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2013年2月10日 (日)

田川紀久雄日記

今日は旧暦の正月である。いまが一番寒いときでもある。
優れた詩は、なぜ哀しい詩が多いのだろう。楽しく希望に満ちた詩はほとんどない。人々が詩に求めるのは、哀しみを哀しみで拭い取ってもらえるものを求めているからではなかろうか。辛く哀しい時は、自分よりもっと不幸な人がいることで、頑張れると思うのだろう。ということは日常生活では、それほど詩を求める必要がないということになる。誰にも知られずにそっと詩を隠れて読む。つまり詩というものは、文学書というより、薬の役目をしているのではないのか。小説と違って短時間に読める。そして癒される。そこに詩の魅力が隠されている。
相棒が今日親戚の結婚式に出かける。その席で詩の朗読と思ったが、結婚式に相応しい詩が見当たらなかった。良いと思う詩は、みんな哀しい詩ばかりだったという。
高畑耕治さんがブログで紹介している詩も、やはり哀しい詩が多い。哀しいから心が打つのだろう。詩人の役割とは、哀しみを癒す詩を書くことにあるのかも知れない。つまり心のお医者さんである。「毒は毒をもって制す」という言葉があるが、詩も哀しみを哀しみのよって癒すことであるといえる。八木重吉の詩などはその詩の代表ではなかろうか。
私も末期ガンを宣告されたことによって語りの世界も深められてきたのではなかろうか。いのちの尊さを語ることが私の使命なのかもしれない。

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