田川紀久雄日記
やっと八月が終わる.九月になれば気分的にも楽になる。風も何処か秋めいている。九月は台風が多くなる。台風一五号も日本に近づいてきている。
「操車場121号」今日発送が出来そうだ。
« 2017年7月 | トップページ | 2017年9月 »
やっと八月が終わる.九月になれば気分的にも楽になる。風も何処か秋めいている。九月は台風が多くなる。台風一五号も日本に近づいてきている。
「操車場121号」今日発送が出来そうだ。
『仏への道』あと一篇で書き終える。書き続けることで何かが視えてくる。詩人は詩をかくことの中でしか先を視ことが出来ない。ある意味では哀し存在者である。そしてそれを語り込んむことで人間として生きていける。すべて独り言の世界でしか生きられない。そして詩もだんだんたわいない世界になってゆく。
詩誌受贈『国鉄詩人・273号』
原発がどんどん再開をしていく。南海地震が起こるかもしれないというのに、九州電力は三カ所になる。そして茨木はどうなるのか。もう安全神話はいい加減にしてもらいたい。日本という国は核に対して鈍感な国になったのだろうか。猛暑の夏も電力不足の話は一度もなかった。表向きは平和を装っているが、実は危険がいっぱい隠されている。平和で生きるということの困難な生き方はつねに危険と隣り合わせである。
なぜ詩には人の心に響く詩が少ないのだろうか。たった一行でもよいから真実の言葉を感じたいものだ。その前に詩人そのものの存在感が薄くなっているのではなかろうか。経済の発展によって言葉遊び的になってしまったのだろうか。詩人たちも一般の読者から詩を読んでもらう意識が希薄になっている。つまり読者のいない文学なんて悲しいものだ。
詩人の朗読にしても、誰に向かって行っているのかさえ解らない。今の私は詩の世界から心が離れつつある。いのちの道を求めてゆきたい。そしてそれが詩の形として生まれてくれば、それが私にとっての詩なのだろうと思うだけだ。
町の書店がどんどん減っている。書店が町に一軒もないところがあるという。
視力が悪い私はほとんど本を読まなくなっている。右目がほとんど見えない状態だ。詩語りでテキストも16ポの文字にしている。糖尿だとどうしても目が悪くなる。操車場の原稿も最近では相棒に打ってもらうことが多くなった。できるだけメールにしてもらっているが、そうでない人もいる。それから「操車場」の原稿でときどき見知らぬ方から原稿だけが送られてくるが、その場合は掲載しない。原稿に「操車場原稿」と書いていただかないと解らないからだ。
残暑だといいながらまだまだ猛暑が続いている。散歩もできない。場所によっては大雨の所もある。海水温も日本近海は世界平均温度の倍になっている。サンマは今年も不漁だという。庶民の味がどんどん減っていく。
パートで働いていう人たちは何の保証も与えられていない。契約で持続的にも働けない。年金も払えない人たちがいる。正社員から比べれば天と地の差がある。日本の経済を支えているのが多くのパート従業員である。要は使い捨ての従業員を多くいれば、その会社の利益もあがるという仕組みである。日本の労働組合もパートの問題は真剣に考えてこなかった。いまの組合は会社側に寄り添っている。腑抜け同然の組合が多い。パートには退職金もボーナスもない。病気したら即生活苦が待っている。大会社であった東芝のように倒産しそうな会社もある。今の世の中は未来がまったく見えない社会だ。
私のように障害者を抱えて会社にも努めないで生きてきた。年金もほとんど払わずに来てしまった。当然生活費はほとんどない。だから詩を書くことで生きる意味を問い続けて行かねばならない。
また真夏がやってきた。これでは公園に出かけられない。歩く訓練もできない。
最近部屋のものが無くなる。置いたものが翌日にはなくなっている。仕事の上でもとても困っている。これは物忘れではない。確かに記憶力は衰えている。不思議なことが起こっているとしか言えない。
詩誌受贈『千年樹・71号』
句集『保坂成夫・絶食』
夏の高校野球終わる。今回はどこの学校も頑張った。大切なことは精一杯行ったことだ。結果だけが人生のすべてではない。
東京は真夏日であった。なかなか軀の調子がついていけない。
私は七五歳を過ぎているが、人生との闘いはこれからだ。それは詩語りがまだ道半ばである。芸というものは泥沼に足を突っ込んでいると同じだ。前にも後ろにもさがれない。苦悶の中でひたすら芸を磨いていくしかない。
アメリカから高額な軍備を買いあさる日本の政府はどうかしている。まるで日本は戦争を意識して防衛力を高めようとしているかのようだ。政治力は、平和を維持するための力でなければならないはずなのに。ますます防衛費が拡大するのは異常なことだ。
これから老齢化がどんどん進んでいく。それに対しての国の政策があいまい過ぎる。そして貧富の差が拡大している。貧困層は、少しの物価の値上げでもおののいて生きて行かねばならない。
詩集『仏への道』は、書くのに苦しんでいる。もはやこの詩集は詩ではないのかもしれない。本当の豊かさは何処にあるのだろうか。
このところ胃の調子が悪い。陽気のせいかもしれない。精神的のも疲れを感じる。
詩というものは、書ける時はどんどん言葉が浮かんでくるが、書けなくなると何に一つも浮かんで来ない。ほんとうに厄介なものだ。
詩集受贈『日原正彦詩集・瞬間の王』
やっと人に聴いて貰える詩語りが出来そうなところまで来ている。語りは芸でなければならない。そのことを詩を書き続けることで解ってきた。それはいのちのひかりをお客に届けることである。しかしまだまだ未熟なところが多い。人生は辛い道が多いが、また楽しい道もその中で見出せるものである。人に理解されようと思わなければよい。己の目指す道を歩くだけだ。
わが家の近所にカミナリが落ちた。その光は凄く感じた。
一週間ぶりに銭湯に行った。銭湯の名は「星の湯」である。湯はやはり気持ちがよい。
日銀はそのうち二パーセント物価が上がるというが、私たちの生活では大変なことだ。ほとんど収入のない生活ではこの二パーセントが命取りになる。
多摩川添えのホームレスの人たちは、病院に行けたくても行けないでいる。あの建物は夏はものすごく暑苦しい。違法の建物だというが、好きで好んで住んでいる訳ではない。空き缶を集めてやっと生き抜いている。心が痛む。
詩「聲のひかりを求めて」を書く。一ヶ月で一五篇の詩を書いた。これは多分私の詩を書くペースなのだろう。書くことで一日一日を新しく生きているのだろう。新しい生の発見こそ、詩の効用であるといえる。ただ詩を書いていては何の意味もない。詩とは何かと問われたら、人生との闘いであるといいたい。
うめだけんさくさんの「伏流水・60号」という詩誌が送られてきた。そのなかで「さんぽみち」という作品がある。なかなか心温まる作品だ。
「操車場・121号」の印刷を始める。コピー印刷は時間がとてもかかる。少しづつしかできない。
日本政府は、戦前の侵略戦争に加害者意識が足りない。特に安倍総理は反省がそのことにまったくない。このような人間が憲法を変えようとすること自体に問題がある。平和憲法こそ日本が守るべきものである。学校教育でも昭和の歴史をまったく教えていない。原爆が落とされたことすら知らない世代になっている。語り継ぐことを忘れたら平和が守れなくなってゆく。
詩誌受贈『炎樹・83号』『亜土・108号』
手作り詩集『廻廊』の印刷が終わる。秋雨前線で長雨が続いている。午前中は詩集の印刷・製本で過ごしている。
涼しいのは過ごしやすいが、農家は大変である。夏は夏であってほしい。インドやネパールでは大雨で大変な被害がでている。地球も生き物だ。人間の勝手気ままな生活に、地球は脅えている。トランプ氏のような人間がいると、国も地球も滅んでしまう。このままだと人間も絶滅危惧種になってしまうかもしれない。欲望はどこかで断ち切らなければならない。
手作り詩集が十冊以上ある。抜けていた詩集三冊があった。毎月上梓しても追い付かない。詩集の予約者が三名になった。中村文明さん、あゆかわのぼるさん、それから津坂治男さん。本当にありがとうございます。詩集が売れることはある意味では奇跡に近い。手作り詩集であるが中身は濃厚である。
むかし駅構内で「私の詩集」を手作りで売っていた人がいる。その時の値段は確か三百円であった。わたしも一冊買った覚えがある。今の私は足腰が悪いので売り歩くことができない。だから通信販売をしてゆきたい。生活のためにいくらかでも稼ぎたい。そのためには、読んで生きる勇気を与える作品でありたい。
終戦から七二年経っても、まだまだ世界平和への道のりは遠い。人種差別も絶えない。でも希望をもって戦っていかねばならない。そのためにも希望と救済を求める詩を書き続けてゆきたい。そのための詩語りを求めて行かねばならない。
いま私は詩集を三〇冊しか発行していない。これで充分である。読みたい方から買っていただくことにした。それは生活費の一部にあてて行かねばならないからだ。詩は趣味で行っているのではない。生きるために必要だから行っている。詩は読み手に感動を伝えなければならない。そして詩語りも感動を求めて行ってゆきたい。
詩集受贈『吉田昌代詩集・る』
昨日は歩くことが辛かった。まだ思うようには歩けない。久しぶりに川崎に出かけたが、人が多いのにびっくりした。川崎詩人会は、病で参加者も少なかった。
短い詩を書いた。気楽に書けて短い詩も楽しいものだ。詩人賞を読んでみても、それほど感銘する詩が少ない。これは何故なのだろうか。私は自分の心に響く詩か認めない。詩にはいのちの探究が求められているからだ。
詩誌受贈『焔・110号』
今日は、川崎詩人会がある。
手作り詩集『廻向』の制作を始める。部数が少ないので予約注文です。詩集を贈呈したからといって読んでいただけるとは限らない。何の反応がないのは辛いものだ。日常生活で、詩などなくても生きて行ける。でも読んでみたいという詩を書いてゆきたいものだ。詩は心の友でありたい。
詩集受贈『村野美優詩集・むくげの手紙』
もうすぐ終戦記念日を迎えるが、戦争を知らない世代の時代になってゆく。私は川崎空襲の体験があるが、その記憶もだんだん薄らいでいく。まして国会議員で戦争体験のない人ばかりだ。戦争の無意味さを実感できるのは、体験である。
今の日本憲法九条について真に守り抜くことの必要性を理解している人が少なくなっている。この世で何が大切なのかと言えば、平和そのものである。平和な日常生活が何よりも尊い。
詩人である私は、人間讃歌をうたうことで平和を祈願してゆきたい。
昨日は矢向の温泉に行った。なんとか浜川崎まで歩けた。近所に銭湯がないのは不便だ。
昨日も今朝も涼しい。クーラーも入れずに過ごせた。
世界の温暖化は色んな場所で被害がでている。自動車の電気化や水素は環境によい。一日も早く実用化されれば助かる。
昨日、詩「風の里」を書く。
山本竹勇さんだがCDを売ってくれるという。私は一般の友達がいない。詩人たちは聲に無関心である。竹勇さんには感謝。年金も僅かしかない私にとってCDは生活のための資金になる。詩集も手作りでしかもう出せない。上野さんからこれで良いと言われた。そして「新生」を褒めてくれた。詩で生活をしている人は誰もいない。いないというより出来ないのだ。詩の世界はすべて持ち出しである。私はこれからも詩人でありたい。そして詩語り人でいたい。それ以上にすべての人々が幸せであることを祈念して詩を書き続けてゆきたい。
このところ鬱的状態が続いている。嫌なことが思い出されているからだ。私は執念深い人間なのかもしれない。だからこそ仏の道を求めているのだろう。
魂の籠った言の葉を書きたい。素直で素朴な言葉を誰でもが受け入れられる世界を求めたい。詩語りの世界も、詩を書くことでいろんなことが視えて来るものだ。聲を出しているだけでは解らない世界がある。詩は自分を見詰めるには最高の思考方法である。
詩誌受贈『日本海詩人・49号』
詩集受贈『坂井信夫詩集・渇きと眠り』
保坂さんが明日退院できそうだ。ほっとした。
台風5号で大きな被害が出ている。この台風は雨台風だ。台風はこれから増えて来るのだから、先が思いやられる。ここ二日間東京は高温注意情報がでた。わが家もまるで蒸し風呂のようになった。立秋を迎えたのに本当の暑さはこれからだ。
詩集『南無』の手作り詩集三十冊がやっとできた。前回の詩集で買ってくださったか方が二名いた。心から感謝をいたします。
「原爆ドーム」という詩を書いた。一人ひとりの命の重みを書き続けねばならない。
詩人は宗教や政治という問題を詩に繰り込むことを嫌う詩人が多いが、そんな小さな料簡の詩人は情けない。詩というものはこの世のすべてのことに思考をめぐらさねばならない。詩壇なんていうつまらない世界に足を踏み入れると詩人馬鹿になることが多い。知名度や賞にこだわることは馬鹿馬鹿しい。七〇刷近く詩集を上梓していても賞という名のつくものを一つも貰っていない。それは詩が下手だからかもしれない。それでいいじゃないか。いのちを懸けて書くテーマを持っていることは最大の幸せである。みんなの幸せを求めて言の葉を求めていければそれでよい。
近所の銭湯が今日で終わる。私にとっては大変なことだ。今は亡き、亀岡さんのように遠くまで自転車に乗って行かねばならない。
昨日、山本竹勇さんからありがたい言葉をいただいた。CD「曽根崎心中」を褒めていただいた。これこそ魂の聲だと。そして詩集もすぐに読んでいただいた。
詩集『野の草など・41号』
「戒め」という詩を書いた。湧き上ってくる言葉を詩の形にして書いているだけだ。詩とはまさに湧き上る言葉のコピーでもある。といっても詩集の題に沿って詩作しながら書き進めている。単なる漠然とした言葉ではない。このところ詩を書きたいという欲求に駆られている。未知の言葉との出会いに楽しみを感じるからである。
朝顔の葉に、アゲハチョウが眠るためにとまっていた。そっと見守る。
今朝は激しい下痢である。ときたまこのような事態がおこる。血糖値がまた上がり始めている。当分は注意しなければならない。
ここ数日涼しいので助かる。三日ぶりに詩を書いた。いま手作り詩集『南無』の制作中である。一日に五冊しかできない。三十部なので一週間で出来上がる。身体的にもこれが限界だ。
今日は内科の定期検診日である。血液検査やその他で半日はかかってしまう。
昨日川崎のヨドバシに出かけた。すぐに一万円を出てしまう。
「操車場」全部発送が出来た。詩誌も詩集も全部手作りで制作するのは多分私ぐらいであろう。詩を公表してゆきたいという情熱だけで行っている。大切なのは情熱だけが生きてゆく上で求められている。そして詩集も100冊までは頑張って上梓してゆきたい。
『操車場・120号』昨日、参加者に発送が出来た。右肩が痛む。無理をして仕事をしたからかも知れない。仕事中はバッハの音楽を聴きながら行う。
私にとって心を癒してくれるのが音楽である。といって昔ほどCDを聴かなくなっている。ここ数年CDを一枚も購入していない。逆に部屋の整理のために売り払っている。まるでただみたいな値段で買われる。
台風5号の行方に心配だ。今年はいつもの年より台風が多いと言われている。
日本はアメリカによって戦争への道に引きずりこまれる恐れがある。憲法九条を守らなければならない。武力では何も解決しない。そして核の廃棄を目指していかなければならない。平和がいちばん尊い。
保坂さんより電話があった。思ったより元気そうであった。早く退院できることを祈るばかりだ。
最近のコメント