田川紀久雄日記
鬱的状態でいるとき寒いとなおさら気分が落ち込む。
『声と日本人』米山文明著を読む。詩語りにとって何も得るところがない。理屈ではなくひたすら精進の中で自分の語りを追及するしかないということだ。
雪舟も社会から受け入れらずに、自己の世界を自らの方法で切り拓いている。画家というものは権力と結びつかないと食べていけない世界だと、身分の低に雪舟にとっては生きずらい世の中であった。詩人は誰とむすびついても食べてはいけい。今の日本では詩集ならなんとか自主出版だできる世の中である。人に読まれるかどうかは別として。パソコンで版下を作りコピーでも作れる時代だ。今私は手作りで三冊もの詩誌を作っている。語りだってライブが出来なくても、公園で稽古ができる。社会に気にしなくても自分の世界を掘り下げていける。いまの私たちはある意味で幸せな世の中に住んでいる。不満を言うより、ひたすら自己を見つめて生きることが大切なのである。
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