田川紀久雄日記
遠藤周作の小説を読み直している。自分の思想を作品化することはなかなか難しい。特に詩の世界では、ちょっと厄介な問題だ。八木重吉の詩はそのような意味でも優れている。最近詩を読んでいても、その人の人柄や思想を感じる詩が少なくなっている。言葉だけが前に出すぎている。
国は原発を15パーセントに誘導しているが、国民はゼロパーセントを望んでいる。福島の原発事故の究明もほとんど手付かずになっている。原発の再稼動など断じてやってはならないことであった。国民の信頼を裏切るだけのことである。それにしても賛成派の圧力は相当なものがある。彼らはいのちの問題として捉えていない。ただ金の問題だけなのだ。いのちとは何かをもっと考えていかねばならない。美しい自然の姿をみると、心が豊かになる。
いま公園では蝉が鳴いている。懸命で鳴いている。詩も死ぬ瞬間まで懸命に叫び続けていたいものだ。詩をつねに書いていないと不安になる。書けない時は心が泣く。何も書けなくなったところから詩が生まれてくるものだ。そう簡単に詩など書けるものではない。どれだけ苦しんでものを書くかということだろう。次の詩集を上梓したいが、金銭が足りない。カンパしてくださる人のお陰で何としても今年中には出したいものだ。出来れば私の油絵を買ってくださる方がいると助かるのだが……。世の中はそう上手くはいかないものだ。
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