田川紀久雄日記
詩人の朗読の基準は私の眼で評価していくいくしかない。他者の聲には耳を貸さない。あくまで自分で聴いて評価する。厳しく評価できる人が必要なのである。詩人同士の評価などぬるま湯的でいい加減なものである。詩人は有名人だと甘くなる。蜷川さん的な厳しい人が求められている。つまり命懸けで行う人を求めている。そのことによってのみ詩人の聲がこの世に存在する意味が生まれて来る。いまだに詩人の聲は生まれていないといった方が正しい。
福島の山はいまだに放射能数値が高い。茸や山菜に多量の放射能が含まれている。家の周囲だけを除染してこれで大丈夫ですといっているだけだ。被爆を受けた日本人がこのようないい加減な政府の姿勢で良いのだろうか。原発は再稼働はどこも中止して欲しい。いちど事故を起こせば、その後の後始末で莫大な費用がかかる。福島ではその費用も打ち切りにしていく。国民の生活など置き去りにしていく。帰還できないにもかかわらず、帰還できるかのように促していく。人の心の痛みに鈍感になっていく国民。悲しいことが多すぎる。だから詩語りで愛と鎮魂歌を語り続けていかねばならない。
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