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2013年1月31日 (木)

田川紀久雄日記

女子柔道告発問題で、園田監督が続投というのがおかしい。全日本柔道連盟そのものの判断に問題だ。連盟の会長の上村春樹会長の会見も変である。「もうやらない」という口約束で片付けられることではない。人の心の痛みを知らない人たちだ。躾といじめが解らない人たちである。
福島第一原発の貯蔵場が満杯で汚染水を海に放出する可能性が出てきている。これは以前から問題にされていたことでもある。東電は法定濃度をクリアした後にといっている。地元の漁連は反対、一切認めないとの見解だ。安倍政権では東電と経済界とで密談がなされているという。じわりじわりと再稼動の動きがでてきている。参議院選挙までおとなしくしているが、三分の二以上の議席を取れば、憲法改正も原発の再稼動も動き出す。いま私達に出来ることは自民党の独裁を阻止することしかない。たった一票の選挙権を大切にしたい。
このところ世の中を見ていると、腹立たしいことばかりだ。怒りで頭が狂いそうだ。

2013年1月30日 (水)

田川紀久雄日記

午前中は病院に行かねばならない。
小説を読むのと違って詩の朗読は難しい。ストリーがないだけどのように語っていけば良いのか解らない。テキストをただ聲を出して読むのでは、何のための朗読なのか解らない。役者のように演技力で朗読することは、詩の朗読とは言えない。またアナウンサーのように、言葉をただ正確に朗読するだけでも意味を成さない。あくまで詩の心を語ることに心を注がねばならない。この詩の心ということがとても難しいのだ。言葉ではどのように言えばよいのか表現しにくい。ただ感じてもらうしかない。
私は毎日語りをやっているが、やればやるほど難しさを感じる。ではそんな稽古は止めればという人もいるだろう。でもやめたらそこで終わってしまう。難しいことを根気欲く遣ることに語りの世界が拓けていけると思う。いままで誰一人としてこの困難な道を突き進んだ詩人がいない。それは遣ったからと言って評価されるわけでもないし、仕事が入るものでもない。早い話、一銭にもならない仕事である。それをあえて行なうのかと問われれば、苦しみの中から歓びを見出したいと言うしかない。その行為の中に人生そのものが集約されているからだ。困難な闘いこそ人生の最大の歓びがひそんでいる。

2013年1月29日 (火)

田川紀久雄日記

福島原発の廃炉は難しい。ちゃんと廃炉が出来ないのに、原発の再稼動を行ないたいという電力会社はいったい何なのだろうか。敦賀原発の真下に活断層を大筋認めた。安倍総理は昨日の所信表明では原発政策については触れずじまいであった。安倍政権で得をするのは、輸出産業と富裕層だけであるかもしれない。一般の人たちは給料も上がらず、消費税の値上げで苦しむだけである。なぜ庶民は小さな夢の餌で、安倍政権を支持するのだろうか。パートで働いている人たちにとっては何の得もない。まして無収入な私などは生活がますます苦しくなるだけだ。何もなくても人に対しての思いやりだけはある。今私の夢は詩語りで多くの人にいのちの豊かさを伝えられることができたらと思うだけだ。哀しみを通したいのちの豊かさは本物なのだ。

「第九回いのちを語ろう」のDVDを頒価1200円でおわけしています。是非一度聴きてみてはいかがですか。

2013年1月28日 (月)

田川紀久雄日記

沖縄に配備されたオスプレイの反対デモが東京で行なわれた。問題は沖縄の痛みをどう受け止めるかだと思う。戦後ずっと沖縄に米軍基地を委ねてきた。確かに本土の人間はずるいとしか言いようがない。私も含めて人間はずるい。米軍基地がもし川崎にできたら、川崎の人たちは全員反対をするだろう。反対するだけでは問題が何一つ解決しない。
詩人である私は戦争がない世界を作ることに夢をかけるしかない。以前にも書いたがトルストイの『イワンの馬鹿』のような世界を目指していきていたい。現実的なないと批判されようが、それが一番の近道である。いま自衛隊法の改正を政府は進めたいと願っている。この愚かな考え方を阻止しなければならない。そのためにも夏の参議院選挙では野党を数を増やさなければならない。選挙権を大切に使うことが今出来る庶民の精一杯の行為である。
詩誌受贈『叢生・184号』

2013年1月27日 (日)

田川紀久雄日記

詩を味わえる作品になかなか出会えない。書き手の人間性が見えないこともその原因の一つかもしれない。現代詩にはまず口ずさむような作品に出会えない。ただ活字を眼で追うだけで終わってしまう。ある意味で行間が存在しないかのようだ。現代は時間が眼に見えぬ速さで消えていく。一年なんかあっと終わってしまう。貴重な一日さえ思い出せない。一冊の詩集を読み終わっても、もう一度味わいたいと思う作品が見当たらない。
自作詩を語るということは自分の詩集を何度となく語る。上梓して終わるのではなく、そこから語る度に詩が成長してゆく。朗読の楽しみは歓びに変ってゆく。私は詩集を作ると次の詩集まで毎日のように語る。詩集とともに毎日が成長していける。詩集が自分の身体の一部になってゆく。普通詩人は詩集を上梓してある程度の人に送って終わる。多分もうその詩集を振り返ってみることもないだろう。それはとても哀しいことではないのだろうか。詩人達の朗読会に行っても楽しいという雰囲気はない。これでは駄目だ。詩集を朗読する楽しみをもっと味わってもらいたいものだ。それも上等な朗読を。そうすれば詩はもっと自由にいろんなところに飛んでいけるだろう。詩は素晴らしいものだということを拡げてゆきたいと願う。

第九回『いのちを語ろう』がユーチューブで見られます。

田川紀久雄の詩語りライブ、宮澤賢治詩集・自作詩、第
9回いのちを語ろうhttp://youtu.be/4mJ5ZGBAVJ0

坂井のぶこの詩語りライブ、麻生知子詩集・自作詩、第9回いのちを語ろう

http://youtu.be/GR4rBfalyTw

野間明子の詩語りライブ、八木重吉詩集、第9回いのちを語ろう

http://youtu.be/5CT6qT2uNYg

2013年1月26日 (土)

田川紀久雄日記

雰囲気だけで物価が上昇するのは困る。三月頃零細企業が多く倒産するという話もある。株が上がったのを歓んでいる人たちが多くいる。わたしは一度も株を持ったことがない。多くの人たちが苦しんでいるのに、株の上昇で浮かれている人たちを見ると腹立たしくなる。
アルジェリア事件で政府は自衛法の改正を狙っている。アルジェリアといえば作家のカミュがいる。かれは何処に行っても異邦人であった。わたしは余りもアルジェリアを知らない。植民地からの長い戦い。そして内乱。平和な日本に住んでいる私達には想像を越えた世界である。今このときですら戦闘でなくなってゆく人たちがいる。そして市民も巻き込まれて亡くなっている。今の日本人はもう放射能のことを忘れて経済の上昇を夢見て浮かれている。ヒロシマから続いている放射能問題は何も解決がなされていない。いまなお苦しんでいる人たちの聲を聴く事が大切である。まず聞くことによって原発の問題も解決されていくのではないのか。哀しみの聲が聴こえなくなったら人間としての存在は消えていく。

2013年1月25日 (金)

田川紀久雄日記

経済の成長は必要であるが、そのために大切な事柄が失われてゆくのも問題だ。弱者の切り捨てはある程度は止む得ないという考えだ。政治というものはある程度の幸せ度をパーセントで現したりするが、そこには大きな落とし穴がある。
詩人は、世の中から失われてくひかりを求めていくべきである。絶望に陥っている人の心に響く言葉を捜し求めていかなければならない。それは絶望には絶望を持って処すしかないのかも知れない。絶望のなかにもかならずひかりは隠されているはずだ。絶望には希望ではなく、絶望を描くことで安らぐことが出来る。例えば山本陽子の詩を読むと、誰もがここまで絶望や孤独を描ける人はいない。そのことである面で勇気付けられたりする。山頭火などを読むと勇気付けられるのも同じことだ。
詩語りで本物の詩人の作品を語ってゆきたい。心の叫びこそ詩人のいのちである。高畑耕治さんのお陰でユーチュウブで見られるようになった。
詩誌受贈『野の草など・27号』『潮流詩派・232号』

2013年1月24日 (木)

田川紀久雄日記

今日は、いつものように病院で定期検査である。夜中雪が降るという予想であったが、雨であった。朝には晴れている。
日銀総裁は自分の身のことを考えて政府の言いなりになってしまった感じだ。現代人は長いものにまかれる傾向がある。このことは学校の先生にも言える。嫌なものは嫌だと最後まで言える人は少なくなってきている。世の中がますます左翼化していく。福島原発事故のことももう遠い記憶のようになっていってしまう。いまなおそこで働いている人たちは被曝にあっているのだ。労働条件も最悪である。そして臨時従業員の賃金もピンはねされているという。企業はとことん労務者を痛めつける。いまのパートの賃金は平均で八百円台である。これでは生活ができない。物価二パーセントも上昇したら飢え死にしてしまう。年金を払えといっても払えない人が増加して行くだけだ。未来には国の財政も破綻してしまう。高齢者たちの生活や病院の治療費などの問題も何も解決していない。TPPをすべて受け入れてしまえば医療関係は破綻してしまう。いくら嘆いても問題は何も解決はしない。そこで私はみんなが寄り添う会える社会をめざしていくしかない。詩人達は心が豊かになれる詩を語っていけたら素晴らしい世界がと思うのだが……。まず自分に出来ることを見つけていくしかない。
詩誌受贈『詩遊・37号』

2013年1月23日 (水)

田川紀久雄日記

物価上昇率を二パーセント目標、そして生活保護費を八パーセント引き下げ。そのうえ日銀の独立性を封じてしまう。これが自民党の政策なのである。もしこの政策が失敗に終わったら日本は膨大な赤字で沈没してしまう。
私のようなほとんど無収入の生活者にとっては死活問題である。将来のことを思うと絶望的になってしまう。生活が絶望的にならないように、なんとか詩語りの出前を増やしていきたい。そのためには誰にも負けない語りの世界を築かなければならない。お客に豊かな言葉と語りの楽しみを与えることが求められている。人生を真剣になって生きていかなければならない。どんな状態にも負けない精神力を持たなければならない。そのことによっていのちの大切さを語りを通じて訴えていかねばならない。
世界全体で失業率が増加しているという。若者たちに希望が持てないような国は哀しいことだ。何のために生きているのかさえ解らない。このことはとても辛いことである。寄り添えあえる社会を求めて生きてゆきたいものだ。

2013年1月22日 (火)

田川紀久雄日記

電力会社は、自己のことしか考えていない。このエゴな体質は何処から来ているのだろう。分かち合う思想がまったくないのだ。これでは自然エネルギーへの道は遠のいていくばかりだ。福島原発事故の補償問題もうやむやにしている。
未来に対して福祉関係もどのようにしたら、みんなが幸せになってゆくのか見取り図が解らない。一人暮らしの老人が病気になったら、行く場がないのだ。病院も盥回しである。この社会から離脱した人間にとっては未来がない。ととえも哀しいことだ。詩の言葉では、彼らの心を癒すことができない。何も出来ないと思うと詩人の存在に哀しくなるばかりだ。誰もから見放された人の心を救うことは誰もが出来ないのだろうか。人という字は他者に寄りかかりながら存在するとい文字なのに。詩の存在は眼に見えない人たちに対しての呼びかけでしかないのだろうか。詩人は、この苦しみの心でもって詩を書いていくしかない。いまは誰の為というより、まず自分の為に書くしかない。そのことによって詩という世界が存在しているのかもしれない。高畑耕治さんがブログで魂の叫びの詩を紹介している。そのことはそれを読んだ人の心にこだましてゆく。それでいいのだと思うしかない。詩人は哀しみを背負い込んで詩を生み出しているのだから。

2013年1月21日 (月)

田川紀久雄日記

西欧が寒波に襲われているという。この川崎もいつもの年より寒い気がする。朝四時ごろに起きるのが辛い。新聞配達の人たちは凄いと感じてしまう。朝まだ眼の痛くならないうちにパソコンに向かっている。
生活保護の認定が厳しくなるという。そして生活保護費も引き下げられるという。自民党は弱者切捨ての政権でしかない。私の家もオンボロデ直すお金もない。巨大地震がくればそれで終わりになる。だからいま生きていることに対して精一杯生きて行くしかない。前を見ない、後ろを振り返らない。詩など書いている状態ではないだろうといわれそうだ。といってこの歳ではどこにも働き口がない。といって詩語りではとても生活に結びつかない。人様に語りで勇気付けようと思っていても、実際は私自身がまいっていてはしょうがない。なさけない状況だ。寒さのお陰で欝的状態に落ち込んでいるのかもしれない。だれか漉林書房から詩集を上梓してくださる方がいないのかと思ってしまう。浜川崎の野良猫たちは元気だ。彼らから生きる勇気をわけてもらっている。今日も頑張って生きていこうと思う。
詩誌受贈『柵・314号』 この柵もあと二回出して終刊になる。

2013年1月20日 (日)

田川紀久雄日記

昨日は良いライブができた。野間明子さん、坂井のぶこさん、田川紀久雄それぞれ安定した朗読であった。そして個性豊かさがめだった。野間明子さんは八木重吉・坂井のぶこさんは麻生知子、そして私は宮澤賢治を語った。お客さんに久しぶりに坂井信夫さんが見えた。他に、高畑耕治さん、長谷川忍さん、松田光正さんであった。もう少し聴きに来て貰いたかったがいたし方がない。松田さんからはカンパを頂いた。そして坂井信夫さんからはお土産を頂いた。これからも豊かな語りを行なってゆくしかない。ライブを行なっていると付き合い方の濃さが視えてくる。悲しいときもあれば、嬉しい時もある。聴きにきていただいた方にはいつも有り難いと思う。生きて行く上で支えになっている。次も頑張ろうと思う気持ちにさせてくれる。この厳しい状況の中で語りの世界が鍛えられている。ただのお付き合いの場であってはならない。あくもでもよりより語りをめざしていくしかない。

2013年1月19日 (土)

田川紀久雄日記

アルジュリアの人質事件は、私達には考えられない行動をアルジュリア政府が決断した。また細かいことは解らないが人質に相当な死者が出たという。テロと闘っている国は絶対テロの言うままにならないという。私が思ういのちとは随分かけ離れた価値観である。それが現実だといわれれば、何もいえなくなってしまう。キリスト教とイスラム教は相容れないものなのだろうか。
立原正の小説に『帰路』がある。西洋にあこがれた人が日本への回帰も空洞化され、足場のない現実を感じる。私達も青春時代西洋にあこがれ多くの書物から影響を受けてきた。それはいまなお現在も続いている。いまの詩や小説も、この足場のない場所から生まれている。そのためにもいま眼の前のことを書くことが求められているのではなかろうか。詩の場合は今の自己をさらけ出すことが必要に思える。といって殆どの詩人達はその自己が喪失しているのだ。どこにも帰る所のない旅人のような存在なのかもしれない。
放射能の除染の問題にしても、まったく無責任感な企業ばかりだ。ただ身勝手な金儲けだけが横行している。原発の再稼動問題も、電力会社の利益だけを考えているにすぎない。政府もそれに手助けを使用としている。安部総理は「人質の生命を優先してもらいたい」と述べていても、原発に対しては人のいのちを無視している。安倍総理の言葉の軽さはとても虚しく感じるばかりだ。

今日ライブの日です。一度聴いてみてはいかがですか。
第九回 いのちを語ろう詩語りライブ
2013年1月19日(土) 午後二時より
東鶴堂ギャラリー(京浜急行鶴見駅前一分) 
料金 2000円
参加者 野間明子・・八木重吉詩集より
      坂井のぶこ・・麻生知子詩集より 自作時
      田川紀久雄・・宮澤賢治詩集より 自作時
申し込みは 詩語り倶楽部(044‐366‐4658)

2013年1月18日 (金)

田川紀久雄日記

日本の社会は何処もかしこもピラミット型が殆どだ。ここでは平等な権利などない。自主的な思考を持てといわれても、究極的には権力の一言で物事が決まってしまう。本当に人間らしく生きようと思うと、孤独でいるしかない。社会的構造の中で生きることは、強いものにまかれて生きるしかない。名誉とか出世など気にしないで生きようと思えば詩人になるしかない。それも詩壇と関係のない場で生きるしかない。詩を書き続けることはそのような場でしか本物の詩人がでてこない。孤独で生きることは想像を絶する闘いがなる。その孤独が深ければ深いほど詩の言葉が輝いてくる。詩人として生きようと思えば大変な重圧を引き受けなければならない。そこにこそいのちの闘いの場がある。山本陽子のことを考えると、自分の生き方の甘さに反省してしまう。私の部屋に彼女の絵が一枚飾られている。複数の眼に私は毎日視られている。そのお陰で詩語りの世界にのめりこんでいられる。いのちの聲を習得するまで私の語りは終わることがない。明日はライブがある。一人でも多くのお客が来ることを祈るだけだ。

第九回 いのちを語ろう詩語りライブ
2013年1月19日(土) 午後二時より
東鶴堂ギャラリー(京浜急行鶴見駅前一分) 
料金 2000円
参加者 野間明子・・八木重吉詩集より
      坂井のぶこ・・麻生知子詩集より 自作時
      田川紀久雄・・宮澤賢治詩集より 自作時
申し込みは 詩語り倶楽部(044‐366‐4658)

2013年1月17日 (木)

田川紀久雄日記

芥川賞が決まった。七十五歳の黒田夏子さんである。私はここ数年小説らしい本を読んでいない。また芥川賞にもまったく興味を引かない。賞というものは純粋に作品が優れているから貰うのではなく、そこの出版社の思惑が隠されていることがある。詩の場合は先生と弟子の関係とか、出版社の力関係でほとんど決まる。
日本は外国に原子力産業を売り込もうとしている。原発ゼロを願っている私にとっては恥べき行為としか言いようがない。大飯原発の断層調査も長期化しそうである。活断層があってもないことにしてしまうかもわからない。御用学者が原子力委員に任命されてしまえばおそらく電力会社の思惑どうりになってしまう。映画界でも反権力の映画監督が次から次へと亡くなっている。このことはとても淋しいことだ。いまのテレビはひたすら視聴率だけを気にして製作がなされる。しかしどの番組を見てもこれはというものがない。NHKでもくだらないタレントを使うようになっている。どのチャンネルを見ても同じ顔のタレントが出ている。まったくの独自性に欠けている。テレビで見れるのはスポーツぐらいだ。今日は高校女子サッカーの決勝戦だ。私は常盤木学園を応援しているのだがどうなのか楽しみだ。神村学園も強い。

第九回 いのちを語ろう詩語りライブ
2013年1月19日(土) 午後二時より
東鶴堂ギャラリー(京浜急行鶴見駅前一分) 
料金 2000円
参加者 野間明子・・八木重吉詩集より
      坂井のぶこ・・麻生知子詩集より 自作時
      田川紀久雄・・宮澤賢治詩集より 自作時
申し込みは 詩語り倶楽部(044‐366‐4658)

2013年1月16日 (水)

田川紀久雄日記

政治は民に希望を与えるものだが、日本の政治は、民の心をつねに裏切っている。野田元総理の消費税の値上げ、それに便乗した自民党と公明党が政権を握った。この政権は最も危険な道を歩もうとしている。それは憲法の改正と原発の再開である。安倍政権の支持率がなんと65パーセントもある。
しかし今の若者達には未来がまったく感じられないという。ではいったい希望とは何なのだろうか。それは自分が未来に向かってやる仕事があることではなかろうか。自分のいのちにかえても遣りたいこと。スポーツに人気があるのも、その一つの夢が身近に感じられるからだと思う。いま高校の女子サッカー選手権をを見ていても心がときめいてくる。無我夢中になって走っている姿はとても感動的だ。今日は準決勝が行なわれる。テレビ中継がある。
今の私は詩集を上梓することと、詩語りライブを行なうことが一つの夢である。他者にとってどうでもないことかもしれないが、私にとって生きてきたことへ答えの一つである。自己を通して他者との関る場であるからだ。小さな世界でも夢中になれることが生きて行く上には必要なことだと思う。それを実行しようと思うといろんな困難な状況に出会う。夢はそう容易く手には入らない。そのこ人生の価値が生まれてくる。

第九回 いのちを語ろう詩語りライブ
2013年1月19日(土) 午後二時より
東鶴堂ギャラリー(京浜急行鶴見駅前一分) 
料金 2000円
参加者 野間明子・・八木重吉詩集より
      坂井のぶこ・・麻生知子詩集より 自作時
      田川紀久雄・・宮澤賢治詩集より 自作時
申し込みは 詩語り倶楽部(044‐366‐4658)

2013年1月15日 (火)

田川紀久雄日記

昨日の天気予報はおおはずれであった。まさかあのような大雪になるとは思ってみなかった。これは人生と同じことだ。どんなにそのときの状況が把握が出来ていても、一歩先はわからないものだということだ。いま家のローンが払えないで夜逃げする人が増加しているという。バブルのときに長期のローンを組んで購入したマンションがこの不景気になって、会社の倒産、リストラなどで支払いが出来なくなって人たちである。経済という天気予想は、天気と同じように未来が掴めないものである。
私も喫茶店の失敗、そして印刷所の失敗。失敗の繰り返しの人生である。いま軽印刷関係はどこも経営が成り立たなくなっている。印刷関係の技術がどんどん進歩して、設備投資に追いつけないのだ。映画でフィルムがなくなるように、印刷もデジタル化されている。だから印刷物が均一に刷れるがインクが薄いのだ。詩誌なども送られてくるが、このデジタル印刷で活字が読みづらい。眼の悪い私には、読みたくても読めないものが増えている。これも時代だからと言って諦めるしかないのだろうか。
この日本には未来が少しも見えない。成人式を行なった人たちも、未来が暗いと答えた人たちが過半数以上だ。このような時、山下佳恵さんの詩を読むと元気になる。「たぶの木」もこれからが楽しみだ。詩人にはまだまだ残された仕事がある。

第九回 いのちを語ろう詩語りライブ
2013年1月19日(土) 午後二時より
東鶴堂ギャラリー(京浜急行鶴見駅前一分) 
料金 2000円
参加者 野間明子・・八木重吉詩集より
      坂井のぶこ・・麻生知子詩集より 自作時
      田川紀久雄・・宮澤賢治詩集より 自作時
申し込みは 詩語り倶楽部(044‐366‐4658)

2013年1月14日 (月)

田川紀久雄日記

なぜ教師が信じられないかは、私が中学生の時、アントニオ・猪木が尊敬するK先生から存在そのものを無視されたことがある。その先生は「美しい心・正しい心」などとつね日ごろ生徒に教育をしていた。いまはここでその内容の細かいことは述べないが、精神的な苦痛を味わった。いま体罰問題で事件が起きているが、教育の現場には体罰など相応しくないのは当然なことだ。その先生が弁明するにも指先で数度行なったと、ウソを平気で言う。その心が情けない。多分体罰を行なっている先生もK先生と同様にかっこよいことをつね日ごろ言っていたのかもしれない。K先生はえこひいきをする先生でも会った。私は先生という言葉が大嫌いである。詩人にも多くの先生がいる。不思議な世界だ。学校の教育から学び取ったことはないもない。いまの知識はほとんど独学で得たものだ。といってもそれほどの知識を持っていないが。嫌なものは嫌だという知識ぐらいしかもっていない。人間にとって必要なのは教育よりも、自然を見る眼を養うことだと思う。そのような意味で親はえらかった。学校での成績はいつも最悪であったが、そのことで一言も注意を受けた覚えがない。健康で生きていることの方が大切であった。体罰を持って教育をするなど狂気沙汰としか言いようがない。

第九回 いのちを語ろう詩語りライブ
2013年1月19日(土) 午後二時より
東鶴堂ギャラリー(京浜急行鶴見駅前一分) 
料金 2000円
参加者 野間明子・・八木重吉詩集より
      坂井のぶこ・・麻生知子詩集より 自作時
      田川紀久雄・・宮澤賢治詩集より 自作時
申し込みは 詩語り倶楽部(044‐366‐4658)

2013年1月13日 (日)

田川紀久雄日記

人間も知的動物としてみるのではなく、動物学としてその行動を観察することも面白いものがある。知的に生きていても案外、たんなる生き物として生活をしている時の方が多いものだ。蟻も砂糖を置くとその周囲に集まってくる。人間も得をするような情報を流すと大勢の人が集まる。いまの円安傾向が本当に得をするのかどうかは私には解らない。損をする人もいれば得をする人もいるとしか言えない。安倍政権を応援する人たちは、経済再生が得をすると思う人たちが後押しをしているだけのことである。私は安倍政権を批判するのは、国債の増加と原発再稼動があるからだ。庶民的な感覚で政治は変ってゆくだけである。安倍政権の政策が失敗したら、国民は自民党を応援しなくなる。いまは黙ってみていようという人が多いのかもしれない。政治も生態学的に見ていれば、国民は情けないとは言わないかもしれない。しかしドイツ人と日本人は大いに違う。それはドイツでは原発を廃止して即座に自然エネルギーに転換した。フランスから電気を購入しているといってもだ。ドイツ人は昔から自然を大切にする民族であるからかもしれない。汚染ゴミを国有林の中で処分する方針を打ち出している日本は、やはりおかしな国としか言えない。地球はつねに変動を繰り返している。原発から出る核ゴミは何処にも処分する場所がない。とくに地震国である日本では原発は危険な代物でしかない。知的人間なら誰でも解ることである。経済的な理由で再稼動することなど許される筈がないのに。「銀河鉄道の夜」の中で本当の幸福を探しにいこう。というセリフがあるがこのセリフをつねに呟いていかねばならない。

第九回 いのちを語ろう詩語りライブ
2013年1月19日(土)
東鶴堂ギャラリー(京浜急行鶴見駅前一分) 
料金 2000円
参加者 野間明子・・八木重吉詩集より
      坂井のぶこ・・麻生知子詩集より 自作時
      田川紀久雄・・宮澤賢治詩集より 自作時
申し込みは 詩語り倶楽部(044‐366‐4658)

2013年1月12日 (土)

田川紀久雄日記

「通信生活」を相棒が取っている。今度の号で高橋源一郎と東浩紀が対談の記事が載っている。タイトルは「選挙では変れない日本のこれから。」で高橋源一郎は革命を起こしかないよ」と述べている。日本の平和憲法を守る立場の私からは、民を批判するようなことをいってはならない。いつでも民は弱い立場にいる。くだらないインテリに革命どうこうなどと言われたくはない。東は「どの政権になってもやることは変らないし、たいしたことはできないです」などという。確かにこの度の自民党の勝利には苦い思いがあるが、だからといって民を批判してもなにもならない。「七人の侍」という映画があるが、いつも勝ち残るのは民である。昨日の官邸前の原発反対デモのようにコツコツ戦っていくしかない。いらないものはいらないといえるのもこの憲法で守られているからだ。民とはつねによりよい社会を望んでいきている。だれもが少しでも幸せになりたいと願っている。私は生活がよりよくなるために原発が必要とは考えていない。そしてこれ以上国債を増やしたくないと思っている。欲望はきりがない。少しだけの幸せがあれば十分だと考えている。人のいのちを奪う軍事力など望んではいない。今の自民党は危険な道を歩もうとしているから批判して行くだけだ。たった一人の反乱から、世の中が変ってういく原点を見つめていたい。私に出来ることは詩を書きそれを語ってゆくことである。だれか私の詩語りを呼んでくださる方がいないものかと思っている。

第九回 いのちを語ろう詩語りライブ
2013年1月19日(土)
東鶴堂ギャラリー(京浜急行鶴見駅前一分) 
料金 2000円
参加者 野間明子・・八木重吉詩集より
      坂井のぶこ・・麻生知子詩集より 自作時
      田川紀久雄・・宮澤賢治詩集より 自作時
申し込みは 詩語り倶楽部(044‐366‐4658)

2013年1月11日 (金)

田川紀久雄日記

毎日猫めぐりのカレンダーを見るのが楽しみだ。猫が病気をすると大変だ。病院へ行けば莫大なお金が巻き上げられる。生活の苦しい私達にはとても飼えそうにもない。いまのところ野良猫で我慢している。昨日『野良猫』の詩を書いた。これはイタリアで亡くなったご主人の墓まいりを毎日欠かさず行く話をヒントにしたものだ。日本にもいそうな猫だ。とても可愛い。忠犬ハチ公ではないが忠猫ハチ公とても呼んだ方が良い。私の家には野良猫のカレンダーがある。岩合光昭さんの写真だ。野良猫の写真集で好きなのは武田はなさんのがとても良い。弘明寺界隈の野良猫を写したものだ。野良猫を観察していると面白い。それに多くのことが学べる。人間の知識学ではとうてい追いつけない。
私の机の上に一冊の本がある。日高敏隆著『ネコたちをめぐる世界』という本である。これから読み始めるところである。日高さんの本はどれも楽しい。日高さんは二〇〇九年十一月十四日になくなっている。一度は会ってみたかった人だ。文学書より植物の本や動物の本がいまの私の心を癒してくれる。思索社から出ている本で『無名のものたちの世界』という本もとても良い。どこかに仕舞いこんで今すぐには見つからないがもう一度読み返してみたい。この混沌とした時代には自然な生態から学ぶことが必要だと感じている。
詩の世界でも無名の人たちの中でとても心が温まる詩があるものだ。詩には知名度など何の関係もない。大切なのはその詩が本当に良いものかどうかである。

2013年1月10日 (木)

田川紀久雄日記

嫌な話だが次の参議院選挙で民主党がまた惨敗しおすな気がする。明確な選挙対策が打ち出せないでいるからだ。他の与党もバラバラで空中分解しそうな気がする。未来の党も嘉田さんの離脱で勢いがない。共産党も社民党も国民の心を震わせてくれない。生きた政治家がいないのだ。どうすれば自民党の勢いを阻止できるのだろうか。いまの経済再生の失敗を待つしかないのだろうか。反原発と自然エネルギーの産業をめざした新しい思想が求められている。平和と国民のいのちを守る社会をめざして活力のある市民運動をすることが求められているのではなかろうか。
昨日は親鸞の命日だった。九十歳まで長生きをしたものだ。決して平坦な人生ではなかった。山田洋次の『東京家族』という映画が作られた。どの家族も平和そうに見えるが、決してそんな平和な家族などないものだ。家族とはある意味で修羅場であるのかもしれない。真剣に生きようとすればそれだけ個人の反動も大きいものである。でもその中で家族という和の中で寄り添って生きて行く。家族とは一番小さな社会であるともいえる。
今の私の目標は詩語りを極めることである。この歳になってより語ることの情熱がわきあがっている。このことは毎日つけている『語り日記』の中で詳細に書かれている。日々の聲との闘いの記録である。
高畑耕治さんのブログのなかで、与謝野晶子の『不思議な街』が紹介されている。これはトルストイの『イワンの馬鹿』に近い世界であるが、日本でもこのような詩があったのかと思うと驚きである。昨日彼から「操車場・68号」の感想をハガキで頂いた。お会いして一杯やりながらお話をしたいものだ。

2013年1月 9日 (水)

田川紀久雄日記

『安曇野』の本の中に清沢洌がでてくる。その彼に『暗黒日記』がある。自分の言いたいことを素直にかいている。その中に正木ひろし著「近きより」が紹介されている。日本人の悪習二つ。「調子に乗りすぎること」「長いものにまかれすぎること」の二点が書かれているが、戦前に書かれたものだが、今の日本人も少しも変っていない。
自民党の河野太郎さん復興予算で無駄なものがふくまれているを追求している。河野さんは原発に対しても再稼動を反対の立場である。人間は本当に言わなければならないことを言うのが政治家の仕事である。長いものに巻かれるようでは政治家として失格である。サラリーマンの多くは経済を優先するが、そのことによって日本を駄目にしていくことを考えない。国債を膨大に発行してその付けは、自分の身にのしかかってくる。軍備の拡大化も疑問がある。東京オリンピックの問題も疑問を感じる。福島原発の問題や被災地の復興も何も解決していない。いまなお第一原発は危険な状態の中に置かれている。経済経済と浮かれて騒ぐ時期ではない。目の前の大事な問題をなんとか隠蔽しているにしかすぎない。国民の苦しむ聲は無視されがちになってゆくだろう。お国の為という言葉ほど危険なものはない。

2013年1月 8日 (火)

田川紀久雄日記

四十雀が浜川崎に飛んできた。昔はいろんな鳥がいたのに、最近ほとんど見ることがなくなった。雀の数もだいぶん減ってきた。数年前に語りの稽古をやっている公園にキツツキが来たこともある。猫達の数がある日突然消えたりする。保健所の人たちが来て捕まえてしまうのだおるか。街に人間だけしか住めない地域はやはり異変を感じる。いろんな生き物との共存できる社会が望ましい。川崎も昔のように煙の汚染も少なくなっている。それにも関らず生き物の数が少なくなっている。
福島に住む虫たちの生態系はどのようになっているのだろうか。片足がなくなっている虫もいるという。これは数十年以上観察をしないとはっきりしたテーターが出てこないかもしれないが、当然人間の身体にも同じように影響を与えている。汚染物を庭の隅に置いたままの家が多い、汚染物の置き場が何処にもないのだ。これでどうして国が原発の責任を取ることができるのだろうか。汚染ゴミや核ゴミは誰もが責任を取ることができない。いまのところどうすることも出来ない。ただ経済の発展というだけのことで原発の再稼動が行なわれて良いのだろうか。安倍政権の経済政策は国民に単なる幻想を与えているに過ぎない。オキナワ・ヒロシマ・ナガサキ・フクシマは平和を唱える原点である。詩人はこのテーマをどのように未来の子供達に伝えていくのか。他者の痛みを自己の痛みとして捕らえる地点を見出していくことが求められている。

2013年1月 7日 (月)

田川紀久雄日記

世の中は今日から本格的に動き出す。でも詩人には盆も正月もない。一日は一日である。その一日をいかに大切に過すかが詩人の生き方だと思う。風邪ぎみの時は寝て過すのも一つの生き方だ。相棒は風邪をひいて唸っている。わたしはそれを横目で見ながら自分の仕事をこなしている。生き物はいろんな生き方をしている。みんながそれぞれ違った生き方をしている。それで不便を感じているわけでもない。いまの人間だって二本足が完璧な姿だとはいえない。二本足だとどうしても腰を痛める危険性が多い。でも二本足で生きているのだから、いまのところこの体系が最善なのだろう。人間は医療という分野を開発しているのもより最善な生き方を求めているからだ。自然を一度壊したら、完全に元の世界には戻らない。自然というものはそのようなものである。この地球は自然を壊しながら成長してきたともいえる。それをよりはやめてきたのは人間の存在である。原発は人間が想像するより早い速度で地球を破壊して行くだろう。核ゴミの問題が解決されない限り、原発は再開すべきではない。いや原発はゼロにすべきである。人間は他の生物によって生命を保たれている生き物なのだ。放射能浴びた生物には食物として使用できない。この地球上の生き物が絶滅して行くことになる。だから原発はいのちとの対話から反対していかざるを得ない。

2013年1月 6日 (日)

田川紀久雄日記

今年は渡り鳥の数が少ないような気がする。これは私だけがそのように思うのではなく、人に「聞いてもそのように言う人が多い。この原因はどこにあるのか私には説明ができない。日本海側は大雪だ。毎日のように雪が降っている。北海道ではマイナス三十度を記録した。そしてオーストラリアでは猛暑だという。これも地球の温暖化が原因だそうだ。北極の氷が解けすぎて気象条件を変えた。日本の大雪はそれが原因だそうだ。渡り鳥もそのために数が減っているのだろうか。日本も亜熱帯のような気候になってゆくのだろうか。
昨日の築地でのマグロの発競でマグロが一億五五四十万円で競り落とされた。これはキチガイだ。今年は何が起こるかさっぱり予想ができない。夏の参議院選挙で自民党の大勝利だけは避けなければならない。戦前のような国にしてはならない。経済優先の社会は日本を危うくして行くだけだ。いのちとお金とでどちらが大切かということだ。生きてゆくにはそれなりの生活を求めていけば良いことだと思う。それなりの生活が難しいのも今の世の中なのかもしれない。しっかりと大地に根を張って生きていたいものだ。

2013年1月 5日 (土)

田川紀久雄日記

語りの稽古は辛いが楽しいものである。一日二時間程度外で行なっている。語りは眼に見えてよくなることはない。日々の積み重ねによってしか力を付けていくしかない。毎日聲を出さないと一日がおかしく感じる。それに比べて、詩を書くことは、毎日努力したからと言って上手になるとは限らない。かえって書きすぎると作品の密度が落ちていく。このバランスを維持することが難しい。またこのところ作品がまったく書けなくなっている。視力の衰えで読書の量がめっきり減っている。それに両手が自由に上がらない。それにラジカセが壊れてしまって音楽が聴くことができない。このことは精神的にも辛いことだ。詩集を上梓するならラジカセが買えるのにと思うのだが、やはり今の私には詩集を上梓することの方が大切なのである。残された人生でどれだけ仕事が出来るのか、それを思うと気分的のもあせるものを感じてしまう。
「操車場・68号」も来週の初めには発送が出来る。一つ一つ仕事をこなしていく。そして具体的に原発反対とどのように向き合っていくかを考えていかなければならない。観念的に反対だけ言ってもなにもならない。一月十九日(土)には詩語りライブがある。語りを通していのちについて語ることもその一つのことかもしれない。人の心に響く語りをめざして努力していくしかない。

2013年1月 4日 (金)

田川紀久雄日記

八大学に電力会社が寄付しているという。御用学者が増えるだけだ。研究には確かに膨大なお金がかかる。お金は便利なものだが、善にもなれば悪の道にもなる。その点、詩人は詩誌に発表するにしろ、詩集を上梓するにしろすべて身銭である。どこからの圧力もかからない。だからこそ書きたいことは自由に書くことである。といって自分のことしか書かない人は淋しいものだ。自己を通して社会を見ていく姿勢がないと作品にも厚みが出てこない。
今の世の中はまさに戦前の日本のようになってきている。下手をすると言論の自由さえ奪われるかもしれない。景気が良くなることばかりを祈っていては、この国は大変な事態になりかねない。私は貧しくてもより良い社会を目指して生きていたい。お金では買えない多くの幸せを見出してゆきたい。それは心の友を持つこともその一つである。友を持つことは一番難しい。心から話し会える友はなかなかいないものだ。歳をとればなおさらいなくなる。寂しさが募るばかりだ。今年は多くの人の心に耳を傾けてゆきたい。

2013年1月 3日 (木)

田川紀久雄日記

昨日から急に右肘が痛み出した。起き上がるときにとても困る。こんなに痛いのは初めてだ。左肩も痛いし、ふんだりけったりの状態だ。
円安で経済界は歓んでいるが、なぜアメリカが黙って円安を承認しているか考えているのだろうか。そしれはTPPやオスプレイの自衛隊の売込みがあるからだ。経済が良くなるというのはあくまで幻想である。国の借金は膨大だ。国民はこの幻想という生き物が好きらしい。原発もこの安全という言葉の幻想に惑わされてきた。これからも自民党はこの幻想をたくみにあやつりながら政権をとっていくのだろうか。国民よ目覚めろ! と言ってみたところで虚しいものだ。人間は決して賢い生き物ではない。いくら経験しても学ぶことが出来ないものがある。それは戦争である。国民的感情が油を注いでしまう。夫婦喧嘩もちょっとした感情の縺れで離婚に発展してしまうことがある。このちょっとしたことが大きな問題を惹き起こしてしまう。平和を守る憲法第九条をいかに守っていけるか、せめてこの問題だけでも自民党の思うようにさせてはならない。そして原発の問題もこのいのちを守る闘いの一つである。小さな生き物達の為にも闘って行かなければならない。私に出来ることは詩を書き、それを語って行くことである。

2013年1月 2日 (水)

田川紀久雄日記

昨日小柳鈴子さんから『悼 大西和男さん』という書籍が送られてきた。わたしも随分お世話になった。詩集の出版や製本所なども紹介してくれた。そして最後にお会いしたのは、私が末期ガンの宣告されてから詩語りライブ(六本木のストライブハウス)を聴きに来てくださった。まさか大西さんがガンで亡くなるとは思ってもみなかった。もう危ないと聞かされたのも小柳さんからだった。しかしわたしはお世話になりながらお見舞いも行かず、葬儀にも参列しなかった。それは身体の調子があまり良くなかったからだ。大西さんはまるで仏のような人であった。私が末期ガンを宣告されたにも関らずまだ生きていることに対して大西さんに申し訳がないような気がする。この書籍は装丁も素晴らしい。紙質や印刷も良い。
年賀状が沢山届いた。しかし私は一枚も出さないでいる。なんだか後ろめたさを感じる。それは末期ガンを宣告されてから、一日精一杯生きることに勤めている。一日が一年であったり永遠であったりと思っている。だから世間の風習には気にしないようにして生きている。それだけのことだ。自分勝手な生き方かもしれない。詩集を上梓したいためにも失費を抑えた生活を送っている。

2013年1月 1日 (火)

田川紀久雄日記

今日は旧暦で十一月二十日である。新暦では元旦にあたる。べつにおめでたい日でも何でもない。年賀状も出さなかった。できるだけ余計な経費を削減しているだけだ。正月の食品は高い。私達はナマスだけの正月である。そして雑煮を食べる。相棒は今日も出勤だ。何も変ったことがない。尋ねる人もいなければ、わが家に訪ねてくる友もいない。ある意味ではきままな生活を過している。正月も満足に過せない人たちが多くいる。世の中は貧富の差がますます拡がるばかりだ。科学の進歩が人間の幸せをもたらすというのは単なる幻想でしかない。人間が生物としての機能を失うだけなのかもしれない。たしか便利になるものがたくさんある。しかし失うものがそれ以上あるかもしれない。人間は進化するいきものだという人もいるだろう。その果ては人類の消滅しか招かないのかもしれない。ことしは生きるとは何かをじっくり考えたいものだ。
冨上芳秀さんの原稿が入った。昨年の暮にお母さんが亡くなった。こころからお悔みを申し上げます。操車場の発送は来週になります。

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