田川紀久雄日記
CD「花束」が出来ました。頒価1000円です。私の詩は活字で読むよりも耳で聴いた方が解りやすいです。
「詩人の聲」でCDを制作しているのは私だけです。詩人たちよもっと気軽に自主制作をすれば聲の文化が拡がってゆくのにと思う。
自分の聲を自分で判断をしないことだ。一時間近い詩人の聲を聴けることなどあまりないことだ。
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CD「花束」が出来ました。頒価1000円です。私の詩は活字で読むよりも耳で聴いた方が解りやすいです。
「詩人の聲」でCDを制作しているのは私だけです。詩人たちよもっと気軽に自主制作をすれば聲の文化が拡がってゆくのにと思う。
自分の聲を自分で判断をしないことだ。一時間近い詩人の聲を聴けることなどあまりないことだ。
明日のライブは無観客ライブになるだろう。わたしもそれを望む。ライブの対策が何も伝えられない以上それしかない。
観客は詩人の聲をどのような気持ちで行くのだろうか。詩人が観客に何を伝えたいのか明確なものを示すの必要がある。
私はこの度は花束を渡してゆきたい。ライブをCD化してゆく。頒価1000円で手渡したい。どこかで一緒に出来る詩人が現れて来ることを願う。
6月15日
CDを送っても何の連絡もない。自分の聲がどのようにして届いてゆくのかまったく見えてこない。
詩人は他者には無関心なのだ。
でもはっきりしていることは、詩人たちの朗読を聴いていて、聲が出来ていないということだ。
100回語った聲と、1000回語って聲とでは違うものである。
テキストを読めば、それが朗読になるなんていうことはない。聲というものを甘く見るべきではない。
六月十七日に東京平和教会チャペルにて詩語りを午後七時より行います。
多くの医療者やコロナウイルスで亡くなった方々のために『花束』を語ります。
世界が私を見捨てても
私は世界を見捨てはしない
それに飢え哀しんでいる人たちがいる限り
世界は私の中に存在し続ける
世界が平和を望んでいる以上
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