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2013年10月31日 (木)

田川紀久雄日記

一ヶ月が経つのは早いものだ。それだけ日々を大切にしていないと、生きている実感が感じられない。操車場の締め切りが今日であるが、まだと何処ない原稿がある。
詩というものは個人の思想や個人の内的葛藤がテーマになる。だからといって詩は難解でよいというのは私は受けいれられない。始めから人に解らなくていいのだという考えには反対するが、そうしなければならない言葉もある。例えば山本陽子のような場合だ。これは例外中の例外なのだ。詩で社会的な言葉に寄りかかるのは詩としての問題もある。それがあくまで内的要因ならしかたがない。詩というものをどのように受け入れるかは個人的にも異なっている。詩が詩人同士で批評しているいまの現状では詩の限界を打破できない。まあ個人の好みでどうぞ勝手に読んでくださいとしか言いようがない。
「北方文学・69号」に柴野毅実さんの「まちえ・ひらおという詩人がいた」が読み応えがあった。彼は柏崎の人である。つまり私の生まれた地の詩人である。それと鈴木良一さんの「新潟県戦後50年詩史〈3〉」も大変な仕事である。つい最近まで「越後タイムス」は私の父の実家の隣にあった。
詩誌受贈『遊詩・40号』{北方文学・69号』

2013年10月30日 (水)

田川紀久雄日記

詩語りの修行は道元の説く「只管打坐」と同じだ。ひたすら座禅を行なう。それはひたすら聲を打ち込んでいく。道元が「正法眼蔵」を書いたように、その形を詩の中に書き込んでいく。カ書くことによって聲そのものを明確化していく作業になる。この業と書くことが同時に行なわれることによって精進の虚しさから解放される。ただひたすら精進にのみであったら辛いものだ。『聲を求めて』を書いたことによってライブを行なわなくても今という時に耐えていける。詩語りなど他者には何の係わりもないが私という人間にとっては大切なものなのだ。精進にはこれで良いという場がない。つねに不安と迷いの世界で闘っている。不安と迷いがあるからこそ語りの深みに下りていけえる。詩語りは自己を救う一つの方便であって、他者に寄り添うことでもある。
『寄り添う』が来月の六日ごろに出来上がってくる。操車場と一緒に発送が出来そうだ。

2013年10月29日 (火)

田川紀久雄日記

みのもんたの親の責任問題は、まるで何かにはめられた感じがする。親には責任がないとは言えないが、成人した子供にどれだけ親が責任を持たなければならないのかは疑問だ。これは日本人の島国感情が付きまとっていて嫌な感情にさせられる。
『遠ざかる風景』の版下を作成する。これは来年の三月ごろに本にしたい。しかし『寄り添う』がどれだけさばけるかによって発行日がかわってくる。詩集は売れるものではない。義理で買ってもらうことが多い。新しい詩集を作ることによって詩語りにも力は入る。語りを深めるにはつねに精進しかない。それも木の年輪と同じようにいろんな試練に耐えることによってしか変えていけない。ちょっと変化するにも数年はかかる。これを辛抱強く耐えて行なうことによって味が生まれてくる。語りの面白さは長い精進の果てに生まれてくる世界である。若い時は若い時の面白さがある。歳をとればそれなりの風格が生まれる。それは毎日の稽古があるから面白さが生まれるのである。稽古も何もしないで朗読をする詩人には何の期待ももてない。そのような詩人は朗読する資格がない。赤信号みんなで渉れば大丈夫では困るのである。

2013年10月28日 (月)

田川紀久雄日記

川崎市長い選挙は自・民・公推薦の秀嶋氏が福田氏に敗れた。共産党推薦の君嶋氏は最下位であった。残念。
東電は除染費負担を全面拒否と報道されている。国が1.3兆円以上も立替を行なっている。こんな無責任な電力会社があるのだろうか。柏崎原子力発電の再開など問題外だ。
世の中は少しも良いことがない。昨夜巨人・楽天の野球を最後まで観てしまった。どちらのファンでもないがマチャンの投球を見たかっただけだ。勝負事は勝ってナンボの世界である。その点詩の朗読は救いようがない世界でしかない。
昨日インターネットで「北海道新聞」の記事でいま吉増剛造と田川紀久雄だけが本当の聲を発していると書かれている。この記事は相当古いものだが、社会はこう観ていたのだ。そして詩の朗読はやはりどうにもならないと書かれている。
ひたすら自分の聲を深めたいと毎日二時間も聲を打ち込んでいる。努力しない聲など何の価値もない。ただの垂れ流しでしかない。このような朗読にお金を払うものなどいない。お金を取るということは命懸けなことなのだ。そのことも知らずに舞台に立つなどということはちゃんちゃらおかしいことだ。『詩人の聲』で何人私が聴いて頷く詩人がいるのだろうか? 天童氏は頑張っているのだが果たしてこれからどうなるのだろうか。

2013年10月27日 (日)

田川紀久雄日記

秘密保護法案で、原発問題まで秘密にされてしまう恐れがある。何が本当に秘密なのが国民には知らされない。もし漏らせば市民にまで厳罰が求められる。東京オリンピックに向けて原発問題は密閉されるかもしれない。安全でありますということは、危険ですと同意語でもあるからだ。
今日川崎市長選挙である。自民公が押す候補者が有利だろう。共産党はあまり好きではないが共産党に入れたくなる。私たちの世代は何でも反であった。でも安保も止められなかった。国家権力の前ではつねに敗北してきた。安保反対の間に原発が国会では決められていったのだ。広島でも平和利用の原発なら賛成だといわれた。嫌な時代を過してきた。
昨日は久しぶりに淺川マキの歌を聴いた。最後聴きに行ったのは新宿のピットインである。あのときはピアノの渋谷さんが送れてやってきた。どこかのエレベーターの中でであったことがある。「赤い橋」を聴いていて涙がでた。

2013年10月26日 (土)

田川紀久雄日記

日本は急激に右翼化が進んでいる。最後に残る憲法を守ることが何処まで出来るのだろうか。野党が少ない国会では、それすら危うい。アベノミクスで踊された国民がいかに痛い目を受ける日が近づいている。創作自由すら奪われる日が来るかもしれない。
詩のテーマで何を描こうかどうかは書き手の自由である。詩人達はもっとおおらかでいたいものだ。作品で心が打たれなければ読者は無視するだけだ。庶民の多くが現代詩に無関心なのは詩人馬鹿が多すぎるからではあるまいか。別に読者に媚びろとはいってはいない。すこしも読者に媚びる必要もない。書きたいことをあくまで自由に書けばよいことなのだ。所詮詩はお金にもならないし世の中の生活の足しにもならない。自分の信念で書くしかない。詩人同士で足を引っ張り合いだけはしたくないものだ。嫌なものは無視すれば済むことである。
私のところにも詩集が多く送られてくるが、心のひだに触れないものは読まないものもある。感動した詩集には、本当に有難うと心の中で叫ぶことにしている。早川義夫さんが、本を送ることは捨てることだ。そして送られてきたものは拾うものだといっていた言葉が思いだす。
『たぶの木・8号』は高畑耕治さんのブログでも読めます。

2013年10月25日 (金)

田川紀久雄日記

「生活保護法改正案に反対する学者など研究者の共同声明による共同声明の賛同者が千人を超えた」と今朝の東京新聞に掲載されている。この改正案は弱いものいじめ以外の何物でもない。アベノミクスは弱者にまったく配慮がない。消費税が上がっても本当に全部福祉関係に使われるのか疑問だ。それならば消費税といわずに福祉税と呼べばいいのだ。それに国会議員の数が一向に減らす雰囲気はない。
伊豆大島で避難する人たちのペットは避難所に受け入れられないという。これは東日本大震災のときもそうであったが、ペットは人間と同等に扱うべきだ。ペットは家族の一員なのである。動物に対して日本人の思考は低い。
詩集受贈『田島安江詩集・遠いサバンナ』

2013年10月24日 (木)

田川紀久雄日記

数日前に詩集『哀しみを越えて』を書き終わっていたが次のテーマを探していた。そして昨日『復活』というテーマで新しい詩集と向き合うことができた。
一旦妹が退院したが昨日また入院をした。「復活」というテーマは生きていてほしいという願いからだ。それはいのちへの復活でもある。生きていることは辛いから「哀しみを越えて」を書き続けていたが、それだけでは哀しみを越えることができなかった。
私の詩のテーマは生きることのいのちである。そしてそれを世の中に伝えられる詩語りを行なうことである。誰一人として私の語りを聴きたいという人は出てこない。でも私の心は寂しくはない。いまやっと語りの世界で何かを摑んだ気がしているからだ。いのちの語りが完成に近づいている。そのことが嬉しいのだ。ひたすら公園で精進を続けている。天に向けて語っている。孤独であることによって自分が逞しくなってゆく。

2013年10月23日 (水)

田川紀久雄日記

世の中はだんだん本当のことが言えなくなりつつある。どこまでが言論の自由かさえ分からなくなっている。一番大切なのは名もなき人々がどんどんはっきりということだと思う。政治家にとって怖ろしいのは国民の聲であるからだ。
原民喜の評伝を読んでいて、やはり原子爆弾は怖ろしいものである。あれは間違いなく犯罪である。早く戦争を終わらせるためだというアメリカの答弁はウソである。そして福島原発事故もやはり怖ろしい。放射能の問題はじわじわと影響してくるのではなかろうか。政府はやっきになって事故がなかったかのように振舞っている。そのことがとても怖ろしい。汚染水問題でも安全だという根拠はないのだ。
秘密保護法案を与党が承認してしまった。バカヤロウと叫びたい。
作家の連城三城紀彦氏が胃ガンで亡くなる。六十五歳出なくなるのは早すぎる。

2013年10月22日 (火)

田川紀久雄日記

汚染水がブロックしているという安倍総理の答弁はとても信じがたい。日本の食は安全化と問われたら、本当のところ答えられないのかもしれない。お米だって人間には安全だが農薬で赤とんぼが激減している。日本の美しい風景がどんどん消えていく。外来種の草花が増えている。生活の豊かさは、逆に人の心を貧しくしている。
アベノミクスで給料の上がる人もいれば、下がる人もいる。世の中の貧富のさは拡がるばかりだ。
小野恵美子著『花の幻・評伝原民喜』が届いた。私は原民喜の著作をわりあい読んでいるが、原さんの人生にはあまり知らないところがあった。この本は私にとってありがいたい本である。夜中三時に眼がさめたらそれから眠れないのでこの本を読み始めた。
詩語りの稽古は楽しいこともある。やっと聲と言葉が溶け合うようになってきた。言葉にいのちを吹き込めることが日々の精進のすえに出来そうになっている。
詩誌受贈『漪・36号』

2013年10月21日 (月)

田川紀久雄日記

戦前国民は戦争を止めることが出来なかったように、いまの私たちも安倍総理の危険な道を阻止できないでいる。民主主義というものは良い面と、悪い面が同居している。
いまの私たちは信頼できる政党が持てないでいる。国会議員は国民のことなど少しも考えていない。てんでばらばらで国民からの信頼はまったくない。少しずつ国が右に傾いていっている。
また台風は前と同じコースをたどるという。伊豆大島の人たちは大変だ。

2013年10月20日 (日)

田川紀久雄日記

今日は川崎詩人会がある。
最近詩というものが分からなくなってきた。賞をとった詩が感動するものかといえばそうでもない。文学というものはやはりどこかに共感したり感動するものが内包していなければ私にとっては文学とは言えない。技術というものは詩が書けなくなったときに便利なものであって、それ以外に役に立たない。といって技術で書いた詩というものは大抵つまらないものが多い。詩というものは特に内的要因があって生まれてくるものであるはずだ。それが感じられないものは詩としては疑問を感じてしまう。
私の詩のテーマはいのちと詩語りである。あくまで個人的な事柄である。詩という世界はこの個人的なことがもっとも大切ではなかろうか。それでいてこの個人的なことが普遍的な要素を持っているということだ。
詩語りで聲と言葉が溶け合う世界を求めて稽古に勤めている。稽古をすればするほど迷いが生まれてくる。その迷いの中からしか本当の詩語りが視えてくるのだろう。迷いが生まれてくるために精進をしているような気がするときもある。一つのものを極めるということは想像を絶するほど厳しい世界である。人に感動を与えるということはそう生易しいものではないということだ。

2013年10月19日 (土)

田川紀久雄日記

自然とは何が起こるかわからない。人間の知識では及ばないものがある。もっと自然を敬うことが必要だ。また水曜日あたりに台風が来るらしい。今年はいつもの年より数が多い。
それも局地的豪雨である。早めに避難するしかない。
いま『法隆寺を支えた木』を読んでいる。これは宮大工の話でもある。本物の職人になるには八歳までに弟子入りすることが大切である。いまの時代ではもう職人など育つ世界ではない。それも並大抵の修行ではない。想像を絶する修行だ。昔の職人や芸人はしっかりと身についた技術をもって、その上の世界を求めて生きていた。
何の世界でも精進のしない人は、何も求められない。
詩集受贈『そらの珊瑚詩集・うず』

2013年10月18日 (金)

田川紀久雄日記

末期ガンが分かった佐久間正英と早川義夫がライブを行なった記事が新聞に載っていた。一度は聴きに行ってみたい。詩人達の朗読では聴きに行ってみたいという人は現れてこない。なぜ詩人の聲に魅力を感じないかというと、命懸けで朗読を行っている詩人がいないからだ。お金を払っても聴きたいという詩人が出てこなければいつまでたっても世間から無視され続ける。
伊豆大島の災害は、ある意味で人災である。何故早く避難命令を出さなかったということに尽きる。
秘密保護法案も決まる確立が高い。自民党が勝つとこうなることが分かっているのに、何故国民は自民党に入れてしまったのか。安倍ノミクスに踊されたとしか言いようがない。原発もそのうち再開されてしまうだろう。物価がどんどん値上がりをしている。給料は一向に上がる見通しはない。零細企業では倒産が増えて行くかもしれない。相棒の勤め先も仕事がきつくなるばかりだ。時給もまったく上がる見込みがない。弱いところに皺寄せが来るばかりだ。

2013年10月17日 (木)

田川紀久雄日記

普通のひとはまず詩など読むことがない。まず詩ですか? といわれる。詩など読んでも私にはさっぱり解りません。という。いま書店では詩集など置かない。それは売れないからだ。売れないものは商売として扱わない。いま書店では『現代詩手帖』「詩と思想』など見なくなった。読みたければ年鑑購読者になるしかない。年間購読は、読みたいからとるのではなく、その詩誌や発行者を応援するために契約する。『操車場』は割合年間購読者が多い。これは有り難い。田川紀久雄頑張って生きてくださいという応援だと思っている。
ここ四日ばかり詩が書けなかった。書けないと絶望に突き落とされた感じになる。もう詩が書けないのではないかという恐怖感に教われたりする。私の詩は眼の前にあることしか書けない。いまどう自分は生きるかということが一番の関心ごとである。だから他者が私の詩を読んでも面白くはないだろう。だいたい詩人なんで屈折して生きている。嫌な人間が多い。エゴイストであり、変な欲望心が強い。できるだけ詩人と付き合いたいとは思わない。その点、詩誌『たぶの木』は気楽で良い。前向きな人達が集まっている。楽しい詩誌作りが行なえる。

2013年10月16日 (水)

田川紀久雄日記

大きな台風が来ている。
山下佳恵詩集『海の熟語』が届いた。まずはおめでとう。人生をつねに前むきに見つめている。この詩集は人生の応援歌である。あとがきで「平和で安心して暮らせる願いを言葉に託してみました。」と書かれている。現代詩では失われてしまった心あたたまる詩集でる。普通に生きている人達に勇気を与える言葉で満ちている。私たちは素直に彼女の言葉を受け止めることが必要である。
現代の生活は人を非難したら、脅かしたりして生きている。心の弱い私はつねにびくびくしている。経済優先の世の中ではある面では仕方がないのかもしれないが、夢を持てる社会を求めて生きていたいものだ。生活不適当な私のような人間は生きていること事態が辛いことが多い。
昨日川崎に来て初めて絵を描いた。クレパスで描いた。絵を描くことはやはり楽しい。
詩誌受贈『潮流詩派・235号』『日本海詩人・41号』
詩集受贈『山下佳恵詩集・海の熟語』

2013年10月15日 (火)

田川紀久雄日記

宮沢賢治の長編詩は凄い。挽歌シリーズは語ってみたいものばかりだ。それに小岩井農場もすばらしい。川崎詩人会で各自が300行の詩をつくり本にしたことがある。詩はやはり沢山つくらなければ長編詩も生まれてこない。
絵も詩も生み出すエネルギーが求められる。そして語りもつねに精進が求められる。努力をするというよりそのようにしか生きられない人達がいる。画家の長谷川利行もそれである。書いて書いて行き倒れになって死んでいった。矢野芒土さんと一緒に長谷川利行が描いた浅草の町を歩いたことがある。いまから思うとあの頃は楽しかった。いまは生きていることが辛い日々が多くなった。そのかわり詩が沢山うまれる。書かずにはいられない。
心が動かされる詩や絵に出合いたいものだ。先日は野澤義宣さんの絵に出合えてよかった。詩では上野芳久や高畑耕治さんの詩で出会えたことが嬉しかった。

2013年10月14日 (月)

田川紀久雄日記

詩はだれのために書かれているのだろうか? たいてい自分の為に書いている人がほとんどだと思う。詩の朗読も誰に向かって読もうとしているのか? それも答えが見つからない。ある意味ではいい加減な世界である。詩で人に説教したら、それは詩でなくなる。詩人達は自分にとってこれが詩だと思って書いている。他人が読もうか、読まれないにしてもそれほど気にしない。詩誌に発表して共鳴してくれる読者が一人でもいればそれで良いと思っている。読者のことを考えていると、虚無感に襲われてしまう。宮沢賢治も生徒たちに「先生の詩はわからない」と言われた。詩というものはそのような世界なのだ。詩人は、魚釣りをしていて、エサをつけずに釣り竿を垂らしているようなものなのかもしれない。世の中からは、あの人少し頭がおかしいのではと思われているかもしれない。世界中で詩を書いている人達が何万人もいる。不思議な気持ちがしてくる。
文学の目標の一つとして、読者に感動を与えるということが上げられる。といっても感動と言っても色々な感動の仕方がある。麻生知子さんの詩は私には心が打たれるが、まったく解らないという人もいる。要は詩人はただ書くという以外に何もできない。書き続けることが大切であるとしか言えない。その九九・九パーセントがこの世から消えていく。それで良い世界なのだろう。私は自分の心と共鳴する詩に出会えることを歓びとして生きいている。そのような詩人を大切にしてゆきたいと思っている。

2013年10月13日 (日)

田川紀久雄日記

上野芳久さんから原稿が送られてきた。いま彼は必死に生きようとしている。そのことは彼の詩から感じられる。彼は詩を書くことでこの世界に留まっていられる。そのことが大切なのである。詩を理解する人はほんの数人だろう。たいていの読者は言葉の上をすどうりして行くだけだ。その人のいのちの重さはなかなか人には通じない。私は上野芳久さんの詩から生きる勇気を感じられる。勇気とは今という時を真剣に生きようとしていることである。詩を書かなければいられない人間なのだ。私もそうであるから彼の詩が他人事とは思えない。私の詩だってほとんど理解されない。詩人からは詩として評価されていない。いのちそのものを見つめているのだから、他人がどう評価しようが気にならない。書かなければ前に進めない。そのことがいま私は詩に助けられている。
詩語りなどほとんど相手になれていない。このことは本当に辛いことだ。聴き手がいなくても私は死ぬまで魂の聲を出し続けていく。詩というものは詩歌なのだ。心の叫びなのだ。それ以外のなにものでもない。

2013年10月12日 (土)

田川紀久雄日記

夜中の12時に眼がさめたら、朝まで眠れなかった。早川義夫著『ぼくは本屋のおやじさん』を読む。いま早川義夫の歌はとても良い。サラリーマンから脱皮して商売をするのは大変なことである。まずはたいてい失敗をする。プロ中のプロの知識と技を持たなければ成功する見込みなどない。
詩集など本屋に置いてもまず売れない。だからほとんどが謹呈するしかない。詩人なら読んでくれるかもしれないと思って送る。読んでもらえる保証なんて何処にもない。詩集の出版はある意味で虚しいものである。要はその先どうするかが大切なのである。詩集の発行部数は200から500冊程度である。その先は詩集を朗読することによってファンを作っていくしかない。詩が読まれなければ、朗読していくしかない。といって聲の鍛えていない人がすれば、かえって詩そのもののイメージを壊してしまう。詩人達の朗読はたいてい失敗で終わる。詩を読んでもらうには並々ならに努力が必要である。
『たぶの木』の原稿が集まった。このたびも高畑さんの力作。山下さんらしい詩が掲載できる。是非読みたい方は年間購読してもらいたい。年間三千円です。

2013年10月11日 (金)

田川紀久雄日記

昨日野澤義宣展を観にいった。クレパスで描いた顔の絵がとても良かった。いま人の絵を観にいくのも年に一回ほどだ。応援している人は、なるべく出かけるようにしているが、思うようにはならなくなっている。
「延寿芸談」五世延寿太夫を読んでいるが、学ぶところがある。芸談はどの人の本でも楽しく読める。朗読を行っている詩人達は、芸談を読むことを勧める。と言っても彼らは芸にはほとんど興味がないらしい。いのちを懸けて聲を出すということを経験していないからだ。他者を悦ばすことはいい加減な気持ちでは出来ない。十月十三日『詩人の聲』が行なわれるが、天童大人詩集のなかの「朗唱」の所だけでも読んでみたほうが良い。
詩人の中で朗読について書いているものがあるが、ほとんどダメなものばかりだ。なぜかというとその人の聲を聴いてもどうしょうもない聲だからだ。聲は理屈や理論のではない。あくまでも実践の世界である。聲をつねにうち続けていない聲はどうにもならない。日々聲を出していることによって自分の未熟さを日々感じている。だからこそ毎日精進しなければならない。今年は私の事情があってライブは出来ないが、来年は頑張ってライブを行ないたいと思っている。
詩集受贈『西岡光秋詩集・老女のボン』

2013年10月10日 (木)

田川紀久雄日記

今日もまた病院だ。昨日は二時間も待たされた。
昨日詩「生の証」を書いた。それは手が勝手に書かせてくれた。言葉が心の奥から湧いてくる。それをただ書き写している。とくに妹をテーマにした詩には無意識に書ける詩が多い。
原発に反対している人たちが次から次に週刊誌にたたかれている。嫌な世の中だ。この裏には大きな経済界が動いているのかもしれない。庶民の一人ひとりが原発ゼロに向けて叫んでいくことが必要である。詩で反戦や原発問題はテーマにすべきでないという詩人がいるが、これをおかしい。生に対する大きなテーマである。問題は自分の生として係わっていかないと詩にはならない。詩になるということはそうとうな覚悟がないと単なる反対運動詩でしかない。私もハガキでそのような詩を書かないほうがいいよといわれた。大きなお世話だとしかいいようがない。本当に書きたいことがあるうちは詩は自然に生まれてくるものだ。
朝の五時半に鳥が群れになって海の方に飛んでいくのが窓から見える。ここ数日続いている。なんという鳥のかは解らないが、ムクドリのようにも見える。

2013年10月 9日 (水)

田川紀久雄日記

今日は午前中病院に行く。
このところ、ぱたっと本が読めなくなった。たぶん鬱的状態が続いているせいかもしれない。夜中一時ごろ眼がさめると、後がなかなか眠りにつけない。このときは辛いものを感じる。
もうすぐ「たぶの木」の原稿の締切日がくる。どんな作品がよせられるのか楽しみだ。前向きに生きようとしている詩を読むのは心が癒される。
いま高畑耕治さんのブログで尼崎安四さんのことが書かれている。尼崎さんの詩はもっと多くの人に読まれてもいいのにと思う。弥生書房から「尼崎安四詩集」が出た時も、まったく売れなかったという。諫川さんの努力によって少しづつ広がっていった。人の心に響く詩は最初は見向きもされないものが多い。それは自分の眼で見る人が少ないからだ。世の中が騒ぎだすとわあっと手に取るようになる。といっても詩の世界ではそれほど拡がることはない。詩人といっても心の眼をもっている人は少ないものだ。詩というものは何度も再読しなくては解らないこともある。再読するためには朗読をすることによって何度もテキストと向き合う。活字と聲によって詩の深さを理解される。そのためにも自作詩を朗読することからお勧めしたい。自分の詩を百回も読み込めば、詩の面白さや怖さが解ってくる。まず聲に耐えられる詩を目指すことだ。

2013年10月 8日 (火)

田川紀久雄日記

「TPP聖域5項目譲歩も」とい見出しが東京新聞に書かれている。これが決まれば公約転換になる。日本の自然も失われてゆく。棚田もなくなってしまう。生活がどんどん崩れてゆく。汚染水問題もなんら解決されていない。安部総理の支持率が高いのがとても信じられない。この国はもうお終いだ。といってそう簡単に諦められない。詩人として最後まで闘って死んでゆきたい。
森田進さんの「美と信仰と平和」を読み返している。かれは牧師になっている。信仰と詩人はどうあるべきかを問われている。キリスト教を基礎に置いて詩(人間)を見え透いている。このことが大切なのだ。この優しさは我々凡人より深いものがある。牧師という詩がある。その詩の最後のところに「私は、無免許運転の牧師になるかもしれない」この言葉は詩人の大きな意味を与えている。私は森田さんがつねに無免許運転の牧師であってもらいたい。そこのところでキリスト者でない人々と繋がっていける。大きな愛を摑み取ることが出来るからだ。
国が滅んでいっても人間の魂まで滅んではならない。末期ガンを経験した私にはいのちの大切さと慈悲の心を訴えてゆきたい。そしてその心を聲にのせて詩を語りたいのだ。私の詩をだれが何と言おうとも、私の心である。詩人の為に詩など書いていない。詩人の世界は狭い世界なのだ。詩人馬鹿にはなりたくはない。詩人である前につねに人間である。そして人間の愛を信じて生きていたい。
詩集受贈『川島洋詩集・青い成分』
青い成分という言葉の中にこの詩集はすべて表現されている。

2013年10月 7日 (月)

田川紀久雄日記

詩の形を借りて朗読論を書いた。来年の夏ごろにはだしたい。『聲を求めて』といタイトルである。その前に『遠ざかる風景』がある。そのためにも今度の『寄り添う』を売らねばならない。印刷費だけでも捻出したい。詩人達は詩集を上梓してそれで終わるが、私の場合はそこから始める。詩集など小部数である。聲を出すことでより多くに人達に届けられる。言葉にいのちを注ぎ込むことが必要である。詩歌というものは、語ったり、うたう世界である。中国でも日本でもかつては聲に出していた。いま朗読する詩人達が増えてきたが、まだまだ聲を出すことを知らなすぎる。「赤信号みんなで渡れば大丈夫」という世界である。聲に対して敏感でない人たちが詩を書いている。不思議な世界が詩壇である。
私は毎日大自然の中で聲をあげている。宇宙まで響き渡る。マイクで朗読している人達の気持ちがしれない。楽器で一番美しいのが人間の聲である。詩語りはいま四面楚歌である。だから誰よりも精進をしていける。まるで仙人のような生き方だ。今までの詩集を天に向けて解き放っている。孤独なときこそより深く修行ができる。
日本が崩壊して行く中で、聲を張り上げることもひとつの意味がある。誰も気がついていない
。聲をあげることの意味を。狭い世界で権力争いをしている場合ではない。

2013年10月 6日 (日)

田川紀久雄日記

人が人を信用できなくなったら、人生そのものが辛い。いまの世の中で本当の友達がいるのだろうか。特に齢をとってからの友達はできない。だからこそ優しく付き合いたい。だれもが自我がある以上、友好関係を維持するのは難しい。大切なことは、相手の良い点を高く評価してあげることだ。諍いの原因は自己愛が強いところから生まれる。愛の中で自己愛などあまり強調しないことだ。相手を思いやる心こそが求められる。自己愛は思いやる心がゆがめられる。私も頑固で意地っ張りな人間だ。それに気が短い。ある意味で欠陥だらけの人間である。だから詩を書くのかもしれない。昨日も『祈り』という作品が書けた。
このところ胃の調子が悪い。これはストレスからきている。
語りの聲の中に、温かみのある人間性を表現したい。人間そのものの深さも表現したい。活字はある意味の概念であるが、聲はその概念を解放してくれる。詩人の聲とはすべてを解放してくれるものでありたい。より深く真実を暴き出してくれるものでもありたい。そのためにもつねに聲の精進を怠ってはならない。朗読や語りという範疇をこえた世界が聲の中にある。天童大人詩から『肉聲の復権を求めて!」という参加詩人 全記録が贈られてきた。この中二私が求めている聲の人が何人いるのだろうか? 聴きにいきたいが、妹の状態を見ると観にはいけない。本当に詩人の聲を求めている人達を応援したいものだ。天童自身絶望的な見方であるが、この『詩人の聲』を通して可能が出てくればという願いもある。ひとりだけで聲を求めても本当の『詩人の聲』は拡がってゆかない。いま私はこの問題に悩んでいる。この『詩人の聲』DVDを五〇回も収録して日本詩歌記念館に贈呈してある。紫圭子さんは自己のDVDを観て聲を高めているそうだ。
詩誌受贈『焔・97号』
この号の中に金子秀夫さんが『野間明子詩集・耳として』を紹介している。

2013年10月 5日 (土)

田川紀久雄日記

消費税を上げても良いが、食料品は上げないでもらいたい。貧困層にたいしての「おもてなし」を行なってもらいたいものだ。いまのアベノミクスは国民の生活を苦しめるだけである。
相棒のパートで生活を支えている現状で、こう物価が値上がりしているとたべたいものも食べられない。まるで戦後の状況を思い出してしまう。夏の猛暑の影響で野菜が馬鹿値をしている。いつもの野菜の倍近い値をしている。こんな時テレビは、食べ歩き番組や、贅沢たべものを特集している。庶民の苦悩を少しも汲み取ることが出来ない。これではテレビ離れも当然だ。
このところ詩とは何かわからなくなっている。私の心に深く関ってくるものを詩として感じている。今という時を、実感できる世界を求めている。あれを書いてはダメだとか、詩をこうして書くべきだなんて思わない。詩人として堕落しているといわれても気にしない。詩人であるまえに人間として生きているからだ。それより、詩語りをもっと深めてゆきたい。詩の魂を掘り下げられる聲を生み出してゆきたい。ライブはお金を取る以上、それなりの芸をしなければならない。いまの詩人達の朗読ではお金を取ることの出来る詩人なんてほんの数人だ。他人のことより、今は自分の語りを深めることで精一杯である。
今月中には『寄り添う』が出来上がってくる。印刷の部数も減らした。読みたい方は早めに予約してください。
詩集受贈『詩画集・森田進&森田直子 美と信仰と平和』

2013年10月 4日 (金)

田川紀久雄日記

「操車場77号」午前中に製本を行なう。できれば今日中に発送が出来そうだ。
パソコンの調子がわるかったのはマウスが原因であった。文字が飛んだりして困っていたが、これで安心だ。機械音痴な私はこれで多くのミスを犯していた。文字を直したはずが直っていなかったりしていた。
ワープロみたいな活字だけを打てるパソコンが欲しいものだ。うまくパソコンが動かせない私には、どんどん進化するパソコンにはついていけない。商売というものは次から次へと新しいものを生産して売るのが仕事だから仕方がないのだろう。
詩の語りで一時間集中して語るのは至難な技である。それを身につけるのはやはり日々の精進しかない。『詩人の聲』に参加している詩人達はどのような努力をしているのだろうか。このような恵まれた場所でできるのだからざそかし毎日真剣に朗読と向き合っていることだろう。今の詩の朗読で一時間も自作詩を語れる場所は何処にもない。このことは凄いことなのだ。かれこれ『詩人の聲』に五年間も参加していない私には、その経験がいかに貴重なものであったか。お客が数人にしてもそれが出来ることは凄いことなのである。どれだけ『詩人の聲』から本物の聲を摑める詩人がでてくるのか楽しみだ。いまの私は彼らに負けない努力だけは続けている。参加できなかったことが今は良い経験に繋がっている。

2013年10月 3日 (木)

田川紀久雄日記

いま妹のことで苦しんでいるのに、嫌なことが舞い込んでくると精神的にまいってしまう。他人にとっては妹のことは何にも関係がないが、嫌なものは嫌としか言いようがない。齢をとってくるとこらえしょうがなくなってくる。私は基本的には人と諍いをしないのだが、まだ人間として生半可なのだろう。
私は愛・哀をテーマにして詩を書いている。できれば人生の応援歌を書きたいと願っている。末期ガン宣告後は特にそのような意識が強くなっている。だから現代詩から離れて自由な詩を書いた。それが詩としては駄目だと言われても仕方がない。詩の形を借りて自分の生き方を問うているにしかすぎない。本当のところ何が詩で、何が詩でないのか解らない。他者の詩を読んでいて、これは詩ではないよと思うときもある。そのことを上手く論理的に説明ができない。直観で判断している。詩人の詩はの読者は、書き手本人しかいないとも言われている。他人の詩に共感できるのはほんの僅かである。それは魂の痛みを表現しているときである。この魂の痛みを表現しようと思うと詩という概念から離れていく。新しい詩とはそのようなところから生まれてくるのかもしれない。苦しみ悩みながら生きていることが詩人にとっては大切なことだと思う。

2013年10月 2日 (水)

田川紀久雄日記

コピー機の調子が悪い。やはり交換しなければならない。松田さんからカンパを頂いた。本当にありがたい。
昨日天童大人氏に電話する。1000回公演は彼しか出来ない。詩人達はそのことの凄さが解っていない。でも私はいま妹のことで何処にも出れない。詩人の聲はこれからだと思う。参加する詩人一人ひとりが真剣に聲と向き合っていかないとどうにもならない。まず聲を出すことの虫になることだ。できたら大自然に向かって聲をあげることが必要である。
昨日は頭が割れそうに痛かった。それは精神的なことが原因なのよと相棒から言われた。今朝は幾分痛みも消えている。
八パーセントの消費税が決まった。いや決まったというより安倍総理にとっては予定されていたものだ。国民の苦しみなど何も考えていない。あくまで大企業優先の消費税だ。いま軒並みに物価が高騰し始めた。パートで働いている人たちにとってはやりきれない。時給が上がるわけでもない。かえって仕事が増えるだけだ。締め付けがもう始まっている。

2013年10月 1日 (火)

田川紀久雄日記

最近嫌なことが頻繁に襲い掛かってくる。生きている証拠なのだろうか。一〇〇倍返しという言葉は巷ではやっているが、その気持ちはわかる。
そんな折に日原正彦詩集『冬青空』が送られてきた。心の温かい詩集である。今年の三月に奥様が乳癌で亡くなられた。彼は詩を書くことで、この苦しみから立ち直ろうとした。辛い時詩を書くことは生きる勇気を与えてくれる。私もつねにそのようにして詩を編み出してきた。それが詩であるかどうかは私の場合わからない。本当に書きたいものは詩であると信じている。他者がどのように見ようがそれはどうでも良いことなのだ。まずは書き続けることが大切なのである。現代詩を書きたいと思って詩を発表しているわけではない。生きている証しとして書いているだけだ。『詩と思想』でも本当に心に打つ作品に出会うことなど稀である。詩とは本当に難しい。単に脳裡だけで詩が書けるものではない。その詩には人生という裏づけがなくては人に感動を与えない。生活を切りつめて詩集を上梓してゆく。それがいまの私の生き甲斐である。
詩誌受贈『柵・1号』
詩集受贈日原正彦詩集『冬青空』

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