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2016年3月31日 (木)

田川紀久雄日記

正月が終わったと思ったら、もう明日は四月だ。桜も満開に近いという。今年も相棒と桜を見に出かけられない。
詩を一生懸命に書こうとしていると、なぜか温かみのある詩が生まれてこない。詩は書くものではない。詩はその人の内面から生まれて来るもの。内面性を深く掘り下げる作業が求められる。これは詩の朗読でもいえる。一語一語に血を通わせることをしていかなければ、人は感動をしない。いまある人の詩を公園で語っているが、それを人の心に熱く感じるように言葉を掘り下げている。他人の詩を語ることも、楽しいものにしてゆきたい。そのためにも、詩というものはつねに愛を求めている世界でありたい。
このところ夕方になると足がむくんで座っているのも辛くなる。運動をしなければと思いながらもなにもしていない。何とかして歩けるように頑張ってゆきたい。

2016年3月30日 (水)

田川紀久雄日記

昨日は妹が亡くなって三年目であった。妹のために『一粒の種』を心をこめて語った。そして二日間で詩を四篇書いた。ちょっと書きすぎかもしれないが、詩というものは書ける時に書かないと書けなくなる。私は単に詩を書いているわけではない。言の葉こころを深めるためにかいている。だからもはや詩であるとか、詩でないとかは問題にしない。詩を超えた詩を書きたいだけだ。お金が無くなれば、たった一冊の詩集を手作りで作ればよいだけだ。
『蘇生』がやっと今週の土曜日頃に出来上がってくる予定だ。その次の詩集は『沈黙』である。

2016年3月29日 (火)

田川紀久雄日記

安保法案が今日から施行。まさにこれは戦争準備のための法案である。日本は憲法九条を守り抜く仕事がある。七十年前の戦争で多くの人たちが苦しんできたことか、それも自国を超えたて他国の人たちの苦しみを与えてきた。いまの安倍総理にはこの反省がまったく感じられない。おろかな総理としか言いようがない。
この日本は福祉国家を目指さなければならない。それは国民も分かち合う精神を持つ必要がある。福祉には当然お金がかかる政策でもある。といって国債を際限なく発行されては困る。これをうまくコントロールするのが政治家の仕事である。政治家というものは、国民のために働く人のことを言う。権力や地位とは無関係な世界であるはずだ。いまの政治家からはそのような人たちを見出すことは困難である。といって決して立派な人間である必要もない。普通の人間でいい。
今月も中村文昭さんの原稿が入った。
詩誌受贈『柵・11号』

2016年3月28日 (月)

田川紀久雄日記

鎮魂歌を語るということは、愛を語ることである。やっとその境地までたどり着くことが出来た。Uさんとの日々の対話の中で、私自身も深められる。生と死は不二の関係である。生があるから死がある。それならば生も死も一対であらねばならないということになる。別々のものではない。そのことを深めた語りを目指してゆきたい。
大川小学校の保存が決まった。ここの場所で自作詩を語ってみたい。なぜならば二年前に訪れて「永訣の朝」を語った。吟遊詩人として鎮魂歌を語り続けているからだ。詩語りは聲を深めて行くことと、言の葉こころを聲にのせてゆくことを目指して日々精進している。詩人で私のような方法で詩を語れる人はいないだろう。といってどこからも招かれることがない。ちょっと哀しい。でも私の聲を聴きたい人にはCDがある。『祈りの魂』1500円で発売しています。

2016年3月27日 (日)

田川紀久雄日記

『南無』という詩集を書き始めている。二篇書いた。「南無」「妙好人」である。書き進めて行けば全体像が視えて来るのだろう。ここでも詩語りが中心軸になっていく。
『叢生』の印刷が遅れているので、「操車場」と一緒に送れなく恐れがでてきた。発行日は五月だからあわてることもない。仕事にはいろいろとトラブルがつきものだ。『嶺』の製本が上がってきた。やはり三月の下旬は製本所が混んでいる。少部数だとどうしても遅れる。

2016年3月26日 (土)

田川紀久雄日記

南武支線に「小田栄駅」が今日から開業。浜川崎とはほんの近くであるが、この周辺は新たな団地が増えている。といてもこの電車は不便である。十三時ごろには一時間に一本しか電車は走らない。それに終電が早すぎる。まさにローカル線だ。
浜川崎駅の金魚がいた池を壊してそのまま放置されてある。猫駅でも有名であったが、その猫たちには冷たくみんな追われてしまった。JRは、駅の持つ温みを壊しているとしか思えない。テレビでも、いま猫の映像が多く流されている。心の癒しの対象になっているのに哀しい。猫を愛した作家は多くいるが、そのうち有名なのは、大仏次郎や内田百閒さんである。百閒さんは異常なくらい猫に取りつかれていた。猫を飼ってみたいが、もう私は齢なので飼うのは無理だ。

2016年3月25日 (金)

田川紀久雄日記

二十日あまりで『新生』を書き上げた。こんな短い間で詩集を一冊書き上げるのは初めてだ。この詩集は来年の発行になるだろう。(ただしそのときお金があればの話だ。できれば詩集を予約していただける人がいればありがたい。)
詩語りとは何かを追い求めているのは、詩人の中で私だけだろう。いまの詩人たちが、私が何を求めているのか誰一人解らないだろう。生きていくことの確かさを私なりに詩語りという世界の中で追い求めている。
不眠症と末期ガンの表情が似ているところがある。まず食事の味がまったくしない。それにほとんど食べられない。足が冷たくなる。ガンの場合は胃が占め付けられるほど痛い。そのためにほとんど眠れない。このような状態が続くと気が狂いそうになってくる。母は胃に水がたまって苦しかった。とても母を見ていられなかった。ガンはやはり死の病である。
末期ガンを宣告されてからもうすぐで九年になる。詩語りの夢が私をここまで活かしてくれた。だから末期ガンに「あ り が と う」と言いたい。亡くなって逝った多くの人たちの為にもこれからも鎮魂歌を語り続けねばならない。ただぼけっとして生きていてはならない。そういう意味で「ありがとう」といっている。だからこそ南無の世界を目指して詩を書き語り続けなければならない。そしてこれからが「祈りの魂」を語っていかねばならない。
詩誌受贈『榛名団・18号』「橄欖・101号』

2016年3月24日 (木)

田川紀久雄日記

夢をかなえるには、日々コツコツ努力することである。近道するより、遠回りした方が後々のためには良い結果を生む。私も、不器用に遠回りして生きてきた。
生きていることの中で一番苦しんでいるときこそ、後で振り返るとその時が一番生の密度が高いときであったと感じる。芸術家にとって不幸な時期が長ければ長いほど、それだけその後の生き方がプラスになってゆく。いまの詩語りをここまで成長してくれたのも、幼少時代の苦しみがあったからこそである。そして詩語りライブが出来ないことで、より詩語りを磨くことができた。つねに不運を逆転していく生き方を求めることである。
『詩人の聲』とは、内面的にも成長した聲でなければならない。そして生きていることを助けてくれる聲でありたい。技術は大切であるが、それだけを頼っている聲は虚しく感じられる。あくまで内面的な美しさを秘めた聲でなければ生きた聲とは言えない。

2016年3月23日 (水)

田川紀久雄日記

このところ二時ごろ眼が覚めるとその後は眠れぬまま朝を迎えることが多い。そして昼間は身体が重く、気分が乗らない。これが春なのだといわれればそうかと思うしかない。
次の詩集の題を『南無』にしようかと考えている。漢字よりひらがなの『なむ』の方がよいのかとも考える。南無には帰命という意味がある。そして『まことや真実』ということにつながる。
ここ数年間は読書するより、聲を発することで聲の思考でものごとを考えるようになってきている。詩語りに打ち込むことで聲の思想を編み出している。達磨が九年間岩に向かって瞑想をしたように、私は聲という岩にむかって瞑想をしているのかもしれない。東京にいた時は荒川で聲を撃っていたが、川崎ではK公園の公孫樹に向かって聲を撃ってきた。この三十年間は私の人生にとっての意味あるものである。詩というものを聲の世界で考えているのはほとんどいないだろう。私の活字の上で批評してもなんの意味もない。まさに『南無』の世界でしかないのだから。

2016年3月22日 (火)

田川紀久雄日記

昨日詩を二篇書いた。詩かどうかはもう問わない。いのちのひかりを求めて生きている私にとって求めて行く世界だけが大切なのである。あくまで詩の形を借りてしか私にはこの問題を追及することができないということである。大切なのは何を書くべきかということだけだ。だから読者が詩であるかどうかを決めればよいだけだ。詩を超えた詩を目指して書いているだけだ。詩というものは人々の心に語り、歌いかけるものである。そして吟遊詩人のように詩を語ってゆくまでだ。
今週中には『蘇生』が出来上がってくる。そして『新生』も今月中には書きあがるだろう。いのちの分かち合いを求めて生きて行けばそれで充分である。

2016年3月21日 (月)

田川紀久雄日記

夜中か、女の人の泣く声が聞こえてきて二時ごろから眠れなかった。
腰が悪いせいか、夕方になると足の血行が悪くなって立っているのも辛くなる。急に気温を高くなってきたためか身体がなかなかついていけない。やはり老いを感じてしまう。
「たぶの木」の原稿が届いているが、Sさんの仕事が終わるまで手が付けられない。高畑耕治さんと山下佳恵さんの詩がとても良い。哀しみの美しさと、人生への応援歌もよい。このような詩は、詩を読まない人たちに読んでもらいたいと思う。出来れは朗読をして人々の心の寄り添う世界を築いていけたらと思う。活字で読むよりも、聲として届けたい。詩人は他者に詩を届けるのが苦手のようだ。私の理想は吟遊詩人である。人々の心に愛と分かち合う心を届けることを望んでゆきたい。
詩誌受贈『グッフォー・65号』

2016年3月20日 (日)

田川紀久雄日記

ゴッポの青年時代を夢で見ていた。炭鉱の町で純粋になって生きる姿に熱い涕が出てきた。ゴッポの絵からその時代の面影を観ることができる。それと円空の姿が重なる。
画家は質が求められと同時に量も要求される。そこには画商という世界が存在するからだ。物書きも出版社を通して世に広がってゆく。しかし詩には出版社は飛びつかない。それは売れないということが一番のネックになっちるからだろう。つまり大衆性が欠如しているということになる。
時々電話で「あなたの詩に感動しました。ところで新聞に公告を載せませんか」という話がくる。要は金を巻き上げる話である。無名の詩人の詩集など誰が買うのか。世の中は広告を出しただけでは売れない。褒めれば詩人はその手に載せやすいのかもしれない。
詩人は無名で良い。売れないからこそ誰よりも良いものを書きたいと思う。数人の朋に出会えればそれで充分だ。そして書いて書きまくって死んでいければあとは何も言うことはない。大切なのは純粋な心を持続させることである。
しかし私には詩語りの世界がある。聲をいのちの聲に高めることである。そして何とかしてCDとして残していくことである。天に祈る。どうか語りの場を与えてくださいと。

2016年3月19日 (土)

田川紀久雄日記

Sさんの仕事でここしばらく詩が書けない。眼も悪いし腰も据わっていると痛くなる。もう齢なのだからそろそろ他人の仕事は無理になりつつある。といって詩語りの仕事がない現状では生活が苦しい。
『詩人の聲』にまた参加して詩集一冊まるごと語ってみたいが、腰が一時間持つかどうかが不安だ。一時間も語れる場所は天童大人さんの所しかない。ここ三年間ほどの詩集をCD化したいと願っているがいつその夢が果たせるのか解らない。まずは五月のミニライブを行ってからいろいろと考えてゆきたい。祈りを込めた聲を深めることが今の私の闘いである。

2016年3月18日 (金)

田川紀久雄日記

詩と向き合って生きるということはどのようなもとなのか。趣味で詩を書いている人もいるだろう。そして人生の追及のために詩を求めている人もいる。また詩という世界を求めている人もいる。しかしなかなか人々の求めている世界からどれもかけ離れている。
詩という世界は庶民の暮らしからは遥かに遠い世界になっている。詩を身近に感じることがほとんどない。いま生きている詩人たちの詩集を手に取って読んだ人は無に近いのではなかろうか。詩人たちは多くの人に読んでもらいたいと思っている。
詩と出会う場を何とかして作り出してゆきたいものだ。詩語りはそのための一歩になればと願う。五月十四日のライブの入場料は千円にしたのもそのためだ。お客と話し合う場もある。問い合わせは漉林書房まで。

2016年3月17日 (木)

田川紀久雄日記

医師から「あなたはやりたい仕事がのこっているからここまでこれたのでしょうね」と言われた。それなのにいま足腰が痛むのは苦々しく感じられる。背中を伸ばすリハビリは腰を悪うさせているのかもしれない。それと足の筋力が衰えているからかもしれない。思うように歩けないのはやはり辛い。
今月は苦しかったがSさんの仕事が入ったので、なんとか生活を凌ぐことが出来た。四月はもっと苦しくなるのだろう。いろんな支払いが来るからだ。詩語りでいくらかでも稼ぎたい。私にはまだやらなければならないことがある。もっと必死になって生きて行くしかなさそうだ。

2016年3月16日 (水)

田川紀久雄日記

今日は胃カメラの検査。
やっと言の葉こころと聲が一致するところまでたどり着くことが出来た。ここまでの道のりは苦しかったが、これからは楽しみの旅人となれる。問題は自由に歩ければ何も問題もないのだが、まだ遠出はできない。
ここまで多くの詩集を上梓することで聲の道案内になってくれた。詩集も詩語りを求めるためのものであった。田川さんはなぜ同じことを書いているのかと思った人もいるだろう。私の詩集に対して罵詈雑言を投げかけた人もいた。その中には詩集を送り返してきた人すらいた。なぜ人は優しいこころでいられないのだろう。これからは苦しみ哀しんでいる人と共に言の葉こころを深めた作品を書いてゆきたい。そして「祈りの魂」ライブをできたら行ってゆきたい。

2016年3月15日 (火)

田川紀久雄日記

Mさんからカンパをいただいた。明日胃カメラの検査がある。その費用が出た。本当に助かった。
詩人の詩を読んでいて感動を得るものがほとんどない。それはいのちを深めた詩が少ないからだ。詩人は詩を書こうとしている。詩ではなくいのちを求めている言の葉こころを書けばいいだけだ。もっと魂の哀しさ美しさを歌い上げてもらいたい。詩人で賞を取りたいという人がいるが、そのようなものを貰ったからといって庶民は見向きもしない。ただ内々で褒め合っているだけだ。私は詩を書くのではなく、ひかりのいのちを求めて言葉を深めたいだけだ。それを詩語りとして語ってゆきたい。そしていま苦しみに喘いでいる人々と一緒になって生きていたい。
詩誌受贈『雷電・9号』『交野が原・80号』

2016年3月14日 (月)

田川紀久雄日記

昨夜は人が亡くなってゆく夢をみた。これは震災の時の津波の映像を何度も見たせいだろう。自分でも心の一番深いところで何が隠されているのか知らないでいる。自分自身で知っている自分はほんの一部なのだろう。
姥が森の桜は満開だ。桜の名前はしらない。私たちは弁天桜と呼んでいる。今年の桜の色は見事である。なぜ弁天桜というかというと弁天様が樹の下に祭られているからだ。ここ二年あまり相棒と桜を見に出かけていない。昔は河津桜を見に行ったこともある。いま思うように歩けないことは辛い。春は梅と桜で心が安らぐ。私は山桜が好きなのだが、川崎では見ることができない。
詩人の聲も、それほど変わるものではないが、日々精進をして三〇年ぐらいになってやっと聲が聲らしくなれる。大切なのは日々の精進である。そしてその聲をどのようにして表現に活かしていくかということである。そのためには詩のテーマが求められる。単なる書いている詩では、聲を活かすことができない。聲の究極はいのちのひかりを求める旅でもある。詩人たちはそのことに誰も気づいていない。

2016年3月13日 (日)

田川紀久雄日記

Sさんの仕事がやっと終わった。これでまた詩をどんどん書き続けて行ける。私は月に二〇編ほど書いている。一ヶ月ほどで詩集の分量になってしまう。語ってみると約一時間ほどである。詩集の文字も大きめに印刷してある、まさに語りのための詩集になっている。
『届く聲を求めて』の第一回の校正が終わる。あとは語りながら校正を行う。それでも詩集が出来上がってくるとまだ誤字が見つかる。ライブの時はテキストと違った語りをする時もあるからいつまでも未完の詩集ともいえる。私はあまり気にしないたちである。ときどき読者から非難の言葉を受け取ることもある。お叱りをありがたいと思う。
アメリカの大統領予備選でも貧者たちの聲が選挙に大きく影響している。これはあまりにも貧富の差が拡大しているからだ。日本も同じような社会構造になりつつある。安倍総理は現実の社会を見ないで数字に表れてくるデーターだけに頼っている。福島原発の実情をまったく受け入れることがない。こんな政治家が原発再稼働を推し進めるのだから安全神話を繰り返すだけだ。事故をおきても責任逃れするだけだ。ああ、悲しい時代になってゆく。

2016年3月12日 (土)

田川紀久雄日記

福島原発の恐ろしさは計り知れないものがある。原発の作業員がガンになっても治療費が一銭も出ない。それに労災も認定されない。いまこのような人たちがいることに驚く。人間がロボットのように使い捨てにされていく。
東電のエゴイズムにはあきれてしまう。除染をしたからといってすぐに帰宅が出来るものでもない。本当に福島が安全だといえる日はあと50年かかるかもしれない。オリンピックで復興から眼をそらせようとしている。オリンピックそのものは歓ばしいことであるが、その裏でとんでもないことが起きていることに不安を感じてしまう。震災の復興なくしてはオリンピックはありえない。一人ひとりに思いを寄せていく生き方が求められている。
そろそろライブ活動を行いたい。呼んでいただければ無理を押してもゆきたいと思う。「祈りの魂」を語る時が来ることを願っている。

2016年3月11日 (金)

田川紀久雄日記

中学生の自殺の件で、私も同じような経験がある。元プロレスのIさんが尊敬する先生から、犯人扱いにされた。いくら言ってもそう思い込んだ先生は、生徒をひたすら批判するだけだ。そのときから、先生という名の人物は嫌いになった。
今日は東日本大震災から五年目である。安倍総理が言うほど復興感がない。原発ではあいかわらず汚染水があふれている。一人でも哀しんでいる人がいる限り復興は終わらない。
生活面は政治的な解決を求めるしかない。そして精神的な面では詩人の言葉も役に立つこともあると思う。私は五年間鎮魂歌を語り続けてきた。私の聲は被災者には届かなかっただろう。それでもいいのだ。大切なことは独りの人間として語り続けていくことに意味がある。誰に認められたいという気持ちなどまったくない。世間的な評価など詩人には必要がない。
CD『祈りの魂』に鎮魂歌の語りを収めることが出来た。これは山本竹勇さんとの共演である。定価1500円。残り僅かです。お求めは漉林書房まで。

2016年3月10日 (木)

田川紀久雄日記

高浜原発停止命令。電力会社は利益だけを追求し、安全面に対してはとても信用ができない。福島の原発事故がまだ解明もされていないのに、次から次へと再稼働はとても許しがたい。小さな聲でも反対を訴えて行けば国民の聲は天に通じて行くものだ。
プリンターの修理が終わったと連絡が入る。これで一安心だ。
眼の視力がどんどん落ちている。操車場でも手打ちだと誤字が増えている。視力が衰えると読書も減ってくる。とくに字が小さいともうだめだ。それに印刷が薄い詩誌が増えている。詩の活字は出来るだけ濃い印刷にしてもらいたい。といっても昔の印刷と違ってすべてがデジタル式なので致し方がないのかもしれない。印刷がどんどん変わってゆく。もうフィルムを取って版下を作るところがなくなりつつある。昔の活版印刷が懐かしく思う。いやガリバン印刷もまたやってみたいものだ。

2016年3月 9日 (水)

田川紀久雄日記

MさんとIさんが詩集を買ってくれた。とてもありがたい。少しでも印刷代として残しておきたい。今年はあと五冊ほど上梓したいと思っている。こんなに詩集を上梓していても一度も出版記念を行っていない。私の場合はライブがある意味での出版記念なのだ。
今の私の生活は蟄居状態だ。二月にいちどの川崎詩人会だけが人と会う場である。そのほかはまず人と会うことはない。定年後の生活は、ある意味で蟄居状態の人が多いのかもしれない。といっても年金がある人はいい。私のようにほとんど収入のない人間はなにかに怯えて生きている。ある人が言うには無一物ということは無尽蔵でもあるという。誰でもが相にはならない。生き方に、筋金が通っていないとそうはならない。命懸けで生きてこそ、道というものは通ぢているのだと感じられるものだ。

2016年3月 8日 (火)

田川紀久雄日記

人というものは誰もが小さな病を持って生きている。その病とどのようにして付き合ってゆくかで、その人の人生が変わってくる。私は対人恐怖症から四十年も闘ってやっと詩語りという世界を見出した。それは詩を書いていたから辿り着けた道なのでもある。
詩は他人に役立つ前に、自分自身に役立つものである。そしてそれを乗り越えて、他者に問いかける詩が生まれて来る。
いまガムシャラになって生きている。その生き方に共鳴してくれる人もいるが、反感を感じる人もいる。そのことを気にしていたら疲れる。私は私のマイペースで生きて行くしかない。

2016年3月 7日 (月)

田川紀久雄日記

昨日『いのちの泉』を語りながら校正を行った。この詩集は来年の春頃に発行の予定だ。
今朝は激しい雨が降っている。新聞屋さんはもう配達し終わっていた。この日々の勤めに頭が下がる。
詩も語りも日々の努力が大切である。毎日少しづつでも良いから書いたり、語ったりしていくことである。まとめて後でやろうと思わないことだ。
いまの私は、老後の楽しみの日々を送っているのかもしれない。それも相棒がいるからだ。ほとんど収入のない私はときどきこんな自分が情けないと思う時がある。相棒が働いている時間は、懸命になって自分の仕事に打ち込んで生きている。
足腰の痛みを直して、詩語りの仕事を増やしてゆきたい。聴いていただける詩語りを目指して努力するだけだ。

2016年3月 6日 (日)

田川紀久雄日記

これからはもっと詩語りに打ち込んでゆきたい。詩を語るということはどのようなことなのかを、行いたいと思ったからだ。それは『新生』という言葉によって、新しい旅立ちを始めたからでもある。
もうすぐ3・11がくるが、この5年ほどでどこまで復興ができたのか。そして被災にあった人たちにどれだけ応援できたのであろうか。原発関連死者が1368人も出ている。ガンで亡くなっていった人たちを入れたら何人になるのだろうか。
詩人に出来ることは鎮魂歌を語るしかない。足腰の悪い私はボランティア活動が出来ない。それに収入のない私には寄付もできない。つまり何もできない私だが、いつもの公園で鎮魂歌を毎日語り続けている。足腰のリハビリを行っている。そして200メートルほどなら歩ける。これから詩語りをお呼びいただければ有難い。そして本当の詩語りを聴いていただきたいと思っている。
詩誌受贈『笛・275号』『伏流水・54号』

2016年3月 5日 (土)

田川紀久雄日記

「操車場」から冨上芳秀さんが辞められた。優れた作品を発表されていたのでとても残念である。いろいろと忙しいとのことである。書き手が少なくなってくると、運営費が赤字になるので年間購読者を増やしてゆきたい。それと新たなる書き手を求めてゆきたい。
詩というものマイナーなもので、どうしても書きたいという人でないと持続するのは難しい。
私はこのところ続けさまに詩集を上梓してきた。それは詩語りの可能性を追求したいからでもあった。そしていまやっと『新生』の世界までたどり着くことが出来た。苦悩を越えて歓びの世界へと階段を登ってきた。それは死に物狂いの闘いでもあった。私が求めている世界をほとんどの詩人は理解できないでいた。それは致し方がない。
昨日Uさんと電話でいろいろと話し合った。いのちのひかりを見出そうと闘っている詩人である。本当の幸せを求めて未来を見つめている。詩人の仕事は哀しみを書くことも大切であるが、それを乗り越えようとするいのちを書くことも大切である。風にもいろんな風があるように、その風の深さを見詰めることも求められている。今朝やっと「春の風」という詩を書き終わった。詩語りも聴き手に生きる歓びを感じるような語りが生まれて来るだろう。またそのような詩集を産み出してゆきたい。「操車場」もこれから読者をひきつける作品を載せていけるだろう。
詩誌受贈『いのちの籠・32号』

2016年3月 4日 (金)

田川紀久雄日記

『詩人会議・4』詩集評で宇宿一成さんが「永遠なる大地」を取り上げてくれたが、まず名前に誤字がある。喜久雄ではなく紀久雄である。そして聲の思想性には全く触れていない。「伝えようとばかりし過ぎていて、思いを汲み取る姿勢が足りていないようです。」と書かれている。何がいいたいのか、これでは解らない。
詩人で肉聲について論じられる人は天童大人氏と私しかいない。でも私と彼とはこの肉聲についてもいくらか異なる。それは彼は「朗唱」であり私は「詩語り」である。同じ肉聲といっても方法が違っている。それだけ肉聲には幅があるということだ。
私のCDを聴いてくれた七月堂の知念さんだけが聲の肉体性に触れてくれた。唯一聴く耳の持った方である。実は知念さんも詩人の朗読は好きではなさそうだ。
宇宿一成さんがいくら朗読について語っても、肉聲の思想性については語れない。朗読が上手いとか下手としか言えないのではなかろうか。私の詩集を述べるにはまずCDを聴いてからにしてほしい。

2016年3月 3日 (木)

田川紀久雄日記

今日から春の陽気になるという。やはり温暖化は進んでいるのだろう。
老々介護の問題は、国が積極的に取り組んでもらわないとどうにもならない。これから老人社会になってゆく中で、辛い思いをして亡くなってゆう人たちがいる。
福祉政策こそ憲法の改正よりも必要である。いまの日本はこの福祉政策があまりにも遅れている。政府は予算がないという。防衛費にはいくらかっても問題にならないらしい。
詩人はせめて、生きる力を与えられる作品を書きて行くしかない。といっても、そのことがやはり難しい。詩語りライブで新しい語り手を見出してゆきたい。語りは難しい。だから若い時から詩語りを目指していく人が出てくるのがいいのだが、なかなかいない。
詩誌受贈『詩的現代・16号』

2016年3月 2日 (水)

田川紀久雄日記

プリンター修理に出す。一万円かかるそうだ。「操車場・104号」今日発送ができる。病院や他の仕事で忙しいので早めに仕上げた。
民主と維新の合体など馬鹿げた話だ。安保法案は絶対反対していくが、国民が信用できる政党を作ってもらいたいものだ。
貧富の差がますます拡大している。これは資本主義社会の宿命なのか、それとも単なる人間の欲望によるものなのか解らない。私も詩の世界で欲望に取りつかれている。それは詩語りと詩集の上梓だ。これははたして欲望といえるかは疑問だ。宿命なら致し方がない問題だからだ。
芸術など無駄なものだという人もいるだろう。でも人間にとってもっとも大切なことである。心を癒す方法は宗教と芸術しかない。もし文化というものが無くなったらどうなるのだろう。もうそこには人間存在の意味が失せて行くだけだ。

2016年3月 1日 (火)

田川紀久雄日記

プリンターが故障した。まるで印刷機のように使うから故障も起きる。これも致し方がない。いくらかでも安く作るにはすべて自分で版下から印刷・製本を行う。手間はかかるがそれなりの面白さもある。プリンターのインク代が一番費用がかかる。それと送料である。参加者が少ないと赤字になる。
『蘇生』を印刷所に入れる。今月の末にはできると思う。
ある人から、私のCDを聴いて感動してくれたと電話があった。とても嬉しかった。批判する人もいるが、このように感動してくれる人もいる。でも本当の肉聲を聴いてもらいたい。聲が祈りでありたい。そしていのちのひかりでもありたいと願って精進を続けている。みんなの幸せを願いながら一語一語聲を張り上げてゆきたい。何時も詩語りは『祈りの魂』でありたい。

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