田川紀久雄日記
このところ二時ごろ眼が覚めるとその後は眠れぬまま朝を迎えることが多い。そして昼間は身体が重く、気分が乗らない。これが春なのだといわれればそうかと思うしかない。
次の詩集の題を『南無』にしようかと考えている。漢字よりひらがなの『なむ』の方がよいのかとも考える。南無には帰命という意味がある。そして『まことや真実』ということにつながる。
ここ数年間は読書するより、聲を発することで聲の思考でものごとを考えるようになってきている。詩語りに打ち込むことで聲の思想を編み出している。達磨が九年間岩に向かって瞑想をしたように、私は聲という岩にむかって瞑想をしているのかもしれない。東京にいた時は荒川で聲を撃っていたが、川崎ではK公園の公孫樹に向かって聲を撃ってきた。この三十年間は私の人生にとっての意味あるものである。詩というものを聲の世界で考えているのはほとんどいないだろう。私の活字の上で批評してもなんの意味もない。まさに『南無』の世界でしかないのだから。
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