田川紀久雄詩語り日記
言の葉はひかりりを求めて聴き手へと手わされていく。これは舞踏の世界に近い世界化もしれない。聲を鍛え上げる。そのうえで生まれてくる聲のひかりである。この猛暑の中で聲を鍛える。これから私の詩語りの世界の始まりである。
今月の25日は『蘇生』を語る予定である。CDが一枚一枚と増えてゆく。詩語りの全記録を遺しておきたい。
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言の葉はひかりりを求めて聴き手へと手わされていく。これは舞踏の世界に近い世界化もしれない。聲を鍛え上げる。そのうえで生まれてくる聲のひかりである。この猛暑の中で聲を鍛える。これから私の詩語りの世界の始まりである。
今月の25日は『蘇生』を語る予定である。CDが一枚一枚と増えてゆく。詩語りの全記録を遺しておきたい。
語りの稽古をしいていたら、言の葉から光を発していることを感じられた。これをおい追い求めてゆけたら、新しい詩語りが誕生してくる。あと何年先になるのかはわからない。私がそこまで生きていられるのかもわからない。コロナ禍の中ではCDを遺すしかない。誰に聴かなくても。詩語りは即興詩を語るように語ってゆきたい。あくまで自然体で。
昨日のライブは思ったより良い出来であった。帰りの電車の中で聴く。CDができるまで一週間はかかる。昨日東京でコロナの感染者は4万人を超えた。政府の無策を感じる。
詩人の聲はひたすらテキストを聲に乗せて撃っていく以外にはない。それはその人なりの聲を撃つしかない。単純のように見えて奥深いものである。その人の味が生み出せてこそ詩人の聲となる。
明日詩語りライブを行います。場所は駒込平和教会です。午後7時より。演目は『祈り』です。
詩語りとして本格的に語っているのは私だけです。コロナ禍中でのご来場は大変なのでCDを予約していただければ幸いです。
朝、整形外科に行く。明日もは市立病院だ。今月は月に四回も行く。
昨夜、ウクライナでは戦争が続いている。詩語りは一体何の役に立つのかと考え込んでしまった。ミーが元気でいられることを願うだけだ。ミーも月に一回肛門腺の治療で動物病院に行く。相棒も眼の治療で月に二回も通う。生きていることは大変なことである。
パソコンから印刷ができない。印刷がエラーになってしまう。困った。素人には直せない。前にも一度会ったが自然にその時は治った。だれか直し方をご存じな方は教えてください。眼も夕方んなるとだんだん見えなくなってくる。すべてが最悪だ・
昨年のCDを聴きなおしてみると、とても聴くに堪えない。何か恥ずかしい思いがした。CDが存在するから昔のことを勉強をすることができる。恥ずかしい思いをすることで人は前に向かって進んでいける。一番悪いのは何も反省することなく続けていることだ。詩人たちに言っていることはCDとしてライブを遺しておきなさいと。自分の聲というものが誰でも聴きたがらない。だからこそ詩の朗読を積極的に行っている人には、口を酸っぱくなるほどCDを遺せと言っている。でも誰一人として実行している詩人はいない。
眼は相当悪化している。心不全を患ったから眼の手術はできないという。テキストが見えにくくなっている。大きな活字でテキストを作るしかない。
今日は眼の検査日である。午前中に行く。眼科は待つ時間が長い。だんだん眼も悪くなってくる。いつまで詩語りができるのだろうか。納得のいく詩語りを一回でも行いたい。
詩語り用のテキストの活字が見えにくくなっている。部屋で練習をするとほとんど見えない。字を大きくするしかなさそうだ。年齢的にもだんだん眼が衰えてきている。テキストが暗記できない。猛暑では公園での練習は無理である。心の眼で語るしかない。
戦争で若い兵士が亡くなってゆくのは心が痛む・一日でも早い停戦を望む。
ヨーロッパでは40度以上で多数の死者が出た。もう世界中が異常気象だ。
わあが家が古いのであちらこちらと直す箇所が出ている。お金がかかる。
詩語りの仕事が欲しいものだ。いのちを語る。ただそれしか今の私にはできない。ここ十数年間大きな病を患ってきた。それでも生きている。詩人が語る詩とは全く違う。いのちのひかりを求めた詩を語っている。どこでも出前をいたします。CDサンプルを欲しい方にはお送りいたします。
ロシアとウクライナとの戦争で世界の人々が苦しんでいる。侵略戦争などというものは時代遅れだ。それがまかり通る世界とは何なのか。戦争はみんなを不幸にするだけである。いのちについて詩語りを行っている私にとっては断腸の思いである。だからこそもっともっと深みのある詩語りを行ってゆきたい。どこにも語る場所がない。これも哀しい。CDを制作して聴いてくださる方がいない。コロナの中ではCDで聴いてもらうしかない。それでも聴いてもらえない。街には多くの人達であふれている。娯楽を求めて浮かれている人たちもいる。詩人の聲でもCDを制作する詩人が現れてこないものなのか。寂しい。詩の朗読を聴く限り聲を鍛え上げている詩人は見られない。ただ言葉を読んでいる人がほとんどだ。
こう雨が続くと公園での詩語りの練習もできない。猛暑でもできない。秋まではあまり精進ができない日々が続く。部屋では小さな聲でもテキストを語ることをしてゆきたい。腹で語る稽古になる。何かを追い求める力が大切なのである。いまはCDを制作してゆく中で追い求めるしかない。聴いてもらえる詩語りを行ってゆきたい。そのためにも出前詩語りが欲しい。
なんとかしていのちを語る会を作りたいものだ。それも魂の聲で語れる人たちで。コロナの感染者も増えてきた。いまのところ私はCDを通して」行っている。会員になられた方にはCDをお送りしている。お互いに助けあうことが求められている時代だ。語り芸を本格的にできる人たちもどんどんなくなっている。詩人の中には誰一人もいない。寂しい限りだ。末期ガンの経験をしたわたしだからこそなにがなんでも語ってゆきたい。
戦争を許してはならない国を目指して国会議員は働いてもらいたい。
コロナばまた感染者が増えてきた。第七派が来たという。コロナの怖さに人々は慣れてきている。そのことが怖い。この度のコロナはワクチンもそれほど効き目がないという。芸人たちの仕事も不安である。
戦争が速く終わることを願う。まいにち市民が亡くなってゆくのを報道されると辛い。日本も憲法改正が進んでいくのだろう。絶対戦争への道だけは許してはならない。危険な日本だけはさせたくはない。
詩語りでいのちの大切さを語ってゆきたい。聴かせる力を持ちたい。
詩の語りでは、やはり丁寧に歌うように語ることだ。一時間を最後まで聴きやすいようにしてゆきたい。追い求めれば奥深いものだ。
今日はワクチンの四回目がうてる。昼頃まで病院に行けばよい。うったから安心とは言えない。できるだけ人と会わないことだ。
CDに不満があったとしても、これからも一段と精進をしてゆくしかない。どこまで自分の聲が成長してゆけるのかを見届けることである。前向きな生き方をしなければ、語りも成長してゆけない。生きることは厳しいものだ。失語の時代を思えば、どんな苦労も耐えていける。負の人生を背負ったことによって可能性を得ることもできる。私を応援してくれる人を募りたい。会員にはCDをプレゼントする。問い合わせは田川まで。
詩の語りは行えば行うほど下手になってゆく。お金をとるにはまだまだ先の話だ。だから精進を積み重ねてゆくしかない。録音を遺してゆかねば、何も気付くことはない。自分の聲を聴くのは辛いが、そこを乗り越えていかねばならない。孤独との闘いの日々が永遠と続く。だからこそ聴いてくださる人に出会いたい。
CD[生命の尊厳」ができた。これで「生命の旅立ち」の三部作が完成した。よくも末期ガンの宣告を受けて立て続けに大きなライブを行ったものだ。今から思うと不思議なことである。生きたいという強い願いが今の私を産んでくれた。多くの人に聴いてもらいたい。奇跡のライブであったといえる。もうこんな無茶なことはできない。ガンになったからと言ってそれほどおびえる必要もない。ガンと向き合う生き方に勇気を与えるCDである。大勢のひとたちに感謝をしたい。
安部元総理が撃たれる。嫌な事件だ。
平和な世の中が求められている。ロシアもウクライナを徹底的に攻撃をする気構えだ。暴力では何も解決をしない。
「詩人の聲」もまったく世の中から無視されている。いくら聲を鍛えても聴く人は表れてこない。この世の中はどうなってゆくのか。無視されることも辛いものだ。耐えることの中からしか生まれてこないものがある。そこを越えなければ何も生まれてはこない。CDが生み出せるだけ幸せなのかもしれない。そのための精進こそ希望への道なのだろう。
9月29日に行う詩語りでは、『鐘の音』を語ることにした。そのためにだいぶん手を入れた。詩語りとして不向きかと最初は思っていた。手を入れていくうちに何とか語れるのではないかと思うようになってきた。この詩人の聲でも毎回異なった詩集を語るのは私しかいない。毎月語りこむことが大変である。それがいま生きているということになる。
今五行詩を書いている。そこで詩語りについて書き込んでいる。これは詩ではない、詩語り論である。たぶんどこにも発表しないだろう。だから思い切り書ける。赴くまま書き手行けばよい。今までの詩も詩というよりも詩語り者としてどう生きるかを問い続けてきた。だから朗読ではなく詩語りなのである。
いのちについて詩語りを行っている。魂の奥にはいりこめないと詩語りにならない。なかなか満足のいく詩語りができない。でも誰真似ができない語りを行っている。CDができあがっていくことで詩語りの道が見えてくる。いのちがけでできるのは今の世の中では私しかいない。それは自信を持って言える。
一日も早く戦争が終結することを願う。平和こそこの世で一番大切なのである。そのために朝の詩語りを行う。またコピー機が動かない。オフラインになってしまって、どうすればよいのかわからない。説明では再起動そればよいという。しかしそれでも治らない。困ってしまった。パソコンの扱い方は苦手だ。
日本も憲法を変えるために西洋側に接近している。日本は憲法9条を守ることが大切なことである。戦争への道に加担してはならない。
私の詩語りは絶望と通して生まれてくる希望を語っている。失語を経験することで、誰よりも温かい詩語りを生み出してゆきたい。末期ガンを越えて生きられているから人生のすばらしさを歌いあげている。生きていることは苦痛との闘いであった。だから哀しむ人たちを応援してゆきたい。どうか一度私の詩語りを聴いていただきたい。いは眼も足も不自由ですが、何とか詩語りだけはできます。皆様応援をしてください。7月28日は『祈り』を駒込平和教会で詩語り公園を行います。
昨日『生命の尊厳』の詩語りライブを行った。足の痺れを感じていたが、気分的に聲にうまく乗れた。このCDの発売は7月15日の予定だ。末期ガンから四ヶ月ほどで大きなライブを二つも行った。今から思うと不思議な気がする。本当なら公演を中止しなければならないのに、実行をしていった。この積極性が免疫力を高めていったのだろう。これはまさに奇跡としか言えない。これで「生命への旅立ち」の三部作を全部録音ができた。発行部数が少ないのでお早めにご注文ください。頒価1000円。注目先 〒210ー0852 川崎s区鋼管道3-7-8 2F 漉林書房
ガン患者をづける詩語りを行っています。出前も承っております。いのちのひかりを求めて語ります。
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