田川紀久雄日記
今月も今日で終わりだ。詩を書かなかったら、自分が何をしていたのかまったくわからない。一日が無為に終わってしまう。定年後の人たちは何を求めて生きているのだろう。いま老人の数は人口の何割を占めているのか。人を幸せにする仕事を見つけて生きたいものだ。
文学も他者を幸せにする仕事の一つである。しかし、現代詩を考えると、そのような感じはしてこない。詩そのもののエネルギーが衰えているとしか思われない。人の心に響く詩を書いてゆきたいものだ。そして詩語りのライブを増やしてゆきたい。
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今月も今日で終わりだ。詩を書かなかったら、自分が何をしていたのかまったくわからない。一日が無為に終わってしまう。定年後の人たちは何を求めて生きているのだろう。いま老人の数は人口の何割を占めているのか。人を幸せにする仕事を見つけて生きたいものだ。
文学も他者を幸せにする仕事の一つである。しかし、現代詩を考えると、そのような感じはしてこない。詩そのもののエネルギーが衰えているとしか思われない。人の心に響く詩を書いてゆきたいものだ。そして詩語りのライブを増やしてゆきたい。
トランプ氏の政策によって世界が危機に陥る可能性がある。いま大切なのは平和を守る勇気である。イスラエル問題も大変だ。彼はまるで赤ん坊のようだ。原因は資本主義の限界にアメリカがあったということなのだろう。まるで宇宙で何かが爆発したようなものだ。
年金も0・1パーセント引き下げだ。低所得者たちはますます追い込まれていくだけだ。家を持っているだけで生活保護が受けられない。何とかして詩語りで収入を得たいものだ。それだけの語りを求めていかねばならない。未来は不安だらけである。
詩を一篇書くのに一週間もかかってしまった。「愛語」というテーマを詩で書き続けるのはやはり大変である。困難なテーマに向かって書き続けねばならない。トランプ氏の出現によって世界情勢が大きく変わってしまったからだ。このような時代だからこそ他者への思いやりを深めていかねばならない。
詩語りで、聲にテキストを乗せて語るのか、テキストに聲を乗せて語るのかでは随分違うものである。最近はテキストの上に聲を乗せる方法で語り始めている。その方がテキストが聴き手にも解るからだ。この問題はもっと深めて精進してゆきたい。
詩文化には市場がまったく存在しない。庶民にはこの世に詩というものが存在していることすら知らない人たちが多い。人々の心に寄り添っていないということなのだろうか。
詩人という名のつく人たちのほとんど知らない人が多い。詩誌の交換がなければ、詩と触れ合う場がほとんどない。このような状況で詩文化が保たれるのであろうか。
リヴィエール150号が送られてきた。この詩誌の前身が『月刊近文』であることを知った。この詩誌は大阪で伴勇さんが主宰していた。ここで多くの詩人たちは詩集を出していた。今の若い詩人たちは知らない人も多い。自分で印刷をしながら詩誌を出していた人で東淵修さんがいた。彼の朗読は独特であった。もうこのような詩人はいないだろう。詩人で魅力な人が少なくなっている。詩人にとって大切なのは情熱があるかということだけだ。私の周囲を見ても寂しい限りだ。
昨日はめまいが数度した。意識が薄れそうになった。血糖値も上がってしまっていた。身体に気を付けねばならない。
私の詩集もあと数冊が上梓できるかどうかわからない。基本的には無理して詩集を上梓しなくてもよいと思っている。大切なのは、詩を書き続けて行くことだからだ。詩誌「操車場」もあと二人ほど参加者が増えないと、送料代が出てこない。購読者以外に送れなくなるかもしれない。現在百人ほどの人に送っている。あとは自然の流れに任せるしかない。
今日は、定期検診日である。午前中病院で過ごすことになる。
詩がどうしたら苦しみ悩む人たちの力になれるのだろうか。世の中がますます生きずらい世の中になりつつある。詩の力で少しでも人に生きる勇気を与えられる作品を書くことではなかろうか。それは作為で書くのではなく無作でなければならない。宮沢賢治の『雨ニモマケズ』の精神こそが求められている。でも実際はそのようなことはできない。いま一人が生きるのが精一杯の時代だ。ほとんど収入のない私が生きていること自体が不思議なことである。私が願うのは、心温まる詩語りを行うことである。しかし、未熟な私の聲ではいまだに聲が他者の心に届かない。ひたすら精進を積み重ねるしかない。愚直に生きるしかない。つまりデクノボーとして闘うだけだ。
やっと詩語りで語りたい詩集に出会えた。その詩集は『新生』である。数日前から公園で語っている。他者に向けての思いやりが込められている詩集だ。いま『愛語』という詩集に取り掛かっているが、この詩集も多くの人に語りかけてゆきたい。体力的にも金銭的にも他者に対して何も出来ない。私に出来ることは詩を語ることである。そして人々の心に届く詩を語らねばならない。言の葉こころを通して他者への求望を求めていくしかない。詩人たちからは私の詩語りは嫌われているが、それは致し方がない。詩を読むのではなく、心を語ることを目指しているのだから。他者と分かち合える詩語りを求めてこれからは新しい旅を求めてゆきたい。
詩誌受贈『詩遊・53号』
ライブの後は、毎回落ち込んでしまう。それは詩語りが未熟であるからであろう。詩そのものが面白く楽しいものでないからだろう。本気で詩の朗読をおこないたいという詩人がいないことは寂しいものだ。だんだん詩人たちとの距離が離れてしまっている。朗読のことや詩のことを本気で語り合うことがない。特に詩語りの世界は、詩人たちの朗読とは考え方がまったく異なっているから会話が成立しない。一般の詩人たちの朗読は、褒めてもらいたいことが大切なことのようだ。そのようなことで朗読する態度が私には耐えがたいことである。詩も芸能の一部である。こういうことを詩人に言うと嫌われてしまう。芸能である以上、お客のために懸命になって精進を積み上げていくことが求められる。詩人たちの聲は、いまだ聲になっていない。聲は厳しい修行の中からしか生まれてこないものだ。
昨日、登戸まで一人で行った。ただそれだけのことでも元気が出る。いままで一人で出歩くことが出来なかったからだ。これなら人のライブを聴きに行けそうだ。
この度のライブの録音が失敗してしまった。機械音痴な私には、ときどき操作を誤ることがある。
高齢者健康保険が送られてくる。高齢者などと名を付けてある保険者など差別的な要素がある。七十五歳以上が高齢者だという。これにはお金のかかる老人という意味もある。老人という定義も昔とはだいぶ異なっている。しかし老人の車の事故が増えている。六十代だとまだ老人という感覚はないだろう。身体に違和感を覚えるのは七十五歳あたりからかも知れない。私は何としても歩ける能力を取り戻したい。そしてライブを行ってゆきたい。
私の詩語りを認めようとしない人たちがいる。私の聲はかつての昔の日本人がもっていた聲である。詩というものは感情を出して語る者ではないと思っている人たちが多い。
いま詩人たちの朗読を聴いていて楽しいと思う人はいないだろう。このようなことを言うから、詩人から私の聲を批判するのだろう。私は、本物の魂の聲のを語りたいだけなのだ。私の心に歓びを与えてくれる詩人は存在しないのだろうか。魂に響く語り手は何処にいるのか。聲と真剣に向き合っている詩人がいない。
これからのアメリカは何処に行こうとしているのだろうか。思いやりのない個人主義の国になったら最悪である。いまの日本も貧富の差が拡大している。息苦しい世の中だ。
詩集受贈『成見歳広詩集・リルケの砂場』
今日はライブがある。二月に一度のライブである。ここでは録音を採るのが目的である。
詩人は、現実的には何の人の役にたたない。しかし未来に拓かれる言葉がある。誰のために役立つということは言えないが、必ずどこかに詩人の言葉を望んでいる人がいるということだ。若いときに、杜甫に出会わなかったら私は詩人になっていない。杜甫も無念の中で生きていた。詩人にとってこの無念さが大きな意味を持つ。そして不幸は詩人にとって宝となって人生を導いてくれる。
失語症でなかったら、詩語り人になることもなかった。私の人生を破壊した失語症が、私の人生の未来を導いてくれている。語れる悦びをもっと味わうべきである。そして愛語の精神を持って詩を書いていくことだ。
詩では飯が食えないのは、昔からである。詩は、魂の聲のだからだ。魂の聲のというものは商売にしてはならないと決まりがあるようだ。といって仙人のように霞を食べて生きている訳にはいかない。詩集代ぐらい自分で稼いで作るしかない。詩集を作ってもほとんど売れないのが現実だ。良い詩集だと思って方が、カンパや詩集代を送ってくれることもある。本来詩集というものは買って読むものだ。そうすれば必ず読むからだ。若いころは詩集など誰も送ってくれる方がいなかったから、自分で買って勉強したものだ。今でも古書店で詩集を買ったりしてる。しかし最近では詩集を扱う古書店もなくなっている。地元の図書館も、一年を過ぎると処分してしまう。
学校で詩を書かせる授業が求められている。心を書く授業がいかに大切であるか。そうすれば相手を思いやる心が身につくであろう。詩人は心を書くことを永遠に続けている人のことを言うのである。
操車場115号の詩の原稿が揃う。
ここ数日詩を書き続けている。詩がいまの人たちの心を打つことが少なくなっている。でも必要であることには変わっていないはずだ。音楽と同じように心に響くものでなければならない。
詩人は、詩を読者に手渡すことが不器用である。朗読も大切な手段であるが、聴き手の心に響く力を身に着けていない。却って聴き手に嫌われてしまう。スポーツ選手のようにプロ化しなければならないのかもしれない。詩人クラブの例会で朗読の場が設けられているが、優れた朗読家のプロを招くことも必要である。なんでも平等に会員に朗読させるのは意味がない。詩人はもっと人前で朗読の経験を積む必要がある。詩の世界には、そのような場が少なすぎる。私たちの詩語りの会は、そのような場を設けているが訪ねてくる詩人がほとんどいない。詩を読者に手渡すことをもっと真剣に考えてゆきたい。
私は、文学という枠をこえたテーマで詩を書いている。詩ではなく、詩という形式を借りていのちの在り方を描いている。私にとって詩であるとか、ないということはもうどうでもよいことである。
いのちのあるものは、みんな美しい。鎮魂歌を語るのも、死にも命がい宿っていると思う。いのちは循環しているものであるからだ。命というものは眼に視えるものだけがいのちではない。
詩誌受贈『みえ現代詩101号』
昨日「愛語」という詩を書いた。今書いている詩集の題を『愛への捧げもの』から『愛語』に変えることにした。
保坂さんの所で印刷が出来なくなれば手作りで詩集を作っていけば良い。だからどんどん詩を書いていけば良い。それもCD入れ三〇部限定で、注文が来たら制作すればよい。詩人にとってパソコンが一台あれば、詩誌も詩集も、そしてCDも制作していける。便利な世の中になったものだ。大切なことは、本当に読者が読みたいものを作ることだ。これも愛語の精神である。
ここ数日落ち込んでいる。これはライブを前にして語りに納得が出来ないでいるからだ。『届く聲を求めて』を語る予定にしているのだが、テキストの内面がうまく表現できないでいるからだ。この作品はお客に向かって語るというより、自分自身に向けて書いてあるためでもある。でも、この作品を書いたことによって、詩語りも一歩前に向けて歩けるのだ。
詩の朗読を行いたいと思う人には参考になると思う。詩を朗読していても、お客に聲がほとんど届かない。その苦しみをやはり克服していかねば、詩の朗読はいつまでたっても虚しい世界でとどまっている。
詩誌受贈『飛揚・64号』
本当に寒い。冬将軍がどかっと居座っている。雪国の人たちの苦労は大変なものだ。
この度の詩集『いのちの泉』は思ったより好評である。でも私にとっては、もう過去のものである。新しい世界に向かってつねに前向きに生きて行かねばならない。詩集というものは、一度や二度読んで解るものではない。上野芳久さんの詩集も、読むたびに深さを感じさせてくれる。自分という生き物と闘っている人間はつねに新しい。その根底には生への讃歌が秘められていなければならない。詩語りも、この讃歌に向かって語ってゆくことが求められている。
眼がだんだん悪くなっている。新聞の文字が読めなくなっている。パソコンを打つ時は文字を大きくして仕事をしている。本が読めなくなるのは辛いが、そのぶん自然の自分を観察するのが楽しみなところがある。
今年初めていちごを買って食べた。三八〇円でまあまあの値段であった。いま一日千円ではやっていけなくなっている。いちごも月に数度しか食べられない。魚が高い。近海で魚が取れなくなっている。温暖化の影響がもろに家庭生活に結びついている。テレビでタレントたちの豪華な食べ物番組を見ていると、腹立たしく感じてしまう。最近のテレビは、庶民を馬鹿にしているような番組が多い。ますますテレビを見なくなっていく。
今年は、茨木に山桜を見に行こうと相棒と話している。
日本海側は、大雪だという。暖房費が大変だろう。今の私たちの生活費では暖房代が賄えないだろう。毎日が雪だと鬱になってしまうかもしれない。神奈川県に住んでいると、寒い地域には住めなくなる。雪が降ったとしても一年で数日しかない。
昨夜は、勝負師の夢を見た。スポーツ選手はつねに勝負の世界しかない。このような生活はやはり辛いものが多いだろう。現役生活も三〇代か四〇代で終わる。早い人になると数年で終わってしまう。過酷な人生である。夢をかなえられるのは、ほんの一部の人たちだけだ。
私の詩の人生は、やっとこの齢になって詩の世界が視えてきた。詩は若者の世界だと思っていたのが、老人の世界になって花が開くなんて奇妙なものだ。詩は、才能というよりも経験の積み重ねの世界である。人生の深さを味わうのもまた楽しいものでもある。
いまの世の中は虐めが蔓延している。この中には無意識的ないじめもある。社会の仕組みで虐めに会うことが圧倒的に多い。電通の事件もその一つである。私がある企業に勤めていたとき、会社の目的は利益を上げることだと言われた。そこには人間性を否定してでも利益追求が求められる。この利益追求政策がトランプ氏の政策であったらいろんな摩擦が生まれて来る。宮沢賢治のいう全体の幸せがなければ、個人の幸せはない。その精神は失われてしまう。
詩人の仕事の一つには、人間が人間らしく生きられる道を求めていることである。歪んでいる心の病の救済を、心のアートにしていければ、豊かな世界が拓けてゆけるかもしれない。
私の詩集を二段組みで冊子のように作ると三二ページ収まる。お金が無くなったらこのような形で三十部ほど作成をする計画を立てる。そうすれば今までのように詩をどんどん書いていける。これはまだ数年先の話だが、製本の勉強もしたい。
魂を撃ちこんだ詩を書いてゆきたい。そして吟遊詩人として生きて行かねばならない。そのころは多分私も八十歳になっているかもしれない。哀しみを越えた生きる讃歌を語れる詩人になっているかもしれない。不屈の精神を持ってこの人生と闘っていく以外には未来はない。
新しい詩集『愛への捧げもの』に決める。その一作を書く。
今日、「操車場114号」の発送を行う。保坂さんのところで詩集の印刷が出来なくなったら、手作り詩集を作るしかない。未来への方向性を見詰めながら、詩を書いてゆきたい。要は詩が活字になればよいのだから。今の世の中は、パソコンがあれば、何でも可能になっていく。体裁などまったく気にしなければ、楽に生きて行ける。大切なのは、本当に読んでもらいたい作品を書いていくことだからだ。「操車場」の発行もその一つの方法である。お金がなくても発行ができる。無理をしない生き方が求められている。
詩集の発送の準備に一日かかる。本当に読んでもらえるのかどうか解らないが、送らなければ上梓した意味がない。一人一人の心の灯火に向けて詩の言葉はいのちのひかりを照らしていければ幸である。詩は、心に問いかけるものでありたい。詩集を聲で聴きたい方にはCDも発売しています。自作詩の詩語りも貴重なものです。
詩集も在庫が少数しかありません。読みたい方は早めに注文してください。『いのちの泉』漉林書房。CDの場合は直接注文でお願いします。
やっと詩集『いのちの泉』が届いた。十日には発送ができる。今年は、あと何回詩集が上梓できるのか解らない。
詩というものは、書ける時に書かないと詩の持つ緊張感が薄れてしまう。いつも傑作は出来るものではない。それは追い続ける緊張感があるから傑作も生まれて来るものである。俳句の世界では、一日に百句も書く人がいるという。書かなければ、一句も書けないと同じであるのかもしれない。
私の詩は、私の生き方を追い求めているものだから、どの詩集が良いかは自分ではいえない。詩集は人生の旅の記録でしかない。ただそれだけだ。
いま魚が高い。それに日本近海の魚がスーパーあまりおかれていない。物価が二割ほど上がっているように感じられる。私たちのように低所得者には生きずらい世の中である。
トランプ氏の気儘な発言で、日本の経済の行き先がまったく視えない。大企業の生産は賃金の安い国でものを作らないとやっていけないのだろう。そうすると自国では失業者が増えていく。この矛盾した経済の循環をどうすればよいのだろうか。いまのこの日本でも弱者切り捨ての政策がなされている。すべてが個人の責任だと言われても困る。将来の不安がじわじわと感じられる。恐ろしい社会がまじかに迫っている。
詩集『抱擁』が書き終わった。この詩集は割と難産であった。書くことで視えて来るものがある。テーマを深めながら前に進んでいかねばならない。ただ書いて終わることはない。それを公園で語り込んでいく。活字を越えて言霊として宇宙に放っていく仕事が残されている。出来ればお客の前で語りたいが、詩人の招いてくれる世の中にはまだない。でも私は自分に言い聞かせている。私は吟遊詩人だと。そして心の魂を語れる詩人だと。
これからも人々の心を豊かにさせられる詩を書いてゆきたい。
昨日は非常に身体が辛かった。動くこともしんどかった。陽気のせいなのかもしれない。ここ数日歩く訓練を控えなければならない。一年一年身体は衰えているのだろう。
詩集を一年で数冊も上梓する詩人はほとんどいないだろう。詩語りの道を追っていると、どうしても次から次へと詩集が生まれて来る。才能のない私が詩語りを求めるなんて不思議に思う人いるだろう。それは幼少時代の宿命から生まれてきたものだ。宿命を乗り越える人生との闘いでもあった。そのためにも詩を書き続けることで、宿命の道が拓けてこれた。末期ガンの宣告も私の運命を変えてくれた。苦難から希望が私のテーマになっていった。その轍を少しでも残しておきたい。
詩は、詩であって哲学や宗教ではないという人もいる。しかし、詩というものは、そのような小さな世界ではない。詩にはすべてのものが備わっていないとならないと私は考える。書き手が何を求めて、詩を書いているかということだ。それは何と言っても人生の体験が物を言う。要は、経験や体験から何を学び取っているかということでもある。
詩集受贈『冨上芳秀詩集・恥ずかしい建築」
今年は正月という気分になれなかった。それは何処にも出かけなかったからなのだろうか。孤独で過ごしている人も多かったのではなかろうか。
今年は何が起こるか解らない。生活苦の人たちが増えてくるような気がする。物価が上がり、収入は少しも増えない。資本主義体制も末期的な状態である。個人の欲望に支えられたこの体制では全体の平和が崩れていかざるを得ない。トランプ的な思考では、どうなってゆくのか。科学の発達によって人間の生活が豊かになると思っていたが、逆に貧富の差が拡大しただけだ。
元旦に詩「風は言霊」を書いた。あと三篇を書けば『抱擁』という詩集が書き終わる。哀しみに落ち込んでいる魂を何とか言霊で癒していける詩を書きたいものだ。心の抱擁こそが、この詩集の意味なのかもしれない。
いつもの公孫樹の下で『届く聲を求めて』を全編語る。一日一日を変わることなく暮らすことが大切なことである。それからCD『いのちの泉』を数枚制作する。定価千円です。
私は、ここ数年年賀状を出していない。年賀状を送っていただいた方に、詩集をお送りします。
「操車場・114号」を昨日中に仕上げた。正月はゆっくりしていられる。あとは一日一日を淡々として生きるだけだ。しかし世の中は、何が起こるか解らない時代になりそうだ。
詩では、心の豊かさを求めて作品を産み出してゆきたい。
詩集の印刷もどうなってゆくのかもわからない。そうなれば、CD付の手軽な詩集を作るしかない。部数も僅か三〇部ほどでよい。この先どうなるかまったく解らない。行けるところまでいければよい。
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