田川紀久雄日記
もうすぐライブがあるというのに、いったい朗読とは何かという疑問が湧いてきた。それは一年近くライブから遠ざかっていたためであろう。自作詩を語る。ただそれだけのことだが、それは何を意味しているのだろうかと。他人に聴いて貰うということはそれなりの何かが求められている。小説や童話はそれなりに聴いていても楽しみがある。しかし詩の場合はストリー性もない。詩の朗読の魅力とは何にか、と問われても答えにくい。ひいていえば魂の聲としか答えようがない。といって朗読している詩人からはこの魂の聲のなど聴かれることもない。
私は詩語りという世界を産み出し、そこにいのちの聲を求めてきた。CDのタイトルも「祈りの魂」であった。そして公園では鎮魂歌を語り込んできた。そんな私がライブを前にして迷っている。今月は人前で語るのは二回もある。ライブという場を通してもう一度語りを考えることが必要なのであろう。『廻向』という詩集ももう一篇書けば終わる。
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