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2014年11月30日 (日)

田川紀久雄日記

「操車場」は今月と来月休刊にしています。休刊にしたためか詩がいっぱい書けた。12月の中ごろには『新たなる旅だち』が出来上がってくる。それと入れ替えに『天空に舞う』を印刷に入れる予定だ。
次の詩集のテーマが見つからないので困っている。私はテーマを見つけながら詩集を編みだしてきた。だから書き始めると割に短時間で詩集になる分を書いてしまう。ある意味では小説を書くように書いているのかもしれない。
今年は相棒と紅葉を見に出かけなかった。明日から12月だ。一年は早く感じてしまう。詩集を上梓することによって一年間生きて来た意味づけができる。
こう物価の値上がりで庶民は生活が苦しくなるばかりだ。これからの日本は何処に向かってゆくのか。原発だけは止めたいものだ。

2014年11月29日 (土)

田川紀久雄日記

詩という世界がだんだん解からなくなってきた。これは私だけではなく詩人たちもそれを感じているのではなかろうか。解らないものを無理にして解かったつもりでいるのも変な話だ。大切なのは無垢な心で感じ合うことではなかろうか。心に響くものはみんな美しいと思う。
「詩と思想・12」で寺井青さんの「冬のあなたに」が私の心に響いてきた。賞に入った作品には心が動かされない。詩人は素直な気持ちで作品と向き合うしかない。おべっかいをいうこともしたくはない。詩を理解することは、生きているそのことを勇気づけられるものでありたい。
詩集受贈『楡久子詩集・明日への体操』

2014年11月28日 (金)

田川紀久雄日記

「永遠の聲」という詩を書いた。っそして『旅人として』の詩集が書き終わった。ちょうど一時間で語れる。詩語りで精進している苦しみ、迷いを描いたものだ。詩語りを志す詩人が現れてきたら参考になると思って書いた詩集だ。これで詩語りの世界を一歩前に進められる。
私の詩集はもう四十冊を超えた。無名の詩人がここまで詩集を上梓した人はいないと思う。社会的にはまったく評価されていない。でも私は書きたいから詩をここまで書いてきた。大切なのは評価されることではなく書きたいもの書いているということである。賞というものは世間的なお付き合いのうまい人が貰えるようになっている。
今日は横浜に行って漢方を買ってこなければならない。漢方は薬局では売ってくれない。大手企業が儲かるシステムになっている。漢方そのものが販売が禁止である。漢方店もこの法律で潰れたところがある。

2014年11月27日 (木)

田川紀久雄日記

今日に寒くなったせいか鬱的状態だ。正体不明のこの鬱はどこから来るのだろう。
今月ひと月で詩集がほぼ出来上がった。詩語りの迷いを追及していれば結果的には詩集が出来てしまう。『詩人の聲』に参加している人たちはなぜ朗読について書かないのだろうか。それは真剣に精進していないからではなかろうか。参加している人たちから朗読の悩みや苦しみを聴いたことがない。真剣に精進していれば、必ず聲との葛藤が生まれてくる。わたしはその葛藤の聲を聴きたい。詩人は内面の聲を書くのが一つの仕事ではなかろうか。苦しいときは苦しいという。そして楽しいときは楽しいという。この素直な気持ちが詩を書く原動力になっている。聲との闘いこそが詩語りの道でもある。満足のいく語りはなかなかできないが、精進することの中で人生の意味も解ってくる。

2014年11月26日 (水)

田川紀久雄日記

宗教は大切であるが、他者に押し付けることは絶対にあってはならない。眼に見えないものを信じるのだからなおさらだ。いまの日本ではどんどん宗教心が薄らいでいる。一人ひとりが人の見本となる生き方を行うことが求められている。資本主義ではひたすら競争の社会体制である。ここではなかなか思いやりの社会を作り出すことが難しい。だからこそ宗教心が求められてもいる。他者への思いやり、慈しみが求められている。
今度の衆議院選挙でも、原発再開や集団的自衛権を未来への子供たちのためにも阻止してゆきたい。経済は今だけの問題だが原発や集団的自衛権は未来へと通じる問題だ。それを阻止できるのは国民一人一人の力である。平和を守ることの難しさを今年一年感じてきた。
詩誌受贈『千年樹・60号』
詩集受贈『結城文詩集・夢の鎌』

2014年11月25日 (火)

田川紀久雄日記

毎日嫌な夢を見ている。起きると非常につらく感じたりする。
古典芸能はやはりすごい。小さい時からの稽古が身に沁み込んでいる。それに対して詩の朗読には、基本となるものが何もない。勝手に書いた詩を勝手に聲を出して読んでいる。それだけでは人が聴いてくれないのも当然だろう。やはり長い年月をかけて稽古を積み上げてこなければ、人を引き付けるものができない。芸には厳しさがなくては何も成長しない。そして日々の精進しかない。この年になっては駄目でもこのまま詩語りの世界を精進するしかない。毎日が茨の上を歩いているような気がしてくる。

2014年11月24日 (月)

田川紀久雄日記

若井信栄(石川為丸)さんが亡くなったと坂井信夫さんから電話で教えてくれた。部屋で亡くなっているのを発見されたそうだ。彼にはお世話になった。神奈川県の家に行ったことがある。なぜ私が生き延びて元気だと思っていた人が亡くなっていくのだろう。彼から雲南百薬が亡くなる前に送ってくれた。身体良いからと書かれてあった。いまも窓の所に植えて育てている。

2014年11月23日 (日)

田川紀久雄日記

白馬で震度6の地震があった。昨夜は早く寝たので地震には気付かなかった。相棒は知っていた。仏壇の横の鐘が鳴ったという。日本は地震国である。いつどのような災害に出会うかわからない。
昨夜NHKのEテレで「バングラデシュの働く子どもたち」を放映していたが、観ているのが辛かった。国が貧しいということは本当に不幸である。戦後直後はたしかに貧しさを味わったが、いまの日本は確かに豊かになった。この貧しい私が生きていられるのも不思議だ。なにしろ子供たちには教育が必要だ。貧しさから抜け出すにも教育が受けられない者はいつまでたっても貧しさから抜け出せない。
詩は人々に金銭的に豊かさを与えることができないが、生命の豊かさは送り届けられるはずだ。相手の心を思う。その悲しみを多くの人たちに伝えることができる。いま詩の世界から詩の心が感じられない。
「たぶの木」はその詩の心を伝える詩誌であることに歓びを感じる。詩誌評には誰も取り上げてくれない。いまの詩壇的な評価からは外されるのだろう。詩人会議では「操車場」がいくどか取り上げてくれた。担当者に送っていないのにありがたい話だ。そして私の詩集も何度か取り上げてくれている。
エッセイ集『佐相憲一著・バラードの時間』が送られてきた。彼は本当に詩が好きなのだということを感じた。とても読みやすいエッセイ集である。

2014年11月22日 (土)

田川紀久雄日記

ひさしぶりに矢向の温泉に相棒と行く。やはり温泉は身体の疲れを和らげてくれる。
仏教を深めるというより、道元、空海、親鸞、日蓮、一休,一遍、蓮如などの生き方に興味がある。何が正しいというのではなく、どう人間として生き抜いたかに惹かれる。いま道元の「正法眼蔵」を読んでいるが、これは詩語りを行う方法論としてとても役立っている。一つの道を究めるための必読書である。
詩語りは、心の豊かさを求め、聲を撃つことに邁進していく以外にはない。人に認められたいという欲望は虚しいものだ。無心こそが大切なのだ。だから私はライブをしたいという欲望もない。自分から求めているうちは聲は完成しない。本物の語り手になれば自然とライブも生まれてくるだろう。それまで辛抱つよく精進していればよいのだ。永遠にライブが出来なくても精進したことに人間として豊かさを味わうことができる。

2014年11月21日 (金)

田川紀久雄日記

選挙は国民にとって大切なことである。国政に対しての意見の現れであるからだ。目先のことだけを考えずにこれから国がどうであるかを問う場である。問題はいまの野党がどれだけ国民の聲を受け止められるかだ。そしてそれだけの能力のある人間がいるかということだ。
私たちは普段から政治について討論をする機会を持っていない。学校教育の問題もあるが、世界の平和を考える勉強をしていかなければならない。平和とか愛とかを言う割合に、その本質についてあまり考察しない。そしてどのように実践していくかも問われていない。小さなことでも何が自分にできるのかを問うていくべきだ。
私は詩を書くことや、詩語りでもこの平和や愛を中心において行っている。他者にとってはそれがなんなのといわれても気にならない。詩語りの出前があればどこにでもゆきたい。だから誰よりも厳しい精進を行っている。本当に詩を語ることをおこなってゆきたい。

2014年11月20日 (木)

田川紀久雄日記

詩人にとって賞をとるとか人に褒められるかなどは関係がない。つねに詩を書き続ける情熱である。そしてそれは自分を越えて他者への思いやりが求められる。詩人は先生と呼ばれるようになったらお終いである。あくまでデクノボーでなければならない。
生き方で楽な道を求めてはならない。できるだけ茨の道を歩くことだ。傷がつけばそれだけ心が豊かになることを見出していける。末期ガン以降、立て続けに詩集を上梓ている。ガンに勝つことではなく病と共に生きることも大切なのかもしれない。人はどこか一つぐらい悪いところがあるものだ。聲を撃ち続けることでいまのところ病に負けないで生きている。だから私の聲には人の心を勇気づけられるものがあるにちがいない。その聲をもっと豊かな世界へと築いていきたい。誰も聴く人がいなくてもその世界を目指していきていたい。

2014年11月19日 (水)

田川紀久雄日記

齢をとってくると友達がいなくなっていく。これは寂しいことだ。いてもなかなか会って酒を交わすこともない。別に忙しいのでなくても会うことが少なくなってくる。人と会わないと老けてゆく。これはホルモンとの関係かも知れない。
詩語りも精進をすればするほど語りの難しさに突き当たってゆく。このことが精進を行うから出会う大きな豊穣の世界なのかもしれない。語りはいつも一期一会の世界である。同じことは二度とできない。いつも何かが新しく感じる。だから一瞬一瞬を大切にしていかなければならない。
次の詩集も今年中には完成する。この勢いだと毎月詩集が上梓できそうだ。書ける時に書いていないと詩というものはいつ書けなくなるかわからない。詩は突然に書けなくなることがある。若いときは毎日かけたものだがそれがだんだんできなくなる。いまの私は青年時代に戻ってきたような気がする。それは詩語りのことを言葉として残しておきたいという強い欲望があるからだ。もうライブを行うことのない。私は日々の精進を通じてこれを詩として残しておきたい。他者には興味がないことかもしれないが、私にとっては自分の命と同じように大切なことなのだ。

2014年11月18日 (火)

田川紀久雄日記

政治家が身を切る思いで定員削減を行わない。安倍総理は国民を欺いている。他の党の意見をなどと言い逃れをしているにすぎない。国民を欺くことなど政治家たちは何とも思わない人たちである。消費税は本当に福祉に使われているのかという疑問も残る。それなら消費税といわず福祉税と言い換えればよいのにそれすらしない。
庶民は同じものが十円でも安いものならそちらを買にいく。景気がすこしも回復していない証拠だ。糖尿病の治療をしているので美味しいものは食べられないが、質素な食事もなかなか良いものだ。食べ物を良く噛む。そのことだけでも美味しさが違う。
詩語りの道を究めていくためにも長生きしたいものだ。

2014年11月17日 (月)

田川紀久雄日記

沖縄県知事選挙は、翁長雄志が当選した。県民は自然を壊したくないといっている。自民党本部はショックだろう。沖縄には基地のないところにしたい。昭和二十年には悲惨な運命を背負わされたのだから、もう軍事基地はいらない。世界の軍事費日本は世界第八位なんだ。憲法九条を守り平和な世の中を作り上げたいものだ。世界の先頭に立って戦争をしない世界づくりにしなければならない。庶民は本当の平和を望んでいることのこの度の選挙であった。
私はもっと詩語りにまい進していかなければならない。本物になるには自分との闘いしかない。

2014年11月16日 (日)

田川紀久雄日記

いま書いている詩集は肩の力を抜いたものが多い。「七人の侍」とい作品では民衆とは何かを書いてみた。これは金子光晴が民衆について書いた詩に疑問を持ったからだ。これは女川原発地区に行ったときに感じたものを書いた。
相撲でもなんでもそうかもしれないが、練習が一番である。強いものとぶつかって技を磨くしかない。しかし詩の朗読には、対戦相手がいない。あるのは実践であろう。でも今の私はライブを行っていない。日々公園で聲を撃ち続けている。そのためには孤独に負けないことである。
『寂静』の版下を作成した。これは来年の春に上梓したい。来月には『新たなる旅立ち』が出来上がってくる。校正は語りながら手を入れている。誰でもが聴きやすいように書いている。

2014年11月15日 (土)

田川紀久雄日記

最近いやな夢ばかり見る。これは世の中が変になっているせいかも知れない。これは世界が欲望の渦に巻き込まれているからだ。産業革命いらい、どんどん暮らしが便利になってきているが、本当に幸せになっているかというとそうでもない。便利さと幸せ感は別なものだ。
詩人にできることは幸せを願うだけだ。これは個人的な幸せではない。世界中が幸せにならないのなら、個人の幸せはないというものである。そのために戦争のない世の中になってもらいたい。集団的自衛権はそういう意味でも賛成は出来ない。平和を求める闘いこそが人間としての生き方である。
衆議院選挙でこの集団的自衛権を止めてゆきたいものだ。この集団的自衛権に賛成する政党には投票しないことがいま平和を守る手段である。国民が出来ることは選挙で止めることしかできない。平和がなければ個々の暮らしの豊かさは無くなる。

2014年11月14日 (金)

田川紀久雄日記

私の詩はほとんどストレートで書いている。それは書きたいものがあるからだ。そこには詩を作ろうという作為がないからだ。普通の詩人たちは詩を書こうという意識が先にある。何が書きたいのかは問題にしていない。だから私のは詩でないと詩人から言われても気にならない。下手も上手も存在しない。そこにあるのは生そのものである。日記やエッセイかもしれない。仏典では散文のあとに詩でそれを書いてある。人々は読みやすいし語りやすい。そのことが大切なのである。
「たぶの木」のメンバーは、心の優しさを追及している高畑さん、生きることの応援歌を書いている山下さん。困難と闘う田川がいる。楽しい詩誌になっている。あと一人同人にむかいたいのだがなかなか見つからない。なかなか同人と会うことができないが詩でつながっていることが大切なことである。

2014年11月13日 (木)

田川紀久雄日記

金子光晴の詩を読み始めている。民衆に対する金子の生きざまにもう一度考えてみたいからだ。いま集団的自衛権の問題にしても民衆は今の自分たちのことしか考えていないのではと思える。衆議院解散にしても、国民は自民党を応援してゆくだろう。政治の安定と言うことで安倍政権を支えてしまう。
言葉では戦争はごめんだと言いながら、選挙では保守的になっていく。アメリカは富裕層は1パーセントであとは貧困層で成り立ている国なのだ。この日本もだんだんそのようになりかけている。株の値上がりと円安で儲けるのは大企業だけだ。トヨタは2兆円も純利益があるという。それなのに国民の殆どが日々の暮らしに耐えながら生きている。年金者・非正規雇用は、税金が上がっても物価が値上がりしてもそれに耐えるしかない。一部の金持ちだけが恩恵を受けている。なんだか生きていることが侘びしく感じてしまう。

2014年11月12日 (水)

田川紀久雄日記

いま私の詩のテーマは、詩語りを通してどう生きてゆくかである。詩語りのテーマを外せば私に近い世界は上野芳久さんである。彼は妻や兄の死を乗り越えて詩と向き合っている。生と死と救済を凝視している。
詩は私にとって娯楽ではない。生きている今を追及する手段でしかない。詩のかたちを借りて書いているが、実は詩ではない。
これからますます貧困層の人たちが生きずらくなっていく。これは日本だけの問題ではない。一部の富裕層が世の中を破壊している。お金だけがすべてだという生き方である。私たちにとって未来の希望さえ感じられない。アメリカでは富裕層だけの街が生まれている。貧困層の犠牲になりたくないという人々の集団だ。富の分配は富裕層だけのもとという考え方だ。イスラム国が誕生してくる背景も感じられる。でも私たちは暴力では何も解決しないということを伝えてゆくしかない。

2014年11月11日 (火)

田川紀久雄日記

詩を書いているとき自分が思わない言葉が浮かんでくる。書くことの楽しみの一つでもある。書けないと思いながらパソコンを打っていると自然に詩になってゆく。それは無意識な言葉ではない。常日頃考えていることが言葉になってくるだけだ。だからいつも何かを考えて生きていなければならない。言葉は経験によって生まれてくるものだ。体験だけでは詩にならない。このことは森有正が何かの本の中でいっていたはずだ。
新保さん、松田さん、冨上さんから詩集代をいただいた。本当に助かる。それから数人からあたたかいハガキが届いた。

2014年11月10日 (月)

田川紀久雄日記

詩人にとって大切なことは地位でも名誉でもない。ひたすら詩を生みだすことだ。そして今という時の中で闘うことである。忍び寄る不安な影と立ち向かってゆきたい。それをどのように受け入れどのように表現していくかだ。そしてつねに平和な世の中を願っていたい。
私は平和を願う方法として詩語りで祈りの聲を発している。言葉とは所詮観念な世界でしかない。それを豊かな世界に変革できるのは語ることが必要である。黙っていては誰にも伝わらない。
詩誌受贈『漪・38号』

2014年11月 9日 (日)

田川紀久雄日記

なかなか魂の聲が聴こえる詩集が少なくなっている。科学などはどんどん進歩して人間の生を脅かすことがあるが、詩にはそれほどの進歩はない。人が生まれそして死ぬ。それまでの時間の中で経験できることはそれほど多くはない。詩で心をうつ作品などそう簡単には出現しないものである。だからテクニックを学びなんとか詩にしようとするのだろう。哀しいことであるが、詩はテクニックだけでは人の心に感動を与えることができない。詩はその人の人生の厳しさの中からしか生まれてこない。といって厳しい人生を送ったからといって詩が生まれるものでもない。才能がなくてもコツコツと詩を追い求めていくことが大切なことである。しかしなかなか世の中からは受け入れられないものだ。それを覚悟して自己の孤独や寂しさと闘うしかない。詩人というものは、詩の中でしか詩人として生きられないものだ。もし詩人として生きたいのなら聲を発することだ。心の叫びを表現できる聲を持つことである。それでもなかなか詩人たちからも受け入れられないものだ。菩薩の心を持って生きるしかない。

2014年11月 8日 (土)

田川紀久雄日記

一休時代の禅宗の僧侶たちは漢詩にうち込んでいた。自己を表現するには詩が必要であったのだろう。いまの詩人たちは自己を追求してそれ詩にはあまりしていない。詩表現は自己との闘いの中から生まれて来るものである。山本陽子の詩はまさにそれ以外のなにものでもない。趣味で書いているうちはまだ詩人とは呼べない。詩はやはり命懸けな行為である。そして詩を語ることもある意味では命懸けな行為でなければならない。私が目指している詩語りはやっとその道が見えはじめてきている。これからが人生の楽しみがまっている。

2014年11月 7日 (金)

田川紀久雄日記

病院に入院しなくてよかった。血糖値の値が予想より低くなっていた。末期ガンの時と同じく自分の生命力で治ることもある。不思議なことが起こるものだ。このことを詩にしていま書いている。医師も薬局の人も信じられないことだという。でも安心していてはいけない。危ないことは変わりがない。
小笠原眞さんからカンパと温かい手紙をいただいた。とても助かる。詩集を上梓して返事を頂けるのはとても嬉しい。詩集を上梓してもほんの数人からしか手紙をいただけない。それをわかったうえで詩集を送っている。前に向かって進むことだけが今の私には必要なのだ。詩集を語れる。そのことが一番の歓びだ。いつの日にか人々の前で語れることを夢見て頑張るしかない。

2014年11月 6日 (木)

田川紀久雄日記

今日は病院に行く。
全身全霊で聲を撃ち込む事が求められている。このような方法は詩人たちから嫌われている。これはなかなか出来そうで出来ないものである。まず聲の力がなければそのようなことは不可能である。私は聲の力の中に心の情を取り入れてゆきたい。
私は毎日のように詩を書いていてこれでよいのかと問うことがある。書く事の虚しさを感じたりするからだ。なかなか社会との結びつきが掴めていないからだろう。書く事はやはり孤独な作業でもある。それに耐えていくしかない。生きているうちに評価されようとしてもそれは無理である。詩人は詩を書いてゆく人の事である。ただそれだけのことだ。評価されることを期待していては本当の詩は生まれてこない。書いて書いてそれを詩集にしてまとめる事しかできない。それだけは生きている内にしておかなければ誰もしてはくれない。死後のことは誰にもわからない。

2014年11月 5日 (水)

田川紀久雄日記

いいたいことを詩の中で表現してゆきたい。本当のことをいうと人から嫌われるが、もうそんなことに気を使うのも嫌だ。一休という人の凄さはそこにある。そこには人に対しての優しさがなければならない。文学というものはその時代によってその時代に応えていけるものでなければならない。詩というものはこうでなければという考え方には疑問が付きまとう。世の中がますます悪くなっている。ということは人間そのものが小さくなって自分のことしか考えない人が増えている。
ここ一週間ほどで詩集の三分の一の量を書いた。書ける時に書かなければ詩集をつくれない。作品かどうかは読者が決めてくれればそれでよい。書き手はそれを詩誌で発表していく以外にない。大切なことはその道に徹する生き方だ。道元の言葉にある只管打座の世界である。それはある意味でエロスの世界にも通じている。
詩誌受贈『栞・1』

2014年11月 4日 (火)

田川紀久雄日記

「野良猫詩人」という詩を書いた。こんどの詩集はいくらか肩の力を抜いたものを書きたいと思っている。でも本当のことを追及していたい。詩人は詩を書いている瞬間だけ詩人でいられる。あとの時間はただの人間でしかない。それでも詩人でいられる人は凄い人である。
詩というものはこれを書こうと思っていて、書きながらどんどん変わってゆく。現実を書いていても現実にはならない。作品はすべてフィクションでしかない。詩作品をいくら批評しても詩の本質までたどることができない。いつも頭を隠して尻尾しか見れないからだ。詩の解説ほど馬鹿げたものはない。と野良猫詩人はいうだろう。

2014年11月 3日 (月)

田川紀久雄日記

詩の朗読に対して考え方がまちまちだ。考え方に問題があるのではなく、どのように語ったかに問題がある。やはり聲を聴いてみないと何とも言えない。大切なのはどれだけ精進をしているかである。「詩人の聲」に参加している人たちもどれだけ精進をしてライブに立ち向かっているかである。一時間を聲を撃てる場はこの場しかない。それはよい経験になる。でもそれ以上必要なのは生き方の問題だ。ここには詩人の知名度などまったく関係がない。大切なのは、どれだけ真剣に聲と向き合っているかである。
アジア大会にでるスポーツでも自腹を切って参加するのがほとんどだ。過酷の中で真剣なってに向き合っている姿を見ると応援をしたくなる。マイナーなスポーツにはなかなか人は見てくれないが、そこには本当の人間の美しい姿を見ることができる。
詩の朗読もマイナーである。だからこそ真剣になって生きなければならない。他者との闘いの前に自分との闘いの日々がある。そこから聲が生まれてくる。
詩集受贈『安倍壽子詩集・葉脈の中の家』

2014年11月 2日 (日)

田川紀久雄日記

昨日銭湯にいって倒れそうになった。そして帰りは途中で足が痺れて動けなくなる。一人で銭湯に行くのは危ない。身体の調子が悪い。気分的にも落ち込んでいる。
「操車場・90号」発送が終わったのでほっとしている。「操車場」も二月ほど休刊するので身体の調子を取り戻したい。妹が亡くなってから休みなく仕事をこなしてきた。疲れも出ているのだろう。
今のアベノミクスは金持ちのための経済で、貧しき人々を置き去りにしていく。経済というものはいかに貧しき人々を減らしていくかということにある。消費税や物価の値上がりで明日の生きる希望がどんどんそぎ落とされてゆく。自分たちの努力ではどうにもならない。
本当の魂の叫びの詩語りに挑んでゆきたい。

2014年11月 1日 (土)

田川紀久雄日記

新しい詩集に着手した。「旅人として」という題である。この詩集をどのように書いていくのかまったく見当がつかない。詩語りの悩みも消えた主人公はどのような旅をしていくのか興味がある。ただ机に向かってひたすらパソコンを打つだけである。
日銀の黒田総裁の判断は誤りだ。金融緩和政策は危険すぎる。日本のこれ以上の借金を生むだけだ。そして貧しい者が増えるだけだ。十一月からもどんどん物価が上昇している。円安は国民生活には厳しい。
いまの詩人たちの詩は本当に生きることからかけ離れている。言葉遊びの感じがしてしまう。詩を書こうとするからつまらないものになる。まず詩を捨てることから詩がうまれてくる。今年もあと二月だ。

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