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2018年3月21日 (水)

田川紀久雄日記

箱根は雪が降っている。お彼岸と言うのに珍しい。
相棒のパソコンではこのブログがコピーできない。とても不便である。もしかしたらこのブログを中止にするかもしれない。詩誌「操車所「」で日記が見れるので、読みたい方は購読をお願いいたします。

2018年3月20日 (火)

田川紀久雄日記

今日は午後から眼科に定期検診に行かねばならない。
世の中がいくらか狂い始めている。私たちの時代は暗黒舞踏が心の癒しをしてくれた。でも今の時代で心が引かれるものが見当たらない。時代に逆らう芸能が生まれないことはある意味で悲劇だ。

2018年3月19日 (月)

田川紀久雄日記

私のパソコンが壊れてしまった。いまこれを書いているんは相棒のパソコンを使用してる。パソコンを買い費用がない。当分相棒のパソコンを借りて仕事をするしかない。
上野芳久さんからメールで原稿が起こられてきた。これで一葉「操車場」の原稿が揃った。印刷は今月の下旬ころから始める予定。

2018年3月18日 (日)

田川紀久雄日記

いまだに野菜は高値である。そのため食費代が大変である。今月は赤字であった。エコーの靴を買いたいと思っていたが、購入は出来なかった。軽くて履きやすい靴を求めたい。そして今月には眼鏡を購入しなければならない。これも一万円を越えてしまうことだろう。何もかもが値上がりをしているような気がする。安倍総理が求めている物価の値上げは庶民にはついていけない。年金も月五万円以下では生きてはいけない。それにはそれなりの理由があった。私は生活のためにも詩語りで何とかしたいと願っている。そのためにも生命讃歌を語らねばならない。いまそのための詩語りテキストを制作を行っている。出前詩語りを行っていますので聴きたい方は問い合わせをお願いします。

2018年3月17日 (土)

田川紀久雄日記

一週間ぶりに詩が書けた。「岸辺で」という詩であるが、いまの自分の気持ちを描いたものだ。またかつてのようにばんばん詩を書いてゆきたい。詩を書くことでボケの予防にもつながってゆける。書くことで活力も生まれて来る。詩集も手作りで作れば気も楽だ。少部数で良いのだから見栄を張る必要もない。『平和を求めて』という詩集の制作にはいった。つねも前向きで生きていたい。詩語りも再開を始めたいと思っている。本気で語れる場をさがし出さなければならない。気迫のある語りを目指して精進しなければならない。眼鏡も今月の下旬には手に入るであろう。いまは完璧な詩語りのテキストを作っている。

2018年3月16日 (金)

田川紀久雄日記

夜中凄い風が吹いていた。昨日は初夏を思わせるような陽気であった。今年は梅が咲いてもメジロの姿を見ることがなかった。この地球で何かが起こっているような感じだ。
今は足の痛みはさほど感じないのだが、歩きていてすぐ腰が痛くなる。この痛みが感じると歩くのが無理になる。なんとか克服したいと思うのだがなかなか難しい。でも杖を付きながら歩く歩数を増やしている。早く自由に歩きたい。

2018年3月15日 (木)

田川紀久雄日記

今年はまだ知人と一人もあっていない。これではまずいと思いながらもどうしょうもない。昔は毎年のように地方まで桜を見に行ったものだ。いまは桜を見る友達もいない。そのためにも歩けるようにならなければならない。今年の桜の満開が早くなりそうだ。妹が亡くなって四年目になる。

2018年3月14日 (水)

田川紀久雄日記

今日は五月並みの温度のなるという。これでは身体の調子をとるのが難しい。
最近送られてくる詩誌に眼を通すようになってきた。しかし自分が気に入る詩がなかなか見つからない。何を目指して詩を書いているのか解らない詩が多い。私も詩を書かねばと思うのだがなかなか言葉がでてこない。
詩誌受贈『真白い花・18号』

2018年3月13日 (火)

田川紀久雄日記

森友問題の原因は安倍総理の昭恵夫人から始まったことだ。官僚の忖度がすべての原因だろう。当然安倍総理にも責任があるはず。改ざん問題はあってはならないことである。これは民主主義の崩壊を意味する重大問題だ。国民の生活は少しも良くならない。これで消費税を10パーセントにあげることは無理な問題だ。

2018年3月12日 (月)

田川紀久雄日記

森友問題の原因は安倍総理にある。政治家が自己の欲に走ると不幸が起こる。世界的に権力の巨大化に移行している。これは一歩間違えればとんでもないことになる。平和の道は欲望の否定にある。
いま手作り詩集を詩語り用に校正をしているが楽しい。無駄な枝を切り落とすことで語りも生きて来る。ひたすら語り続けることで自分の詩に愛着が増してくる。生命讃歌を語ることが私の仕事である。詩語りテキストが詩集としても定本になる。

2018年3月11日 (日)

田川紀久雄日記

今日で東日本大震災から七年目になる。福島原発は先が何も見えてこない。本当に復興に全力で取り組んできたのだろうか。いまだに多くの人たちが取り残された生活を送っている。
私の体調も少しづつ回復に向かっている。昨日詩を一篇書けた。書けたというより無理やりに書いたといったほうがよい。手作り詩集の制作をまた始めた。詩人たちに送っても何の返事も来ない。生命讃歌を唄うことは詩人たちには興味がないんかもしれない。しかし、いまこれを書かなかったらいつ書くのか。平和を求めることこそいのちの歓びである。歯を食いしばっても先に進んで行こう。

2018年3月10日 (土)

田川紀久雄日記

男の平均寿命が七十四歳であるという。そうだとすれば私は平均寿命を越えて生きていることになる。気持ちはまだ青年のような気がする。というのはやりたいことが沢山あるからだ。しかし、その前に歩けるようにしなければ、人と会うことすらできない。なんとが頑張ってゆきたい。

2018年3月 9日 (金)

田川紀久雄日記

今日は東京大空襲の日である。ここまでやるのは戦争ではない。ただ単なる人殺しでしかない。戦争とは兵士と兵士の闘いである。一般市民を巻き込むことは戦争ではない。シリアでも市民や子供が犠牲になっている。日本も南京事件は戦争を越えた犯罪である。犯罪を起こすような戦争はやるべきではない。戦争そのものが虚しい行為である。昨日『いのちの籠・38号』が送られてきた。詩人はやはり言うべきことは詩にしていかねばならない。私は生命讃歌を語ってゆきたい。

2018年3月 8日 (木)

田川紀久雄日記

昨日詩をやっと書き上げた。以前のようにどんどん詩を書けなくなっている。普通の詩人なら月に一篇ぐらいであろう。詩集も四・五年に一冊上梓できればよい。私はもう詩集を七十冊以上も上梓をしている。でも本当に語りたい詩集はまだ書けてはいない。最後の一冊を求めて書き続けていくのだろう。無理してどんどん書く必要もなくなっている。自然に任せて書いてゆけばよいのだろう。

2018年3月 7日 (水)

田川紀久雄日記

久しぶりに詩を書き始めたが、なかなかまとまらない。大事なことは詩を書く気持ちになったということだ。私の詩は日記のようだが、自己の現在を見つめるには必要なことである。

2018年3月 6日 (火)

田川紀久雄日記

眼の治療も終わり今月の下旬には眼鏡を付けられる。ここまで来るのに半年を要した。いろんな人の応援でなんとかここまでこれた。
昨日は台風並みの風と雨であった。これからはすこしづつ春になってゆくのだろう。歩行の訓練をしていかなければならない。何としてでも十分ほどは歩きたいものだ。そうすれば人との出会いができる。

2018年3月 5日 (月)

田川紀久雄日記

今日は眼科の検診日である。眼は随分落ち着いてきているが、遠くは霞んで良く見えない。
今の若者たちと共通の価値観を味わうことがなくなっている。これは時代のせいだけの問題ではない。対話がないためなのだろう。

2018年3月 4日 (日)

田川紀久雄日記

来週で東日本大震災が七年目を迎える。大きな心の傷を背負って生きている人たちがいる。私は毎日鎮魂歌を公園で語ってきた。私の詩語りは空回りを繰り返していたのかもしれない。この七年間間に私は大病を二度も味わった。出来れば東北の地で鎮魂歌を語ってみたかった。人生は希望道理には行かないものだ。昨日は「日常」という手作り詩集の詩語りテキスト版の版下を作成した。余分な枝葉を切り落とすように語りやすいように手をいれたテキストである。手作り詩集のすべてを詩語りテキスト版を作っている。

2018年3月 3日 (土)

田川紀久雄日記

CDで「赤ひげ」を観る。ほとんど忘れていた。病気には身体の病気と心の病がある。この両方を治療できることが人間として求められている。大きな病院だと患者が多くて患者を診るのが三分程度だ。これではただ患者をパソコンの画面を見て話をしているだけで終わる。街に小さな病院がほとんどなくなっている。患者を人間として見ることができていない。そこで詩は心の救済を描いていかねばならない。現代詩はこの心の問題が自己的で大きな輪を産み出すことが出来ないでいる。生きる希望とか讃歌を求めて行くことが求められている。そしてそれを人前で語っていかねばならない。そろそろ私も動き出さねばならないのだろう。吟遊詩人であることを忘れてはならない。
詩誌受贈「詩的現代・24号」

2018年3月 2日 (金)

田川紀久雄日記

「詩と思想・3」で長谷川忍さんが私の詩集「新生」を紹介してくれた。感謝。視力がまだ完全に回復をしていないので散文はほとんど読めない。詩では松本賀久子さんの「えがお」はよかった。素直な詩で心が温まる。詩はなるだけ読みやすい方がよい。素朴な詩は詩人たちからは嫌われるが、これはこころが曲がっているからだ。訳の解らない詩が良いと思うのは偏見である。詩というものは心に問いかけるものである。それは生命讃歌であることが大切なのである。

2018年3月 1日 (木)

田川紀久雄日記

生命讃歌を目指して詩語りを行ってゆきたい。苦しみの中に希望に満ちた生命を語らなければならない。詩人は素朴に生きていればよい。相棒は畑仕事を始めた。今週はじゃがいもを植えるそうだ。昨日も有機野菜を食べたが、野菜が本当に美味しい。
今日は春の嵐になる。激しい雨が降っている。近所の公園では桜が咲いていた。

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