田川紀久雄詩語り
「豊穣なる海」のテキストの一部を直す。これからは30分で程度で語れるテキストを作成してゆきたい。聴きやすいテキストを目指して。
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「豊穣なる海」のテキストの一部を直す。これからは30分で程度で語れるテキストを作成してゆきたい。聴きやすいテキストを目指して。
テキストをはっきりと聲に乗せる。何を語りたいのかを明確にする。そのためにはテキストを何度も聲を挙げて語ることである。聴き手はテキストを見ないで聲だけを聴く。聲を通してテキストを聴く。
詩の朗読で1時間も出来る場所は東京しかない。福岡・大阪・名古屋から参加する詩人もいる。その人たちと新しい朗読のスタイルを工夫してゆきたい。批判するだけでは詩人たちは成長してゆかない。
時々生きていることがしんどく感じることがある。でも人の優しさを感じると元気が出る。詩語りも聴き手に勇気を与えることが出来たらと思う。そのためにも日々の精進が大切である。
午前中介護施設に行く。午後からは皮膚科で手術を行う。
テキストをいくら読みこんでも、これでいいということはない。その日のコンデイションによっても異なる。詩語りは奥深いものである。
詩を聲で届けたいと思うが、なかなか届かない。詩を聴きに来るひとがいない。詩人ですら聴きに来ることがない。まして一般の人は来ない。ひたすら自分自身との闘いである。友理さんとのライブは楽しかった。来月の27日にまた二人で行う。本当に詩人の聲を聴いてもらいたい。そのための二人のライブである。
この世は空であると仏典ではのべられている。聲も空である。空であり空でもない。聲は空でないものを求めている。その闘いが日々の精進である。
ライブを行うには、それなりの平常心と度胸が必用である。平常心をつけるには多くの経験が求められる。
詩人の聲も日々の精進が求められる。魅力を生み出せない詩人は消えていくしかない。いつまでもぬるま湯に浸かっているようではどこからも相手にしてもらえない。私が認める詩人の聲の持ち主は数人しかいない。
聲が詩になるには、それなりの道がある。浪曲-講談にはそれなりの聲がある。誰で荷が出来るものではない。そこには厳しい修業時代がある。詩人の聲にもそれなりの修行時代がある。詩人のほとんどがそのことを理解していない。最低でも10年はその経験を積まなければなあらない。テキストを読めば詩人の聲が出るものではない。聲ははるか遠くにある。
昨日は楽しいライブを行えた。個々にとっては問題があったが、私は楽しかった。詩人の聲にとって大切なのは、詩人のいのちの聲である。それが感じられない詩人の聲は問題が多く含まれている。これは経験にとっても異なってくる。2月のライブ迄咽喉の痛みを解決しなくてはならない。
咽喉が霞んで聲がでにくい。明日ライブだろいうのに困っている。このような経験は何度もあった。この度は異情事態だ。このようば状態がもう一週もつづいている。
相棒の眼の手術は2月に行うという。私の足の手術は27日である。相棒の手術は治ることはない。緑内障とはそのようなものなのだ。私たちの前途には光があない。生活も苦しくなる。今までのような詩語りはできない。
昨夜は咳で眠っれなかった。変わらずタンがでる。相棒は大学病院にいく。詩語りの練習はできず。
午前中は介護施設に行く。咳はだいぶ収まった。22日は足の手術がある。色々と心配事がある。相棒も眼に事で心配だ。今通っている病院では限界であるといわれる。大学の病院に紹介される。常に困難が立ちふさがっている。
まだ咳やタンがでる。相棒も私と同じ状態だ。語りの練習もできない。それでも友理さんとのライブはたのしみにしている。20日・午後7時から・駒込平和教会。
あいかわらず咳がでる。熱はない。鼻水もあいかわらずでる。相棒も私っと同じ状態だ。二人で寝転んでいる。
風邪で介護施設を休む。ライブ迄あと一種間である。今日は安瀬して寝ている。
あい変わらず、咳と鼻水が出る。来週はライブがある。それまでは直して起きたい。いま風邪が猛威を振るいる。
風邪を引いたようだ、鼻水がでる。そして咳もでる。何もできない状態だ。
夕方から内科の検診である。芸を磨けば磨くほど下手になる。
1月20日日にUさんと組んでラオブを行う。2月の公演と同じものを行う。朗読の世界も世代交代が進んでいる。若手が増えてくれることを願うだけだ。
聲が出ない。今はひたすら心で語る方法で語っている。いのちの聲を求めて語る。Uさんがどのようにして歌の聲で包んでくれるのか楽しみだ。
午前中に介護施設に行く。体力が落ちていることに驚いた。老いるとはこのような事かと実感をした。83歳の重さを感じる。
9日咽喉のCTの結果が解る。20日まで何とか直したい。治らなかったら自然体で行うしかない。人生にはいろんなことがある。
大正時代の講談を朗読として聴かせたのは凄い。品格がある。今の朗読とはまったく違う。
今年の箱根駅伝はすごかった。何が起こるか解らない。詩人の聲も何かが変われば面白い。詩人は観客に対して心に響く聲を生み出してゆきたい。
明けましておめでとうございます。皆様の幸せを祈っています。
今年からは品のある詩語りをおこなってゆきたい。若者は若者の語りがある。老いには老いの語り口がある。楽しみながら語りたい。
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