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2012年9月30日 (日)

田川紀久雄日記

原子力団体は、なにがなんでも原発を動かしたい。福島の現状を凝視しない。生活は大切だが、人の犠牲の上の欲望はいかがなものなのか。原発のコストは安いわけではない。一度福島のような事故を起せば、莫大な賠償が求められる。責任も問われるだろう。しかし現状は賠償金も責任も東電はほとんど逃れている。賠償金も我々の電気代に上乗せをしているだけだ。いちにちも送電線を東電から分離してもえあいたい。国の管理下に東電は置かれているにも関わらず、国も何の対応もしない。政府は国民の民意を無視して原発ゼロからも逃れようとしている。
今日は名月であるが、台風の影響で見れそうもない。旧暦では八月十五日である。おだんごとサトイモを食べるといい。「名月をとってくれろと泣く子かな」と一茶はうたっている。昨日はおぼろ月であった。これもなかなかの風情があった。

2012年9月29日 (土)

田川紀久雄日記

大間原発の工事再開が認められる。枝野さんは何を考えているのだろうか。国民には納得のいきあない話題だ。原発ゼロ運動がますます遠のいていく。昨日の官邸前の原発反対運動の報道はなされない。反対運動を全国に広げていく以外にゼロ達成は無理な気がする。
いま日本は中国人や韓国人を差別しないことだ。同じ人間として受け入れていくべきである。川崎には韓国人が多く住んでいる。どこにも差別がない。普通の生活が維持できている。大切なことは日常生活を壊してはならない。日本に住んでいるアジア人を温かく見守ることが必要である。領土問題は国と国では決して譲り合うことがない。だからと言って相手の人民を無視してよいはずがない。隣人は長い付き合いが求められている。この困難な状況も時が解決してくれると信じたいものだ。
詩誌「たぶの木」の見本ができる。詩人でない人たちに読んでもらいたい詩誌である。詩誌との交換は一切しない。これは詩人相手の詩誌でないからだ。あくまで人間という立場の詩誌である。いまの詩人達は、本当に詩を愛しているのかと問うと疑問を感じてしまう。一番詩をわからない人たちが集まっている集団が詩壇である。まず身近な人たちを大切にして行く詩誌でありたい。

2012年9月28日 (金)

田川紀久雄日記

やっと秋らしくなった。台風17号が日本に進路を変えたという。来週の初めは心配だ。夏の暑さで台風は来なかったが、高気圧の移動でどんどんやって来そうだ。北海道の漁業も、台風のお陰で海の温度も下がるだろう。秋刀魚も鮭も南下してくるだろう。台風は、それなりに役に立つこともある。自然の力は、人間には計り知れないものがある。
詩の朗読の面白さは、テキストを読む面白さではなく、言葉の奥に秘められている世界を見出していくことにある。そこまで行くには、ひたすら聲を出していかねばならない。ローマは一日にして成らずという言葉通り、年月をかけてじっくり取り組まない味が出てこない。貪欲に人前で修練を積んでいくしかない。恥は一時、経験は人間を豊にさせてくれる。いつも本気で朗読することが進歩の秘訣である。
日記も毎日つけることで、意味がある。一日一日の大切さは、同じことの繰り返しの中に感じられるものだ。同じような生き方をしていても、何もしないで文句ばかり言っている人間とでは大きな開きができる。人の批判をしているうちは、人は進歩などしない。ひたすら黙々と同じことを行なうことがいかに大切か、最近になって思うことがある。
『詩と思想』で購読者のなると書かせてくれるはずが、何も書かせてもらえないようでは購読者になる必要はない。なにか読んでいても虚しさを感じる。

2012年9月27日 (木)

田川紀久雄日記

村上昭夫の『動物哀歌』の詩語りの稽古をしているが、語る度に何かを発見する。言葉の意味ではなく、言葉の奥に隠されている村上さんの心の揺れとでもいうのかが視えてくる。作品を理解するには、やはり時間がかかるものだ。他人の詩を語る面白さも、回を重ねることにふかまってゆく。自分の詩であっても、何度も語る中で、その世界が開かれてゆく。樹の年輪と同じく、積み重ねによってしか、視えてこないものがある。同じ言葉を語っていても、若い時とは違った言葉のように感じたりする。詩作品とは、味わうものなのだ。味わいながら語る心を持たなければ詩語りになっていかない。それも日々の精進がもとめられている。
今の政治家からは何も期待が持てない。民意というものは、政治力によって消されてしまうからだ。中国との関係が悪化すれば、ますます不景気になる。中小企業の倒産が増えていくだろう。環境税まで取られる。そして消費税もあがる。ガス代電気代の値上がりで、生活がますます苦しくなるばかりだ。東日本の復興が少しも進んでいない。苦しんでいる人たちがたくさんいる。これからの日本は何処にいくのだろう。不安でたまらない。

2012年9月26日 (水)

田川紀久雄日記

人間は話し合う心を失ったら、孤独に落ち込む。いつの時代も話あえる友がいることは楽しいものだ。歳を取ってくると、話しあえる友がだんだん少なくなってくる。歳のせいにして家に引きこもってしまう。メールだけの友もいるだろう。淋しく感じてしまう。やはりあってお茶や一杯飲むことも大切なのだと思う。詩人達は詩誌の同人会などで会うだけだ。個人的な交際はなかなか無いものだ。ITがますます普及すていく。ますます人間同士の結びつきが薄れていくばかりだ。詩人達の例会でも集まるのはいつも決まっている。詩誌が送られてきても、いったいどのような人なのが全く解らない。会って知っていれば、いくらかは作品の読み方も変るかもしれない。人間の存在を感じない世界は滅びてゆくしかない。
新潮社の「日本詩人全集」を古本で集めている。一度揃えたがみんななくなってしまった。新品同様なものが百円で売られている。ぱらぱらめくりながら読むのは楽しい。そして「日本古典集成」も百円で手に入れられる。読みたい本が一杯あるが、眼が衰えているのでなかなか読むスピードがあがらない。勉強をしなければ作品を書くにも深まらない。一日があっというまに過ぎてゆく。

2012年9月25日 (火)

田川紀久雄日記

方丈記を読むと、その当時はつねに天変地異が起きていた。それは物凄い無常観が文化の思想の中心になっていった。私達が想像を越える世界観でもある。そのためにも仏法が拡がっていった。今私達は天変地異と人災のよる(原発事故)によって、計り知れない苦悩を味わっている。しかしテレビではグルメ番組が横行していて、とてもやりきれない思いをする。生活保護費も下がるという。ますます貧富の格差が広がるだけだ。
自民党の総裁選挙では、災害地対策では格好の良いことばかりを行っている。原発のことだって、自民党がここまで推し進めてきたのに、まったくの反省すらない。政権をとればすぐにでも薔薇色の世界がくるようなことばかりを行っている。欺瞞もはなはだしい。
熊本県は野良猫の殺傷処分はなるだけしないようにしている。このことは全国にも普及してもらいたい。浜川崎に捨てられた猫がいる。飼われていた猫が捨てられることは痛ましい。それも毛が長いので雨露のときは可愛そうだ。いま相棒と相談して引き取ろうかと考えている。問題はちょっとお年寄りなのだ。責任を持って飼えるのだろうか。もし病気にでもなれば医療費もない私達の生活費ではちょっと無理な気もする。もう少し様子を見てから判断したい。
詩誌『たぶの木』は今月中に出来上がる予定だ。「操車場」の印刷の前に仕上げたい。私達の詩語りライブの会場で渡したいと思っている。
保坂成夫さんから短歌の原稿が来る。

2012年9月24日 (月)

田川紀久雄日記

政治の世界で感情的になったら最悪な状況になる。日本はあくまでも冷静に対処すべきである。子供の喧嘩ではないのだから。まずは一人ひとりの人間を大切にしていく以外にない。遠い人のことより、身近な人を大切にすることだ。
昨日は胃の下あたりの痛みを感じた。午前中は横になっていた。このところ身体の調子が悪い。季節の変わり目はどうしても身体が追いついていかないのだ。
自転車を買いたいと思ったら、約三万円近くもするのだ。車の免許が切れるまで何とかして蓄えないとならない。今月は、わからないうちにどんどんお金が出て行ってしまった。別に無駄なものは買っていないのに。そろそろお米もなくなってきている。
昨日の相撲は面白かった。日馬富士と白鵬の対決はなかなかなものだった。でも日本人の力士はどうなっているのか、ちょっと心配だ。
詩誌受贈『グッフオー・58号』
詩集受贈『中原道夫詩集・徘徊者』

2012年9月23日 (日)

田川紀久雄日記

日本も中国も若い世代の人たちは、戦争のことをあまり知らない。特に日本の若者達は歴史認識が希薄な感じがする。それは学校で歴史を学んでも江戸時代ぐらいで終わっている。まったく近代を学んでいない。第二次大戦も知らない若者もいる。学校教育に大きな問題がある。韓国や中国では、日本の侵略のことを教えている。日本はまずいことは教えないという教育方針であった。いまでも南京事件すら、あれは無かったという人がいる。大阪の橋本さんなどはその一人だ。
自民党の時代が来たら、平和憲法すら守れなくなる。中国との関係も長い時間をかけて対話を重ねていく以外にはない。石原慎太郎のように、タカ派てきな発言は慎むべきだ。大事なのは相手を思いやる心だ。頭から押さえ込むようなものの言い方は、相手を怒らすだけだ。
私達の詩語りは詩人達からまったく無視されている。だからこそなおさらいい語りを目指して努力をしていかねばならない。人の心に響く語りを目指してゆきたい。いのちを語るのライブを行なっていても、とてもしんどいことが多い。この辛さが芸の深さに栄養を与えてくれていると思っている。

2012年9月22日 (土)

田川紀久雄日記

詩人にとって一番大切なことは、社交性ではない。あくまで優れた詩を書くことだ。無名でも本物の詩と向き合っていれば、何も怖れるものはない。詩人にとって社会的な地位などなんの価値も無い。人の心を豊かにしてくれる詩を書くことが求められている。
こんど新しい詩誌を作ることにした。部数も三十部しか印刷しない。本当に読んでもらいたい人しか送らない。詩誌の名は「たぶの木」である。かつて宮脇昭さんの本を読んで感動したことがある。三浦半島や伊豆半島に多くのたぶの木を見た。河津に行った時は大きなたぶの森を見た。川崎図書館には宮脇昭さん文献が揃っている。日本古来の木である。高畑耕治さんの原稿が入った。あと一人の原稿が入れば十月中に出来そうだ。ページも薄い。無理をしないで作ることである。
日本の空にオスプレイが飛んだ。原発ゼロもアメリカの要求で骨抜きにされてゆく。安保への影響だ。オスプレイの沖縄に配備することによって尖閣諸島問題で中国に圧力を加えることが可能なのだろうか。そのために日本での多少の事故など無視されるのか。国民は絶対納得はしない。憲法九条で戦争はしない国づくりを目指している。平和を守ることはいかに大変なことか。日本が世界に誇れるのはこの憲法九条である。
詩誌受贈『柵・310号』

2012年9月21日 (金)

田川紀久雄日記

宮沢賢治は詩の中で法華経を自分なりに解釈して書いている。法華経が解らないと。彼の詩も解らない。難解なところはそれなりの意味がある。世界全体が幸せになるということも、みんなが仏のいのちを見出すことにある。かれは詩人であるから、宗教者のように信心だけの立場では言わない。ひたすら詩人の立場で人間のあり方を追求している。それと彼固有の生き方が作品を創り上げている。現代人のようにパソコンの前だけで詩をかいている人間とは違う。彼の場合は、詩を書くものではなく、生まれてくるものであった。それも心の奥深いところからである。詩というものは、その人の行き方と共に生まれてくるものだ。
昨夜はずっとお腹が痛かった。このところ下痢が多い。夏疲れかもしれない。
車の免許の更新は、もう止めようと思う。足の為にも自転車を使うのが良い。車で事故を起したら大変だからだ。七十をすぎるとバスの割引もある。もっと行動的に生きなければならない。家にいるとどうしても部屋に閉じこもる癖になる。将来の生活を考えると不安だ。何とか詩語りで生計の道を見出したいものだ。そのためにも命懸けの精進をしていかねばならない。他の詩人達のように趣味で朗読などできない。そのためにも体力をつけていかなければならない。

2012年9月20日 (木)

田川紀久雄日記

原子力規制委員会には問題が多すぎる。いままでの保安員が殆どである。これは初めから再稼動ありきの人選としかおもえない。国民の意志を裏切った人選でしかない。
政治の世界でもリバラル的な存在者が少なくなった。自民党も民主党も原発容認が殆どだ。国民の意志とどんどんかけ離れてゆくばかりだ。経済界の脅かしに野田総理は腰抜けになってしまった。
MDで「曽根崎心中・道行」「永訣の朝+雨ニモマケズ」を制作した。送料込みで五百円。一度詩語りを聴いてみませんか。次回のライブは「村上昭夫」と「麻生知子」と「自作詩」を語る予定です。十一月十七日(土)に行ないます。
次の詩集『愛するものへ』を印刷所に入れる。十月の下旬頃に出来上がる予定。

2012年9月19日 (水)

田川紀久雄日記

自民党の総裁の候補者五人は。原発を容認する立場の人たちだ。自民党の原発に対する考え方は昔から少しも変っていない。政権を自民党がとったら原発ゼロ運動は阻止されてしまう。電力が足りないとか、ゼロになれば電気代が三倍になるとか、失業者が増えるとかはみんな脅かしでしかない。福島の実態を見ない人たちの言い分でしかない。核のゴミ処分問題も何も解決しないまま、原発を動かすのはあまりにも無責任である。法華経にある火宅の喩えは有名な話である。原発を賛成する人たちは、、自分たちの国が燃えているのに、それでも遊びまわっている人たちである。そして国を滅ぼす人たちでもある。本当の幸福を求めようと馳せず、眼の前だけの幸福を求めている。なさけない有様だ。
夜中凄い雨が降っていた。これでいくらか樹はいくらか元気になるだろう。今日からお彼岸の入りだ。暑さも二十五日頃になれば、いくらか涼しくなるという。
山下さんのメールで詩語りを励まされた。やはり聴いていただける人がいるだけで有り難い。そのためにももっともっと精進をしなければと思う。蓮の花のように泥のなかから美しい花がさくように、頑張るしかない。

2012年9月18日 (火)

田川紀久雄日記

いま老老介護が問題になっていても、解決の糸口が見出せないでいる。いまの福祉政策は現実に対応しきれないでいる。豊かな国づくりは、福祉の充実ではなかろうか。それには確かに膨大な予算が必要である。北欧のように人口密度がちがう日本ではそう簡単に消費税を上げることが出来ない。福祉は国民全体で行なわなければならない問題である。老人の数がますます増え続ける。そのためにも老人が健康でいることが大事になる。老人のためのスポーツ会館も必要になってくる。老人だからと言って、町会にある老人会館のようになっては困る。もっと若々しいものでなければならない。七十歳といっても元気なお年よりも多い。私も七十歳だが、聲をだしたら若者にまだ負けない。要は気楽に生きられることが求められているが、テレビの前にいるばかりではダメなのだ。自分の趣味を見にだしてそれに打ち込むようでなければならない。
いま中国でのデモで一番大変なのは中国人ではなかろうか。あれは自分で自分の首を絞めているようなものだ。あれでは日本にも中国にとってもなんの利益もならない。極端な思考はある意味で狂気である。それにしても日本政府の対応の仕方が悪すぎる。自民党がまた天下をとったら、憲法改正、集団的自衛権を勧めていくだろう。危険な愛国心は国を滅ぼす。

2012年9月17日 (月)

田川紀久雄日記

この暑さは彼岸まで続くという。クーラーの使用で電気代もかかる。身体を壊しても電力の節約にはしたくない。パソコンも長い時間打っていると腰が痛み出す。今日は敬老の日というが、精神的には若いと思っても、肉体的にはまさに老いの世代に入っている。なと何年生きられるか解らないが、精一杯仕事をしてゆきたい。相棒が働いてくれているから。私が生きていける。詩語りの仕事をしたいが、何処からもお呼びがかからない。このことはとても精神的に辛いことだ。歳をとって貧乏生活は身にこたえる。詩集を上梓するためには我慢するところは我慢しなければならない。
福島や大震災で私などより大変な生活に追い込まれている人たちが多くいる。東電からの保証も何も受けていない人もいる。二度と自分の村に帰れない人も多い。そのような人たちのことを少しも考えないで党首選びで騒いでいる。二十年後には多くの人たちがガンにかかっているだろう。樹木も十五年するとはっきりした影響がでてくる。眼に見えない放射能の影響は確実に広がっている。ほんの少しの放射能でも細胞が破壊されてゆく。
いまこそ詩人達はいのちについて真剣に考えていかねばならない。いのちを守る運動こそ詩の原点ではなかろうか。

2012年9月16日 (日)

田川紀久雄日記

昨日は納得のいく詩語りが出来た。残念なことはお客が二人しか来てくれなかった。TさんとYさんには感謝いたします。詩人達は朗読を聴くのが嫌いらしい。私は負けないで生きていく。そして日々聲を鍛えていくしかない。人の魂に届く語りを目指して。
復興予算が「もんじゅ」の独立行政法人に42億円も流用されているという。酷い話だ。原発もいま建設中のものは、新基と認めないで作られていく。どんどん原発ゼロから後退してゆく。断腸の思いだ。世界中で放射能によって苦しめられている人たちが多くいる。劣化ウラン弾によって子供達がどんなに苦しんで死んでいったことだろう。人間という生き物は本当に罪深いものだ。
ささやかでもいのちに対する詩を書き続けてゆきたい。失語症になってしまいそうだ。こころから詩について語れる友が欲しいものだ。Tさん、Yさん、Sさんと私とでミニ冊子を作ることにした。部数も少数。詩人でない人たちに手渡しをしてゆきたい。年に数回かも知れないが、無理をしないで発行してゆきたい。魂のこもった詩誌が出来れば良い。
詩集受贈『曽根ヨシ詩集・時の貌』

2012年9月15日 (土)

田川紀久雄日記

政府は国民感情をどんどん裏切ってゆく。もしこれで自民党が勝利したらもっと原発ゼロが遅れてゆくだろう。そして憲法改正が行なわれてしまう。国民の生命を守るといいながら、やっていることは正反対である。
領土問題は、いままで国と国の力関係で問題が解決されてきた。これは歴史的に見ても解る。正義だけでは解決しない問題だ。だからと言って軍事力を高めることは承認できない。根気よく対話をかさねて行くしかない。武力衝突だけは避けるべきだ。もっと強い平和の理念を持つしかない。平和ボケしているせいか、政治かも国民もいのちに対しての考え方が足りない。このままだと日本は滅ぶしかない。
今日は午後から詩語りライブがある。何人集まるのか不安であるが、いのちの聲をあげていくしかない。聲の祈りを強めていくしかない。
佐川亜紀さんと柏佑子さんからカンパが届いた。ありがたい。

『第7回 いのちを語ろう』 9月15日(土)
時間 2時より
場所 東鶴堂ギャラリー
横浜市鶴見、JR鶴見駅徒歩5分、京急鶴見駅徒歩2分、鶴見区鶴見中央4-16-2 田中ビル3F 電話045‐502‐3049
料金:2000円。

朗読:古典に挑戦してみよう 
田川紀久雄 『曽根崎心中  中原中也詩集より』
坂井にぶこ 『源氏物語より』

2012年9月14日 (金)

田川紀久雄日記

『索通信』の原稿が入稿する。この度は新井豊美追悼号だ。版下を作るのが楽しみだ。今月はなんとか生活費がでた。
昨夜は妹の問題であまり眠れなかった。今の私にはどうすることもできない。病気は医者との問題だからだ。精神的にも不安にかられている。妹もガンで長い間患っている。ガンは厄介な病だ。
政府は原発ゼロといいながら、本当の真意が見えてこない。経団連の原発依存の圧力もある。原発がないと日本は潰れると脅かす。彼らの人間のいのちより金の方が大切なのだ。アメリカからの圧力もある。原発の目的は電力ではなく軍事的な目的である。核を持つことによって軍事面に活かされるからだ。私達の世代に原発ゼロにしなければ、未来に大きな重荷を残すことになる。本当の幸せとは何なのか。どのようにしたら、幸せの道が見出せるのだろうか。私は詩を通じてしかその問題と対峙していくしかない。でもそのことがまた心の苦しみにもなっている。
明日は詩語りライブがある。いのちの語りを続けてゆきたい。そのためには一人でも多くのお客が来てくれることだ。本当に人の心に響く語りを行ないたいものだ。

『第7回 いのちを語ろう』 9月15日(土)
時間 2時より
場所 東鶴堂ギャラリー
横浜市鶴見、JR鶴見駅徒歩5分、京急鶴見駅徒歩2分、鶴見区鶴見中央4-16-2 田中ビル3F 電話045‐502‐3049
料金:2000円。

朗読:古典に挑戦してみよう 
田川紀久雄 『曽根崎心中  中原中也詩集より』
坂井にぶこ 『源氏物語より』

2012年9月13日 (木)

田川紀久雄日記

ガンが増加したのは1954年ビキニ環礁での6回の水爆実験以後ではなかろうか。あの時は日本全土に放射能が撒き散らされたのだ。そして福島原発事故での放射能によってさらにガン患者が増加するのではなかろうか。ガン診断などと巷では騒いでいるが、なにか変な話のように思われる。だれも明日にあなたはガンですよといわれても可笑しくはない。原発事故では誰もが責任を取らない。ますます原発賛成派は何をしてもいいのだと思い上がってくる。大飯原発も近くに活断層があるにも関わらず、停止をしようとはしない。民主党の党首を決めるにも、この原発のことは棚上げにされたままだ。
岩手県陸前高田にある一本松が保存の為に切断された。保存費用が一億五千万だという。馬鹿げた話だ。新しい苗木を植えれば済むことだ。なぜ莫大な費用をかけなければならないのか。復興がほとんど進んでいないというのに。仮設住宅にいつまで住めというのだろうか。私は毎日腹がたってしょうがない。気分がいらいらして身体に悪い。

『第7回 いのちを語ろう』 9月15日
時間 2時より
場所 東鶴堂ギャラリー
横浜市鶴見、JR鶴見駅徒歩5分、京急鶴見駅徒歩2分、鶴見区鶴見中央4-16-2 田中ビル3F 電話045‐502‐3049
料金:2000円。

朗読:古典に挑戦してみよう 
田川紀久雄 『曽根崎心中  中原中也詩集より』
坂井にぶこ 『源氏物語より』

2012年9月12日 (水)

田川紀久雄日記

大震災から一年半の詩を昨日書いた。やはり書かずにはいられなかった。国のていたらくに怒りを覚える。詩かどうかは問題外だ。詩人達はこのようなことを書くなというだろう。詩集というものは身銭をきって作るものだから、自己が納得すればそれでよい。他人からどう思われようなどと考えないことだ。詩というものは、構えて読むものではない。すうっと心に入り込むのがいい。そして大切なのは魂が込められていることだ。
『慈悲』という詩集の語りの稽古に入る。やかり千回程読み込まないと、私は思うように語れないのだ。ほんとうに不器用な人間だ。この不器用が語りには必要なのかもしれない。二三度読んだだけで上手く朗読が出来る人もいる。でも不器用ながら何度も読み込んだことによって味がでてくる。才能だけでは語りが上達しない。やはりこつこつ努力することが進歩の近道なのだ。

『第7回 いのちを語ろう』 9月15日
時間 2時より
場所 東鶴堂ギャラリー
横浜市鶴見、JR鶴見駅徒歩5分、京急鶴見駅徒歩2分、鶴見区鶴見中央4-16-2 田中ビル3F
料金:2000円。

朗読:古典に挑戦してみよう 
田川紀久雄 『曽根崎心中  中原中也詩集より』
坂井にぶこ 『源氏物語より』

2012年9月11日 (火)

田川紀久雄日記

福島原発は相変わらず危険な状況である。それにその周辺の放射線量がまだ高い。民主党や自民党の総裁選びで、原発問題はそっちのけである。野田総理の大飯原発再稼動問題の責任も何も問われない。原発ゼロをいつにするかも話題に上がらない。次の衆議院選挙では民主党は大敗するだろう。といって自民党に政権を戻すのはやりきれない。といって橋本さんには何も期待ができない。国民の意思を組んでくれる党が何処にもないのだろうか。
オスプレイの問題も政府はアメリカ政府の言いなりだ。沖縄の住民がそのような危険なものはいらいないといっている。未完成のオスプレイを配備することに問題がある。国会周辺にも反対運動の市民が集まった。
古本屋で筑摩書房の『現代人の仏教』をまとめて購入。昭和四十年に発行された本である。仏教の入門書として読むには良い本だ。いま「チベットの死者の書」を読んでいるが、死の世界というより今の人びとの心を物語っているとしか思えない。仏陀は死後のことはいっさい語ってはいない。あくまでも生きるための知恵が仏教なのである。

2012年9月10日 (月)

田川紀久雄日記

放射能汚染された土を何処の県でも引き受けを拒否するだろう。未来の世代にツケを残すことはしたくないものだ。放射能のゴミをどうすることの出来ない状況で原発が再稼動されてはやりきれない。2030年まで原発の稼動を認めるのは無理である。国民の原発反対の運動によって政府も原発ゼロの方向に迎えざるを得なくなっている。政治家を動かすには、国民一人ひとりの力が必要である。
詩で原発のことを書くなという詩人もいるが、いまという状況を詩で書くのも詩人の仕事である。現代詩が国民の気持ちと向き合っていないから、現代詩は歴史から消え去っていくばかりだ。もういい加減に言葉遊びから抜き出ていいのではなかろうか。言葉遊びも大切ではあるが、それが目的になったら詩は詩で無くなる。
家にある本を整理して井原さんのところに送る。もう読みそうもない本を整理して行くしかない。余りにも本が多すぎる。今出来たら日本の古典を読みたいものだ。菅原道真の漢詩を読みたいがなかなか手に入らない。昔の岩波古典全集に入っているのだが古本屋でも値が高くついている。

2012年9月 9日 (日)

田川紀久雄日記

ドイツでは太陽発電で後退を余儀なくされている。買取が高すぎて電気代が沸騰したとのこと。このことは日本でも起こりうることである。自分で作った電力は各家庭で使用するのが一番ではないのか。原発はゼロにしたい。いまなお高い放射能が出ている。汚染水も増え続けている。鳥の住む森もそのために全滅になっている。これからの電力を真剣になって考えていかねばならない。福島原発を廃炉にするにはまだまだ時間がかる。その先の見通しが立っていない。一度大事故が起こると原発はしまつにおえなくなる。福島の人たちの就職が殆どない。復興がなかなか進んでいないから。福島原発で働いている人たちも最悪の状況である。
それに比べテレビでは食事の贅沢さをあらそう番組が多い。大切なことを報道しなくて、国民を裏切る番組ばかりだ。ギャラの安いタレントを使い質の低い番組を制作している。どこのチャンネルを見ても同じタレントの顔ばかりだ。NHKも民間の放送局に似てきている。
今週の土曜日に私達は詩語りライブを行なう。この度は古典に挑む。是非一人でも多くの人たちに聴いてもらいたいものだ。

2012年9月 8日 (土)

田川紀久雄日記

アマゾンの伐採で雨が降らなくなったという話もある。森林の大切さを知らないと、大変なことになる。朝鮮も森林の伐採によって酷い目にあっている。これは日本でも同じことだ。昔は何処の山を見てもいろんな木が植えられていた。美しい風景が見られたという。都会を空から見ても森らしい森が何処にもない。工業化によってどんどん緑の面積が狭められてきた。いま私の住んでいる浜川崎でも森らしい森が一つもない。温暖化の原因の一つである森林の伐採があげられる。中国の砂漠に森林をという運動はどうなっているのだろう。今年はなんとか夏を乗り切れそうだが、来年の夏はどのようになるのだろう。クーラーのない夏はもう考えられない。安全な電機と料金の安い電気を求めてゆきたいものだ。原発がないといまの三倍の電気代になるという脅迫はとても我慢ができないものだ。原発の為に国はどれだけ注ぎ込んできたのか、それにくらべれば自然エネルギーへの投資は微々たる物だ。太陽パネルが20年しか耐久年数がないことが今は問題だ。そのときのゴミの問題も出てくるだろう。再利用できる太陽パネルの開発が急がれる。いまから未来の為に備えていかないと、人間は死滅していかざるを得なくなる。

2012年9月 7日 (金)

田川紀久雄日記

昨夜は久しぶりの雨らしい雨が降った。東北ではまだ水不足である。年々異常気象になりつつある。それは陸だけではなく海の温度も毎年上がっている。アメリカでは旱魃で、麦やトウモロコシが不作だという。てんぷら油も値上げが始まっている。給料が上がらないのに物価だけが上昇してゆく。これで消費税が取られれば、ますます不景気になるばかりだ。
民主党も自民党も、なさけない。まったく国民の方に眼が向いていない。といって維新の会もあまり共鳴を覚えない。どのように私達は国と向き合っていけばよいのだろうか。それは市民運動しかないのだおるか。嫌なものは嫌だとはっきり言っていくしかない。言葉は無力だとしても、無言でいるよりそれなりの効果がある。竹島問題でも、日本の教育はいちども竹島の問題を教えてこなかった。それに対して韓国の教育は徹底的に自国の領土であると教育してきた。その差は大きい。でも異常な愛国主義者にはなりたくはない。日本もかつて国から押し付けられた愛国主義が大手を振っていたことがある。文化を愛することと、愛国主義は違うものだ。愛国主義はならず者の最後の拠り所であるといった人がいる。自分だけが正しいという考え方は人の心を傷をつけるだけだ。
電力不足になるといって原発の再稼動を野田総理は、まったく大飯原発を止める気がない。国民の意見に耳を傾けないに総理は、寿命もそれほど長くは続かないだろう。

2012年9月 6日 (木)

田川紀久雄日記

今日は午前中病院だ。お金がどんどん出て行くばかり。
「操車場」の印刷がまだ出来ないでいる。校正ゲラがまだ届いていないからだ。いつもは五日ごろに印刷が出来るのだが、今号は間にあわなかった。
昨夜は熱帯夜で寝苦しかった。夏バテがどっと出てきている。それでも昨日は詩を一篇書けた。いのちのあり方をひたすら追い求めている。今の私の詩はとても語り難い。どのようにしたらよいのか迷うばかりだ。なんとなく解りかけてきているのだが、もう一歩うまくできないでいる。ある意味で思索的な詩はおもうようにリズムがつけにくい。人に語りかけるような気持ちでするのが良いのだが、その速度の調子がうまくいかない。その点、近代詩の詩人達の詩は語りやすい。
相棒には朗読の仕事が入ったが私にはお呼びがかからない。なんとなく淋しいものだ。まだまだ頑張って精進しろということなのだろう。
詩集受贈『津坂治男詩集・そんな時代』『松本高直詩集・ミネルヴァの梟』

2012年9月 5日 (水)

田川紀久雄日記

構造不況がますます深刻化している。それにも関わらず消費税を国は近い将来には二十パーセントまで引揚げる気でいる。サラリーマンでない人たちは百万円以下の収入しかないひとが多い。超低所得者にとってこの消費税の負担は大きい。人口がますます減少している世の中では景気の回復も覚束ない。昔のように、良い仕事をしていればなんとか飯が食える時代ではなくなっている。職人たちの数も減るばかりだ。バイトにしても東京では九百円もらえるが地方では一時間七百円程度しかもらえない。最低賃金制度を変えていかないと、生活保護をもらえない人たちは、ますます苦しくなるばかりだ。それに対して国会議員は国会を開かなくてもちゃんと多額の給料が支払われる。この日本の議員制度はどこかおかしい。
原発をゼロにすると電気料金が三倍になると、脅かしを計っている。これは賛成派のいつもの手なのだ。どこにも根拠がない。それに対してプルサーマルでは十兆円規模の予算がくまれているが、なんら再燃料は行なわれていない。核のゴミが溜まるばかりだ。プルサーマルはあまりにも危険すぎる。いままで原発事業で国はどれだけ注ぎ込んできた想像しただけでも膨大な金額だ。自然エネルギー代の問題を遥かに越えた金額だ。それでいて、原発は安いなどとよくもいえたものだ。まだ福島のひとたちの賠償問題もほとんど解決していない。そのお金も電気代に上乗せをしている。国民は踏んだりけったりだ。

2012年9月 4日 (火)

田川紀久雄日記

「操車場」が今週中に発送が出来そうだ。Tさんも手術をしないで済んだ。人間は生きていてなんぼの世界なのだ。生きているうちにしたいことは全部したいものだ。といってもそれほど出来るものではないが、前に向かって歩いていたい。
高畑耕治さんのブログは、本当に読みたい詩を近代詩から現代詩まで紹介をしている。これを読めば詩というものはそれほど悪いものではないと思うだろう。自分の好きな詩を集めることは大切なことかもしれない。私は自分の好きな詩人を詩語りで行なっている。こんどのライブでも中原中也を語る。語ることによって詩の深さを実感できる。黙読では味わうことのできない世界が語る世界にはある。詩とは究極のところうたなんだ。山本陽子の詩でも歌なのだ。言葉の響きを宇宙的に拡げてみせたのが山本陽子の世界でもある。それができる詩人がいまのところまだ現れていないだけだ。詩の語りを学生に聴かせたいものだが、その方法が見つからない。いまライブを隔月に行なっているが、ほとんどお客が集まらない。でも続けることが大切なのだ。一人でも多くのお客がくることを期待しているのだが。

2012年9月 3日 (月)

田川紀久雄日記

「詩人会議・10号」に詩集欄で佐々木洋一さんが『いのちとの対話』を取り上げてくれた。感謝。詩人会議の会員ではないのに、操車場や、私達の詩集を取り上げてくれる。今号は「詩とは何か」を特集している。私に言わせれば詩とは、生きているそのことであるという。それにはやはり人生哲学や思想を深めていかねばならない。その人しか書けない世界を求めていくことが必要である。何度も読みたくなる詩を書くことが大切なのであるが、なかなかそのような詩は書けないものだ。ただ詩を書いているだけでは、詩を書いたとはいえない。アサガオのように、朝だけでもいいから美しい花を咲かせてゆきたいものだ。
原発ゼロに方向には政府はなかなか舵を取れないでいる。これは国会議員の思惑によるところが多い。毒には甘い蜜が仕込まれている。それに群がる議員が多いからだ。消費税がけが先行していて、国民の生活のことなど後回しである。年金生活者や無収入状態の私達のことなどお構いなしである。精神的にも不安が強まる。つらい時代になってきた。

2012年9月 2日 (日)

田川紀久雄日記

昨夜帰宅九時三十分。やはり身体が疲れる。でもときどき外出しないともっと身体が弱ってくる。江古田の日大が随分かわったのには驚いた。時代はどんどん流れていってる。川崎に閉じこもっていると浦島太郎になってしまう。世の中にはいろんな人たちがいる。芸術家はつねに夢に向かって生きていたいものだ。では私には夢などあったのだろうか。いやそれに向かって生きてきたのだろうか。詩を書くことが夢であったわけではない。もっと積極的な生き方をしなければ夢などは生まれてこないのだろう。
いつの世でも、日本の政治家はダメな連中で仕切られている。中には立派な人もいるのかもしれないが、そのような政治家にあったことがない。つねに批判していないと自分を失ってしまう。宮澤賢治のようにみんな幸福にならなければ……。しかし一向にみんなが幸福になった話は聴こえてこない。世界中を見渡してみても、哀しい話ばかりだ。せめて詩人だからいのちの豊かさを書いてゆきたいものだ。そしてもっと詩語りをしたいものだ。

2012年9月 1日 (土)

田川紀久雄日記

今日は旧暦七月十五日のお盆である。日本の生活にはこの旧暦があっているような気がする。といって昔の暮らしの姿はどんどん消えていく。まず子供達の遊びそのものが変っている。それ原因の一つが自然がなくなってしまったことだ。今年はトンボの姿を一度も見なかった。蝉が鳴いていてもその姿を見ることがない。いま日本の美しかった田園を復活することがいじめ問題を解決する役割を果たすのではなかろうか。いろんな場所で里山を増やす運動がなされている。季節は秋に移っているのにすこしも秋を感じない。今日も熱帯夜が続いている。そして暑さもかわらない。身体がだるく感じる。
昨夜木下晋さんから電話があった。今日江古田で江尻潔さんと会うといったら、木下さんは足利美術館で展覧会をやるという。その担当者が江尻さんであるという。木下さんを紹介してくれたのが宇野マサシさんである。なにもかもが昔話のような気がする。宇野さんが足立区の本木に住んでいた頃のことである。私の住んでいた眼と鼻の先である。そして洲之内徹さんとも知り合いになる。私が油彩を描きはじめたのもその頃であった。
長谷川忍詩集『遊牧亭』を読む。彼は詩は視覚的である。それでいてなにかとても懐かしい世界を感じる。この詩集は十年近くまえの詩集であるが少しもそのことを感じさせない。寝苦しい夜に読むのには最適な詩集であった。

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