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2023年5月31日 (水)

田川紀久雄詩語り日記

大型台風が関東にも来る気配だ。当分は公園にはいけそうもない。梅雨の時期もいくらか早くなっている。腰の痛みがある。思うように足が動かない。年齢を感じてしまう。気持ちは若いが、身体は老人なのだ。私よりも年上の禿さんが詩人の聲に参加している。聲には年齢などそれほど関係がない。鍛えた聲であれば100歳を越えても聲は衰えることはない。

2023年5月30日 (火)

田川紀久雄詩語り日記

お客を呼ぶには、感動をする語りを行わない以上誰も聴きにはこない。もっと精進をしなければならない。残り僅かな人生だが、死に物狂いで生きなければ感動する詩語りが生まれては来ない。CDを残せるだけでもありがたい。

2023年5月29日 (月)

田川紀久雄詩語り日記

7月のライブのチラシを作る。この「詩人の聲」がなければ」私の詩語りもここますぇは成長ができなかった。そのような意味で天童氏に感謝するしかない。多くの詩人は詩の朗読に無関心である。詩人はこの世の中に叫んでいかねばならない。歌をわすれたカナリアだ。詩人の聲に参加している詩人たちは聲の力が確実に上達している。新しい人たちの聲にも熱を感じる。

2023年5月28日 (日)

田川紀久雄詩語り日記

6月の詩語りは「旅人として」7である。予定は6月29日。まだテキストがうまく聲に乗っていかない。ライブまでひたすら語り込んでいくしかない。テキストによって語りずらいものもある。いろんなテキストに挑戦してゆく。これが経験として活かされてゆく。

2023年5月27日 (土)

田川紀久雄詩語り日記

詩集「心の朋」の詩語りを初めて語る。これは何度も手直しをした。語りと詩集はやはり異なる。決定稿は」詩語りテキストをとる。語るたびにどかを直している。ライブまではひたすら手を入れる。毎月異なるテキストを語っている。割合困難を伴う。CDで気に入らないものは再録音をしたい。腰の痛みは相変わらず続いている。

2023年5月26日 (金)

田川紀久雄詩語り日記

昨日のライブは良かった。心臓の手術で息継ぎも楽になった。今までライブの途中で息切れをしていたが、それもなくなった。CDは6月の上旬に発売予定。

2023年5月25日 (木)

田川紀久雄詩語り日記

今朝、ライブは常にライブは詩語りを行おうとしたら、活字がほとんど見えなかった。今日はライブの陽である。一か八かで行うしかない。このことで語ることの意味も強調される。それに腰が痛む。四面楚歌で行うだけだ。今までだって大変な場面が何度か経験してきた。これも一つの経験になるのだろう。ライブはつねにいのちをかけて行うものである。そのためにも常に心・技・体を音求めていたい。

2023年5月24日 (水)

田川紀久雄詩語り日記

テキストの活字が見えにくくなっている。視力が急に悪くなった。詩の朗読というものはテキストをもって語る。暗記をして行うものではない。何回も語っているとある程度は覚えている。
前にシルバカーで転んで救急車で病院に運ばれたことがある。そのとき足をねじってしまった。そのために腿のところが痛むようになった。その痛みが数日前から急に激しく痛み出した。明日のライブに行けるのか心配になってきた。無理をした行動はできない。先月ライブを中止したこともあって気になる。何としてでもライブには参加したい。

2023年5月23日 (火)

田川紀久雄詩語り日記

詩語りは聴き手に詩の言葉を伝えなければならない。単に言葉を伝えることは、詩語りではない。詩人の情熱を込めた聲で伝えなければ意味がない。そのためには長い経験を要する。聲ができないうちは、まだ詩語りとは言えない。聲は温もりの聲であってほしい。変な抑揚は必要としない。詩の言葉を、掘り下げて行ける聲が大切なのである。そのためには日々の精進しかない。このことを実戦している詩人はほとんどいない。

 

2023年5月22日 (月)

田川紀久雄詩語り日記

5月25日(木)午後7時より詩語りライブ。場所 駒込平和教会。 JR駒込駅東口.高架をくぐり、右に曲がって10メートルほど歩くと教会があります。前売り2500円。
詩が言葉に溶け込んでゆく。田川紀久雄の聲を聴いてもらいたい。手術から復帰の聲。詩語りの唯一の詩人。聲の痛みがあるが、何とか無理をしてでも語りたい。

2023年5月21日 (日)

田川紀久雄詩語り日記

身体の調子で聲がうまく言葉に乗っていかないときがある。そのようなときも最後まで語りきる。ライブという場所は何が起こるかわからない。状態が悪くても最後まで語れることが大切である。お客が入るb詩語りを行いたい。こう物価が高騰しては生活が維持できない。宮沢賢治の詩語りを行っていた時は、それなりに食べて行けた。自作詩ではお客を集めるのが難しい。この壁を突き破りたい。

2023年5月20日 (土)

田川紀久雄詩語り日記

川崎は朝から雨だ。ネコに詩語りを聴かせる。一日語りを休むと語りの調子もおかしい。相撲のように毎日しこを踏まねばならない。そして誰よりも精進をしなければならない。才能のない私には努力しかない。人生で多くの苦シミを味わってきた私にできることは、この経験を語ることだ。今も苦しんでいる人たちに語ってゆきたい。そのためにも芸の段階までしてゆかねばならない。今は歩行も困難な状態だあが何とかして詩人の聲だけは参加したい。

2023年5月19日 (金)

田川紀久雄詩語り日記

朝から病院で心臓のいろんな検査を行う。午後の三時までかかる。身体が疲れた。

2023年5月18日 (木)

田川紀久雄詩語り日記

精進をしていても、まったく同じ詩語りはできない。今日のように暑いt集中力も衰える。状態が悪い時でも聲を撃つことで、ライブにも役だってゆく。無駄なことは何一つもない。客に聴かせる聲はいかなる努力も惜しんではならない。詩人同士で同じ場所で朗読会を行ってみたい。

2023年5月17日 (水)

田川紀久雄詩語り日記

今日は午前中に、心機能検査を行う。
詩の朗読は、本当の朗読をしない限りお客は集まらない。それは腹で聲を出すことである。そこまで精進を行わなくては誰も聴き手は来ないだろう。今私はそれに挑戦を続けている。テキストをいのちがけで語る。これは大聲を出すこととも違う。腹で語るということである。これから公園は暑くなる。語ることが楽しくならなければならない。

2023年5月16日 (火)

田川紀久雄詩語り日記

素晴らしい語り手であり唄い人である詩人からハガキを頂いた。聴き手の心を掴むには誰よりも精進に励むしかない。それをつらく思うか楽しみと思うかによって聲にも影響する。はっきり言って楽しみでもあり苦しみでもある。その心のバランスを身に掴むことである。厳しい生き方にこそ、本物の聲が生まれる。血の滲む思いで芸人たちは生きてきた。言葉で言わなくても聲を聴けばわかる。聴き手に愛を届けるということは生易しい世界ではない。詩人の聲の中でもその闘いを分かち合える人に出会うことは幸運なことだ。聴く人に対しての礼儀でもある。

2023年5月15日 (月)

田川紀久雄詩語り日記

詩語りの上達はテキストを大聲で語るしかない。しれも毎日何度も行う。だからと言ってライブでうまくいくとは限らない。詩を語る場合、聲に感情を持ち込んではならない。聲そのものに命を植え付けることである。だからこそ精進が必要なのだ。これが他の芸能と異なる点である。これを魂の聲という。詩の世界では飯が食べてはいけない。いくら精進をしてもほとんど報われることはない。それをあえて行う。これが本物の詩語りである。

2023年5月14日 (日)

田川紀久雄詩語り日記

義太夫の本を読むと、修行の厳しさがわかる。これは練習ではない地獄の特訓でしかない。詩人の稽古など子供だましとしか言えない。まず腹でかたる。詩人の聲には誰も腹で語ることができていない。私は80歳を超えているが、まだこの練習にはおそくない。修行はいくつになっても終わることがない。詩は詩を語る聲がある。詩を語る腹をもちたい。「永遠なる都」のCDを聴きなをしてみたら思いのほかよかった。あのころは今より聲に熱があった。情熱を失ってはならない。

 

2023年5月13日 (土)

田川紀久雄詩語り日記

詩の朗読で、人に聴かせるまでには10年はかかる。まず朗読したいテキスト(詩集)を編み出さなくてはならない。そしてそれを語り込んでゆく。自分の聲が生まれてくるには最低でも5年はかかる。それも毎日そのテキストを大聲で語り込まなくてはならない。詩人でもそこまで出来ている人は少ない。お客に聴いてもらえるまで10年はかかる。詩の朗読には師匠は存在しない。詩人は自分の聲や語り方は自分で編み出さなければならない。それは孤独で辛い日々との闘いである。誰でもができるものでもない。これはある意味で宿命としか言いようがない。そのような詩人は「詩人の聲」でもほとんどお目にかかれない。そういう私でもいまだに未熟である。心臓の手術を終えたいま聲も楽に出せるようになってきた。その代わりに身体のあちらこちに痛みを感じる。これ年齢的なは者なのだろう。納得のゆく詩語りを目指して頑張るしかない。

2023年5月12日 (金)

田川紀久雄詩語り日記

朝公園で詩語りを行ってきた。雨が降らない限り日々行っている。相棒が働きに行っているときはできるだけ詩語りの稽古に励んでいる。詩語りは今は金にならないが、プロ意識で精進に励んでいる。毎日語ったいてもまったく同じ語りはできない。今は楽しんで語れるようになりたい。精進はつらいものであるが、それを楽しみになってゆきたい。どこかに多くの人々の心と通い会える詩語りを編み出したい。

2023年5月11日 (木)

田川紀久雄詩語り日記

文楽の人形の足だけでも6年から10年は修行を要する。その間に義太夫のセリフを覚える。昔は下駄でたたかれることもあった。今ではそのようなことはない。本当の芸人が生まれるとは思えない。ただ伝統芸能の保存のためであるならば、それほどの意味はない。詩の朗読も社会とかかわる場所がなければ、それも意味がないといえる。ある詩人は幼稚園で子供たちに詩の聲を教えている。これはすごいことだ。私もガン患者の前で詩人の聲をうちこんでみたい。

2023年5月10日 (水)

田川紀久雄詩語り日記

精進は孤独な作業である。そこには語ることが楽しいという気持ちが必要である。古典芸能の文楽では今年の入門者がいないという。文楽の人形の修行はつらくて長い。いや修行というものは終わりがない。永遠に満足ができないのが芸の世界である。そこには観客がいるから辛抱ができる。しかし、詩の朗読とか詩語りでもお客は誰も集まらない。精進をしていても一番つらいのは聴き手がいないことだ。そこで私はCDを残すことにしたのである。そのCDを聴くことは恥ずかしいが我慢するしかない。古典芸能のように詩の朗読者になる方はほとんどいない。お客の心を掴むものが生まれてこなければ、いつまでも苦しいだけだ。それでも聲を撃っていく。今は詩人たちがどのような気持ちで行っているのかを知りたい。

2023年5月 9日 (火)

田川紀久雄詩語り日記

精進をしていても何も進歩をしていない。そうかもしれないが、精進を続けてゆかなければ、これからも先に進むこともできなくなる。何も進歩しないように見えても精進を続けるしかない。八十歳を越えてもまだ初心者と変わらない。これが芸能の世界観なのだ。死ぬまで努力しかない。他者に聴かせる芸能というものは本当に厳しい世界である。

2023年5月 8日 (月)

田川紀久雄詩語り日記

よく雨が降る。コピー機が古いのでもう故障ができないという。お金がまた出てゆく。詩語りで仕事が欲しいい。どこかで「いのち」についてを語らせてくれる場所がないのか。詩は今を語ることも必要である。詩人たちの前ではなく、学生たちに詩語りを聴いてもらいたい。よのなかはますますデジタル化が進んでゆく。人間の生の聲を求められている。多くの病気を患い、苦悩の世界をこえてきた詩人の聲を聴いてもらいたい。とい合わせは漉林書房まで。

2023年5月 7日 (日)

田川紀久雄詩語り日記

いくら精進をしても納得のいく詩語りが生まれてこない。できる頃はやはり精進を続けるしか何もできない。才能がない私は努力しかできない。人間として命を懸けて行えるものを持つことができたのは幸せなことである。聴き手がいなくても不満を言うことはない。職人のように黙々と生きていくしかない。詩人の聲の中にも日々精進委励んでいる人がいる。足が悪くて聴きには行けないが心から応援している。つらいけれど頑張ってゆくしかない。

2023年5月 6日 (土)

田川紀久雄詩語り日記

録音の自分の聲を聴くことを嫌がる人が多い。芸能人でも自分のビデオを見たくないという人もいる。私の初めのころは聴くのがつらかった。でもCDの録音をとることによって、いろいろと勉強をさせてもらっている。詩人の聲ではお客が集まらないので、自分の聲がどのようにお客に伝わているのかわからない。否応なくCDを聴かざるを得ない。芸とはおきゃうによって成長するものだが、詩の朗読の世界では、そのようなことは期待ができない。最後は自分の聲を聴いていく以外にはない。寂しい世界である。

2023年5月 5日 (金)

田川紀久雄詩語り日記

昨年のCDを聴く。いま聴くと聴くに堪えない語りである。詩の朗読は本当に難しい。詩人たちがCDを制作しないのも解る。自分の詩語りも、CDを聴くことで直して行ける。どこまで直せるのかはわからないが、頑張ってゆくしかない。毎日精進をしてゆく中で詩語りも成長させてゆきたい。

2023年5月 4日 (木)

田川紀久雄詩語り日記

肩が数日前から痛み始めた。痛み止めの薬を飲んでも何の効き目もない。世の中は浮足立っている。連休が終わればコロナがどのようになっているのか心配だ。まだ何人も亡くなっている。コピー機も故障だ。連休だとどうにもならない。

2023年5月 3日 (水)

田川紀久雄詩語り日記

詩語りライブは毎月行っています。今月は5月25日(木)午後7時より 駒込平和教会。JR駒込駅よりⅠ分。前売り兼¥2500円 当日3000円です。実際の聲を聴入れ見ないとわからないところがある。他の詩人とは違う。詩語りは私ひとりひかいない。まずCDで私の聲を聴いてみませんか。今はどんどんデジタル化進んでいる。詩語りは人間本来持っている生命の聲である。音楽もマイクもない。ひたすら語り続ける。それも一時間も。詩人の聲を聴くことは貴重な体験になる。生の聲といっても、私の聲は鍛え上げられた詩語りの聲である。

2023年5月 2日 (火)

田川紀久雄詩語り日記

詩の朗読で聴き手に感銘を与えることはとても難しい。まず聲の力を持てなければその望みもかなえられない。それと言葉の力も求められる。朗読に挑んできて挫折していった詩人は多い。詩の朗読の歴史は敗北の歴史であったことには間違いがない。詩壇で行っている朗読会はまさに敗北の積み重ねに他ならない。

2023年5月 1日 (月)

田川紀久雄詩語り日記

今日は内科の検針日である。満足する詩語りはできないが、精進することは誰にでもできる。学生たちに詩語りの楽しさを知ってもらいたい。

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