田川紀久雄詩語り日記
義太夫の本を読むと、修行の厳しさがわかる。これは練習ではない地獄の特訓でしかない。詩人の稽古など子供だましとしか言えない。まず腹でかたる。詩人の聲には誰も腹で語ることができていない。私は80歳を超えているが、まだこの練習にはおそくない。修行はいくつになっても終わることがない。詩は詩を語る聲がある。詩を語る腹をもちたい。「永遠なる都」のCDを聴きなをしてみたら思いのほかよかった。あのころは今より聲に熱があった。情熱を失ってはならない。
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