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2016年4月30日 (土)

田川紀久雄日記

詩というものは、聲をだして味わうものである。現代詩という世界は、聲を出して読むことを拒否しているような気がする。ある詩人は早口で語ったりして聴いている方が疲れたりもする。多分これはまだ経験不足からであろうと思われる。お客に聴いていただくという姿勢が出来ていないからだろう。朗読というものは、簡単そうでありながら本当はとても難しいものである。私も三十年も詩語りをやっていても本当にお客に届ける語りが出来ていない。永遠に解けない方程式を解いているようなものだ。この悪戦苦闘することが詩語りの世界であるのかもしれない。
詩には、その人の魂を追いかけるものがないと私には興味がわかない。生きていてこの詩は私の心にも問いかけていのだというものを求めている。詩は単なる娯楽の一部であるのなら、もっと異なった世界を求める。詩は生きて行くに大切な世界である。ある意味では心の旅でもある。そのような詩は、詩人たちからは無視されがちだ。なぜ詩を書くのか、もう一度問い直すことが現代詩に求められているのではなかろうか?

2016年4月29日 (金)

田川紀久雄日記

上野芳久詩集『風のいざない』が届く。表紙絵もよい。それ以上に詩が素晴らしい。『おとずれ』のテーマを受け継ぎながら、心の温みを大切に詩の一篇一篇を編み出している。寺田操がいう「短編小説を読むように味わっていい」という言い方は詩に対して失礼ではあるまいか。詩は詩以外の何物でもない。私はこの詩集を何度も読み返すであろう。『おとずれ』も詩集がぼろぼろになるまで読み続けたように。この詩集もある意味では鎮魂歌であるからだ。
ヨドバシに行き、プリンターを買い求める。これで「操車場」も連休あけに発送ができそうだ。プリンターを印刷機のように使うので故障が多くなる。
詩誌受贈『みえ現代詩・99号』

2016年4月28日 (木)

田川紀久雄日記

またプリンターが故障した。連休が続くので修理まで三週間程かかるという。
「島村洋二郎生誕百年の集い」が5月20日(金)・21日に宮城道雄記念館1階講堂で行われる。20日に私の詩語り・島村洋二郎に捧ぐを語ることが出来そうだ。少しづつ歩くことをしていかないと、本当に動けなくなってしまう。吟遊詩人として生きて行くためにも前を向いて歩き続けたい。
『詩と思想・5』でりょう城さんが私の「もう一歩前に」を紹介してくれた。感謝。今までの中で一番良い紹介分である。
6月5日には上野芳久詩集「風のいざない」出版を祝う会がある。できたら出席したいものだ。私は60冊近く詩集を上梓しているが、いままで一度も出版記念会を行ってことがない。今日その詩集が届く予定だ。とても楽しみにしている。

2016年4月27日 (水)

田川紀久雄日記

詩集というものは、その人の人格を表現しているものだ。いくら技法を凝らして書いてもその人の人格を超えるものは書けないものだ。出来るだけ素朴で純粋なものを私は選ぶ。芸術は高級なものだという思考は私にはない。人はそれぞれ自由に書いていればよい。あまり難解なものは読むのに疲れるので、すぐに読むことができない。要はその詩から魂の聲が響いてくるかということだ。
もうすぐ連休が始まるが、私はどこにも出かけない。相棒も仕事だし私は語りの稽古がある。芸事は日々の精進が最も大切なことである。九九パーセントが自己との闘いしかない。苦しみを歓びへと変えていくのが日々の努力しかない。
詩誌受贈『詩遊ぶ・50号』

2016年4月26日 (火)

田川紀久雄日記

相棒の風邪が移ったらしい。咳と咽喉が痛む。それに右肩が痛む。肩の痛みはもう三年ほどになる。齢を取っていくことは、どこかが不自由になっていくことらしい。運動をすればよいのだが、それが出来ないのは辛い。
日常の流れは速く感じられる。この日記や詩を書かなければ、一日が存在したのかすら記憶から消え去っていってしまう。目標を持って生きて行かないと自分という存在がなんなのかすら分からなくなってしまう。時の流れに流されて生きているのもそれなりの意味があるのかもしれないが、一度ものを書く人間になってしまった以上、ドンキホーテのように虚空と闘ってゆくしかない。
物価の値上がりで、だんだん生活が苦しくなってゆく。何とかして詩語りの仕事が欲しいものだ。そのためにも足腰のリハビリに通わなければならない。困難な闘いの中からしか本物の世界が生まれてはこない。

2016年4月25日 (月)

田川紀久雄日記

やはり熊本の人たちは大変だ。中小企業がこのままだと潰れてしまう。仕事を失う。未来への設計図が引けない。東日本大地震でもそうだが、立ち直った企業はそれほど多くはない。いまだに苦しんでいる人たちがいる。大地震の跡の困窮といったら言葉では尽くせないものがある。
上野芳久詩集『風のいざない』が28日に出来上がってくる。定価三〇〇〇円 七月堂。読みたい方は是非予約をしてください。読みたい人の詩集というものは買って読むものだ。助け合う気持ちを忘れないでほしい。いまの詩人たちは他者の詩にあまり関心がない。詩を読まない人たちが多くなっている。ある意味ではそれだけ心に迫ってくる詩集が少ないということかもしれない。でも上野芳久さんの詩集は、心を打つものがある。前回の『おとずれ』が素晴らしかった。苦難と希望、そして平和への願いが込められている。

2016年4月24日 (日)

田川紀久雄日記

夜中に眼が覚めてしまった。そのまま朝まで迎えた。熊本の人たちを考えると、哀しみが湧いてくる。人も無力さを痛感する。でも大切なのは、自分が出来ることをやることが求められている。応援歌を公園で語るしかない。これは無意味なように思えても、決して無意味ではない。聲の響きは宇宙的な意味でも大切なのである。
昨日『沈黙』を印刷所に入れた。詩語りを追い求めて行くには、詩集を上梓していくことが大切である。聲との闘いの記録でもあるからだ。このようにしてしか、私は聲の道を追うことができない。詩集はある意味で聲の轍ともいえる。これは私が生きるために必要なものなのだ。だから詩の評判などなにも気にならない。朗読にまったく興味のない詩人には魅力を感じないかもしれない。反響を求めて上梓しているのではないのだから致し方がない。生きるということは自己との闘いなのだから、他者のことなど気にすることはない。
末期ガンで生きていることはつねに必死になって生きて行くしかないということだ。自分に負けた時が死ぬ時なのだろう。生きる闘いこそ熊本の人たちにも勇気を与えることになる。

2016年4月23日 (土)

田川紀久雄日記

熊本の人たちはこれからが大変だ。もしこのような大地震が東京で起きたらと思うと恐怖に駆られる。わが家は倒壊するだろう。火災保険にも入っていない。家もおんぼろだ。それにお金もない。東京の直下地震の可能性が三十年内に起こると予測されている。東京にはまだ狭い裏路地が多い。先の不安を考えて生きていられない。
それよりいま書かなければならないことを書いていくことが求められている。そして、その詩が普遍性を持っているかが大切なことである。昨日も一篇の詩を書いた。もっともっと命を掘り下げた言の葉こころを詩にしてゆきたい。

2016年4月22日 (金)

田川紀久雄日記

市民の助け合いが進んでいる。行政がどこまで支援してくれるのか疑問が残る。
私は昨日二篇の詩を書いた。これは心の助け合いをテーマにしたものだ。詩人には心の助け合う詩を書くことが求められている。未来にも関わってくるテーマでもある。現段階では物資が求められているが、最後の援助は心のケーアである。詩人の価値とはやはり生きることに勇気を与えられることではなかろうか。本当の現代詩というものは生きている人間が喜びや癒しを得ることにある。このような詩を書けるのも鎮魂歌を毎日のように語り続けてきたからだ。柏崎地震の時、詩語りライブで六万円の寄付が出来た。いまライブを行いたいが、それが出来ないことが辛い。しかし今書いている詩を来年には上梓したい。そしてそれを語ってゆきたい。
詩誌受贈『野の草など・37号』

2016年4月21日 (木)

田川紀久雄日記

六月に荻窪の奇聞屋で山本竹勇さんとライブが出来そうだ。会場が取れたらの話であるが。
いま長崎地震について詩を書き続けている。心の応援詩を一篇でも多く書きたい。詩人ができることを精一杯行うしかない。そして天空に向けて語ることだ。
昨日川崎のヨドバシに出かけたが、途中で足が痺れて動けなくなってしまった。でもいくらかでも外出することをしていかないと本当に歩くことが困難になる。

2016年4月20日 (水)

田川紀久雄日記

官邸前で川内原発を止めろの聲が響いた。原子力規制委員会の田中俊一委員長は「安全上の問題が起こるわけではない」との一点張りだ。政府もこれをうのみにして原発を推進している。国民の不安を取り除くのが政府のとるやり方だが一向に国民の聲を無視続けている。
避難している人たちの苦しみは想像を超えるものがある。一番最初に生命の安全を守ることである。そして未来への不安を取り除く行政の対応である。そして眼には視えない心の支えである。東日本で一番読まれたのが宮沢賢治の『雨ニモマケズ』である。詩人はどのような言の葉を書いていくのか。なかなか言葉が見いだせない。昨日も一篇詩を書こうとしたが途中で書けなくなってしまった。でも哀しむ者に寄り添える言葉を書きたいものだ。ささやき聲でもよいから聲をあげてゆきたい。詩人として生きている意味がつねに問われている。いま詩を書くのはとても苦しいが、この苦しみと闘って言の葉こころを求めてゆきたい。

2016年4月19日 (火)

田川紀久雄日記

東日本大震災の教訓が生かされない。物が届いても被害者たちには届かない状態が続いている。昨夜も震度5の地震が起こる。政府は原発は絶対安全と言っている。本来ならいったん止めるべきである。昔の大本営とまったく変わらない。
昨日蛍光灯が壊れ、LEDに変える。世の中はどんどん変わってゆくものだと感じる。眼に視えぬ出費が増えて行く。
詩誌受贈『亜土・102号』『日本海詩人・46号』
詩集受贈『二階堂晃子詩集・音をたてて幸せがくるように』

2016年4月18日 (月)

田川紀久雄日記

熊本の人たちに心から祈り、一日でも早く復興が進むことを願うだけだ。そして亡くなっていった人たちに鎮魂歌を捧げるしかない。昨日『新生』とい詩集を初めて語った。この詩は、詩語りの再生を願って書いたものだ。語りで落ち込んでいた気持ちを立ち上げるために書き続けた。そして『南無』の世界へと向かって行けた。
昨日詩を一篇書いた。これは今回の地震をテーマにしたものだ。
昨夜は、何となく興奮していてほとんど眠れなかった。震災に出会った人たちのことを思うと辛い気持ちでいっぱいだ。足腰の悪い私がこのような状況下におかれたら死ぬしかないだろうと思ってしまう。最近心が弱くなってきている。

2016年4月17日 (日)

田川紀久雄日記

このような地震はかつて誰もが経験したことがない。僅かなカンパをしていくことが求められている。日本経済にも大きな影響を与える。昔なら、これは政治が国民に対して誤った方向に向かっているがために怒りであるといっただろう。
原発には影響がなかったといっているが、震源地が原発の真下であれば、そんなことなど言っていられない。原発ゼロ運動を続けていくしかない。日本は地震大国であることを忘れてはならない。困っているときはお互い助け合っていかねばならない。家を失った人たちのことを思うと心配だ。

2016年4月16日 (土)

田川紀久雄日記

久しぶりに良く眠れた。いつも四時ごろ起きてパソコンに向かうのだが、今日は六時まで床に入っていた。
新しい詩集の作品を一篇書けた。苦い経験を何とか生かして書きてゆきたい。私の詩集は単独しているようで連続的に詩集を読み解いていかなくては解りにくいところがある。Uさんが丁寧に読んでくださった。それで充分だ。それからいつも長尾雅樹さんが温かい手紙をいただく。
私の詩語りは、いつも「一人語り、そしてたった一人の観客」である。あとは自然の風と樹木である。それでよいのかもしれない。詩人は、いつも孤独の中で仕事をしているのだから何も求めない生き方をしていればよいではないか。詩人の魂は、他者に愛を与える仕事なのだからだれよりも厳しく生きていればそれでだけで楽しい。

2016年4月15日 (金)

田川紀久雄日記

昨夜プリンターの調子が悪く、一時間かけてもとに戻すことができた。脳が興奮してあまり眠れなかった。
熊本で震度7の地震があった。この日本では本当に安全なところはない。原発問題では心配だ。事故が起こらない前に再稼働を中止してもらいたい。
昨日『南無』を書き上げた。詩集『叢生』の反応がまったくない。これも致し方がない。人は他人の詩集は横目で眺めるだけであろう。これは私にも言えることだから他者を責めることはできない。他者に理解されたいために書いているわけでもないから良しとすべきだ。私は詩語りとして語ってゆければそれで充分である。そして祈りと愛を描いていければ私の仕事は果たされる。『還相廻向』という詩に向かってゆきたい。生きていることは旅人なのである。

2016年4月14日 (木)

田川紀久雄日記

昨日も詩を二篇書いた。あと一篇書けば『南無』が完成する。この詩集は二十日間ほどで書き終わる。超スピードだ。シューベルトもピアノソナタ遺作に感動する作品が多くある。詩集を上梓できなくでも、私は自分のテーマをこれからも追い求めて生きてゆく。そして公園で語り続けていく。いまのところどこからもお呼びがかからなくでも精進をしてゆく。芸というものは死ぬまで修行である。ある意味では悲愴な覚悟で生きて行く以外にないだろう。本当の寄り添う愛を求めてゆきたい。

2016年4月13日 (水)

田川紀久雄日記

私の詩集は、田川紀久雄という個人詩誌を発行しているのかもしれない。年に六回以上発行するということはそのようなことだろう。そう思えばお便りが来なくても気にならない。あくまで詩語りのためにテキストを産み出しているのだから。といってもそこには生きる歓びや哀しみを伝えるいのちが宿っていないと作品とはいえない。詩が成立するということはどのようなことなのか。そこには何かを伝えたい祈りが秘められていなければ、読者にはまったく興味が湧いてこないだろう。
『南無』の次の詩集は、生きる哀しみや歓びに寄り添った詩を書いてみたい。本当の人生の応援歌を自分なりに見出してゆきたい。
いま貧富の差で貧困に喘いでいる人たちがあまりにも多すぎる。生活保護を受けようとすると、今あなたよりも貧しくて苦しんでいる人たちがいるから生活保護は無理ですと断れる話が多い。暑くてもクーラーも使えず生活費も一日五百円程度で生きている老人が多くいる。いまの政治は何かが狂っている。安倍政権では庶民の苦しみを取り上げる気持ちがない。まるで野良猫のような扱い方だ。軍備費だけが増額されてゆく。嫌な時代だ。

2016年4月12日 (火)

田川紀久雄日記

人生には、いろいろと苦い思い出があるものだ。そのことを最近詩の中に織り込んで書いている。詩人にとってはこの経験をいかに言の葉にしてゆくかということだ。具体的には書かないがあくまで思想的な意味で描いてゆきたい。
詩人たちは自作詩を語ることを安易に考えている節がある。ある詩人は「自作の詩は、作品自体は稚拙でも、自分がその詩の持つ感情をすべて知っている分、朗読しやすいと痛感している。」とのべている。が感情をすべて知っているという考え方に大きな落とし穴がある。作品とは自分の作品でも一度は客観的な目で読まないと、朗読の時に感情に流されて、聴き手には苦痛を与えてしまうことがある。この詩人は朗読サークルに通っているそうだが、詩の朗読はとても困難な道であることを知るべきだ。世間の人たちは詩人の朗読を嫌っている。なぜ嫌われているのか考えてほしい。それはド素人が自慢げに朗読する姿に不愉快をあたえているからだ。私は詩人の朗読はあまり聴く気にならない。本気で精進している詩人の聲しか信じない。

2016年4月11日 (月)

田川紀久雄日記

外出時間五時間。身体が良くもった。少しずつ外に出ることが老後の健康を保つ秘訣だ。でも非常に疲れた。詩語りを行うためにも体力をつけることが求められている。来月は一人二〇分ほどのライブが出来る。頑張りたい。
年金生活で食べられない私はなんとしてでも出前詩語りを行わなければこれから先は生きて行くにも困難になる。詩の出版の仕事も今はできない。だんだん貧しくなってゆうだけだ。でも詩集だけは上梓してゆきたい。これは本当の詩語りの道を見出すためのものである。平和と愛の世界を見詰めていくためにも大切なことである。政治と宗教では解決しない世界を言の葉こころでさがしだしてゆきたい。必死になって生きていれば自ずから道は拓けてゆくものである。それを信じて今は生きて行こう。

2016年4月10日 (日)

田川紀久雄日記

今日は川崎詩人会がある。バスで行くのでほとんど歩くことがない。人と会うことも大切なことである。
私の詩集は、あくまで詩語りを深めていくためのものである。そしてこの世の平和と愛をこれから先は求めてゆきたい。政治とか宗教を超えて平和と愛を語れるのは詩の世界しかない。私のは詩であって詩ではない。あくまでも言の葉こころを掘り下げているだけだ。それが聲に乗せて語れればそれでよい。詩人たちのために書いているのではない。哀しみや苦悩を背負っている人たちが少しでも言葉で癒されていくことを願っている。言葉というものはいのちの底から生まれて来るものである。
一番安くできる方法で詩集を作ってゆきたい。発行部数もそれほど必要とはしない。出来れば予約出版でいけたらと思う。何としてでも一冊でも売りたいと願っている。

2016年4月 9日 (土)

田川紀久雄日記

本を積み重ねて置いてある。それが夜中突然崩れ落ちた。整頓ができない私はいつも相棒から注意されるが、物書きというやからはそういう人が多い。頭の脳と同じようになっているのだろう。本当は何もない部屋が欲しいのだが、狭い家ではそうもいかない。今の私はパソコン一台あれはあとは何もなくてもよい。
辞書も電子辞書を購入したので、とても便利だ。鳥のなき声も入っている。いまの電子辞書はとても優れている。でもすべての機能が使いこなせない。パソコンでもこれは言える。複雑なことが苦手である。つまり面倒くさいことをしたくない。ある意味ではとても我儘な人間である。よくもこんな人間が詩人として生きていられることが不思議である。ダメニンゲンが詩人の姿なのかもしれない。七四歳もなれば、もう自由気儘でいたい。ひたすら詩を書き、詩語りの稽古に打ち込んでいたい。そのうちクタバッテ行くのだろう。せめてすべての人をアイシテイマスといいたい。
詩誌受贈『焔・106号』

2016年4月 8日 (金)

田川紀久雄日記

毎日病院に通っている気がする。リハビリと定期検診などでほとんど半日が潰される。
禅の話で、一日働かない人は、食事をとるべからずという話があるが、私は詩を一行でも書かずにはいられない。そして詩語りの稽古に打ち込むのが私の日課である。昨日のように、雨と病院とでは、何もできない。このようなときが一番苦痛である。
だれでもが戦争は反対である。反対だけでは詩にならない。それを乗り越えていかに平和な世の中を作るかを説いていくアプローチが欲しい。昨日テロと分かち合える詩を一篇書いた。といってこれはそう簡単には訪れはしないだろう。その道をコツコツ見出していかない以上平和は訪れることがない。そのためにも貧富の差を何とかしたい。これは政治の問題である。詩人ではいかんともしようがない。デクノボーはデクノボーなりの世界を凝視していかねばならない。まずどんな時でも人を憎まない。これは詩人Uさんの心情であるが、私もそのようでありたい。彼から多くのことを学ぶことがある。そして詩の世界を深める生き方をしていたい。
今日「操車場」と『叢生』の発送ができる。

2016年4月 7日 (木)

田川紀久雄日記

午前中、定期検診日である。
詩集『叢生』を八〇冊ほど送ることが出来た。そして公園でさっそく全編を語る。このころは、まだ語りに悪戦苦闘していた。詩を掘り下げることで、詩語りもずいぶん成長ができた。私は詩を書くというより、いのちの深さを探究するために書いてきたように思える。詩は詩を書くための詩ではあってはならない。詩集をここまで上梓し来たのも、詩語りの本当の意味を見出すためでもあった。『南無』という詩集でそれを見出すことができた。
詩人たちの聲は、それほど進歩しないものだ。『詩人の聲』の中でも、私がこれは凄いと思う人が見当たらない。単に毎回語っているだけのような気がする。そのためにも自分の聲を言葉として探究することが求められる。でも天童大人氏が植えた種は未来にむけての意義は大きい。足腰が良ければ参加してゆきたいのだが、夕方になると足腰が思うように動かない。そのことが一層詩語りへの精進を燃やしているのかもしれない。

2016年4月 6日 (水)

田川紀久雄日記

昨日「甘露の雨」という詩を書いた。これで詩語りの最終地点を得ることが出来た。これこそが詩語りが求めていた世界である。詩人は言葉を書くことで悟りに近づくことが出来る。宇宙そのものが一つの生命である。この最終地点から新たな詩語りの旅が始まる。詩集『南無』を書き進めることで、視えていなかったものが視え初めて来た。詩人にとって言の葉こころは、まさに仏でもあり神でもある。そのことは命そのものであるということだ。そのいのちは自然に寄り添うことでいのちの尊さを味わうことが出来る。日々いのちの言の葉を耕すことで、詩人は人々に明かりを灯すことでできる。
今日詩集『叢生』の一部ができあがる。製本屋さんの機械が故障で残りは数日後になる。「操車場」と一緒に送られそうだ。執筆者には昨日「操車場」を送ることが出来た。

2016年4月 5日 (火)

田川紀久雄日記

やっと「操車場」の原稿が揃った。詩集の出来上がりが遅れている。今週中にはすべてが遅れる予定だ。
『南無』も半分は書き上げた。仏とはいったい何なのか? また神とはと考えると、観念的には応えられても、実際問題としては簡単には応えられない。詩人という存在者はひねくれ者が多いから、難しい問題である。
キリスト教徒でも立派な人もいる、また僧侶でも尊敬する人がいる。お互いが尊敬しあうことが大切である。分かち合う精神をもって世の中を平和な世界に導いていくことが求められている。行き過ぎた信仰心は他者を傷つけてしまう。お互いを尊敬することで人間として成長していけるのではなかろうか。キリストの愛も仏教の慈悲も究極には同じ世界であると思いたい。お互いに苦しむ心を癒してくれる。他者の歓びを自分の歓びとして感じられる人でありたい。

2016年4月 4日 (月)

田川紀久雄日記

宗教を詩のテーマにしていくと、詩としては疑問を感じたりするが、ある意味では必要な感じもする。大切なのはすべての宗教を受け入れて否定してはならない。どれが正しいというのは民族的なことであって、宗教の本質とはかかわりがない。大切なのは思いやりの精神と調和のとれた考え方だ。他の宗教を理解することが求められる。分かち合う精神は他者を理解することから生まれて来る。
詩人の言葉は、人間そのものの本質を見詰めていかなければならない。いま『南無』という詩集に取り掛かっているが、これは仏教的な世界であるが、他者に対しての優しさの世界でもある。憎しみからの解放でもありたい。それと私はなぜ鎮魂歌を語り続けるかを掘り下げるかを求めているためでもある。そのためにも宗教の世界と関わりあっている。
『沈黙』の校正が終わっていても、昨日語り込んでいたら何ヶ所か直しがあった。私は語りながら校正をするために、詩集になると誤字がどうしてもある。校正は難しい。

2016年4月 3日 (日)

田川紀久雄日記

相棒がパソコン教室に通うようになって助かることが多くなった。写真を文章の中に自由に入れられる。以前はコピーして切り張りしていたのがその必要性がなくなった。チラシを作るには便利である。相棒はいまウインドーズ10を使っている。私にはさっぱりわからない。何事も基本を知らないと先に進めないものだ。
専門的な仏教書を読んでも、ちんぷんかんぷんだ。宗教とは学問も必要なのかもしれないが、やはりその人の自然と調和性の生き方が求められるのではと思う。素朴・純粋・稚拙さが大切である。そして人に対して優しさである。
詩でも本物の詩というものは、そうではなかろうかと思う。詩人たちから見るとなんて下手な詩かと思われがちだが、決して下手な詩ではない。このような詩を書くことは一番難しいことである。それはまず書く前の人間性を深めていなければならないからだ。難解な詩を書くことより数倍困難なことなのだ。賞の対象からは、このような素朴な詩は排除されてしまう。
詩語りでも人の心に感動を伝えられる語り手になってゆきたい。つねに精進の中から新しい世界を見出してゆくしかない。

2016年4月 2日 (土)

田川紀久雄日記

安倍総理は,核安保サミットで原発推進を宣言した。とんでもない発言だ。原発は平和利用にはつながらない。こんな子供でも分かるのに、気が狂っているとしか言いようがない。
私たち日本人は特に核については反対の姿勢でいかねばならないのに、一国の総理であろうものが原発促進とはとても信じがたい発言だ。もう安倍総理には引退してもらいたい。国民も経済という言葉に振り回された。日本銀行もこの経済状況には手の打ちようもない。理想を追い求めないことだ。経済の豊かさは貧富の差を拡大するだけだ。老後になって家にも住めない人がいるというのに、分かち合う精神がどんどん消えて行く。
私は詩語りを通じて、この分かち合う心を語っていかねばならない。闘う詩語り人にならなければならないのに、足腰が悪いのにはとても辛い。愛と平和を求めて行かねばならない。

2016年4月 1日 (金)

田川紀久雄日記

人間にとって一番大切なのは、成し遂げる行動力である。慈悲もそのものは行為の現れがなければ、慈悲とはなりえない。それは無関心という世界に落ち込んでしまう。
相手の心を思いやりながら一篇の詩を書くことは慈悲の行為といえる。そして祈り語ってゆくことは積極的な慈悲と言える。詩は即人の役に立たなくでも、愛の言葉は永遠に人の心を癒していける。
オリンピックの予算がどんどん膨れ上がっている。それにひかえ復興予算は縮小されていく。これではいつまでたっても仮設住宅から抜け出せない。そして軍備予算がべらぼうに膨らんでいく。安保法案は、国民を不幸にしていく。何としてでもこの法案は破棄していかねばならない。平和という島から戦場へと進むこの日本は沈没してゆくかもしれない。震災より恐ろしい。いまこと平和と一人一人のいのちを守る運動が求められている。そのために私は詩語りの中で祈りの魂を叫び続けてゆきたい。

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