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2016年5月31日 (火)

田川紀久雄日記

詩を聲にだして語ることによって、活字では視えなかった世界が視えてくる。聲というものはものを考えるのは脳より優れているのかもしれない。そのことを昨日詩を書いていて明確になってきた。活字は眼で読む。しかし活字は耳で聴くことが本当は求められている。先日島村洋二郎の詩を語っていて、このような詩の朗読は聴いたことがなかったとある人から言われた。聲の表現は、意味を伝えるとともにそれ以上の心の感情を伝えることができる。それは心の魂を表現できるということだ。
現代詩が朗読されなくなっている。それは人々の心から遠ざかっているからだ。他者の詩に興味がなくなっている。眼で読んだだけで詩を評価している。他者に言葉を伝えようとしない。自己満足の世界で詩が書かれている。それだと当然朗読には興味が湧かないのも当然なことだ。『詩人の聲』でも詩人が聴きに来ることは少ない。私は詩人がいないところで詩を語りたい。吟遊詩人はつねに人々の生活の中で語りたいものだ。

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