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2022年10月31日 (月)

田川紀久雄詩語り

11月のライブは17日です。駒込平和教会。午後7時より。「風の詩(うた)」を語ります。詩語り人の聲を聴いてみませんか。いのちのこころを語り込んでいます。ロシアはひどい。戦争に反対する人たちを応援してゆきたい。詩を通して活動するのが吟遊詩人だ。
今日は整形と内科の検診日である。一日が忙しい。

2022年10月30日 (日)

田川紀久雄詩語り

詩集を丁寧に語りこむ。それが聲の道にもつながってゆく。「黎明」っを語りこんでいるがまだまだ訂正する箇所がでてくる。納得のいく詩語りがいつ出来上がるのかわからない。毎月異なった詩集を語りこんでいる。それだけでも大変なことである。いつまでたっても聴き手がいない。これが一番苦痛である。そのためにも納得のいくテキストを作りあげねばならない。

2022年10月29日 (土)

田川紀久雄詩語り

言葉にいのちをいれたい。いのちを語れる詩語り人のなりたい。「風のこころ」のCDは来週に金曜日には出来上がる。この詩集のCDは一人でも多くの人に聴いてもらいたい。生き物に対しての愛を語っていたい。できれば出前詩語りをおこないたい。もっと精進を積み重ねてゆきたい。平常心でつねに語れるようになることだ。頑張って生きていこう。眼も足も悪いが何とか頑張ってCDを生み出してゆきたい。

2022年10月28日 (金)

田川紀久雄詩語り

昨日は良いライブができた。私の詩集の中でももっとも語りたい作品のひとつであった詩は他の世界から見れは、それほど面白いものでもない。でも一番大切な世界でもある。そのことを忘れてしまっては困る。足を語る。ただそのことだけを求めて生きている。そのような人がいてもよいのではないか。頑張っていこう。

2022年10月27日 (木)

田川紀久雄詩語り

今日は駒込でライブを行う。丁寧に言葉を撃ってゆこう。CDも30枚ほど残すことができた。これは私の宝物である。いのちを語ることで平和を願う。単なる詩を語るだけでは語る意味がない。この世に生きている意味を追い求めていかねばならない。私の詩語りを求めている人たちがいるはずだ。このブログを見ている人たちも何人もいる。まずその人たちに詩語りのCDを聴いてもらいたい。詩語りの世界を少しでも拡げてゆきたいものだ。

2022年10月26日 (水)

田川紀久雄詩語り

明日のライブに詩人の聲に参加しているHさんが来てくれるという。ありがたいことである。私も詩人の聲の人たちのライブを聴きにゆきたいのだが、どうしても足が思うように歩けないので行くことができない。まだ朗読を始めた方には多くの詩人の聲を聴いてもらいたい。人の聲に関心を示さない詩人の聲は進歩してゆかない。聲に貪欲でならねばならない。詩人の聲に参加している人たちもまだまだ努力がたりない。聴き手の心に響く聲を撃っていかねばならない。明日駒込平和教会で私の詩語りが行われる。午後7時より約一時間を行う。

2022年10月25日 (火)

田川紀久雄詩語り

午前中に市立病院までいかねばならない。今朝は寒い。途中で雨になるかもしれない。
普通の人たちが詩語りを聴きに来なければ語る意味がない。どうしたら営業が可能なのか。まったく知り合えの人がいない。平和を求めて語っ、あまり平和に関心を示さない。CDを残さなければならない。そのCDは全く売れない。詩人たちですら詩の朗読には関心を示さない。まさに出口はどこにも見当たらない。今はひたすら精進してゆくしかない。魂に響く詩語りを行いたい。

2022年10月24日 (月)

田川紀久雄詩語り

聲というものは精進を続けてゆけば、奥深い聲が生まれてくる。その聲はまさに詩としか呼びようもないものである。言葉の意味を超えて魂の言の葉を演出してくれる。やっとその場所に近づくところまで来ている。月一度のライブが丁度良い。お客のいるまえでライブを行ってみたい。詩語りの問い合わせは田川まで。(090-1845-4560)

2022年10月23日 (日)

田川紀久雄詩語り

真実を追い求めるのが詩の在り方でもある。つまり吟遊詩人の姿である。いまの日本の詩人には吟遊詩人と呼べる詩人がいない。これは詩壇とは何の関係もない。そのような狭い世界のものではない。本当の人間の生き方を求める。詩壇で言われている詩は狭い世界のものである。吟遊詩人には吟遊詩人独特の聲がある。次のライブ「風のこころ」でそれを表現をしてみたい。

2022年10月22日 (土)

田川紀久雄詩語り日記

いのちについてより深く語りたい。末期がんの経験によってこころの命について詩語りを深めてゆきたい。いま安定した詩語りを行える。芸能のような世界まで高めてゆきたい。なんとしても稼げる詩語りを行いたい。まだ私の詩語りを聴いていない方は、ユーチューブで田川紀久雄「祈り」を検索してください。今月はあと4回も病院の診察に行かねばならない。病気との闘いの中で伝えてゆきたい世界がある。聲のちからうをもっと引き出してゆきたい。

2022年10月21日 (金)

田川紀久雄詩語り日記

11月に語る予定の「風の詩(うた)」は非常に語りずらい。思うような詩語りが出来ない。11月は11日であえる。10月がおわるとすぎぐにライブである。公園のそばで工事を行っているので、聲がどのように響いているのか確認ができない。外での練習はなかなか難しい。自分自身との闘いである。誰にも聴いてもらえない。詩人の聲があるのでなんとか練習を行っている。復帰をしてから二年が終わる。それなりに詩語りも進歩してきている。多くの人に聴いてもらいたい。

2022年10月20日 (木)

田川紀久雄詩語り日記

テキストを語りこむほど身体にしみこんでくる。これでよいということはない。ただ語りこむことしかない。といっても目標がないとできないものだ。目標との闘いが生きる歓びになる。
今月は27日に駒込平和教会で「いのちへの道」を語る。ひとりでも多くのご来場を願う。問い合わせは天童大人及び田川紀久雄まで。

2022年10月19日 (水)

田川紀久雄詩語り日記

詩人の聲のCDを全部聴く。やはり出来のあり方が違う。それがライブなのだろう。テキストによっても出来が異なる。これは致し方がない。足がよければ違い会場で行ってみたい。でも今は無理である。相棒の聲もCD化を進める。まずは「のぶこ」を収録をしたい。いつになることか。

2022年10月18日 (火)

田川紀久雄詩語り日記

山形のSさんからCD代金が送られきた。ありがたい。CDを買ってくれたということはそれなりに評価されたと思う。足腰がわるい私はCDを売って猫の餌代にしてゆきたい。しかしなかなか私のCDを聴いてくれる人が持つからない。詩人たちに送っても何の返信もない。だんだん詩人の友達もいなくなってきている。猫と音楽を聴いて過ごすことが多くなっている。このところ雨が多いので公園にも出かけられない。部屋ではなかなか練習はできないものだ。頑張らなければと思いながら一日が過ぎてゆく。

2022年10月17日 (月)

田川紀久雄詩語り日記

精進を続けるのが苦しいが、この峠を乗り越えていかなければ」、本当の詩語りの世界が開かれないだろう。目的が見えないで行い続くるのは苦しい。詩人の聲に参加している詩人たちはどのような思い出参加しているのだろうか。何かの夢を抱いているのだろう。私の生き方が誰かの参考になれればありがたい。そのためには、私のCDを聴いてもらいたい。

2022年10月16日 (日)

田川紀久雄詩語り日記

このところ毎日がいき苦しい。これは詩語りの先が少しも見えてこないからだろう。誰よりもいのちの聲について語っているのだが、何の反応もない。だれかCDを聴いてくれる人がいないだろうか。最近のCDは安定をしている。お客のいるライブをしたい。二年もお客が入らないと心が閉じられてしまう。だからすごいCDを残してゆきたい。

2022年10月15日 (土)

田川紀久雄詩語り日記

詩人の聲は聲の力とテキストへの感動を目指している。テキストへの感動は聲の力がなくしてはできない。一日一回はテキストを聲を出して読み上げることが求められている。ユーチューブでも詩人の聲を聴くことができる。私のは「祈り」をユーチューブで聴くことができます。100回以上参加している詩人もいます。詩人の可能性を探し出すのも楽しいことです。私はいのちの道について語り続けています。CDを25枚以上出しています。問い合わせは漉林書房まで。

2022年10月14日 (金)

田川紀久雄詩語り日記

今日は眼科の検査日である。
ことのところ雨が多いで公園まで練習に出かけられない。聲は毎日の練習が大切である。テキストの内容を身体で覚えこまなければ自然体で公演ができなくなる。詩人の聲ではお客が集まらない。コロナ禍の中で多くのライブが行われている。ライブを行う詩人たちの問題意識が低いのかもしれない。以前私と行っていた詩人は誰もライブを行っていない。寂しい。いおちを語れる詩人が私のほかに出てこないのだろうか。

2022年10月13日 (木)

田川紀久雄詩語り日記

夕方になるとほとんど眼が見えなくなる。何もできない。気分的に落ち込んでしまう。本当においてきたのだと痛感する。詩語りの世界はもう期待ができない。どこまで「詩人の聲」に参加してゆけるのだろうか。心の響く語りを行いたい。
ウクライナの問題はいつ解決ができるのだろうか。人殺しはもう見たくはない。平和を願うだけだ。

2022年10月12日 (水)

田川紀久雄詩語り日記

テキストをゆっくりと語る。テキストの意味を深めてゆきたい。本当に聴いていただける詩語りを目指して。どうしても稼げる詩語りを行いたい。銭湯にももう二週間も言っていない。物価の値上がりで生活が大変である。
ウクライナ問題もなんの解決の糸口が見えてこない。心苦しい。ただ平和を唱えてゆくしかない。いまは猫の平和を願って生きている。

2022年10月11日 (火)

田川紀久雄詩語り日記

詩語りで大切なのは、聲とテキストである。それだけを真剣に考えてさえいればよい。このところ、私も何がなんだかわからなくなっている。いまは猫の餌代を稼ぎたい。その猫まで面倒を見ているのでお金がかかる。無収入ではいつまで猫の世話ができるのか心配だ。CDが一枚でも売れると助かるのだが、悪い詩語りは売りません。すべての生き物の幸せを考えて語っています。

2022年10月10日 (月)

田川紀久雄詩語り日記

詩の内容を聲の力でよりよい方向へと導いてゆきたい。活字では味わえない世界が詩語りにはある。できれば聴いてもらいたい朋が必要である。多くの人に田川紀久雄ユーチューブ「祈り」を聴いてもらいたい。なんの反響がないのも寂しい。ここまで行ってきたのだからこれからも一歩一歩と前に進んでいくしかない。

2022年10月 9日 (日)

田川紀久雄詩語り日記

「鐘の音」をちゃんと聴きなおしてみた。それほど悪くはなかった。ぜひ一度聴いてもらえないでしょうか。語りは聴き手があって初めて成立する世界である。詩の世界はあくまで趣味程度のものである。私のは聴いてもらいたい世界がある。
昨日は12月に語る「黎明」の作品の手直しを行う。語り用の原稿はそれなりに直さないと詩集をそのまま語ることができない。そして毎日語りながら語り用のテキストができあがってゆく。これがなかなか大変である。

田川紀久雄詩語り日記

「鐘の音」をちゃんと聴きなおしてみた。それほど悪くはなかった。ぜひ一度聴いてもらえないでしょうか。語りは聴き手があって初めて成立する世界である。詩の世界はあくまで趣味程度のものである。私のは聴いてもらいたい世界がある。
昨日は12月に語る「黎明」の作品の手直しを行う。語り用の原稿はそれなりに直さないと詩集をそのまま語ることができない。そして毎日語りながら語り用のテキストができあがってゆく。これがなかなか大変である。

2022年10月 8日 (土)

田川紀久雄詩語り日記

落語の桂文楽の芸を見ると完璧な語りを行う。詩語りは到底及ばないことを痛感する。詩語りで何ができるのか。答えはゼロに近い。この前のライブもよい出来だと思っていたが、聞き直すと、ああこれではダメだと思う。なかなか気に入る語りが出来ない。詩語りには先輩がいない。みらなうものが何も見つからない。これでは芸が進歩しない。昨日はつらい一日であった。

2022年10月 7日 (金)

田川紀久雄詩語り日記

CD[鐘の音」が出来上がる.頒価1000円 漉林書房まで。
落語家で名人という方は、それなりの修行を積んでこられた。確かに上手い。それはそれなりに感動をする。スキのない芸人もいる。素人の私は何も言えない。このような世界があることがうらやましい。詩の世界では朗読に関してそのような詩人は出てきていたい。すべてが素人である。詩の世界で芸の話をするのがタブーであるようだ。「詩人の聲」ではまずマイクなしでも聲が出せる詩人を生み出そうと始めた。それがなかなか難しい。詩人の聲をまだ一度も聴いたことがない詩人はぜひ聴いてもらいたい。一時間もマイクなしで朗読をすることがいかに大変であるか。そのうえで芸の力について語ってゆく問題である。

2022年10月 6日 (木)

田川紀久雄詩語り日記

語りは技術も必要だが、技術だけでは人のこころをつかむことができない。芸が枯れて行く、という言葉があるが、枯れてゆくことが大切なのだ。枯れることはその人の生きざまいがいにない。詩人たちの朗読からはそのような詩人が出てくるとは思えない。ある意味で狂気でなければ生まれてこない。詩人の聲で誰からも私に聲をかけてきた人はいない。何のために朗読に挑んでいるのか私には理解ができない。
二日前から咳が出て止まらない。練習ができない。コロナではない。毎年この時期になるとこの咳がでてくる。次のライブまでに治ると酔うのだが。今日あたりCDが出来上がってくると思う。

2022年10月 5日 (水)

田川紀久雄詩語り日記

落語や講談でも詩語りでも語る姿勢は同じであることに気づいた。立川談志の若手の落語を聴いていてまずいなということに気づかされた。彼らは上手であるが、何かがたりない。上手ということはある意味では欠点である。落語の面白さは下手であるべきだ。たんなる下手では話にならない。下手の中に芸の本心が隠されていなければならない。詩人たちは語ることや朗読の本質をまったく知らない。私もこれからが詩語りが面白くなってくる。

2022年10月 4日 (火)

田川紀久雄詩語り日記

「詩人の聲」が17年目を迎えたが、詩の世界からは何の反応もない。いかに詩の世界が程度が低いかを物語っている。私もCDを制作しているが詩人からの反応がない。今私は平和を願って詩を語っている。早くウクライナ戦争が終わることを願っている。世界経済も歪んできている。吟遊詩人の役割は人々の平和を願うことである。
10月に詩人の聲で語る詩集は「風のこころ」である。元の題は「仏への道」である。仏を「いのち」とルビーをふっている。いのちについて語る。一度は私の詩語りを聴いてもらいたい。

2022年10月 3日 (月)

田川紀久雄詩語り日記

詩の朗読では、師匠と呼ばれる人は出てこない。朗読の教室に行ったからと言って、朗読が身につくものでもない。詩と同じように自分のスタイルが身につくまで努力するしかない。落語や講談は、その門人に入らないとプロの道はない。詩では誰一人として師匠と呼ばれる詩人はでてえこない。私だって教えることはない。ひたすら聲を撃ち続けなさいというしかない。天童さんも詩人の朗読を黙って聴いているだけだ。良いとも悪いとも何も言わない。詩の世界というものはそれでよい。これはと思う詩人がいたらその人の聲を何度も聴きに行くことである。最初は人の聲を聴くことから始まる。ユーチューブでは聴いたことにならない。本当の聲は、ライブの中にしか存在しない。雰囲気、その人の仕草や語りの出所を聴くことで身についてくる。私は誰も聴いてみたい詩人には出会わなかった。しかし誰よりも詩の朗読の聲を聴いてきた。

2022年10月 2日 (日)

田川紀久雄詩語り日記

「風のこころ」を何度も手直しを行う。聴き手に言葉が伝わるように書き換える。語りである以上当然のことである。愛の朗読を聴きたいという人が現れてこない。詩人たちが今までいい加減に朗読を行ってきたからだ。聲のみで一時間近く聴かせる詩人がいない。一般の朗読では一人三分以内が普通であった。これでは朗読が成長ができない。私の「祈り」をユーチューブで聴いていただければありがたいのだが、なかなか聴き手が増えないものだ。何か哀しい。

 

 

2022年10月 1日 (土)

田川紀久雄詩語り日記

川崎のラッパはすごい。現実の圧倒的な気迫はすごい。詩の世界とは会い受け入れないものかもしれない。ユーチューブでしかきけないのかもしれない。未来につなげる方法を見出したいものだ。やはりそこには想像力が問われているのかもしれない。桜本は私の隣の街なのだ。
先日のライブも詩人の姿が見られなかった。ウクライナ問題や物価高問題にしても世界の平和が築かれない限り、この不景気が続くだろう。低所得者の苦しみは続くだけだ。まるで戦後の状態に近づいていているようだ。
「風のこころ」のテキストは手直しを行う。CDが残せるだけでもありがたい。

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