無料ブログはココログ

« 2018年12月 | トップページ | 2019年2月 »

2019年1月31日 (木)

田川紀久雄日記

「操車場・135号」の原稿が揃う。
今朝は眼が霞んで新聞もインタ-ネットも読むことが出来ない。Mさんも詩誌でだんだん眼が見えなくなっていると書かれてあった。私ぐらいの年齢の人たちで眼が不自由な人が随分いる。
詩誌もだんだん老人クラブのようになってきた。いまの若い人たちには詩などに興味を持つ人はいないのかもしれない。詩に打ち込んで生きてきた私たちの世代の人は個人としての仕事の総仕上げをしていかねばならない。
詩語りではやっと怨念を越えて生命讃歌を書ける時を迎えることが出来た。いま語ることは感謝に満ちている。八月に向けてもう一歩先の世界をもとめてゆきたい。

2019年1月30日 (水)

田川紀久雄日記

私の人生でいつごろから恨み(ハン)が消えていったのだろうか。それはわりあい最近ではないかと思う。このことは詩語りと関係があることである。このことは詩で書いてみたい。
このたびの「テキスト・6」を語ることでそのことに気付いた。これは祈りと分ち合いの問題でもある。語りとは聲の問題でもあるが、実は精神的な問題でもある。「千羽鶴」という詩を語る中で恨みの問題が突き付けられてきたからだ。

2019年1月29日 (火)

田川紀久雄日記

アベノミクスが失敗しているにも関わらず、国民は無関心でいるのが不思議だ。それに沖縄に対してむごい仕打ちだ。沖縄に寄り添う気持ちなど何もない。それに大企業が膨大な利益を得ているにも関わらず、そのお金が国民には流れてこない。そして消費税が10パーセントのなる。貧しき国民はこの苦しみをどこに訴えていけばよいのか。今日から国会が始まるが、何か虚しさを感じてならない。

2019年1月28日 (月)

田川紀久雄日記

昨夜は腰が痛くて眠れなかった。
昔はスポーツと言えば遊びの部類に入っていたが、今では何億円と稼げる部類に入っている。しかし、まだまだマイナーなスポーツが多い。

詩の世界は永遠にマイナーな世界なのだろうか。人にそれほど勇気と希望を与えられないとみなされている。しかし、人間が生きている中で詩的な部分があることで生きられている。
詩の朗読でもある意味でプロ的な人材も必要だ。聴かせることで勇気と希望や安らぎを与えられる。聴くにに耐えないような朗読では詩が嫌になる。街では詩の朗読を聴きたくないという人が圧倒的に多い。いくら詩が良くても朗読が悪ければ、その作品の良さが解らない。
今、吟遊詩人の存在が求められている。金にはならないが、カネより大切な世界がそこにはある。それはいのちの悦びである。そしていのちへの感動を与えることが出来る世界を求めなければならない。

2019年1月27日 (日)

田川紀久雄日記

聲に思想を持たせないと、人に感動を与えることが出来ない。そのためにはひたすら努力しかない。いままで詩語りに打ち込んできたと思っていたが、それはまだ取るに足らないことであった。芸であれば、年齢とともに変化し成長していくはずだ。それが出来なかったことに情けなく思う。いま私は楽しい。そのための努力を試しているからだ。芸には精進しか何もすることがない。いのちのひかりに向って聲を撃ち込んでいく。ネコのミーは私の聲に付き合ってくれている。迷惑そうな表情をしているがありがたい。

2019年1月26日 (土)

田川紀久雄日記

曇だと一日中寒い。猫は炬燵の中に入りぱなし。

地球は異常な環境状態だ。台風も大型化している。このままいけば人間が住めない状態になるかもしれない。欲望の渦がどんどん大きくなれば、世界は滅びる。一国だけがよければという考えは危険だ。宗教でも全体を理解していかなければならない。みんなが分かち合える心を求めていかねばならない。そのためには隣人を理解することが求められる。
今韓国との関係も悪化している。隣人である。お互いを理解していかねばならない。感情的になったら何も解決していかない。相手の苦しみを理解していくことが解決の道に繋がってゆく。

2019年1月25日 (金)

田川紀久雄日記

午前中整形外科に行く。
不器用な私はひたすら「テキスト6」を読み込んでいく。今年の前半は、このテキストのみに打ち込んでいく。そこで何が得られるのかはまったく解らない。いくらかは聴いていただける詩語りができると思う。いままでない最高のテキストだから、何としてでもお客にとどく語りを目指して精進するしかない。いま書きすすめている詩集も半分ほど書き終わった。

2019年1月24日 (木)

田川紀久雄日記

聲を気にしないと思いながらも、思うような聲が出ないのは辛い。どうしても語りたい世界を築き上げていかなけれなならない。聲に頼るのではなく、テキストの内容にこだわっていくことが求められる。毎日「田川紀久雄詩語りテキスト・6」を公園で語り続けている。じっくりと語り込んでいる。これが田川紀久雄の詩語りだと納得ができるまで必死になって語らなければならない。大病を越えて語り続けられる、そのことを証明してゆきたい。この詩語りの闘いを詩にしている。闘いを詩にしてゆくことで客観的にものごとを見つめられる。他者にとってはつまらない詩でも私にとっては大切な詩なのである。詩を書いては語る。語っては詩を書いてゆく。生きている実感を味わって毎日暮らしている。

2019年1月23日 (水)

田川紀久雄日記

詩の朗読は散文と違って、意味を伝えるものではない。では何を伝えているのだろうか。それは書き手の心をつたえる。そのことが詩のテーマであると思われる。もしそうであれば、朗読にとって問われるのは聲そのことではないのだろうあろうか。言葉の心を伝える。それは感情だけではない。生きているそのこと全体である。詩を聴き手に伝えることは本当に難しい。詩人自身でもどのように聴き手に言葉を手渡していくかとまどうことである。言葉を読んで伝える。それでは詩の朗読にはならない。言葉の心がそれでは伝わらない。それは詩人それぞれ異なっている。聴き手に伝えたいという気迫が大切だ。気迫と言っても自然体で伝える人もあれば、いろんな気迫の表現がある。言葉の意味だけなら詩集そのものを読んだ方がよい。なぜ朗読を行うのか考えていくしかない。それは詩人たちの朗読を聴いて考えていくしかないだろう。

2019年1月22日 (火)

田川紀久雄日記

昨夜はネコが炬燵の上で横たわり私たちはネコを触りながらテレビを見ていた。幸福な静かな時間が流れていた。ネコは人の心を幸せにさせる。平和とは何でもない温かい時の流れだ
詩語りもネコのように人の心を幸せに出きれば良いのだが、そこまで行くには大変な努力が求められる。
月が地球に近づいているためか昨夜の十五夜の月は大きく見えた。ぼけっと夜空を見るだけでも心の安らぎを得る。幸せは割合と身近なところにあるものだ。

2019年1月21日 (月)

田川紀久雄日記

今日は眼科の検診日だ。相変わらず文字はあまり見えない。
語りの聲を録音を録って聴くと、とても聴くの堪えない。録音を聴くことを嫌う人もいるが、それも解る気がする。べつに美しい聲など求めているわけでもないが、聲が心に浸みこんでこないことに我慢がならない。肉声の聲は響きが良いが録音を聴くとその響きが消えてしまう。
ライブまでは時間がたっぷりあるから、テキストを何度も何度も読み込むことしかない。昨日もテキスト全編を二回も語った。語れる場所があるだけありがたい。

2019年1月20日 (日)

田川紀久雄日記

悲しみにはひたすら寄り添うしかない。詩というものは自分の苦しみや悲しみを書くことがある。そのことで逆に他者を癒すことにもなる。
詩は別に高尚ものが高く評価されるのではなく、人間に寄り添うそのことが大切なことである。私の詩はそのような世界でありたい。それを聲として表現できれば詩語りになる。今それを目指して詩を語り続けている。

2019年1月19日 (土)

田川紀久雄日記

我家のミーと一緒にいたネコがもう子供を連れている。野良猫はたくましい。その点ミーは避妊手術をされているので、ある意味では可哀そうだ。家ネコとしているミーと野良猫とどちらが猫として幸せなのかは解らない。安心して暮らせるだけが生き物にとっての幸せではないだろう。
私も幼少時代失語症であった。そのために詩語りの世界を見出せた。そして今は語ってゆきたいテキストを生み出せた。不幸であったことは長い人生を考えると、不幸は幸せへの道筋であったことが言える。単なる幸せからは何にも生まれてこないかもしれない。ネコを観察していると、いろいろと学ばされることが多い。

2019年1月18日 (金)

田川紀久雄日記

インターネットの文字はもうほとんど見えない。別に読んだ方と言って私に関係のないことばかりだ。

内科の血液検査でいろんなところの数値が上がっていた。いろいろと注意されてしまった。
午後から、「田川紀久雄詩語りテキスト・6」を約一時間かけて語ることが出来た。いのちのひかりをどのようにして聲で表現していくか問い続けてみた。これを八月まで問い続けていくしかない。公園で語りの稽古が出来るのが今一番ありがたい。体力も落ちているので、一時間出来るのか心配である。しかしこれも夢の世界である以上頑張らなくてはならない。ひとびとに届けたいという強い気持ちが必要だ。

2019年1月17日 (木)

田川紀久雄日記

午前中に内科の採血と検診がある。
今日はあまり文字が霞んで見えない。インターネットはまったく読めなかった。このままだとブログも続けるのが危ない。今日はこれ以上書き続けるのは無理である。

2019年1月16日 (水)

田川紀久雄日記

聲がお客に届くとはどのようなことなのか。それは大聲だからというものではない。静かな聲でもお客の心に届いていくことがある。一番大切なことはテキストにすべての問題があるということだ。といってもただテキストを読んでいただけでは感動は伝わらない。詩の内容を語りたいという強い気持ちが求められる。そのためには何回も語り込むことである。
私は八月に向けて伝えたい詩を語り込んでいかねばならない。大聲でなくても心に響く語りを目指してゆきたい。そのための田川紀久雄詩語りテキストを制作していかねばならない。楽しみだ。

2019年1月15日 (火)

田川紀久雄日記

昨日詩集『幻視の旅』を書き終える。詩集の中から厳選して詩語りテキストを作るのも楽しい。本当に語り伝えたい世界を作り上げたい。詩というものはだいたいインスピレーションで書き上げる。だから詩集を上梓ても本当に良いというのもなかなか書き上げられない。数冊の詩集の中から詩語り用のテキストを作りあげている。いまのところ「田川紀久雄詩語りテキスト「」を6冊作っている。このなかの一冊を八月の詩語りで語ればよいと思っている。語るための詩なので一般的に言われる詩とは違う。散文詩ではない。詩の形式の中でしか書けない魂の告白文である。
世の中がますますおかしくなっていく。聲をあげて語らなければならない。

2019年1月14日 (月)

田がw紀久雄日記

私が詩語りを通じて語りたいのは、いのちのひかりと生命讃歌の世界である。このことを具体的に詩にできれば嬉しいのだが、なかなか難しい。
胸が痛いのがいくらかは収まっているが、ときどき痛みがまだ出る。
心不全で亡くなる人が多い。一年目に私も心不全で救急車で運ばれtことがある。意識は薄れていく。何が何だかわからない状態に落ち込む。あの時も死ぬのではないかと思って。これは血管の流れが悪くなるから起こる病だ。心臓が痛くなるとすぐに心配になる。
ネコのためにあと十年は生きていたい。そして一般の人たちの前で詩を語りたい。語れるような詩を書かねばならない。

2019年1月13日 (日)

田川紀久雄日記

今年の八月に詩人クラブサロンにて詩語りの公演がある。それも一時間近い。人前でおこなうことなど諦めていたが、長尾さんにはお世話になっているので引き受けることにした。あくまで身体が調子が良いということで。いままでといくらか違った語りを披露したい。いつもこれが最後だという気持ちで公演に臨みたい。だれでも自由に子来場が出来ます。会費1000円だと思います。お問い合わせは、漉林書房詩語りまで。

2019年1月12日 (土)

田川紀久雄日記

世の中hいろいろな事件が多く起こる。それに対して私の周辺では何も起こらない。これは良いことである。ひたすら詩語りの精進と、手作り詩集の制作に追われている。昨日はまだ胸が痛むので午前中は寝て過ごした。するとネコも私の布団の中に入ってきた。これは精神的にも癒されるものである。詩の中に猫が登場することで、詩に柔らかさがでてきた。猫がここまでくるのに約一年近くかかった。ネコのためにも外出するのが病院に行くときぐらいだ。
詩語りの出前の仕事が入らないと、生活が苦しくなる。知名度のない私などなかなか仕事が入らない。今は自作詩を通して何かを世の中に語りかけてゆきたい。それは美しいひかりの世界と生命讃歌に向けてである。それどガン患者に向けての詩である。詩の語りは口頭愛語の世界でもある。一般の人たちに聴いてもらえるとありがたい。

2019年1月11日 (金)

田川紀久雄日記

寒さで胸が痛くなるのだろう。昨夜も早く寝た。
詩的表現とは抽象的な力なのだろうか。それがどのように読者に受け継がれてゆくのだろう。私は詩語りの稽古をしながらその過程を詩にして書いているまでである。詩というものは今の自分を見つめるために必要だから、詩の形式で書き進めているだけだ。詩語りの稽古と言っても私には人生そのものである。社会がどう評価するなど気にしていない。あくまで自分の今の姿を表現できればよいだけだ。
山頭火の日記が魅力があるのは、素直にいまの自分の姿を書き記しているからである。それは想像力は遥かに超えた今が存在しているからだ。その今は誰でもが真似出来る今ではない。そのことが一番大切なことだ。ありふれた今など誰も興味などひかない。そのことは文学として成り立つ
場である。
私も40年間も詩語りに打ち込んで生きてきた。病弱で落ちこぼれの人間が自分を取り戻すにはこの方法しかなかった。自己を語る方法が詩語りであったまでだ。その闘の中で美しいひかりをみいだせた。

2019年1月10日 (木)

田川紀久雄日記

今日も相変わらず寒い。部屋の中が隙間風が通り抜けてゆく。部屋を直すにも金がない。猫はストーブの前から動かない。
昨日は詩集『残像』を語りながら校正をする。思っていたより出来栄えが良い。人の評価などよリ、自分の眼を信じている。そして「ひかりの広場」という詩を書いた。いま書いている詩集も一ヶ月で書き終えたい。月に一冊は上梓してゆきたい。
このままだと外でライブを行うことがないだろう。詩人の聲に参加している詩人たちの朗読はどうなっているのだろう。でも足の悪い私には聴きに出かけられない。私は公園の公孫樹の下で毎日詩語りの公演を行っている。そのことを詩にして聲の報告をしている。沈黙の聲の響きこそ最高の語りだと思っている。そのことを今の詩集で書いている。
朗読に興味ある方は私の詩集を読むことを進めるが、誰一人として読んではくれない。まして私の詩語りに何の興味も示さない。みんな自分の朗読に精一杯なのだろう。詩誌「操車場」からは長谷川忍さんが毎月参加しているが、みなさんの応援をおねがいしたい。

2019年1月 9日 (水)

田川紀久雄日記

胸の痛みはまだ続いている。昨夜は求心を買って飲んだ。眼も相変わらず霞んで見える。

痛みがあったが、いつもの公園まで行って詩集を語ってきた。そして、帰ってきてから詩を一篇を書く。「口頭愛語」という作品である。詩語りで口頭愛語を見出せた。聲が出ない、胸が痛む中で感じたことを詩にしたまでである。沈黙の響き聲こそ口頭愛語を語る方法であることを感じた。自分が目指す道をつねに行い続けることの中でしか何事も進歩しないということだ。詩語りを精進する中でそのことを詩の形を借りていままで書いてきた。それが詩であるかどうかなどまったく気にならなかった。私は詩人たちが言う詩は書けないが、語り(朗読)は誰にも負ける気がしない。別に競争する意思はなっくないが。真剣に人生を賭けて行ってきている。今は人の前で行うことなどないかもしれないが、いまも真剣に取り組んでいる。本物の詩語り人になるために。

2019年1月 8日 (火)

田川紀久雄日記

昨日から胸が痛む。それに今朝は眼があまりよく見えない。胸の痛みは寒さに原因があるのかもしれない。今日は寝ていることが必要かもしれない。

2019年1月 7日 (月)

田川紀久雄日記

朝、零度以下の寒さだ。
詩というものは、無理しても書かなければ何も浮かんでこない。とくに寒いとなおさらだ。私はまだ詩語りという大きなテーマを持っているから何とか書き進めている。ここに人生の香りを乗せて行ければ何とか書ける。何も書けなくてもパソコンの前に座って動かないことだ。
ガスと電気が値上がりするというが、それは経済全体が値上がりになるということだ。貧困の家庭にとっては大問題だ。今の私は銭湯にいく回数を減らして生活を維持している。世の中は何億円の話題ばかりで鬱陶しい。一万円でも大変な思いをしているのにどこか世の中は狂っている。
手作り詩集はほとんど売れない。ネコの餌代にでもなればと思っている。詩人たちは読んでもらいたいというだけで詩集を謹呈をする。
ということは金がある人だけが詩集を上梓できる。私のように手作り詩集を上梓している詩人は見当たらない。貧しくても詩を書いていくためにも手作りは欠かせない。必死で生きていくためにも詩集を上梓していくことは大切なのだ。そしてそれを公園の公孫樹の下で語り続ける。語ることは祈りでもある。言霊を天空に届ける。それが私の日課でもある。この世の平和とすべての人々の幸を願う語りでもある。

2019年1月 6日 (日)

田川紀久雄日記

日本人でも汚れる仕事を外国人に任せる会社が増えてきている。でも外国人のアルバイトの賃金は日本人より安いのが現実だ。企業は出来るだけ安い賃金で雇いたい。アルバイトの仕事は大変な割に何の保証もない。
正規社員になれない日本人は生涯不安な生活を送らなければならない。結婚が出来ない人たちも多くいる。アルバイトにも人間らしい生活が送れるような社会になることを願う。

2019年1月 5日 (土)

田川紀久雄日記

昔は詩を書く人は若者が中心であったが、現在は老人だらけになってしまった。このことでもわかるように詩は滅びの世界に向っている感がしてくる。いや、もう滅びているのかもしれない。社会的にも詩を読む人などほとんどいない。
詩誌との交換がなくなったら、詩を読む文化も消え去ってゆく。テレビなどでは俳句が話題になっているが、詩は話題にもあがらない。でもテレビでの俳句は、見るにあたいしない。詩歌が流行に取り込まれたら、それこそもう詩歌などで亡くなってしまう。同人誌でも、新しい人を向入れることに苦慮している。

ここで大切なことは、老人たちは一応戦争を知っている。その経験が今もっとも大切なことである。今の政治家には戦争体験者がいない。だから安倍内閣にようないい加減なことをいうようになる。
老人だからこそ、本当の事をはっきりと言える。平和憲法を守るためにも、詩人の仕事はまだまだある。老人こそ元気で生きていかなければならない。
詩語りもこの世に拡げてゆきたい。

2019年1月 4日 (金)

田川紀久雄日記

やっと正月が終わった。今年はどのような年になるのかまったく先が読めない。
官邸主導で空母化されている。辺野古の問題にしても、国民に声を無視して」行われている。これもすべてアメリカとの協定なのだろうか。これでは独立国家とはいえない。植民地とまったく同じと言わざるをえない。

今年から私は書でも行いたい。たった一本の線を引くことだけを目指して。生きた線を求めて。これを行うことは詩語りに役立つことだと思う。つまり生きた聲を求めるのと同じだからだ。生きている実感を肌で感じることを目指して。
生きることの生命力が私には求められている。横との繋がりが求められない今、この生命力を高めるしか道はない。そのための一本の線を求めたい。生きるための線とはどのような線なのか。追及する価値はある。

2019年1月 3日 (木)

田川紀久雄日記

世の中がどのようになっているのかさっぱり見えなくなっている。どこも出口の見えない社会が拡がっているようだ。
私の眼もいまパソコンを打っているのだが、文字がよく見えない。テレビも見ない、そして新聞もあまり読まなくなった。テレビは見たくなるような番組がない。
地方はどんどん過疎化が進んでいる。東京に人が集まりすぎている。原発の事故で福島の人たちはどのような状況に置かれているのか。いま横のつながりがだんだん希薄に希薄になっている。
そういう私もまったくといってよいほど横とのつながりが見いだせないでいる。詩の朗読も狭い世界の中で行われている。社会とのつながりが見えない。いくらインターネットが発展しても、それは見えない人間に発信しているだけだ。この問題をどのようにしたらよいのかが今年の課題かもしれない。

2019年1月 2日 (水)

田川紀久雄日記

詩集『訪問者』20部印刷・製本が終わる。
今年も静かに暮らしていたい。年賀状を送っていただいた方には感謝。
詩の世界から遠去かってゆく詩人が増えている。年金生活で詩に携わることが困難になっているからだろう。私のように手作り詩集を上梓てゆけばよい。無理して何十万もかけて詩集を作る必要はない。詩は自然に生み出されてゆく。コピーを数枚送ってくる詩人もいる。その人の生活にあったものを作ればよいだけだ。その見本として私はどんどん詩集を上梓ていく。
画家・詩語り人として生きてきた私には僅かな年金で生きている。正月も普段の生活と少しも変わらない。お金がなくても自分なりの生き方が出来ればそれでよい。
詩語りの稽古と・詩を書く。それが毎日の仕事である。今年は人と会いたいものだ。

2019年1月 1日 (火)

田川紀久雄日記

今年も無事で過ごせるよう願っています。
私は相変わらず詩語りの精進と、詩集を上梓てゆくだけです。何も期待することもなく、猫と一緒に過ごせれば、それだけで満足です。
憲法九条を守ることがいかに大変かということ。安倍内閣の国民感情を無視した状況には耐えがたいものを感じる。崩れ行く日本を見ていると詩はいったいなんであるのかと問いたくなる。私は弱者に寄り添って詩を書きてゆきたい。詩は心の寄り添いによって分かち合うものなのだから。そして魂の表現であることを忘れてはならない。

詩壇とは寄り添うことをしたくはない。今年は一回でもライブをおこないたい。
詩誌「操車場」を読んでくださることをお願いいたします。

« 2018年12月 | トップページ | 2019年2月 »