがいまいが、つねに真剣に生きていることが求められている。
いまなおヨチヨチ歩きだが、詩語りの仕事が入ってくるのは、私の生き方に共感してくださるからだと思う。つねに自分自身と闘っていることが大事なのである。どこいまで歩いても、先がまったく見えない。どうすれば深く語ることができるのか迷い苦しんでいる。私の語りは極北にむけて歩き続けているのだろう。まるで宮澤賢治の「青森挽歌」のような世界だ。癌がどうなろうが、今は詩語りの世界を極めていたい。そのことが逆に癌を忘れることが出来る。くよくよして生きていなくてすむ。なにより人前で語ることが好きなのだ。私は人の心によって癌が良くなってきている。これは不思議なことなのだ。私の存在を阻むひとがいれば、その反対に私を受け入れてくれる人もいる。世の中はそういうものなのだろう。一つの道をあるくにも、いろんな障害物に出会うものだ。でもその障害物も芸の肥やしになってくれている。だから私の散在を拒む人も、私にとっては尊い人の一人である。すべてに感謝の気持で生きている。

2009年8月 4日 (火)

田川紀久雄日記

憎しみもない人を殺す事件が多い。あくまでも身勝手な犯行である。これは個人的な問題であるが、やはり今の社会の構造にも問題がひそんでいる。いくら社会の豊かさをもとめても、心の貧しさは解決されない。裁判制度が変わったが、人のいのちの重さをどう国民が受け止めていくのか。
詩壇でも、私のようにいのちの大切さを書いたり、語ったりすることを野暮ったいと思っている傾向がある。このいのちの大切さを本当に書ける詩人が少なくなっている。概念的に書けてもそれは書いたことにはならない。内なる魂から書かない以上は、読み手の心には響かない。
いま詩を語るとき、宇宙の中心に向けて語るように数日前からこころみている。これは小杉さんの整体を見て思ったことだ。懸命に一つのものに向かって生きている人からはいろいろと学べることが多い。
『詩と創造』が古賀さんから送られてくる。詩集評に私の『生命の歓び』を取り上げてくださった。ありがたい。『黒豹』121号も送られてくる。

2009年8月 3日 (月)

田川紀久雄日記

癌になったら、なるべき癌を気にしない生き方をすることが大切なのである。詩語りのことばかり考えて生きているから、それほど癌について気にしないで生きてこられた。癌のとって最悪なのはくよくよしてしまうことだ。癌になって、何がとくをしたかを考えている。癌になってマイナス思考をしたこと一度もない。だから癌になって良かったと思っていきている。
何かに向かって真剣に生きていられるものが一つでもあれば、癌はそれほど怖い病ではない。語りの稽古をしていても、自分はなんて下手なのだろうかとつくづく思ってしまう。決して上手くなろうとは思っていない。人間としての厚みのある生き方をしたい。そこから生まれてくる語りを自分のものとしたいだけだ。本当に不器用な生き方しかできない。
何でもそうだが、一つの道を究めるには、遠回りをしなければいけない。近道などはないのだ。自分でも嫌になるほどの稽古があって何かが見えてくるものだ。だから稽古をしていても一度も満足のいく稽古をしたことがない。つねに迷いながら聲をだしている。この迷いこそが、芸を深めてくれる妙薬なのだと思っている。ことごろやって語りの入り口に辿り着いたような気がする。この先の道はまだまだ遥かに遠い道のりだ。
心が宇宙と一体になることが大切なのである。そこがつかめれば、自ずから聲が出来上がってくる。そして語りのリズムも自然になってゆくだろう。それを掴むためには永遠に近い努力が要求されている。私の語りがどのように変化していくのかこれからが自分にとっても楽しみだ。

2009年8月 2日 (日)

田川紀久雄日記

漢方の生薬が中華街で買えた。霊芝・甘草・朝鮮人参・板根藍・アガリクスなど。
昨日は不思議に足の痛みはそれhど感じなかった。朗読会も無事にできた。
整体協会の稽古場で、小杉さんたちの整体を見た。驚いた。まるで宇宙の中を漂っている感じだ。いままで見たことのない動きであった。そこにいた人いたちと話し合いができた。二十日のライブは、自分も自然体で語るしかないと思った。
詩の朗読で人の魂を揺さぶるようにできなければ、それはただ単なる趣味の世界で終わっている。そのから一歩も二歩も抜き出ていかねばならない。自分の魂をひたすら磨くしかない。それが未来への人明かりの続けていける可能性を生むのだと思う。聲の究極は無音の世界でもある。

2009年8月 1日 (土)

田川紀久雄日記

今日午前中に横浜中華街にいって漢方が手にはいるか調べてみる。免疫力をたかめるには漢方が私には必要なのだ。約八十回の抗癌剤治療に耐えられたのは漢方の力があったからではなかろうか。いまの薬事法はどうみてもおかしい。
癌になった詩人が多いはずだ。それなのになぜいのちの大切さを聲に出して語らないのだろうか。私はこれから「癌といのち」をひたすら語ってゆきたい。今日もジャズライブハウスのドロフィーでいのちの叫びを語る。昨日「未来への旅」という詩を書いた。今年中になんとしても詩集の作品を仕上げたい。
いまでもなお癌で亡くなっていく人が多い。現代医学の進歩は目覚しいものがある。でもどうにもならないものがまだ多い。癌になっても生存率が高くなってきている。私も一年以内に死ぬはずだったのが、いまもこうして生きていられる。
乳癌で七月二十八日に亡くなった川村カオリさんは多くの人に勇気を与えてきた。38歳で亡くなるのは早すぎる。
ブログで「昨日と今日と副作用がきつかったな…。まだ始まったばかりなのに弱いな」(11月24日)に書かれてある。(朝日新聞朝刊七月30日の記事より)
詩人である私も闘って生きていたい。一人でも多くのひとにいのちの尊さといのちの美しさを語りかけたい。抗癌剤の副作用でいま苦しんでいる。自分だけには負けないように生きていかねばならない。

2009年7月31日 (金)

田川紀久雄日記

今日で今月も終わりだ。一ヶ月がたつのは速いものだ。ということはいかに一日一日は大切であるかということだ。日々の語りの稽古は間違いなく語りをより深く前進させてくれている。一日だけを見れば、それほど変化はないが、一ヶ月いや一年と見ていけばかならず進歩している。眼に見えない進歩が芸の世界では必要なことである。芸能を理解できない人間には、そのことは解らないであろう。日本人には日本人の聲の出し方がある。若い詩人達には朗読をおこなうなら、いろんな芸能を知ってもらいたいものだ。遠回りこそが一番の近道なのだ。語りは人間全体が問われてくるものである。聲だけがよければよいというものではない。聲そのものを裏付ける人間性が問われている。だからこそ、語りは難しいのである。
山形の佐野カオルさんからハガキでDVDのことが書かれてあった。感動していただいて有り難かった。抗癌剤の治療を拒否して半年が過ぎて、やっと自分の聲になってきた。でも稽古をしている時は左の脇の下が痛む。少し不安を感じる。ちくりちくりと痛むのだ。癌の不安はなかなか消えていかない。
明日は横浜のドロフィーでネパールの音楽と詩の朗読会がある。詩人達の聲が聴けるのが楽しみだ。

2009年7月30日 (木)

田川紀久雄日記

新潟ライブの件で坂井のぶこさんのお姉さんにチケットを買っていただくことをお願いする。そして泊めてもらうことも。本当にありがたい。
詩語りはいろんな人に助けられている。だからこそ、納得のいく語りを作り上げたい。私が今できることは、ひたすら精進するしかない。歯を食いしばってもやりぬくことである。
自民党の公約も民主党と同じようにバナナのたたきうりの感じだ。ただただ政権を獲りたいための公約でしかない。骨のある政治家はもういなくなってしまったようだ。
今の世の中で自殺者が最も増加している。この現状に政治は無力なのである。いのちの尊さを願う私にはこの問題を無視していられない。癌体験を通じて早くいのちの語りを行いたいものだ。
いまパソコンをうっていても右手が重く、指先が痺れて感覚がない。

2009年7月29日 (水)

田川紀久雄日記

NHKのクローズアップ現代で「なぜ失業?がん患者達の悲劇」の放映があった。三人に一人の割合で失業に追い込まれる。就職しようと思っても癌を患ったことでなかなか職につけない。癌にたいしての社会から理解されていない実態が浮き彫りにされている。
癌を患ったことは、人間として大きな意味がある。生きることへの勇気を誰よりも強く知っている。そのことは企業にとっても役立つことなのに、なぜ癌患者を敬遠するのか理解に苦しむ。
私は詩語りで、癌の意味を語りたい。癌によって生きていることの素晴らしさを伝えたい。癌は今は不治の病ではない。癌患者に一杯応援をしてゆきたい。そして生きる意味を多くの人たちに伝えてゆきたい。これが詩人ができる仕事なのだ。
日々の精進から、少しづつ見えてくるものがある。心を語るにはどうしたらよいのかが解りかけてきた。語りで苦しめば苦しむほど、語り良くなってゆく。
鈴木良一さんから新潟のライブのパンフレットが送られてきた。本当にありがたい。人明かりの語りを披露したい。いのちを語るということはどのようなことなのかを伝えたいものだ。詩人達の中にいのちを語れる詩人達を集めてライブを行なってみたいものだ。山本萠さんもその一人である。詩壇とはまったく関係ないところで活躍している詩人がいる。時野慶子さんや須藤さんたちがそうである。
私は夢を持って前向きに生きていくしかない。

2009年7月28日 (火)

田川紀久雄日記

豪雨の被害を見ていると、ほとんどが人災のように思える。危険であることを訴えても県や市はなにも行なわなかった。それと山の被害は、杉の山が多い。杉は根が浅く、水分を吸収する力がない。これでは山がくずれるのは当たり前だ。これからの温暖化対策の一つに山を守る運動をしていかなければならない。動物も住める山つくりが大切である。
民主党の公約をみていると、まるで公明党のバラマキに似ている。やはり財源の問題が不透明である。国民の生活を守るということは、国が何処に向かってゆくのか明確にしていかないとその場限りの政策に終わってしまう。
末期癌になってから、癌に対しての生き方の詩を書いてきた。詩人である私は、一人でも多くの人たちに聴いてもらえるような語りを目指して生きている。ただ書いたものを読んでいては、その詩の深さは伝わらない。抗癌剤の副作用に苦しみながら、少しづつ詩の深さを表現出来る所に近づいている。芸能のように日々の精進がそのためには必要なのだ。同じことを繰り返しながら、詩の深さに近づくしかない。努力もしないで人様に聴いてもらおうと思う心では、誰にも相手にされない。オープン・マイクなどではオタクのような詩人たちの朗読が多い。そこには自分だけが満足している。聴く側の気持など考えない。
私は一時間の自作詩を語る体験がいま大きく圧し掛かっている。一時間自分自身と向き合って聲を出すことは大きな意味がある。そういう意味では天童大人氏の企画する『詩人の聲』は、ここに参加した詩人たちには大きなプラスになることは間違いないことだと思う。この機会をどう自分に活かすかは、各自の問題である。私はこの企画に参加することはもうないが、この『詩人の聲』から学ぶことが多かった。二年間は末期癌と抗癌剤で苦しみぬいてきたが、続けで聲を出してきたことが、今の自分を活かしてくれている。参加できたことに天童氏に感謝をしている。

2009年7月27日 (月)

田川紀久雄日記

腰や足の痛みをなんとかして治したい。そのためには自分自身が積極的に治そうという気持を持つことだ。朝起きてとこの中で、身体も揉み解すことから始めている。自由に身体を動かすことは気持がいい。無理をしないであくまでも自然体で行なっている。身体全体の歪みが足腰の痛みに繋がっているものと思える。左の足の痛みを治すなら、その反対側の手を自然に動かすことが必要なのだ。身体の壷は身体全体につながっている。西洋医学では、痛い部分しか治療しない。これでは本当に治せない。接骨医院に二年も通い続けたが少しも身体が治らなかった。
聲を出すためにも身体の歪みを直さなければならない。野口晴哉の整体とか野口三千三のぐにゃぐにゃ体操なども取り入れながら自分なりに工夫していかねばならない。ただ抗癌剤の副作用に苦しんでいるだけでは解決にならない。それと同時に心の整体も行なってゆきたいものだ。つねに前向きで生きていることが癌の進行を止めてくれるものだと思う。つまり癌を休眠させておくことである。漢方が手に入らなくなった今は、それに変わるものを探し出していかねばならない。最悪の薬事法で苦しめられるのは病人なんだ。癌患者は、自分に負けたら駄目なのだ。このことが生きていくにとてもきつく辛いものなのである。末期癌を宣告されたものの気持は、普通のひとにはなかなか解りにくいものである。
語りにいのちを懸けて生きていくことがつねに免疫力を高めることになる。そしてその語りを本物に磨いていくことで人明かりの世界が見えてくるはずだ。公園で行なうことはつねに人に邪魔されてやりにくい。でもその悪条件の中で前向きに精進するしかない。嫌味を言う人もいる。励ましてくれる人もいる。
全米ゴルフルアーで宮里藍が日本人として七人目の優勝者となる。前向きに生きている姿は人に生きる勇気を与えてくれる。

2009年7月25日 (土)

田川紀久雄日記

日本の政治はかわらなければならない。それは確かなことだ。戦後アメリカ指導の体制から独自の日本の政治を生み出していく必要がある。だからと言って二大政党がよいのかは疑問がのこる。日本にあった政治体制はどのようなものがよいのか。衆議院選挙はどうなるのか一人りひとり考えるべき時が来ている。テレビの報道にまどわされないことが大切だ。報道は何ひとつ責任をとらない。無責任きわまりのないものなのだ。
抗癌剤の新薬の認可をもっと早くできないものなのだろうか。副作用のすくない新薬もあるはずだ。末期癌と宣告されて二年経過しても死なないのでいるのも、抗癌剤の治療が良かったのかもしれない。それと漢方を自分で調合して飲んでいたことも良かったと思う。それに明日に生きる夢を持って生き抜いてきたこと。詩語りを行ないたいという強い願望があった。そして『未来への旅』という詩集を完成したいという夢があった。いろんな作用が癌の進行を食い止めてくれたのだと思う。この活かされているいのちを人のために使いたいものだ。
昨夜銭湯にいったが帰りの道足が痛んで歩くのが困難に状態になってしまった。朝は手の痺れで起き上がるのも辛かった。抗癌剤の副作用で苦しむ人たちをなんとかできないものなのか。いまの医療ではどうにもならないらしい。時が経っていけば痛みも薄らいでいくこともあると医師はいうだけだ。身体の表面を見ているだけなら、普通の人と何ら変わらない。元気のように見える。癌の進行が抑えられただけでも良かったのではといわれれば、何もいえない。でもいつまた癌が動き出すのか解らない。生きていることは不安だらけなのだ。だからこそいのちの美しさを見つめて生きていたい。

2009年7月24日 (金)

田川紀久雄日記

手作りで「人明かりを求めての旅」の詩集を作る。これは新潟ライブのDVDにつけるものである。一枚カラーの絵をいれてある。単独でも漉林叢書として発売していく。泉谷栄さんに食料のお礼に送る。これから魅力のあるDVDを作ってゆきたい。
生きていて心がわくわくするようなことを見つけながら生きていくことが今は大切である。癌の治療にはまず、心がいきいきしていることが求められる。進行癌でなければ、癌はそれほど怖いものではないと思う。つねに前向きで生きていられれば自然と癌は消えていくものだ。
この宇宙で地球だけが人間が住める地なのである。その地球を破滅へと追いやっているのが文明なのだ。豊かさが公害を生み出し環境を破壊していく。自分だけの幸福は社会をゆがめていく。幸福を求めることは社会全体の幸福が中心になっていかねばならない。これは政治だけでは解決しない問題だ。最初の一歩は、人の心から始まる。
癌になってよかったと今は思う。でも人によっては癌で苦しみ亡くなっていく人もいる。安易に癌になってよかったと言うべきでないが、いのちの美しさや尊さを身にしみて感じさせてくれた。このことを詩に書き、多くの人に伝えてゆきたいものだ。手作りの漉林叢書をつくるのもそのためでもある。それと治療費を稼がねばならない。生きていることが楽しくありたいものだ。

2009年7月23日 (木)

田川紀久雄日記

午前中は病院。
山口県の老人ホームの災害は、人災である。建物は立派であるが、建てる場所に問題があった。自然を甘く見てきた。山の木を切っても、コンクリートで災害を防げるとおもってきた行政のあり方に問題がある。三浦半島でもどんどん山を切り崩して住宅を建てている。素人がみても危ないと思う。それでも平気で山を切り崩し、住宅を建て続ける。
昨日の皆既日食をテレビで観ていたが美しいものだ。昼間なのに水星が見えるなんて不思議に思えた。
衆議院選挙が八月三十日にあるが、自分の都合で政治を観るのではなく、日本の将来を見つめて判断しなければならない。自民党は好きではないが、といって民主党に本当にかまされるのか。どちらの党にも思想が感じられない。日本がどこに向かっていくのかまったく何も見えてこない。
私は癌患者の中で詩語りを行なってみたい。その日が来ることを思い、温みのある語りが出来ることに精進をしている。抗癌剤の副作用に苦しみながらも一歩一歩前向きで生きつづけていたい。

2009年7月22日 (水)

田川紀久雄日記

泉谷栄さんから食料が送られてくる。ありがたい。彼もいま狭心症で悩んでいる。お互いに大変だ。抗癌剤の副作用に効く薬はないのだろうか。でもまたその薬で別な副作用ができる。西洋医学の怖さを身にしみて感じている。臓器のその一部を直すことが西洋医学では優れているが、身体全体のことをまったく考えていない。ここが東洋医学との違いだ。お灸をしていると、ツボで身体の血液の流れを感じる。一つのツボをお灸していても別なツボに刺激を与える。いまパソコンを打っていても指先の激しい痺れを感じている。明日は病院で血液検査とCTの結果を聞くことになっている。
妹とあって前とほとんど変わっていないので安心をした。電車賃やレストランでの飲食代に数千円を使ってしまう。生活を切りつめてももう切りつめようがない。
パソコンも長い時間打つことが出来ない。亀岡新一さん仕事がなかなか進まない。でもこの仕事をしないと病院代がでてこない。頑張って仕事をしなければならない。抗癌剤の後遺症がこんないつらいものかといま身にしみて感じている。
高橋馨さんの原稿が届く。
詩誌受贈『柵・272号』

2009年7月21日 (火)

田川紀久雄日記

朝起きたときはとても腰が痛んだ。でも今日は妹に会い東戸塚まで行くかねばならない。
亀岡新一画集の原稿が坂井信夫さんから送られてくる。長い時間椅子に座れないので困っている。それに右腕が痺れていくらか痛む。
抗癌剤の副作用は死ぬまで続くといわれている。なぜ医師はそのことをきちんと説明してくれなかったのか。多くの癌患者が抗癌剤の副作用で苦しんでいる。廃人になる可能性もある。癌で苦しむというより、抗癌剤で苦しむとはおかしな話だ。いのちがたすかったのだから我慢するしかないというのは変な話だ。
現代医学とは一体何なのか。漢方で治したいが生薬が手に入らないので困っている。薬事法の改正でおかしくなっている。何百年と続いていた薬が手に入らないとはこまったものだ。私が抗癌剤の治療に耐えられていたのも、漢方のお陰だと思っている。
詩語りを続けていくにも、この抗癌剤の副作用との闘いの日々が強いられる。藤井武全集の本を読むことでいくらか精神的にも助けられている。自分の使命に忠実に生きていれば自ずから解決の道は開かれてゆくものだと信じている。語る言葉の一つ一つにいのちを吹くこんで語るように努力を積み重ねていけば、かならず人に感動を与えられることができるはずだ。一日一日を大切に生きていくしかない。

2009年7月20日 (月)

田川紀久雄日記

浜川崎の猫ランランに赤ん坊が五匹いることを発見する。父親猫が子供達の面倒をしている。線路沿いのみぞにうまく隠れて育っていたのだ。写真を撮る。いつか浜川崎の猫の展覧会をして見たいものだ。それとも手作りの写真集を出すことにしたほうが。これからも写真を撮り続けていこう。
コンヴィチュニー指揮・ゲヴァントハウスでベートヴェンの田園を聴く。私はこのゲヴァントハウス管弦楽団の音が好きだ。それとコンヴィチュニーの演奏も大好きだ。彼のブルックナーの演奏も素晴らしい。二十代のころLPの二枚組みの第九を買って涙流しながら聴いたものだった。
A5版で末期癌ブログ日記を手作りで製作することにした。B5版より手にとって読みやすいからだ。生活費を稼ぐにはこれしか方法がない。頒価1000円である。ちょっと高いが何とかして売っていきたいものだ。それと詩語りライブの「人明かりを求めての旅」のテキストも製作してゆきたい。こちらは約50ページほどである。つねに前向きで生きていくしかない。冷蔵庫も壊れてきている。生きていくにはお金がかかる。秋ごろまでに新漉林叢書として刊行してゆきたい。

2009年7月19日 (日)

田川紀久雄日記

卜部昭二さんからは詩集が送られてはこなかったが、「柵・271号」に中原道夫さんが『時間船』を丁寧に紹介している。長い人生を時間船にたとえている。古い友達であった。詩人クラブなどで、まるで弟子のように「たがわくん」と呼んでいた。これには閉口した。私は卜部さんのお弟子でもなければ彼が先生でもない。私は詩人たちを呼ぶときは、なになにさんと言う。どんな年下でもそうだ。詩人というものはそれぞれ独立した存在者である。詩人の人格を尊重することが大切なのである。
この度の中原道夫さん柵の本棚」に紹介されたことは私にも嬉しかった。どのような詩集なのか解らないが。以前漉林書房で格安で作っていた。だから他所で上梓したことがいえなかったのだろう。すぐ分かることなのに。金子秀夫さんも「焔」で紹介している。
私は嫌いな人はいるが、作品などではちゃんと評価をする。いいものは良い。悪いものは悪い。ただそれだけだ。
熱帯夜が続いている。寝苦しい夜であった。坂井のぶこさんが二日続けての連休であった。のんびりうと過ごした。

2009年7月18日 (土)

田川紀久雄日記

全英オープンゴルフが行なわれているゴルフ場は凄いところだ。石川遼の試合を見ていたが、18番は大変なところだ。自分の思うようにはさせてもらえない。一つ一つ経験を積んでいくしかない。
詩の朗読もライブの経験がその人のスケールの大きさを作ってくれる。つまりお客の厳しい眼が芸を向上させてくれる。仲間しか集まらない場では、朗読する詩人に甘えがでる。そこではなかなか真剣勝負ができない。だからこそ、ライブが終わった後の反省会は大切なのだ。ただの批判であってはならない。前向きな話し合えが出来ることがよいのだが、なかなかそこまではいかない。良いアドバイスができる人がいない。朗読する詩人たちが数人集まって研究会を開くことが大切ではなかろうか。かつて私が目白の喫茶店でおこなっていた『見せもの小屋』の朗読会のような場が必要である。
浜川崎の猫のランランをみていると、見知らぬ猫がいると、餌を分けてあげる。猫は個人的な行動を取っているかに見えても、そこにはルールがあって類として社会を作り上げている。猫をみていると人間の自分勝手な生き方が愚かに感じてならない。

2009年7月17日 (金)

田川紀久雄日記

藤井全集の第二巻から読み始めている。ゆっくりと読んでいきたい。
坂井信夫さんから「索通信⑦」が入った。
銭湯に行くにも足が痛く大変だ。お灸の効果がまだでてこない。
秋田のあゆかわのぼるさんからDVDのお礼状が届いた。あとは誰も返事がない。いままで私の聲を聴いたことのない詩人に送ってみたが、詩人は朗読にあまり感心がないようだ。
山本萠さんから十月の私たちのライブの案内の文章がとどく。文章の中に「いのちを賭ける」という言葉が出てくるが、一般的にはいまは「懸ける」の方を使う。でも賭けるの方が私もすきだ。「賭ける」はウンを天にまかせて行なう必死の行為のように思える。私の詩語りの「ウンを天にまかせて」いるところがある。思いつきではなく、必死の行為でなくてはならない。この必死の行為が聲の緊張感を生むのだと思う。技術プラスその人の生き様が人の心を捉えていくものだと思う。詩人たちの聲を聴いていてこの生き様から生まれてくる聲がなかなか聴くことができない。詩人の朗読は詩人だけしかできないものがあるとかつて言ったことがある。それはこの必死の聲が大切だということなのだ。また自作詩を語る意味もそこにあるのではなかろうか。まだ私の聲を聴いたことのない方がDVDを聴いてもらいたいものだ。「人明かりをもとめての旅・1」を通常2200円のところを300円(切手可能)で限定30部をお分けしています。(七月末日まで)

2009年7月16日 (木)

田川紀久雄日記

CTを終わった後に気分が落ち込んでしまった。ドンート穴に突き落とされた感じだ。猛暑に身体がついていけないせいかもしれない。こうなると何もする気がなくなる。
本当に人の心に届く聲ができているのだろうか。温みのあるあたたかい聲を作りあげたい。しかしなかなか思うようにいかないものだ。この不安を感じながらも精進を怠っては先に進むことはできない。進歩しないと思うときこそが、一番大切な時期なのかもしれない。そう簡単に眼に見えて進歩することなどはありえない。それはほんの最初のうちだけだ。『詩人の聲』に参加している人たちはどのような稽古を積み重ねているのだろうか。聲というものは正直だから、努力を怠っている詩人の聲には聴いていても魅力は感じてこないものだ。回数が多いから上手になるのではなく、日々精進をしている詩人だけが人の心を掴む朗読に到達していくものだ。聲というものを甘く見ている詩人には未来がない。苦しくても、お客が集まらなくても真に努力をしている詩人には未来が必ずある。いま詩人にとって大切なことは、まず日々聲を出すことを怠らない生活を作ることから始めていくことである。詩人たちの聲が世の中を変えていく日がくるかもしれない。そのためには死に物狂いで自分自身との闘いの中で生きていく以外にはない。いまは私がたった一人でこの道をあるいているが、いつの日にか私の後についてくる詩人が生まれてくることを願っている。

2009年7月15日 (水)

田川紀久雄日記

今の政治はあきれてものが言えない。廃案になった「障害者自立支援改正案」はなんとかしてもらいたかった。脳死は人の死なんて変な話だ。これでは人間は物でしかない。政治家は国民のことなどちっとも思ってはいない。みんなケツノ穴が小さいものたちばかりだ。
昨日の長谷川穂積の試合は凄い。それに対して粟生は、攻めないでは試合に勝てるわけがない。粟生にとってはいい勉強になったのではないのか。
今日はCTの検査だ。検査も疲れる。腰の痛みはお灸で治療しているがなかなかよくならない。
零細企業はいま大ピンチである。景気がいくらか回復しているというが、そんなのは嘘パッチである。坂井のぶこさんが勤めているところも労働時間を短縮していく計画が持ち上がっている。大変だ。これ以上彼女の収入が減っていったら私たちは生きてはいけなくなる。何とかして詩語りの仕事を増やしていかなければならない。いま「いのちの研修」が盛んに行なわれているそうだが、私のところにも講師としての仕事が舞い込んで来てほしいものだ。

2009年7月14日 (火)

田川紀久雄日記

脳死の問題がこうも簡単に参議院で決まってしまうなんておかしな話だ。人間の死という重大な問題が、衆議院選挙のために決着するなんて許せない。自民党も民社党も信用が出来ない。末期癌になって、死という問題がいかに生にとって大切かを感じている私にとって、この移植の問題は、もっと慎重に話し合うべき問題であった。人間の死はたんなる死ではなく、生という現象の続きの問題である。死を見つめることによって、よりよく生という現象も明確になってくる。いま私はそのことを詩で書いている。「未来への旅」の最終章はこの生と死の問題が明確に表現しれていくと思う。
昨日は今年最高の暑さであった。外での語りの稽古もちょっと大変である。汗をふきふきしながら行なうしかない。生という時間を精一杯生きることによって死の尊さも見えてくるものだ。詩語りの聲はこの生に対して一つの答えになっていかねばならない。そのように努力することの中でしか人明かりが生まれてこないものだろう。なぜ自作詩を語るかは生と死との関わりの中でしか答えはえられない。だからいい加減に行なうことは許されない。ここに魂の聲が生まれてくるのだから。それ以外は偽者なのだ。私は詩語りの極意を掴むためにはまだまだ一人で歩き続けていくしかない。死の崖淵で何かを掴みかけている。この経験を多くの人たちの伝えていける日がきっと来ると信じていまは精進をして生きているだけだ。

2009年7月13日 (月)

田川紀久雄日記

都議会選挙は民主党の勝利で終わった。国民は自民党の政治に背を向けた。これでは衆議院選挙は自民党は闘うことはできないだろう。もっと国民の目線で闘わないとどうにもならない。問題は国民のお腹を満たすのか、その財源をどこから作るのか。税金をあげるのか。福祉の問題を切り捨ててきた政府への不満が爆発したような気がする。未来の夢を持てない日本では国民は無気力になるだけだ。
昨日は足が痛くほとんど歩くことが出来なかった。妹に会いにいきたくても今の状態ではどうにもならない。『癌との闘い』という短いエッセイを書いた。それに詩を半分ほど書いた。
朗読に対して大切なことは作品をどれだけ語りきれるかが問題なのだ。ただ聲が大きければよいというのではいけない。やはり聴き手が感動するように工夫して読むことが求められる。それにはテキストが語るに値するものかが問われる。朗読は奥深い世界である。並みの努力ではどうにもならない。著名人だからといった甘いなど朗読の世界では通じない。詩人たちの世界では聴き手が本物の朗読を聞き分ける力がまだない。腐った畑には決して実はならない。良い畑を作るにはどうしたらよいのだろう。実をもとめることより、良い土をつくることから始めなければならない。土を食べてみて美味しい土を作ることが先決である。

2009年7月12日 (日)

田川紀久雄日記

井原修さんからお米が送られてくる。長谷川忍さんからカンパをいただく。15日のCTの検査費がでる。それに坂井のぶこさんの18日の病院代にも、本当に助かる。
家もおんぼろでガタがきている。修繕しなければならないところがたくさんあるが、いまはそのまま放り投げている。亀岡新一さんの詩にもわたしと同じようなことが書いてある詩がある。部屋が狭く、二人が座るのがやっとである。今は雨露がしのげられるだけでありがたい。いまは大切なことは心の畑を耕すことである。
いくら頑張っても報われない時がある。でもその時が人生で最も大切な時なのである。長い試練がその人を強くしてくれる。長く辛いときこそ、一番幸せなときなのかも知れない。私もそう思って詩語りの道を歩んでいる。人があれこれ言うのは無責任でいっているだけのことだ。成果を求めて生きているのではない。その試練に耐えて生きている今というそのときこそ私の人生そのものなのだある。この意志が末期癌の予防に繋がっている。
浜川崎のランに友達がいることがわかった。子供を生んだはずなのに、子供の姿が見えない。何かがあったのだろう。一週間前にはとても淋しそうな顔をしていた。リュウの姿はここ一ヶ月見えない。心配だ。野良猫が真剣に生きている姿を見ると勇気づけられる。
Kさんより手紙が来た。人集めにやはり悩んでいられるようだ。いまはあせらず自分の畑を耕すことが、明日の日に繋がってゆくのだと思う。同じ悩みをもつものが励ましあって生きていくことも、畑に肥やしをあげるのと同じことになる。

2009年7月11日 (土)

田川紀久雄日記

熊谷さんと亀岡新一詩集の件で会う。
藤井武全集(全10巻)を5000円で買う。神田で買うと割合高い値段がついている。私はキリスト教ではないが、日本人とキリスト教については深い関心がある。
詩人同士が朗読について真剣に話し合うことがない。『詩人の聲』に参加している人たちとも私は朗読について話し合ったことがない。操車場に朗読について書いてくれと言っても、返事すらなかった。それは朗読にたいして自分の意見を持っていないからだろう。朗読にたいして熱き情熱がまったく感じられない。
Q氏に対しての問いに対してのことで、いろんなひとから励ましの電話や手紙をいただく。いろんな問題が起こるから、それを乗り越えて生きてゆくことに楽しみも覚える。真剣に生きていれば何ものにも怖れることはない。でも末期癌である今の私には、出来る限りストレスになることは避けて生きていたい。つねに未来に夢を持って楽しく生きていくことが必要なのだ。心の温もりのある人だけと付き合っていきたいものだ。嫌な場所には出かけていかないこと。そして嫌いな人物とは会わないでいること。我儘な生き方が癌への免疫力をつけることに繋がっていく。いまを生きることが私の日々の課題なのである。そのためには他人には優しく、そして自分には厳しい生き方を求めて生きていたい。

2009年7月10日 (金)

田川紀久雄日記

凄い棋士がいたものだ。藤沢秀行という人だ。癌を三回も患い最期まで闘い続けた人だ。その彼の書が素晴らしい。こんなき気魄をこめた書を今まで見たことがない。最後に床の上でかいた『強烈なる努力」という字がいい。囲碁も美しく差さなければいけない。つねに人格を磨くこと。努力を怠る人間は認めない。
聲は人に聴いていただくものだ。朗読は聲の力で人を惹きつけるものである。だからこそ、並大抵の努力ではどうにもならない。秀行氏がいうように、強烈な努力がなければたった一人のファンもうまれない。そして人間的にも素晴らしくなくてはいけない。いまどきそんな詩人などいない。詩人はまず努力を嫌う。私の語りを招いてくれる人がいる限り、やはり強烈な努力を持続していくしかない。立って語りを行なうのも困難ではあるが、それに耐えて聲の精進を行なうことだ。見果てぬ夢を追いかけて生きることは癌への免疫力にも必要なことなのである。藤沢秀行のような字の聲を作りあげたいものだ。私の身体がボロボロになってもひたすら努力を行い続けるだけだ。横浜や新潟そして三鷹でのライブで人間の存在の深さを語れる聲で詩語りを行ないたい。
人は大変なことでしょうと言うが、私は少しも大変だとは感じない。好きな道を生きていられるのだから。青年時代まで人前でうまく言葉が話せなかったことを思えば、今の私は幸せなのだ。数人の詩人にDVDを送ってみたが、どのような反応が返ってくるのか楽しみだ。抗癌剤の治療を中止しかから、やっと本来の聲を取り戻しつつある。私の詩語りを企画していただける人が増えてくればありがたい。そして人間の器をもっともっと磨いてゆきたい。

2009年7月 9日 (木)

田川紀久雄日記

泉谷栄さんから『阿字・129号』が送られてきた。栄さんのエッセイの語り口が自然体になっている。彼はいかに友達を大切にしているかが良くわかる。落ち込んでいる私に勇気をあたえてくれる手紙まで入っていた。操車場に関わっている人たちが書かれているのも嬉しい。それに福田美鈴さんのことも書かれてある。
泉谷さんの身体も大変なのに、文章はいきいきとしている。不思議な力強さを感じる。それにまた膨大な原稿枚数だ。おどろくエネルギーである。彼が癌に犯されているなんて想像もできない。栄さんは病の総合商社である。だからこそ彼の生に対する執着が人に生きる勇気を与えるのだろう。
操車場の発送がやっと終わった。亀岡新一詩集の版下の作成は楽しい。同時に画集の製作も進めていく。彼の絵を見たいものだ。絵も詩も私とどこか似通っている。そして彼の畑仕事は、私の詩語りに相当する。畑仕事は手が抜けない。まさに詩語りと同じだ。
ここ数日リンパ腺の痛みを感じる。ちょっと嫌な感じである。でも血液検査では何も異常が出ていないのでそれほど心配すうrことはないのかも知れない。いま血糖値が高いのでそれを抑える薬をここ二ヶ月も飲んでいる。
いま漢方が手に入らないので困っている。次から次へと悪法が作られる。大手の薬品会社が儲けるだけの話なのだ。漢方は古来からの民間療法の一つである。それを買えないようにするとは、これでは漢方薬局も廃業に追い込まれていく。癌の免疫力をつけるにも生薬は必要なのだ。いまの政治は国民無視の政治なのだ。

2009年7月 8日 (水)

田川紀久雄日記

操車場の印刷と製本を行なう。今朝はその疲れから腕や肩が痛む。まったく感覚がない。
昨夜は蒸し暑く眠れない夜であった。ワインで初めて新潟の「岩の原」を飲んだ。千円ほどのワインだが絶妙の味である。個性のあるワインだ。創立者の川上さんの魂がいまも生きている。
詩語りも、人の心に惑わされずに、自分を信じて精進をおこなうことだ。新潟では葡萄を作るには適していない地である。それがこのような美味いワインができるなんて驚くしかない。
山本萠さんから電話が入る。十月に萠さんが個展を三鷹で行なう。そのとき宮澤賢治の「青森晩夏と銀河鉄道の夜」を語ってもらいたいとのことだ。ありがたい。手の痺れで三味線はつかえないが、肉聲で魂を込めて語りたい。日々の欠かさない精進が語りの誘いをいただくのだと思う。人によって捨てる人があれば、受け入れてくれる人も現れてくる。
熱海では交通費や公演料も一銭もなかった。そしてその後の批判には心が痛んだ。私の趣味で詩語りを行なっているのではない。自分のいのちと引き換えに行なっているのだ。夕鶴のように自分の身を削って行なっている。趣味で朗読を行っている詩人とは訳が違う。八月・九月・十月と語りの仕事がある。それに向けて精進ができる。やはり目標があると一段と精進にも力がはいる。入場料を取る以上、お客に心のお土産をさしあげられる語りを目指に生きていたい。

2009年7月 7日 (火)

田川紀久雄日記

このところ不眠が続いている。タチアナ・ニコラーエのバッハの平均律を聴いて過ごしている。グールドやリヒテルより今の私には心を癒してくれる。一音 一音が丁寧に弾かれている。それでいて温かい演奏である。詩の朗読もこのように語れれば最高なのだが、なかなか難しい。
新彊ウイグル自治区でのデモで死者140人が出る。なんともやりきれない話である。
それと大阪のパチンコ店の放火事件も心が痛む。四十一歳の男が出頭してきた。{殺害は、誰でもよかった」と供述している。このところ殺人事件が起きてりるが、人のいのちの重さがまったく解らない人が増えている。
自然環境問題も一部報道されているが、日本人の国民にはそれほど浸透していないように思える。ただテレビや新聞の中だけに止まっているような気がする。日本の政府がなにか本気にならないでいる。オリンピック誘致で石原さんは東京を緑のある地にしたいと最初は言っていたが、このところ緑地化の問題が消えてしまっている。東京にある運河を綺麗にしてもらいたいものだ。それと日本橋にある高速道路を早く撤去してもらいたい。
今月はわからないがお金がどんどん出て行く。もう生活費が底をついている。鬱的な気分もお金がなくなっているからそうなのるかも知れない。
腰や手の痺れはひどい。出きるだけ足腰の運動をするようにしているのだが、思うように出来ない。

2009年7月 6日 (月)

田川紀久雄日記

歳をとると、なんとなく鬱的な状態の日々が続くときがある。その鬱的状態を避ける方法は、小さなことに歓びを感じることだと思う。他人からみればどうという事のないことでも、自分にとっては歓びを感じることがある。
いまは人前で行なうライブより、日々のなかでの稽古が楽しい。同じ繰り返しをおこなっているように思えも、決して同じことをやっているのではない。ほんのちょっとした発見もある。言葉の中に血と愛をどうしたら混入できるかを工夫している。頭で思っても出来るものではない。これは厳しい修業の中からしか生まれてこないものである。この日々の闘いの先にしかライブでの歓びがない。お客が多くあttまったからという歓びは本当の歓びには繋がらない。本当の歓びは自分の内なる世界から生まれてくるものでなければならない。そしてライブを聴いたお客が本当に良かったと思える仕事をしていくことだ。そこに詩語りの人明かりの世界が誕生してくる。
緩和ケアが話題になるが、まだまだ病院での対応ができていないように思える。これは制度をに問題があるのではなく、医師一人ひとりの問題である。本当に患者を思う心が生まれてこなければどうにもならない。
老人問題も、老人達に生きる希望や歓びを見出す努力が必要なのである。そのようなケア対策がなされていない。これには地域社会の体質を変えていくことが求められる。医療の問題も老人たちの生きるための活性化が図られれば、随分医療費も少なくなるはずだ。老人達が家にこもらないで生きられる地域社会を作ることがいま一番求められている。人はいつまでたっても社会的な生き方を求めているはずだ。助け合う心が世の中を変えていく。

2009年7月 5日 (日)

田川紀久雄日記

詩の出版社が行なうイベントで朗読などで呼ばれるのは、吉増剛造や谷川俊太郎氏らである。詩の世界に夢をもてないのは、いつも著名な詩人しか招かないからだ。詩の世界ぐらい権威的なことを外してゆきたいものだ。政治の世界も酷いが詩の世界も閉鎖されていて酷いものだ。そして詩人たちも自分の眼や耳で確認しないでただ著名というだけで群れていく。詩の世界が芸能界のようになったらおしまいだ。それは詩人一人ひとりの問題なのである。しっかりと自分の畑を耕している詩人がほとんど見当たらない。となりの畑を気にしてもいたし方がない。毎日自分の畑には鍬をいれなければならない。そして風や雨や太陽などと会話をしていくことが自分の心を耕していくことだ。
誰にも振り向いてくれなくても、自分の畑から素晴らしい野菜や果物を作っていけば、いつかお客は招かなくても、向かうからやってくるものだ。だから黙々と畑を耕すことだ。心の畑は耕すほど豊になっていく。ミミズさんとも仲良くなれる。いろんな生き物たちが、いろいろとアドバイスをしてくれる。汗をかいたら美味しいお茶でも飲めばよい。
操車場も来週の初めには発送ができる。よくも26号まで漕ぎ着けたものだ。今月号から坂井信夫さんは新しい詩の連作がはじまった。高橋馨さんは、まだまだ続く「つれづれのベルクソン」。井原修さんも長谷川忍さんも野間明子さんも坂井のぶこさんもちゃんと自分の畑をたがやしている。読みたい方は、年間購読をお願いいたします。部数に限りがありますので、詩誌との交換はいたしておりません。
佐野カオリさんから山形の新種のさくらんぼが送られてきた。毎年ありがたい。多田農園のさんくらんぼは日本一だ。

2009年7月 4日 (土)

田川紀久雄日記

人間にといっていのちのあり方が問われているにもかかわらず、いのちそのものが粗末にあつかわれている。これは経済の問題に原因がある以前に、人間という存在のありようが問われていなっからである。医療の問題にして首切り問題にしろ、その世界の体制そのものに問題がある。営利主義の世界では、もうそこにはいのちのあり方など存在していない。人明かりの世界は、まず自分より相手への思いやりが求められる。経済優先主義で育ってきた現代の人間には、頭では理解できても身体がともなっていかない。
今の不況の社会では、未来がなに一つとて見えてこない。戦後のときは、生活は悲惨であったが、まだいまより生きる活力があったような気がする。それは戦争が終わったという気持が、どんな辛い状態でも耐えていきていけると誰もがおもっていたように思える。
末期癌と宣告されてからの私は残されたいのちの質を少しでも高めた生き方をしたいと望んでいる。
それは人に恩返しをしたいという強い気持である。六十年以上生きてきた中で一番自分にとって懸命になっていた世界は、詩を書くことと、絵を描くこと、そして最後には詩語りを続けていくことであった。そして人の前で行なえるのは詩語りの世界である。人と人との交流が人の心を豊にしてくれる。共に一緒に生きていられる現場が、私のいのちを豊にしてくれる。でもなかなか人集めができない状態が続いてきた。それは他者のせいではなく、自分の語りの技が未熟であったからである。だからこそ努力を続けなければならない。いままで私の語りを聴きにこなかったお客が私を育ててくれたのかもしれない。いつの日にか感動を与えられる語りを行ないたい。その強い気持がいまの私を作り上げてきたといえる。だからすべての人たちに感謝をしている。
先日清元の聲を聞いていて、ああななんと美しい聲なのだろうと思った。でも今の人たちはほとんど日本の聲の美しさに耳を傾けようとはしない。日本はこれからますます自分の顔を失っていく。臓器移植もいのちの問題である。もっともっと死について語り合う時代にきている。あわてて法案を国会で通過させてはいけない。死の豊かさを私は、いま詩で書いている。それを人の前でもっともっと語ってゆきたい。
坂井信夫さんの原稿が届く。操車場の印刷を始めようと思ったのだが、機械が調子がわるい。機械にはまったくのお手上げだ。

2009年7月 3日 (金)

田川紀久雄日記

政治家が政策論争をしないで個人的なことがらの批判をくりかえしている世の中では、ますます国民にとっては遠いせいじになっていく。夜眠れないので、ウィンブルドンでの女子テニスの放映をみた。スポーツは嘘がないところが良い。お互いが全力をだしあって闘うすがたはみていて感動を呼ぶ。時速200キロい近い球が飛んでくる。そのボールを打ち合うのだから凄いとしかいいようがない。
お客と共に感動ができる世界は素晴らしい。私の語りもお客に感動を与えたい。いまの詩人たちの朗読では、聴き手を惹きつけることができない。まず、なぜ朗読をしているのかさえ見えてこない。それにテキストと向き合う練習量があまりにも少なすぎる。練習をしない方が詩人の朗読にはいいのだという人までいる。詩人仲間しか集まらない詩の朗読はいつまでたっても社会に開かれていなかい。
私はもっと孤独になっていくこと。原則として出前語りしか行なわないこと。自分自身を追い込むことで、開かれた語りを生み出すことに命懸けで取り組むことである。毎日稽古を続けていることがいまは楽しい。まず稽古の鬼になることから、新しい語りの世界を作るしかない。どこまで癌細胞に耐えていけるかわからないが、本物の語りを目指して生きていることが、今の自分を活かさせてくれる。いま出前の仕事が二つある。そこに向けて生きていられる。それだけでもいまはありがたい。

2009年7月 2日 (木)

田川紀久雄日記

八月二十日の横浜ライブが正式に決まった。「整体協会・横浜稽古場」である。これは『詩人の聲』に聴きにきてくださった方からの話である。西洋的な教育によって日本人の聲を失った。聲は身体全体から発させることが必要なのである。癌の治療に、身体全体から発する聲は、私の癌を間違いなく治療してくれている。いま行なわれている詩人たちの朗読の聲とは異なっている。田川紀久雄の聲はどう評価されているのか、などと愚かな質問を投げかけることなど無用なことだ。ひたすら自分を信じて生きているだけだ。信じる生き方を貫き通すことで、私の聲を応援してくれる人がでてくる。そのためにもたゆまず精進をしていくことだ。
公園での稽古は、鳥や虫たちが私の聲を聴いてくれている。そして風も私を応援してくれる。生き物たちへの聲を聴きながら毎日精進をしていける。これはなんてありがたいことなのだろう。生きていることの素晴らしさをつねに感じていられる。明日のことを何もわずらうことはない。今日精一杯生きていられればそれで良い。私の心の畑を耕すことが大切なのだ。そのためにも科学肥料を使わず、自然を活かしたものづくりに徹することである。
今の政治の状況をみていると愚かなことばかりだ。いつの時代も国民無視の世の中であった。政治では何も変えられない。その前にまず自分自身を変えていかねばならない。嫌な世の中と嘆いてみたところで始まらない。それより人明かりを目指して努力していくことが今は必要である。そうすれは自ずから道が開けていけるだろう。ただただ今は辛抱して生きることだ。

2009年7月 1日 (水)

田川紀久雄日記

一度失業してしまう、なかなか仕事に就けない。いま失業者の数も最高である。国は一部に会社に融資をしても、本当に貧しい人たちを助けようとはしない。生きていてもストレスがたまる。
亀岡新一さんの詩集の版下を作成していて、彼の悶々たる気持がよくわかる。踊らされて、踊らされて生きているのだ。本当に裸踊りでもしいなければ腹の虫がおさまらない。でも私は、人明かりを求めて毎日公園で一人語りを行なっている。少しでも人明かりの聲を求めて死にものぐるいで生きている。腹の中は癌細胞が一杯でも癌には負けていられない。体はぼろぼろ、心もぼろぼろになっても生きている限り一ミリでも先の人明かりの聲を求めたい。

2009年6月30日 (火)

田川紀久雄日記

坂東三津五郎は「技芸1ミリでも伸ばしたい」という。この1ミリを伸ばすためにどれだけ苦労をしていることか。私などは1ミリ伸ばすのに一生かかってしまう。1ミリ伸ばしたいという夢の中で芸人は生きている。
詩人が朗読を始めて一年二年でそう変わるものではない。ただたゆまず精進をする中でしか変化がでてこないものだ。これから生涯朗読をしてゆきたいという決意から聲の世界がスタートする。聲が大きいだけならオペラ歌手に負ける。問題は聲の質であると思う。ここには美聲とか悪聲とかは問題ではない。ひたすら自分の世界を構築していくことである。他人がどう思うかは、別な次元の話だ。自分の世界を作れない詩人が、他者を意識するなどもってのほかである。
脳波で動く電動車いすが開発されたという。まるでオカルトの世界のようだ。人間の技術の発展は、本当に人を幸せにするものなのだろうか。何も求めない世界が本当の幸せに繋がるのではなかろうか。物質的な欲望の世界は、人の心を弱くするだけだ。
聲といっても私の場合、身体と精神が噛み合ってこそ聲の力が生きてくるものだと思っている。それは一生の修行なのである。人のために生きたいという大乗の世界が必要なのである。自分を越えた生き方を求めていたいものである。

2009年6月29日 (月)

田川紀久雄日記

石川遼が優勝した。攻めのゴルフが活かされた試合であった。ただ運が良いというのではなく、彼の練習量をみれば、勝って当然と思ってしまう。詩人たちの朗読も、それなりに真剣になって練習を積み重ねれば、聴いていて楽しい世界を作り出せるはずだ。このところ私は語りを磨くという境地に近づいてきている。内的な世界を聲にだして語りたい。そのためには磨いて磨いて聲の荒さを消してゆくしかない。どこまで出来るかわからないが、磨くことはとても楽しいことだ。この世界では十年聲を磨いてもそれほど変わらないのが現実なのだ。だからこそたゆまず努力以外ない世界である。八月と九月のライブに向けて少しでもよりより語りをしたい。
いま『人明かりをもとめての旅・1』のDVD(六月十九日のライブ)を作っている。多くの人に聴いてもらいたい。このブログを読んでいる方には送料代300円(切手可)を送って頂ければお送りします。
「銀河詩手帖」という詩誌があって、そこで朗読のことを後記に書いていた東淵修さんの文章を読んでずいぶん励まされた記憶がある。彼と京都でおこなったライブは忘られない思い出だ。その彼も今はいない。淋しいものだ。彼とは二回会っている。彼のことをいろいろという詩人もいたが、朗読で多くの人に勇気を与えたことは確かなことだ。私も人に勇気を与えられるように頑張って生きてゆきたい。

2009年6月28日 (日)

田川紀久雄日記

金子大栄の随想を読んでいると、文章の中に心の温もりが感じられる。私も含めてだが、このような心あたたまる文章を書ける人が少なくなった。文章も人なりと言うが、聲も人なりなのだろう。
給付金が出ていたので、夏にはくズボンをユニクロで買う。1990円のが990円で買えるのはどこかインチキくさい。なにか騙されている感じがしてならない。でもズボンが千円以下で買えるのはありがたい。残りは電気代や水道代の為に預金しておくしかない。
これから詩語りの目標をどこにおいて稽古をしていけばよいのか。つねにライブの目標がないと、心がどこかで萎えてくるものだ。内面的な聲を生み出すことに時間をかけて精進していく以外にはなさそうだ。そして本当に語りたいテキストを生み出すことが大切なんである。それと足腰が弱っているので少しでも鍛えなければならないが、歩くと直ぐに痛みが走る。なかなか思うようにはいかないものだ。若い人たちが元気に歩いているのを見るとうらやましく感じられる。

2009年6月27日 (土)

田川紀久雄日記

昨夜テレビで歌舞伎の俳優祭を見た。馬鹿馬鹿しいほど楽しく見れた。精神的に落ち込んでいるときにはこのようなものを見ることは必要だと思う。これだけの豪華メンバーが集まるとさすが歌舞伎だといわざるをえない。型をもった芸能ははやり強いものを感じてしまう。
公園で語りの稽古を行なっていたら、お巡りさんから尋問された。怪しげな人間に見えたのだろうか。芸を磨くには、稽古を続けるしかない。いくら頭で考えてもどうにもならない。ただただ肉体と心に染み通していくしかない。不器用な私は誰よりも努力をしていかなければ、人に聴いていただけるものが出来ない。これから熱くなるので外での稽古もなかなか難しいものだ。
坂井信夫さんから仕事が入った。昔のフロッピーが見当たらないので打ち直さなければならない。
宮坂宥勝著『密教への誘い』(人文書院)を買う。読みやすい本である。禅が無なら、密教は有の世界だといわれている。

2009年6月26日 (金)

田川紀久雄日記

7月15日にCTの予約をいれる。不安がつねにつきまとう。
蒸し熱くて眠れない夜であった。ビリー・ホルデイを聴いた。彼女の聲は独特な世界を持っている。哀愁に満ちた唄は人の心をひきつける。マイ・マンなどはやはり何度聴いても良いものだ。シュ-ベルトの歌曲も素晴らしい。私は人の聲でいくら助けられたかわからない。
詩人たちの聲で、なかなか人の心を惹きつける人はでてこないものだ。それは、聲に魂が入っていないことと、それほど精進をしていないことが要因にあげられる。それとテキストにも問題があるのかもしれない。でも今は他人のことはどうでもよい。自分の道を進むことで精一杯だ。『詩人の聲』に聴きに来て頂いた中から、私の詩語りを企画してくださる方がいる。8月20日の予定である。うまく話が進めば嬉しいものだ。私の考え方を手紙で送った。納得したところで行ないたいと思う。このまえの熱海ライブの失敗は繰り返したくはない。
かつて山形詩人会で清水旭さんを呼んで講演をしたことがある。そのとき清水さんは酩酊して問題があったとか、でも主催者である高橋英司さんは、彼を弁護した。詩人というものはそのようなこともあると。批判は批判として受け止めながら企画者の招いた講師を批判はしなかった。そのことは大したことだと思う。主催者が招待したひとを批判するなどは最低の話だ。野球の原監督は、起用する選手を信頼している。この選手と心中するつもりでいるという。これはこのまえの世界大会で言った言葉だ。結果の問題ではなく、人を信用することの大切が世界一になった要因である。
病を抱えた人は、医師や家族それに友人などの信頼が病を早く回復させるといわれている。国の政治も人に対して優しい政治であってほしい。母子加算の廃止はどうみてもおかしな話だ。嘆き訴えている人たちの聲にたいして政府は耳を傾けようとはしない。自民党政府では弱い立場の人たちはますます苦しめられていくだけだ。政治で友愛といく言葉をいわれるのは好きではないが、心を持った政治をしてもらいたいものだ。

2009年6月25日 (木)

田川紀久雄日記

今日は病院の検査日だ。昨夜は琵琶の葉にホッカイロで上から押さえてお腹に当てて寝たら気持がよかった。老老介護の疲れで事件が後を絶たない。これは国の貧しさをあらわしている。お年寄り同士が介護をするには限界がある。いま福祉社会が崩壊している。憲法で国民の生きる権利が認められているはずなんだが、その権利が否定されつつある。もう経済大国を目指すのは止めたいものだ。マネーゲームからは、国民の幸せはつかめない。
今の若者達には未来が感じられないと思う。どこに向かってこの国は進もうとしているのだろうか。学校教育の現場があいかわらず荒んでいる。国会議員たちを見ていたら未来の人づくりが無理なように思えてならない。いまの芸術の世界もあついものが感じられない。なにもかもが行き詰っている。
詩語りの行なう場を失っても、私は未来の自分を見つめてこの語りに励んでいきたい。そしてつねに語りの豊かさをもとめて精進してゆきたい。詩朗読は、本気でやる気がいる詩人がいるかいないかで未来の朗読の世界が変わってくる。でも私が見ている限り、命懸けでおこなう詩人など見当たらない。私は困難にぶつかると、それに負けてたまるかという熱い情熱が湧いてくる。お客が集まるどうこう以前に、お客に感動を与えられる世界に向けていきていく姿勢がまず必要なのではと思う。一時的なお客ではなく、末永く応援してくれるお客を求めて生きていたい。それには時間がかかるものだ。それと癌と闘っている自分の姿をビデオに残しておきたいと思う。やっと抗癌剤の治療をやめてから、聲がでるようになってきた。そのかわり腰や足の痛みが増してきている。どこまでこの詩語りの世界と向き合っていけるかわからない。でも夢だけは大きく持って生きていたい。

2009年6月24日 (水)

田川紀久雄日記

義太夫や、外国の歌曲などを聴くときは、耳で聴くというより、心で聴くことが大切なのではなかろうか。今の日本人は、心で聴くことを忘れてはいないだろうか。情報社会になってますます眼で読み眼で聞いてしまっている。意味がわからないと、すぐつまらないといわれてしまう。そして聲すら腹から出す聲を敬遠してしまっている。怒鳴る聲と腹から出る聲とはまったく異なっている。そのことすら見分けがつかない。
かつては銭湯でも義太夫を唸っていた人がいたものだ。でも今はそのようなひとなど皆無である。日本人の聲や耳は何処へ行ってしまったのだろう。悪聲といわれた今の市川団十郎や住太夫さんなどは、その悪聲を見事に芸風として活かしている。悪聲であることによって、誰にもまねのできない世界を築きあげることができる。
私の聲もとても悪聲である。自分で聴いていてもひどいものだと思ってしまう。でも悪聲がから、誰よりも努力をする。その努力が長い年月をかけて一つの世界を築きあげていくものだ。私の聲は誰が何と言って、私の聲でしかない。好き嫌いは所詮うわべだけのものだ。私は信念を持って自分の聲を向き合って生きていくしかない。昨日NHKでプロフェッショナル。まぐろのカリスマ再びを見たが、一徹な生き方はやはろ魅力がある。不器用といわれようとこの一徹の生き方が最上の生き方ではなかろうか。癌と向き合い、自分の聲と向き合っていくことこそ私の残された人生なのだ。誰一人とて聴き手がいなくても見果てぬ夢を求めて生きていたい。昨日稽古をしていて、いままでの世界から自由になった気がして聲にも味が追加されたような気がした。詩集『未来への旅』は早く完成して、この世界を語ってゆきたいものだ。これからの詩語りは出前しか行なわないようにしていこう。そのためにももっともっと精進をしていく以外にはない。

2009年6月23日 (火)

田川紀久雄日記

日本はCO2の削減のために、原子力発電を進めていく。柏崎原子力発電所の6号機も再開された。なぜ自然を利用した発電にもっと力を入れていかないのだろう。原子力発電には安全という言葉は存在しないはずだ。なにか時代遅れの観がしてならない。
先日古本屋で樋口勉著『いのちの落語』をかった。かれは肺癌でありそれも小細胞に犯されている。まず助からない病だ。この病で筑紫哲也さんもなくなった。とても怖い病気なのだ。彼は手術後に抗癌剤はシスプチンという薬を使用した。この薬の副作用で「手足のしびれ」樋口さんは五回もこの抗癌剤を使用した。それでやっとこの癌から脱出することができた。が手や足の感覚が失せてしまった。その中で一年に一回落語を癌患者やその家族たちのために行なっている。来年まで生きていこうという意味もあるらしい。樋口さんは座っていてまったく足の感覚がない。これは抗癌剤の副作用に悩んでいる人しか解らないものだ。いまわたしもこの抗癌剤で手足のしびれに悩んでいる。正面から私の身体をみればそのようなことなど誰も感じない。でも樋口さんのような生き方をしている人を見ると勇気が湧いてくる。だからこそ私も詩語りでいままで頑張ってきた。それが企画者から、お客が来ないのはお前の聲に問題があるのではといわれてしまうと、今の私の立場がなくなる。六月十九日のライブをDVD化している。頒価は二二〇〇円である。もし購入される方がいれば、じっくりと私の聲を聴いてもらいたいものだ。
先日泉谷栄さんから手紙をいただいた。その中に「詩語りでも詩朗読でも詩に関係のない人たちは語り(朗読)にはもっと興味が湧かないし、関心も抱かないのが現実だと思います。」と書かれてあった。そして「ディレクターの育成が急務かなと思います。」ある。まさに私も同感である。詩人たちすら詩朗読には感心がないのが実情である。そのためには朗読をする人たちの聲を鍛えることが急務である。『詩人の聲』はまさに詩人の聲を鍛える場であったはずだ。私はひたすら聲の精進をしてきた。でもその聲にたいしてお客が来ないのはお前の聲のせいだというように思われていたのなら、とてもつらいものである。会場にはこれなかった癌患者の人たちも、田川さんは頑張って行なっているのだろうと期待をかけられていた。お客が集められない語りでは駄目だといわれてしまえば、もう私は『詩人の聲』には参加ができない。十五回もできたことはとても感謝をしている。心からありがたいと思ってきた。企画者と語り手の信頼関係が失っていれば、行なう意味がまったくなくなる。無名の私は自分の道を求めて生きていくしかない。いままで詩語りを応援してくれた方々には心より深く感謝したします。また一度でも足を運んで下さった方にも・・・。
どうしたらこれから癌に苦しんでいる人たちに励ましの行動ができるのだろうか。人明かりを求めていくにもやはり困難が付きまとうものだ。
日野原重明著『私が人生のたびで学んだこと』(集英社)の中で「医師は患者の心や体の痛みを感じられる存在であれ」「患者には病気をもった人間として、全人的医療を行え」、「冷静な頭脳と温かい心をもって」、「自分の能力を心得よ」、「医業の召命(ミッション)として考えよ」、「生涯、学習を続ける学徒であれ」(42ページ)と書かれている。私は医師ということばを詩人は置き換えて語りの世界に活かして生きてきたつもりだ。語りはそうかんたんには結果が得られない。結果を今は求めて生きているのではなく、持続して語りに打ち込んで生きることが大切なのである。お客を呼べないのは自分でもなさけないとおもっている。これが詩人の世界でもある。なんとか打破したいが、ただただ聲の精進をするしかない。この闘いに生き抜いてこそ結果が見えてくるものと信じていくしかない。

2009年6月22日 (月)

田川紀久雄日記

昨日の川崎詩人会は心あたたまる例会であった。みんなで鶴見線にのって海芝浦まで行った。そして鶴見の養老の瀧で楽しい飲み会であった。八月にまた横浜のドロフィーで朗読会を行なう。宇田禮さんから十九日のライブはよかったとのこと。そして泣いて聴いていたひとが二人いたとのことだ。
もう人を非難する人の輪にはいきたくはない。今の私は心あたたまる人達の中で生きていたい。人生は楽しく生きていたい。意見が異なっていても人の心を大切にしてくれる人のなかでは生きていけるが、一方的な批判はちょっと耐えられないものだ。
きっと私の聲が人明かりになれることを祈りながらこれからも励んで生きてゆきたい。そういう人間になれることで私の病も救われていくことだと思う。詩人クラブの中で「田川は癌を利用して生きているのだ」という人がいるという。しかし私は癌を利用していきているのではなく、癌と共に仲良く生きているのだ。この病で苦しんでいる人達にすこしでも癒される心を与えたいと願って生きている。末期癌を宣告されたひとでなければわからない世界がある。末期癌になってもこうして前向きで生きていられることを示してしたい。そこのどこが悪いというのだろう。詩人たちのやっかみには付き合っていけない。今は「未来への旅」の作品を書き上げることだ。死の恐怖を超えた世界を描いてみたい。そしてこれからは、新しい人明かりの語りの旅をしてゆきたい。私を呼んでくださる方が増えてくれることを切に願っている。

2009年6月21日 (日)

田川紀久雄日記

つらい状態の中にいるとき、人は神秘的な体験を味わうことがある。光が自分の心に目指して入り込んでくる。そして自分が一つの仕事に向かって動きだす。私にとっての仕事は詩語りである。人に人明かりを照らしたいという願いで心が満ち溢れる。だからと言ってそう簡単に人明かりで出来るかというと、なかなか困難を伴うものである。その困難が私の心を鍛えてくれる。柳澤桂子さんの『癒されて生きる』(岩波書店)を読むとそのことがよく書かれてある。
私の『人明かりへの旅』がやって始まったという感じが昨日のライブで味わうことが出来た。これからは、もっと外に向けて活動していかなければならない。それと同時にもっともっと聲の精進を積み重ねていかなければならない。基本的なことができなければ、たんなる空論に終わってしまう。
今日は川崎詩人会である。浦田に行くことは出来ない。また日を改めて行きたいものだ。

2009年6月20日 (土)

田川紀久雄日記

昨日のライブはいいライブであった。自分が思ったよりお客が集まってくれた。聴きに来てくださった方々に心から感謝いたします。お客が少ないのはお前の聲に問題があるのではといはれても困る。二十年も聲を出し続けていると聲そのものは変わらないものだ。あとは聲の深さを探っていくしかない。だからそう目立って成長はしない。できることはひたすら精進していくしかない。そのような意味では昨日のライブはある意味で一つの答えが出たライブであった。抗癌剤を中止してから少しづつ聲が昔のように戻りつつあるということだ。まだまだ未熟だから本物の聲を掴みたいものだと思っている。この『詩人の聲』ではいろいろと学ぶことが大きかった。私の人生の上で大きなプラスになることが経験できた。聲を出す現場は、つねに自分を成長させてくれる。時には失敗もある。いろんな事があるからライブは楽しいのだ。
立って語ったが足の感覚は全くなかった。すこしよろめいたがなんとか無事に一時間を語りきることが出来た。これもお客に助けられたことだと思う。お客がいるから自分も成長できる。自分の聲が成長していけば、自然と私を応援してくる人が増えてくると思う。それには確かに時間がかかる。自分に諦めないで生きることが一番大切なことである。そして自分を信じて生きていかないとこの世界では生き残れない。
辻井伸行さんのピアノには生きる希望を与えてくれる。ショパンの「英雄ポロネーズ」をこんなに楽しく演奏できるひとはいないだろう。語りも人に生きる希望と人明かりの世界を求めていくしかない。
批判する人はいつの世にもいるものだ。井上リサさんも批判しながら、私の聲を聴きには来なかった。批判するひとは安全なところから批判するものだ。あとのことなど責任などとらない。批判は無責任では意味がないということだ。共に生きる心があってこそ良き批判となって生きるものである。つねに前向きに生きていこう。私の聲を求めている人達に対して力強く生きていたい。人明かりの世界が詩語りの目的なのだから。

2009年6月19日 (金)

田川紀久雄日記

右手が痺れてどうにもならない。これは抗癌剤の後遺症だからいたし方がない。足腰の痛みで散歩も思うようにできない。何とかしてこの状況を乗り越えたいものだ。昨夜は琵琶灸をしてみた。身体がまるでお風呂に入ったように温かくなった。そのためか朝は痛みが前日より増したようである。
昨日衆議院で移植法改正案が通過してしまった。脳死が人間の死であることを認めるのは疑問がのこる。西洋的な考えより、日本独自の死の考え方がある。脳死が人間の死であることはなかなか受け入れられないと思う。確かに移植で助かる人達がいる。だからと言ってそう簡単に死の問題を割り切って考えたくはない。人の死は心臓だといままで思っていた。心臓に心があると日本人は考えてきたのではなかろうか。心という漢字は心臓のかたちからきている。もっともっと話し合うべきではなかろうか。人のいのちは寿命がきめると思っている。癌で死ぬのではなく、死は寿命であると考えている。国会で小泉元首相の顔が映し出されたが、嫌な顔をしていた。
今日私の詩語りライブがギャルリー東京ユマニテで行なわれる。聴きにきてくださる方がいるとありがたい。未熟な語りであるが精一杯行なうつもりだ。私の聲はそう簡単に変わるものではない。ただ時間をかけて内面的に深くなっていけばと思っている。

2009年6月18日 (木)

田川紀久雄日記

今の自民党の政策のあり方が時代に合わなくなっているのではなかろうか。戦後の政治の体制は、ほとんど自民党の天下であった。そして体質もほとんど変化しなかった。民主主義という言葉も曖昧であり続けた。国民は政治に対して無関心になっていった。無党派層が多いというのが政治不信そのものなのだろう。
戦争・大事件その他もろもろのものがただテレビに映し出された幻想であったかのように時が過ぎていった。何一つ国民には実感として伝わってこなかった。他者の苦しみなど他所ごとでしかない。いまの日本人の心がなかなかつかめない。他者のことか簡単に批判ができることは、それは自分の立場を抜きにしているから言えることなのだ。つねに自分はどうなのだという意識を除外している。昨日の党首の対談も国民にはわかりにくい。自分の都合の悪いところは除外して議論を進めていく。
鈴木良一さんから新潟でのライブの詳しい予定が送られてきた。いろいろと気をつかっていただき本当に有り難い。

2009年6月17日 (水)

田川紀久雄日記

日本人は、お金で人生の楽しみが買えるとおもっておる人達が圧倒的に多い。景気の良い時はマネーゲームに走って今の世界的不況を編み出してしまった。まったく人生そのもの楽しむことを知らない。教育の目的も、良い会社に就職することであった。本当の人生を楽しむことをしらない。人に優しくすることで楽しみが増える。心と心が通えなる友をもつことが人生の最高の価値である。人に優しくなることで、自分を越えた人間に成長できる。そして人の為に生きたいという心が生き甲斐を作り出してゆく。お金で買った豊かさは虚しいものだ。高価な物をいくら買ったってそれで心が満たされることはない。文化を愛する心も必要だ。辻井伸行さんのCDが10万枚を越えたという。クラッシック界ではまずありえない現象である。そして村上春樹の小説も100万部を越える売り上げだ。
 日本人は自分の眼で確かめてものを買うのではなく、社会的現象で購入する。大切なのは無名の芸術家を見つけて応援する生き方を身に作ることが大切である。いまの日本人は自分で見出してゆくのが苦手になっている。なにかに寄りかからなければ何も前に進めない人間になってしまっている。本当の幸せは外の世界ではなく、自分の内なる心を耕していく中でしか真の歓びは生まれてこない。
今の私は生活苦の中で生きていても、人生の歓びの中にいる。詩語りの世界を磨いていくことも一つの生きる歓びである。そしてできるだけ人に優しくして生きてゆきたい。人生の楽しみは遠いところにあるのではない。自分が出来るところから生まれてくるものだ。毎日音楽を聴けることも生きていることの楽しみでもある。

2009年6月16日 (火)

田川紀久雄日記

零細企業では夏のボーナスが支給されないところが多いと聞く。住宅ローンを抱えている人達には大変なことである。いま住宅を手放すひとが急増している。人生の設計図が崩れてゆく。マネーゲームのツケがいまの社会そのものを破壊している。自殺者も増え続けている。麻生政権下では何も手が打てないでいる。総理はもっと外交問題に動かねばならないのに、都知事選のために走り回っているとは情けない話だ。麻生総理の顔の表情が悪くなった。自信のない顔付である。これでは麻生さんに人気がなくなるのは当たり前だ。一日も早い選挙を国民は望んでいる。
芸を磨くには長い時間がかかるものだ。詩語りも思うように上手くならない。外での稽古では人が邪魔になって出来ないときもある。そのような時は部屋の中で心で語る稽古をするしかない。それなりに努力をしていかないと、人に伝わる語りにならない。たった一人のファンを作るのが大変なことだ。一人のファンができれば二人、三人と増えてくるはずだ。その一人のファンを作るためにひたすら努力を続けるしかない。詩人たちの朗読会は、義理で聞きにきているのが現状だ。そこではやはり甘えが生まれる。井上さんの批判はそれなりに有り難いが、怨みからの批判ではかえって人の心を傷つけるだけだ。
最期の時まで、詩語りを磨いてゆきたい。そのためにも心から応援をしてくるファンと出会いたいものだ。お客のいないライブはそれなりに辛いものだ。でも誰も来なくても行ない続けるのが詩の世界である。どんな状況でも投げないことが大切である。見えないお客に向かって語るしかないときもある。それが次の語りに活かされていくと信じて行なうしかない。
十九日にギャルリー東京ユマニテで行なう。身体的に今はきついが、聲の力を落とさないように稽古を続けるしかない。

2009年6月15日 (月)

田川紀久雄日記

郵政の問題は、国民不在である。自民党の内部の派閥争いにか過ぎない。これでは自民党系の千葉の市長が負けるのは当然だ。森田健作も嫌な顔になった。国民は何を希望にして生きていけばよいのだろう。
福祉のエコカーも今まで減税の対象にはなっていなかった。福祉関係者から異議申し立てがなかったら、知らぬ顔でいたのだろう。国土交通省の役人は、弱い立場の人達には冷たい。一番天下りが多いのはこの国土交通省なのだ。それの税金の使い道がわからない。
宮城大震災も一年経過したが、まだ生きる術を見出せない人達がいる。国とはいったい国民にとって何なのか。ただ税金を搾り取るだけのものなのだろうか。国そのもののあり方を変えて行かなければこの日本は沈没していく。国民一人ひとりが助け合う精神がいま求められている。学校教育ではそのような精神を教えはしない。自分さえよければという教育方針なのだ。若者達がまったく政治に無関心であることがやはり心配だ。その若者達が現実には就職問題やその他で大変な状況化におかれている。
詩人たちは、いまどう生きていくべきかを問われてもいる。魂を救える仕事をしてゆきたいものだ。
井上りサさんがブログに野間明子のライブのことが詳細に書かれている。このような紹介はブログに書かれることはとても良いことである。それと「詩のボクシング」についても書かれてある。詩人でない立場からの発言は大切なことである。ただしブログで他人を批判するのは感心しない。ブログでは良いアドバイスが大切なのである。そのことを忘れないように。

2009年6月14日 (日)

田川紀久雄日記

国立アニメの殿堂が自民党内部でも批判されている。いまこの不景気の中で作る必要性がまったくない。そのようば117億円のお金があれば、地方の芸能が危機的状況に追い込まれている。日本の昔から受け継がれてきた文化が消えようとしている。そちらの方に数億円でも補助をまわしてもらいたいものだ。そして新しい文化を創ろうとしている『詩人の聲』に僅かな資金でもだしてもらいたいものだ。文化はうえから作られるのではなく、庶民のエネルギーが基礎になっている。しかしいまどこでも携帯のメールうちばかりだ。漫画を読む人たちの数も減ってきている。テレビも合いも変わらず同じタレントが出演して馬鹿げたことばかりを演じている。いまの世の中は一億総白痴化の時代になりつつある。
官僚たちは国民の苦しさをまったく理解していない。自分たちの政権確保にやっきになっているだけだ。国民は官僚たちに利用されるものと思い込んでいる。そのために政治から眼を離すような政策をとるのだろう。その第一が教育である。本当のことを教えない教育が正しい教育と思い込んでいる。
私は末期癌と闘う姿を公開している。一人の多くの人たちに生きる勇気を与えられる仕事をしていたい。詩語りに残りの人生を懸けて生きる姿を見てもらいたいものだ。先日私を批判したブログを書いたIさんのブログから私を非難したところが消されてあった。消すなら私に素直にあやまるべきだと思う。医療と芸術を大学で講義している人らしくない。

2009年6月13日 (土)

田川紀久雄日記

川崎まで坂井のぶこと出かけたが、歩くのに辛かった。大腿部が痛くてこまった。癌になってここまで生きてこられたことを思えば、そのようなことなどどうでもよいことなのかもしれない。
二年前に肝細胞癌で亡くなった鈴木ヒロミツがモップスの時代に前座で行なっていたのが忌野清志郎と井上陽水である。鈴木ヒロミツは余命三ヶ月と宣告されて、一切の医療行為を拒否して家族と過ごした。『余命三ヶ月のラブレター』は温もりのある本だ。愛するものがいることが、その人の生き方を強くしてくれる。
詩語りがここまで出来たことは、それなりの人達のお陰である。私を応援してくた人達のためにも、もっともっと頑張って語りを続けたいものだ。できたら『詩人の聲』に聴きに来ていただきたいものだ。一人でも多くの人に来てもらえることがいまの私には必要なのだ。詩人クラブを辞めたとたんに、会員の人達から知らぬ顔をされてしまった。詩人同士の付き合いいは損得勘定であったとおもうと悲しいものだ。だからこそ、私は自分の人生に負けたくはない。出来るところまで語りの世界を追求してゆきたい。
川崎市はいまだに給付金がでない。生活がこまっている。一日でも早く貰いたいものだ。

2009年6月12日 (金)

田川紀久雄日記

語りを行なう瞬間は、つねに未知の領域との闘いである。まるで闇の世界を突き進んでいくような感じがする。その心を支えてくれるのは、人への愛であると思える。いくら語りの技術を磨いても、そこに愛への精神がなければ人を感動させる世界を掴み取ることはできない。いくら聲が出ていても言葉をなぞっているだけではどうにもならない。聲に魂を入れることは難しいものだ。聲にはその人の在り様が写しだされるからだ。詩人の聲を演ずることはある意味ではとても怖い世界でもある
初心者は、まず自分の聲を作ることで奮闘することだろう。そしてテキストとの闘いもある。それらをクリアできたところから詩人の聲が始まる。そこまで行っている詩人がいまこの日本で何人いるのだろるか。『詩人の聲』の企画は、そのような意味でも大切なことなのである。もしこのような企画が存在しなかったら、詩人の聲に目覚める詩人が出てこなかっただろう。何としてでも天童さんには千回まで行なってもらいたいものだ。そうすればそのうちの一パーセントの詩人が本当の詩人の聲を掴み取ることができると思う。そこから日本の詩の変革が始まっていけるのだと思う。詩を原始のかたちに取り戻すことは聲の力しかないはずだ。そのことに詩人たちが気づけば、詩は詩人の世界から解放されてゆく。そして詩人の存在も誇りをもって社会の中で生きたものになってゆくのだと思う。
私は、一番たいせつな世界『いのち』について語り始めている。『未来への旅』シリーズが完成するころには、『いのち』がもっと具体的に語れるようになっていけると思う。語りを行なうたびにいろいろと迷う。その迷いが未来への語りの世界を作っていける原動力になっているはずだ。スケールの大きな語りを目指して生きていたい。そのことが癌の進行を防ぐ唯一の方法なのだと思う。そのためにも一人でも多くの人たちの応援が大切なのである。

2009年6月11日 (木)

田川紀久雄日記

昨日は、下痢が続いた。そして京橋まで出かけるのに足腰が痛んでつらかった。野間明子さんのライブが無事に終わってほっとした。
ライブに向けては一つ一つ目標をたてて行なわなければ、いつまでも進歩はしないだろう。朗読では、やはり聲の力がないとどうにもならない。辻井伸行氏のピアノの音色の美しさは、ひたすらな努力があってのことなのだ。人の聲にも勇気づけさせてくれるものが必要だ。聲にいのちがこめられた叫びをしなければ詩人の聲は社会からは評価されないだろう。いくら知名度があっても、詩人の狭い社会の中のことでしかない。
私は聲の伝説をつくりたい。ひたすら魂の聲を発する詩人でありたい。熱海ライブを企画したIは、ブログで批判することは最低だ。鵜澤氏は心配して『身体は対丈夫ですかと』と電話でいったきた。その気持はありがたかった。以前詩誌「漉林」でW氏に批判されたことにたいしての怨みであろう。でもそのことで私は逆に強く生きられる心が持てた。もっともっと聲に対して前向きに生きていける。癌との闘いにも負けたくはない。そして人の心に届く温もりのある聲を作り上げたい。ローマは一日にしてならず、という諺のように、日々の精進があってこそ人の心に届く聲がうまれてくるものだ。新潟のライブには、本当の詩人の聲を聞かせたいものだ。

2009年6月10日 (水)

田川紀久雄日記

島田陽子さんが『叢生・162号』のあとがきに忌野清志三郎について「孤高といえる存在だったようだが、それを貫けた彼は真の勇者だと思う。彼を支えたのは、やはりファンである。ひとは自分を理解してくれるひとや、ことばがあれば、どんな状況でもくじけずに生きてゆける。」と書かれてある。まさにそのとうりだと思う。
しかし、詩人にとってなかなかファンなど見出せないものだ。誰にも評価されなくでも貫き通す根性をもたなければ、詩など書いていられないものだ。そのうえ、語りまで行なうことはある意味では自殺的な行為である。詩人の中には朗読を絶対認めない詩人がいる。私の語りを一度聞いてくれと頼んでも、俺にはそういう興味がないのだといわれてしまう。聴きにきても義理で来てくれることが多い。わたしとしてはとても辛いことだ。でも聴きに来ていただけることでも本当に有り難いものだ。お客のいないところで語るのはつらいものだ。語りを行なうには、情熱とそれにたいする忍耐が求められる。それに向かってひたすら精進していくしかない。
辻井伸行氏がバン・
クライバーン国際ピアノコンクールで金賞に輝いた。彼のピアノの音色は確かに人の心をゆするものがある。フジ子さんとはまったく違った音色だ。彼のピアノの音色には光をさすものが感じられる。そしてフジ子さんの音色には孤独に満ちた悲しさを感じる。二人のカンパネラを聞いたが、どちらも感動する。ほんとうに素晴らしいものだ。この感動させる音色は、たえまない努力と音楽に対する情熱から生まれてくるものである。
私の語りも、つねに言葉に対する情熱と、それを伝えたい気持を高めていくしかない。お客がまだ集まらないのは私がまだ未熟なのだろう。見えないお客が、もっと頑張ってと言っているのだろう。でも今は私を応援してくれる人達がいる。自分自身に負けないように生きてゆきたいだけだ。愛が人を勇気付けてくれるものだ。
今日は野間明子さんの朗読がある。彼女はどんな聲を発するのだろうか。二十年前は凄い聲の持ち主であったが、いまはどう変わっているのか。身体との不調との闘いであるが前向きに聲を出してもらいたい。

2009年6月 9日 (火)

田川紀久雄日記

減反が農林族によって阻止された。日本の未来の食糧にたいして欲の突っ張た人たちによってこの国の危ない。美味しいお米が食べたいものだ。農薬のつかわない自然なお米を。癌の治療には無農薬野菜や、玄米が良いといわれている。野菜はいくらかは無農薬野菜を取り入れた生活を送っているが、お米までは手がまわらない。
失業者や自殺者が増えている。毎日電車は人身事故が起きている。衆議院選挙で、国民を欺く公約だけはしてもらいたくはない。政治でできることと、国民の一人ひとりが何かの役に立ちたいと思って人生を生きることをすれば、世の中は少しは良くなっていくだろう。
宇宙から見るとこの地球がいかに環境破壊が進んでいるか一目瞭然とわかる。それなのに環境対策はなかなか進まない。高速道路の千円によって排気ガスが一挙に増えた。無料化になったらもっと増える。電気自動車のみを無料化すべきだ。私の住んでいる側を走っている産業道路は大型車のくるまで排気ガスは凄いものだ。癌が増えるのもこの排気ガスとの関係もあると思える。
堀本恭三さんからカンパをいただいた。彼も無職なのにありがたい。何とかして詩語りの仕事を増やしてゆきたいものだ。最低の生活が出来えるところまで漕ぎ着けなければならない。

2009年6月 8日 (月)

田川紀久雄日記

夏目漱石は、知識人の孤独について、他者にたいしての思いやりのなさを述べている。入院して医師と付き合っていて一番感じることは、患者にたいしての説明不足である。医師は技術のたしかさと同時に人間性の豊かさを求められているのではなかろうか。別に人格者になれというのではない。他人をおもいやる心をもつことが大切だといいたい。クオリティ・オブ・ライフは神谷実恵子さんは『自分の存在は何かのため、またはだれかのために必要であるか』と述べている。
詩の朗読も、いのちの質を求められているのではなかろうか。そのような詩を書いて語ってゆきたいものだ。何かを伝いたい気持がよりより朗読に繋がってゆくのだと思う。そのために聲を鍛えていく意味もうまれてくるのではなかろうか。熱海のライブを終わっていろいろと考えさせられることがあった。いろんな経験を積むことによって、語りは進歩していける。神谷さんがのべるように、だれかのために必要な語りを行なってゆきたいものだ。そのためにはどうすべきかを練習の中から見出してゆかなくてはならない。詩人の朗読の可能性についても深めた思索をしていかねばならない。これからの環境問題や老後の問題などにも、詩人の語りの世界を広げるべきだと思う。
詩人クラブが法人化になったが、社会的な仕事をしていっているのだろうか。なんのための法人化であったのか、いまだみえてこないような気がする。七月の『詩人の聲』の参加者が増えている。多くの詩人たちが聲を出す機会を持つことによって、詩そのものに変化が生まれてくるかもしれない。六月の『詩人の聲』では長い経験をもつ歌人や詩人が参加している。いろんな聲の持ち主がいる。お金があれば聴きにいきたいものだ。私の語りも十九日にある。一人でも多くのお客が集まってくれることを願う。

2009年6月 7日 (日)

田川紀久雄日記

今日という字は、今を懸命に生きるといことばだ。そして明日は、明るい日になるという字になる。言葉はそれなりの意味を持っているものだ。今を一所生懸命に生きることが、癌患者の生きるテーマである。今を大切にすることによって明日に希望を託す。
昨日金比羅歌舞伎のことをテレビで放映していたが、役者にとってはいかに場というものが大切かということを物語っている。お客と一致になれる場は、役者である以上望むものだ。詩人だって、語る場は大切である。役者の気持のわからない人間には、そんなことをいっても理解できないだろう。場を大切にすることは、そのことによってお客を大切にすることにも繋がる。
昨夜は脳天に痛みが走った。四、五回続いた。光の先に神がいることを見ることができた。不思議な現象を体験した。
「未来への旅」の詩が一篇書けた。十九日には新作を二篇読んでみたいと思っている。日々の闘いの中で生きることの楽しさを感じていたいものだ。今日を精一杯生きよう。人に役立つ生き方を求めていたいものだ。

2009年6月 6日 (土)

田川紀久雄日記

久しぶりに激しい下痢をした。胃の痛みもあったがなんとか治まった。
クオリティ・オブ・ライフ(QOL)という言葉がある。日本語だといのちの質を高めることだと思う。このいのちの質を高めることによって癌患者が自然治癒で癌が消えてゆくこともある。末期癌といわれた場合、このいのちの質を高めていくことで、癌と友達になって生きていくしかない。私の場合、癌になる前から詩語りに打ち込んで生きてきた。そして末期癌と宣告されても、それほどの恐怖を感じなかった。それは詩語りに打ち込んで生きてい行けばなんとかなるのではないかという思いがあったからである。
抗癌剤の治療をおこなっていた時期は、聲を出すのが辛かった。思うように語りができない。自分の聲でありながら、思うように聲が出せないことは辛かった。でも聲を出す場を提供してくれた天童大人が企画している『詩人の聲』に参加させてもらうことによって、なんとか聲をだせるまでになってきた。このことが私の癌対策にとてもよりよい効果があったと思う。だから一年以内に死ぬはずの私が二年すぎても生きていられる。いかに聲をだすことが私の願意とっては有効であるかということだ。人生をより豊にいきることは、自分の人生の質を高めていく以外にはない。たまたま私にとって詩語りが私の人生を豊にしてくれたのである。ここまで聲が出せることはある意味で奇跡にちかいことなのだ。そして私に詩語りの場を提供してくださった方々には心から感謝している。
私は、癌が治っていない以上、もっとこのいのちの質を高めながら生きていく以外にはないのだ。癌を凝視しながら聲をだしてゆく生き方はそれなりのドラマがある。マリンスあたみいのライブも、私なりに良かったと思う。昨日ビデオで確認したが、それなりの聲がでていた。批判は批判として受け入れながら、もっと前向きにいのちの質をたかめる生き方をしてゆきたいものだ。

2009年6月 5日 (金)

田川紀久雄日記

操車場25号の発送ができた。こんなに長く続くとは思わなかった。詩語りが私の寿命を長引かせてくれている。生きる意味を明確にすることによって、免疫力が高められていく。熱海の反省点は、もっとお客に向けて語る技術を身に付けることである。一時間詩を語るだけではなく、もっと話を取り入れながら楽しい世界をつくらねばならない。
社会の中で詩を語ることの意義を追求していかねばならない。そういう意味では井上リサさんの今回の企画はそれなりに意味があった。お客に対するサービスにかけていたということだ。詩人たちの前で語るとは訳が違う。そのことをこの公演から学んだ。お互いに行き違いがあったが、私には多く学ぶものがあった。
多くの癌患者が私のブログを読んでいるだろう。だからつねに前向きで生きていかねばならない。癌になったことで活かされていることを報告していかねばならない。癌になったことを悔やんでも始まらない。事実を受け入れながら、どうしたら人間として生きることができて、人の為に生きていけるのだろうかと前向きに考えていくことだ。家族も辛い。だから当事者は愛する家族のためにも、生きる希望を失ってはならない。人は癌でなくてもいつかは死ぬのだ。癌は死を見つめながら生きられる。そのことはとてもとても幸いなことだと考えることだ。「雨ニモ負ケズ 風ニモマケ負ケズ アラユル批判ニモ負ケヌ 丈夫ナカラダヲ持ッテ 生キルコトガ 癌ニハ大切ナコトダ」癌と共に生きることの意味をみんなで考えて生きたいものだ。そして宮澤賢治の世界への幸せを求めて生きて行くことだ。

田川紀久雄日記

操車場25号の発送ができた。こんなに長く続くとは思わなかった。詩語りが私の寿命を長引かせてくれている。生きる意味を明確にすることによって、免疫力が高められていく。熱海の反省点は、もっとお客に向けて語る技術を身に付けることである。一時間詩を語るだけではなく、もっと話を取り入れながら楽しい世界をつくらねばなrない。
社会の中で詩を語ることの意義を追求していかねばならない。そういう意味では井上リサさんの今回の企画はそれなりに意味があった。お客に対するサービスにかけていたということだ。詩人たちの前で語るとは訳が違う。そのことをこの公演から学んだ。お互いに行き違いがあったが、私には多く学ぶものがあった。
多くの癌患者が私のブログを読んでいるだろう。だからつねに前向きで生きていかねばならない。癌になったことで活かされていることを報告していかねばならない。癌になったことを悔やんでも始まらない。事実を受け入れながら、どうしたら人間として生きることができて、人の為に生きていけるのだろうかと前向きに考えていくことだ。家族も辛い。だから当事者は愛する家族のためにも、生きる希望を失ってはならない。人は癌でなくてもいつかは死ぬのだ。癌は死を見つめながら生きられる。そのことはとてもとても幸いなことだと考えることだ。「雨ニモ負ケズ 風ニモマケ負ケズ アラユル批判ニモ負ケヌ 丈夫ナカラダヲ持ッテ 生キルコトガ 癌ニハ大切ナコトダ」癌と共に生きることの意味をみんなで考えて生きたいものだ。そして宮澤賢治の世界への幸せを求めて生きて行くことだ。

2009年6月 4日 (木)

田川紀久雄日記

抗癌剤に治療を二四サイクルを行うと、その後の後遺症に苦しむものだ。一サイクルは三回の抗癌剤治療を注入する。そして一週間中止してまた行なう。私は七二回の抗癌剤を身体に投入したことになる。手術ができない以上この方法しかなかったのだ。最期に身体が悲鳴をあげて抗癌剤の治療をやめたのである。そして詩語りの為に聲をあげようと思ったが、二年近く自分の思うような聲が出なかった。
今日一日生きていたい。これが末期癌者の願いである。そのためには自分の人生を何かを懸けて生きるものを持っていなくては生きてはいけない。
いま一時間語りをおこなっていると相棒からも最後の方は息がきれて聲がそれほど出ていなかったよと言われることが多い。だからこそ聲の精進に励んでいる。もし何もしないで語りにのぞんだら、まるきし聲がでないだろう。
癌と闘って生きてこられた方には、抗癌剤治療の苦しみが理解されると思うが、普通の人にはまったくこの苦しみは解らない。末期癌を生き抜くには日々の中では相当に苦しいものがある。人前では元気で笑い顔で生きている。まず手の痺れで指先に感覚がない。いまこうしてパソコンを打っていてもジンジンと痺れておる状態である。それに歩くと腰の痛みを覚える。

身体に負けないように生きたい。免疫力を高めたい。そう思って詩語りに残りの人生を懸けている。今年に入ってから、いくらか人に聴いていただける語りが出来るようになってきた。末期癌者でこうして元気に生きている。そして詩を語っていられることをライブを通じて伝えていきたい。
熱海では三味線を弾くとき指に感覚がなくておこなった。上手くはないがそれなりに弾けたことは嬉しかった。聲もスポーツクラブのような場所ではそれなりに出来た。いろいろとまだ問題は残っている。それを厳しく批判されてはどうにもならない。批判はそれなりに有り難いものだ。正直に言ってくれることは有り難い。これからの人生にとっても良いことなのである。批判されたことに感謝すべきであろう。
癌という字にくらべれは、嫌なイメージではない。詩語りと詩壇とはまったく何の関係もない。詩語りは私個人の問題である。詩語りをいろんな場で行なうことによって鍛えられ社会に広げられていけるチャンスの場であった。
温泉に入れて、腰の痛みがいくらか良くなった。いろんな事があったが、自分に負けないように明るく生きていたいものだ。なぜ宮澤賢治をということだが、「青森挽歌」や「永訣の朝」は死を扱った作品である。癌にとっては最大の問題である。どう死を受け止めていくかをテーマにしてゆくのも、癌患者の仕事である。
私の背後には、今も抗癌剤と闘っている人達がいる。そのような人達のためにも前に向かって生きていかなければならない。どうしても人明かりの仕事をしたい。一般の人達に非難されても癌の苦しみから思えばなんでもないことだからだ。医学の勉強しているひとには人の心の痛みや苦しみを理解する能力が一番大切なのである。ケアという言葉は、同じ目線で物を考えたり共に行動することなのである。

2009年6月 3日 (水)

田川紀久雄日記

私が抗癌剤の医療や手術を拒んだのは、どうしたら人間として最後まで生きられるかということで判断をしたのだ。医師は抗癌剤の治療で癌細胞を小さくしてから癌の手術をすう予定で治療を始めたのだ。この選択をするにはそうとうな勇気がいる。いまでもすべてを拒否したことが良かったのかどうかは誰にもわからない。でも現実にはすべてを拒否したことによって詩語りを続けられていることも事実なのだ。
熱海から帰ってから身体がとてもきつく感じられた。重い荷物を背負い、重い三味線を持って歩いたことはそれなりに身体には辛いものであった。でも語りが出来たことは嬉しいことだ。人々に癌について私なりの考えを伝えられたことは、やはり生きていられるからそこ行動ができる。生きていることの素晴らしさを感じる。それが人間として生きている証拠にもなる。癌患者の前で、いま生きていることの歓びを感謝するイベントを行ないたいものだ。「みんな手をつないで生きていれば怖くはない」という名の運動をしたい。残されたいのちは人明かりのために使い果たしたい。演奏をできる癌患者の演奏家がいないものか。一緒になって運動をしてくれる人を探したいものだ。生きていることがどんなに素晴らしいかということを伝えて生きたい。いま個の社会は夜の世界になっている。だからこそ癌患者がこの世に光を与える勇気をもつことで、世の中は変わっていくはずだ。私は無能力者じゃない。確かに貧乏をしている。明日の生活費のも事欠いている。だけれどの誰よりも負けないで生きている。
いまちょっと胃が痛むが、今日から「操車場」の印刷と製本に取り掛からなければならない。今週中には、購読者に送られるだろう。

2009年6月 2日 (火)

田川紀久雄日記

鈴木良一さんから原稿と、新潟ライブの詳しい場所と時間の連絡があった。古い民家を改造した画廊で行なう。聴き手と語り手がうまく調和が保たれる場所らしい。このような空間で『生命の旅』を語りたいものだ。本当にうれしい。画廊の名前はFull Moon である。
昨日見た大楠が私の前に現れた。来の宮神社には坂上田村麿が参拝した場所だ。伊豆は出雲の語源にからきたのかもしれない。有明の光の意味の謎もすべて解けた。そのことを坂井さんに説明をする。光とは太陽であり神道の鏡でもある。私は一度熊野に行ってみたくなった。そして空海の密教えを深く知りたくなった。生命の源への旅がこれから始まるのかもしれない。
詩語りももっと磨きをかけていかねばならない。光り輝く太陽のように、生命力に満ちた世界を作りあげることだ。聲の力のみがそこに到達する道でもある。聲を疎かにする人は、聲(朗読・語り)を発する資格はない。大楠は、まるで私の体内に存在する癌のように、生命力に満ちている。癌は、逆に私を守ってくれているのかもしれない。2千年も生き続けている楠は私の中で癌と一体になって私を守ってくれる。そういう意味では昨日の熱海の旅はとても良かった。神々は私を招いてくれたのかもしれない。井上リサという巫女によって招かれたのだろう。

天童 大人 プロデュース
詩人の肉聲とコトバとを聴く! 
プロジェクト La Voix des poètes (詩人の聲)
―肉聲の復権を目指す、「目の言葉」から「耳のコトバ」へー  
6月
第341回6月2日(火)ギャルリー東京ユマニテ 四元康裕(2)
第342回6月3日(水)ギャルリー東京ユマニテ 中原道夫(3)
第343回6月4日(木)Star Poets Gallery 村山精二(2)
第344回6月5日(金)サロン・ラ ルーチェ 紫圭子(4)
第345回6月8日(月)サロン・ラ ルーチェ 薦田愛(20)
第346回6月9日(火)サロン・ラ ルーチェ 竹内美智代(2)

第347回6月10日(水)ギャルリー東京ユマニテ 
野間明子(初参加)
第348回6月11日(木)サロン・ラ ルーチェ 有働薫(10)
第349回6月12日(金)ギャルリー東京ユマニテ 大島龍(2)
第350回6月15日(月)ギャルリー東京ユマニテ 片山令子(初参加)
第351回6月16日(火)ギャルリー東京ユマニテ 福島泰樹(初参加)
第352回月19日(金)ギャルリー東京ユマニテ 
田川紀久雄(
15) 『見果てぬ夢』を語る
第353回6月22日(月)ギャラリー華  井田秀樹(初参加)
第354回6月30日(火)ギャルリー東京ユマニテ 平田俊子(2)

2009年6月 1日 (月)

田川紀久雄日記

熱海ライブが無事に終わった。今回は鵜澤明人と井上リサさんのお陰でお客も三十人が集まり楽しいイベントができた。そして井上リサさんとの対談もそれなりに和やかにできた。お客さたちも真剣になって聴いてくれた。思い出に残るライブであった。
熱海で一泊しゆったりと温泉に浸かることができた。腰の痛みに良い治療であった。
来宮神社の楠の大木がすごかった。2000年になる木である。こんな大木を見たことがなかった。家に三時ごろ戻る。

田川紀久雄日記

熱海ライブが無事に終わった。今回は鵜澤明人と井上リサさんのお陰でお客も三十人が集まり楽しいイベントができた。そして井上リサさんとの対談もそれなりに和やかにできた。お客さたちも真剣になって聴いてくれた。思い出に残るライブであった。
熱海で一泊しゆったりと温泉に浸かることができた。腰の痛みに良い治療であった。
来宮神社の楠の大木がすごかった。2000年になる木である。こんな大木を見たことがなかった。家に三時ごろ戻る。

2009年5月31日 (日)

田川紀久雄日記

今日熱海でライブを行なう。
人は自分の個の殻から抜け出して、人の中で生きることで人間という言葉の意味があるのだろう。そして相手の為に生きる精神を身に付けることでより豊かな人生が送られる。そのためには人より一つ優れたものを身に付けることが大切なんだ。私にとってそれは詩を語ることである。心の底から語れる芸を身につけることに日々生きている。
いま日本の社会ではこの「芸」を軽んじられている。職人達の仕事もなくなりつつある。これはとても悲しいことなのだ。今の家造りにしてもホチキスでとめてつくる家など昔はとても考えられなかった。ちゃんとした柱のあるのか家だった。そこには雀たちがすめる居住空間があった。生き物たても住めない建物が都市にはどんどん作られている。ツバメの巣もだんだん見られなくなっている。生き物たちの数がどんどん少なくなっている。
人間だけが住めるような住宅は、環境破壊に繋がっている。便利さの追求が人間の精神を歪めさせているのではなかろうか。不自由な空間があってこそ、そこに豊かな想像力も生まれてくるのではなかろうか。いま私は末期癌という身体的には不自由な中で生きているが、心はそのことでより豊かな世界をつくりだして生きていられる。癌を見つめることは、即自分の魂と向き合わせてくれる。これはとても有り難いことなのだ。魂がつねに新鮮な感覚で保たれている。つねにみずみずしい中でいられる。だから生きていることは楽しいのだ。この楽しくてならない心が私の癌の進行を止めてくれているのだろう。この癌の進行が止まっているあいだに多くの詩語りをしてゆきたい。そして人の中にどんどんでてゆきたい。

2009年5月30日 (土)

田川紀久雄日記

いま地方の零細企業は瀕死に状態である。失業者も増え続けている。地方都市の商店街は何処もかしこも歯が抜けたような状態だ。いまの経済対策ではどうにもならない。それに麻生首相の個人的な好みで国家漫画喫茶を117億円をかけて作ること事態が馬鹿げた話である。それに維持費や天下りの人件費などを入れると、建築費を上回っていくのではなかろうか。麻生首相は自民党を自分で壊しているようなものだ。
真面目に働きたいと思って仕事がない。こんな世の中って変だよね。みんなが働ける社会を作るのが政治の役目ではないのだろうか。私は詩人としての役目をちゃんと果たしてゆきたい。いまこそ宮澤賢治を精神を大切にして世の中に生かしていかなければならない。明日熱海で宮澤賢治を語れる。そして癌についても対談ができる。一銭も入ってはこないが、楽しい仕事である。少しでも生きるパワーを人々に与えてゆきたいものだ。私は鍬をもって田を耕すことは出来ないが、聲の力で人々の心の中に入って、一緒に汗をかくことが出来る。ここ数日腰がとても痛いが、生きる歓びに浸っていることが出来る。
島村洋二郎記念会は八人程しか集まらなかったが、とても楽しい会であった。『黒い手帖』には・・、次のような言葉が書かれている。

唄っていよう。いつも唄っていよう。唄っていなければ惨めだから。
冬の夜の星の唄うようにーー
きっと、そうだきっと 唄うことが祈りとなるだろう。

唄うことが祈りと、この言葉はまさに詩人そのものの言葉だ。私も語り続けなければ、惨めだからかもしれない。詩人たちから相手にされない語りでも、苦しみや辛い心に落ち込んでいる人達には、洋二郎が言うように星の唄のように心に響くのかもしれない。本物の詩人は、いつも詩人の世界から虐げられている。詩壇という狭い中で賞だけに眼を向けている。宮澤賢治も中原中也だって賞など目当て生きてはいなかった。中原中也が宮澤賢治を評価していたのだ。性格的にはまったく異なる詩人であるが、たいした男だったとおお思う。いまの詩人たちでも山本陽子を殆どの人が評価していない。山本陽子の魂の叫びがわからない詩人がなど詩人とはいえない。いまの詩人たちはほんとうにくだらない。
島村洋二郎も、島村直子さんがいなかったらいまの世の中でまったく忘られていたのだ。そして坂井信夫さんがこうして一冊の本にしなかったら、どんどん忘れられていく画家であった。この出版記念会は、あの世で洋二郎さんも笑って見ていただろう。直子さん何でもよいから洋二郎のことを書いてもらいたいものだ。『操車場』にいつでも載せさせてもらいますよ。
私も末期癌と闘うことが生きる歓びに変えてゆきたい。そして多くの人たちに詩語りの魂の叫びを伝えてゆきたい。
坂井信夫さんと保坂成夫さんそして長谷川忍さんの原稿が入る。

2009年5月29日 (金)

田川紀久雄日記

午前三時半である。二時にトイレに行ってから眠れないのである。
坂井信夫さんから亀岡新一さんが亡くなった。その特集を索通信で行なうということだ。私は亀岡さんとは一度も会ったことはない。亀岡さんは孤独死である。死んでから数日して発見されたという。彼は癌であったが、一時回復に向かっていたそうだが、最期は転移して亡くなったということだ。新聞などでも著名人が癌で亡くなった記事がとくに目立つようになっている。
昨日病院にいってO医師と話し合っていて、私も癌と宣告された時は一年持たないと思っていたという。それがここまで回復してきたことに驚いている。まさに亀岡さんと同じ状態ではないのだろうかと思った。癌である以上、本当に安心して心が休まるときはないのだ。ただ精神的に前向きに生きていることが、いまの私の身体を回復させただけなのだ。何かのきっかけで前向きな精神がくずれてしまえば、癌は一気に活発化していくだろう。そして亀岡さんのように癌は他の場所に転移していく可能性がある。癌と共に生きることは、やはり精神的な環境だ一番大切なのである。癌をなだめながら共存していくしかない。できるだけ、自分が末期癌であることを思い出さないで生きていることが一番望ましいことだが、日々の生活の中でそうは言っていられない。
今日、御茶ノ水で「島村洋二郎」の出版記念会がある。島村洋二郎は貧困な中で亡くなっていった。その中で、気迫に満ちた作品を描き続けていた。油絵具も買えない生活の中で、クレパスで作品を編み出していく。洋二郎の手紙を紹介してみる。

美しいものだけを信じて下さい。
なによりあなた自身美しくなりなさい。

この言葉はまさに魂の叫び声なのである。
坂井信夫氏が渾身をこめて書き上げた島村洋二郎論を多くの人にも読んでもらいたいものだ。土曜美術社出版販売から定価2500円で発売されています。書店で注文されれば手に入れることができます。

2009年5月28日 (木)

田川紀久雄日記

午前中に鋼管病院に行く。
四月の自殺者が3021人である。男が圧倒的に数が多い。党首討論かでは、麻生総理の思想がない論には閉口する。鳩山党首のいう友愛政策で、自殺者が激減するのなら民主党に一度は政権をまかせてみてもと思ってしまう。JRでは毎日人身事故が相次いでいる。こんなに人身事故が多いのは、いかに庶民の生活が大変であるかということだ。アメリカでもGMが破綻が濃厚になっている。下請け会社には何ら保証はない。
私坂井さんが解雇されてしまえば、死ぬよりない状況に追い込まれる。いまの私はなんとかして詩語りで生計を立て直したいと願っている。趣味で詩語りなどやっている暇などない。『詩人の聲』に参加してる伊藤比呂美さんも、父の介護(パーキンソン症候群)のために二ヶ月に一度はカルフォルニナ州から帰国している。交通費だけでも十万円はかかる。彼女は必死で金をかき集めてくるという。だから東京で行なわれている『詩人の聲』ではいい加減な朗読はしないのだろう。天童氏が高く評価している。出来たら私も一度は聴きにいきたいと思っている。生活をかけておこなう詩人は、道楽で朗読を行っている詩人とは一味も二味も違うのは当然なことである。
詩集も詩誌も安易に詩人たちに送ることは止めよう。詩集は売ることだ。謹呈するなら私の存在を応援してくださる人だけにしたい。詩誌の発行するのは四万円近くかかっている。送料が馬鹿にならない。購読者とカンパをいただいた方にのみ送るようにしたい。詩人との付き合いも、ただただ虚しくかんじている。詩人という名の下に人間が感じられないからだ。
かつて詩誌『漉林』では本物の詩人の特集を何度も行ってきた。本物の詩人を見つける旅もしてゆきたいものだ。そのためにはいくらかの資金を作り出さなければならない。私を無能力者と決めつめたK学園の人を見返してやりたい。

2009年5月27日 (水)

田川紀久雄日記

天童大人氏から電話があった。6月19日(金)にライブを行なわないかということである。馬場駿吉氏が急遽他の用事があるので参加できなくなったためだ。場所はギャルリー東京ユマニテである。有り難い。一回でも多くやりたい。『詩人の聲』は自分を鍛える道場でもあるからだ。ここはコンサート広場ではない。あくまでどう聲を発していくかという場である。普段の聲の精進が素直に現れる場である。多くの詩人たちが、ここで聲を鍛えて社会に船出してくれれば良いところなのだと思う。多分天童氏もそう思っている。私も他の詩人たちの聲を聴きにいきたいが、何と言っても生活に困窮している現状ではどうにもならない。ビデオ撮影を5000円で請け負っているのだが、仕事はこないものだ。といっていつでもできるものでもない。あくまで私の身体の状態によるからだ。朗読については多くの詩人たちと話し合って生きたいものだ。でも朗読のことを話すと口をつぐんでしまう詩人が多い。苦労して聲を鍛えている詩人は、まちがいなくその差が眼にみえて現れてくるものだ。努力は決して無駄に終わることがない。
チラシを印刷して速達で送る。
井上リサさんが、ブログで山本萠さんの個展について書かれている。この文章は「操車場・25号」に掲載したいと思っている。

2009年5月26日 (火)

田川紀久雄日記

北朝鮮の地下核実験は許してはならないものだ。それと同時に日本の原発も廃止しなければならない。核を廃絶する運動が大切なのである。どんな言い訳をしても平和利用のための核などはあるはずがない。それとアメリカの劣化ウラン弾も破棄すべきものである。
座禅をしながら自己の内部を見る方法はとても素晴らしい。自分の姿を客観していく。その中でいまの自分を掴み取る。
私の詩語りはつねに出前詩語りであるべきだ。そこにはつねに聴き手に対しての責任が付きまとうからである。普通の詩の朗読だと、自分の仲間しか集まらないから、つねにいい加減なものになってしまう。責任の取れない朗読などしていては進歩などあるはずがない。自己に対する厳しさが存在しない朗読会などまったく無意味なものだ。
病との闘いも、自観法を身につけることによっていくらか改善されるはずだ。それより大切なのは人に対する愛を深めることに役立つということだ。座禅と語りの精進が、いま私の基本的な生の場でありたい。人の心を包む温かい聲を作り上げたいものだ。それは癒しを越えた生命の輝きなのだ。言葉一つ一つにいのちを吹き込んでいく作業はとても気持が良いものである。
井上リサさんから熱海新聞が送られてきた。それと同時にドッグレッグスのパンフレットも。一度は見に行きたいものだ。どんな状態でも人はつねに闘う姿勢だけは持ち続けていく必要がある。自分困難な状況と闘う姿勢こそが生きる価値を作り出せていくものである。他者がどのように非難しても、生きたいという強い意志が人々の心を変えていくパワーにも繋がってゆく。私ももともっと世の中に人々と関わってゆきたい。詩人たちの生温い社会では、未来の設計図が見えてこない。ただの言葉だけの世界では、社会はそんなに甘く受け入れてはくれにものだ。生きた言葉は、そこに真に生きた人の人生が反映していなくてはならないものなのだ。
熱海新聞に三味線をもって語ると書かれては、三味線を持って行かなければならないだろう。指先はほとんど感覚がない。でもやれるところまでやれば良いことなのだ。聴き手にはそんなことは関係がないことなのだから。

2009年5月25日 (月)

田川紀久雄日記

シタール幻想という民族音楽のCDがある。最近座禅を組み、私はこれを聴く。そして瞑想に耽ることがある。そして自然に身体を動かすととても気持が良くなる。かたくなった身体がほぐれてゆく感じだ。昨日ちょっと歩いただけで腰が痛くなった。なんとか足腰をもとのようになりたいと思いながら日々を送っている。
このところスピリチュアルケアに感心がむいている。最期まで人間らしく生きていることを目指し生きいていたいものだ。これは癌患者だけの問題ではなく、いま日本の置かれている現状でもある。老後の介護問題にしても縦割りの介護制度では、本当のスピリチュアルケアはできない。人を物としかみない介護制度は是正していかなければならない。すべてがお金の問題で片付けてしまうは、人間疎外を招いている。
就職難の時代である。仕事をしたくでもない時代になってしまっている。人々の心はますます荒んでいくしかない。生活保護をうけたくても受けられない生活保護難民もいまたくさんいるはずだ。私もこの身体でこの先のことを考えるととても不安はある。できるだけ先のことは考えないでいきている。いま自分で何が出来るかをかんがえながら、一つ一つの問題に向かって生きているだけだ。昨日三味線をもって弾いてみたが思うように手が動かない。二年もろくに弾いていないのだから当然といえばそれまでのことだ。別に私はプロの三味線引きではない。あくまで詩語りの中で使えれば良いと思っていたのだから無理をしないで弾くことでいいのかもしれない。私のは「くずれ三味線」である。自分にできることだけを行なえばよいのだ。大切なのは聲の力をもっと身に付けていくことだと思う。誰かが私たちの語りに音楽を添えてくれる人達と出会えればよいことなのだ。先日のジャズと行なった語りはとても楽しかった。熱海ライブまであと一週間だ。いいライブをしたいと思うだけだ。そしていのちの和が広げられれば嬉しい。できたら少しでも詩集が売れたらなおさら嬉しい。

2009年5月24日 (日)

田川紀久雄日記

山本萠さんの個展をみにいく。無垢な線がとても良い。心温まる。線に音楽を感じたりする。シューベルトという作品はシューベルトの歓びと悲しさを感じさせてくる。モーツァルトのCDを持っていったら、カンパと蛇イチゴを漬けたお酒をいただいた。萠さんからいつもカンパをいただくのは心苦しいが、いまの私の状況では有り難くいただくしかない。いつの日にか何かの形で恩返しをしたい。いま私は多くの人たちに助けられて生きている。
また、私の癌日記を読んで励まされていますという手紙も送られてくる。山頭火のように感謝のうたを書きたいものだ。『何もないでも私のこころは愛で一杯だ』一行詩を無意識に書いてみる。『カンパをいただく相手の気持で涙こぼれる』またできた。一行詩ならいくらでも書けるだろう。心から素直にでてくる言葉を拾い集めればよいのだから。
会場に私の知り合いの詩人とあったが、『詩人の聲」のイベントのことを尋ねてみたが、『僕は練習などしないのだ』と得意そうな顔でいっていたが、情けない。2800円もする入場料でいい加減な朗読を聞かされてはたまらない。彼は義理で多くの詩人をあつめられるのだから、詩人という生きものはなさけないと思った。私は死に物狂いで精進に励んでいる。それでも上手くできない。納得のいく芸が出来ないでいる。少しでも納得のできる芸を目指して生きることが私の目標なのだ。だからこんないい加減なことをいわれると腹がたつ。お客を舐めている。こんな詩人が朗読する人の中で多いのだ。だから社会から詩人の朗読を馬鹿にされるのだ。
話は変わるが、ホームレスの人達と共にダンスをする人がいる。山本萠さんの個展会場で行なうのだが、二日続けては出かけられない。ホームレスの人達に呼びかけておこなっている。その人の名前はアオキ裕キさんという。「芸術は、生活に余裕のない人たちにこそ触れる機会が必要なのではなかろうか」と提唱している。このホームレスの人達が踊ってお客から喝采をいただいたとき、彼らの顔色がかわったそうだ。人から喝采をもらったことが一度もない。でもこの温かいに喝采によって彼らは生きている意味を掴みとることができたと思う。私も何かのかたちで応援したいものだ。世の中はまだまだ見捨てたものではない。詩人たちよ熱い魂を持って世の中に叫んでいかねばならない。この世には無意味な人間など一人も存在していないのだ。もっともっと人との愛を広める運動をしなければならない。癌に治療は愛が支えてくれるものだ。愛の治療こそが、癌難民を救う道でもある。生活保護を拒否された私は、『闘う詩人に成長していけ』といわれたと受け取ればなんでもないことなのだ。萠さんのカンパで二十八日の病院代が払える。本当に助かる。

2009年5月23日 (土)

田川紀久雄日記

いい詩が一ヶ月ぶりに書けた。死を見つめた地点から作品を構成していく方法が見えてきた。これで『未来への旅』の見通しがでてきた。誰もが詩の世界で書いていない新しい境地の作品である。
ヘーゲルの『精神現象学』(河出書房・世界の大思想12)の序論の中で「死を避け、荒廃からきれいに身を守る生ではなく、死に耐えて死のなかで自己を支える生こそは、精神の生である。」と書かれてある。昔読んだ本だが、無意識のうちに自分の中でこの思想が発酵していたのかもしれない。末期癌と宣告されてそれが一気に表面化されてきたのだと思う。死に対する弁証法が末期癌者には必要なのだ。このことをどんどん詩に書いてゆきたい。そして死に怯えている人達の前で語ってゆきたいものだ。
あなたはどうして借金をかえしていくの、あなたにはそんなことなどできないでしょうと言われたことに無性に腹がたっている。私を無能力者と決め付けていうそのいう言い方に我慢ができない。
詩語りでなんとか自分なりに生計を立てて生きたいと考えている。しかしこれには時期というものが大切なんだ。本当の人明かりを見つけだしていければ、その可能性は生まれてくる。もっともっと厳しい精進を重ねることで可能性がでてくる。といっても末期癌の身体でどこまでそれが可能なのかわからない。でも闘う姿勢だけは強くもっていたい。
井上リサさんから電話をいただく。熱海の新聞に「末期癌と闘う詩語り」のことが載せられたという報告だ。まだ私はその新聞の記事を読んではいないが、本当にありがたい。人のあたたかい応援がいちばん嬉しい。生への可能性を後押ししてくれるからだ。このところ数人だが私を応援してくれる人がでてきた。きっと本物の人明かりの生き方ができる人間に成長してゆきたい。

2009年5月22日 (金)

田川紀久雄日記

妹に会うことは、妹の精神面に大きなプラスがある。身体が許す限り会うことをしなければならない。洋服を買っていけなかったので、5千円を渡し先生に買って貰うようにした。
癌難民があるように、看護難民もいま大きな問題になっている。私も妹を見るために、定職につけずここまで生きてきた。離婚した理由もこの妹の問題があった。詩人として生きてきた。世間の人は詩人という存在者のことをまるで理解をしていない。癌の治療で膨大な失費をした。私の財産では払え切れなかった。いくらか妹のお金を借りて支払った時もある。介護難民は、介護をみるために仕事を放棄しなければならなくなる。そのための生活費は誰もみてはくれない。国はあなたの身内なのだから当然でしょうというだけである。それまで働いていた蓄えを切り崩していくしかない。私も妹の面倒を見るために生活を犠犠牲して生きてきた。治療費を借りたことで、施設から激しい抗議を受けた。妹の後見人なのに、そんな勝手なことをしては困るというのだ。それは理屈とそては分かりが、やもえずのことであったのだ。妹に会いにいくにも、お金はかかる。それに衣類やその他を買ってやるのもお金はかかるものだ。
詩人になった私は、詩語りという世界を編み出した。それでいつの日にか生活が出来るように日々精進をしてきた。末期癌になったおかげで聲にやっと温みがでてきたところだ。これからが楽しみの時期にきている。そのために多くの詩語りをこれからはやってゆきたいと願っている。そして癌についても語ってゆきたい。妹に借りたお金は返していきたい。それなのに学園からは、その身体でどうして返せるあてがあるのかと厳しい問いかけである。介