田川紀久雄詩語り
午前中介護施設にいく。私の詩語りが良いのか悪いのかは解らない。これは聴き手が判断をするしかない。詩の朗読は、お客に聴いてもらうには問題がある。まず聴いても面白くはない。そこが問題だ。何の魅力もない。あるのは個人の生きざましかない。
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午前中介護施設にいく。私の詩語りが良いのか悪いのかは解らない。これは聴き手が判断をするしかない。詩の朗読は、お客に聴いてもらうには問題がある。まず聴いても面白くはない。そこが問題だ。何の魅力もない。あるのは個人の生きざましかない。
民主主義は平和国家の象徴であろうか。アメリカの民主義はもう崩壊をしている。戦後の民主主義とは何であったのか。日本人の手で一度もそれを勝ち取ったことはない。日本の近代詩にしてもしかりである。私にとっては宮沢賢しか詩人と呼ぶ人はぃない。
公共の場で一時間にわたって朗読をする場はない。そのような意味で詩人の聲は意味をなさない。詩人の聲は例外中る以外というべきである。詩人の聲の中には詩集を全編朗読したいという人もいる。それも肉聲で。それには聴かせる技と聲の力が求められる。そのことを理解している詩人は少ない。それでも一時間も聴かせることは大変だ。
身体の調子がわるかった。「抱擁」のCDが出来上った。聴いてみると自分が思っていたのはかけ離れていた。客に聴かせるほどのものではない。まだまだ精進をしなければならない。
昨日から咳と咽喉の痛みがある。咳をするたびに腰が痛む。急に温かくなったためなのだろうか。相棒も私と同じ表情である。昨夜はほとんど眠れなかった。愛媛の山火事は大きい。民家が燃えら大変だ。原因は自然より人が起こしたことの方が多い。
詩の朗読ほど難しいものはないん。演劇的におこなってはならない。ひたすら詩の言葉と向き合うだけだ。たんたんと語るだけだ。そこで最も大事なことは聲の力だけである。語りっ芸の歴史はあるが、詩の語りの歴史はない。最初の出発点は私の詩語りだと思う。私のCDを聴いて頂ければわかる。
4月のライブは「語れる悦び」を行う。大幅な手直しをする。前に一度ライブでかたっていたので、語りやすい。これからは本当に聴いてもらい立ち語りを目指しておこなう。「詩人の聲」で誰か見知らぬ人が聴きに来てくれたらと期待している。
世界が混沌としている。日本も恐怖心を煽ることばがりをいっている。富士山の噴火や、南海大地震とか、物価の上昇。いやな事ばかりだ。イスラエルはガザにまた攻撃を行っている。これは犯罪である。誰も止めることができない。詩人はもっと聲を出して叫ぶことだ。今の詩人は死人だ。私が身体が悪くなければ企画を立てて何かを行いたい。
昨日のライブは最高の出来栄えである。言葉が米粒のように一つ一つはっきりとなり響きわたった。聲も80%で語れた。これから本当のCDの制作だ。どこかで詩語りを行いたいものだ。
今日は、午前中は介護施設に行く。夕方はライブに行く。味のある詩語りを行いたい。昔から朗読は苦手であった。その私が詩語りを行うなんて想像もしなかった。人生なんて不思議なものだ。月に一回自分の意志で外出をするのはライブに行くときだけである。人の中を歩くのは危険であるが致し方がない。
稽古をしていても聲が常に変化をする。午後になると何とか安定してくる。なかなか納得した詩語りができない。退院をしてからまともな聲が出にくくなっている。伸びのある聲が出せない。明日はライブの日である。楽しい詩語りをしたい。詩の言葉を聴きとってもらいたい。
いのちとは何なのだろう。肉体的ないのちではなく、心のいのちについて私は詩語りのテーマの一つにしている。生命の参加を目指して語っている。今は自然体で語っている。今の人はCDで聴くことは少なくなっている。CDを送ってCDの機械を持っていないという人もいる。私の聲を聴くことが出来るのは「詩人の聲」だけだ。あとはCDで聴くしかない。私は手作りで制作をしている。今は50点ほどある。是非聴いてもらいたい。
詩の朗読で何をもとめているのだろう? 私には何も感じられない。詩人の聲でたった一人いる。その人は照井良平さんである。東日本の3・11を語り継いでいる。私は足が悪いので、彼が東京に来て朗読を行っていても聴きに行けない。友理さんからいただいたCDを聴いている。そして友理さんと一緒に行ったCDを何度も聴いている。私の聲は小さいが、それでも楽しく聞いている。
詩の朗読にとって大切なことは、第一に聲である。そして活字が聲を通して明確にわかることだ。それから啖呵である。聲のインパクトである。昔は大聲でするものではないといわれていた。今私は自然に沿ってかたっている。すべてに捕らわれずに語っている。83歳になればめんどくさいことは考えない。でも精進だけは誰にも負けない。
私は「詩人の聲」の朗読を聴きに行けない。もし途中で転べば二度と歩けなくなる危険性がある。2000回以上行っていても横の繋がりが出来ていない。だからこそユーチューブが大切なのである。日本で最高の場は「詩人の聲」しかない。もっと世の中に広げていかなければならない。詩人の聲は一時間語れる場がなければ生まれてこない。行うにはそれなりの稽古もしてこなければならない。福岡や大阪・宮城からも来ている。その人達を応援したい。そのためにも聲を聴きたい。
気温が安定しない。毎日の温度がひらきすぎる。体調を維持するのが大変である。ここ数日気分が落ち込んでいる。相棒が休日なので詩語りの稽古が出来ない。このところ毎日変な事件が起きている。それにトランプ氏の発言に頭がおかしくなる。もうアメリカは民主国家ではない。いやな世界情勢である。
詩の朗読で、意味がまったく通らないことが多い。聲だけを聴かせるのら、別に朗読でなくても良い。聴く側としては詩の内容がやはり知りたいものだ。それにはテキストを何べんも読みこむ必要がある。丁寧に朗読したから良いというものでもない。詩人には詩人の聲というものがある。朗読は難しいものである。
詩語りで3・11を語るを行ってみたかった。私は「鎮魂歌」という詩集がある。私は大川小学校で永訣の朝をかたった。もう私は旅ができない。歩行器でしか歩けない。照井さんと一緒に語ってみたい。東京で震災を語ってみても反応がない。
3月20日に詩語りライブがあります。場所は駒込平和教会です。時間は午後7時開演です。お申し込みは天童大人氏まで。今回は「抱擁」を語ります。いま社会が分断された世界になっています。何とか心と心が抱擁しあえる世の中になってくれることを願っています。詩人はどこかで聲を撃っていくことが求められています。是非ひとりでも多くの来場を願っています。
いのちについて詩語りで語り続けている。これからの日本はどうなるのか、全く解らない。いのちは美しい。末期がんを経験した人間にとっては生きること自体が尊い。生命讃歌を語る。聴きたい方は私のCDを聴いてください。午前中は介護施設に行く。
「豊饒なる海」CDを三名様にプレゼントをいたします。ハガキで申し込みをお願いいたします。
送り先・〒210ー0852 川崎区鋼管通り3-7-8 2F
漉林書房まで 3月末まで
「豊饒なる海」のCDが出来る。良い出来上がりだ。「詩人の聲」でも初めての演出である。これは友理さんの呼びかけで出来たものである。詩人の聲で聴きに来たのは長谷川さんだけである。情けない話だ。詩人たちは自分にしか関心をもたない。
ただうまいだけの芸は、あきが来る。芸には芸の道がある。それは魂を求める。詩の朗読でそれが出来るかと言われれば、難しいと言わざるをえない。それを求めても聴き手には伝わらない。しかし、求めていくことは大切なことだ。
午前中は介護施設に行く。浪曲は歌と語りの聲はほとんど変わらない。語りの部分でも聴かせてくれる。また歌の部分でも聴かせる。これは聲の出し方に厳しい訓練を積み上げているからだ。詩人にはプロ意識がない。朗読でも詩語りでもプロ意識が持てなくては人に聴かせるものは生まれてこない。最後までたんなる趣味でおわる。プロになるには血の出る厳しい修業をしなければならない。これからその道を求めて生きてゆきたい。
相棒が仕事で出かけている間は、詩語りのテキストを語っている。一銭にもならないが、人々の平和を願って語り込んでいる。私のCDを買ってくれる人が現れてくれればありがたい。今は聲の不安も消えている。自然体で語れれば良い。Nさんの旦那が亡くなった。優しい人であった。人は死に向かって懸命に生きようとしている。与えられたいのちをありがたく感謝の気持ちで生きていたい。
「詩人の聲」で一時間も自分の聲と向き合えるのは大切なことである。普通の朗読会でも五分以内がほとんどだ。そのためにも聲を磨いていかねばならない。聲で人間性を高めていかなければ、聲を豊かにならない。普通の聲でもその人の人格を表すことができる。今月の詩語りは20日の木曜日である。以前か語ったことのある「抱擁」をか当たる。そのためにひたすらテキストを語り込んでいる。
聲の悪から生まれる聲を出したいと思い、何度も同じテキストを語っている。今週中にCDが出来る。もう少し演出を変えてもよかった。あくまでもお客に響く詩人の聲を表現してみたかった。友理さんの聲にはまだ自分を表現したいという気持ちが強かった。自己を無にしたところから生まれる温かい聲が求められている。
詩語りを行うのは、詩人の聲を持たねばならない。丹田から聲を出すことである。まず腹式呼吸を行う。これで聲を傷めずに語れる。喉聲では、言葉の意味の深さを味わすことが出来ない。活字だけを語っていては、聴き手の心には聲が届いていかない。味が出てくるまでには10年ほどかかる。
「詩人の聲」のライブがあるからテキストを何度も読みこむ。ライブを目指して読みこめるからCDを残す事ができた。目的があるから進歩が出来る。これからは以前読みこんできたテキストを語る予定だ。歩くことが不自由なので企画を立てることができない。これからも詩語りは厳しい道を歩くしかない。
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