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2012年12月31日 (月)

田川紀久雄日記

今年はいろんな人にお世話になった。こうして生きていられるのも温かい支援があるからだ。世の中をみれば嫌なことばかりだが、いつも前向きになって生きていたい。
石原環境大臣は、原発を安全確認してから再稼動するというが、原発には安全という言葉がない。国が責任を取るといっても、総理が辞任したぐらいですむ問題ではない。原発反対運動も小さな事柄を積み上げながら阻止していかねければならない。生物学者が生物を見つめるように。経済はただ金儲けだけの世界でつまらない。フクシマのダチョウはいまどうして生きているのかを学ぶ方が楽しい。捨てられた犬、猫たちのあの淋しげな表情を見ると辛い。なぜそうなってしまったのか。海の魚達はどうしているのだろう。安全神話がもたらした原発事故はどのように生き物達を狂わしてしまったのだろうか。もっともっと本当のことが知りたい。
昨日保坂さんに『慈悲』の版下を渡す。二月の中頃に出来上がる予定だ。いのちについてもっと語ってゆきたい。そして何とかしか語りの回数を増やしたいものだ。
今年はそれなりに充実した日々を過せた。そしてまだ死なないで生きている。生きていることの尊さを感じながら日々を過したい。

2012年12月30日 (日)

田川紀久雄日記

自衛隊にオスオウレイの導入の計画がある。これも安保強化の一環なのだろうか。放射能汚染も国民を騙している。国の報告の七倍の放射能汚染に汚されている。それは新潟県の十日町で熊の体内からセシウムが七倍もあったという報告がある。
わたしたちは戦争のことや広島・ナガサキ・フクシマ・そしてオキナワの問題を忘れてはならない。これらの問題を語り継いでいかねばならない。詩人の仕事はたくさんある。
いのちの問題としてやはり私は詩語りをおこなっていかねばならないのだ。最近語りの面白さを身に染みて感じ始めている。それは日々の精進の中から生まれてくるものなのだ。このところ毎日『愛するものへ』を語り込んでいる。このことは生きている楽しみにも繋がってゆく。老いても人生にしなければならない仕事があると思えば、いつまでも精神は衰えない。生きていることはだれでもが何かの仕事を持っているものなのだ。今年もあち一日だ。自分なりに精一杯生きていたつもりだ。
きょう午後から、保坂さん、熊谷さんと忘年会の予定だ。

2012年12月29日 (土)

田川紀久雄日記

「老朽化した壁を支えているのが、足場のような構造だ。原子炉を覆う石棺は崩落の危険性が高まっており、新たなシェルター建設前の補強が不可欠だった。」とチェルノブイリ原発記事がインターネットで報告されている。こえれ以前から言われていた。この問題は福島原発に対してもいつの日か言われるかもしれない。自民党は原発に対して認識不足といいようがない。原発は日本だけの問題ではなく地球全体の問題なのだ。
山田かんさんの詩集を読んでいて、かんさん自身の問題は、我々の問題である。どのようにしてこの問題を背負って生きてゆかねばならないか。それはいのちの痛みとしか呼びようのない世界をどのようにして自分の問題として引き受けていく覚悟があるのかと問われてもいる。また高畑耕治さんのブログで紹介されている詩なども、心の痛みに寄り添うことで詩が読める。現代詩は心の痛みや哀しみと向き合っていない。詩を読むことは、生とどのように向き合って生きるかという問題を投げかけてもいる。詩誌『たぶの木』はそのような問題を深めていける詩誌でありたい。このことは詩の朗読の問題とも深くかかわりあっている。詩人達はまだそのことに気付いていないだけだ。

2012年12月28日 (金)

田川紀久雄日記

今までおこなっていた民主党の行政をブルドーザで畑をならすように自民党色に変えてしまう。政党は選挙に負けたらすべてが終わりだ。日本はまた戦前のようになってゆくのだろうか。原発問題は危険な方向に進んでいきそうだ。そして生活保護費も減額されてゆく。物価が上がるというのに弱者切捨ての世の中になってゆく。円安になってゆくし、株も上昇してゆく。国民は熱に浮かされたような気分になっている。これは悪夢でしかないのに。そして靖国神社問題もあいまい化にされてしまいそうだ。次の参議院選挙で自民党が伸びないようになんとか食い止めたい。未来の党も小沢さんと袂を分つ。生活の党と名を変える。これでよかった。小沢さんほど生活とは無関係な人はいない。嘉田さんにはこれからも頑張ってもらいたい。
いま『語り日記』をつけているが、思ったより楽しいものだ。来年の『詩と思想・5月号』に一部を発表する予定だ。長谷川忍さんの企画でまた朗読の特集になる。
詩誌受贈『進化論・16号』『みえ現代詩・89号』『榛名団・5号』

2012年12月27日 (木)

田川紀久雄日記

日本から原発が消えることが遠去った。自民党は何も反省はしなかった。アメリカと沖縄の癒着も強まるだろう。東京の朝の温度がマイナス二度という。これは日本の未来を予告している。未来の党も分裂が確定的だ。庶民とは餌をばらまくとそれにすぐ食いつく習性がある。このことが誰にも責められない。詩人は一人の人間として闘ってゆくしかない。
操車場の原稿が二十五日締め切りなのに原稿が集まらないでいる。正月だけは私ものんびりしたい。と言っても私達は何も正月の支度はしない。相棒は正月から仕事だ。巣鴨にいたころは近所の神社にお参りに出かけたが、川崎に来てからは何処にも行かなくなった。
左肩がますます悪くなる。これも寒さのせいかもしれない。

2012年12月26日 (水)

田川紀久雄日記

『はだしのゲン』の作者、中沢啓治さんが肺ガンで亡くなった。ひたすら怒りが込み上げてくる。そのような漫画である。マンガの持つ強さを感じさせてくれた。享年七十三。
昨日古本屋で『山田かん全詩集』を購入する。以前から読みたかった。詩というものは個人の生き様がすべてなのかもしれない。それをどのようにして共有して行くかが読み手の問題としてある。私にできることは作品に寄り添ってゆくしかない。
ラジカセが壊れているので、音楽が聴けない。ちゃんとした音が聴くことができるのは三万円以上しないとない。詩集も上梓したいし、CD装置も買いたいし迷うばかりだ。
今日から自民党が政権を握る。公明党との連立には矛盾を感じる。原発を曖昧なままにして連立を組むべきではない。いのちを軽んずるようになったら公明党は存在の意味を失う。民主党の代表に海江田氏が決まる。海江田氏も原発を中途半端な形で受け入れている。日本の政治は危険な状況に立たされている。未来党も分裂しそうである。権力争いをしているときではない。これでは来年の参議院選挙も自民党の一人勝ちになってしまう恐れがある。嫌なものは嫌だとはっきり言うしかない。

2012年12月25日 (火)

田川紀久雄日記

自分と対峙することによって詩が生み出される。ということは詩を書くことが私の人生である。下手とか上手いとかの問題はそこには存在しない。問題はもっと内面的な問題なのだ。現代詩にはこの問題が希薄になっている。それは詩人達の生活が満たされているせいではなかろうか。詩人はつねにハングリーでなければならない。生活の飢えと心の飢えが、内面的な世界を作り出す。だからといってそのまま言葉にしても詩にはならない。では詩とは何かと問われても私は答えられない。ひたすら詩らしきものを書き続けていくしかない。山頭火の句でも、何が句なのかを問われても困っただろう。詩歌というものは何が正しいという世界はない。なぜならば新しい世界を創り出してゆくものなのだから。大切なのは自由な心を失わないことだ。今年の詩集のベストテンなどと言っても、そこには詩など存在しない。詩と思っている人間が詩集を選んでいるだけだ。詩人達が振り返らないところに詩がある。詩の朗読にしても同じことが言える。私はゴミ箱の中から詩を探している。詩として見捨てられたところに本当の心の詩があるものだ。誰も認めようとしなくてもちゃんと詩があることが大切なのだ。今年もあとわずかだ。何とか今年も生きられた。そのことが私にとって奇跡だ。

2012年12月24日 (月)

田川紀久雄日記

日本はギリシアのように経済破綻になる恐れがある。これ以上赤字国債を発行してゆけば最悪の状況になりかねない。一時的に良く見えてもそう長続きはしない。そして軍備費を拡大してゆけば日本は破滅だ。北朝鮮では、子供達のホームレスや餓死がおきている。軍備費の付けが国民に負担をかけているからだ。中国も軍備費の増額で貧富の差が広がるばかりだ。すべて国を守るという名目であるが、実際は攻撃の為の軍備費である。経済の悪化が国民を戦争に煽ることになる。その結果は日本が味わったはずだ。何事も対話を失ったら、どうにも成らなくなってしまう。
『詩と思想・12月号』が送られてきてもなんだか虚しさを感じるだけだ。詩というものは他人があれこれ言っても、自分が納得しないものは受け入れられない。詩の世界は相変わらず仲間意識の世界で終わっている。詩界など糞くらいだと思っているほうが正常な状態なのだ。この号で読めるのは小川英晴さんの文章ぐらいだ。私は書きたいものだけを書いていくだけだ。

2012年12月23日 (日)

田川紀久雄日記

原発の反対票が少しも活かされないのは不思議なことだ。小選挙区が国民の意思を消し去ってしまっている。自民党だけが得をするだけだ。福島県で三人も自民党の議員が選ばれている。なぜ原発賛成の自民党が選ばれるのか不思議でならない。もし福島の県民がそう願っているとしたらカッテニシヤガレといいたくなる。福島原発で働いている人たちの待遇も悪いと聴く。それに汚染対策もほとんど進んでいない。
『慈悲』の再校正がなかなか上手くいかない。一篇使えない作品がでてきた。昔はそれほど気にしなかったことが、最近では気になりだすと止まらなくなっている。
坂井信夫さんからお米が送られてくる。そして石川為丸さんから購読料とカンパが届く。本当に有り難い。来年には詩集が上梓できる見通しが出てきた。

2012年12月22日 (土)

田川紀久雄日記

安倍総理は原発の新設を認める方針だ。原発反対派の票は投票数の過半数を越えているのに、当選には結びつかなかった。来年の参議院選挙で何とか反対派の票を当選に結び付けたいものだ。自然エネルギーで経済の活性化を目指したい。今放射能のゴミ問題で茨城県も福島も大変である。もし原発事故が起きたら、この日本は住む場所がなくなる。放射能の核ゴミ問題を考えないで原発の新設や再稼動は許されるはずがない。円安になったとか株が値上がりしたとかで、歓んでいる状況ではない。日本人は本当に馬鹿に成ってしまったのか。私はこれからも小さないのちを守る運動を続けていたい。
昨日『慈悲』の再校正を行なう。直せばいくらでも直る。決定稿などないのかもしれない。詩集を上梓したからと言ってそれが決定原稿とはいえない。それは語りの中でも変えて行なうことがあるからだ。テキストは本来もっと自由であって良いものである。これが自作詩を語る面白さが生まれてくる。
詩誌受贈『笛・262号』

2012年12月21日 (金)

田川紀久雄日記

東通原発の敷地内に各断層があることが判明した。自民党時代は原発に対していかにいい加減であったかが解る。自民党は経済優先で、国民の生命などきにしない。こんな諺がある。健康でいられるのなら死んでもいい。まさにこれと同じことを国民にさせようとしている。そしてこの度は2パーセントの物価目標である。年金生活者やアルバイトの人たちの生活がどうなってもよいと考えている。次の参議院選挙で自民党の一人勝ちをしたら、憲法まで変ってしまう。アメリカが押し付けた憲法だから気に喰わないという、まるで子供のような駄々っ子である。川崎詩人会でどう思うと質問されたからトルストイの『イワンの馬鹿』のようなのがといったら、ほとんどの人が読んでいない。詩人はつねに理想を思い描いていたいものだ。いろんな考え方が必要である。あまり現実的なワンパターンに落ち込んでは情けない。粘り強く原発と向き合っていくしかない。
『たぶに木・3号』が高畑耕治さんのインターネットでも見られます。薄い詩誌でありますが、こころ温まる詩誌です。

2012年12月20日 (木)

田川紀久雄日記

午前中病院に行く。これで今年の予定はすべて終る。
DVDで『大東大原水かけ祭り』を観る。企画・製作が熊谷幸夫さんである。副タイトルが「東日本大震災復興祈願」となっている。とても感動的である。是非多くの人たちに観てもらいたい。
昨夜嫌な夢を観た。自分が死んでゆく夢だ。まるで旅にでるような気分で死んでいく。人間とはこうも自然に死ねるのかと思った。これは昼間『愛の抱擁』という詩を書いたせいかも知れない。テーマはありふれたものでも、切り口を誰とも違ったものにしたいという思い出書いたものだ。私は三日に詩を一篇書かないと精神的に不安に陥ってしまう。ふた月もすると一冊の詩集ができてしまう。詩を書けば書くほど面白いテーマが浮かんでくる。愛と哀しみをテーマにしているが、より深い世界を書いてゆきたい。七十歳をすぎてやっと詩の面白さが解ってきた。これも末期ガンを患ったお陰だ。詩人にとって不幸は貴重な財産になる。そのことによって観ないものが視えてくるからだ。
いまこの日記とは別に『語り日記』をつけている。語りのことしか書いていないが貴重な資料となると思う。どのように詩語りが生み出されてゆくか。その闘いの日々の記録である。私の詩語りはユーチューブ「いのちを語ろう」で観ることができる。

2012年12月19日 (水)

田川紀久雄日記

私の部屋は寒い。昼間は暖房もしないでいる。ふた月前から、肩の凝りが酷くなっていた。昨日テレビで肩の凝りは寒さから来ると紹介していた。電気をなるべく使わないようにして暮らしている。寒さも我慢していた。寒さに気をつけないと身体のあちらこちらが悪くなる原因を作ってしまう。肩の凝りがこんなにも辛いものとは知らなかった。
このところ肩の力を抜いた軽い詩を書き始めている。書いていて楽しい詩を書きたいと思ったからだ。詩を書いて書いてその中から新しい作風が生まれるものである。何事もそうであるが、がむしゃらにやることが大切なのだろう。中途半端は一番悪い。お金があればすぐにも二冊の詩集が上梓できる。来年の春に上梓した詩集代がまだ足りない。なんとか稼ぎだしたいものだ。
スポーツ界でオリンピックの選手に光が当てられているが、ソフトボールで世界一になった、上野投手の存在がある。彼女の苦悩は計り知れないものがあった。それを乗り越えてアメリカを下して四十二年ぶりに世界一になった。国を挙げて彼女を褒め称えてもよいのに、ほとんど世の中から無視されている。光が当てられないが頑張って生きている人たちが多くいることを忘れないで貰いたい。

2012年12月18日 (火)

田川紀久雄日記

庶民とは、自分の生活が大切。民主党が惨敗したのも消費税の値上げや復興の遅れが原因ではなかろうか。それに党がばらばらでは選挙には勝てない。要は庶民感情をコントロールできなかったことだ。自民党が圧勝といっても国民の支持はそれほどない。中国も貧富の差があまりにも大きくなると共産党はつぶれるだろう。そのために反日感情を利用しているにすぎない。戦争をしらない若者達は、この反日感情にいらだっている。憲法改正にもそれほど抵抗も感じない。このことがこれからの日本は大きな問題になってくるだろう。相手の心を思う気持ちを持たねばならない。中国の反日に煽られている若者達は、戦争を知らない世代の人たちである。それも貧しい田舎育ちである。私達も感情的にならないように物事を見つめていく必要がある。
ラジカセのCDが壊れているので音楽が聴けないのが淋しい。コンパクトでちょっと音の良いCD装置が欲しい。いま次の詩集を作るためにコツコツ貯めているお金は使いたくない。保坂さんのお陰で安く作っていただける。それで次から次へと詩集が上梓できる。暮には一緒に飲みたいものだ。今年ももう僅かしかない。

2012年12月17日 (月)

田川紀久雄日記

昨日川崎詩人会で胸が苦しくなったので途中で帰宅した。肩のコリが酷くて首が回らなくなってしまった。
衆議院選挙は自民党の圧勝で終わる。国民はあまり原発問題を考えていないようだ。未来の党、共産党、社民党の数をあわせても20議席には届かない。ヒロシマ・ナガサキでの原爆でもまた福島の原発事故でも、なぜ日本人はこうも無関心でいられるのだろうか。いのちをテーマにして生きている私にとって、これからも闘っていくしかない。若者たちも右翼化しているという。このままだと憲法九条が変えられてしまう。この選挙で一番大切なものを失ってしまったような気がしてならない。民主党が惨敗するのはいたし方がないが、こうも原発問題にたいして国民が無関心であることには遣り切れない思いだ。
『いのちのひかり』をはじめて全編を語ってみた。この詩集はいままで以上のものだ。語っていてもそれなりの手ごたえがある。これからもいのちの尊さを語り続けていかねばならない。

2012年12月16日 (日)

田川紀久雄日記

川崎詩人会の忘年会である。時たま人と会うことも大切なことである。そして衆議院選挙日でもある。
文明が豊かになると、幸福になるかというとそうでもないことが解る。人間が文明に振り回されていくからだ。古代時代の方が人間として豊かであったかもしれない。携帯電話が普及するとどんどん新しいものを求めて群がる。携帯電話が人生のすべてを変えてくれると思いはじめる。つねい何かに追われている気分になる。私の携帯電話は相棒との通信にしか使われない。メールもできない。それで良いのだ。一度豊かさを味わうと、そのことが無限に豊かさを求め始める。確かに便利なものもある。それは否定しないが、私はそう以上のものは求めない。人が電子書籍を持ってもうらやましいとも思わない。車も欲しいとは思わない。一日が生きていられることで十分だ。食事も健康の為にそこそこで良い。心の豊かさは物質とはあまり関係がない。自然な環境とネコがいればと願うことぐらいだ。幸福は外面的なことではなく、内面的なことがらであるからだ。あとは人生について語れる友がいればそれに越したことはない。明日のことを心配しないで生きられれば最高の人生だろう。

2012年12月15日 (土)

田川紀久雄日記

発行日はまだ早いが、『たぶの木・3号』の印刷を行なう。これは私達が行なうライブのある月に出るようにしているからだ。隔月刊である。詩を読まない人たちに出来るだけ送るようにしている。詩の言葉とは何かを考えさせる詩誌でありたい。
東通原発内にも活断層の可能性が高いという。いい加減な調査で作られた東通原発ではなかったのか。まず原発を作ってしまうばという気持ちが優先していたとも言える。この狭い日本では何処にも原発を作る場所などないのだ。まず原発をなくすことから経済を考えていかねばならない。自民党のような考え方は、日本を滅ぼすことに繋がる。
詩と政治とは無限の距離があるが、いま生きている人間に対して問いかけてゆくという点では距離は近い。莫大な赤字国債を抱えてしまった日本は、この上にまた公共事業を行なうとしている自民党は、国民に大きな付けを残すだけだ。政治にあまり期待をしない方が良い。政治はあるいみでの幻想の話でしかない。それより心豊かな国づくりを願いたいものだ。昨日、長谷川忍さん、熊谷幸夫さんからカンパを頂いた。次回の詩集の上梓につかいたい。来年の春には『慈悲』を出したい。ひたすらがむしゃらに生きることしかない。

2012年12月14日 (金)

田川紀久雄日記

世の中が可笑しくなっている。人間の心がどこかへ消えていってしまったようだ。最低の人間のモラルも無くなってきている。昔では考えられない犯罪が多発している。携帯電話の普及によって世の中はますます馬鹿になってゆく。電車やバスののっていても殆どの人がメールを打ったり見たりしている。本を読んでいる人など少ない。世の中が便利になると大切なものをどんどん見失ってしまう。まず人と人とがあって話し合うことが少なくなる。それに手紙を書かなくなってゆく。簡単な用件はすべてメールで済ませる。人のもっている情という感覚がどんどん薄くなってゆく。
今月の生活費はピンチだ。二十五日まであと一万円しかない。医療費のお知らせがきたが、年間十万円近くも支払っていると生活がくるしいのも当然だ。詩誌の掲載料も払ってもらわないと送料代が支払えない。送料代でも月に一万円を越える。光熱費もかかるので、ストーブもない生活を送っている。貧しさも詩人にとっては大切なことだが、ある線を越えると欝的状態になる。詩語りライブで詩集代ぐらい稼ぎたいものだ。
あと二日で選挙だが、自民党が圧倒的な勝利予想だ。なぜ原発の問題が話題から消えかけている。未来の為にいまこそ原発を止めなければならない時なのに、国民は今のことばかり考えるのか、とても哀しいことだ。

2012年12月13日 (木)

田川紀久雄日記

北のミサイルが打ち上げられた。これを利用とする自民党。だから軍備を高めなければという論理は通らない。平和憲法を守ることの困難さがある。憲法九条を維持することが日本国民の務めではなかろうか。武力で何でも解決しようとすると、戦前の日本の運命を背負うことになる。戦後一度も戦争がなかったことの有り難さを私は身に染みて感じる。空襲や戦後の貧しさを経験してきた私には平和の有り難さが解る。その反面豊かさに甘んじてきた世代の人たちは、より以上の幸福を求めるから、嫌な世の中に落ち込んでしまったとも言える。なにごとにも程々がいいのだ。
『光芒・70号』が送られてきた。その中で本田和也さんが、『いのちとの対話』を取り上げて書いている。書評としては長いものである。以前にも書いてもらってことがある。私は一度もあったことがない。ジェイムズ・ジョイスの研究家であるときく。
高橋博子さんからカンパ、そして山下佳恵さんからビール券をいただく。高橋博子さんの詩『畑狂想曲』には畑仕事のユーモアさが描かれている。生きることのユーモアにも通じて、心温まる詩である。山下佳恵さんの『たぶの木・3号』の詩は、生きて行く上で勇気がもらえる。彼女らしい詩である。いろんな多くの人から応援をしていただいている。毎日感謝をして暮らしている。
ユーチューブで『いのちを語ろう』の映像が見られます。朗読に興味のある方は見てください。

2012年12月12日 (水)

田川紀久雄日記

この日本はどうなるのだろうか。こんなことを心配をしてもどうなるものでもない。国民の意志とはなんであるのか、私にはさっぱり解らない。原発廃炉への道がだんだん消えかけている。原発反対に対して眼に見えぬ圧力がのしかかっている。それは経済界の圧力かもしれない。人の心を満たしてやれば全員が馬鹿に成るといってのはだれだったのか。経済の豊かさを眼の前にぶら下げてやれば、どいつもこいつもそれに飛びつく。一番大切なものを失っても、赤信号皆で渡れば大丈夫というやつだ。太平洋戦争その果てのヒロシマ・ナガサキそして福島原発事故などなかったかのような状況になろうとしている。福祉政策も削られてゆくのか。哀しみの中で、人の心を掴む詩を書いてみたいものだ。いま出来ることを一つ一つこなしてゆきたい。それがどんな小さなことでも。
詩誌受贈『すてむ・54号』

2012年12月11日 (火)

田川紀久雄日記

敦賀原発の真下に活断層と判断された。これは誰が見ても解ることなのに、何故原発の建設が許可されたのか不思議でならない。自民党時代は、ないがなんでも原発政策まっしぐらだったことが如実に物語っている。原電は受け入れがたいとコメントをしている。生物の生命をなんだと思っているのだ。敦賀に大地震があったらどうする気なのだろう。未来の子供達のためにも原発の廃炉を求めていかねばならない。なぜ自民党が予想投票率が優勢なのかわからない。貧富の差をなくすことが大切なのだが、いくらいってもこの問題は解決しない。アメリカの経済をみればわかることだ。共産主義の甘い夢をみているのかと言われる。人間には二種類の人がいる。富める者と貧しき者達である。経済はこの歯車によって動かされている。とくに日本は資源がない国だ。嫌な国だといってもこれはいにしえの時代から続いている。
カセットCDが壊れて音楽が聴けなくなった。物はいつか壊れるものだ。人間も物と同じように壊れてゆく。小沢昭一さんがガンでなくなった。ここガンで亡くなってゆくひとがあまりにも多すぎる。
操車場の原稿が、高橋馨さんと髙橋渉二さんから入った。

2012年12月10日 (月)

田川紀久雄日記

「たぶの木」の原稿が集まった。忘年会ができないから、新年会でもおこないたい。
衆議院選挙で、誰もが世の中が変ると信じていない。もうこの国は未来を語れる人間はいない。ますます貧しい者たちが増えていくだけだ。なにしろ国の赤字はとてつもない金額なのだ。この借金をみんな国民に押し付けている。戦後「自由」を得たと思っていたものが、実は「不自由」へのあがきでしかなかったのだ。原宿でも新宿でも渋谷でも若者達のあの明るさは、闇への入れ口だということを気付かない振りをしているだけなのだ。小説にしても詩にしても、誰にも読まれないものが満ち溢れている。誰もが何も信じていない。このことだけは確かなことだ。原発はCO2を出しませんといった。しかし核のゴミはどこにも捨てる場所がない。政治家達はアメリカの言いなりになって、この国を駄目にしてしまった。その駄目にした奴らがまた戻ってきてもっと日本を駄目にしようとしている。国防軍それはナチの親衛隊なのかといいたくなる。
高畑耕治さんがインターネットで『第8回・いのちを語ろう』の動画を入れてくれた。パソコン音痴な私には嬉しい。
穂谷さんから林檎が送られてきた。そして島村直子さんからカンパを頂いた。暮の生活がいくらか明るくなった。今日は東戸塚まで妹に会いに行かなければならない。

2012年12月 9日 (日)

田川紀久雄日記

朝が寒い。四時ごろ空を見上げると、月も星も綺麗に見えた。日本海は大雪だという。ストーブがないので、着れるだけのものを身につけてパソコンの前に座っている。淹れたてのコーヒーを横に置いて。そしてパソコンを打つ前に、ヘンリー・ミラーの『追憶へん追憶』を数ページ読んだ。このところ本など読まなかったが、これでは駄目だと思って、眼鏡をかけて読み出したのだ。以前古本屋で数冊のミラー全集の本を見つけたのだ。昔の本は何故か印刷が薄い。若い頃は気にせず読めたのだが、この歳になるとページを開くのが億劫になる。この本は友人のことについて書いてあるが、いったい私には本当に友人といえる人が何人いるのだろうか。淋しい限りである。この人はまぎれもなく詩人だといえるひとは数人いる。一緒に飲み屋に行くことがないが、ちょっと淋しい気もする。私も飲み屋にいく金がないのだからいたし方がない。東京新聞で詩が載せてあるが、気に入らない詩人が多い。3・11のテーマで載せているが首を傾げたくなる。どこの編集者も本物の詩人を見極める眼を持っていない。特に新聞記事の詩はいい加減なものが多い。ようは仲間づきあいである。名のある詩人達の中には本当の詩がない。宝物はゴミ箱のなかにしかないことを知らないのだ。詩というものはいのちの叫びがなければ何の価値もない。魂の聲を聴くことの出来ない編集者ばかりだ。

2012年12月 8日 (土)

田川紀久雄日記

昨日大きな地震があった。M7・3というから割合大きい。私の住んでいる浜川崎では津波が来たら逃げる場所がない。何一つ津波の避難場所が確保されていないのが現実である。いま住んでいる家もおんぼろなので今にも壊れそうである。私はなるがままに任せて生きるしかない。死ぬときは死ぬしかない。生きられている間は懸命になって生きていようと思っている。
詩語りというものは、普段の稽古以上のものができるものではない。それゆえに普段の稽古にどれだけ魂を注ぎ込んでいるかが問われる。一生懸命するのがあたりまえのことだ。下手な詩人は、一生懸命やっているのにと、弁解がましいことを言う。ここにはいのちがけでやっていることが抜け落ちている。舞台に立つことは、普段の精進がものをいう世界である。七十歳を越えてやって私も語りの面白さを感じだしてきた。やっと出発点に立つことが出来た気がする。芸が熟するのは永い年月がかかるものだ。詩人達が数年やってぐらいで、ああだ、こうだというのは早すぎる。ひたすら今に生きることが求められている。そのためには身体を何とかしてゆきたい。

2012年12月 7日 (金)

田川紀久雄日記

どの党も甘いことばかりを言って実行できないことばかりだ。有権者の約半分が浮動票というのも頷ける。でも一番大切なのは、原発と憲法問題である。この二つに反対して行かねば明日の日本はない。景気回復のための公共事業には問題がありすぎる。外国に企業がどんどん移転してゆくと、失業問題もますます深刻化してゆく。企業の生き残りとの問題をどのようにして解決してゆくのか。相棒の仕事も非正規雇用であるので十万もいかない。ボーナスも涙金しかでない。このような矛盾した社会がいまの世の中の実態である。健康保険も中小企業の負担は大きいに。大企業や公務員は零細企業より負担が少ない。つねに弱い立場の人間はいつも馬鹿をみる。経済は世界全体で動いている。宮澤賢治がいう「世界全体が幸福にならなければ」の実現を望みたいものだ。
「たぶの木」の原稿の締め切るが近づいているがまだだれからも届いていない。温かみのある詩誌を生み出してゆきたい。生きていてこの泉に集まればほっとする世界を期待したい。詩語りライブでは、本当の詩の素晴らしさを提供できればと思う。まだまだ闘って生きていたい。
高畑耕治さんのブログに私の『愛するものへ』を紹介されてある。彼の心のあたたかさを感じる。淋しさを感じているときに、このようなブログに出会うと生きる勇気をもらえる。

2012年12月 6日 (木)

田川紀久雄日記

太陽の170億倍のブラックホールが発見された。170億倍といわれてもまったく想像ができない。宇宙は無限であるといわれるが、何処までが無限なのかわからない。地球そのものが存在していること自体が不思議である。
衆議院選挙では自公が過半数を取ると予想されている。いやな世の中がくる。武力ではなにも解決をしない。自民党の憲法改正は、かつての日本の姿と重なってくる。いまの若者達はまったく戦争のことを知らない。学校の教育でもほとんど教えていない。これからの日本はどうなるのだろう。平和を守ることの厳しさを痛感する。
中村勘三郎が死去した。東京にいたころは随分歌舞伎を見たが、もう私が応援してきた役者さんもいなくなっている。勘三郎さんはまだまだ物足りなさが感じていたが、これから華を咲かせるというときに亡くなるのはとても残念なことだ。歌舞伎の世界で七十歳でまだ青年だといわれる世界である。いかに芸の深さを感じさせる世界である。

2012年12月 5日 (水)

田川紀久雄日記

操車場の印刷が終わる。これで今年の仕事が終わる。参加してくれた人たちに感謝。そして読んでいただいた方にも感謝。印刷は濃い目の字で行なっている。インク代がかさむが読みやすい詩誌にしていたい。最近の詩誌はデジタル印刷で読みずらいのが多い。
今年も年賀状は出さない。その第一の原因は生活費の困窮からだ。それと郵便局の体質が悪いことだ。宅急便などは費用が安いのに対して郵便局は高い。そして日曜配達はおこなわない。民営化ならもっとお客の為に仕事をしてもらいたい。
昨日も詩が一篇書けた。「カエルが帰る」原発で小動物の異変をテーマにしたものだ。詩人はこのような事態を心の内面でどのように受け取っているのかを書いてみたいからだ。このことは未来の人間にものしかかってくる。放射能に無関心な人が多いことに驚く。実際自分の身の上にのしかかってこないと、無関心でいられる人がいる。想像力の欠如としか言いようがない。いま我々が出来ることは原発をこの地上からなくすことである。そのためのこんどの衆議院選挙である。みんな選挙を放棄しないでもらいたい。
野良猫が千葉県で五匹も毒殺されたニュースがあった。野良猫は人間が捨てたものである。街ネコ運動を広げて生きたいものだ。そのためにも行政が積極的に参加していただきたい。

2012年12月 4日 (火)

田川紀久雄日記

なぜ自民党に票を入れる人が多いのか。不思議でならない。国民は戦前の日本に戻りたいのか。軍備を強くすることは日本を滅ぼすことに繋がる。中国は尖閣をどうしても手にいれたいのだ。この問題は軍事力で解決する問題ではない。粘り強い外交が求められている。きょう衆議選の公示だ。国民の一人ひとりに日本の未来が託されている。
詩という世界は、政治では解決できない心の問題を提供するものである。世の中から詩は無視されているが、一番大切な世界でもある。しかし、詩人がその心やいのちの問題を提供していない。詩人達が言葉という概念に縛られていて、言葉を人々にやさしく語りかけていない。昨日『野良猫』という詩を書いた。一生懸命生きている姿がうつくしい。人からいじめられているネコでも生きる権利がある。弱い立場の物のいのちを書いてゆきたい。詩人にとって最も求められのは、どのようにいのちを視つめているかということだ。

2012年12月 3日 (月)

田川紀久雄日記

衆議院選挙でどの党も、明確なビジョンを示していない。とても現実的でない政策が並べられている。理想と現実の開きが大きい。国民は何を信じてよいのかとまどうばかりだ。私は原発と憲法の改正だけは反対してゆきたい。
昨日夢のガン治療をテレビでやっていたが凄いものだ。いま群馬大学で行なっている治療方法である。健康保険は適用されない。治療費が三百万というが、低所得者には関係のない話だが、ここまでガン治療が来たのかと思うと驚くべきことだ。いまガンは三人に二人という話だが、健康保険が適用される日が来ることを願うだけだ。末期ガンを何もしないで直した私には、人間そのものの生命力の治療を勧めたい。その生命力が私の聲を生み出している。詩語りは、生命力(免疫力)を高める最大の方法である。詩語りは、一番自然の身体に近づける方法なのである。そこには生きる歓びを見出せるからだ。つまり慈悲の聲というものである。一度私の詩語りを聴いてもらいたい。

2012年12月 2日 (日)

田川紀久雄日記

公園の公孫樹の黄葉になったと思ったら、昨日の強風で葉が散ってしまった。富士見公園は公孫樹並木が綺麗だ。まるで仙台の青葉通りにいている。一日一日本格的な冬に近づいている。家の中ではコートを着て過している。
数日前に詩のボクシングをテレビで見たが、相変わらず酷いものだ。あれは詩とは無関係な世界でしかない。それにマイクを使ってのボクシングとはあきれたものだ。詩はまず優れた作品を語ることが大切だ。そして肉聲を求めていかなければならない。いまオープン・マイクはどうなっているのだろう。かれらには向上心が全くない。自己満足の世界でしかない。なぜテレビでは優れた詩の朗読をしないのか。これでは詩の文化を駄目にしている。私達の次回ライブは、宮澤賢治・八木重吉・麻生知子を語る予定だ。そして自作詩も。作品に秘められている深層を語れるにうにしてゆきたい。いま日本の詩人達に真似が出来ない世界を演じている。遠方の方は、DVDを発売しているのでぜひ手にとっていただきたい。頒価千円。

2012年12月 1日 (土)

田川紀久雄日記

選挙のありかたも随分変ったものだ。インターネットの時代だという感じがした。党首どうしの対話がもっと行なえばよい。そうすればあらが見えてくる。昨日の石原慎太郎の発言がそうである。フェードアウトという言葉は消滅という意味である。それを石原は勘違いしていた。
人間というものは、自分さえよければいいという考え方が基本であろう。いくらきれいごとを言っても、背に腹は変えられないという諺がある。人間として生きるには相手を思う想像力だと思う。そのことが欠如したら、たんなる動物でしかなくなる。安倍総裁は原発の新規さえ行なうとしている。これはアメリカの圧力なのかどうかはわからないが、こまった発想だ。
我々はヒロシマ・ナガサキの体験を本当の意味で考えてこなかった。放射能の危険性を知りながら原発を次から次へと作り上げてきた。安全でないことを知りながら、安全神話をでっち上げてきた。安全を確認すれば再稼動を認めるという考えは、どこか欺瞞である。原発には安全は成立しない。そのことを政治家はわかってもらいたい。

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