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2014年2月28日 (金)

田川紀久雄日記

今月も今日で終わり。今月は長く感じられた。
『詩と思想』三月号で、高畑耕治さんと山下佳恵さんの詩作品が今月号に掲載されている。『たぶの木』10号も日曜日以後ブログで読めます。
私は今月10編の詩を書いた。この勢いだと二か月に一冊の詩集が出来てしまう。詩を書かないでいると不安でたまらないのだ。自分が詩人であることを宣言する人は多分少ないと思う。私は胸を張って詩人といいたい。それは詩を書くから詩人ではない。私はある意味で吟遊詩人でもある。そして愛や哀しみを歌える詩人である。その前に人間として生きていたい。
『詩と思想』の「読者投稿作品」で『詩人になるためには学歴や職業歴に当たるものなどいらない。いわば、本物の詩人になるためには、世の賞賛を浴びることは害があって利など何もない』と中村不二夫氏が述べている。それならば一切の賞など廃止してしまえばよいと思う。私は賞はいらないが、懸賞金は欲しい。そしてお金のなる詩語りを行いたい。これは生活能力のない私が言えることなのだ。
田島安江さんから『詩集・牢屋の鼠』が送られてきた。作者は劉暁波(リュウ・シャオボ)である。この詩集は悲しみの叫びである。訳も田島さんが行っている。
詩誌受贈『まどえふ・22号』

2014年2月27日 (木)

田川紀久雄日記

権力に対して口を噤んだら負けだ。原発ゼロとの闘いは辛抱強粘りのある闘いをしていく必要がある。それは未来の子供達の為にも必要だからだ。いまの日本人は無関心になることが最大の悪に繋がる。何をやっても無駄だという思考は、権力者にとって思う壺になる。
原発事故以来、死者は2000人近くなる。今の放射能に汚染されている地域の帰還はなかんか難しくなっている。全員帰還などと政府は言っていたが、それはでまかせであった。汚染対策もほとんど進んでいない。福島の現状を考えれば、もし原発再稼動でま原発事故が起こればと思うだけで怖ろしい。これは他人事ではすまされない。いまの日本人は他者を思う気持ちが無くなって閉ったのだろうか。私たちに出来ることは選挙で安倍政権を批判して行くことしか出来ない。いま幸せで生きていられるのも、その陰で苦しんでいる人達がいることを忘れてはならない。幸せはそれだけの重さを持っていることを感じてもらいたい。

2014年2月26日 (水)

田川紀久雄日記

最終的高濃度放射能の核ゴミの処分場が見つからない。日本ではそのような場所はないということだ。それなのに原発再稼動方針を政府は決める。きれは気狂い沙汰としか言いようがない。安倍総理の頭は悪魔に占領されたとしか言いようがない。未来の子供達には美しい日本などという言葉は渡せなくなる。人の心も狂い始めていきそうだ。
嫌なことだけを考えてもしょうがない。だから一日も早く自然エネルギーの開発を目指してゆきたい。これは科学者の責任問題でもある。
いまスパーなどで便乗値上げの商品が目に付く。低所得者にとっては大変な問題だ。それに反して高級ブランド物が売れているという。ますます貧富の差が拡大している。
銭湯で倒れた後遺症がまだある。

2014年2月25日 (火)

田川紀久雄日記

福島原発は相変わらず汚染水問題は何一つ解決していない。海には流出していないというが、東電の説明は信用が出来ない。原発事故が起これば、もうどうにもならない状態になるということだ。一番被害にあうのはその周辺に住んでいる人達である。除染対策も思うように進んではいない。
武器輸出も、安倍政権ではいままでの解釈から逸脱している。危険極まる方向にどんどん進んでいる。何とかして安倍政権を一日も早く終わらせたいものだ。平和を願う世界から戦争への道を進んでいるとしか思えない。思いやる精神がどんどん消えていく。武器は人を殺すためにあるものだ。それを輸出するとは信じがたい。いまの日本も嫌な事件が増えている。それは心のケアが不足していることと、社会からどんどんはみ出されて孤独になってゆくいまの社会の構造にある。正規社員を減らし非正規社員を増やす傾向があるからだ。まさに歪んだ社会構造になっている。アベノミクスはこの危険な社会作りに拍車をかけている。消費税が上がれば、貧しきものはより貧しくなってゆく。
なにもかも諦めてがダメだ。そのためにも寄り添いあいながら生きていかねばならない。

2014年2月24日 (月)

田川紀久雄日記

昨日銭湯で眩暈がして倒れてしまった。こんなことは生まれて初めてだ。死ぬのかと思った。いまでも足がふらふらしている。これでは妹のところに行けない。病院の検査で血液を五本も採られたせいもあるかもしれない。といっても三日前のことである。
相棒も身体の調子がわるい。季節の変わり目のせいだろう。
『たぶの木・10号』が出来上がる。これは発行部数(80部)が少ないので詩誌との交換は行なっていません。隔月間で発行しています。これは「操車場」と同じく私の手つくりで行なっています。参加者は高畑耕治・山下佳恵・坂井のぶこ・田川紀久雄の四人です。それに時々ゲストを招待しています。詩を愛し、愛を求め、心を癒す作品を目指しています。できるだけ詩人でない方に読んでもらいたいと思っています。

2014年2月23日 (日)

田川紀久雄日記

原発の事故で、周辺の住民に対しての補償がなされていない。住民への補償がなされないまま原発再稼動の動きが加速されている。安全だから再開しても大丈夫だという意見は、原発事故以前と何ら変っていない。核ゴミもどう処分するのかさえ決まっていない。東京とはこの福島原発で潤ってきた。その都民が福島の住民を応援しないのは不思議な思いがする。都知事選挙も可笑しな形で終わってしまった。東京とはいま福島の人達を助けなければならない。それなのに六年後のオリンピックで原発の利用を考えている。
詩人は他者の哀しみを自分のものとして表現していかねばならない。「お前が被害にあった訳ではないのに、なぜ原発のことを書くのだ」という人もいる。他者の悲しみや苦しみや哀しみを受け入れらない人は貧しい心だ。詩は歓び・哀しみ・苦しみを謳うのが詩の本質だからである。そして読者に安らぎを提供していかねばならない。この世には、まだ詩を求めている人達がいる。詩はいのちのうたである。そのことを忘れてはならない。

2014年2月22日 (土)

田川紀久雄日記

オリンピックの馬鹿げた報道にはあきれる。これは単なる国家主意を煽っているだけだ。勝負は時の運もある。みんな努力して精一杯行なった。それ以外の何物でもない。スポーツの素晴らしさを忘れてメダルだけがオリンピックのように思うのは誤りである。まずオリンピックに出られるだけでも凄いことである。
それに比べれば詩人の存在感など酷いものだ。まず報われることはない。だから自分の納得する仕事を行い続けるしかない。誰が何と言おうと自分自身を信じて生きるだけだ。そして多くの人たちを愛していければそれで良い。
もうすぐ春がくる。やはり春がくるのが待ちどうしい。みんなが少しでも幸せになればいいなと願う。それにしても世界では、悲惨なことが多すぎる。
福島原発で自分達の家を失った人達の保証はほとんどなされていない。こんな無責任で原発の再稼動が許されるのだろうか。不条理の世界がこの日本で起こっている。この現状から眼を背けてはならない。

2014年2月21日 (金)

田川紀久雄日記

『はだしのゲン』が教育現場から撤去請願されている。世の中がまさに右翼化している。政府の集団的自衛権も憲法解釈の誤りである。立法府の存在を形骸化している。アベノミクスは、戦前の世の中に戻ろうとしている。それなのに安倍総理の支持率が50パーセントを超えている。いまの世の中はおかしくなっている。
人の心も萎縮して行く。人と人が愛せない世の中になってゆく。人の哀しみを自分の心のように感じなくなったらおしまいだ。
いま福島原発は、危険な状態に置かれている。報道の数も少なくなっている。大量の高濃度の汚染水が漏れても安全だと東電は言うだけだ。いったいいま原発の内部はどうなっているのだろうか。ないも分からない。それなのに原発再開の始めようとしている。いまなお福島住民達に苦しみを背負わせ続けている。
来月、胃カメラやその他の検査がある。検査ばかりで身体が疲れる。それに妹のことが心配であまり眠れない。
中村文昭さんからカンパを頂いた。ありがたい。これで医療費が支払うことが出来る。いつも綱渡りの人生である。一日も早く詩語りのライブを行ないたいものだ。

2014年2月20日 (木)

田川紀久雄日記

今日は七十二歳の誕生日だ。
午前中は病院に行く。私にとっては医療費の支払いが大変だ。でもこうして病院通いで元気でもいられる。健康はお金にかえられない。私にはやらなければならないことがある。それは詩語りを極めることである。いま稽古はとても楽しく感じられる。生きていることの苦難は、詩語りにとっては必要なことでもある。それによって語りの深さも増してくるからだ。いまは自分自身との闘いである。末期ガン宣告以後の詩集を語れる。どこまで詩集を上梓していけるのか? それは解らないが、もっといのちの深みを書いてゆきたい。いまは妹のことで大変だが、これもいのちを見つめるものにとっては必要なことなのだろう。
これからもっと邁進して生きてゆきたい。

2014年2月19日 (水)

田川紀久雄日記

大雪で交通が大変になっている。自衛隊の派遣が遅すぎた。秩父市でも要請したにも係わらず埼玉県はそれを拒否していた。現地の状況を知らない役人のすることはいつもこうなる。これはパートで働いている人達にも言える。正社員の人達はパート従業員のことなど無視して行動を押し付けたりする。いつも苦労するのは、現に働いている底辺の人達である。仕事を押し付ける割に賃金は安い。これは零細企業にも当てはまる。アジアで下請けの企業で働いている現地の人たちにも当てはまる。彼らはいかに低賃金で働かされているか。いま我々の生活が豊かなのはこの低賃金で働かされている人たちがいるからである。
地球全体から見れば、苦しみに病んでいる人達が圧倒的に多い。免疫力も自分の幸福を求めるよりも、他者の為に生きている人の方が免疫力が高まるという。私も他者の為に何とかしたいと願って詩語りに取り組んできた。そのために末期ガンとも負けずに闘い抜いていられる。人の心に届く聲を求めて日々精進をしている。

2014年2月18日 (火)

田川紀久雄日記

天気予報の当る確立は当てにならない。いくら科学が進歩しても自然の動きにはついていけないものだ。自然を敬うこころが大切だということになる。
今月の生活費は底をついている。こう物価の沸騰ではどうやって生きていけば良いのか解らない。ベースアップが話題になっているが、相棒のようにパート社員では昇給など望めない。アベノミクスは貧困層にはかえってマイナスな面が多すぎる。とくに零細企業では、つぶれていく会社も出てくる。
東日本大震災で、いまだに農家などは見通しがつかないでいる。復興予算はいったいどのようになっているのか。本当に救済しなければならないところには手が届いていないのが現実である。アベノミクスは、フクシマや東日本にはなるべく知らんぷりをしている。日本の復興は東日本大震災で被害を被ったところから行なうべきである。三年もたってまだ仮設住宅にとどまっているなんて信じられない話だ。哀しみは日々深まってゆくばかりだ。

2014年2月17日 (月)

田川紀久雄日記

雪の影響でクロネコ便の集荷ができない。そのため発送が出来ないでいる。「たぶの木」の校正ゲラもまだ遅れないでいる。また水・木曜日に雪が降るという。自然の力は怖ろしいものだ。
原子力再稼動の動きが活発になっている。柏崎原発も敷地内に各断層があるにもかかわらず東電は動かないと言い張っている。誰が見ても危険な状態である。もう原発再稼動は取りやめてもらいたいものだ。一日も早く自然エネルギーに舵を切るべきである。
いまのオリンピックの異常な報道には飽き飽きする。冷静をかいた報道は悪である。もっと大切な報道があるにも係わらず、オリンピックを騒ぎ立てるのはもう止めていただきたい。
今日は妹に会いに行かなければならない。
詩集受贈『うえじょう晶詩集・我が青春のドン・キホーテ様」
書籍受贈『佐藤彰著・いのりから生まれるもの』久保有政編著・この人の生涯に学ぶ』

2014年2月16日 (日)

田川紀久雄日記

NHK会長問題は最悪だ。言論の自由が守られないテレビ局は意味をなさない。イギリスのBBCのように政府とは一線を画さなければならない。田中角栄ロッキード事件のときのNHKは報道を政府の要請によって中止をした。あのときからNHKはおかしくなっていたのかもしれない。いま何処のテレビ局もオリンピック一色で大事な政局などほとんど報道されていない。国民から政治の話は切り離されている。安倍政権はますます独断の方向に向かっている。
昨日、雪かきを行なったら今朝は身体中が痛い。齢には勝てない。また木曜日に雪が降るらしい。

2014年2月15日 (土)

田川紀久雄日記

昨日は本当に良く雪が降ったものだ。朝起きると、前回の雪より多く感じられた。相棒は今日も出勤で大変だ。
詩というものは個人の問題を掘り下げていくしかない。技術が上手いとか言うことより、その人がその人なりの作品を書いているかどうかが大切なのである。詩を通じて人間を観る眼を養うことも大切なことの一つである。「たぶの木」の作品は、そのような視線で私は見ている。人の心に寄り添うって観ることも必要である。知らない詩誌などは漠然と読んでしまう。ただ作品を集めて載せる詩誌と、仲間の人間を知って作る詩誌とでは詩誌でも性格が異なってくる。書き手を思いやる心がまた自分の成長を促せてくれるものだ。面白いとか詰まんないということで読んでいては虚しいものだ。だから詩誌評など読んでいても何も感じない。要は自分がどのようにその詩と係わったかが大切なだけだ。だから私には解らない詩も多くある。すべての人間を理解できないように、すべての詩を理解することは不可能だ。
詩誌受贈『ほいさ通信・29・30・31号』

2014年2月14日 (金)

田川紀久雄日記

今日は一日雪が降るという。雪が降ると心も寒くなる。
いま妹に対しての詩の連作を始めている。詩を書くことで辛い思いに耐えていくしかない。やはり生きているから詩が書けるのだ。次から次へと書かなければならないことが生まれてくる。そしてそれを発表できる場が三箇所ある。「操車場」「たぶの木」「新しい風」と発表できる場があることは有り難い。詩集もあと三冊分が完成している。この分でいくと二月に一冊の詩集ができる。書きすぎるのかもしれないが、詩というものは、書けるとき書かねば書けなくなるものだ。私にとって詩は書くものというより、生まれてくるものである。それは魂の叫びであるからだ。詩集を上梓してから誤字があることに気付くことが多い。でもあまり気にしない。詩語りのときに直していければよいのだからだ。だから詩が完成することはない。語るたびになおせるところは直してゆく。詩集は詩語りのためのたたき台である。
操車場の購読料が「七月堂」さんから送られてきた。これは上野さんのおかげである。

2014年2月13日 (木)

田川紀久雄日記

妹の延命治療をしないことを医師と話し合う。やはり決断をするのは心苦しい。出来るだけ自然死のような状況を作ってあげたい。今は何もしたくない気持だ。父母の死より辛い。それは兄妹だからかもしれない。障害者をもって生きることはあらゆることに対して不利であった。これは言葉で言い尽くせないものがある。世の中は綺麗ごとを言っても、まだまだ不平等である。親の介護にしても、会社をやめなくてならない人が多い。いま一番必要なのは介護の問題ではないのだろうか。これは個人が背負うのではなく、世の中全体で助け合っていかなければならない問題なのだ。
世の中は経済発展を目指しているが、福祉問題は取り残されている。今度の消費税も本当に全部福祉に使われるのだろうか? 東京オリンピックも前回のように国際銀行から借りて行なうのではないのだろうか。この国は国債でも膨大な借金である。なかなか福祉にお金が廻らない仕組みになっている。
「たぶの木」の原稿が集まった。とても優れた作品だ。温か味のある詩誌を目指していたい。
『遠ざかる風景』の反応がほとんどない。淋しいものだ。今は心が凍えていて何もしたくない

2014年2月12日 (水)

田川紀久雄日記

今回のオリンピックにはまったく関心がない。その原因は過剰な応援である。スポーツである以上、個人の楽しみの上にスポーツが成り立っている。それが国家意識が丸出しになると何がスポーツだといいたくなる。勝敗は時の運である。スポーツは楽しく見ていたいものだ。
妹の身体が悪いという。今日は午後から病院に行かなければならない。妹にして上げられることは、会うことしかない。何も話さなくても顔を見るだけでも良い。このところ不眠が続いている。

2014年2月11日 (火)

田川紀久雄日記

何事もバランスが良いほうがよい。政治の世界もそうである。しかしこのところ選挙を行なうたびに一方的に偏りがちになる。いまは民主主義であるから誰がどこにいれようと自由である。どんなものでも完璧なものはないのだからいたし方がないのかもしれない。誰でも平和を願っているのだが、原発ゼロに対しては具体策が掲げられなかった為に票は伸びなかった。理想と現実の生活との開きが大きすぎる。ますますフクシマのことが遠ざかっていく風景になってゆく。
昨日『復活』の詩語りを初めて公園で語った。この詩は妹のことが中心に書かれている。語っていて何か熱いものを感じた。そしてテキストと聲が自由になっていることを感じた。
詩集代をカンパしてくださる方に感謝をする。このカンパを頂くことによって次の詩集が上梓する道が開かれてゆく。あと何冊詩集を上梓できるかわからないが、懸命になって詩を書いてゆくだけだ。

2014年2月10日 (月)

田川紀久雄日記

都知事選は舛添氏の圧勝である。現実思考を都民は選択した。未来に対しての想像力の欠如としか言いようがない。でも原発ゼロとの戦いはこれで終わったわけではない。これからが勝負である。舛添氏はいいことばかり言って実際実行が出来るのかは危ういものだ。これでますます安倍政権が暴走するのではないかと不安を感じる。
詩人達を見ていると自分のことばかり言っているように思えてならない。少しでも共生できる世の中を目指して生きたいものだ。私に出来ることは本当の詩語りを目指していくこと以外にない。言葉と聲が自由になってゆくことを目指して精進をしていたい。

2014年2月 9日 (日)

田川紀久雄日記

今日は川崎詩人会である。昨日は大雪であったが多分今日は交通も大丈夫であろう。
上野芳久詩集『荒川通信』が送られてきた。金子秀夫さんの所の焔叢書から出されている。表紙絵が丸山あつしさんである。丸山さんも古くから金子秀夫さんと付き合いがあったことを知った。
小笠原眞さんからカンパをいただいた。彼も先日詩人論を上梓したばかりなのに有り難い。『詩人のポケット』はとても楽しく読めた。彼の人柄がよく出ていた。詩人は一冊でも多く詩集を出すことが求められている。貧しい生活の中でも懸命になって生きている。『詩人のポケット』を読んでいたそのことを痛感した。

2014年2月 8日 (土)

田川紀久雄日記

今日は久しぶりの大雪である。
前向きに生きることによって、詩の世界も新しいものが視えてくる。時代の流れに負けてはいられない。まだまだ大空に向かって聲を撃つことが求められている。明日の東京都知事選挙の行くへはどうなるのだろう。原発ゼロの方向に向けてもらいたいものだ。そして福島や大震災の地の復興を一日も早く願う。
町を散歩していると、遺産相続で家が壊され、小さなうさぎ小屋がどんどん建てられている。庭も壊され、樹木もなくなっている。いま自然破壊がどんどん進んでいる。
ソチオリンピックが始まった。私に言わせればグロテスクな祭典のように思える。国家意識むき出しの祭典でしかない。ソチの住民達を不幸に追いやって建てられたオリンピック競技場。東京オリンピックでも馬鹿でかい競技場を作ろうとしている。オリンピックという名でどんどん自然破壊が行なわれる。馬鹿騒ぎのお祭は出来るだけ見たくはない。私は小さな幸せを求めていたい。

2014年2月 7日 (金)

田川紀久雄日記

新聞・テレビで原発関係の報道が少なくなっている。なにか政府の圧力を感じる気がする。特に福島原発の記事が見当たらない。それにNHKの問題もおかしい。私たちは知らないうちに軍国主義の社会に巻き込まれていくかもしれない。これからが日本人の平和を守る闘いが始まるのだ。戦後いろんな事があったが、戦争に巻き込まれることがなかったのはいまの憲法があるからだ。今の憲法25条は世界遺産に登録してもおかしくはない。世界一素晴らしいものなのである。平和を守ることは人間のいのちを守る闘いでもある。
経済優先の社会が人間の心をゆがめている。お金で幸せが買えるといった精神は間違った思想である。確かにお金は必要である。内村鑑三の書物にお金の使い方に関する本があった。富の分配が上手くいかないと世の中はおかしな社会になってゆく。アメリカのように一パーセントの富める者と九九パーセントの貧困に喘いでいる人々の世の中になってしまう。資本主義国家は本当に人間を幸せにする国家ではない。
オリンピックの報道は何か気狂いじみている。東京オリンピックも巨大な競技場は必要がない。オリンピックは国家の為にあるのではない。あくまで平和を築く場であることを忘れてはならない。
詩誌受贈『秋田県現代詩年鑑』

2014年2月 6日 (木)

田川紀久雄日記

おしだとしこ詩集『鳥のように』が送られてきた。前に『詩と思想』に私の詩集を紹介していただいた。私はおしださんのことを知らないと書いた。そしたら、以前名古屋で中日詩祭で私たちの詩語りを聴いたことがあるといわれた。詩語りで呼ばれていくと、このようなこともある。彼女の詩を読み始めたら、どんどん惹きずられていった。言葉の奥に秘められた熱いパッションを感じた。おしださんが言うように、上手い詩集はいっぱいあるが、本物の詩はなかなかないものだ。本物の詩は生きている重さを感じる。どうしても書かねばならないものを書いてある。
私が詩集に求めているのは魂の癒しである。詩集を上梓するのは、心が分かち合える人を求めているからだ。言葉に寄り添う、その作者に寄り添う。まるで美しい風景や花々に出会ったかのような気分にさせられる。詩は本当に美しいものなのだ。そして心がときめくものである。そして私はそれを聲に乗せて語りたいと願う。本当の詩人の聲を聴きたいものだ。

2014年2月 5日 (水)

田川紀久雄日記

人と人との触れ合いが少なくなっている。果たして本当の友人がいるのかさえ解らなくなっている。人の心が右翼化しているのかもしれない。いま世の中がぎすぎすしている。まともにものが言えない時代になりつつある。相手の意見などに耳を貸さない。嫌な時代だ。そして言葉の虚しさを感じてしまう。
『哀しき渚』のUSBが壊れた。数編の詩が消えたのだ。予備を作っていなかった。昨日はショックで何もやる気がなくなった。パソコンは便利であるが、思いもよらないことが発生する。ガンで亡くなっていた人たちの思いを、いまなお生きている私が懸命で生きてやりたいことをすべてやろうとしている。生きていることに必至なのだ。
操車場の製本中に気分が悪くなり、そのまま作業が出来なくなった。寒さのせいなのだろうか。昨日立春であるが、雪が降るなんて驚いた。
昨夜シューベルトの『冬の旅』を聴く。ディースカウとバレンバイムのCDである。

2014年2月 4日 (火)

田川紀久雄日記

ブラック・企業はある程度会社は行なっているのではなかろうか。労働とは賃金に変換できるはずのものが、それが無賃金で働かされる。これだけ企業の同士の競争が激化すれば、会社の利益をあげようとブラック企業が生まれてくる可能性が高くなる。それは特に中小企業に多い。いまの資本主義の構造は勝つものだけが豊かになれるという方式だからだ。大企業はピラミットの構造になっている。つまり非社員と下請けで成り立っている。下に行けいくほどいくら働いても貧しい。消費税や物価が高騰すれば生きて行くのさえままならない。いまのアベノミクスはこれらの下層社会の救済はない。この構造を変えない以上、日本は滅びていかざるをえない。
詩のいろんなテーマやスタイルがある。いま私の求めているのは魂の救済なのである。これは宗教と重なるところがあるが、詩はあくまで人間の存在としてそれを追求して行く。神や仏でそれを解決することはしない。寄り添うことや哀しみを癒す言葉を探し出してゆく。ようは魂の旅を描くのだと思う。そして聲の中でそれを表現したいと願っているだけだ

2014年2月 3日 (月)

田川紀久雄日記

ソチ冬季オリンピックが間もなく開催されるが、決して喜ばしいことばかりではない。ソチ周囲の住民に対する立ち退きや、保証がまったくなされていない。国民の生活を犠牲にしてまで行なうオリンピックとは何なのか。東京オリンピックも行なった後の経済はどうなるのか不安材料が一杯ある。一番問題なのは自然破壊である。経済の豊かさだけが幸福の源ではない。まずは富の分配である。貧富の差を縮めてゆくことが大切なのである。
正社員の非正社員との格差がどんどん広がっている。そしてその非社員の人格までも否定されて行っている。人に対する思いやりが消えかけている。「文句を言うならやめたらどうなの」といわれるような状況なのだ。今の大人たちは人に対しての思いやりに欠けている。
高畑耕治さんがブログで「ルソー」のことを書いていたが、人に対する愛を彼は強く求めている。彼の詩もそこから生まれている。いま詩人の前に一人の人間であることを忘れている人が多い。

2014年2月 2日 (日)

田川紀久雄日記

もうすぐ東日本大震災から三年になろうとしているのに、ほとんど復興の兆しがない。そして放射能汚染の森林は放棄されたままだ。作業している人達のビデオを観ても作業着だけで放射能対策がなされていない。これでは作業をしている人達はガンになりやすいのではなかろうか。政府や東京電力では出来るだけ援助をしないようにしているしか思えない。
『遠ざかる風景』も忘れられていく記憶をなんとか心のうちにとどめておきたい気持ちが書いたものだ。詩人は書くことしか出来ないのなら、ひたすら書き続けるしかない。私にとって詩というものは、聖書や仏典を読むような気持ちでありたいと思っている。ようは心の支えになるものを書いてゆきたい。哀しみ苦しんでいる人達に少しでも心の支えになれる言霊を発してゆきたいものだ。そしてそれを聲でこの宇宙に向けて語り続けていたい。私は誰もいない小さな公園で樹木に向けて語っている。
詩人の聲は、語りたいという情熱がなければ聲は生まれてこない。何事にも命懸けなことなのだ。五年・十年ぐらいやってきてもまだ語りの聲などできるものではない。三十年近くやってきた私が言うのだから間違いがない。あくまで日々精進しない詩人の聲など人の心に届くものにはなれない。ますますやればやるほど下手になっていくことが解る。だからこそ日々精進をしたいと思うのだ。

2014年2月 1日 (土)

田川紀久雄日記

緩和病棟は、割合とお金がかかるといわれる。私も妹もお金はない。どうしたら良いのかわからないまま横浜市立病院から帰ってきた。気分が落ち込む。
今私たちは未来の子供達の為に原発エゼロに切るかえる決断をしなければならない。それなに安倍政権では逆方向に向けて進んでいる。国民全体の幸福は難しいのだろうか。介護・医療で国民が消費税の値上がりはいたし方がない。
シリアでは食べ物がなくて雑草やネコを食べていると新聞に掲載されてあった。本当に内戦は終わらないのだろうか。宗教の対立で戦争が起こるなんて最悪だ。宗教は隣人を愛することが目的ではないのか。
今使っているパソコンはPXなので四月までに新しいものを買わなければならない。詩集を何とかして一冊でも多く売りたい。

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