田川紀久雄日記
昨日は激しい下痢で悩まされた。暑いせいで冷たいものを飲み過ぎたのかもしれない。
『いのちの籠・33』を読む。崔 龍源さんの「ことば」がよい。全体にこの詩誌は心に響いてくる作品が多くある。テーマを決めて発表するのはそれなりの説得力があるものだ。政治的な詩を嫌悪する詩人がいるが、今の時代は言いたいことを言うことも大切である。ただ概念的な詩では困る。そこにはちゃんと自分の心がこもっていないと読む気にならない。なぜ書かねばならないのかを問うていない詩にはならない。戦争など好きな人はこの世にいない。本当は美しい世界を書きたいのだが、それを書かせてくれない状況が今の世界に漂っている。
詩人は自作詩を聲に乗せるのが苦手な人が多い。私も決して上手ではないが、書いた詩は必ず聲を天空に撃ちこんでいる。このことがいかに大切かを気付いている詩人は少ない。そして聴きづらくてもCDを制作して詩の言の葉こころを伝えてゆきたいと願っている。言葉を開放する。活字という狭い空間から宇宙に解き放つことで鎮魂歌になる。四十歳の半ばまでうまく言葉が話せない人間であった。そんな私が吟遊詩人になったのも宿命なのかもしれない。聲を放つことはうまいとかへたな世界を超えたものが秘められている。詩人たちは自分な好きな詩人の聲を聴くことも必要である。聲そのものが詩であるからだ。
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