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2017年7月31日 (月)

田川紀久雄日記

一週間で詩を五編書いた。昨日は「風のこころ」を書いた。書けないと思いながらパソコンに向かってると自然と書けてしまう。これも手作り詩集が出来るお陰だ。
まだまだ思うように歩けない。何時ライブができるのかは解らない。それでも稽古だけは怠らないでいる。

2017年7月30日 (日)

田川紀久雄日記

昨日、「自然(じねん)仏」という詩を書き上げる。仏教という枠を越えて、私にとっての仏を捉えてゆきたい。詩の形を借りて私は真(まこと)の世界を探求しているのかもしれない。だから書きたいことしか書かない。詩というものはそれでよいのだ。詩は遊びではない。人生との闘いの記録でありたい。

2017年7月29日 (土)

田川紀久雄日記

近所のホームセンターでやっと扇風機を買う。今日配達されてくる。これで少しは涼しくなるだろう。昨夜はとても寝苦しかった。
心の病は、未来への希望を持たないと生きていることじたい苦しみになる。この未来とは今どう生きるかということでもある。自然との調和を持つことも必要だ。心の病はマイナスばかりではない。芸術家にとっては大きな豊かさをもたらすものでもある。
詩誌受贈『鹿・147号』

2017年7月28日 (金)

田川紀久雄日記

稲田防衛相が辞任の方向と新聞に書かれている。彼女の無能ぶりは明らかだ。そして民進党の蓮舫代表も辞任するという。蓮舫さんの国籍問題はたんなる嫌がらせとしか思うない。いまの民進党では、国民がいまいち応援出来ない面がある。原発の問題にしても廃止を明確に打ち出していない。東京都の小池さんにしても、私は不安がある。本当の所、国民の受け皿がない。政治への不信だけが広がっている。
昨日「母の祈り」という詩を書いた。
画集受贈『高須賀優・夜の衣を返す』

2017年7月27日 (木)

田川紀久雄日記

詩集『新生』は、「操車場」の同人しか送らないと思う。もうむやみに詩集を送ることを止めた。Uさんに読んでいただいた。温かい励ましの言葉をいただいた。いま私の詩集を丁寧に読んでくれるのは彼しかいない。それは同じテーマを追いかけているからでもあろう。Uさんの詩も私に勇気を与えてくれている。このように前向きで詩と闘うことで新しい自分が拓かれてゆく。

2017年7月26日 (水)

田川紀久雄日記

昨日、同じ部屋に入院していた人に会ったが、私と同様に思うように歩けないでいる。手術は痛みを取ってくれたが、歩行は許には戻らないでいる。この暑さではなかなか歩行訓練ができないでいる。足の筋肉を付けなければ、どんどん足は衰えていく。
昨日、詩が書けたことは嬉しかった。
詩誌受贈『詩遊・55号』

2017年7月25日 (火)

田川紀久雄日記

整形外科の定期検診日である。
「操車場・120号」の原稿が揃う。印刷から発送までに一週間もかかる。
毎年豪雨が増えている。いつどこで起こるか解らない。河川の在り方を見直さなければならないだろう。秋田でも大変な被害がでた。
国会は、言ったいわないでの押し問答で終わっている。ますます政治嫌いな人が増えていくだけだ。安倍総理の説明は信じがたい。ますます不信が高まるだけだ。

2017年7月24日 (月)

田川紀久雄日記

Hさんが、胃がんで入院したという知らせが届いた。彼は私の詩集を印刷してくれた人だ。以前から胃が痛むといっていた。とても心配である。私も最悪の状態で病院に駆け付けたのである。そこで末期ガンだと宣告された。無事に退院してもらいたいと祈るしかない。心がが痛む。

2017年7月23日 (日)

田川紀久雄日記

新しい詩集『仏への道』を書き始める。これは入院中に考えていたテーマである。信者にはなれないが、仏とは私にとっては自然の一部でしかない。神でもよいのかもしれない。一番身近なもので、ある意味では一番遠い存在でもある。信仰という立場で書くのではない。類を越えた祈りとして描きたい。それが本当に描けるかは解らない。ゆっくりと書いていこう。

2017年7月22日 (土)

田川紀久雄日記

昨日やっと「曽根崎心中」のCDの制作を行う。これはくずれ三味線詩語りである。頒価1000円でお分けします。いまは三味線が出来なくなり懐かしい録音です。またこのような聲が出さなくなり、老いの境地の聲を求めて詩語りの精進に励んでいる。
詩誌受贈『リヴィエール・153号』

2017年7月21日 (金)

田川紀久雄日記

物価が上がっても年金は上がらない。僅かしかもらえない私にとっては、日々の生活は苦しくなっていくばかりだ。アベノミクスは誤りであった。お金持ちは株で儲かったかもしれないが、貧困層にとっては苦しいものであった。
明日は土用の丑の日であるが、ここウナギなど食べていない。いつもアナゴでごまかしてきた。東京の高島屋の裏にある「あなご屋」というお店のアナゴはまるでウナギのような味である。この店にも何十年も行っていない。南武線の矢向の駅の前にアナゴ弁当の店がある。横浜にはアナゴが取れる漁港があるが、庶民の所には入ってこない。アナゴは天ぷらが一番おいしい。

2017年7月20日 (木)

田川紀久雄日記

安倍総理は末期的な事態になっている。もう安倍総理が何を言っても国民は信じられないと思っているからだ。トランプ氏も国民からどんどん離れて行っている。これ以上、支持率が低下していけば政権を維持することは不可能に陥る。
日本の福祉政策はなかなか前進しない。あまりにも無駄遣いが多いからだ。弱者切り捨てが都合が良いからだろう。老々介護の問題が一歩も前進しない。一人一人が人間らしい生き方が出来る世の中は遥か先の話なのか。

2017年7月19日 (水)

田川紀久雄日記

日野原重明氏が105歳で、延命措置を望まずに自宅で亡くなった。人のために生きる生き方こそ最大の幸せなのかもしれない。
世阿弥の「風姿花伝」の世界観が自然に感じられるようになってきた。聲がそれほどだせない今、新しい花が咲き始めて行くような気がしている。華やかさではなく、静の中のしぐさこそ本当の花なのだろうと思うようになってきた。そこに魂の聲が生まれるのであろう。静けさの中に熱い世界が横たわっているのだ。いま詩語りは楽しくなってきた。

2017年7月18日 (火)

田川紀久雄日記

昨年の夏と今年の夏の暑さは別物だ。地球の温暖化は年々増している。トランプ氏のような自己主義ではアメリカは亡びるであろう。
クーラーのない家では、寝苦しい日々であろう。北海道でも予想外の暑さだ。クーラーをつけぱなしだとどうしても身体がだるくなる。詩語りの稽古も朝しかできない。昼からの暑さだと外に出れないでいる。足の歩行訓練もままならない。何時になったら浜川崎まで歩けるようになるのだろうか。

2017年7月17日 (月)

田川紀久雄日記

詩集『花束』を昨日書き終わる。これで未完詩集六冊になる。今年の秋あたりから限定三〇部で上梓していく予定。最低の予算で最低の部数で発刊していく。病気でもしたらお金がかかる。そのためにいくらかでも蓄えないと大変になる。老いるといろいろとお金がかかる問題がでてくる。どこからも借りる当てがない。相棒にも心配をかけられない。
私は詩語り人なので、公孫樹の下で語れるだけでもありがたい。
今年の夏は特別に暑い。扇風機がないので安いので良いから買わなければならない。

2017年7月16日 (日)

田川紀久雄日記

介護保険の支払いの振込用紙がくる。ある友人から支援していただいたが、右から左に出て行ってしまう。でも、もしカンパがなかったら、悲惨な状態になっていただろう。私はお金がたまらないようになっているようだ。だから手作り詩集やCDを制作して少しでも売りたい。義理で買ってもらうのではなく、それなりに感動を与えるものを作りたい。
足立美術館から、山本陽子・岡崎精一郎・篠原道生・春山清四人展の案内状と招待券が送られてくる。2017年8月5日から10月22日までである。四人は詩人であった。そして絵を残した。山本陽子全集は漉林書房から上梓ている。今は絶版になっている。

2017年7月15日 (土)

田川紀久雄日記

劉暁波死の扱いは、中国の恥である。一党独裁の国家には人間性がまったく感じられない。言論の自由がない国家は、魂を失った物体のようなものである。日本の共謀罪は、人間の心を委縮させるものである。
昨日は、苦しみながら一篇の詩が書けた。作品が良いか悪いかはもはやどうでもよい。自分が求めている世界を描くことが出来ればそれでよい。ひたすらこの世の平和を願うのみだ。そして多くの人の心に言の葉の花束を手渡ししてゆきたい。

2017年7月14日 (金)

田川紀久雄日記

朝、部屋の中の湿度が90パーセントもある。これでは体調が悪くなるのは仕方がない。東京は雨が降らない。夕立でもあればいくらか過ごしやすいのだが、これも望みがうすい。関東地方でも場所によっては豪雨の所もある。九州の被害地区は猛暑で避難している人たちは大変である。心のケーアが求められる。体力もなければ金もない。ただ祈るしかない。
昨日も詩が書けた。あと三篇書けば「花束」が完成する。

2017年7月13日 (木)

田川紀久雄日記

暑いのは日本だけではなく、世界全体が暑いという。この暑い中でも詩語りの精進をしていくことが大切である。精進することで、他者と違った聲を産み出せる。聲の力が落ちたといっても努力することで新たな境地が生まれてくるものだ。他者に披露することがなくても自己の生き方の問題として精進をしていくことが私には求められている。
昨日も一篇の詩を書いた。上手くいけば今月中に「花束」が完成するかもしれない。

2017年7月12日 (水)

田川紀久雄日記

梅雨はもう東京では終わっているのでないのか。30度以上の日々が続いている。寝苦しい日々だ。身体の調子も狂ってきている。
一年一年と夏の温度が上がっている。川崎ではクーラーもないアパート生活者が多くいる。貧困層の対策が日本は遅れている。「操車場」の年間購読者には感謝している。雀の涙ほどの年金では電気・ガス・水道代で消えてしまう。相棒が私の生活を支えてくれなければ、餓死してしまうありさまだ。せめて詩の世界の中に希望を見出して生きるしかない。

2017年7月11日 (火)

田川紀久雄日記

昨日も詩が書けた。今の自分の詩語りの姿を見詰めたものだ。かつてギリヤーク尼崎さんの最後の大道芸で身体があまり動かない中でのじょんがらは良かったという。一心に生きている人の芸は、どのような状況でも凄いものである。
私も人前で語ることがなくなったいま、一語に込めた語りを追い求めている。聲はそれほど出せなくなっている。でも内なる聲の中にこそ真実の聲が秘められているものだ。今それを追い求めることは悦びとなっている。本当は多くの朋と分かち合いたいのだが、それは不可能だ。しかし、詩の中でならば、いくらかの可能性が期待できるのではないかと思う。

2017年7月10日 (月)

田川紀久雄日記

三日間続けて詩を書いた。手術前の詩を書く調子が戻ってきた。書かねばならないという肉体的な要求が湧きあがっているのかもしれない。ほとんど人と会うことのない生活を送っている。書く悦び、語る悦びそのことで宇宙の中心に向けて思考していける。

2017年7月 9日 (日)

田川紀久雄日記

昨日、九州豪雨の被害者に応援歌「心の花束」という詩を書いた。
毎日が猛暑だと公園で過ごす時間もどうしても短くなる。腰がまだ悪い私には、外で過ごすのはちょっときつい。夜も熱帯夜で寝苦しい日々が続いている。

2017年7月 8日 (土)

田川紀久雄日記

九州の豪雨は想像を超える被害がでている。救助している人たちも大変であるが、行方不明者を早く探し出してほしい。
私は何もできないが、せめて詩を書きながら祈るだけだ。「心の花束」という詩を書き始めている。そして亡くなった人たちに向けて公園でいつものように鎮魂歌を語るしかない。
詩誌受贈『北方文学・75 号』
詩集受贈『杉原美那子詩集・トランジット』
図書受贈『柴野毅実著・言語と境界』

2017年7月 7日 (金)

田川紀久雄日記

昨日詩「愛の心」を書く。詩集『花束』を半分書き終わった。いつものペースにはおよばないが、八月中には仕上げたい。来月には手作り詩集『新生』を上梓できる。限定三〇部なので、ほとんどの方には贈呈ができなくなります。これも生活のためには致し方がありません。ひたすら追い求めてゆきたいテーマだけを書いています。私は書いた詩を公園で宇宙と交信していればそれで充分なのです。私の愛の心がこの地球に鳴り響いていければ幸いです。ただそれだけです。

2017年7月 6日 (木)

田川紀久雄日記

九州は豪雨で大変だ。ある意味で異常な状態だ。自然災害は悲しいものだ。県や国の温かい援助が求められる。
暑くなると熱中症で倒れる人が出てくる。老いて来ると暑さを感じるのが鈍感になる。私などもそのようなことが起こるかもしれない。暑いくても冷房を入れないまま過ごしている時もある。注意しなければならない。
詩誌受贈『光芒・79号』
詩集受贈『津坂治男詩集・花・マイちゃん』

2017年7月 5日 (水)

田川紀久雄日記

台風3号が夜中あっというまに関東を通り過ぎて行った。しかし大変な目あった地域もある。
希望と未来の世界を見詰めて詩を書いてゆきたい。融和を求めた社会づくりを目指して人間の心を豊かにいていかねばならない。妹が私に託したみんなの幸を求めて讃歌を語りたいものだ。苦しみの中で希望を語りたい。

2017年7月 4日 (火)

田川紀久雄日記

昨夜は熱帯夜であった。眠れない夜であった。トルコでは熱風で45度あったという。地球がますます温暖化になっていく。海水があがってイカが取れない。好きな塩辛が食べられない。トライプ氏の温暖化無視は困ったものだ。
九月に発行予定の手作り詩集『新生』を作り始める。限定30部なので気が楽である。私は公園で語るだけなのでこれで充分だ。クーラーを取り換えるためには詩集にお金をかけられない。内容のある詩集を作ることに努力するだけだ。

2017年7月 3日 (月)

田川紀久雄日記

都議選で自民党が大破する。これは安倍内閣に対する批判である。国民の聲を受け入れないつけである。しかし都民の大勝利は喜ばしいことではない。素人が議員になってもそのつけがどこかで現れてしまうものだ。
藤井四段が破れる。よくここまで戦ってきた。
昨日詩を一篇書き上げる。共生への道について書いてみた。

2017年7月 2日 (日)

田川紀久雄日記

私は老いを感じていても、老人ではない。精神的にはまだ若い。そこには生きる希望を持っているからだ。マイナス思考からは何も生まれてこない。いまは思うように歩けないが、また詩語りライブを行いたいという強い意志を持っている。仕事の依頼があればタクシーを使ってでも出かけてゆきたい。そのために毎日公園まで行って稽古を行っている。内なる聲を表現できたらと思っている。

2017年7月 1日 (土)

田川紀久雄日記

昨日プリンターが印刷が出来なくなった。つまりコピーが出来なくなってしまった。それでも参加者だけには「操車場・119号」を送ることが出来た。毎月印刷が多いのだから、故障するのもしかたがない。
東京電力の福島事故の裁判で、勝俣元会長たちの津波に関して彼らの責任逃れにあきれてしまう。これでは津波で亡くなっていった人たちの魂が浮かばれない。それと今の自民党のありさまはあまりが酷すぎる。国民に対して説明責任を果たさない。官邸の態度には呆れ果ててしまう。生活貧困層が増えているのに、その対策が何もできていない。どんどん高齢者が増えている。未来の不安が募るばかりだ。

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