田川紀久雄日記
今日も市立病院にいく。
眼が不自由になることは、日常の生活が崩れるような気がする。気分的にも何もする気が起こらない。この状態を何とか乗り越えてゆきたい。眼の治療が出来れば、前向きにまた生きて行ける。八日に眼の検査を行う。
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今日も市立病院にいく。
眼が不自由になることは、日常の生活が崩れるような気がする。気分的にも何もする気が起こらない。この状態を何とか乗り越えてゆきたい。眼の治療が出来れば、前向きにまた生きて行ける。八日に眼の検査を行う。
今日は市立病院にいって眼を見てもらいに行きたい。明日も病院の予定があるが、なるべく早く眼を見てもらいたい。その結果「操車場」の継続を考えたい。眼の視力が一日一日と悪くなって行くような気がする。
新しい詩集は『冬の旅』とする。いまの自分の心境を綴ってみたい。
IT技術がどんどん進んでいくと企業ではどんどん人員減らしがすすんでくるだろう。みずほ銀行が一万九〇〇〇人も消減へという記事もある。
詩は、人間の尊厳といのちの美しさを追及していかねばならない。詩もいまの時代に取り残された存在になりつつある。また人間の聲も昔のような地声で語れる詩人もほとんどいなくなっている。詩を語ることが出来る社会が消えてしまうのだろうか。詩は、感動なのだ。ただそれだけある。聲もまさに感動であるといえる。
日本鋼管病院の眼科では、あなたの眼はここでは治りませんと言われた。大きな病院でなければ治療が出来ないと言われた。ちょっとショックを受けた。
新しい詩集の題名はまだ決めていないが、少し書き始めた。何か新しいものが生まれてきそうな気がする。頑張って生きるしかない。
今日は、整形外科に午前中に行く。
入院していた為に足の筋肉が弱ってしまった。立っていてもふらついてしまう。まだ腰の痛みがあるので歩くこともままならない。眼科に行かねばならないが、入院に入院の疲れで、もう少し家にいたい。
やっと聲が言の葉を捉えるところまできた。これからも詩語りの稽古が面白くなってくる。早く腰を直してライブをしたいものだ。
入院中に詩誌や詩集を送ってくださった方に感謝します。
安倍政権では七十五歳以上の医療費一割負担を二割負担にするという。私のように年収百万円も満たない生活者にとって医療費の値上げは大変なことだ。老いると身体も弱り医療費もかかるのは当然のことだ。特に私はこのところ入院が多い。生活がやっていけなくなってしまう。それより病院に行けなくなってしまう。国民が安倍政権を選ぶことが信じがたい。
詩集受贈『志田道子詩集・エラワン哀歌』
八日の朝方、心不全で倒れて救急車で病院に運ばれた。思いも及ばない病であった。退院は二十四日であった。そして今度は白内障の手術を行うことになる。それに腰の痛みを何とかしなければならない。そのようなことで「操車場」は今月休刊することにした。
選挙は病院で行ったが、私が応援した党は敗北した。希望の党は、初めから否定的であった。政治で安易に希望の名を付けては困る。
『平和を求めて』は、病院で書いた詩で終わることにした。
おはようございます。
坂井のぶこです。
田川さんが心不全で入院したのでかわりにこれを書いています。
十月九日の午前三時に救急車で川崎市立病院の救命治療室に搬送され、そのまま入院しました。今は集中治療室にいて、絶対安静の日々を送っています。容態は比較的安定していて今日から固形食が取れるということでした。
『操車場』1123号は来月以降の発行となります。
よろしくお願いいたします。
足腰の痛みがこのまま取れない場合、一日入院してブロック注射を行うという。これは胃カメラの検査を終えてからである。このところ病院通いが頻繁である。そのうちに眼科にでも行ってみよと思っている。眼が霞んで遠くが見えないからだ。これは単なる齢のせいかもしれないが。
「平和を求めて」の作品で最後の作品がなかなか書けないでいる。
詩誌受贈『水の呪文・48号』
今日は、病院でMRの検査がある。そして整形外科の検診もある。相変わらず腰と右足がいたむ。
『花束』という詩集を詩語りしながら校正を行う。これは入院の時に考えていたことを書いた詩集だ。後半がなかなか良い。私のように毎月詩集を上梓する詩人はいないだろう。これは手作り詩集だから可能なのである。それも限定部数であるからだ。礼状はほとんど来ないが、詩語りが出来ることで悦びを感じていられる。解る人には解る。解らない人間には解らないというだけだ。
詩語りは何年経っても難しいものだ。詩を聲に乗せるのはとても厄介なことなのだ。ただ聲にだして詩を読むことが朗読と思うことは誤りである。このことが解らないと、いつまでたっても朗読は向上していかない。これは教えて理解するものではない。語ることの苦労を通じてしか解らないものだ。そのためには日々の精進が求められる。いま私が聴きたい詩人の聲はいない。今の私は詩人の前でライブを行いたいとは思わない。淋しい限りだ。
六日にMRを撮ってみることにした。相変わらず足腰の痛みはなおらず。
精進はつねに忍耐との闘いである。自分自身を鍛える。毎日同じことの繰り返しである。聲を一日二回公園で撃ちこんでいる。聲が出ないといっても、普通の詩人の聲とは違う。もっと自分自身に自信をもってよい。といっても本物の詩語り人になるには自分に甘えてはいられない。昨日は「新しい道」を語りながら校正を行う。
ラスベガスで銃の乱射事件が起きた。銃の規制が出来ないということはこのような事件が生まれるということだ。
日本も右翼がだんだん増えてきている。憲法改正とか軍備の拡張とかとても信じられないことがどうどうと論じられている。希望の党も安倍政権となにも変わらない。前の戦争のことなど誰もが忘れているようだ。北朝鮮のことで状況論だけで軍備費の増額は容認できない。右翼はこの状況論で一気に憲法九条にも変更を求めて来る。平和を守ることがいかに大変か。日本の政治を今の自民党に任せていたら恐ろしいことになる。戦争の経験のない世代になってきている。語り部運動がいかに大切であるか。詩人たちよ、いまこそ吟遊詩人なっていかねばならない。平和を求めて語るべきである。
独立運動が高まっている。民族の虐げられた長い歴史をみるとその気持ちが良くわかる。差別と偏見はなかなかなおらない。アメリカも黒人問題はいつまでたっても解決できないでいる。人間は理屈で解っていても感情という厄介な代物が人の心を惑わす。
日本も移民問題では消極的である。そのためにも違った民族の人たちとの交流が大切である。まず相手を理解することが求められている。文化交流の場が求められている。
私が思うに民族意識ではなく、一人の人間としての絆を作ることが大切であると思う。そのことを深める詩を書きたいと願う。
腰の痛みは相変わらず治らない。歩くのも不自由である。
今度の衆議院選挙の行くへが解らない。民進党が消えていくのは淋しさを感じる。私が望んでいるのは憲法九条の維持と原発ゼロである。国民の命を守るそのことだけだ。
「操車場・122号」月曜日には全部発送ができる。大切なのは毎月確実に発行することである。私の詩集『廻向』も上梓しましたが、限定三十冊なので読みたい方は注文してください。
詩集には感動がなければ人に読んでもらえない。それは魂の感動である。単なる見た目の面白さは私には興味がない。深いいのちの触れ合いを求めたい。
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