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2022年1月31日 (月)

田川紀久雄日記

ある人から手r紙が届い た。
聲と魂が一体化して、じっと聴いていると、私の心を不思議なひびきのなかへ誘ってくださいます。欲望をとり払った低い澄んだ聲は、命そのものの聲となって私の内にひぼいてきました。・・・感動・・・
と書かれていました。これは「届く聲を求めて」CDの感想である。
生きる勇気をいただいた気持である。ありがとうございます。またある音楽からあなたの聲はまさに魂の聲だとも言われた。これも毎日精進していられるおかげである。このCDを1000円でお分けしています。注文は漉林書房まで。

2022年1月30日 (日)

田川紀久雄日記

内なる聲を出すのは難しい。本当のいのちの聲で詩を語ってゆきたい。温度が低いので公園で語っていてもなんとなく語りずらかった。詩集「未知なる世界」は相当手を入れなければならない。語り度に何か所の直しがある。この詩集は「風の聲」の時の気持ちを描いたものだ。この詩語りからCDの制作が始まった。思い出深い作品である。

2022年1月29日 (土)

田川紀久雄日記

CDは全く売れない。猫の保護活動に寄付するこちょができない。今の私の詩語りは聴く価値があると思っている。
聲の中に癒しの求めて語っている。それは心の光でもある。詩を語ってみたいと願う人にはぜひ聞いてもらいたい。そして猫の庇護活動にも協力をしてゆきたい。動物は無垢な存在者である。

2022年1月28日 (金)

田川紀久雄日記

眼科に行くが一向に眼はよくならない。気を付けながら生きるしかない。いまは何とか詩語りテキストを読めるので助かっている。
最近公園で詩語りの稽古をやっていて、人が入り込んでくるので落ち着いて語りができない。
昨日の詩語りはどのような聲としてCDに収まっているのかが楽しみだ。

2022年1月27日 (木)

田川紀久雄日記

昨日は無事に詩語りライブを行えた。早速SDを松岡さんに送った。どのような聲でCDに収まっているのかが楽しみだ。聲の力を八分目で語った。それで咳も出ずに勝たれた。コロナ禍の中でも詩語りライブが行えrtるのはありがたい。CDを一枚でも多く録音しておきたい。

2022年1月26日 (水)

田川紀久雄日記

今日ライブを行います。天童さんに電話を入れたらいつものどうり行うということです。いろいろと不安があるが、今の私は聲を撃ち込んでいくしかない。すべての人たちの幸せを願って。朝から咽喉がいくらか痛む。朝の稽古は取りやめた。このような時期なので心がいまいち盛り上がってこない。詩人の聲でCDを20枚以上残せたことはある意味で奇跡的なことだ。詩人たちは聲に対して無関心であることはとても悲しい。

2022年1月24日 (月)

田川紀久雄日記

このところ物価の値上がりが激しい。年金生活者には苦しい生活を余儀なくさせられている。これは世界的にも広がっている。低所得者はどのようにして生きてゆくのか心配でならない。JFEの猫の問題は何一つ解決されていない。弱い立場の生き物だけが苦しい状態に置かれるとは不条理の世界だ。近所の喫茶店も次から次へと廃業に追い込まれている。このコロナ禍の中ではどうするすべもない。「詩人の聲」でも誰一人もお客がはいらない。寂しい中でライブを行うしかない。CDを購入してくれるとありがたい。

2022年1月23日 (日)

田川紀久雄日記

コロナ禍が終われば人と人との話し合える場を作りたい。今心の病を抱えている人たちが増えている。言葉と聲を通して何かをつたえてゆきたい。いまのところ詩語りのCDの制作で手いっぱいだ。人のために役立つ仕事をしてゆきたい。そのためにも私のCDを聴いていただきたい。

2022年1月22日 (土)

田川紀久雄日記

咽喉の痛みがなかなかとれない。それでも公園委言って稽古を続けている。この苦しみの先に何かがあるのだと思う。芸の道はつねに危険にさらされながら進むものだ。人様に聴いてもらえる聲を何としてでも作り上げたい。稽古を積んでも失敗することもある。芸とはそのようなものなのだ。つねに新しい経験を積み上げていくしかない。26日のライブが楽しみだ。

2022年1月17日 (月)

田川紀久雄日記

友人の住所が変わってしまっていてCDを送っても送り返されることが多い。私も固定の電話を解約してしまったので、誰からも連絡がとれない。今年は年賀はがきもほとんどなく連絡できない友人も多くなった。今は詩語りのCDを制作することで手いっぱいだ。誰も聴く人がいなくても、私にとっては大切な仕事である。詩誌もほとんど送られてこなくなった。コロナウイルスの問題だけではなさそうだ。今は猫がいるのでそれほど寂しさは感じない。

2022年1月16日 (日)

田川紀久雄日記

このところ胸の痛みを感じるようになった。多分寒さのせいかと思う。それでも詩語りの稽古に公園まで行く。語り手の」プロになるという気持ちを持たねば詩語りは深まらない。いい加減な朗読をする人たちとは行いたくないからだ。詩人語りの出プロなどだれ一人もいない。演劇をやっていた人には詩語りは無理である。無垢な語り手でないと詩語りはできない。
これからCDを遺すことは楽しい。やっと語りのスタート地点に立てた。でも誰一人とて私を理解する人は出てこないだろう。誰よりも精進をしてゆくしかない。「届く聲をもとめて」を送っても何も返事をしてこない人の方が多い。これも致し方がない。孤独との闘いが芸を深くさせてくれる。何も期待しないことだ。CDを買ってまで聴いてみたい詩人などいない。悲しい。これが今の詩人たちの現状なのだ。

2022年1月14日 (金)

田川紀久雄日記

寒いので陽の当たる公園で詩語りの稽古を行っている。毎日行っても何も変わらない。それでも精進を積み重ねるしかない。一年行ってもほんのわずかしか進歩をしない。そのわずかな差が大きい。夜はまだ咳がでるが、語りを始めると咳が止まる。
今月のライブは26日(水)駒込平和教会でおこなう。「夢の旅路に」を語る予定。7時から行います。予約は田川まで。

2022年1月13日 (木)

田川紀久雄日記

寒いので体調もいまいちである。聲の深みを増すための日々の努力が求められる。「届く聲を求めて」を数人の人に贈る。いまCDを聴く機械を持っていない人が多い。最近のパソコンもCDを聴く装置が付いていない。以前のパソコンではCDを聴くことができた。詩の朗読など送ってもすぐに聴いてくれる人は少ない。聲の反応が見えないのは寂しいものだ。

2022年1月12日 (水)

田川紀久雄日記

パソコンのUSBが壊れてしまった。詩語りテキストが全部壊れた。ものというものはすべて壊れてゆく。人間も同じだ。今日のニュースで豚の心臓を人間に利用するという。神の世界を超えた話題だ。少年たちの自殺も増えている。生きる希望が見いだせない。詩語りを何とか少年たちにも聞かせたい。大学でも私の詩語りに驚いた人たちがたくさんいた。言の葉にはいのちのひかりが含まれている。今のコロナが収まらない限り何もできない。今は一枚でも多くのCDを制作したい。

2022年1月11日 (火)

田川紀久雄日記

魂に届く聲をひたすら求める。今の日本人は日本語を語れる人が少なくなってきている。時代劇を見ていても武士の聲はだれもができていない。詩の朗読では特に聲に対して深い知識を持っていない。コロナ禍、では朗読など行えない。聲は毎日出していないと詩の朗読などできない。詩人たちの集まる場所も失われている。自分自身と闘う強い心が求められている。

2022年1月10日 (月)

田川紀久雄日記

またコロナの拡大で失業者が増える。コロナ対策で政府は一歩遅れを取っている。貧富の差がますます広がるばかりだ。川崎詩人会も一度も例会はおこなわれなかった。世の中がますます生きずらい世の中になってゆく。文化がこの重きるしい社会を緩和させる役割をしてゆかねばならない。どこでもよいから詩語りの場が欲しい。いのちの光を送り届けられる。マイクを使用しない。生の聲が心の癒しにつながってゆく。

2022年1月 9日 (日)

田川紀久雄日記

芸の道は厳しくなければ何の価値もない。厳しさがあるゆえに人に安らぎを与えることができる。これも幼少時代の失語の経験があったおかげだ。不運であることは決して不幸なこととはいえない。逆境を跳ね返す力こそ芸の原動力になる。これも長く生きられたおかげで感じられる。詩人たちの朗読で生命力を感じさせるひとはいない。励ましあう朋が見いだせないことは悲しい。詩人の聲に参加している詩人でも他者の聲には無関心だ。CDを遺せるだけ私は幸せ者だ。

2022年1月 8日 (土)

田川紀久雄日記

末期ガンを克服した詩人の聲を教育の現場で使用していただけないものか。聲の光を求め続けたきた吟遊詩人。光は命も心も救う。教育の現場で仕事をしたいものだ。川崎市近辺の学校なら出向いていけます。魏入試人の聲を聴いたことがほとんど日本ではいません。今求められているのはいのちの聲です。資料としてCDがあります。

2022年1月 7日 (金)

田川紀久雄日記

昨日雪が降ったので語りの稽古ができなかった。1日稽古をしないと気分的に落ち込んでしまう。
同じことを毎日繰り返すのが芸の道である。
私の詩語りCDを三名の方にプレゼントいたします。ハガキでお申し込みください。漉林書房まで。

2022年1月 6日 (木)

田川紀久雄日記

なかなか咳が止まらない。
詩語りで最も大切なことは、言葉の意味を伝えることではない。人間存在そのものの重さを伝える子tにある。
野間さんから酒粕をいただいた。それにCDをほめてくれた。感謝。
詩人の聲でも人間そのものを表現できる人はいない。聲だけで人間存在を表現することは難しい。これができなければ朗読の価値もない。いまは一人でも多くの人に私の聲を聴いてもらいたい。
今日は午後から小雪が舞うという。出前の仕事が欲しい。コロナが蔓延する気配だ。生活が苦しい。

2022年1月 5日 (水)

田川紀久雄日記

やっと風邪も収まりつつある。今年はいつもより頑張って生きねばならない。
詩語りもやっと人に聴いてもらえるところまできた。吟遊詩人としての自覚をもってゆかねばならない。
魂のひかりを聲として表現してゆきたい。

2022年1月 3日 (月)

田川紀久雄日記

朝の詩語りの稽古は寒い。この寒さが聲を鍛えてくれる。風邪が完全に治っていないのでまだ咳がでる。
稽古を休んだら、芸の力もそこで止まってしまう。聲の深みをどこまで深めていけるのかが芸の道でもある。
詩語りと名乗っている詩人がいるが、私以外は偽物詩人だ。

2022年1月 2日 (日)

田川紀久雄日記

仕事始めなので、公園で「夢の旅路に」を語ってきた。咽喉がいくらか痛かったが何とか語ることができた。
昨年最後のCDは、やっと詩語りの世界が見え始めてきた。今年は自信をもって語ってゅきたい。
今年は、この詩語りで食べてゆく覚悟をしてゆけばよい。(聴きたい方には買ってもらう。)それには当然日々の精進こそが求められる。
生きることに希望が見えてきた。

2022年1月 1日 (土)

田川紀久雄日記

ライブ以後、風邪をひいて寝込んでいた。大きな聲はだせない。咳が五日も続いてなかなかお染まらない。今日は元旦なので床から起き上がって前向きで生きようと決意をする。
ライブのCDを数人の友人に送った。山本竹勇さんからお電話をいただいただけである。反応が少ないのは悲しい。
身体が完全に回復したらまた聲を撃ちに公園までゆきたい。さんざんな目にあった。今月のライブには聲の不安を感じるが、当日まで精進をしてゆけば何とかなるだろう。まずは身体をもとの状態に戻すことだ。

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