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2014年8月31日 (日)

田川紀久雄日記

国会周辺のデモを規制しようという動きがある。国民の聲を無視しようとするものだ。国民は原発で事故が起きたらという心配がある。その聲に耳を傾けようとしない。国はもう福島事故のことを忘れようとしている。日本という国には原発も集団的自衛権も必要ではない。国を守るためにわざわざ危険な状況を作ることはない。それといまの自然現象をみれば原発どころの話ではない。愚かな人間が愚かなことを考えているだけだ。
私はやっと詩語りの世界がわかりかけてきた。不器用で才能のない人間はひたすら精進しかない。ウサギとカメの話ではないが私はカメ的人間なのだろう。どんな天才でも努力をする。天才的な人間にはかなわないが、天才とは違った世界を作り上げていけば良いことである。天童大人氏の企画している『詩人の聲』は、詩人にとって良い機会である。ここでまず聲と何かを経験することだ。そしてその先がまだまだある。いまこの先を歩いている人はほとんどいない。私は詩でこのことを書いている。いま私の詩を理解しない人がいる。それはそれでよいのだ。詩の朗読で見果てぬ夢と闘っている詩人がこの世に一人ぐらいいても良いのではなかろうか。十一月からふた月に一回行う予定だ。

2014年8月30日 (土)

田川紀久雄日記

日本人は本質的に意気地なしなのかもしれない。なぜいやなものは嫌だとはっきり言えないのか。そして権力にまかれていってしまう。安倍政権に不安を感じながらも集団的自衛権を拒否できないでいる。経済が優先かそれとも命が優先かといわれても、いまのところ経済優先を選んでしまう。
詩の世界でも、純粋詩が素晴らしいといって誰も読まない詩に酔いしれている人たちがいる。どのような詩が未来に残るか誰にも分からない。宮沢賢治の『雨ニモマケズ』はあれは詩ではないという詩人がいる。大切なのは人の心が詩だと思えばそれでよいだけのこと。バッハの「フーガの技法」とうい作品がある。単純なメロディーで作られているが、演奏するとそう簡単ではない。その心を伝えることは並みの技術だけではできない。『雨ニモマケズ』を語るにしてもその心を伝えることはただ読めば良いというものではない。技術だけではどうにもならない世界がある。それが芸というものである。
ある詩誌の編集後記を読んで嫌な気分になる。このような詩誌に参加する詩人の気持ちがわからない。

2014年8月29日 (金)

田川紀久雄日記

ここ数日涼しくて助かる。詩語りの稽古にもいくらか楽になっている。祈りのための語りを試みるようになってからいくらか語りにも変化が出てきた。どこからも誘いが来ないが、いま私個人としては幸せだ。ひたすら詩語りの道を追及することで生きる希望が持続できるからだ。
詩人たちの朗読は何のために行っているのか私にはわからない。朗読する気持ちが伝わってこないからだ。聲を出すことは熱い気持ちがなければ伝わらないものだ。そのために必要なのはあくなき精進力である。心とは内にあるものでもなく外にあるものでもない。つねに揺れ動いているものだ。それを見つめるのが心である。そのことは語りの世界と同じである。つねに揺れ動く心を心として語ってゆく以外にはない。そこが詩語りの面白さでもある。

2014年8月28日 (木)

田川紀久雄日記

詩を語るときは、祈りの気持ちで行えばよい。そうすることによって彷徨っている死者の霊を少しでも慰めることができる。詩の持つ本来の姿に立ち返る必要がある。昨日新しい詩集『哀しみを越えて』を語ってそう悪くない詩集だと感じた。
たいぶ足腰が弱っていることを感じる。体重を減らしたいのだがなかなか下がらない。運動不足がその原因なのだろう。
詩『日常の中で』を書いた。机に向かえば詩が自然とわいてくる。そこでパソコンで打っていけば詩になる。私の心の中は泉のようになっているのかもしれない。言葉がわいてくるというのは、つねに語るとき祈りの気持ちでいられるからなのかもしれない。語るのも自然体、書くときも自然体。それが詩集にまとまって、語ることの中でいくらか修正をしていく。

2014年8月27日 (水)

田川紀久雄日記

ガザが本格停戦に合意したという。あれだけ破壊された街をこれからどうして再建していくのだろう。闘いはただ人間の命を奪っただけだ。何も戦争から得るものなどない。
原発事故で自殺した渡辺はま子さんに福島地裁が自殺関係を認定した。苦しかっただろうと思う。庭には花を植え、のどかな環境で生活していた。それが突然原発事故ですべてが一転していった。
双葉町・大熊町が中間貯蔵を50億で受け入れる方針だ。とうことは永遠に死の町に化すということになる。なんともやりきれない話だ。
私たちはどのようにして福島の人たちに償っていけばよいのだろう。東京に送るために作られた福島原発。東京都民の犠牲になった双葉町や大熊町の苦しみや悲しみをいくらかでも背負いたい。だから原発再稼働は絶対反対してゆきたい。

2014年8月26日 (火)

田川紀久雄日記

東北被災地に行って以来奇妙な夢ばかりをみるようになった。季節は秋に移っているのに、まだまだ蒸し暑い日々が続いている。身体がとてもしんどい。
詩語りの稽古も長い時間できない。三十分ほど集中して行っている。言葉に魂を打ち込む語りを試みている。深い祈りの叫びを生み出してゆきたいからだ。いま私と詩語りを研鑽したい方を「詩語り教室」募集している。詩人が他者に向けてできることをめざしてゆきたい。
詩誌受贈『千年樹・59号』

2014年8月25日 (月)

田川紀久雄日記

詩集が届いたがミスがあったので送ることができない。ちょっと残念な気分だ。
「たぶの木・13号」ができた。部数が少ないので詩人でない方に送っている。昨日『哀しき聲』という詩を書いた。これは先日大川小学校に行った話である。でもこれは詩かどうかは私にも判断がつかない。ただ書きたかったから書いたまでだ。それは詩語りの旅の出来事であるからだ。
土石流の被害が各地で起きている。日本は平地がいかに少ないか。これは女川に行ったときにも感じた。豪雨が続けば山は崩れる。そいて川は氾濫する。特に川の氾濫で人々は苦しめられてきた長い歴史がある。多摩川のスパー堤防は必要なのだが、莫大な費用がかかる。途中で中止になったがこれからどうするのだろう。苦しむのはいつも庶民である。

2014年8月24日 (日)

田川紀久雄日記

人間の欲望は計り知れない。この欲望を抑えられない人間はいつか滅亡していくしかないのだろう。アベノミクスも政治家の欲望のあらわれである。ひたすら貧富の差を拡大させるだけだ。庶民感情では生活が苦しくなっているのに、政府はこれは一時の間だけであるいう。非正規社員やアルバイトの賃金は一向に上がる気配がない。
今日詩集「哀しみを越えて」が出来てくる。新しい詩語りが生み出されてゆく。大川小学校で聲を発して祈りを捧げた。私の詩語りはこれから祈りの語りになってゆくだろう。妹のためにもそのような語りが良いのだろう。まだまだ新しい詩を書いてゆきたい。

2014年8月23日 (土)

田川紀久雄日記

日本の人口が減少しているのに、なぜ建売住宅が多いのだろうか。土砂災害の現場でも、山の麓までぎっしりと住宅がある。三浦半島を京浜電車を行くと、危険な場所に山を削り住宅がどんどん建てられているのを見ることができる。今の自然現象を考えると奇妙な場所に家が建てられる。狭い国土には安心して住める場所が少ないということだ。
関東はまだまだ暑い。身体がだるい。

2014年8月22日 (金)

田川紀久雄日記

広島の土砂災害想像を超える被害だ。
大川小学校で校庭に落ちていた瓦礫の一部を拾ってきた。そうしたらその瓦礫の周辺が揺れた。子供たちの魂が何かを私に語りかけている。心の語りを子供たちに聴かせなければならない。祈りと怒りと愛をこめて私は詩語りを続けねばならない。誰かが日々祈りを続ける必要がある。子供たちは私に言っているのかもしれない。そのためにも語りができる場所が欲しい。いまのところK公園で聲を撃ちこんで行くしかなさそうだ。
『哀しみを越えて』が日曜日に出来上がってくる予定だ。
『嶺』の仕事が入る。右目が悪いが何とかして版下を作っていくしかない。生活のために頑張らなければ。

2014年8月21日 (木)

田川紀久雄日記

私が思っていた以上の東日本大震災である。石巻から観光タクシーで案内してもらった。そして大川小学校に行けた。そこでは言葉がでない。やっとのことで宮沢賢治の「永訣の朝」を語ることができた。本当の祈りの心で語った。それが精一杯であった。いまの現代詩では何の役にも立たない。
そして追分温泉で一泊をした。夕方家に帰ってくる。
詩誌受贈『国鉄詩人・秋』

2014年8月20日 (水)

田川紀久雄日記

毎日蒸し暑い日が続いている。夜もクーラーを入れていないと眠れない。そのために最近腹の調子が悪い。
今日と明日は東北の被災地を見にいく。まずは大川小学校に。まったくのふらり旅なのでどこまでいけるかわからない。なにしろ交通の便がわるい。それに腰が悪くてあまり歩けない。どうなるのか全く分からない。行くだけだ。

2014年8月19日 (火)

田川紀久雄日記

詩を書くことで今の自分が何をしなければならないのかが見えてくる。昨日も詩が書けた。この分でいくと来月には一冊の詩集にまとまる。書ける時はどんどん書いていないと、必ず書けない時がくる。詩集も上梓できるならばできるだけ上梓してゆきたい。
汚染ゴミの管理もずさんだ。袋が破けてゴミがはみ出している。こんな状態で放置したままでいる環境庁にも問題がある。日本のどこにも汚染ゴミの保管場所などはない。当然政府が強制的に行政処分をしてくるだろう。福島原発の問題は、何も解決されていない。ますますこれから大きな問題が発生してくるだろう。原発を取り上げる報道に携わる人はみのもんたのように消されてゆくのだろう。国はあらゆる手段をもって取り締まってくる。言論の自由があぶない。詩人は個人の苦しみとして掘り下げる中で表現していかざるをえない。一人の人間として叫び続けるしかない。

2014年8月18日 (月)

田川紀久雄日記

昨日は五人しか集まらなかったが、楽しかった。芋畑が多いのに驚いた。芋の収穫は日本一だという。途中まで山武に行く時と同じ道であった。今度は鹿島神宮に行ってみたと思った。
丸山あつしさんのお宅は素敵なつくりであった。まるでギャラリーに来ている感じである。長谷川忍さんは一時間遅れで到着した。高速バスは便利であることを知った。川崎は大洋村より暑い。

2014年8月17日 (日)

田川紀久雄日記

今日は、川崎詩人会が丸山あつし宅でおこなわれる。茨城県鉾田市である。お盆のため交通渋滞に巻き込まれるかもしれない。トイレの近い私は少し不安だ。
「たぶの木・13号」の版下ができる。例会を開きたいと思っているが、なかなかできない。
昨日『新たなる旅立ち』を語っていたら、心から語ることができたような気がする。でもまだ完成したとはいえない。私は命懸けで詩語りの姿を求め続けている。迷うときは詩の形で語りの世界を追及している。だから11月から「詩語りの教室」を始める。そこでビデオを撮り、自分の聲を追ってゆきたい。詩人が個人的に朗読会を開いても人は聴きに来ない。それならばビデオで残してゆく以外にはない。朗読会を開催して朗読に関して話し合うことがない。なにか寂しい。それはまだ本当の聲を撃っていないからなのかもしれない。それも心の聲で撃つことができないからだろう。聲を研鑽すればするほど困難な道を歩まざるをえない。並みの詩人ではできない。

2014年8月16日 (土)

田川紀久雄日記

集団的自衛権のテレビ討論会を見ていても虚しさを感じるだけだ。彼らは本気で平和な世界を考えていない。ここで大切なのは素朴な心ではなかろうか。宗教的にいえば、人を愛する心だと思う。あるいは仏性を究めることである。その一点から武器を持たない国づくりを願いたい。そのようなことは不可能だといわれようが、それを成しとげようとする心のありようではなかろうか。人に馬鹿にされようが構わない。そのような生き方をしたいものだ。
中村文昭さんからカンパをいただいた。それでプリンターのインクを買うことができた。プリンターのインクが高すぎる。
昨日も詩を書いた。「八木重吉の夢」という詩である。詩は読まれない、そして朗読には人が集まらない。それでも詩を書き、語りを行い続ける。それはなぜなのか。それは生きる真実を求めているからだと思う。
上野芳久さんは詩には、この真実を見つめようとする強い闘いの詩を感じる。ここには読者など無用なのだ。私もこの境地まで達したいものだ。詩を書くことも、詩語りも私が生きるためのいのちなのだと、それだけでいいじゃないか。詩集とビデオを残していければと思っている。シューマンの交響曲の一番を聴く。

2014年8月15日 (金)

田川紀久雄日記

戦争中は、卑怯者・臆病者といわれない為に、兵隊に志願して行った若者が多かった。本当の勇気は戦争を反対する事であったのに、それが出来ない世の中狂気と言うしかない。
今は原発反対、集団的自衛権とはっきりと言うべきである。外国から侵略されたらどうするのだという政府のいい分だろうが、平和を守ることが侵略を防ぐことになる。これは簡単なことではない。ただただ平和と叫んでいても平和を摑むことは難しい。
バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ(全曲)を加藤知子さんの演奏で聴く。とてもよかった。天満さんのCDはあまり感心しなかったがこの加藤さんは聴きごたえがあった。日本人の演奏するバッハをもっと聴いてみたいものだ。

2014年8月14日 (木)

田川紀久雄日記

やはり世の中は不景気になっている。これで来年消費税が十パーセントになったら私たちはもう生活が出来なくなる。確かに景気の良い企業もあるだろうが、それはほんの一部なのだ。年金生活者は、昇給もモボーナスもない。物価だけが二パーセントもあがったという。
いま世界中がおかしくなっている。平和を求め聲が大きければ大きいだけ、世の中は不幸であるということなのだろう。
「たぶの木・13号」の原稿があつまっている。この詩誌はできるだけ、詩人でない人に贈っている。だから発行部数も少ない。でも読みたい人には送り届けている。言葉を愛し、心を慰める事にこの詩誌の目的がある。あと一人同人を募っている。詩ではない。心の詩を書ける人が欲しい。

2014年8月13日 (水)

田川紀久雄日記

いまの私の詩は自分と詩語りを見つめるものである。昨日も詩を書いた。
戦争の跡がどんどん消されてゆく。戦争がなかったことにしたいのか。そのようなことをすれば未来に対しての侮辱でしかない。未来の子供たちにたいしてメッセーイジを放棄したことにつながる。復興という言葉の陰で何がなされているのか知らないことが多すぎる。
詩語りにも鎮魂と祈りの語りもしていかなければならない。終戦記念日も近い。詩人たちも過去の詩を語り伝えることが必要である。

2014年8月12日 (火)

田川紀久雄日記

物価の値上がりで生活はどんどん苦しくなる。アルバイトや零細企業では昇給が望めない。アベノミクスでは庶民生活がどうにもならなくなっている。この先のことを考えると不安だらけだ。
Y詩誌が送られてきた。その後記でT市は「戦争も原爆も災害も、嘘っぽくとも偽善的に感じられようとも、書かないより書いた方がましだ。」と書かれてある。「嘘っぽくとも偽善的」なぜ彼ははじめからそのように思うのか。かつて彼に詩集を送って、被災や原発を書いたことで批判された。いや罵倒された感じであった。書いた本人は忘れているが、書かれた私は彼の人間性を信じないことにした。私は末期ガンを宣告された人間だ。いのちに関しては嘘っぽく書けるはずがない。真剣に祈りの気持ち書いてきた。それを頭から非難されては彼に詩誌や詩集を送ることが出来なくなった。詩としてダメならそれはそれでしかたがないとあきらめる。
私はいろいろと詩人から批判を受ける。それはあまりにも次から次へと詩集を上梓するからかもしれない。私はいま詩人たちの言葉をあまり信用しないようになっている。

2014年8月11日 (月)

田川紀久雄日記

台風の爪痕は大きい。異常な雨の量である。川は昔から荒れ狂うものである。川の周辺に住む人たちは川との闘いであった。
昨日『新たなる旅立ち』を公園で語ってみた。なかなかなものであることを感じる。また新しい語りが一つ増えた。この分でいくと年に三、四冊の詩集ができる。詩を書くことで私は前を見つめて生きていられる。そしてまとまった詩集を語れることは歓びである。それ以外なにも求めたりしない。

2014年8月10日 (日)

田川紀久雄日記

長崎でも安倍総理のスピーチは前回のスピーチのたらいまわしである。原発再稼働をすすめる人のやることだ。私はヒロシマ・ナガサキでもなぜ再稼働の反対を表明しないのだろうか。平和利用だから良いのだろうか。福島原発事故を経験した以上黙っていてよいのだろうか。
いまこの国は病んでいる。それも重症だ。国民の一人ひとりがこの病に立ち向かわなければ、この国は滅んでいくしかない。戦前のような軍国主義になってゆく。もう欺瞞に満ちた豊かさなど必要はない。宮沢賢治が「銀河鉄道の夜」の中で「本当の幸せを探しにいこう」とのべているように本当の幸せを求めて生きて行かねばならない。
上野芳久さんの原稿が入った。これからが彼の本当の世界を見つける旅になるのだろうと思う。そのことは私にも言える。
詩誌受贈『ライデン・6号』

2014年8月 9日 (土)

田川紀久雄日記

昨日は、ひどい咳で苦しんだ。身体が暑さを何も感じなくなった。こんなことは初めてだ。
上野さんから電話をいただく。来年新しい詩集を上梓するという。やっと北村透谷の呪縛を越えられて、新しい世界を見出したようだ。それはすごいことだ。私のようないい加減な詩人とは違う。
安藤鶴夫さんの『本牧亭』を読む。芸のところの文章は熱く感じる。正法眼蔵の仏性のところを詩語りと置き換えて読めば、この書物は詩語り論だと思えてくる。詩語り」は空の世界なのだ。たしかにあるようでない世界でもある。ひたすら精進しかないような気がする。もう詩人たちの朗読に関心がない。詩語りに打ち込む自己しか存在しない。私も新しい世界を見出せそうな気がする。

2014年8月 8日 (金)

田川紀久雄日記

被災地に行こうと思ってJRの時刻表を買ってみたら、海岸に通じる鉄道はいまだ不通の箇所がる。これではどうして石巻まで行けるのだろうか。大川小学校に行くにも交通の便がない。足腰の悪い私には歩いてはいけない。自家用車がないと被災地を回るのは無理なような気がしてきた。レンターカー借りるにしても十年も運転をしていない私には運転が怖い。相棒とどうしようかと相談しているところだ。復興が進んでいないような気がする。
昨日青森から東京までのマラソンリレーが終わった。桝添さんは被災地の復興があってこそオリンピックといっていたが、あまり説得力のない言葉だった。神宮にたてるオリンピック会場はとても巨大で、あの場所にはそぐわない。東京に森林をといっていたはずが、自然を壊す建造物が建てられてしまう。今の私は東京オリンピックに反対をしたい。被災地の復興がオリンピックためにどんどん遅れている。それに資材も沸騰し、人材もいなくなっている。世の中がますます悪くなっている。これもアベノミクスの影響であろう。

2014年8月 7日 (木)

田川紀久雄日記

午前中定期健診で病院に行く。
昨日古本屋で「全訳正法眼蔵・訳中村宗一・、誠信書房」を買う。とても読みやすい。全四巻である。それと安藤鶴夫作品集のⅠ・Ⅱ・Ⅳを買う。どれも一冊五百円であった。クーラーの効いた部屋で読むには最適が。眼が不自由でも読みたいものは読みたい。川崎の古本屋は神田よりすうだん安く本が手に入る。
昨日ヒロシマに原爆が投下された日であった。安倍総理のスピーチは欺瞞に満ちたものであった。集団的自衛家について一言も触れない。これでは国民には理解されない。
福島原発も、一号機と三号機は核がとけている。これを取り出すのは不可能に近い。この現実を無視して再稼働を行う方針は絶対許せないものである。汚染水もいまだに解決ができていない。

2014年8月 6日 (水)

田川紀久雄日記

毎日猛暑が続いている。この暑さに身体が追い付いていけない。それに対して四国などでは大雨だ。それもとでもない雨の量である。
国連の人権理事会でイスラエルの軍事作戦に非難する決議を多数で採択したが、日本は棄権に回った。(先月の二十三日に行われた。)これは恥ずべきことである。これでは安倍総理のいう平和国家の意味はアメリカ寄りの平和主義に他ならない。
昨日詩を書いた。「70年すぎたいまい嫌な時代がきた」これは詩とは言えないがどうしても書いておきたかった。今の時代に詩人としていや人間として書いておきたい。詩集『天空を舞う』は小さないのちの応援歌でありたい。

2014年8月 5日 (火)

田川紀久雄日記

昨日Sさんから詩集に対してのハガキをいただいた。「他者を見、世界を見るという作業をを続けていただけたらと願わずに入られません。」とお説教をいただいた。私は社会性のある詩を書いてきたと思っている。この詩人は本当に私の詩集を読んでいるのかと疑問を感じた。この詩人は「潮流詩派」の同人であるが、何を考えている詩人なのかわからない。
他者の詩を理解することは難しい。詩で何を書いたかではなく、何を書こうとしているのが見えてこないと詩にはならない。詩は観念で書くものではない。あくまで心と向き合ってものでなくてはならない。詩は眼で読むだけではわからないこともある。聲を出して語ってみると見えなかったものが見えてくることがある。詩の持つリズムがわかる。それは心臓の鼓動でもある。ここ数日、大聲で語るというよりも、心で語ることを試みている。いまとても外は暑いので二〇分ほどしか稽古ができない。言葉の響きを大切にしてゆきたい。毎日精進することによって、前に進むことができる。

2014年8月 4日 (月)

田川紀久雄日記

原発の再稼働や集団的自衛権については国民の過半数以上が反対しているにも関わらず、安倍政権の支持率は五〇パーセントを越えている。ほんとうに奇妙な話だ。真夏の怪談話のようだ。
昨日、自然のいのちについての詩が書けた。あらゆるものに対していのちへの眼差しをむけていたい。それを詩に書けたらと思っている。人間だけがこの世に生きているのではない。そのことを書く事でいまの現状を乗り越えてゆきたい。そして本当に語りたい詩を書ければと思っている。これもどんどん詩を書きこんでいるから生まれて来るものである。詩が良いか悪いか私には判断ができない。ただ書くだけだ。そしてそれを詩集にまとめていくだけだ。それを公園で語り続けることで自分の存在を意味づけていたい。
「操車場・87号」は金曜日ごろまでは出来そうだ。

2014年8月 3日 (日)

田川紀久雄日記

戦争中、日本政府はあらゆる思想の弾圧を行っていた。それはとても恐ろしいことであった。いま秘密保護法案のことを考えると非常に恐ろしいことである。いま表面は平和な国のように思われるがとんでもない話なのだ。言論の自由も侵され始めている。それは地方の新聞で、俳句で戦争反対の句は掲載を拒否される。右翼的な編集者も増えている。新聞でも、朝日・毎日・産経・東京では社説も大分違う。自分自身がしっかりした眼を持たなければ危険な時代に来ている。
いのちの尊さをどのように詩として書いていけばよいのか。いま詩人が世の中から問われている。

2014年8月 2日 (土)

田川紀久雄日記

生麦にある杉山神社で祭礼がある。階段を登る神輿を見に行く。こお石段の石は江戸城を作るときに船で運ばれてきた石が生麦の海に落ちたものだそうだ。明治になってこの石段はできた。
猫の住む田代島に行こうと思ったのだが、トイレが一つもないという。これではいけない。三陸鉄道にも乗りたいのだが、どういけばよいのか迷っている。
イスラエルとパレスチナとの停戦はイスラエルの攻撃で破られてしまった。戦争の愚かさを身に染みて感じる。
「操車場」の校正ゲラが戻ってこないので印刷ができない。

2014年8月 1日 (金)

田川紀久雄日記

やっと福島原発の責任が問われ始めた。ここにはまだ国家責任が問われていない。これから建屋を壊すことによって放射能が大量に出てくる。どのようにしてメルトダウンしたものを取り出すのかさえわからない。汚染ゴミ問題も何も解決していない。それなのに川内原発の再稼働が始まろうとしている。これは犯罪ではなかろうか。集団的自衛権にたいしても国民の反数以上が反対しているにも関わらず、安倍総理は強引に進めている。
八月だ。暑さはまだまだ続く。今月は東北に行く予定だ。被災地の跡を見てみたいからだ。できれば路上詩語りライブをおこないたい。
右目がわるい。そして腰の調子もあまり思わしくない。でもそれを乗り越えて生きてゆきたい。

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