田川紀久雄通信
いま詩人の世界がどうなっているのかまったくわからない。詩人との交流が亡くなった今は何も見耳に入っては来ない。ただ詩語りに打ち込んでいるだけだ。
いま詩人の世界がどうなっているのかまったくわからない。詩人との交流が亡くなった今は何も見耳に入っては来ない。ただ詩語りに打ち込んでいるだけだ。
詩語りはあ腹式呼吸である。そして聲の力で言葉を浮き上がせる。ただそれでけである。細かいことは実戦で教えていくしかない。
午前中に介護施設に行く。詩語りを芸として育ててゆきたい。そのためには誰よりも厳しい精進をしてゆくしかない。
30日にライブうを行う。生の聲を聴いてもらいたい。そしてCDを購入してくれたらありがたい。生活費が今は大変だ。送料費までは手がまわらない。
咳が出ても何とかテキストは語れる。ライブまでは一か月間あるのでその間が楽しい。ひたすらテキストと向き合える。
午前中介護施設に置く。そろそろ詩語りの稽古に入りたい。咳とタンがまだ出るが咽喉の痛みはない。本当の語りを行いたい。
昨日台所で倒れた。起き上がるのに1時間もかかる。助けに来てもらった。その前日もバス停で椅子から落ちた。バス停にいた人から助けてもらう。転ぶと自分の力では起き上がれない。猫も驚いた。
今政治の世界が危機的な状態に陥っている。先が全く見通しができない。朗読の世界は真っ暗闇である。人に聴いてもらえる朗読の世界が見えてこない。私も最近落ち込んでいる。
昨日病院で咳止めを出してもらう。まだ詩語りの稽古はできない。ガザは早く平和になることを祈る。まだ希望をもって生きている少女がいる。世界で一番美しい街を作りたいといっている。
起き上がっても頭がほけっとしている。脳みそが空洞状態だ。世の中がどこに向かっているのか解らない。年金生活者にとって、辛い時代だ。わずかな年金では生きていくには大変だ。詩語りの出前もない。ああと嘆くだけだ。
なかなか咳が止まらない。何をして過ごせばよいのか解らない。誰とも話会う人が居ない。秋の果物が美味しい。
まだ咳が止まらない。ギリヤークさんも木気仙沼野公演では見物人はいな中で行った。まさに祈りの公演である。私もお客のいない中で行っている。生きざまが芸を作ってくれる。ただ前を向いて闘うしかない。
今日も咳がでる。聲のことで色々と考え込んでしまった。ライブで長く感じるのは失敗である。他の芸能を聴いて居ても時々感じることがある。聴き手にテレビすぐさま電源を切られてしまう。見習う期間は長いものだ。最低でも5年はかかる。詩人の世界では見習う場所さえもない。
咽喉が青変わらず痛い。詩語りの練習はできない。何にもしない日もいいものだ。
風邪を引いたようだ。昨夜は咽喉が居たかった。夜中咳をしていた。ほとんど眠ってはいない。昼間の語り方がよくなかった。自分の聲に不満を感じている。詩語りは難しい。今日は何もしないで寝て居よう。
午前中に整形の診察がある。朝起きると背骨が痛む。部屋では大聲を出せないのでライブでは部屋の聲のままの聲量になってしまう。今公園までいけない。足に補助器具をつけないと出かけられない。私一人ではできない。
{哀しみの渚」のCDが出来上がる。聲の調子がいまいちで語った。やはり納得ができないCDである。もう 一度どこかで特音を撮り直したい。いま出前がないので寂しい。
聲の力は精進を積み重ねることによって成長する。豊かな聲こそ聴き手を感動させる。私はそれを目指して詩語りを行っている。今は語ることが楽しい。
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