田川紀久雄日記
一ヶ月が経つのは早いものだ。それだけ日々を大切にしていないと、生きている実感が感じられない。操車場の締め切りが今日であるが、まだと何処ない原稿がある。
詩というものは個人の思想や個人の内的葛藤がテーマになる。だからといって詩は難解でよいというのは私は受けいれられない。始めから人に解らなくていいのだという考えには反対するが、そうしなければならない言葉もある。例えば山本陽子のような場合だ。これは例外中の例外なのだ。詩で社会的な言葉に寄りかかるのは詩としての問題もある。それがあくまで内的要因ならしかたがない。詩というものをどのように受け入れるかは個人的にも異なっている。詩が詩人同士で批評しているいまの現状では詩の限界を打破できない。まあ個人の好みでどうぞ勝手に読んでくださいとしか言いようがない。
「北方文学・69号」に柴野毅実さんの「まちえ・ひらおという詩人がいた」が読み応えがあった。彼は柏崎の人である。つまり私の生まれた地の詩人である。それと鈴木良一さんの「新潟県戦後50年詩史〈3〉」も大変な仕事である。つい最近まで「越後タイムス」は私の父の実家の隣にあった。
詩誌受贈『遊詩・40号』{北方文学・69号』
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