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2013年4月30日 (火)

田川紀久雄日記

安倍総理の発言はいろいろと問題を起している。靖国問題の発言は一般国民にとっても違和感を覚える。これでは戦前の状況と変らない。一国の総理の発言は慎重に慎重を重ねて発言していかないと本当に大変な事態を惹き起こしてしまう。また東京都の猪俣氏もオリンピック問題で他国を批判してはならない。みんな口が軽くなっている。
憲法改正問題で、どうしても書いておきたいと思って詩らしきものを一篇かいた。いまこの日本が危険な状況に陥ろうとしている。平和憲法だから世界に対して出来ることがある。日本自衛隊は世界のどこにもないものだ。だから信用も高い。アフガンに対してもその功績はあった。まずみんなでこの平和憲法について話し合わなければならない。本気になって話し合ってこそ、日本の未来が開かれる。

2013年4月29日 (月)

田川紀久雄日記

『詩と思想・5月号』がやっと届いた。今月は朗読の特集である。
天童大人氏が行なっている『詩人の聲』によって、聲にたいする認識が大きく変った。それはここに参加した詩人達のエッセイを読めば一目瞭然である。でもまだ自分の聲の道をまだ見出してはいない。模索中といったところだ。でもいままだこの聲にたいして詩人は無頓着であった。そういう意味では大きな変革をもたらした。オープンマイクとか朗読会などでは経験できい世界である。一時間丸裸で聲と向き合うことはいままでなかったことである。天童氏の朗唱と私の詩語りではいくらか違うが、いままで詩人の世界では受け入れられてこなかった世界である。共通点は聲に対しての問題である。『詩人の聲』で生き残っている人達は聲に対して真摯である。問題は自分自身で朗読場を生み出してゆくことだ。この詩界を切り開いていける力を身に付けることが求められている。いまユーチューブで朗読の現場を流しているのは私しかいないように思える。これも社会と向き合っていくためでも必要なことだ。この企画は長谷川忍氏のお陰で生まれたものである。
受贈詩誌『詩人会議・6』

2013年4月28日 (日)

田川紀久雄日記

昨日の東京新聞夕刊に石田瑞穂の詩が掲載されていたが、あまりにも酷い詩だ。たんなる説明文にすぎない。この詩人が99年現代詩手帖賞を取ったとは信じがたい。世の中は、賞を貰えば凄い詩人と思うかもしれないがそのようなことはウソである。新聞などは詩人のことをまったく知らないから、賞をとったひとを優先して載せる。文化部の記者は詩に対して無知であるとしかいいようがない。「たぶの木」はこれからゲストを招いていくが、人々に読んでもらいたい詩人を紹介していく。詩人には知名度などまったく関係がない。要はいい詩か悪い詩かと言うだけのことだ。
詩の世界も賞が多い。しかしそのほとんどがインチキなものである。最初から決まっているものすらある。そして選者の知り合いとか弟子で会ったりする。詩の世界も政治の世界と同じく汚れている。現実は賞をとっても世の中に受け入れられていない。だいいち本屋にほとんど詩が置かれていない。図書館にいっても詩のコーナーすらないところが多い。詩人の朗読会も仲間しか集まらない。いや仲間すら来てはくれないのが現実である。詩人は孤独で闘っているのが一番ふさわしいのかもしれない。

2013年4月27日 (土)

田川紀久雄日記

いろんな花が咲き出しているのに、虫たちがいないのだ。いつもなら蜂もわが家の花壇に来ているはずなのに、今年は一匹も見ない。これは放射能汚染の影響かと思ってしまう。確かに鳥も少ない。いったいこの自然界で何が起きているのか? 不思議な現象である。
この円安と株高はいつまで続くのだろう。外国の観光客も増えている。確かに良いところもある。大型連休も控えている。私たちは何処にも行かない。家に閉じこもっているだけだ。
芸術というものは、人に教えられないし、人に教わるものでもない。あくまで自由に行なえばよいのだ。だから絵描きの絵、書家の書、詩人の詩は、つまらないのは当然なことである。私は油彩も自由気侭に書いてきた。そして詩もそうだ。できたら書に挑戦してみたい。下手な世界こそ自然の姿なのである。芸術にとって一番大切なのは自由なのである。自由の中に生きる歓びがある。最近の絵を見てもつまらないのは、この自由を感じる絵が少なくなっているからだと思う。才能とはいかに自由に生きられるかではないのだろうか。詩の語りもあくまで自己流である。私の詩も絵も語りも誰に影響を受けたものはいない。これからもこの自由の中で戯れて生きていられれば嬉しい。

2013年4月26日 (金)

田川紀久雄日記

安倍内閣の靖国発言で大きな問題に発展している。そして河野さんまでも同調してしまう。韓国や中国から見れば極右翼化して見えるだろう。侵略をうけた国にすれば戦前の日本を思い出すからだろう。これは野党がまったく力をなくしているからだ。民主党の総崩れが大きな原因かもしれない。目の前に参議院選挙が控えている。与党が三分二の議席を取ってしまえば、平和憲法は崩れてしまう。そして原発も再開されてゆくだろう。国民はアベノミクスに騙されている。TPP問題でも日本は窮地に追い込まれていく。蜃気楼のアベノミクスが消えたとき、日本の悲劇が始まる。いま儲かるのは大企業だけだ。円安の利益はたしかに計り知れない。しかし影の部分は悲惨な状況に追い込まれている。
このところまた詩が次から次へと生まれてくる。ちょっと書きすぎるかもしれないが、書いておかないと、書けなく時がくる。書けないとき一字も言葉が浮かんでこない。詩を書くことは身体的に非常に悪い。まるで躁鬱の繰り返しのようだ。
次の詩集『いのちのひかり』を上梓したいのだが、どうしても印刷代がでてこない。そこで予約を受け付けることにした。なんとしてでも早く上梓したい。それから出前詩語りを呼んでくれるところがありましたら紹介してください。

2013年4月25日 (木)

田川紀久雄日記

政府の官僚がぞくぞくと靖国神社を参拝するのはいかがなものかと思える。太平洋戦争は、侵略戦争以外の何物でもなかった。A級戦犯が祭られている神社に参拝することは、戦争を正当化する以外の何物でもない。南京事件もなかったという人すら出てくる。私はどんな戦争にも反対してゆきたい。戦争には正義の戦争など存在しないからだ。見知らぬ人を殺すことほど怖ろしいことはない。
抒情詩は好きであるが、政治や社会に無関心であることには疑問を感じる。心の哀しみはその時代の矛盾にあるからだと思うからだ。
どうしたら日本の福祉国家が生まれてくるのだろう。今の安倍政権ではますます競争社会が進んでいく。弱いものがどんどん切り捨てにされていく。いまの夜間高校に通っている人達は生活が大変なのだ。少しでも政府が手助けをしてくれたらと思う。生活の苦しさは夢を継ぎとられてゆく。家庭の豊かな子供達と貧困の家庭の子供達の学力の差は大きくなるばかりだ。まるで中国のような社会を思わせる。嫌な時代がそこまで来ている。
細野幸子さんから三冊の詩集が送られてくる。ほのぼのとする詩集であった。
詩誌受贈『潮流詩派・233号』『北国帯・211号』

2013年4月24日 (水)

田川紀久雄日記

午前中は病院だ。
なぜ安倍政権に人気があるのだろうか。それは国民が騙されているからだ。犬に美味しい餌を眼の前に置くと歓ぶのと同じだ。景気が良くなるという幻想を与え続ければそれなりに人々は群がってくる。人間は他の動物より騙されやすい生き物なのだ。政治というものはこの騙しあいの世界でもある。実施給料も上がっていないのに、さも上がったかのような感じにさせてしまう。それは円安と株の値上がりが要因になっている。そして芸能人まで巻き込んでしまう。この度の国民栄誉賞もどこか可笑しい。松井が貰うのなら、野茂さんにやるべきだ。
福島原発の汚染水漏れは、いまなお安全神話が続いている証しだ。なぜ国にもっと厳しい監視をしないのだろう。このような状況では東京でのオリンピックも駄目になってしまう。安倍内閣は原発ゼロに対して口を閉ざしたままだ。アベノミクスはどんどん遣っているが、原発に大しては後ろ向きである。福島の人達の痛みや苦しみを少しも理解していない。なぜもっと国民は怒らないのだろうか、不思議でならない。それはよそ事のように思っているからだ。これでは福島県でとれた魚は売れなくなる。風評被害を創り出しているのは東電と国なのだ。

2013年4月23日 (火)

田川紀久雄日記

最近もう私が死んでいると思ってか、詩誌が送られてくるのが激減している。眼が悪いので、思うように読めないから別にいいのだが、あまり外に出ていかないと死んでいるとおもわれてもいたし方がない。実は詩人はあまり人の詩など積極的に読まない。要は自分の詩を読んでもらいたいと思っているだけなのだ。それなのに、作品は読者をまったく意識していない。訳の分からない詩が多い。詩人というものは自分勝手で厄介な存在者なのだ。
『たぶに木』は詩として自立し、その上で人に生きる勇気や癒しを与えられる作品を求めている。でるだけ詩人達に送っていない。心に哀しみをいだいている人たちに送るようにしている。読みたい人は高畑耕治さんのインターネットから読める方式を取っている。それでも六十部近く送っている。それと私の聲を聴きたい人はこれもユーチューブから『いのちを語ろう』を検索するば見れるようになっている。宮澤賢治の『青森挽歌・永訣の朝・松の針・無声慟哭』など聴けるようになっています。DVDも1000円で発売もしています。(これは生活費を稼ぐためのものとして)。できれば詩集も買っていただければ嬉しいのですが。詩で稼ぐのはなかなか大変なことですね。特に年金のない生活者にとっては生きることに必死なのですから。昨日Tさんから詩集代が送られてきた。有り難い気持ちです。物価がこれ以上値上がりしたら縊死するしかなくなってしまいます。自殺者がきっと増えるでしょうね。アベノミクスは国民の生活を苦しめるだけです。そして平和憲法を守って生きていたいものです。

2013年4月22日 (月)

田川紀久雄日記

川崎詩人会で何十年ぶりに荒船さんとお会いした。彼もガンで手術をしたという。初期の段階であったので助かったという。ガンになって助かった人もいる。一般的には早期発見が必要なのだろう。私のように末期ガンで生き延びているのはまれなことだと思う。
私の詩も末期ガン以後の作品は違っている。ひたすらいのちとの対話に向かっているからだ。詩人達からあまり評判は良くないが、本当に書きたい世界を追い求めている。そしてそれが少しづつ深められている。あと生きている間に何冊上梓できるのかわからないが、生きているうちにどんどん上梓していきたい。生活は苦しいがなんとしてでも詩集をどんどんだしたい。
昨夜はほとんど眠れなかった。疲れたせいか逆に頭が冴えてどうすることもできなかった。知らない人は、田川さん元気そうだね、という。人前ではつねに元気でいたい。

2013年4月21日 (日)

田川紀久雄日記

寒い朝だ。身体が着いていけない。最近眠れない日が多い。といって昼間も寝れないから、疲れが溜まるだけだ。
今日は川崎詩人会である。会場が急遽使えないので喫茶店で行なう。
九藝出版から『日本の芸談』という本が出版された。全部で八巻であるが、どれも楽しく読めるものだ。最近これをまたぽつぽつ読んでいる。かつては芸談本が多く発行されていたが、いま芸人の数も減ってこれといった本も見当たらない。芸というものは先輩に叱られたりして成長していく。それと芸に対するすざましい情熱が芸を成長される原動力になっている。
それに比べれば詩人の朗読は、どうにもならない。まず情熱を感じられない。私が芸能という言葉を持ち出すと詩人は嫌な顔をする。朗読も一つの話芸である。そこには人としてのドラマがある。ドラマが感じられないと聴く人も面白く感じない。語る人は生き様との闘いでもある。私もまだまだ情熱を持って語りの世界と闘って生きていたい。

『たぶの木』は高畑耕治さんのホームページ「愛のうたの絵ほん」で見られます。

2013年4月20日 (土)

田川紀久雄日記

また寒さが戻ってきた。今年の陽気は当てにならない。
語りの稽古はやればやるほど面白みがわかってくる。言葉が自分の身体の一部になるまで語りこむ。そのことによってはじめて詩の領域が広げられてゆく。問題はその先を進んでいく中で語りの自由が見えて来るのだろう。昨日『尼崎安四詩集』のテキストを語ってみた。どう尼崎さんの孤独感を聲で表現できるのか。もういちど真剣にテキストと向き合わないといけないと思った。なんども再語りを行なうことで、少しづつ視えてくるものがあるのだろう。魂を語れる詩人になりたい。そして生活費が稼げる語り手になりたい。相棒がいつまでも働けるわけでもない。なんとかして私も稼がねばならない。どこまでいけるかわからないが、日々の精進を積み重ねていくしかない。末期ガンの経験は私にとって貴重なものである。孤独と苦悩の中から生まれてくる聲を求めて生きていくしかない。
私に会えるのは詩語りライブの時である。是非応援していただけると有り難い。これでなんとか医療費が捻出できる。来場者には『たぶの木』を進呈しています。書き手は、渾身をこめて詩と向き合っています。

2013年4月19日 (金)

田川紀久雄日記

アメリカから押し付けられた今の憲法でも、平和を守るために作られたものだ。戦争をしない原理がこの憲法にはある。岸信介時代からこの日本憲法を変えたいという試みがあった。なぜ憲法改正がなされなかったのかは、まだ国民は悲惨な戦争の記憶があったからだ。戦争で徳をする国など何処にもない。国民を犠牲にする戦争には正義など存在しない。今の北朝鮮が戦前の日本とどこか似ている。軍部が横暴極まりがなかった。それを阻止できなかった政治家たち。こんどは政治家達が国民の意思を無視した方向に進もうとしている。安倍総理は岸信介のあだ討ちをしようとしているのだろうか。安倍政権はこのまま進めば危機的状況に追い込まれる。貿易で大幅な赤字である。円安は日本に利益を与えてくれるのだろうか。一部の大企業だけの利益を求めて行なわれているとしか思えない。行き過ぎた円高も円安も困る。
アメリカでは銃規制法案が破棄される。自由主義国家と言っても自分の身は自分で守るという社会は異常な社会でもある。現代美術でもアメリカの後を追いかけてきたが、結局何も生み出してはこなかった。日本の現代美術も行き詰っている。本当の自由とは何なのだろう。いま立ち止まって考えるときなのかもしれない。

2013年4月18日 (木)

田川紀久雄日記

昨日の党首討論会で、維新の会の石原慎太郎はミサイル問題を云々していたが、これは日本を守るというより、軍事国になるということだ。日本はあくまで憲法96条を守ることに価値がある。平和な国づくりこそ、最大の防衛ではなかろうか。安部総理の一人芝居に終わってしまった。この国はいったい何処へ向かっていこうとしているのか。
詩人に言わせれば、まだ哀しみを受け入れる心があるうちはまだ日本は大丈夫だ。だからもっと哀しみをうたいあげようではないか。その哀しみを乗り越える方法を見出していくのが詩人の仕事でもある。
昨日『弥勒菩薩像』という詩を書いた。今月はもう五篇ほど詩を書いた。いま最後の力を振り絞って詩と向き合って生きている。どこまでいのちのテーマを掘り下げられるのか解らないが、行けるところまでいきたい。
今日『たぶの木』の印刷ができる。頒価三百円です。詩人でない人たちに輪を広げてゆきたい。

2013年4月17日 (水)

田川紀久雄日記

非の下に心を書いて悲しいと読む。悲しみはまさに心の苦しみ以外ないものでもない。しかしこの悲しみが人の心を豊かな心に変えてくれるものでもある。ようはどのように悲しみに耐えて生きるかによって、そのひとの人生の価値も決まってくる。
詩誌が送られてくるが、ある程度名のある詩人が集まっているところの詩は、詩を書こうとしている。当たり前のことなのだが、そこに人生観が感じられないものが多い。いくら詩の技術を磨いても書けないものがある。それは人の心である。その人の人生観に支えられた詩があるかというと、少ないものだ。花伝書を読めば解るが、その人の年齢によってそれぞれの花がある。どのような世界を見てもそれぞれの花を咲かせるには、並大抵の努力だけでは花は咲かない。
詩の朗読にしてもライブを行なう前に、どれだけ精進をしたかが問われる。詩人達の朗読は、その精進の影さえ見えないものが多い。要は金にならないからかも知れないが、聲を鍛えることの意味が解らないまま朗読を行っているとしか思えない。
そろそろ『たぶの木・5号』が出来上がる。初めてゲストを迎えた。細野幸子さんである。人の心を豊かにしてくれる詩誌をめざしてゆきたい。
詩誌受贈『すてむ・55号』

2013年4月16日 (火)

田川紀久雄日記

東京ディズニーランドが三十周年になった。わたしは一度も行ったことがない。また行きたいとも思わない。私に言わせれば気持ちが悪い。あの人形の中に変体男が入っているかもしれない。なぜあんなに気楽に抱き合うことが出来るのだろうか。あれは国民を総白痴化させる何物でもない。ディズニーはナチ的な要素がある。人間の心は簡単に自由に操られるものだと思うと不気味だ。大人も子供も簡単に虜にしてしまう。危険極まりもない存在だ。あれは気持ち悪いといった人は亡くなった米原万理さんぐらいだ。
ソウルの若者たちは北朝鮮の恐怖をかんじていない。日本の若者のように気楽にライブを聴きにいったり楽しくお買い物をしたりしている。ようは朝鮮戦争を知らないからだろう。三国連太郎さんがなくなった。享年九十であった。彼が一番嫌ったものは戦争と人間への差別であった。詩人達も戦争と差別意識に対してつねに怒りを忘れないでいてもらいたい。どんな人間でも生きていく価値がある。まず存在することに価値があることを忘れてはならない。このことを掘り下げたのが親鸞でもあった。宗教はあまり好きではないが、宗教的な思考は必要である。現代人は、大切な思考方法を忘れているような気がしてならない。だからディズニーに走ったりするのだろう。本当に気持ちが悪い。

2013年4月15日 (月)

田川紀久雄日記

昨日も春の嵐であった。今年は何度嵐が来るのだろう。夏は猛暑になるのではないかと思ってしまう。
新聞の休刊日が多いような気がする。テレビも新聞の報道もあまり信用性がない。ようは話題つくりの紙面やテレビ報道でしかないからだ。とくに北朝鮮問題では、くだらない評論家や軍事評論家を招いてどうでもよいことばかり解説している。ようはお金を貰って評論している奴らは信用がならない。
近所の家に藤の木がある。それがもう満開である。次から次へと春の花は咲いていく。だからと言ってそれほど暖かく感じる日が少ない。昨日は20度近くになるといったが肌寒い日であった。都会生活は歳を取ってくると生きづらい。できれば田舎暮らしをしたいものだ。自給自足の生活が夢である。といって今の私の身体では無理である。最近物忘れが酷い。歳を取るということはこのようなことかと思うことが多い。出来るだけ遣りたいことは遣らないと人生が先細りになってゆく。時は待って句はくれない。みんな平等に時は配られている。要はやる気があるかないかだけである。他者を気にせず生きることが最善の方法なのだと思う。

2013年4月14日 (日)

田川紀久雄日記

アベノミクスで生活が良くなったと思う人はほんの一部でしかない。株でいくらかでも儲かった人ぐらいであろう。博打というものは結局胴元に巻き上げられるのが落ちである。実体のない経済社会では、夢は泡のごとくに消えていく。後にのこるのは膨大は国の借金である。その付けが国民に廻ってくる。国民はなぜそのことに気が着かないのか。TPPでも責める農業といわれても。、なにかが違うのじゃないのといいたくなる。いくら言ってもなにもならないよ、という人もいる。でも民が口を噤んでしまったら北朝鮮の人民と同じになってしまう。
毎日ブログを公開することによって、応援をしてくれる読者もいる。鬱患者が、話を人に聴いてもらいたい気持ちと同じようにパソコンに向かって呟いている。みんなが呟き始めれば、一つの思想となって何かを動かす力にもなりえる。その場は選挙にある。一人ほとりのいのちを守る運動が、平和憲法を守ることに繋がってゆく。武力では世の中は少しも変らない。
檜山さんと本田さんからカンパを頂いた。生活費がゼロになったところに有り難い。もう檜山さんとは何年も会っていない。みんなと飲み歩いた時代が懐かしい。もう一度あの頃の仲間と飲み会をしたいものだ。最近人の名前がどんどん忘れてゆく。ちょっと不安を感じてしまう。

2013年4月13日 (土)

田川紀久雄日記

川崎から野方までは遠いものだ。約二時間近くかかる。山本萠さんの個展会場はなかなか良かった。でもときどき出歩かないと、老いに負けてしまう。今月は川崎詩人会がある。あとはほとんど家に閉じこもって過している。これでは運動不足になるのはあたりまえだ。東京の街もどんどん変ってゆく。
相棒は毎日英語の勉強をしているが、やはり毎日発声の練習をしていると違うものだ。日々の積み重ねは才能よりも勝る。しかし語りの稽古は少しも進歩が見えてこない。これは聲だけの問題ではないだろう。テキストがどんどん増えていくその度に新たな挑戦をしなければならないからだと思ったりする。私は一篇の作品を語れるになるにも一ヶ月はかかる。まるで亀のようにのろのろと歩むしかない。だから日々の精進が必要なのだ。語りが行なえる場所が欲しいものだ。

2013年4月12日 (金)

田川紀久雄日記

今日は山本萠さんの展覧会を見に行く予定。
TPPはやはり大変なことになりそうだ。乳製品が全滅と新聞では報じられている。安倍政権はアメリカの飼い犬になっているだけだ。日本よりアメリカのために存在しているようだ。北朝鮮や中国の恐怖に怯えているのかもしれない。テレビでも北朝鮮のことで馬鹿騒ぎをしている。力は力で迎え撃つ作戦はいかがなものか。要ももっと対話路線を見出していくことではなかろうか。北朝鮮は人民の飢えの状態で維持されている。北朝鮮もミサイルを他国に撃ち込めば国が滅びることぐらい解っているはずだ。国連を通じてなんとか打開策を見出してもらいたい。
詩の朗読の難しさは、ただ言葉の意味を伝えるだけではない。詩の言葉そのもの伝える。そこには音楽的な要素がある。単なる言葉の意味だけを伝えるだけなら活字の方がより鮮明にわかる。もっともっと肉聲というものを掘り下げていかねばならない。聴き手の心を豊かにするものでなければならない。それなのにいまの詩人達の朗読を聴いているとその反対方向にある。まず大切なのは聲そのものの自立性である。その場所まで詩人の聲は達していない。基本的な努力がなされていないということだ。趣味程度での朗読は、聴き手の心を豊にはできない。聲と命懸けで格闘してこそ一歩前にすすめるものである。そこから朗読の場が生まれてくる。

2013年4月11日 (木)

田川紀久雄日記

TPPのゆくへがまったく解らない。日本の農業や医療が守れるのだろうか。日本の未来が少しも見えてこない。実体のない経済が優先されている。アベノミクスという言葉が独り歩きしているだけだ。円安の影響で倒産においこまれている企業がでている。人は他人の不幸を見て見ぬ振りをする。これが政治的状況に原因があるとしたら、たまったものではない。
詩人という生き物はつねに痛みを背負っていないと、詩が書けなくなる。もし書いたとしてもそれは詩でないものが生まれる。ただの言葉の遊びに陥ってしまっている。詩人のいのちはこころのいたみをどれだけ感じていられるかにある。とても厄介な仕事である。といってそれがお金になるわけでもない。何にもならないところに価値があるのかもしれない。新聞に載ってとか何々の賞をもらったからといって、別に誉められたことでもない。私の詩を素直すぎるという人もいる。いのちを表現するにはまず純粋な方法で創作するのがいちばんよい。いつまでも子供の心のようでいたい。他人とは色々なことを言うものだ。
字が読めなくなった私は、ひたすら詩語りに打ち込んでいる。糖尿病は眼を悪くする。いまはこの糖尿病との闘いだ。そういえば東淵修さんも糖尿病で亡くなった。彼の朗読はとてもよかった。彼と一緒に散歩した京都の町は楽しかった。

2013年4月10日 (水)

田川紀久雄日記

福島の汚染水はどうなるのだろう。まさか海に流すのではなかろうか。毎日400トンの汚染水が増え続ける。国がもっと積極的に対策を講じるべきだ。これでは福島の漁民は心配で眠れないだろう。経済省の前の原発反対のテントの撤去を促しているが、国民の意見を聞くことが先だろうといいたい。パソコンでも原発のことを言うと妨害される。
いまアベノミクスで経済を上昇させようとしているが、ばら撒いたお金を回収する時は国債の値が下落してしまうのではないのか。アベノミクスはある意味で危険な方針なのである。円安も百円近くになっている。輸入業者は苦境に立たされている。いや中小企業が大変になっている。材料の値上げで倒産する企業も増えてくるだろう。貧困に喘いでいる人たちはますます苦しい生活に追い込まれていく。健康保険や家賃も払えなくなってしまう。私たちの生活も四月は、どんどんお金が消えていく。どうしたら良いのか不安でならない。
昨夜から腰が痛み出した。金がなくなると腰まで悪くなる。心配は神経に悪いのだろう。

2013年4月 9日 (火)

田川紀久雄日記

参議院選挙で何処の党に入れるか迷う。民主党は、壊滅状態だ。安倍政権と向き合える政党はどこにもない。数年前まで二大政党などと騒いでいたのが不思議な気がする。円安で株価が百円に近づいている。株を持っている人たちは浮かれていられるが、預金すらない私たちには苦しい時代になってきた。なんとしてでも原発ゼロを目指している政党を応援していきたい。そしてどんなこと状況になっても戦争を阻止する社会を作り出してゆきたい。あなたのような考え方が、現実にそぐわないといわれようと、嫌なものは嫌なのだ。最後まで魂の叫びを語り続けてゆきたい。
視力が衰えている。小さな文字はまったく読めない。最近は読書の量がめっきり減った。電子書籍が欲しいと思う。文字が拡大して読めるのがいい。でもまだ読みたい本が少ないという。でもいろんなところから電子書籍が発売されている。いま使用しているパソコンも一年後には使えなくなる。セキュリティーが出来なくなるからだ。新しいパソコンはワールドが使いずらいという。機械音痴な私には頭がいたい。今使っているノートパソコンは蓋が閉らなくなっている。いつ壊れるか解らない状態だ。パソコンを買うお金があったら詩集を上梓したい。誰か私の絵を買ってくれる人がいないかなと思う。

2013年4月 8日 (月)

田川紀久雄日記

このところ身体がだるく感じられる。それは春の天候のせいからかもしれない。こんなときモーツアルトのハレルヤを聴くのもいいだろう。そういえば聴くという文字は目と心で聴くという字が作られている。徳という字も同じことが言える。文字の成り立ちを考えると面白いものだ。人の心は他者から聴いてもらうだけで癒されたりする。鬱の人たちに対しても何も出来ないにしても傾聴するだけで癒してあげられることもある。現代人はこの他者の言葉を聴くということが苦手らしい。
詩の言葉も、言葉に寄り添うことで心で聴くことになる。目だけで読んでいるとたんなる読書で終わる。できれば口に出して読むことが必要ではなかろうか。目だけで読んでいては本当の言葉の意味は伝わっていないことが多い。いま私は『慈悲』を毎日語っているが、なかなか人に聴かせるまでに出来ないでいる。人に聴いてもらえる語りは、それなりの努力が求められる。言葉が通じればよいというものでもない。やはり詩の心が語れないと、語る意味を失ってしまう。語ることはとても厄介なことでもある。聲だけで語ろうとおもっても、本当の語りはできない。語ることに苦しみながら生きている。この苦しみの先にしか本当の語りは生まれてこないのだろう。

2013年4月 7日 (日)

田川紀久雄日記

福島原発の汚染水がどこまで広がってゆくのか。四十年先に廃炉が終了するというが、これから先がまったくわからないのに国の原発政策には疑問が残る。途中で従業員が誰もいなくなる危険性すらある。放射能を取り除く技術がないまま、不安を抱えて暮らす福島の人たちは断腸な思いだろう。
イラク戦争で子供達はレッカーウラン弾でガンになる率が増えている。アメリカはガンとの関係を否定しているが、それは単なるごまかしにしかすぎない。日本政府は、イラク戦争の協力に対していまなお正しかったといっている。このアメリカとの癒着が安倍政権でもっと協力になったといえる。平和憲法を望む私たちは、戦争をしない世界の構築に力を注いでいかねばならない。そのためには戦争の悲惨さを語り続けることが必要だ。そして原発の問題も、やはり語り続けていくことだと思う。
昨日「たぶの木」の細野幸子さんの原稿が入った。清らかで美しい作品である。五号の発行が楽しみだ。

ユーチューブ 宮澤賢治・青森挽歌で私の詩語りが見られます。

2013年4月 6日 (土)

田川紀久雄日記

高畑耕治さんから「たぶの木」の原稿が入った。言葉の絵本といった感じだ。作品の内容は戦争の悲惨さや、生きていることの罪意識といったとても奥深いものだ。それはまるで子供たちに語るように柔らかな口調で語られている。いま現代詩の中でこのような方法で質の高い作品を書くことは驚くべきことである。
『寄り添う』という私の詩集はちょっと出版をためらっていたが、昨日全編を語ってみたら、なんとかなりそうな気がしてきた。語りの世界では、作品に寄り添って語ることが一番大切なことである。やっと語りが言葉に寄り添うということが精進の中が摑みかけてきた。今の私は語ることの楽しみと歓びを感じられるようになった。
いつの世でも、実行力のある政治化に人気があるが、それが時が経つといつのまにか独裁者になっていることが多い。国民の眼は、魔法にかけられたように騙されてしまう。状況論の中で憲法改正が叫ばれているが、本当に日本人が進むべき道を一人ひとり真剣になって考えていかなければならない。高畑耕治さん作品は、このことを考えされてもくれる。詩人は読者に作品を放り投げるだけしかない。あとは読者がどう受け止めるかだ。

2013年4月 5日 (金)

田川紀久雄日記

お金にはまったく方向音痴だが、黒田日銀に対しては疑問を感じる。日銀は政府とは違った独自な方針があって良いのではなかろうか。もしアベノミクスが失敗したら、日本全体がパニックに陥ってしまう。安部内閣の飼い犬のような姿勢では不安を感じてしまう。大手企業は夏のボーナスはアップするが、零細企業では支給ができるかどうかさえ解らないところがある。毎月病院代・介護保険料その他を支払いで悩んでいる状態である。まったく世の中の景気とは関係がない。ますます生きずらい世の中になってきたなと思う。
昨日『詩創・32号』という詩誌が送られてきた。発行者は宇宿一成氏である。その詩誌の中に『愛するものへ』が紹介されてあった。有り難い。
詩誌受贈『榛名団・6号』『詩創・32号』

2013年4月 4日 (木)

田川紀久雄日記

今日の午前中は病院に行く。
「維新の会」も憲法の改正を目指している。石原慎太郎のろくでもない思想が表面に出ている。安倍政権より石原慎太郎の方が狂気じみている。戦争をしない思想こそ日本人が守るべき思想である。だんだん戦争の経験者が少なくなってきている。まるで戦争がテレビゲームのように考えているのではなかろうかと思われる。戦争の悲惨さを我々は伝えてこなかったのではと思うと悲しくなる。東日本大震災も時の流れの中でだんだん忘れ去られていく。アベノミクスなどと浮かれている人たちを見ていると情けなく感じてしまう。
いま福島原発周辺に動植物が増えているという。しかし動物達の白血球の数が減っているという。本当に放射能の影響は怖ろしいものである。本気になって原発ゼロを目指さないと人類は滅びていくしかない。いまの原子力発電四十年を六十年まで延長する安があるが、人間の欲望の愚かさを痛感するだけだ。
オートバイの賠償保険が切れていたので、また四年間契約をする。四月はいろいろとお金が出て行く。
操車場の発送が終わる。次は「たぶの木・5号」の原稿が二十二日までに集まる。楽しみだ。
詩誌受贈『叢生・185号』

2013年4月 3日 (水)

田川紀久雄日記

一週間かかってやっと一篇の詩が書けた。「旅人の夢」という詩だ。このところやっと本当の詩が書けるようになった。テーマは闇の中からどのようにしてひかりにむけていけるのかというものだ。詩というものは、読む人が心を振るわせるものでなければならない。語りも同じことが言える。わたしはこの地点を求めて生きてきたといえる。それにしてもあまりに遠周りをしてきた。でも末期ガン宣告を受けなければ、この世界までは到達できなかっただろう。いま書いている詩を詩集にするのは『いのちのひかり』『寄り添う』を上梓してからである。
「操車場・71号」の印刷がやっと出来る。これも参加してくる詩人がいるからこそ出来るのだ。毎月は発行だから書き手は大変だろう。でもそのぐらいの速度でやらなければならない。いま私が発表している詩誌は「新しい風」「たぶの木」「操車場」である。それでも詩が増えてくるので、もっと発表する場が欲しいくらいだ。
詩を書くことはいのちを削る作業でもある。「夕鶴」のように自分の身体の一部で布を織るように詩もそうでなければならない。そのような詩人がいた。例えば山本陽子や麻生知子がそうであった。いま賞をとった詩人で本当に読みたいと思う人はいるのだろうか。本当の詩人はいつも闇のなかに隠れているものだ。

2013年4月 2日 (火)

田川紀久雄日記

今日は一日中雨だという。一日中降るのは久しぶりだ。桜の花もこれで終わりだろう。春はやはり雨が多い。
アベノミクスで景気の良いのは大企業だけだ。中小企業は輸入品の値上がりでかえって赤字の経営に追い込まれている。四月一日から多くの品目の値上がりが始まった。まぜ電気代・ガス代である。これは円安の影響である。相棒のバイトの収入では苦しくなるばかりだ。なんとしてでも私がいくらかでも稼がなければならない。といってこの身体ではどうにもならない。病気よりも物価の値上がりの方が怖ろしい。病気は治療すれば何とかなるが、物価はどうすることも出来ない。
この株の値上がりも、いつまで持つかわからない。またある日突然暴落することもある。詩人や画家たちは災難の時代だ。大手出版者でも雑誌が売れない時代だ。雑誌に変って携帯電話の情報に変ってしまった。電車に乗っても過半数以上の人が携帯電話とにらめっこだ。これではますます本を読む人口が減っていく。本は人の心を豊かにするものなのに、それが敬遠されるとは不思議な時代だ。私も眼がひどく悪くなっている。電子書籍が欲しいと思っている。でもそれを購入するゆとりがないのだ。インターネットの情報はただ虚しさを感じるだけだ。まるで広告塔の流れる文字を見ているようなものだ。

2013年4月 1日 (月)

田川紀久雄日記

柏崎原発の稼動の準備をしているという。いま福島原発がどうなっているのか政府は認識しているはずなのに困ったものだ。未来のためにも原発ゼロにしていかなければならない。核のゴミ問題も解決ができない。このような狭い日本で原発なんて無謀だ。国家は国民があってこその国家なのだ。安倍政権は何か勘違いをしている。
いま詩を書くのは苦しい。というのは詩のテーマを掘り下げていけばいくほど辛くなる。絶望の果てに何があるのだろうか。それ苦しみを乗り越えるには何をなすべきなのか? さっぱり何も見えてこない。しかし苦しくても書き進まなければ返って苦しみが増すことだろう。ここ一篇の詩を書くのにもう一週間格闘しているが何も見えないでいる。
語りの稽古で一篇の詩を大事に語ることに気をつけている。自作詩を一時間語るには、それなりの聞かせ方があるはずだ。本当にお客様に届けられる語り方を習得したい。

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