田川紀久雄詩語り日記
詩の朗読で、人に聴かせるまでには10年はかかる。まず朗読したいテキスト(詩集)を編み出さなくてはならない。そしてそれを語り込んでゆく。自分の聲が生まれてくるには最低でも5年はかかる。それも毎日そのテキストを大聲で語り込まなくてはならない。詩人でもそこまで出来ている人は少ない。お客に聴いてもらえるまで10年はかかる。詩の朗読には師匠は存在しない。詩人は自分の聲や語り方は自分で編み出さなければならない。それは孤独で辛い日々との闘いである。誰でもができるものでもない。これはある意味で宿命としか言いようがない。そのような詩人は「詩人の聲」でもほとんどお目にかかれない。そういう私でもいまだに未熟である。心臓の手術を終えたいま聲も楽に出せるようになってきた。その代わりに身体のあちらこちに痛みを感じる。これ年齢的なは者なのだろう。納得のゆく詩語りを目指して頑張るしかない。
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