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2025年5月31日 (土)

田川紀久雄

アッという間に一ヶ月が去ってゆく。ライブがなかったら何も行いでいない。昨日は29日の疲れで寝て過ごしていた。物価の値上がりで家計が大変だ。これからの先が見えてこない。詩人なんて所詮河原乞食でしかない。

2025年5月30日 (金)

田川紀久雄

昨日は良い詩語りができた。今は安定した語りが出来る。これは精進のおかげである。来月は26日の予定である。

2025年5月29日 (木)

田川紀久雄

今日は駒込平和教会で月ライブを行う。月一回の歩行訓練である。これを目標にライブを行っている。午前中は介護施設に行く。忙しい一日である。精進をして進歩したライブを行いたい。ライブは楽しみである。

2025年5月28日 (水)

田川紀久雄

あすライブがある。駒込平和教会午後7時より「風の聲」を語る。一人でも多くの方が聴きに来られることを願う。詩人の聲のレベルが上がらない以上期待がもてない。

2025年5月27日 (火)

田川紀久雄

女流講談氏でもすごい人がいる。男だけに世界ではない。やはり熱があるかどうかだけである。詩人たちは自分の世界に閉じこもっているばかりだ。50年近くも詩の聲と向き合った来たのは天童氏と私ぐらいであろう。誰もぶっかって来る詩人はいない。天童氏と私はタイプがまったくことなっている。二人ももう年だ。

2025年5月26日 (月)

田川紀久雄

相棒が今日から会社に出勤をする。二ヶ月休業していた。午前中介護施設に行く。詩語りの練習も自由にできる。前向きに生きていこう。

2025年5月25日 (日)

田川紀久雄

語りである以上流暢に話さなければならない。読むことが苦手な私には難しい。飽きるほどテキストを読みこむしかない。29日まで努力していくしかない。

2025年5月24日 (土)

田川紀久雄

いのちは育てるものである。自然に放置していれば腐り果てていく。常に努力をして育てなければならない。空の世界を楽しんで生きていたい。てきすと「生きている」を全面的に手直しをしている。

2025年5月23日 (金)

田川紀久雄

スポーツは相手に勝つことを目指している。しかし朗読は一人で行うものである。つまり自己自身との闘いである。演芸ならお客がいるが、詩人の聲にはお客が来ない。反応がない世界は辛い。同人の仲間で行う朗読会は詩の朗読とは呼べない。真剣さを感じられない。いくら努力しても虚しさは残る。今の私はテキストを聴いてもらいたい。そのために聲を撃っている。29日のライブは一人でも多くの人に聴いてもらいたい。またはCDを購入してもらいたい。

2025年5月22日 (木)

田川紀久雄

これからの日本は何処に行くのだろうか。先がまったく見えてこない。平和を求めていく国でありたい。入院する前によく手作り詩集を何10冊も作ったものだ。その内容はいのちのひかりについて書いたものばかりだ。あれは自分が書いたというよりも書かせていただいいまものであ。今はそれを詩人の聲で語っている。

2025年5月21日 (水)

田川紀久雄

ガザに対するイスラエルの態度は許せない。詩語りを問うしてしか批判をできない。怒りを忘れたら詩人はお終いだ。平和への祈りを込めて聲を撃ち込んでいく。人の集まる場所で詩語りを行いたい。足の悪い私は何もできない。今は平和を訴える仲間が欲しい。

2025年5月20日 (火)

田川紀久雄

朝毎日、デキストを語り込む。あまり聲は出ないが楽しい。この孤独な作業が豊かな人生へと導いてくれる。CDを50枚ほどできあがっている。毎月出来上がる。聲も確実に成虫を続けている。最新作は「まずは聲を・2」である。今月は「風の聲・2」の予定である。これは5月29日駒込平和教会で7時から行う。大病を越えて語り続けている。足も自由に歩くことも出来ないが、それを無理をして出かけている。ただ語りたいという情熱で行っている。ぜひCDを聴いてもらいたい。問い合わせは漉林書房まで。

2025年5月19日 (月)

田川紀久雄

人は幸せを求めて生きている。そのためには平和であることが必用である。侵略その行為が認められる世界であってはならない。今は国連の力もない世の中になっている。平和への願いは強く求められるべきである。詩人たちは聲を出して叫ぶべきだ。そのためには場所が欲しいが、詩人委はその力もない。共に語れる朋を求めて居る。

2025年5月18日 (日)

田川紀久雄

我が友である上野芳久さんが亡くなった。昭和23年生まれである。私の周辺でも少しづつ亡くなっていく。何となく寂しさが増してくる。彼とは色んな話をした。いま私と会える場所は詩人の聲だけである。今月は29日のライブである。案内は天童大人のメールで紹介されております。退院してからやっと聲が出るようになってきた。いつも命について語っています。

2025年5月17日 (土)

田川紀久雄

昨日は照井良平さんのCDを聴いてすごした。精一杯語っている姿勢に感銘をする。詩人の聲での朗読ではは詩集まるごと語れるのでありがち。このような場所は他にはないだろう。参加する詩人たちには録音をとってもらいたい。ユーチューブに入れてもらいたい。本当は企画者が行うのだがそれが出来ていない。多くの人たちに詩人の聲を聴いてもらいたい。

2025年5月16日 (金)

田川紀久雄

サンダルがはけない。指がうごかないのだ。こまった。テキストは語れば語るほど面白さがわかってくる。自由気ままに練習のできる場が欲しい。

2025年5月15日 (木)

田田川紀久雄

介護施設に行く日だ。一時ごろまでは何もできない。詩語りを芸能の分野まで高めたい。そうしなければ誰一人として見向きもしない。そのようなことは不可能だという人が多い。そのためには聴かせる文化を作らなければならない。大くの人たちと話し合わねばならない。今の私は一人で外出ができない。

2025年5月14日 (水)

田川紀久雄

春と秋の季節が短くなっている。ここまで温暖化が進んでじまった。これは自然現象ではなく,人間が犯した現象である。この地球は人間の存在は必要がないと叫んでいる。トランプのような人間を生み出している。これは異常な現象である。世の中は貧しい人が増えていく。食事がまともに取れない人たちがいる。空なる聲を聴くことだ。

2025年5月13日 (火)

田川紀久雄

いのちは美つくしい。。その美しい実態はひかりによって美しく感じられる。詩語りのテーマはそれを語ることに意味がある。平和の願いはそのひかりによってである。それを語るのは聲の力によって可能になる。聲といっても他の芸能の聲とは異なっている。詩の聲は詩を語ることによって生まれてくる。その聲を田川紀久雄のCDで聴いていただきたい。

2025年5月12日 (月)

田川紀久雄

常に厳しい精進があったこそ芸とものが成立する。芸を聴く意味もあるが、それ以前は何物でもない。足の悪い私は何処にも行けない。そのために部屋に籠って詩語りの稽古ができる。これはCDを制作するために精進をしている。月一枚のCDを制作している。聴きたい方は漉林書房まで。

2025年5月11日 (日)

田川紀久雄

5月29日のライブは5年ぶりに「風の聲」を語る。これは以前詩人クラブで語った。この時天童大人氏が見えて「詩人の聲」にもう一度参加しないかとの話が合った。色んな事があったが、CDを遺す事ができた。お客が集まらないのが残念である。

2025年5月10日 (土)

田川紀久雄

平和への道こそいますべての人々に課せられている。それは大きな問題ではない。身近なところから行うしかない。詩人の聲は、聲が求められているが、テキストの言葉が伝わらなければ聲は意味がない。そのための聲である。

2025年5月 9日 (金)

田川紀久雄

数週間前に咲いていた黄色の花の名はガザニラという名であった。太陽の下で咲いていてとても美しかった。身近にも可愛い花が沢山咲いている。鳥の数も減ってきている。すずめもあまり見なくなった。テレビで見る自然は空しい。散歩をしたいのだがそれができない。相棒が同じ部屋にいると語りの練習ができない。

2025年5月 8日 (木)

田川紀久雄

自然は孤独を癒してくれるが、また孤独を感じさせもする。このことによって人間は成長もする。文明この自然をは失うことで、また孤独感も失ってゆく。家からほとんど外出しない私は孤独をそれほど感じなくなっている。テレビもほとんど見ない。したすら詩語りの精進に励んでいる。聲よりもテキストを伝えることに力を入れている。

2025年5月 7日 (水)

田川紀久雄

この世は空であり、また空でもない。これが真実である。いま住んでいる街はどんどん自然が失われている。そのために空の世界が消えていく。そのためにはひかりを取り戻さなければならない。私の詩の世界はこのひかりについて書かれている。それを聲で表現をしているのが詩語りの世界である。平和を取り戻すには風のひかりを求めていくしかない。 

 

2025年5月 6日 (火)

田川紀久雄

いまガザが大変なことになっている。しかし、私たちには何もできない。イスラエルは気がくるっているとしか思えない。平和という言葉がどんなに遠いことか。でも詩語りは平和を願って聲を撃つ。ひたすら平和を願い聲を撃つしかない。私のCDは平和の願いでいっぱいだ。空襲と戦後の貧しさを経験してきた私にとってはとても辛い。聲を撃てる場所を紹介して下さい。

2025年5月 4日 (日)

田川紀久雄

詩というものは人間の本質を語る。それゆえに聲を出して語る意味がある。芸能の根っ子の部分である。だから大衆に媚びる必要もない。ただ大切なのは人の心に響く聲が求められる。一番難しい問題だ。朗読の意味が解らない詩人が朗読をしても始まらない。語れる場所が欲しい。

 

2025年5月 3日 (土)

田川紀久雄

『風の聲」の詩語り読みの目途がついてきた。余分な詩は排除してまとまりがよくなった。このテキストは何とも語ってゆきたい。詩人の聲以外でも語りたいが、なかなかその機会がない。何とか生活の糧にしてゆきたい。こう物価高では生きてゆくにも大変だ。何とかしたいものだ。

2025年5月 2日 (金)

田川紀久雄

「まずは聲を」のCDができた。今回から「詩語り読み」する。何の芸にも型というものがある。型を基準にして芸が広がってゆくものだ。型があって型がない。聴きたい方は注文を漉林書房まで。自主制作であります。安定した聲とテキストがよくわかる。このCDはCDを作るための話である。田川紀久雄は平和を願い生命讃歌を語り込んでゆく。聴く価値のる一枚でする

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