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2012年12月25日 (火)

田川紀久雄日記

自分と対峙することによって詩が生み出される。ということは詩を書くことが私の人生である。下手とか上手いとかの問題はそこには存在しない。問題はもっと内面的な問題なのだ。現代詩にはこの問題が希薄になっている。それは詩人達の生活が満たされているせいではなかろうか。詩人はつねにハングリーでなければならない。生活の飢えと心の飢えが、内面的な世界を作り出す。だからといってそのまま言葉にしても詩にはならない。では詩とは何かと問われても私は答えられない。ひたすら詩らしきものを書き続けていくしかない。山頭火の句でも、何が句なのかを問われても困っただろう。詩歌というものは何が正しいという世界はない。なぜならば新しい世界を創り出してゆくものなのだから。大切なのは自由な心を失わないことだ。今年の詩集のベストテンなどと言っても、そこには詩など存在しない。詩と思っている人間が詩集を選んでいるだけだ。詩人達が振り返らないところに詩がある。詩の朗読にしても同じことが言える。私はゴミ箱の中から詩を探している。詩として見捨てられたところに本当の心の詩があるものだ。誰も認めようとしなくてもちゃんと詩があることが大切なのだ。今年もあとわずかだ。何とか今年も生きられた。そのことが私にとって奇跡だ。

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