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2024年8月31日 (土)

田川紀久雄詩語り」

9月のライブが19日{木)と26日{木)に行う予定。ライブを行わないと解らないことがある。いまは自然体で詩語りを行いたい。10年間あれば残りのすべてができる。あとは精進だけだ。

2024年8月30日 (金)

田川紀久雄詩語り

詩語りは個人の人生を語る芸である。講談のように歴史上の人物を語るものではない。一切演劇的な要素を取り入れたりはしない。それでいて聴き手に感動を与えねばならない。難しい。その為にも聲の力を大切にしなくてはならない。生命讃歌を語る私の詩語りを聴いてもらいたい。出前も承っています。

 

2024年8月29日 (木)

田川紀久雄詩語り

午前中は介護施設に行く。来場は予約者が数人いるという。天度氏は行うべきだという。夕方からは大雨にあるという。止めるべきかを迷う。足の具合次第だ。会議施設からっ帰宅したらパソコンで通知をする。
川崎は夕方から大雨だという。今回のライブは中止にする。10月は2回ライブを行いたい。予約者にご迷惑をおかけした。

2024年8月28日 (水)

田川紀久雄詩語り

台風が随分おくれている。明日にならなければ明日の天気がわからない。最大の台風あることには間違いがない。足の悪い私は傘をもっては歩けない。語りの練習も相棒が居るとできない。来月からは介護施設の週に一回に戻し励行。語りの練習時間が欲しい。Uさんに電話を入れる。

2024年8月27日 (火)

田川紀久雄詩語り

台風が29日に東京に来た場合ライブが中止になる。9月に2回行う予定。この度の台風は日本を縦断する可能性がある。若い詩人はもっと天童氏と私に質問をしてくるべきだ。色んな詩人の朗読をきくことだ。単なる友人だけを聴くのはどうかと思う。詩人同士に会話が少ない。

2024年8月25日 (日)

田川紀久雄詩語り

今日は聲の調子が悪い。それに身体が重く感じられる。聲は毎日撃ち続けることで聲の深みが生まれる。人生そのものを賭けていかないと本当の聲は生まれてこない。それでも生まれない場合がある。聲の道は焦っても意味がない。今「詩人の聲」がなくなれば詩人が一時間も聲が撃てる場所はどこにもない。あと10年ほどである。その先は何も解らない。若い詩人が「詩人の聲」に参加を願うどかない。

 

 

2024年8月24日 (土)

田川紀久雄詩語り

やっと詩語りくぉする聲になってきた。ひたすら聲を撃ち続けてきた。ある意味では聲にゆとりが出てきた。色んな病を乗り越えてきたことも大事なことである。台風が近づいてきている。29日のライブの日が雨でなけれな良いのだが。

2024年8月23日 (金)

田川紀久雄詩語り

詩人の聲は、能とが義太夫の聲の表現と違って、テキストに沿って語る。聴く側としては退屈することもある。詩は詩であって物語りではない。詩の語りほど厄介なことはない。詩にとって一つ一つの言葉に意味がある。だから活字の言葉を聲に出して磨く必要がある。詩人が大聲をだすと、聴きずらくなる。それは聲ができていないからである。聲を精進をすることで聲が生まれてくる。生な聲は聲とは言えない。そこまで行くには最低でも10年はかかる。その聲に味が出てくるまでにはあと20年もかかる。詩人はそこまで待つ人はいない。だから詩人も朗読はつまらないと言われてしまう。

2024年8月22日 (木)

田川紀久雄詩語り

大きな聲を出しながら、言葉を磨く。このような事は詩人は行っていない。言葉を丁寧に発する。詩人たちは大きな聲を嫌う。嫌うというより出せない。私は大道芸で聲を磨いてきた。

2024年8月21日 (水)

田川紀久雄詩語り

私の聲もいまいちである。芸人の聲は60歳を過ぎないとと言われているが、今は100歳まで生きられる時代になっている。まだ60歳では若い。80歳ぐらいでないと、自分の聲が出来ないのかもしれない。聲の味とはその人そのものである。難しい時代になっている。

2024年8月20日 (火)

田川紀久雄詩語り

詩語りライブは、8月29日 午後7時かあら 駒込平和教会

足の神経が切断さえ、復帰が不可能と診断された。それが奇跡的に何とか補助車であるけるようになった。末期ガンの時も、奇跡的になおった。語ることが私のさだめなのだろう。この朝つでは歩く練習もできていない。のんびりとあるくしかない。

2024年8月19日 (月)

田川紀久雄詩語り

午前中介護施設に行く。名人の芸を見続けていると疲れてくる。中に中堅の人を入れないと何時間も見ていられない。詩人の中では、朗読を聴かせてくれるひとがいない。寂しいかぎるである。

2024年8月18日 (日)

田川紀久雄詩語り

歯の並びが悪く、語りずらい。足が悪く歯医者には通えない。練習でなれるしかない。今は公園には行けない。家の中で稽古するしかない。

2024年8月17日 (土)

田川紀久雄詩語り

名人の価値とはなんなのだろう。まず、技術・味・人柄それに聲質しである。それにはテキストの読みこみである。語りに流れが気持ちよいこと。うまいい人と名人は違う、うまいが嫌味を感じるひとがいる。今の若手芸人の中にもいる。詩人には芸も味もない。また詩人には教えることが出来ない。それは食べられないからだ。

2024年8月16日 (金)

田川紀久雄詩語り

大型台風が接近している。最近ニュースが大場に感じられる。ペットと一緒に避難できる所が欲しい。ペットを連れていけない。哀しい。

2024年8月15日 (木)

田川昭矩を詩語り

午前中は介護施設に行く。歩行器も新しいものに変える。こんなに暑くては歩くことが出来ない。足の筋肉が衰えている。歯が抜けたおかげで語りずらくなってしまった。語りはパホーマンスであってはならない。あくまで芸としてかたていくべきだ。丁寧にかたる。そのうえで聲を撃っていけばよい。

2024年8月14日 (水)

田川紀久雄詩語り

アイスを食べていたら、前歯が折れた。語りずらい。あ足が悪いので歯医車にはいけない。このままで詩語りをするしかない。天童大人が賞賛するかとう英俊さんのことを尋ねたら資料がないという。名古屋から来ているという。まだ大学生だという。一度は聴きに行ってみたい。

2024年8月13日 (火)

田川紀久雄詩語り

自分の詩を読むことで、自分の聲が出来る。その人の詩のリズムが、聲のリズムをつくる。詩人は批判をすると、すぐムレテしまう。冷静に人の批判をききいれない。これではいつまでたっても進歩はしない。まだ誰も私のところに相談に来る詩人はいない。真剣に聲を撃っている詩人がいない。有名になりたがる人には興味がない。

2024年8月12日 (月)

田川紀久雄詩語り

若手の落語家の聲を聴いている、詩人と同じく落語家の聲が出来ていない。言葉だけが宙にういている。聲をひたすら撃ち込んでぃでいくしかない。槍投げの選手も、体を捻って投げるのに3年もついやしている。誰でもができるものではない。私も詩語りの聲を新た生みだしている。

2024年8月11日 (日)

田川紀久雄詩語り

昨日は一日中語りの稽古を行っていた。語れば語るほど味がしみでてくる。いろんなテキストを語り込む。語りの味をだしたい。

2024年8月10日 (土)

田川紀久雄詩語り

ネコと非難してもケージに入れてはいられない。ネコもいにも家族とそて暮らしていた。家族として暮らせる場が欲しい。これでは動物が可哀そう。いのちは平等である。

2024年8月 9日 (金)

田川紀久雄詩語り

詩人たちは朗読で何を求めているのだろう。私には解らない。お互いに研鑽する朋が欲しい。誰よりも努力をするしかない。

2024年8月 8日 (木)

田川紀久雄詩語り

夕方内科の検診。数日メールにつながらなかった。パソコンは急におかしくなる。私は手が付けられない。

2024年8月 4日 (日)

田川紀久雄詩語り」

自分の聲を聴いてみたが、語りにはなっていない。詩の語りは難しい。詩自体には語りの要素がない。それを語りとして聴かせることが無理である。もっと精進するしかない。

2024年8月 3日 (土)

田川紀久雄詩語り

CD[平和の祈り」を作成する。これは入院する前のライブである。ほしい人には1000円で。これはあくまで自主製作なので、CDのみです。

2024年8月 2日 (金)

田川紀久雄詩語り

謡うように語る。そのことが大切である。しかし謡ってはならない。これは語りの基本でもある。大聲だけでは人を感動させる事はできない。情緒の微妙なところは謡うようにかたらなければならない。今の詩人の中にはそのことができる人はいない。

2024年8月 1日 (木)

田川紀久雄詩語り

介護施設に行く。

9月のライブは9月26日に決まる。8月は29日である。生命讃歌を語ってゆく。

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