田川紀久雄日記
この暑さは昭和初期の四倍だという。単なる温暖化ではない。やはり異常としか言いようがない。
『詩人の聲』がこの秋に1000回に達する。いまのわたしには関係がないが、これは凄いことである。どれだけ聲に対する認識が詩人達に影響を与えたか。ほとんどの詩人達は詩人の聲に無関心である。これは聲を発する詩人一人ひとりの問題でもある。真に詩人の聲に目覚める詩人が何人生まれたかが問題である。でも自作詩を一時間語ることは詩人にとっては大きなことだ。そういう意味ではこの『詩人の聲』の企画は大きな意味を持つ。巷で行なわれている朗読とはまったく異なっている。天童氏は朗唱で私は詩語りである。共通点は聲の認識である。違う点も幾つか或る。それはそれで良いのではと思う。彼は詩語りを否定するが、私は彼の朗唱はそれなりに受け入れている。私は『詩人の聲』には参加することがないが、それなりにこの企画は応援していたい。いま必要なのは本気で詩人の聲を獲得する詩人が増えることだからだ。縄張り争いのような小さな根性では、いまの詩の世界を切り崩せない。
いま新しい詩集のために『聲のいのち』を書いている。これを発表すると詩人からますます嫌われていくだろう。なぜなら本当のことを書いているからだ。末期ガンである私は、言いたいことをどんどん詩にしてゆくことしかない。最後まで闘う詩人でありたい。
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