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2025年2月28日 (金)

田川紀久雄詩語り

昨夜帰宅途中で転ぶ。肩を打球する。足の神経が切られたことで、足に力が伝わらない。でも昨夜のライブは得るものが多かった。彼女も成長すていくだろう。聲の力で多くの人達に魅力を与えていけることを祈る。お互いに魅力ある人間になりたい。

田川紀久雄詩語り

昨夜帰宅途中で転ぶ。肩を打球する。足の神経が切られたことで、足に力が伝わらない。でも昨夜のライブは得るものが多かった。彼女も成長すていくだろう。聲の力で多くの人達に魅力を与えていけることを祈る。お互いに魅力ある人間になりたい。

田川紀久雄詩語り

昨夜帰宅途中で転ぶ。肩を打球する。足の神経が切られたことで、足に力が伝わらない。でも昨夜のライブは得るものが多かった。彼女も成長すていくだろう。聲の力で多くの人達に魅力を与えていけることを祈る。お互いに魅力ある人間になりたい。

田川紀久雄詩語り

昨夜帰宅途中で転ぶ。肩を打球する。足の神経が切られたことで、足に力が伝わらない。でも昨夜のライブは得るものが多かった。彼女も成長すていくだろう。聲の力で多くの人達に魅力を与えていけることを祈る。お互いに魅力ある人間になりたい。

2025年2月27日 (木)

田川紀久雄詩語り

詩語りは詩人ではなく一般の人たちの前で行いたい。しかし、今の現状では難しい。それは技術的にも質的にも問題が大きく横たわっている。今日は7時からライブだが、お客は無に等しい。そのためにもCDとして残しておきたい。平和と愛を求めて私は語る。今の世界の情勢を見れば平和を求めざるを得ない。これは吟遊詩人の仕事でもある。

2025年2月26日 (水)

田川紀久雄詩語り

明日のライブが楽しみだ。昔は肺病が死亡率の一番だったが、今は癌である。その癌も今は良い薬もある。末期癌以外はほぼ治る。私は最悪な末期がんを宣告されても生きている。私の友人も多くがんで亡くなっている。明日はその癌についてを語る。場所はあ駒込である。

2025年2月25日 (火)

田川紀久雄詩語り

詩人の聲にとって大切なのは、聴き手にとっての深みのある聲である。それは愛を表現する聲でもある。私はいまそれを求めで精進を行っている。聲に対して何を表現したいのか自覚をしなければならない。詩人の聲は他の芸能にもない聲である。人と組んで行うにはそれなりの世界観を持たなければならない。話し合いながら舞台構成をしなくてはならない。

2025年2月24日 (月)

田川紀久雄詩語り

私は末期癌を乗り越えて生きている。人生は生命讃歌である。そのことを詩語りで語っている。私の周りの多くの人達は亡くなっていた。悲しかった。そのためにも人々の前で語らなければならない。今私は歩くのが困難である。歩行器で何とか歩ける。出前詩語りを行っている。CDのサンプルもあります。問い合わせは漉林書房まで。

2025年2月23日 (日)

田川紀久雄詩語り

「豊饒なる海」を語る度に豊かさが増してゆく。これでもかという気持ちで語り込んでいる。やはり100回以上語らなければ、その作品をよさを生かすことができない。詩語りにはなかなか聴き手を見出すことは難しいが、その前に精進を積み重ねることだ。

2025年2月22日 (土)

田川紀久雄詩語り

昨日二回も転倒する。そのたびに助けを呼ぶ。このところ足がふらつく。詩語りの仲間を作りたいと思っていてもなかなか出来ない。詩の朗読は基本的には一人だけの世界なのかもしれない。社会から相手にされていない。そのような意味で27日の友理さんとのライブは楽しみだ。彼女がどのような聲で私の詩を包んでくれるのか。本当はもっと友理さんと話し合ってみたい。

2025年2月21日 (金)

田川紀久雄詩語り

昨日は誕生日であった.寂しく一人でワインをのむながら過ごす。朝玄関で転ぶ。助けを求める。30分かかる。昨夜も今朝もカップメンで過ごす。ネコにわ贅沢なものを食べさす。一人暮らしは不便だ。

2025年2月19日 (水)

田川紀久雄詩語り

27日に行うライブの原稿のてなおしをする。これで納得した詩語りが出来る。気分的にも落ち込んでいるが、当日は頑張って行いたい。ネコのの生活は大変だ。足が悪いので自由に行動ができない。

2025年2月18日 (火)

田川紀久雄詩語り

今日からネコとの生活が始まる。足が悪いのでちょっと心配である。介護施設に行くと一人暮らしの老人が多い。社会が老齢化している。介護の人が少ない。それに賃金も安い。この日本だけの問題ではない。豊かさとは何なのだろう。詩人の役目があるはずだ。朗唱詩人が増えてくれれば社会に対して良い面が生まれてくるはずなのに・・。

2025年2月17日 (月)

田川紀久雄詩語り

相棒が明日から一週間入院をする。ネコとの暮らしが始まる。人生にはいろんなことが起こる。最近生きる気力がわいてこない。詩の朗読は、まったくの孤立状態だ。社会との関係性が全くない。虚しさばかり募ってくる。今日は介護施設の日である。

2025年2月16日 (日)

田川紀久雄詩語り

日々同じものを語り込むことによってその詩が豊かになってゆく。眼に見えて変化することはない。大切なことは積み上げてゆくことが大切なことである。それは生きる歓びとして受け止めることである。何の運動でも精進が一番である。

2025年2月15日 (土)

田川紀久雄詩語り

詩語りで、自分の夢は叶えられない。それは個人的な事より、詩的状況がそうさせてくれない。あまりにもお粗末すぎる早い話だが未来が全く見通せない。その中でどうして詩語りを深めていけるのかを考えていくしかない。

2025年2月14日 (金)

田川紀久雄詩語り

老いてくると、若い時のような詩語りはできない。豊かな世界を生み出していく。語りの楽しみを味わいながら語る。本当に自由気ままに詩語りが出来る。無理して聲を撃つこともしない。なるがままで良い。自由を謳歌していたい。

2025年2月13日 (木)

田川紀久雄詩語り

詩語りは、お客様に聴いてもらいたい世界を作りあげなくてはならない。聴き苦しい聲を出してはならない。お客の心を掴む聲を編み出さなくてはならない。詩人の聲では、お客が集まらないことにはそれができない。これからどのようにして行うかは個々の問題として考えていくしかない。

2025年2月12日 (水)

田川紀久雄詩語り

日本の平和は本当の平和なのだろうか。世界が爭いに巻き込まれている。生きることが困難な状況にある。宮沢賢治がいう本当の平和からほど遠い世界の日本がある。毎日が心苦しい。詩語りの聲の中にこの苦しみを溶け込ませてゆきたい。今月の27日の友理さんとのライブが楽しみだ。

2025年2月11日 (火)

田川紀久雄詩語り

若者たちの孤独がめだっている。他人と話し合う機会が見いだせない。老人はこれしか生きていられないと思って生きている。人間は本質的には孤独な生き物なのだと思う。おたくな生き方も一つの生き方だ。私は色んな生き方をしてきた。その中で残っているのが詩語りである。その可能性を求めて老人になっても生きている。

2025年2月10日 (月)

田川紀久雄詩語り

今介護施設から帰ってきたばかりだ。ネコが玄関で待っていてくれた。ガザでは雨と風で大変だ。街は廃墟で住む場所がない。心が痛む。詩語りの中にこのことを活かして語りたい。Uさんが、歌の中に小野さんのことと私の詩を温かく包んでほしい。この一ケ月は多くのことが学べる。詩人だけが満足するようではダメである。人間として成成長しねばならない。

2025年2月 9日 (日)

田川紀久雄詩語り

野球の素振りするように、何度もテキストを語り込む。生きた聲を生むためには必要なことである。毎日行う。同じテキストでも常に新しく感じる。「現代詩の詩人の聲」でユウチーブで見ると、恥ずかしくなってくる。これでは社会に対して申訳がない。詩人は人前で朗読する機会がほとんどない。ここに問題がある。

 

2025年2月 8日 (土)

田川紀久雄詩語り

一月前にリハーサルを行ったことは、大きな意味がある。いろんなことが頭に浮かんでくる。今稽古をしていても聲が出にくくなっている。友理さんの聲には立ち向かえないがそれはそれでよい。楽しく行えれば嬉しい。

2025年2月 7日 (金)

田川紀久雄詩語り

どこの国でも本当に困っている人たちがいる。現実的に何も出来ないが、言葉を通じとぇ生きるこてぇの応援はできる。他者への思いが朗読にとっては大切なことである。もっと頑張って生きねばならない。

2025年2月 6日 (木)

田川紀久雄詩語り

雪国は大雪で大変である。もう私は雪国では住めない。ガザのことでとでトランプの発言は困ったことだ。ガザの人達のことを思うとつらくなる。歴史の証人としてもっと知る必要がある。詩人の肉聲こそ今は大切えである。語れる場所が欲しい。

2025年2月 5日 (水)

田川紀久雄詩語り

午前中に、眼科と皮膚科に行く。明日は内科だ。気分が男むのもこの病院通いがある。詩の朗読は、独特な世界である。他の芸能と交わることがない。まず自作詩を朗読する。ここに詩人の甘えが出てくる。聲の世界には、肉声の聲がある。詩人たちはそれを磨くことがない。他人に聴かせることは、他の芸能と同じである。そのためには精進をしなくてはならない。しかし詩人が朗読できる場がほとんどない。ここが問題なのである。

2025年2月 4日 (火)

田川紀久雄詩語り

また鬱に陥ってしまった。何もする気が起こらない。詩人の聲の力だけでは、他の芸能の分野と闘うことはできない。大衆からも受け居られていない。辛いことである。だからこそ毎日の精進がたいせつなのである。その精進が億劫になっている。

2025年2月 3日 (月)

田川菊枝雄詩語り

午前中介護施設に行く。精神的に疲れる。温泉に行ってのんびりしたい。足が悪いのでもう温泉に行くことも出来ない。詩語りを行うのが背一杯だ、張り上げて語ることができない。しっかりした詩語りをおこなっていくだけだ。

2025年2月 2日 (日)

田川紀久雄詩語り

聲の中にテキストが抱擁されている。詩の語りは聲が主体なのだ。感情的な語りになってはいけない。最近嫌な夢ばかりを見る。心の迷いが夢に現れるのだろう。今日は雪でなくてよかった。

2025年2月 1日 (土)

田川紀久雄詩語り

大きな聲に負けないしっかりした語りを行いたい。詩の言葉を書いた時の情熱に戻れる詩語りを目指して聲を撃っていこう。別に焦る必要はない。日々の精進が求められるだけだ。

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