田川紀久雄日記
人はそれぞれの考え方が違う。みんな違っていい。しかし根本的に違うと話し合っていても疲れる。所詮井戸端会議なのだから、むきになって話し合うのも可笑しなものだ。人と人との話し合いはとても難しい。私はツイッターをしないが、竹島問題でも若者達が過激なことを言っているらしい。感情論的な話には私は興味がない。韓国と日本はお互いに助け合っていかねばならない。
いま地球規模で温暖化で破壊が進んでいる。少しも地球が平和な時がない。どこかでつねに戦争が行なわれている。不幸にあうのはつねに子供や貧しい人たちだ。そのような情況の中で、日本は平和的でありすぎる。他者の苦しみを受け入れる精神力に欠けているのではなかろうか。現代詩を見ても、思いやりのある詩があまりにも少なすぎる。詩そのものに豊かさが欠けている。賞に入るような詩を目指して書いている現代詩には私はついていけない。詩人達の生活が貧しいなんて今は考えられない。現代詩詩人会や日本詩人会の会員になりたがっている詩人が多い。日本の詩はひたすら堕落して言っているのではないのか。人に感動を与えない詩が大手を振って街中を歩いている。苦しみ悩んでいる人たちに寄り添って生きることが大切なのではなかろうか。
いま高畑耕治さんのブログに近代詩について書かれている。みんな温かい詩ばかりだ。今日は大木実さんの詩が載せてある。このような詩を読むと心がほっとする。
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