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2018年2月28日 (水)

田川紀久雄日記

手作り詩集とは別に詩語り用テキスト詩集を発売しています。こちらは謹呈いたしません。もしライブができたら会場で販売したいと思っています。
年金だけでは生活を維持することが出来ません。そこでテキスト詩集を販売することに決めたのです。詩語りのプロを目指し行くことに決めたのです。スポーツでもプロ化することによって技術の磨かれていくものです。そのためには誰よりも精進が求められます。自己との闘いに打ち勝っていかないとプロにはなれません。プロは他者に生きる勇気を与えることができます。そのような詩人になってゆきたいと願っています。

2018年2月27日 (火)

田川紀久雄日記

「操車場124号」発送を行う。
詩によって語りやすいのと語りづらいのがある。しかし詩そのものの価値は、語り方にあるのではない。世間一般的に言えば、朗読用の詩を書くも大切である。でも私には、朗読用の詩は書けない。あくまで内的な問題でしかない。どのような詩でも何度も何度も語り込まなくては自己の語りにはなってくれない。これはスポーツのように訓練が求められる。要はなんでも精進が求められる。歓びはそう簡単に手に入るものではない。

2018年2月26日 (月)

田川紀久雄日記

今年も桜を見には行けそうもない。生命讃歌を語る詩語り人でありたい。そのためにもどこかで詩語りを行いたいと思っている。頑張らなければならない。

2018年2月25日 (日)

田川紀久雄日記

黒沢明の映画がCDで発売されている。昨日「赤ひげ」「七人の侍」を買った。できれば全巻そろえたい。いまテレビはほとんど見ない。本もまだ読めない。楽しみがまったくない生活を送っていた。来月からは「操車場」を再刊できる。少しでも前向きになって生きてゆきたい。

2018年2月24日 (土)

田川紀久雄日記

聲で自分の思想を伝えることは難しい。作為の演技では人は感動してくれない。だから詩人は役者のように演技することは必要ではない。いややれと言われても、それは出来ない。詩人は詩人の生き方を貫いて聲を発するしかない。では詩人の生き方とはどのようなことかと問われてもなかなか答えられない。詩人の朗読で、いままで納得の出来る答えを見出した詩人は数人しかいない。たとえば東淵さんとか高木恭造さんぐらいであろう。正統派の詩人たちから見れば否定する人もいる。まずは自分の聲を作らねばならない。

2018年2月23日 (金)

田川紀久雄日記

昨夜は腰の痛みであまり眠れなかった。
詩というものは、心に響いてくるものがないとあまり読む気が起こらない。詩的だと言われて、頭で感動しても心が納得できないものは私は評価しない。なかなか心から読める詩に出会うことがない。これは詩の朗読でも同じことが言える。

2018年2月22日 (木)

田川紀久雄日記

今日は内科の定期検診日である。今月は病院通いが続いた。
「操車場」の印刷を始める。詩は相変わらず書けない。でも今月は納得のいく詩語りのテキストが出来た。どこでもよいから一篇でも人前で語ってみたい。もう少し歩くことが出来たらと思うだけだ。眼も日々良くなって行っているのだと思う。眼鏡が出来るところまで行けば眼の治療も終わりになる。

2018年2月21日 (水)

田川紀久雄日記

詩の朗読は唄うように語ると詩語りになる。ここが単なる朗読と異なる。それは聴き手に言葉を受け入れやすくすることになる。
昨日は病院で二時間も待たされ疲れてしまった。

2018年2月20日 (火)

田川紀久雄日記

今日は七十六歳の誕生日である。こうも長く生きられるとは思ってもいなかった。私は、大器晩成である。この齢になってやっと自分の描くテーマが見え始めてきた。そして詩語りもこれからだ。
午前中は市立病院に行かねばならない。雪でなくてよかった。

2018年2月19日 (月)

田川紀久雄日記

テレビは異常である。どこの局でもオリンピックばかり、何の特色もない。そして愛国主義的になっている。メダルを取った人ばかりで他の選手の競技が見られない。このような報道だとスポーツが嫌いになってしまう。
今朝もとても寒い。春の訪れが待ちどうしい。今日で七五歳ともお別れだ。

2018年2月18日 (日)

田川紀久雄日記

「平和を求めて」の校正を行う。これは祈りと平和は同じでもある。詩人がこのような題名の詩集を上梓することはないだろう。でも生命讃歌を求めて詩語りを行う以上やはり平和を語っていかねばならない。手作り詩集は詩語りのために書いてきた。と言って朗読のための詩集ではない。あくまでも人間として語ってゆきたいものを書いたということである。それなのにいまだ人前で語ることができない。今年こそどこかで語りたいものだ。

2018年2月17日 (土)

田川紀久雄日記

言葉に魂を入れることはなかなか難しい。これは役者のように演じるのとは異なる。詩人の朗読はあくまで詩人の語りでなければならない。いま「田川紀久雄詩語りテキスト」でこの問題と格闘中である。そのためには納得がいくまでテキストを校正をしている。何度も何度も語り込むことでテキストを自分のものにしていく。一日中テキストを語り込むことで何かが視えて来るのだろう。

2018年2月16日 (金)

田川紀久雄日記

午前中に整形外科に行く。
二ヶ月かけて「田川紀久雄詩語りテキスト」の校正を何度も行う。
眼の治療が終われば新しい詩集「愛への誘い」に取り掛かりたい。詩人が語っていかねばならない世界がある。それは生命讃歌である。
三月に「操車場」を再刊するが、当分の間は手書きの原稿は受け付けることができない。

2018年2月15日 (木)

田川紀久雄日記

歩くのは二、三分程度しか歩けない。もっと歩きたいのだが腰が痛みだして動けなくなる。これは手術したところだ。近所でリハビリが出来るところがあればよいのだがなかなか見つからない。でも希望だけは持っていたい。もうすぐ春だ。

2018年2月14日 (水)

田川紀久雄日記

今日も眼科の検査がある。糖尿病網膜症であったのかもしれない。今日のインターネットに眼の事が書かれてあった。朝は文字を見ていると目が痛む。

2018年2月13日 (火)

田川紀久雄日記

今日は午後から眼の手術を行う。いま文字が霞んでしか見えない。
kさんから「失われた風景」の油絵を返してもらった。この絵は私の代表作である。この絵は丸木としさんも欲しがっていたものだ。

2018年2月12日 (月)

田川紀久雄日記

今日はメールの文字が見えなかった。この日記も文字を打つことが困難である。

2018年2月11日 (日)

田川紀久雄日記

今日はいくぶん温かくなったが、やはりなかなか起き上がれない。
手書きの原稿はまだ打つのが困難だ。メールの原稿しかできない。本当に小さな文字が読めるようになるのだろうか。ちょっと心配になってきた。眼の視力が安定するまでに一ヶ月ほとかかるという。三月には「操車場」を再刊したいと思っている。

2018年2月10日 (土)

田川紀久雄日記

あと半月で春が訪れて来る。この寒さももうすぐ終わる。私の心もそうなればよい。眼の手術は十三日の午後から行う。
日本語の送りかなの使い方に疑問を感じてしまう。ちゃんとした基準がないということだ。いま詩の校正でこの問題につまずいてしまった。要はすべてを統一にすればよいことである。そして無駄な言葉をできるだけ排除していく。書き手の心よりも聴き手の心に沿って書き直しを行っている。詩語りのテキストを納得のいくまで手直しをしている。

2018年2月 9日 (金)

田川紀久雄日記

ここ何日も詩を書いていない。今は本当に語りたいテキストを制作中である。徹底的に校正を行い、心から語れる作品を目指している。
足の筋肉が低下している。この足の筋肉を付けなければ歩くにも不安を感じてしまう。二度の大きな病で入院すると身体の衰えは早いものだ。これを回復することはなかなか難しい。

2018年2月 8日 (木)

田川紀久雄日記

昨日眼科で手術後の経過を聴いた。右目が糖尿病で悪化しているとのこと。そこで再治療をしなければならないという。費用も一万五千円かかるという。それを数度行なわなければならない。眼の視力が悪い。遠くがまったく見えない。自転車に乗るのが怖い。蓄えがどんどんなくなっていく。パソコンを買わなければならない。困ったものだ。

2018年2月 7日 (水)

田川紀久雄日記

今日は眼科の検診である。手術をして一週間になる。
昨夜は足が痺れてあまり眠れなかった。
「仏への道」を何度校正をしてもなかなか終わらない。校正の難しさを痛感する。校正をしっかりしないと詩語りにも影響が出る。この詩集はちゃんとお客に言葉を届けたい。こんな気持ちは生まれてはじめてだ。

2018年2月 6日 (火)

田川紀久雄日記

生活保護費の減額は悲しいことだ。国会でも共産党が追及していたが弱者の心がまったく通じない世の中になっている。
自作詩を何度も読んでいるが、なかなかうまく語れないものだ。何度も校正をしてもなかなか校正が終わらない。このところ気分的にも鬱状態になっている。眼もなかなか良くはならない。今朝は全体がぼっけーとした状態だ。

2018年2月 5日 (月)

田川紀久雄日記

名護市長選挙で稲嶺氏が敗れる。これはショゥクである。沖縄戦を知らない世代がふえている。基地問題よりも経済を優先する人たちが増えている。これは悲しい。平和を守ることの厳しい認識を痛感する。
詩語りを再開していかねばならない。生命讃歌を語り続けねばならない。詩人たちからは相手にされていないが、心ある人たちに語ってゆきたい。いま手作り詩集で詩語りのための作品を書いている。数人でもよいから語れる場所を求めている。

2018年2月 4日 (日)

田川紀久雄日記

『仏への道』を校正する。無駄な文字が多かった。そして何度も語ってみた。できるだけ語りやすいようにした。詩の校正は難しいものだ。
身体の運動をおこなっていないので、身体が重く感じられる。自転車で転倒してからほとんど家に籠って過ごしている。歩く訓練をしないと足が弱くなる。そして眼がまだまだ安定していない。やや心配だ。

2018年2月 3日 (土)

田川紀久雄日記

詩語りの風格を持ちたいものだ。それには語りそのものを追い詰めて行かねばならない。「冬の旅」を徹底的に語り込んでいる。何度も推敲を続けている。心の底から語りたい。そして味のある語りを作り上げたい。今年は人前で語りたいと思っている。
視力はまだ安定をしていない。ときどき全体が霞んで見えるときがある。

 

2018年2月 2日 (金)

田川紀久雄日記

都心は今年雪が二度目である。午前中は外科に傷跡を見てもらわなければならない。今月も病院に何度も通わなければならない。精神的にもちょっときつい。
山本竹勇さんからライブのDVDが送られてくる。

2018年2月 1日 (木)

田川紀久雄日記

雑誌の9ポの活字は読めないが、それ以上なら読めるようになった。ありがたいことだ。
トランプ政権の核問題は困ったことだ。核の力で国を守ることは危険なことである。
人間もどんどん変化している。未来の人間はどのような人間が生まれて来るのだろうか。いや人類そのものがどうなってゆくのかもわからないという。便利になるということはある意味では危険なことでもある。本当の豊かさとは何なのだろうか。

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