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2016年8月23日 (火)

田川紀久雄日記

北海道は大雨で農作の被害が大きい。丹精込めて作った作物が雨でダメになるのは辛く苦しいだろう。自然の勢いは誰にも止められない。でも少しでも被害を食い止める方法はないのだろうか。
いま「むそう」という詩を書いている。むそうを漢字で書けば「夢想」「無想」になる。わが家を「むそう庵」と命名するのも面白いものだと考える。漢字よりもひらがなには無限なる広がりがある。ある意味ではいい加減だという人もいるだろう。日本人はこの曖昧さを好む民族でもある。またカタカナも面白い。漢字だけよりも心の豊かさを感じてしまう。私は『かなしいから』というひらがなだけの詩集がる。いつかカタカナだけの詩を書いてみたいものだ。カタカナは心の叫びを感じる。「シニタイ」「しにたい」「死にたい」では、その人のこころの心理が異なる感じがする。言葉には色がある。そして、その人の息ずかいも感じる。
朗読の世界では、ライセンスというものがあるらしい。そして等級もある。それを商売にしている世界でもある。詩の世界では、そのようなライセンスは無用である。詩はあくまで魂の聲のを求められている。一度ライセンスを持っている方が得意げな態度をとっていたので、批判をしたことがある。そのとき脇にいた詩人が「この人は朗読のライセンスを持っている人なのよ」と私をなじるように言った。このような人には詩を語るのは無理だと痛感したことがある。現代社会はなんでも免許性が流行っている。詩人たちが賞を取りたがるのも、ひとつの病の現れでしかない。いつも無念無想で生きていたいものだ。

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