田川紀久雄詩語り日記
「未知なる旅」「生命への旅」のテキストをずいぶん直しを入れる。できるだけ語りやすいテキストにして行く。
ロシアの軍事行動は許せないものである。小さな聲でも叫び続けてゆくしかない。かつては日本もアジアの国に攻め入ったこともあった。その痛みは永遠に味わってゆかねばならない。詩語りも怨念を忘れてはならない。これは「未知なる旅」の中で語ってゆく。憲法9条を守ってゆかねばならない。テレビを見るのも辛い日々が続いている。
« 2022年1月 | トップページ | 2022年3月 »
「未知なる旅」「生命への旅」のテキストをずいぶん直しを入れる。できるだけ語りやすいテキストにして行く。
ロシアの軍事行動は許せないものである。小さな聲でも叫び続けてゆくしかない。かつては日本もアジアの国に攻め入ったこともあった。その痛みは永遠に味わってゆかねばならない。詩語りも怨念を忘れてはならない。これは「未知なる旅」の中で語ってゆく。憲法9条を守ってゆかねばならない。テレビを見るのも辛い日々が続いている。
4月に語る予定の「生命への旅」を語ってみたが、語りずらい。そうとう時間をかけて仕込まなければならない。これは末期ガンになった時の話である。三部作の第一章である。やっと語っておきたかった詩集を語ることができる。「詩人の聲」での朗読の水準はわからないが、誰にも負けない世界まで作り上げている。コロナ禍の中では聴きに行きたくでも出かけられない。
末期ガンになってもすべての人がなくなるわけではない。末期ガンでいまも生きている人たちがいる。生きていることを語るのは貴重な話である。亡くなった身内の方は私の語りを非難するかもしれない。生きられた訳を知ることも大切なことである。なんとしてでもCD化をしてゆきたい。
昨日のライブは自分でも出来がどうなのかわからない。CDを聴くまでは何ともいえない。でもこのコロナ禍化のなかでCDが残せるのはありがたい。さっそく松岡さんにSDを送る。「まずは聲を」のCDの予約をいたします。予約者のみにしかお渡しいたしません。詩人たちはなぜか「詩人の聲」に無関心なのか理解に苦しむ。詩語りの世界を何とかして芸能の世界まで持ち上げたい。そのためには誰よりも精進をしなければならない。
聲が余りで出なくても,聴きやすい詩語りを生み出したい。外で語っていると自分の聲がまったくわからまい。聲が出ているのか、聞こえこえてこないので心配のなってくる。明日のライブも不安である。CDを制作する目的がなければ虚しく感じてしまう。ここ一年ほど誰も客がいない中で語りつつけてきた。これは私だけの問題ではない。このコロナ禍中ではどうにもならない。CDでも聴いてくれる朋がいるといいのだが、その朋もいまはいない。だれもできない語りの世界を生み出してゆきたい。心から感じる世界を求めている。
ライブまであと三日である。そして今日で満八〇才になる。気持ではまだ若い。それは毎月詩語りライブを行っているからだ。毎日聲を撃ち込んでいるので精神的には歳を取らないでいられる。聲もまだまだ若い。張りのある聲で詩語りを行っている。詩語りは健康的に見ても優れたものである。末期ガンを患ったとは思えない。毎日が楽しく生きていられる。CDで聲を聴いてみるとわかる。私のCDは心の癒すを求めている。あくまでも自然体としての癒しである。出張出前ライブも行っています。
ワクチンがうてたのでほっとした。これでライブの安心して行ける。高齢者の死亡数が増加しているという。心配だ。政府の対応が遅すぎる。
相棒は来月眼の手術のやり直しをするという。猫と一週間いることになる。足の悪い私はどうしたらよいのか心配だ。
公園での聲をあげて語るのも不自由に待っている。なかなか生きずらい世の中になっている。
公演で詩語りの稽古をするのも難しくなってきた。大声を出すことが禁じられている世の中である。家の中では詩語りの稽古も難しい。いろいろと制約が多くなってきている。その中でワクチンが17日にうてることが決まった。これで安心してライブができる。納得のいくライブを行うにはやはり精進してゆくしかない。わが家はぼろ屋である。おお声を出せば聲が外に漏れて近所迷惑になる。このコロナ禍はいつまで続くのだろう。これからライブも楽しくやってゆけると思っていた。でも練習を積まなければライブの意味もない。何とか聲を撃ち続けてゆきたい。
2月23日の詩語りのテキストの直しが何か所もでてくる。できるだけ語りやすく手直しをしている。語りである以上聞き手に言葉が伝わっていかないとならない。私のは現代詩ではない。あくまで心の語りである。現代詩は聲で表現することを拒否している。詩にも生活詩という世界がある。詩は聲をあげて読むだけでは朗読にならない。心を込めて語ることが求められている。ユーチューブを聴いていてもこれはという朗読に出会えることはまずない。魂が揺り動かされる朗読に出会いたいだけだ。
昨日は雨で語りの練習ができなかった。やはり一日できないと、今日は思うように語りこめなかった。もう唸るような語り方は行っていない。たんたんとテキストを語っている。このたんたんと語る中から生まれてくる命の聲を大切にしてゆきたい。魂の聲は静寂の中にあるのかもしれない。聲の大きさと何も関係がない。これができる人が名人といえるのだろう。私にはまだまだ遠いっ世界であるが、それを目指して日々精進をしてゆくしかない。
野間さんが「夢の旅路をに」を聴いてくれた。一語いちごを丁寧に語っていたといわれた。昨年の暮れからテキストを丁寧に語るようになってきた。そのことで以前に語りとの違いが出てきた。そのことの違和感があってこの度のライブに違和感を覚えたのだろう。野間さんはいつも手厳しくいってくれるのでありがたい。これからのライブももっと変わってゆくかもしれない。温みのある詩語りを行いたい。
毎日詩語りの稽古をしていても迷いぱなしである、前回の詩語りライブでは納得のいくライブができなかった。それを超えるための語りを懸命になって語りこんでいる。練習を積み重ねることしか何もできない。関東は雪が降らないので公園で練習ができる。必死になって語りと向き合うしかない。人に聴いてもらいたいCDをのこすためにも。
2月23日(水」)に田川紀久雄のライブを行います。
「まずは聲を」を駒込平和教会で7時より行います。予約2500円 当日3000円
またCDをお求めの方は漉林書房まで。田川紀久雄の聲からいのちの叫び聲が聴けます。
今詩語りの稽古は二つの詩集を語りこんでいる。「まずは聲を」と「未知なる世界」を語り続けている。ライブまでには二月ほど詩集を語りこまないと、安心して聲を打つことができない。それでも納得のいくライブができない。一枚でも人に聴いてもらいたいCDをのこしておきたい。ライブは毎回違った詩集を撃ち込んでいる。詩人の聲では誰もやっていない。三月ごとから末期ガンについて語り始めたい。
CD[夢の旅路に」を聴きなおしてみる。それほど悪い出来ではない。詩語りとしてはあの程度であろう。が私の求めているのは心の詩語りである。これは大変難しい。この最大な難所を超えなければ本当の詩語りとは言えない。前回の「届く聲をもとめて」のような詩語りをおこないたい。そのためにも元気でいなければならない。
CD[夢の旅氏に」ができた。詩語りの難しさを感じさせられた。朗読を志す人には役立つ内容である。記録としてのこすことは大切である。限定版として10部ふど発売を行う。まだまだ心で語りきることができていない。それにはひたすら精進をするしかないということだ。聲の力だけでは詩語りにはならない。まだまだ学ぶきことが多い。これもCDの制作を試みていることで分かる。この詩語りの旅は楽しい。未来に希望をもっていきていたい。漉林書房からCDを発売しております。頒価1000円です。
朝公園に行ったら、公園の整備のために稽古ができあかった。今日一日で終わるという。猫と一緒で過ごすことも大切なことだ。
本当にお客が満足ができる聲を突き売り上げたい。これが今年の目標としたい。
最近のコメント