田川紀久雄詩語り日記
この詩語り日記を読んでいただきありがとうございました。今年も今日で終わです。皆様の健康とお幸せをお祈りいたします。平和の祈りも忘れずに
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この詩語り日記を読んでいただきありがとうございました。今年も今日で終わです。皆様の健康とお幸せをお祈りいたします。平和の祈りも忘れずに
今年も明日で終わる。ここまでよくやってこれた。これも詩語りでCDを残したいという思いからだ。CD「黎明」が出来上がってきた。副タイトルは「平和への祈り」である。一人でも多くの人に聴いていただきたい。私のCDはすべて異なる詩集を語りこんでいる。もう30数点も出来上がっている。そのうち前半は発売中止にさせてもらった。できるだけ納得のいくCDを発売したい。
本当に詩語り人と呼べる人はいない。詩語りとはどうして生まれたのか。東淵修さんという人がいた。平居さんの企画で京都で行うことがあった。その条件として東淵修さんを招いて頂くことにした。修さんからは詩集やカセットテープまで送ってもらっていた。その彼は「語るように朗読をする」といっていた。私は無意識に詩語りと自分の朗読のことをそう言っていた。彼と私と共通する点があった。そのころ彼の朗読のことを「浪速節」だという詩人が多くいた。私は語りのことを苦土節(くどくぶし)読んでいた。そのことは11月のライブの時の詩にも出てきた。もっといろいろと書いておきたいことがあるが今日はこれでおしまい。
相棒が仕事に出かけている間は、私は詩語りの稽古に励んでいる。いまは詩語りでは稼げないが、日本一の詩語り手となることを決めている。そのために懸命で励んでいる。詩人の聲でも懸命に励んでいる女性がいる。その人に少しでも刺激になればと思っている。お互いが刺激しあうことで聲も成長してゆける。詩人の聲に変革を行ってゆきたい。
月一回のライブがあるから新しいテキストを毎回語れる。そのためには日々の精進がすべてである。精進ではできないものがある。それは人生の経験が隠れた語りの味をつけてくれる。つまり聲の味というものだ。この味を出すにしても精進が欠かせない。大切なのは日々の精進をいかに大切にしてゆくかということだ。CDの「黎明」が今週中には出来上がってくる。
聴いてもらいえるCDを制作するためにも、一日も欠かさずの精進が求められている。これはあたりまの日課となってゆかねばならない。その上にもっと高みを目指すにはある意味での狂気が求められる。このように努力しても生活のためには何の役にも立たない。詩語りなど社会に認められることはない。世の中は惨いものである。でもそれに耐えてゆかねば詩語りの向上はありえない。今のCDは内容的にも聴く価値がある。頒価1000円でお分けしている。一度聴いてもらいたい。来年のライブは一月十九日(木)である。
聲が出なくなっているが、何とかして詩語りを続けてゆきたい。聴く人が来ないライブを行い続けるのは確かに、つらいものである。それを超えていかねば、この詩語りの先はない。自分自身との闘いである。福岡から来る人もいる。凄いとしかいいようがない。確かに聲がよくなってきている。昨日アイススケートを見ていたが、若い人たちがすごい演技をしていた。坂本さんのアイスは素晴らしいとしか言いようがない。ここまで来るには、口では言えない苦労があったはずだ。精進という言葉しかこの世界にはない。詩人の聲といえども日々との闘いがある。頑張るしかない。
一月に語る予定にしている「残像」が思うように語れない。なんどもテキストを語りこめなければ語れない。不器用な私には語りこめるようになるまで時間がかかる。CDを残すためには頑張るしかない。CDを残すということはそれなりの意味がある。単に語って終わるわけではない。「詩人の聲」に参加している人たちとは異なる。CDを残しているのは私だけしかいない。これは戦いなのだ。
昨日のライブのCDが来週にできる。腰の痛みがあるせいか一時間を語りのが大変になってきた。いまの世の中がおかしくなりかけている。吟遊詩人として語らなくてはならないことがある。昨日の「黎明」の中で語ることができた。一人でも多くの人に聴いてもらいたい。詩人たちは朗読に対しては無関心である。戦争の足跡が聞えてくる。軍備費が増しても国民の多くはしょうがないと思っている。あるいはそのことに対しても無関心でいる。ロシアがウクライナへの侵攻がもたらした影響は計り知れない。平和がいつ訪れてくるのか先がまったく見えない。やはり平和を祈りながら詩語りを行っている。その聲がどこにも響いていかない。悲しい。
ウクライナ戦争が、どこへ向かって進んでいるのか解らない。戦争をして何の得にもならない。人間というものはつくづくおろかさに呆れてしまう。まず欲を捨てることだ。無欲こそ生きる上で大切な宝である。無欲な愛こそこの地球を守るには必要なものである。今日のライブでそのことを語る。午後から雨ががるという。腰が痛むが何とかライブはできるだろう。ライブの来場をお待ちしています。
少しでもみんなが幸せになれる世の中を作りたい。私はその為に詩語りを行っている。宗教も誰もが自由に語り合いたいものだ。偏見でものを言ってはならない。仏教だって宗派があまりにも多すぎる。多くてもよいが、他の宗派の人達と自由に話し合えるものでなければならない。世界もいろんな思想で成り立っている。なにか共一した考え方があってもよい。一つの実の考え方では何も新しい世界が生み出せない。明日は私のライブがある。副題は「平和への祈り」である。詩語りを通して平和を語っていくしかない。
大雪で東北は大変だ。これも温暖化の影響である。みんなが困らない生活が送れることを祈る。私は相棒のおかげで生きている。物価が上がっているのにアルバイトの時給は少しもあがらない。毎月が赤字なのだ。わずかな蓄えもなくなってゆく。詩語りの出前の仕事が欲しい。肉声のライブなのでコロナ禍の中ではなかなか仕事もない。CDがいくらかでも売れればよいのだが、それすら望めない。山本竹勇さんから励ましの手紙をいただいた。うれしい。CDを聴いていただけでもありがたい。公園の横で四月まで工事を行っているので練習もできない。自分の部屋だと聲をあげては語れない。困っている。テキストが語れるだけでもありがたい。
原発の新設が可能になってきた。いまの7岸田内閣はめちゃきうちゃなことを決めてゆく。いろんなところで詩語りを行いたい。吟遊詩人としては、今の世の中を問い直してゆきたい。人のいのちを何とも思っていない。国民を守るといいながら、国民のいのちを危険な状況に追い込んでいる。
「詩人の聲」に参加している友理さんの聲の響きがよくなってきている。ぜひ応援をしてあげてください。
統一教会の法律もざる法案である。岸田内閣では、国民の利益になることが行われない。いのちを守る詩語りを行っている。CDを購入の方には田川紀久雄の作品の目録を贈呈いたします。
山本竹勇さんからネコの餌をいただいた。あるがたい。すこしづつ私の詩語りが浸透している。詩人たちが私のCDを無視している。詩人の世界はこじんまりとしている。吟遊詩人として言いたいことを言うまでだ。詩人の中には詩は語りでないという人もいる。詩は語るように歌うのである。一字一字に心を込めて語る。口説き節というものがあるが、私の場合は苦土節なのである。22日のライブには一人でも多くのご来場をお待ちしています。場所:駒込平和教会。7時より・JR駒込駅より徒歩1分。予約・天童大人 090-3696-7098まで。
国会を通さないで防衛費を決めるなぁんて、国民をバカのした話だ。これこそ平和国家であることの疑念を感じてしまう。吟遊詩人らしく語ってゆこう。宇都宮でネコの毒入り殺害がおきた。ネコは器物ではない。いのちのある人間に対して優しい生き物である。犯人を見つけ出してほしい。ウクライナ問題を口実のい防衛費を増してゆく。一度武器を使ったらもう戦争が始まる。平和は人間同士の交流と話し合いで守られるものである。岸田内閣はもう終わりだ。国民はこの防衛費に反対してゆくべきである。あくまで平和を守りたいのなら、この問題はあってはならないことである。吟遊詩人の仕事はやることが増えてゆく。
22日に語る「黎明」の副題として「平和へのいのり」とした。復興税の問題より、軍備費を増やさないことだ。戦争がおこない平和な国作りをしなければならない。そのためにも第9条を守る世の中が求められている。吟遊詩人としてもいのちを守る詩語りを行ってゆきたい。どこかで詩語りをおこなってゆきたい。軍備の拡大が恐ろしい。
なぜ軍備費が増額せねばならないのかを丁寧に説明がなされていない。ウクライナとは何の関係もないはずだ。国民の誰一人として戦争など望んではいない。先制反攻撃をすれば戦争になるに決まっている。まずは和平交渉が先決だ。生命讃歌を語っている私としてはこの度の増税には絶対に反対である。
今私が稽古をしている公園で測量調査が始まった。この公園を取り壊すのかもしれない。人のあまり来ない公演だから取り壊される恐れがある。私にとって大変な問題だ。
ひとりの人が公園で子供の声がうるさいとの声で取り壊されることになった。いまの世の中は変だ。
東日本復興税が軍備費に使われるなんて、とんでもない話である。岸田内閣は気が狂っと思われる。いま庶民は物価高で苦しんでいる。吟遊詩人としては、人前で語りたいのだが、どこにも語れる場所がない。CDを送りたい人もいない。コロナ禍ではなかなか語れる所がない。何かのイベントで数分間でも語らせてくれたらありがたい。老人用の押し車でどこでも行ける。詩人だと会員以外の人はだいたいお断りである。日本一の詩語り者である。この世は寂しい。
国を守るには防衛力を高める必要がある。メールにもいい加減な」ことが書かれている。これは政権内の争いがあると見える。政治家は何の愚かなもの達人思われても致し方がない。詩語りを一度も聴いたことがない。いのちの大切さに思いが通わない。愛子氏が悪くて選挙の投票にも追っていない。何も変わらない。今の政治家に国民のいのちを託すわけにはいかない。吟遊詩人はいのちの大切さを訴えるしかない。いまのところ私の詩語りを聴く人はいない。でも最期までみんなが幸せになることを願って語ってゆきたい。
内閣は思い付きで発言をする。安部葬儀の時も、そしてこのたびの軍事費の増税のことも。まず国民の意見を初めに聴くことをしない。これでは内閣とは言えない。これでは政権の終焉に来ている。本当の平和は国民の安心して住める生活である。あほんだら経を唱えたくなる。いのちの詩語りを聴いてもらいたくなる。世界全体がいろんな災害に襲われている。災害に強い国を作らなくてはならない。日本の橋を見ても老朽化しているものばかりだ。予算がない。軍備費に使われる税金をこの災害に備えるために使ってもらいたい。安倍政権の時に利用された世界平和教会との問題を追及してもらいたい。岸田内閣は安部時代の問題を隠そうとしている。物価高問題でも何もしていないのと同じだ。困った内閣だ。
聴き手の心に届く聲を発したい。素朴に語っていても魂に響く聲を撃ちたい。安心して聲が打てる場所が欲しい。どこからも私の聲を聴きたいという方が現れてこない。いま「語りたい詩集」というテキストを作っている。いつも持って歩きたいテキストを作る。15分程度の語りでよい。まず人に聴いてもらえなければ語りは何の意味もない。ただ聴いてもらいたい。
軍備費が増額される。これは誤りである。物価が上がっている今このような話が持ち上げるのも変な話だ。世の中が右翼化が強まっている。人々の無関心な態度がおかしい。ウクライナ問題と軍備費は無関係である。人を殺しあう武器は必要がない。普段の会話が大切である。知恵遅れの妹が最期まで叫び続けていたみんなの幸せを詩語りで語っていかねばならない。どこかで語らせていただければありがたい。
宮沢賢治はあらゆる人々の幸せを願った。私の妹も人々の幸せを願って亡くなった。詩語りで妹の願いをかなえてあげたいとの思いで語り、それをCDとして残している。プーチンは戦争を止める気がない。これは犯罪行為である。人の心を失った悪魔でしかない。この戦争はロシアの敗北で終わる。12月22日(木)のライブでは「黎明」を語る。第9条を守る詩を語る。世界平和を守るにはこの法律が必要である。今の政権で軍備費の増額を企てている。愚かなことだ。詩人は「いのちの籠」を編み出してゆかねばならない。吟遊詩人として叫んでゆきたい。
詩語りは、言葉が伝わらなければ意味がない。そのためには一語一語丁寧に語る。それと聲の質が問われる。それだけを努力すれば誰にでもできる。自分の言葉を自分で語るだの世界である。即興的に語っても面白い。川崎ではラップが盛んにおこなわれている。私はラップができないから詩語りを行っている。詩歴は長い。詩集もある。即興詩で語らなくても済む。詩らしい詩ではない。人生をまるごと語っている。大切なのは心の底から生まれた言葉ならそれは詩である。私の詩語りのCDはもう30枚以上もある。聴きたい方は電話でご連絡を。
野間さんからCDのお礼状が届く。野間さんの語りへの批評は的確である。いつもありがたい。一人でも多くの人達に聴いてもらいたい。そして素直な感想がいただければ嬉しい。語り手は聴き手によって育てられる。厳しい批判ほどありがたい。この歳になってどこまで行けるかわからない。精一杯生きていくつもりだ。昨日家の中で転んで立ち上がるまで30分もかかってしまった。足腰が弱っている。自分の足で歩けないことが問題なのだ。
詩人たちの世界では朗読に対して無関心である。これでは朗読自体が成長してゆかない。批判があってもよい。その前に朗読に関心を思って応援をしてもらいたい。身体で聲と向き合う。そのことから朗読が始まる。幼少時代は失語で苦しんできた。でも今は日本でも唯一の詩語り人となって活動を続けている。人の心に生きることへの勇気と慈悲の風を送っている。詩は詩(うた)者である。そして語るものでもある。子供たちの前で詩語りを行ってみたい。だれか私を招いてくれませんか。ガン以前は大学で詩語りを行ってきた。大勢の人たちが感動していただいた。コロナも超えてCDの制作に励んできた。ようやく人に聴いてもらえる作品ができた。漉林書房まで連絡をいただければ090-1845-4560
獏さんのように原稿の直しを初めから印刷を取りなおす。私の場合は手書きなので、その点便利である。語りやすいように行を変えたりする。無駄な箇所は排除する。聴き手に飽きさせないようにスピード感を持たせる。もとの詩集とはどんどん変化する。決定稿は詩語りのテキストとする。いまテキストを語るのが楽しい。これで詩語りの安定した語りが出来る。平和と命の歓びを語り続けていたい。ウクライナの兵士の死者が増えている。一日も早く停戦をしてもらいたい。
どこからも返事が来ない。もう何にも気にしない。ただひたすらにテキストを語りこんでいければそれでよい。期待するじゃら裏切られる。初めから期待しない。まだ多くの人達が私の詩語りと出会っていない。眼に見えない人たちにむあってテキストうぇお」語っていればうれしい。ロシアもウクライナも早く停戦をしてもらいたい。これ以上若い命を失いたくはない。もっといのちの大切さを語りこまなければならない。ユーチューブで私の詩語り「祈り」を聴いてもらいたい。まいつきライブのCDを発売をしています。すべて命について語っております。
今は語れることの歓びを噛みしめて行うことだ。慈悲の心を語りで表現をしてゆきたい。ウクライナ問題では何もできないがいのちの尊さを語ることができる。この祈りを宇宙に向けて叫んでゆきたい。吟遊詩人でいられること。一日でも早く戦争が終わることを願うしかない。12月のライブは22日である。いつもの駒込平和教会で行う。演目は「黎明」である。
詩語りの行える場所があれば幸せでいられる。現実にはそのような場所はない。「詩人の聲」ではお客が集まらない。これではライブの意味がない。私はCDを作るために行っている。せめて10人ほどのお客は来てほしい。私の聲は魂を撃ち込んで語っている。見知らぬお客が来て初めてライブと呼べる。そのような意味ではもう10年もライブを行っていない。
芸というものは先輩の背中を見て成長するものだといわれてきた。しかし、「詩人の聲」ではそのようなことはない。他者の聲には全くの無関心だ。これでは聲の成長など望めない。詩の世界そのものがそのよおうな世界でもある。今年もあと一か月である。時は待ってはくれない。つねにテキストを語ることをおこたってはないない。この詩語りも今年で終わらせたい。自分のノートにメモをしていければよい。
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