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2016年5月17日 (火)

田川紀久雄日記

昨日は天童大人氏の朗唱を久しぶりに聴いた。ストーリー性のある詩を読むと朗唱の良さが消えてしまう。私の詩語りも、単なる朗読の世界になりかねない。
やはり詩を語るのは難しい。他者の聲を聴くことでいろいろと学べるものがある。学ぶことを怠ると芸の世界も小さくなってゆく。詩人たちの朗読が小さく感じられるのも当然なことだろう。他者に嫌われても良いから型を自分なりに身に着けることが大切なのである。でも詩人はその型を身に着けることを嫌う。いやそれまでの努力をしていない。ただ活字を聲にだしているだけだ。私のこのような考え方を詩人たちは否定するだろう。詩人の朗読会はみんな揃って活字を聲にだして読んでいるだけだ。芸は盗むものだと言われているが、詩の世界では盗むほどの芸を身に着けている詩人はいない。そのためには自分で見出していく以外にはない。それが評価されるかは別なことである。詩人は他人の朗読にはまったく関心がないことも事実だ。ある意味では虚しい世界である。だから詩人は賞を目指して動いている。悲しき存在者である。世間的なものはすべて捨てきって生きて行かないと本物は現れてこない。

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